上の例文において堯帝の最大の貢献は「天の恩恵と地の理(ことわり)」を人類に伝えたこと、すなわち天地の恩恵を人間が知り得るようにした点にあるとされる。人乃天に対して、大巡思想はむしろ人間と神の調和、すなわち神人依導(神人依導)を人間の最大の課題として提示する。『대순진리회 요람』「취지」。
『대순진리회 요람』「취지」。
東学思想においては天主と上帝は言及されるものの、神明(神明)・神道(神道)に関する表現はほとんど現れない。これは三才(三才)にも適用され、東学思想には神明界を前提とする三界という表現もほとんど現れない。大巡思想は、東学思想が儒教の典憲として受容し得なかった神道を通じて、東学思想が提示した人道の限界を超越する。
大巡思想は、人乃天という人類の傲慢に対して、三界という表現を前面に押し出す。人間は天と同じになるのではなく、九天が古い天を新しい天へと変える。姜甑山を信仰する宗団の中でも、大巡思想は「大巡(大巡)」という用語が「三界大巡開闢公事」の略語であるという点において、特に三界を前面に押し出す思想である。
大巡思想を三界を中心に説明するならば、上帝によって調化された三界が人間の怨恨によって三界錯乱に至り、さらには三界尽滅の真境に至るや、神聖・仏・菩薩の訴えによって上帝が三界大巡で三界を診断した後、三界公事で三界開闢を成し遂げるという一連の過程が三界大巡であり、これに伴う思想が大巡思想となる。
神明によって運行される大巡真理会の三界は、無数の神明によって運行される。大巡思想において三界が神明によって運行されるのは、神明が真理に至極な存在だからである。
金光燦と申元一が上帝を侍奉していた丁未年正月のある日、上帝は彼らに「鬼神は真理に至極なるがゆえに、鬼神とともに天地公事を判断するなり」と仰せられ、壁に次のように文を書いて貼られた。『전경』「교운」 1-19。
『전경』「교운」 1-19。
上の例文において「真理に至極である」とは、神明の役割と境界に忠実であるという意味である。魂魄をともに有する人間のように多様性を備える代わりに、一つの役割にのみ忠実であることのできない人間とは異なり、大巡思想において神明は魂魄のうち一つのみを有する存在であるがゆえに、一つの役割に忠実であることができ、天地の運行をなすことができる。したがって大巡思想において三界は、三界を運行する神明と人間との調和が、新たな天地運行において核心となる。
天地の運行のみならず、大巡思想において三界は、今日の科学技術とも関連しているほど現実と密接な関係を有する。大巡思想の三界観において、天界は天上界・冥府を含み、地界は地下界を含む。このうち天上界と地下界は今日の科学文明の起源となり、冥府は天地誠敬信に対する人間の報恩が評価される場ともなる。
上帝はある日、金亨烈に仰せられた。「西洋人マテオ・リッチ(利瑪竇)が東洋に来て地上天国を建てようとしたが、長きにわたり根を張った儒教の弊習によって容易には改革できず、その意を遂げることができなかった。ただ天上と地下の境界を開放し、それぞれの地域を固く守って互いに行き来できなかった神明を相互に往来させ、彼は死後、東洋の文明神(文明神)を率いて西洋に行き文運(文運)を開いたのである。これより地下神は天上のあらゆる妙法に倣い、これを人世に施した。西洋のあらゆる文物は天国の模型に倣ったものである」と仰せられ、「『전경』「교운」 1-9。
『전경』「교운」 1-9。
上の例文は、第一に、天上の神と地下の神が交流することによって天地が運行され、人間界もまた変化するという大巡思想の神人調化を示す。第二に、大巡思想において天界は天上の神がいる天上界を含み、地界は地下神を含むことを示す。第三に、天上神と地下神の交流が人間界と相互に密接に関連しており、天上と地下の境界が人間界にいた人物によって変化し得るという三界の交流を示す。
上帝は「先天においては人間と事物がすべて相克に支配され、世に怨恨が積もり結ばれて三界を満たしたゆえに、天地が常道(常道)を失い、さまざまの災禍が起こり、世は惨憺たるものとなった。ゆえに、われは天地の度数を整理し、神明を調化して万古の怨恨を解き、相生(相生)の道によって後天の仙境を建て、世界の民生を救おうとするのである。およそ大小の事を問わず、神道から怨を解かねばならぬ。まず度数を堅固にして調化すれば、それが基(もとい)となり、人事はおのずから成就するであろう。これがすなわち三界公事(三界公事)である」と金亨烈に仰せられ、そのうちの冥府公事(冥府公事)の一部に着手された。『전경』「공사」 1-3。
『전경』「공사」 1-3。
上の例文は、第一に、天地と人間が相互に成長し、また成長させる存在であることを示す。第二に、冥府は天地神明が人間を評価する場であることを示す。しかしその相互成長は、相克に支配された人間と事物によって正しい評価がなされず、怨恨ばかりが増大してしまい、これが三界混乱の原因であることを示す。第三に、上の例文は、冥府が天界に属し、冥府が三界の事が総合される場であることを示す。
宇宙の運行を超えて、科学技術や冥府における人間の運命に至るまでも天地の神明によって決定されるという大巡思想の三界観は、人間界の事において天地が優先され、これが万事の決定にまで及ぶとする。
事之當旺在於天地 必不在人 『전경』「교법」 3-47。사지당왕재어천지, 필부재인, いかなる事が成就するのも、その根本原因は天地にあるのであって、必ずしも人にあるのではない。(교무부, 「천지생인용인」, 『대순회보』 13, 1989)、
『전경』「교법」 3-47。사지당왕재어천지, 필부재인, いかなる事が成就するのも、その根本原因は天地にあるのであって、必ずしも人にあるのではない。(교무부, 「천지생인용인」, 『대순회보』 13, 1989)
萬事分已定 浮生空自忙 『전경』「교법」3-47。만사분이정 부생공자망, すべての事は分(ぶん)がすでに定まっているのに、世の人々はいたずらにみずから忙しく動き回る。(교무부, 「만사분이정」, 『대순회보』 148, 2013)
