3D-YinYangWuxing
(立体陰陽五行 )
第1章 陰陽の運動
1、易経には無がなく、佛経には无がない。
2、陰陽は一緒に存在する。;(循環法則)
3、陰(-)と陽(+)の循環
4、皆が陰陽を 混沌としている理由。
5、先天と後天
6、伏羲氏の地動説
1)伏羲氏時代
(1)双魚交尾紋
(2)伏羲先天八卦
(3)伏羲先天64卦
(4)地球自転の原理を教えてくれている。
2)神農氏時代
3)黄帝と堯舜時代
4)2進法による伏羲 先天 64卦の生成原理
(1)陽の2進法
(2)陰の2進法
(3)64卦の循環システム
5)春秋戦国時代の易(周易)
6)なぜ易が天動説(時計回り;後天)として解析されているだろうか。
第1章 陰陽の運動
1、易経には無がなく、佛経には无がない。
无極(存在はするものの、見えないもの)で陰陽に分かれる直前の一点を太極といい、太極で重いものが下に沈むと軽いものは上に浮かぶようになる。上にあるものを陽といい、下にあるものを陰という。
2、陰陽は一緒に存在する。;(循環法則)
Fig1-2. 双魚交尾紋 (東洋医書での時計方向は誤りである。)
*
陰と陽は離れて独立したものではなく、一緒にするので、陰と陽の中心が距離(r)を持てば、(1) 反時計回りの運動を開始するということを知らせてくれるのが双魚交尾紋である。 また、これは時間の経過による円運動の位置変化なので、(2)陰陽は波動であることを意味する。
3、陰(-)と陽(+)の循環
現代物理学では、物質(+)と反物質(-)あるいは粒子(+)と反粒子(-)は共存せず、別々に離れていると仮定する。したがって反物質は宇宙のどこかに独りで存在したり、または、今では完全に消えたと主張している。それでは、物質と同じ量(数量)を占めていたその多かった反物質はどこへ消えたのだろうか?
循環法則が説明している物質と反物質は共存する。しかし、これを定義するために分離して考えるので、物質と反物質は性格が全く異なる対立的な関係であり、また、物質と反物質が接すると爆発し、エネルギー(空間量子)を放射して消滅してしまうと言っている。それなら、物質と反物質はどのように共存することができるか?その答えは、物質と反物質は交互に循環するため、共存することができる。
<例≻独立した一つの電池は、陰陽が共に引き合っている。洋の東西を問わず、陰陽を分離させて解説し、粒子と反粒子、あるいは物質と反物質に拡張して行くから生じたものと言える。
Fig1-3. 複数の乾電池を連結しても負荷を高めると電流量が少なくなるので爆発しない。
現代物理学は反物質を見つけることができないだろう。今もそうであるが、これからも永遠に見つけられないと思う。 完全な物質はないので、完全な反物質もない。したがって反物質も物質がなければ存在できない。
物質の電荷(+)を人為的に(-)電荷に変えて反物質を作るのは、あくまでも人為的なものであり、自然界では、このような形の反物質は存在できない。
このような人為的な反物質が本当に宇宙に存在するとすれば場、宇宙は乱れた波長の波動だけで満ちているだろう。したがって、今の宇宙を構成することができない。今の宇宙は半分は物質であり、半分は反物質である。これらは離れているのではなく、循環しながら共存している。
陰陽は分離することができないものであるが、物質(+)と反物質(-)を分離して考えるから接すると爆発すると言うのである。それなら、循環している途中に爆発するというのか?粒子と宇宙のすべてのシステムは、陽と陰が循環をし、この循環過程の中間と中間に中性と反中性が存在するから陽と陰は直接会わない。したがって、爆発しない。これは、粒子と宇宙のすべてのシステムが陽(++)、中性(-+)、陰(--)、半中性(+ -)に変化しながら循環を繰り返しているためである。 ;mso-f K3ց1
Fig1-4. 陽性, 太陽, 中性, 半中性, 少陰, 少陽, 陰性, 太陰, 西洋科学の物質と反物質, 東洋哲学の四象と五行, 物質の生成
循環法則によれば、粒子と宇宙のすべてのシステムは、粒子(++)→中性(-+)→反粒子(--)→半中性(+-)の循環システムである。これを東洋学では、四象という。したがって、粒子と宇宙のすべてのシステムは、循環過程中に陽性と陰性、そして中性と反中性の形態である四象(太陽、少陰、太陰、少陽)の変化として東洋学で表現されている。これは、原子核の中の陽性子(+)が中性子(-+)に、そして反陽性子(-)と反中性子(+ -)に循環することと変わらない。
