1. 序論

1. 序論

近年、イスラム教の宗教界に手強い競争相手が現れている。イスラム諸国が常に同僚とみなしてきた東アジアの国々が、西洋と肩を並べるほどの技術的な大きな格差をもってムスリム諸国を凌駕するにつれ、イスラム諸国は経済的に屈辱を味わうこととなった。イスラム諸国は、これまでムスリムの注目を集めることのなかった儒教や仏教といった東アジアの宗教に対し、警戒を強める瀬戸際にある。

西洋では、東アジアの宗教が広まってから久しい。キリスト教やイスラム教のような超越的宗教よりも、儒教や仏教のような内在的宗教を好む西洋の人々の数は、今日ますます増加している。フランスにおける仏教徒の人口はすでに四百万人を超えており、著名なフランスの哲学者フランソワ・ジュリアンは、西洋哲学の唯一の出口は、西洋哲学と儒教や仏教のような東アジアの哲学との対話にあると述べた。[1]

ムスリムは、東アジアの電撃的な経済的拡大によって屈辱を感じている。東アジアの国々がムスリム諸国と同じくかつての植民地であったがゆえに、ムスリムは東アジアの経済的成功を羨むようになった。[2] ムスリムは、西洋と東アジアという二つの競争相手と競うこととなり、国際的に支援者のないまま戦うという立場に置かれることとなった。近年アラブで起きた民衆蜂起であるジャスミン革命は、東アジアの経済的成功との関連において理解することができる。しかし、世界のいかなる国も、ムスリムが屈辱を受けることを望んではいない。

東アジアがすでに経験し解決した問題であるにもかかわらず、ムスリムは自らの問題を独自のものとみなしている。東アジアの人々は、東アジアがムスリム諸国よりもはるかに落ち着いて見える理由は、イスラム教とキリスト教との間の宗教対立にあると考えている。古代において、東アジアは儒教・仏教・道教という三つの東アジアの宗教の対立を解決することができ、近代においてもなお、東アジアは東洋の宗教とキリスト教との対立を解決することができた。

本報告は、易経・陰陽・五行説(元亨利貞)に基づく東アジアの新宗教である大巡真理による宗教循環論を紹介することにより、ムスリムが現在の問題を克服する一助となることを目的とする。ムスリムが西洋と東アジアを追い越すための宗教的な道を見出すことこそ、本報告に課せられた課題である。

ムスリムは、その歴史ゆえに、西洋とよりも東アジアとより良い関係を築くことができる。しかしながら、イスラム教は東洋の内在的宗教と多くを共有していないため、イスラム教と東アジアの宗教との間の交流はほとんどない。内在的宗教と超越的宗教が相互に補完的であるという研究によって、イスラム教と東アジアの交流は増加した。

スペインは、イスラム教とキリスト教の協力が何をもたらすかを示す成功例となりうる。地理上の発見によるスペインの世界への貢献は、イスラム教とキリスト教の協力、とりわけイスラム教の寛容さから生まれた。今日のキリスト教は、寛容さだけによって変化させるにはあまりにも複雑かつ発達したものとなった。イスラム教は、キリスト教とうまくやっていくために、東アジアのような新たな文化を必要としていた。