『전경』「교법」3-47。만사분이정 부생공자망, すべての事は分(ぶん)がすでに定まっているのに、世の人々はいたずらにみずから忙しく動き回る。(교무부, 「만사분이정」, 『대순회보』 148, 2013)
上の二つの句のうち、第一の句は、大巡思想の三界観において天地が事の順序において人間に比して優先順位にあることを明白に示す。子が親より優れた存在になったとしても、それは親の恩恵によるものであるがゆえに親が優先されるように、天地と人間との関係もまた同様であることを示す。第二の句は、さらに天地よりも人間がより成功したとしても、これはすでに天地によってあらかじめ定められたものであるということを示す。
これまでの議論を通じて見た大巡思想の人界観は次のとおりである。まず大巡思想の三界観は、最高神である九天の上帝と、上帝によって調化された天地人の三界から構成される。大巡思想において三界観は、上帝に代わって天地が万物を化育するが、上帝は観鑑万天する。観望を意味する観鑑万天(觀鑑萬天)『대순진리회 요람』, p.7。が、隠れたる神と共通する部分はあるものの、天地という媒体を具体的に介在させるという点が異なる。
『대순진리회 요람』, p.7。
天地もまた森羅万象を化育する際、各部分を担う無限の神明に事を委ねる。天地は昇降しながら互いに出会うが、天地は陰陽であるがゆえに天は企画し、地(地)は施行する。『전경』「교운」 2-42。したがって乾定坤順(乾定坤順)に見られるように、天上文明は企画し、『전경』「교운」 1-9。地下神は倣って造り、人世に施す。『전경』「교운」 1-9。天地は誠敬信によって、『전경』「교운」 1-66。真理に至極に、『전경』「교운」 1-19。人間を化育する。至極な誠敬信を通じた天地の化育によって生と寿命と福禄を受けた人間は、『대순진리회 요람』, p.20。天地と同じく誠敬信によって報恩する義務がある。しかし現代科学によって天地と競い得るようになった人間は、天地を裏切り、天地神明は存在しないと言い、天地を開発・征服する。これにより天地もまた人を殺そうとするばかりの三界混乱の時代となり、『전경』「공사」1-11。神聖・仏・菩薩の訴えによって上帝が人世を大巡することとなり、まず水雲に天命と神教を下されたが、『전경』「교운」 1-9。これにより東学思想が出現する。天命と神教を水雲が受けたとはいえ、水雲が儒教の限界を越えられなかったため、『전경』「교운」 1-9。上帝が三界へと人間の身を借りて直接誕降したのであり、『전경』「행록」 1-10。これが九天の人身降世という大巡思想の人界観の背景となる。
『전경』「교운」 2-42。
『전경』「교운」 1-9。
『전경』「교운」 1-9。
『전경』「교운」 1-66。
『전경』「교운」 1-19。
『대순진리회 요람』, p.20。
『전경』「공사」1-11。
『전경』「교운」 1-9。
『전경』「교운」 1-9。
『전경』「행록」 1-10。
大巡思想において、神明に満ちた三界の存在と役割が陰陽五行によって成り立っていることが明確に明らかにされたが、東西洋もまた古代から、大巡思想と同様に神明に満ち、人間界に介入する天界・地界を想定してきた。大巡思想の三界観は、むしろ近代以前の東西洋の宇宙観と共通する要素を多く有している。これにより、大巡思想の三界観もまた天地人と神明界を含むがゆえに、東西古今の天界・地界・人界に関する観念もまた三界という概念によって総称し、互いに比較してみることができる。大巡思想の三界観は、近代が廃棄した古代東西洋の宇宙観を近代科学と統合した再活性化の宇宙観に近い。
以上のような大巡思想の人間観を圧縮的に表現するならば、神人依導(神人依導)の人間観であるといえる。東学思想が西洋の存在論的三界観から生成論的三界観へのリミナリティを成し遂げたとすれば、大巡思想は神人依導を通じて、生成論的三界観に内在する神明と人間との関係を再活性化した。
不然其然(不然其然)と成事在人(成事在人)
東学思想と大巡思想の人間観の結論的な差異は成事在人である。大巡思想の成事在人とは、事の成功の可否についての決定が、かつては天にあったものを、いまや人間へと変えるという意味である。東学思想の天外天出現と大巡思想の九天人身降世の差異は、最終的に成事在人として現れる。
人々どうしの争いは天上における先霊神たちの間の争いを引き起こすのであり、天上の争いが終わった後に人間の争いが決定されるのである。『전경』「교법」 1-54。
『전경』「교법」 1-54。
上の例文において「天上の争いが終わった後に人間の争いが決定される」という表現は、先天の成事在天(成事在天)を意味する。神明概念が現れない東学思想において争いを決定するのは気運であるが、大巡思想の場合、争いを決定するのは神明となる。大巡思想において人間の争いを決定する神明という原理もまた、上帝の人身降世以後、人間と神明の位置が入れ替わる。
先天には「謀事(謀事)は在人(在人)し、成事(成事)は在天(在天)なり」とされたが、いまや謀事は在天し、成事は在人である。また、汝らがいかに死のうとしても死ぬことはできず、われが放してやってこそ死ぬのである。『전경』「교법」 3-35。
『전경』「교법」 3-35。
上の例文において「いまや謀事は在天し、成事は在人なり」という表現は、九天の人身降世以後、決定権の位置が神明から人間へと変わったということである。人身降世以後、謀事(謀事)と成事(成事)の位置が変わるのは、九天の人身降世によって人間の究極的価値がはじめて明らかにされたからである。身体と精神という陰陽をともに有する存在としての人間の価値が、九天の人身降世によって明らかにされたからである。人身降世以前には天下の事が天地神明によって成し遂げられていたとすれば、人身降世以後は人間によって成し遂げられるというのが成事在人の意味となる。