したがって、1次元の陰陽が循環システムによって2次元の四象を成し、時間に応じて循環されるので陰陽は波動であり、循環が続くと中心から第5の気(五行)を発生させて3次元の体積と質量を持つ素粒子を生成するようになって質量があるすべてのものは、粒子性と波動性を同時に持って衝突なしに共存するようになるので、一緒にしながらも、爆発しないということを東洋学で教えてくれている。物質と反物質が一緒にする基本原則を 河図(河圖)という。したがって、光を伝達する光子(Photon)も粒子でありながら波動の性質を持つ。
4、皆が陰陽を 混沌としている理由。
(内経 素問 5.6.7篇にすべての陰陽の基準があるが、これの解釈に誤りがある。)
5篇;黃帝曰陰陽者天地之道也; 黃帝がいわく、陰陽とは、天地の道であるから、
萬物之綱紀;万物の綱紀である。
[天];先に生じたもの(地球)を天というし、{先天}
[地];後に生じた地球の生命体として、これを後天ともいう。;{後地}
[道];道理;正しい道。
[德];正しい道を実践する行為。Morality、
[福];行為が返ってくること
[綱紀];すべての事の原理;Principle
Fig1-5. 立体五行による陰陽の基準設定
故 淸陽爲天 濁陰爲地:故に清い陽は上に上がって天となり、濁った陰は下に下がって地となるし、
地気上 爲雲 天気下 爲雨 : 地気は上に上がっていって雲となり、天気は下に降りて来て雨となる。
水爲陰 火爲陽 陽爲気 陰爲味:水は陰になるし、火は陽になる。陽は気となるし、陰は味となる。
ここですべての翻訳書が「水は陰であり、火は陽である。陽は気であり、陰は味である。」と翻訳している。これは、「上から陽の寒水が下に降りてくると陰になるし、陰の熱火が下から上に上がっていって陽になるので気は陽になり、味は陰になる。」と翻訳するべきだ。
<易の基準によると、≻
(1)火( )は、暖かくて(-)上に上がる(-)から陰であり、水( )は涼しくて(+)降りて来るから(+)陽である。
(2)山澤損( )は、私のものを相手に与えるから陰であり、風雷益( )は、相手のものを私に持って来るから陽である。
(3)五臓から出で行くのは陰- 経絡であり、六腑に入ってくるのは、陽- 経絡である。(これに手足が違っていてはならない)
(4)低気圧と高気圧(六気)
Fig1-6. 低気圧と高気圧(六気)
* 涼しい気運, 温かい気運, 低気圧, 高気圧
低気圧は、集まってきて上に上がって広がって行くから風熱湿(木火土)の温気は陰であり、高気圧は下に降りてきて入ってくるから和寒燥(和水金)の涼気は、陽になる。
(5)心臓から出ていって内側に流れる血管は陰の動脈であり、外側に流れて心臓に入ってくる血管は、陽の静脈である。
(6)赤色は火の陰であり、青色は水の陽である。(株式が上がるのは青色であり、下るのは赤色でなければならない。)
6篇;天爲陽 地爲陰 日爲陽 月爲陰; 天は陽であるし、地は陰である。日は陽であるし、月は陰である。-「天は陽となり、地は陰となる。日(昼)は明るさの陽となり、月(夜)は闇の陰となる」としなければならない。[日は光を与えるから陰であるが、明るさは光を受けることになるから陽となるし、月は光を受けるから陽であるが、闇は光を失うことになるから陰となる]という解釈である。また、太極旗の四卦に火( ;太陽)が下にあり、水( ;月)が上に位置するのも同じ理である。
7篇;所謂陰陽者 去者爲陰 至者爲陽 靜者爲陰 動者爲陽 遲者爲陰 數者爲陽;「いわゆる陰陽とは、‘去’すること(行くこと)が陰になり、‘至’すること(来ること)が陽になる。‘靜’することが陰になり、‘動’することが陽になる。‘遲’すること(遅いもの)が陰になり、‘数’すること(速いもの)が陽になる」と定義している。
ここで問題になるのは、<爲が不完全他動詞≻であるが、皆自動詞として解釈していたという事実である。(自動詞は主語と補語が同格であるが、不完全他動詞は同格ではない。)
為とは?
1. (他動詞) ~をする。 2. (不完全他動詞) ~になる。
3. (他動詞) ~を作る。 4. (他動詞) ~と思う。 見做す。
5. (他動詞または介辞) ~のためである。 ~だからである。
(7) 体(脈)は 外気を基準にし、気味は内気を基準にする。
Fig. 1-7六気
* 湿度, 温度, 気流, 気の対応, 客気, 気の循環, 主気, 体の循環, 味の対応
ここで、緩急の作用を見ると、膵が澁味で、その性質が‘急’であるから脾が甘味の緩であることが容易に判断されるので、これは脾臓が相火(和)の臟であることを教えてくれている。また、‘味’というのが、自分がするのではなく、他人がするようにさせるからである。 <例≻‘味’で 収束(收斂)が陰であり、発散が陽であることは、木が自ら収束するのではなく、他のものを収束させて、金が発散させるのではなく、他のものを発散させるという意味である。
5、先天と後天
1)最初に生じたのは天(先天)で陽といい、後に生じたのは、地(後天;後地)で陰という。
2)天は、反時計回り(+)の運動であり、地は、天に対応してバランスを保つための時計回り( - )の運動である。
3)陰陽の中心が距離を持てば回転運動をするので、陰陽は波動であることを知らせてくれているのが、 双魚交尾紋である。
Fig1-8. 波動は円運動の時間による位置変化
物理学的には、円運動の時間による位置変化を波動という。
Fig1-9. 物質界の生成(生)+精神界の生成(成)=生命の誕生
* 先天, 後天, 五行, 物質界の生成(生)+精神界の成立(成)=生命の誕生
先天は地動説として反時計回りの運動であり、後天は天動説として時計回りの運動である。
BC1000年以前のもの(双魚交尾紋、伏羲とハヴァの絵、河図、洛書、先天8卦、 洛書8卦、伏羲64卦)は、全部地動説によるものとして、反時計回りに地球が太陽の周りを自転しながら公転する回転運動であるから、2進法を利用した先天(地動説)と解説されているが、洋の東西を問わず、春秋戦国時代のBC800年以降にすべての歴史的な事実は、太陽が地球の東から浮き上がって西に沈むこととして固着されたことが、15世紀コペルニクスが地動説を発表してAD1492年コロンブスがアメリカ大陸を確認するまでは反時計回りの先天を(Horizontal Flipさせ、後天と解説していない)時計回りの後天と解析する誤りを犯して陰陽と四時が逆に解釈されたのが、今の周易になったことを知るべきだ。
6、伏羲氏の地動説
Fig1-10. メキシコの碑石文様((紀元以前, 紀元以降)
* メキシコの碑石文様, 紀元以前, 紀元以降, 陰の2進
メキシコの遺跡を見て回れば、多くの遺跡で北東アジアの遺跡と同じものをたくさん見ることが出来る。これは人類の移動経路(アジア→アラスカ→アメリカ)を物語っていることである。特異なものとして、文様を見れば、2つの模様がある。それは歴史的な時代性(紀元前と後)を教えてくれていることである。(東洋歴史的には、約BC800年頃の春秋戦国時代以前と以後と判別している。)
移動経路による時差のため、左の文様は、紀元前の遺物でだけ発見されるし、右の文様は、紀元後の遺物で発見されるため、遺物の歴史年代を探るのに助けになるという。では、なぜ2つの文様は、歴史の時代性を教えてくれているのか?これは、地動説と天動説の違いのためである。
1)伏羲氏時代
Fig1-11. 伏羲8卦