上帝は、朴公又が妻と争って銅谷を訪ねてきたため、にわかに叱責されて仰せられた。「われは毒であれば天下の毒をすべて有し、善であれば天下の善をすべて有する。汝はいかにしてわが前にありながら、そのような真ならざる行為をなすのか。いまや天地神明が運数の座を探して、各人と各家庭を出入りしながら器局を試すであろう。性質が寛容ならず家庭に和気を失えば、神明たちは嘲笑し、大事を任せられぬ器局であるとして、互いに連れ立って去っていくであろう。事に志を置く者が、一時たりともいかにして思いをおろそかにしてよかろうか」と。『전경』「교법」 1-42。
『전경』「교법」 1-42。
上の例文において「天地神明が運数の座を探して」という表現は、九天の人身降世以後、人間は成事(成事)をなす運数の座へと変わったという意味となる。九天の人身降世によって人間と神明の位置が入れ替わるのは、神明は否劫(否劫)に陥り、人類は災劫(災劫)に陥ったからである。東学思想と大巡思想の人間観を比較すると、大巡思想は東学思想に比して、相関的思惟の拡大によってフラクタル的思惟が強化されるという点である。大巡思想において人間は陽、神明は陰の役割を担う。『전경』「제생」 43。神人調化もまた陰陽合徳の原理によって成り立つ。
『전경』「제생」 43。
成事(成事)と謀事(謀事)は、調理(調理)と気化(氣化)の陰陽五行として理解され得る。調理と気化の関係は、先天とは異なり後天においては逆転する。東学思想においては、木火金水を調理する土の存在が神明となる。
成事在人(成事在人)の関係において、調理と気化は人間の調理と神明の気化として現れる。これは五行における土と木火金水の関係に類似する。とりわけ大巡思想において、人間の調理と神明の気化は、人間を中心とする陰陽五行の円としての循環である。
土のような人間の調理と、木火金水の神明の気化は、東西洋の伝統にも存在してきた。東洋の伝統思想においても、木火金水のように四方を表す存在は、四神図(四神圖)という形態の動物によって神を表現してきた。西洋においても神は動物によって表現されてきた。西洋の四神図に相当する地水火風は、バシュラールによって人間の想像力の基本コンプレックスとみなされた。당현선, 『질베르 뒤랑의 상상계 연구』, 홍익대학교 대학원 석사학위논문, 2009, pp.28-30。
당현선, 『질베르 뒤랑의 상상계 연구』, 홍익대학교 대학원 석사학위논문, 2009, pp.28-30。
バシュラールを継いだジルベール・デュランは、想像力の極致は人間の象徴が神(神)となって出会うことであり、人間の象徴は動物となり、ついには神となるとする。これまでは人間が神になろうとしてきたが、韓国の心情文化においては、とりわけ神が人間になろうとするとされる。박정진, 『(예술인류학서설) 한국문화 심정문화』, 미래문화사, 1990, pp.130-146。
박정진, 『(예술인류학서설) 한국문화 심정문화』, 미래문화사, 1990, pp.130-146。
孔子が道教の隠者たちに伝えたとされる先天易学の理気論は、性理学の後天易学の理気論とは異なり、太極と陰陽五行が理気の性格をともに有するがゆえに、儒仏仙と西教をすべて受容する。しかし邵康節の理気論でさえ、先天の陰陽そのものの歪曲と近代科学に対する説明力の不足によって、マテオ・リッチの批判に適切に対応できず、東洋の神人関係は崩壊した。陰陽五行説には肯定的な側面と否定的な側面がともにあり、西洋の学者たちの場合は、陰陽五行を最大限客観的に評価し、少なくとも原始的形態の科学程度には評価する。代表的な人物としてマルセル・グラネ、アンガス・グレアム、ベンジャミン・シュウォルツ、ジョセフ・ニーダムなどを挙げることができる。(김기, 「음양오행설의 주자학적 적용양상에 관한 연구」, 성균관대학교 박사학위논문』, 2012, p.4) 反面、むしろ東洋の学者たちは逆に陰陽五行をより迷信的なものとみなすとされる。(방인, 「고대중국의 宇宙論의 한 형태로서의 陰陽五行說」, 『宗敎硏究』 4, 1988, p.71)
陰陽五行説には肯定的な側面と否定的な側面がともにあり、西洋の学者たちの場合は、陰陽五行を最大限客観的に評価し、少なくとも原始的形態の科学程度には評価する。代表的な人物としてマルセル・グラネ、アンガス・グレアム、ベンジャミン・シュウォルツ、ジョセフ・ニーダムなどを挙げることができる。(김기, 「음양오행설의 주자학적 적용양상에 관한 연구」, 성균관대학교 박사학위논문』, 2012, p.4) 反面、むしろ東洋の学者たちは逆に陰陽五行をより迷信的なものとみなすとされる。(방인, 「고대중국의 宇宙論의 한 형태로서의 陰陽五行說」, 『宗敎硏究』 4, 1988, p.71)
大巡思想においては、人界観のリミナリティの属性もまた強化される。人類の傲慢と物質主義は反省され、『전경』「교운」 1-9。人間最初の怨が解冤される。人間の肉を象徴的に分け与え、『전경』「공사」 3-14。末店島で配流に処され、『전경』「공사」 2-1。白衣将軍・白衣将相の度数によって再活性化が拡大する。『전경』「행록」 3-53。
『전경』「교운」 1-9。
『전경』「공사」 3-14。
『전경』「공사」 2-1。
『전경』「행록」 3-53。
大巡思想の人界観において、人間の地位上昇は東学よりも明確に表現される。神明界を導入し得なかった東学思想は、神人調化が「不然其然(不然其然)」として表現される。「不然其然(不然其然)」とは、人間としては理解の難しい不然(不然)という部分も、いつかは修道を通じて理解し得る其然(其然)となるという意味である。大巡思想においては、東学で多くが不然(不然)であった部分が其然(其然)として現れる。人間は身体のうちに閉じ込められた神であるがゆえに、内なる神を目覚めさせて外なる神と疎通することができる。身体を通じて新たな神明へと変化・発展することが、人間が生まれた目的となる。『전경』「제생」 43。内なる神を探し求めてこそ、失われた自己を見出し、天地を成功させる人間の歩むべき道を歩むことができる。したがって大巡思想において開闢とは天地が成功することであり、これは道通君子の輩出以後に可能となる人尊の道通真境の世界である。
『전경』「제생」 43。
大巡思想において神人調化は、人間を通じて天地が成功する開闢の原理となる。神人調化が可能となる理由を、大巡思想においては金火交易(金火交易)・土克水(土克水)という陰陽五行の原理によって説明する。否劫に陥った神明、災劫に陥った人間という用語に見られるように、大巡思想において天界と地界に相当する神明と人間は、属性と実体において互いに両立し難い二つの属性を有している。「神人依導(神人依導)」の様相として現れる。이어령, 『디지로그: 한국인이 이끄는 첨단정보사회, 그 미래를 읽는 키워드』, 서울: 생각의 나무, 2006。天地が基盤としている天地神明もまた神明であるがゆえに、神明はデジタルのごとく真理に至極であるが一方向のみを有しており、人間は精密ではないものの変化に伸縮的に適応し得る身体を有している。『전경』「예시」 46。天円地方のように、属性は円のように両方向、実体は四角い方(ほう)のように一方向に動くがゆえに、二つの属性を合わせれば神人調化となり、問題が解決されるのである。相反する実体と属性の二つの要素を統合する原理を、金芝河は「白い影の美学」として表現したが、金益斗はこれをリミナリティとして解釈したことがある。김지하, 『(미학강의) 흰 그늘의 미학을 찾아서』, 서울: 실천문학사, 2005.; 김익두, 「동아시아 사상 속의 화해와 상생―한국의 근현대 전북의 사상운동과 그 전개 양상」, 『제93회 동아시아고대학회 학술대회 자료집』, 2023。大巡思想の自生的近代性は、相関的思惟のリミナリティと再活性化を強調する。
이어령, 『디지로그: 한국인이 이끄는 첨단정보사회, 그 미래를 읽는 키워드』, 서울: 생각의 나무, 2006。
『전경』「예시」 46。
김지하, 『(미학강의) 흰 그늘의 미학을 찾아서』, 서울: 실천문학사, 2005.; 김익두, 「동아시아 사상 속의 화해와 상생―한국의 근현대 전북의 사상운동과 그 전개 양상」, 『제93회 동아시아고대학회 학술대회 자료집』, 2023。
東学思想において天人関係は道教的発展が再活性化されなかったが、大巡思想においては具体的に再活性化される。大巡思想は、甑山を信仰の対象とする宗教団体の中で唯一、最高神の神格位を九天応元雷声普化天尊姜聖上帝と尊称している。
東学思想と大巡思想の天地関係の自生的近代性の比較
天地鬼神(天地鬼神)と天地誠敬信(天地誠敬信)
天地鬼神と天地誠敬信は、それぞれ東学思想と大巡思想において最初に出現する両思想の天地関係を代表する用語である。天地鬼神と天地誠敬信もまた、天外天の出現を強調する東学思想と、九天の人身降世を強調する大巡思想の差異を明確に示す二つの概念である。まず東学思想において、天地が超越天の陰陽の理によって造られた存在であるという意味の天地鬼神の場合、「鬼神」は東学思想の天外天を意味し、神明を意味しない。一方、天地の誠敬信によって天地が運行され、天地が化育され、人間の福禄と寿命も決定されるという大巡思想の天地誠敬信は、神明の誠敬信を強調する。
東学思想と大巡思想はともに、天の上の天、すなわち超越天を強調するがゆえに、ここでの天地は伝統的な東洋思想の陰陽としての天地概念とは異なる。天を超越天とみなせば、相対となる地は天地のいずれにも該当する。天地鬼神(天地鬼神)と天地誠敬信(天地誠敬信)は、いずれも超越神と、超越神に対する天地神明の態度を意味する。
詳細に見ていくと、まず大巡思想において三界は、まず神明と共存し、神明の誠敬信によって運行される。
天地誠敬信 『전경』「교운」 1-66。
『전경』「교운」 1-66。
生(生)と寿命(壽命)と福禄(福祿)は天地(天地)の恩恵(恩惠)であるから、誠(誠)・敬(敬)・信(信)によって天地(天地)報恩(報恩)の大義(大義)を立て、人道(人道)を尽くし、『대순진리회 요람』, 「훈회」。
『대순진리회 요람』, 「훈회」。
上の二つの句は、人間の生と寿命と福禄は天地(天地)を運行する諸々の神明の誠敬信(誠敬信)によって施された恩恵であるがゆえに、人間もまた天地に倣って誠敬信(誠敬信)によって報恩してこそ、天地の恩恵を受けるに値する者としての資格を備えることができるという意味となる。これは大巡真理会の信条のうち、三要諦が誠敬信となる背景となる。『대순진리회 요람』, 「신조」。
『대순진리회 요람』, 「신조」。
超越神の最初の出現という意義を強調する東学思想に比して、九天の人身降世を強調する大巡思想は、天地の異なる部分を強調する。まず東学思想の天地鬼神とは、超越天の至気(至氣)の気化作用(氣化作用)であることを強調する意味である。東学思想が出現する前の性理学においても天地を鬼神と表現したが、性理学において現れた天地が鬼神であるということは、陰陽作用の実体的説明であった。しかし東学思想は性理学からさらに進んで超越天を強調する。天地が鬼神であるという意味は、陰陽の作用ではなく超越天の気化作用であることを強調することで、性理学に新たな近代的転機をもたらした。『전경』「교운」 1-6。
『전경』「교운」 1-6。
天地亦是(天地亦是) 鬼神(鬼神)であり、鬼神亦是(鬼神亦是) 陰陽(陰陽)であるのを
かくのごとく知らなかったゆえ、経伝(經傳)を調べて何になろうか
道(道)と徳(德)を知らなかったゆえ、賢人君子(賢人君子)がどうして分かろうか 『용담유사』, 「도덕가」。
『용담유사』, 「도덕가」。
上の例文において「鬼神」と「道徳」は超越天の意味となり、「経伝」と「賢人君子(賢人君子)」は東学が克服しようとする天の下の天の道を指す。東学思想は超越天を通じて性理学を超える近代性を追求したが、神明概念までは受容できなかったため、儒教の典憲を越えられないことになる。
鬼神概念を超越天の意味としてのみ受容し、超越天の命令を聞く神明概念を受容できなかった東学思想は、神明概念の不在によって成功的な近代性に到達しない。これにより大巡思想は神明概念を受容し、天地を鬼神と表現した東学思想に対して、天地を誠敬信として表現する。