BC3000年以前に陰陽だけで示す完璧な2進法で伏羲氏が8卦を用いた季節の循環を闇の坤から開始して明るさが漸増する陽の2進法で坤→艮→坎→巽→乾に至って正午に明るくなってから、明るさの乾から開始して暗闇が漸増する陰の2進法で乾→兌→離→震→坤に至って夜が再び開始する。このように繰り返す先天8卦(反時計回りの左回転)を作って自然の循環を知らせ、これを64卦に拡張して1年の開始を陽が最初に開始される山地剥( 1から開始)を基準とした連山易(伏羲氏時代の易)を発表したことが伏羲先天64卦である。これが地球が自転(反時計回りに動く。)するという地動説を2進法で教えてくれる数学的な原理である。(下の図)
Fig1-12. 伏羲先天64卦
l 立秋, 夏至, 秋分, 立夏, 立冬, 春分, 冬至, 立春, 陰の2進数, 陽の2進数, 陽の2進, 伏羲先天64卦
これは東洋学の科学的な原理として、内容は2進法を使用して地動説の原理(反時計回り;先天)によって象を利用して口伝で伝えられてきた。
(1) 双魚交尾紋;真ん中の文様は、陰陽が接すると反時計回りの回転運動をする波動であることを教えてくれると同時に、五行は波動であり、粒子の物質界と精神界の生命体(8卦)を誕生させるという 河図の原理を示している。
(2)伏羲先天8卦;中間の8卦は、五行の必要十分条件によって物質界の生成(生数)に精神界を成して(成数)八つの生命が誕生する論理の身体(体)と精神的(用)な特性を論ずるという河図の原理を示している。また、下卦を見ると、坤(冬至- 立春)、艮(立春-春分)、坎(春分-立夏)、巽(立夏-夏至)、乾(夏至-立秋)、兌(立秋-秋分)、離(秋分-立冬)、震(立冬-冬至)で陰陽と四時の変化を教えてくれたりする。
(3)伏羲先天64卦:誕生した八つの生命がペアを作って生きて行く姿を、2進数を使用して、人生の形態と互いに起こる精神的な葛藤(互卦)に至るまでを季節に応じた自然の循環原理として解釈しているのが易の全部である。
上の図は、一貞八悔図として誕生の変化(初爻にて)ではなく、自然現象の変化(上爻にて)を解説するものなので、2進法を知らない人々に下卦(自分自身)は、そのままであり(一貞)、上卦(相対あるいは環境)だけ2進法の順序によって8回(八悔)を変えて8x8=64卦を成すので、伏羲64卦の生成原理でありながら大成卦の生成原理を2進法で解説してくれる図形であると同時に、地軸(23.5度傾いている。)で最後の陽が終わる冬至(地雷復)と最後の陰が終わる夏至(天風姤)を基準に設定している。
<明るさ≻は、暗闇(明度0)の坤( )で陽の2進法( 0; 1)として明るさを順に増加させると、坤( ;0)。剥( +1)。比( +2)。観( +3)。予( +4)。晉( +5)。萃( +6)。否( +7).........に、上爻から順番に陽が入って来て二爻にまで陽が満ちると、孕胎する姤( +31)になって初爻が陽になる瞬間、今まで変わって来たすべてを繰り返した後、完全な明るさの乾( )が誕生することになって、一日としては、昼になるが、一年としは、夏に至る季節の変化を教えてくれている。
逆に、
(4)地球自転の原理を教えてくれている。
Fig1-13. 魚、山椒魚、亀、鶏、ウサギ、人間(左➔右)
①姤(陽の孕胎過程)と復(陰の孕胎過程)は孕胎中、個体発生は系統発生を繰り返すという素晴らしい自然の遺伝法則を見ることになる。
②姤と復が地球の地軸が23.5(=4卦の間隔は22.5度だが、出発点は、地雷復で始まるからである。)度傾いて反時計回りに自転しているのも教えてくれている。また、
③正確な2進数の数学的な論理を適用して自然の循環を解説している。
2)神農氏時代