誠敬信とは、陰陽五行から成る相関的思惟の東洋思想において、超越天と人間との関係を核心的に表現する用語である。東学思想もまた、東学思想そのものを「誠敬信思想」と表現する。
吾道博而約不用多言義
別無他道理誠敬信三字 『동경대전』, 「좌잠」。오도박이약 불용다언의 별무타도리 성경신삼자。わが道は広くして簡略であるから、多くの言葉を費やすべきではなく、別に他の道理はなく、誠・敬・信の三字である。
『동경대전』, 「좌잠」。오도박이약 불용다언의 별무타도리 성경신삼자。わが道は広くして簡略であるから、
多くの言葉を費やすべきではなく、別に他の道理はなく、誠・敬・信の三字である。
誠敬信は、中庸の誠(誠)思想から次第に敬(敬)・信(信)へと拡大し、東学思想において誠敬信をともに称する用語として現れた。東学思想において誠敬信をともに称するのは、精気神のように、誠敬信に内包される各々の天地人の要素を同時に表現しようとするからである。実際、誠(誠)は今日、西洋の研究者たちには創造性(creativity)として翻訳されることもある。A. N. Whitehead, D. R. Griffin and D. W. Sherburne, 『Process and reality』, New York: Free Press, 1929. pp.10-11. 로저 에임스, 데이비드 홀 지음 ; 장원석 옮김, 『일상사에 초점 맞추기: 『중용』의 번역과 철학적 해석』, 성남: 한국학중앙연구원출판부, 2019. pp.50-51에서 재인용。
A. N. Whitehead, D. R. Griffin and D. W. Sherburne, 『Process and reality』, New York: Free Press, 1929. pp.10-11. 로저 에임스, 데이비드 홀 지음 ; 장원석 옮김, 『일상사에 초점 맞추기: 『중용』의 번역과 철학적 해석』, 성남: 한국학중앙연구원출판부, 2019. pp.50-51에서 재인용。
しかし同じ「誠敬信」という用語が用いられても、「誠敬信」概念は東学思想と大巡思想、さらには儒教思想に至るまで、最も大きな差異が生じる部分である。儒教思想から誠(誠)が強調されたのは、天と人間とが連結される部分が誠(誠)であったからである。至極な誠を尽くせば天と一致するように、誠(誠)は天と人間の主要な通路、人間の豁然貫通の主要な方法であったがゆえに、誠(誠)は儒教思想において最も重視された。儒教を通じて西学に接した李檗のような初期西学思想家もまた、誠(誠)を儒教と西教の連結環とみなした。東学思想は、儒教伝統が消失したものを再活性化するという側面で誠(誠)を強調するが、儒教と異なるのは、天地の天ではなく、天地を造った超越天に対する誠(誠)であるという点である。反面、大巡思想はさらに進んで、この誠(誠)が九天によって造られた天地にも適用され、大巡思想の誠(誠)概念は九天・神明・人間の三角構図のうちに現れるという点が相違点である。人間が誠(誠)によって報恩することが、大巡思想においては九天と天地の両者にともに該当する。
また鬼神概念もまた、大巡思想と東学思想、さらには儒学思想が最も大きな差異を生じる部分である。天地誠敬信という表現が現れるように、大巡思想の鬼神あるいは神明概念は神明概念に誠敬信が連結されるが、東学思想や儒教思想には誠敬信が連結されない。大巡思想においては、儒教思想や東学思想に明示されなかった天地神明の役割が強調される。これをより詳細に見ていくと次のとおりである。
自然哲学的立場から、散逸する気として説明される鬼神概念は、祭祀の対象となる鬼神の永遠性を保証できず、祭祀の意義を支えるために永遠性を補強した宗教的鬼神概念は、気の有限性を前提とする性理学説に無理なく合致する理論ではなかった。
性理学の自然哲学的立場から解釈された鬼神は、理と気の合として、本体と現象、有と無の間を行き来する存在である。そのような鬼神の概念を人間の事に適用すれば、それは原初的な無から誕生に至る過程、そして死から原初的な無へと再び戻る過程にある存在を指すことになる。理気論において鬼神は、理解し得ない超自然的実体ではなく、自然のうちの諸々の事物や現象が生じ消滅する、その中間過程として、理(理)と気(氣)から成る自然を、その変化運行の側面において把握した概念であるということである。彼は「外に現れるものは気(氣)であり、その隠微に内在するものは理(理)である。これを総括して鬼神という」남효온 지음, 박대현 옮김, 『추강집』, 서울: 민족문화추진회, 2007, 권5, 35b.と述べた。
남효온 지음, 박대현 옮김, 『추강집』, 서울: 민족문화추진회, 2007, 권5, 35b。
鬼神というものは、理や気のように根源的存在の次元にあるものではないが、理と気とがともに結びついて自然のうちに実在し、みずから変化を引き起こす主宰力(主宰力)を発揮するものとして理解されたのである。鬼神を気(氣)一つのみで理解すれば、それは徹底して物質的なものとしてのみ認識されるであろうし、逆に理(理)のみとみなせば、原理的・抽象的存在にとどまることになろう。したがって鬼神がみずから主宰力を有する神妙な存在となるためには、理と気の二つの要素をともに有さねばならない。ただし、鬼神を説明する際、その二つのうちいずれにより比重を置くか、理気がともに在ることが併存(竝存)であるのか合一(合一)であるのかという問題が、後代の性理学者たちの間で継続的な議論の主題となった。