BC2000年以前には伏羲氏の64卦の自然循環する易の開始基準を 坤( :0)で開始するべきだと主張したのを帰蔵易(神農氏時代の易)といっている。すなわち、新年の基準を、連山易は陽が最初に開始する1(艮山; )で始まったのである一方、帰蔵易は坤爲地( )である0から出発するべきだ(帰蔵)と基準を正しく変更しただけだ。これは、数学的には、大変な意味を持つ。なぜなら、0を数字に編入してこそ演算を行うことができる数字となるが、それでなければ、文字に属して二進数学を広げることができないからである。 - 帰蔵易は64卦が文様(象)ではなく、2進数(演算になる数)であることを明らかにする証拠だからだ。
3)黄帝と堯舜時代
紀元前3000年頃以前の伏羲氏を経て神農氏と黄帝、尭王、舜王を経る間に残っているすべての歴史的な記録は、先天の地動説によって天文に応じて全部地球が自転する反時計回りに解釈されていることを見ることができる。 双魚交尾紋がそうであり、先天8卦と64卦の両方もそうであるし、河図と洛書までがすべてそうである。
BC1000年以前までは内経を見ると、地動説を主張していたことを知ることができる。黄帝内経は、黄帝と5人の師(岐伯、伯高、鬼臾区、少師、少兪)と1人の弟子(雷公)との対話であり、凡そ病気から逃れて粘り気を保持して気血を疎通させ、民を救うして長く生きるようにし、病気にかかって弱っている人々を救済して安らぎを得るようにするには、三皇(三人の成人;伏羲氏、神農氏、黄帝)の道でなければ至ることが出来ないとしたが、
黄帝内経の素問67篇4節にいわく、天文にたけた鬼臾区の答えを理解出来なかった黄帝の問いに岐伯が補足説明したのを見ると、「天は、右(時計回り)に回り、地は、左(反時計回り)に回るし、土地は人の足元にあるが、太虛(宇宙)の中間にあって大気が回るので、風寒暑濕燥和が起こります。 」と言うことを見ることができる。
これは明らかに地動説を説明してくれる場面だと言える。
ここで伏羲先天64卦(先天;地動說;反時計回りの運動)をHorizontal Flipさせると、伏羲後天(後天;天動說;時計回りの運動)64卦になる。しかし、残念ながら、今の周易は天動説として解釈しながら水平対称移動(Horizontal Flip)をさせなくて陰陽と四時が逆になっているという事実である。
Fig 1-14. 伏羲先天64卦 vs 伏羲後天64卦 : 水平対称移動(Horizontal Flip)
今も易を間違って理解している。誕生の変化(初爻にて)ではなく、自然現象の変化(上爻で開始)を解説し、文様ではなく、2進法の論理で解釈しなければならない。
すなわち、
<1≻初爻が陽爻であれば、上爻で陰の勢力を迎えることであり
<2≻初爻が陰爻であれば、上爻で陽の力を迎える2進法の論理であり、周易ではこれを文様として畫易といい、すべて逆に解釈していることがわかる。
<例≻ 山地剥( )は、闇の坤( )に陽を最初に迎え入れ、灯りを明らかにしたら闇を消滅させる意味として解釈するべきであるというのは、次に陽が一段階もっと入ってくる水地比( )が相まって親しくなる自然の摂理を見れば分かることができる。
4)2進法による伏羲 先天 64卦の生成原理
易には、個体発生は系統発生を繰り返すという遺伝の法則がある。
Fig 1-15. 周易が陰陽と四時を間違って解釈している。
* 周易, 伏羲易, 伏羲先天64卦
周易が陰陽と四時を間違って解釈している。
<表≻2進法;0が含まれる場合、勘定数(洛書数)であり、含まれていない場合、序数(河図数)である。
上爻;0、1
5爻;10、11
4爻;100、101、110、111
3爻;1000、1001、1010、1011、1100、1101、1110、111
2爻;10000、10001、10010、10011、10100、10101、10110、10111、11000、11001、11010、11011、11100、11101、11110、11111
初爻;100000........................
つまり、個体発生は系統発生を繰り返している。
爻が一段階進むためには、過ぎてきた全部を行わなければならない。 つまり
5爻が1になると上爻の2つを行わなければならず、
4 爻が1になると5 爻までの4つを行わなければならず 、
3 爻が1になると4 爻までの8つを行わなければならず、
2 爻が1になると3 爻までの16つを行わなければならないから、
初爻が1になると2 爻までの32つを全部行わなければならない。
<64卦表≻で、
(1)陽の2進法
Fig1-16.
* 陽の2進数(陽の増加:明るくなる順番, 10進数, 2進数, 陰の2進数(陰の増加:暗くなる順番)
陽の2進法;0を とし、1を としたもので坤爲地から始まって天風姤までであり、一日は夜の闇がだんだん明るくなって昼を成す過程に比喩し、一年は寒い冬の冬至から暑い夏の夏至に至る過程に比喩している。
(2)陰の2進法
陰の2進法;0を とし、1を としたもので 乾為天から始まって 地雷復までであり、一日は昼の明るさがだんだん暗くなって夜を成す過程に比喩し、一年は暑い夏の夏至 から寒い冬の冬至 に至る過程に比喩している。
(1)64卦の循環システム;反時計回りに回転しながら、それぞれの爻が一段階進むためには 経てきた全部を行わなければならない。したがって、最終的に、
(1)陰から始まって初爻が陽となる天風姤-乾爲天の間は、坤爲地から出発して 天風姤になるまでの 経てきた全部を行わなければならない。また、
(2)陽から始まって初爻が陰となる地雷復-坤爲地の間は、乾爲天から出発して 地雷復になるまでの経てきた全部を行わなければならない。短い期間に天風姤が 孕胎して乾爲天を生み、地雷復が孕胎して坤爲地を生むため、経てきた全部を行う段階であるから、個体発生は系統発生を起こす段階と言える。つまり、易には、 個体発生は、系統発生を繰り返す遺伝の法則がある。(これをフラクタル構造ともいう。)
ここで、<短い期間とは≻卦一つの経過時間であり、64卦の循環を1年とすると天と風が縁を結んだ姤( )と、地と雷が縁を結んだ復( )が5.7日(= 365.25 / 64)との間のある時点で孕胎をして系統発生を繰り返した後、姤は乾( )を生み、復は、坤( )を生むようになるという意味である。したがって、易はペアを作って生きて行く人間の生の典型的な論理モデルであるフラクタル(Fractal)の論理に比喩される。
フラクタル(Fractal) 理論は、どんな現象の中にそれと似ている全体の様子が入っているということで、フラクタルとは、 自己相似 (self-similarity) 現象である。
5)春秋戦国時代の易(周易)
Fig1-17. 伏羲先天64卦
周易は、反時計回りの先天に変えずに地雷復を冬至とし、時計回りの後天に繋辞(上卦と下卦の言葉を繋げてつけること)を作ってつけたものなので、陰陽と四時が逆になっているエラーである。(伏羲先天64卦は、坤で反時計回りに解説されている。)(冬至は陽の最後であるので、22.5+1=23.5度傾いている。)
伏羲氏の連山易(剥;1で開始を知らせている。)は、坤の完全な暗闇で2進法の完全な数学的な論理で量が1ずつだんだん増加して明るくなって行く姿を見せ、日盛りあるいは真夏である夏至に至るし、乾の完全な明るさで陰が1ずつだんだん増加して暗くなって行く姿を見せ、真夜中あるいは冬の冬至に至って坤の完全な暗闇を見せて自然の循環の原理に 比喩して生命体がペアを作って生きて行く姿を教えてくれているのだ。これを神農氏時代に帰蔵易(坤;0で開始を知らせている。)に名を変えたのは、坤である0を数字として認めなければならなかったからである。(洋の東西の古典のmillenium現象)