性理学においては、人間の身体も他の事物と同様に気(氣)から成り立っていると考える。一人の人間の誕生は、母の胎内において父母の気、そしてその時点で周囲を漂っていた気が合わさり、一つの独立した生命体を形成することによって成り立つ。人間の死は、その過程が逆に進むことである。独立した個体として存在していた一人の人間の生命が尽きると、その身体を構成していた気が自然のうちへと散逸し消失するというのである。ところで、このとき、この気の散逸は、人が死ぬ瞬間にただちに起こるのではなく、長い時間をかけて徐々に進行するものである。朝鮮時代に王室や士大夫家においてあらゆる誠意を集め、絶えず行ってきたさまざまの祭祀が、虚構や観念ではなく、実在する存在を対象とするものであるという論理は、まさにこれを根拠として説明される。祭祀の対象となる死者の鬼神、すなわち人鬼(人鬼)というものは、たとえ消滅の過程にある有限なものではあっても、完全な消滅に至る前までは実在する存在として祭祀を歆享することができるとするのである。
理気(理氣)の役割を区分し、作為(作爲)の能力を気にのみ付与し、理には原理的な性格のみを持たせた性理学の理気二元論の前提に照らすとき、一部の性理学者たちは、霊魂不滅説は無理な理論であるともする。しかしわれわれが意味深く把握すべき点は、朝鮮時代の性理学者たちが考えた理(理)という実体は、単に無情意(無情意)・無造作(無造作)の自然的・倫理的原理にとどまるものではなく、人間存在の永遠性を担保する霊明(靈明)な存在として認識されることもあったという点であるとされる。한국사상사연구회, 『조선 유학의 개념들』, 예문서원, 2002。
한국사상사연구회, 『조선 유학의 개념들』, 예문서원, 2002。
東学思想と大巡思想の天地・地人関係において際立つ差異は、西洋に対する認識の差異にある。自生的近代性を最初に主張した東学の場合、東学という名称に見られるように西学に対立する立場を強調するとすれば、大巡思想は大巡という用語に見られるように包容する点を強調する。これにより大巡思想は、自生的近代性に関連して西洋近代性の東洋的起源を提示する。自生的近代性に関連する東学思想の成立についての最近に至るまでの研究を概括するならば、東学思想は西洋近代性の東洋的起源から出発し、逆に西学とともに東洋に再輸入され、再び東洋において自生的に発展した蘭壇道教のような中国近世道教が、既存の性理学と総合されながら、天師問答(天師問答)という上帝の啓示の形態として成立する。김윤경, 『한국도교사』, 서울: 문사철, 2020。
김윤경, 『한국도교사』, 서울: 문사철, 2020。
道気長存(道氣長存)と相生(相生)
相生概念は、大巡思想と東学思想の地に対する観念のうち、最も代表的な差異が現れる用語である。相生という概念が解冤相生のように抽象的概念と連結されて用いられるのは、甑山思想の中でも大巡思想に最初に現れる。陰陽五行において用いられていた相生が抽象的な概念とともに大巡思想において用いられ得るのは、調理と気化に見られるように、土による木火金水の仲裁という九天と神明との関係を背景とする。
陰陽五行概念が東学思想にも現れ、董仲舒以後二〇〇〇余年もの間、東洋において科学の標準として機能したが、陰陽五行の核心概念が解冤相生のように用いられるのは、三界と三才、先天と後天のように、九天の観点から眺めた陰陽五行の理論的導出である。大巡思想において陰陽五行は、陰陽合徳・三才確立・五行具備という「無極道趣旨書」に現れるように、五行は陰陽・三才とともに、九天が三界を運行する原理である。
大巡思想においては、河図・洛書という陰陽五行の配置方法に従って九天が陰陽五行を運行し、これに従って生長斂蔵の無為而化が生じる。神明は九天の意図に従って無限に重畳され、天地神明の役割を全うするというのが、九天によって提示された大巡思想の自生的近代性による世界観である。
ここにおいて相克と相生は、陰陽五行の運行原理を超えて、森羅万象の核心原理へと格上げされる。伝統的な相克と相生は、自生的近代性において日用事物に適用され、日用事物を評価し判断する基準となる。『전경』「제생」 43。
『전경』「제생」 43。
東学思想にも陰陽五行は出現するが、相克と相生は強調されない。相克と相生は、人身降世後の天地公事によって九天が陰陽五行を調理するなかで、その重要性が強調される。『전경』「제생」 43。陰陽五行は、東学思想において強調する無極のみならず、太極の重要性としても現れる。
『전경』「제생」 43。
太極は陰陽から三才五行へと展開し、結局は陰陽五行となり、陰陽五行において変わらないものは、真ん中の中心である土(土)となる。董仲舒が結合した陰陽と五行は、邵康節が再発掘した河図洛書を通じて、はじめて完全に結合される。邵康節は、孔子が伝説的に道教思想家たちに伝えたとされる伏羲の河図洛書と八卦図を公開し、陰陽五行と八卦を統一した。고회민 지음, 곽신환 옮김, 『소강절의 선천역학』, 서울: 심산, 2007。河図洛書によって統一された邵康節の陰陽五行解釈によれば、宇宙は陰陽五行の無限の反復であり、陰陽五行は真ん中の土(土)を中心として、木火金水が相克相生として運動する動きである。陰陽五行が果てしない変化を意味するとすれば、太極のように、陰陽五行が果てしなく変化するようにさせる変わらない存在があり、それがすなわち理(理)であって、気(氣)の陰陽五行と対応して元亨利貞という属性を有することになる。実際、元亨利貞という概念は、春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜、初年・壮年・中年・老年のように、循環する周期の四つの共通した属性を称する語として用いられている。元亨利貞は無限重畳循環のように、一事一物にも元亨利貞があり、万事万物にも元亨利貞があるとされる。(윤용남, 「주자(朱子) 이설(理說)의 재구성」, 『東洋哲學硏究』 8, 1988, pp.52-54) 結局、邵康節の体系において理(理)は五行のうち真ん中の見えない土(土)であり、元亨利貞であって、気(氣)は五行において周辺に現象する木火金水であり、陰陽五行である。최진덕, 「朱子學의 理氣論과 鬼神論」, 『양명학』 23, 한국양명학회, 2009, pp.381-383。
고회민 지음, 곽신환 옮김, 『소강절의 선천역학』, 서울: 심산, 2007。