しかし、周易に至っては陽の最後である冬至(陽の最後)を陽の開始として反対方向である時計方向に解釈して東洋学の陰陽と四時を逆に解釈する過ちを犯すことになったのだ。(冬至とは、地軸による曆元の基準点や新年の開始は、帰蔵易で言う坤でなければならない。)
6)なぜ易が天動説(時計回り;後天)として解析されているだろうか。
人類歴史の混沌の時代を探り求めることは、歴史家に任せておいても、どんな理由かはわからないが、BC800年頃から15世紀まで、西洋(紀元前アレクサンドリア図書館の司書であるエラトステネスが、地球の周囲が4万キロということを幾何学で測定した文献にも地動説であるが)でも地動説をすっかり忘れて、以降、天動説でだけ知っていたのだろうか?
スペイン - ポルトガルを旅行してみると漫漫たる海原の大西洋の向こう、アメリカを眺めるポルトガルの地の端の村というカボダロカ(Cabo da Roca;ロカ岬)に至るが、そこに行けば聞かせてくれる物話がある。コロンブスがアメリカ大陸を発見する前までは、向こうには海が崖なので、誰も見たことがなかったと聞かせている。約BC800年から15世紀末まで、正確にいえばコペルニクスが地動説を発表し、コロンブスがアメリカ大陸(1492年)を発見するまでには、洋の東西のすべてが天は丸く、土地は四角であり、太陽が地球の周りを回転運動(天動説)して昼と夜が行われることと知っていた。そんなことを少し気付いたかのように見えることとして幸いしたのは、東洋の理論体系が再整備されて行っていたという事実である。(サンティアゴ巡礼路にあるスペインの地の果て村は、finesterreであり、我が国の陸地の最南端である地の果て村は、全羅南道海南郡松旨面 土末である。)
すなわち、東洋学のほとんどが後天(時計回り)として解説される基準を設けていたという事実だが、何かというと以降に作成されたすべての東洋学の主な解釈は全部、その<基準≻を時計回りにするが、物質が作られる先天(反時計回りの運動)は、’先陽後陰’し、生命が誕生する後地(後天;時計回りの運動)は、’先陰後陽’に表記が変わるようになって東洋学が時計回りを基準とした天動説による論理として定着されたが、これも科学的な論理である地動説として再定義しなければならない。
Fig1-18. 先天, 後天, 五行の90度位相の変化
* 先天, 後天, 五行, 老陽, 太陽, 少陽, 少陰, 少陰, 太陽, 少陽, 少陽, 太陰, 老陰, 太陰, 少陰
さらに五行も四象の90度位相の変化に基準を変更することにより、物質界である干支の天干は、Spin(1/2)で’木’を基準にして’先陽後陰’し、地支はSpin(-1/2)で’水’を基準にして’先陰後陽’する。そしてエネルギー界である運気の五運は、Spin(1)で’土’を基準にして’先陽後陰’し、六気は、Spin(2)で少陰である’火’を基準にして先陰後陽の量子力学で解説しているという驚くべき事実である。
基本的な原理では、先天は地動説であるから反時計回りの運動で物質界が生成される五行説の原理であるが、後天は天動説であるから時計回りの運動で精神界を成す五行の原理である。 以降に先天は10干を利用した天干で、物質界の生成と後天は、12支で精神界の地支と呼ぶようになる。