実際、元亨利貞という概念は、春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜、初年・壮年・中年・老年のように、循環する周期の四つの共通した属性を称する語として用いられている。元亨利貞は無限重畳循環のように、一事一物にも元亨利貞があり、万事万物にも元亨利貞があるとされる。(윤용남, 「주자(朱子) 이설(理說)의 재구성」, 『東洋哲學硏究』 8, 1988, pp.52-54)
최진덕, 「朱子學의 理氣論과 鬼神論」, 『양명학』 23, 한국양명학회, 2009, pp.381-383。
陰陽五行において相克は、相生とともに必ず必要なものである。ただし相克と相生は均衡が重要であるがゆえに、相克に偏れば相克が極大化される恐れがある。東学思想の自生的近代性は、道気長存(道氣長存)・気化(氣化)・斥倭を強調するように、相克の力を追求する。
東学思想において道気長存(道氣長存)という語は、水雲が天師問答の直前、庚申年の立春に学業に邁進することを誓って書いた文「立春詩」に現れる句である。
道氣長存邪不入, 世間衆人不同歸 도기장존사불입 세간중인부동귀。道の気運を長く保つことで邪なるものが入り込めず、世間の衆人とともには帰らないであろう。
도기장존사불입 세간중인부동귀。道の気運を長く保つことで邪なるものが入り込めず、世間の衆人とともには帰らないであろう。
上の文は学業に対する固い決意として単純に考えることもできるが、相克と相生という観点から重要な意味が隠されていることを『전경』は明らかにしている。
崔水雲の歌辞に「道氣長存 邪不入(道氣長存邪不入)」とあったが、上帝は「眞心堅守 福先來(眞心堅守福先來)」と仰せられた。『전경』「교법」 2-3
『전경』「교법」 2-3
上の例文において、水雲の道気長存(道氣長存)は真心堅守(眞心堅守)と対比される。上の例文において道気長存(道氣長存)は、真心堅守(眞心堅守)と対比して、力に対して力で対抗するという意味が強調される。力に対して力で対応することについて、『전경』は次のように言及する。
悪を悪で報いるのは、血を血で洗うようなものである。『전경』「교법」 1-34
『전경』「교법」 1-34
悪を悪で報いるなと言うからといって、『전경』においても不当な相手の要求を聞き入れよと言っているのではない。むしろ『전경』においては、不当な要求を拒否できないことを軟弱であると批判する。ただ、問題を解決するにあたって、相克を相生によって解くべきことを強調する。
東学思想と大巡思想の自生的近代性において、相克と相生が最も際立って現れる部分は、西洋および日本と関係する部分である。まず西洋の場合を見ると、
東有大聖人曰東學 西有大聖人曰西學 『전경』「행록」 5-38。동유대성인왈동학 서유대성인왈서학。東方に大聖人がいてこれを東学といい、西方に大聖人がいてこれを西学という。(교무부, 「돌병풍」, 『대순회보』 119, 2011)
『전경』「행록」 5-38。동유대성인왈동학 서유대성인왈서학。東方に大聖人がいてこれを東学といい、西方に大聖人がいてこれを西学という。(교무부, 「돌병풍」, 『대순회보』 119, 2011)
上の例文において、大巡思想は西学を東学と同じ聖人の列にあるものとみなす。西洋に対して大きな警戒心を露わにした東学思想とは異なり、大巡思想は東洋と西洋を陰陽合徳の相生関係とみなす。マテオ・リッチのような場合は、東西洋の境界を突き破り、天上の文明を地に伝えた人物としても現れる。実際、朝鮮後期の実学においても西学に対して両価的態度があった。
朝鮮後期実学の代表的学派である星湖学派の学人たちの間で影響力を及ぼしたキリスト教思想は、大きく三つの類型の対応を誘発したと見られる。その第一は、安鼎福の場合のように、科学としての西学においては学ぶべきものがあることは認めつつ、宗教ないし哲学としてのキリスト教思想に対しては明白に拒否する立場をとったものであり、第二は、それとは反対に、キリスト教思想を宗教として受容し、それを信仰する段階にまで進んだものである。星湖の弟子のうち、信西派(信西派)と呼ばれる李檗(李檗、一七五四〜一七八六)、權哲身(權哲身、一七三六〜一八〇一)、李承薰(李承薰、一七五六〜一八〇一)、李家煥(李家煥、一七四二〜一八〇一)などがこれに該当する。)第三は、キリスト教思想の刺激を、古代儒教の本源的立場に立ち戻る契機とし、自然と人間の問題に対する新たな理論体系を確立しようとした努力である。朝鮮後期実学の代表的人物に数えられる丁若鏞(丁若鏞、一七六二〜一八三六)の哲学が、その第三の場合に該当する。한국사상사연구회, 『조선 유학의 개념들』, 예문서원, 2002。当時の代表的な学者であった丁若鏞は、上帝と理気論は認めつつ、天地神明の理論的基盤となる陰陽五行は否定したとされる。김선희, 「유학자가 바라 본 유신론적 세계」, 한국종교학회학회 발표자료집, 한국종교학회, 2014; 전성건, 「다산 영지설의 신학적 가능성」, 한국종교학회학회 발표자료집, 한국종교학회, 2014)
한국사상사연구회, 『조선 유학의 개념들』, 예문서원, 2002。
김선희, 「유학자가 바라 본 유신론적 세계」, 한국종교학회학회 발표자료집, 한국종교학회, 2014; 전성건, 「다산 영지설의 신학적 가능성」, 한국종교학회학회 발표자료집, 한국종교학회, 2014)
次に日本の場合を見ると、甑山の化天以後、最も先に実現された天地公事は「日本解冤」であった。고남식, 「근·현대기 강증산(姜甑山) 전승에 나타난 일본(日本) 관련 기록의 양상과 의미 -『대순전경(大巡典經)』(1929-1965)을 중심으로-」 『일본근대학연구』, 2023。「犬のごとき倭賊め」という東学思想に比して、大巡思想は、日本は日本の人であるから、せめて言葉づかいだけでも手厚くせよとする。『전경』「공사」 2-4。
고남식, 「근·현대기 강증산(姜甑山) 전승에 나타난 일본(日本) 관련 기록의 양상과 의미 -『대순전경(大巡典經)』(1929-1965)을 중심으로-」 『일본근대학연구』, 2023。
『전경』「공사」 2-4。
上帝はある日仰せられた。「朝鮮を西洋に引き渡せば、人種の差別によって虐待が甚だしく、生き延びることができず、清国に引き渡しても、その民族が愚鈍で後始末ができないであろう。日本は壬辰の乱以後、道術神明の間に隻(うらみ)が結ばれているゆえに、彼らに任せてやってこそ隻が解けるであろう。ゆえに、彼らに一時天下統一の気(一時天下統一之氣)と日月大明の気(日月大明之氣)を付与して役事(えきじ)させようとするが、ただ一つだけ与えられぬものがあり、それがすなわち仁(仁)である。もし仁の字まで付与すれば、天下がことごとく彼らに帰してしまうゆえに、仁の字を汝らに付与するのであるから、よく守るがよい」と仰せられ、「汝らは安楽な者となるであろう。彼らはただ事(こと)をなすばかりであるから、すべての事を明らかにしてやれ。彼らは事を終えて去るとき、賃金も受け取れず、空手で帰っていくであろうから、せめて言葉づかいだけでも手厚くしてやれ」と仰せられた。
『전경』は、日本との相克よりも、百済の滅亡とその後の壬辰倭乱にまで連なる日本の解冤がなされた後、朝鮮は中国の報恩を受けて上等国となり得るという相生の道を、自生的近代性の歴史解釈として提示する。
東学思想と大巡思想の天人・地人関係の自生的近代性の比較
人道(人道)と神道(神道)の天人関係
大巡思想は「天命」と「神教」と称して、人間による人道(人道)と、神明による神道(神道)を区分している。
上帝が九天におられたとき、神聖・仏・菩薩らが、上帝でなければ混乱に陥った天地を正すことはできないと訴えたため、西洋(西洋)大法国天啓塔に降りてこられ、三界を見回し天下を大巡されたあげく、東土に止まって母岳山金山寺の弥勒金像に臨み、三〇年を過ごされながら、崔水雲に天命と神教を下して大道を立てさせられたが、甲子年に天命と神教を収め、辛未年にみずから世に降りることを定められた。『전경』「예시」 1。
『전경』「예시」 1。
神道と人道の核心的な差異は、神明は天地を構成する要素であるがゆえに、神道は構造的変化を伴うという点である。「神道」を究極的実在とみなし、解冤相生の根拠とみなすこともある。(김의성, 『大巡思想의 哲學的探究』, 성균관대학교 박사학위논문, 2017) したがって天地公事と並行する神道は、天人関係の再定立という形態として現れる。
「神道」を究極的実在とみなし、解冤相生の根拠とみなすこともある。(김의성, 『大巡思想의 哲學的探究』, 성균관대학교 박사학위논문, 2017)
神道(神道)によって大小の事を治めれば、玄妙不測の功が成し遂げられるのであり、これがすなわち無為化である。神道を正してすべての事を道義に合わせ、限りない仙境の運数を定めるであろうから、それぞれの度数が巡り至るままに新たな基(もとい)が開かれるであろう。
過ぎ去った壬辰の乱を崔風憲(崔風憲)が担っていれば三日に過ぎず、震黙(震默)が当たっていれば三月を越えず、宋亀峰(宋龜峰)が担っていれば八月で乱を平定したであろう。これはただ、仙・仏・儒の法術が異なるためである。昔は局面が狭く事が単純であったゆえに、一つだけを用いても十分に狂乱を正すことができたが、今日は東西が交流して局面が広くなり、事が複雑になって、すべての法を合わせて用いなければ混乱を十分に正すことはできないであろう。『전경』「예시」 73。
『전경』「예시」 73。
上の例文において「運数が巡り至るままに新たな基が開かれるであろう」という表現は、神明は天地を構成する要素であるがゆえに、神道は構造的変化を伴うということを示している。結局、大巡思想は、東学思想が「天命」と「神教」という神道を十分に理解できず、神明をほとんど言及せず、人道から大きく抜け出せなかったことを惜しむ。伝統的に人道は人為的な道、神道は自然法則のような自然の必然的な道という意味を有している。大巡思想においてもまた、人道と神道に対する伝統的な区分に従っている。『대순지침』 1장 1절。
『대순지침』 1장 1절。
東学思想において天外天の出現は画期的であったが、神明の存在と役割を説明できなかったゆえに、天外天と人間との関係は儒教的な人道の範囲を抜け出せなかった。東学思想は、人間としてなし得る最善を尽くすことによって天外天と疎通する人道(人道)の道を選んだ。
ある日、従徒たちが上帝の言葉に従って歴代の万古の名将を思い浮かべながら書いていたところ、京石が上帝に「創業君主も名将と申せましょうか」と伺うと、上帝は「そのとおりである」と仰せられた。京石が黄帝(黃帝)から湯(湯)・武(武)・太公(太公)・漢高祖(漢高祖)などを順に列挙し、最後に全明淑を書いて上帝に差し上げると、上帝は彼に「全明淑を最後に回したのはどうしたことか」と問われ、京石が「文を左から御覧になれば、全明淑が首位となります」と答えた。上帝はその言葉を是認され、従徒たちに向かって「全明淑は万古の名将である。一介の白衣の寒士として身を起こし、よく天下を動かした」と語られた。『전경』「공사」 1-34。
『전경』「공사」 1-34。
上の例文において東学農民運動は、賤人を優遇して両班にしてやろうとしたものであり、清・日戦争から露・日戦争、第一次・第二次世界大戦に至るまでの一連の事件の導火線となった。東学思想は、当時のみならず今日においても、フランス大革命よりも真の元祖たる近代思想運動として評価され、井邑において世界革命都市連帯会議が毎年開催されることもある。しかし大巡思想においては、天人関係において、天外天と直接疎通しようとする東学思想の人道(人道)よりも、天地神明とともに疎通する神道(神道)をより強調する。
水生於火 火生於水 金生於木 木生於金 其用可知然後 方可謂神人也
陰殺陽生 陽殺陰生 生殺之道 在於陰陽 人可用陰陽然後 方可謂人生也
人爲陽 神爲陰 陰陽相合然後 有變化之道也
不測變化之術 都在於神明 感通神明然後 事其事則謂之大仁大義也 『전경』「제생」 43。수생어화 화생어수 금생어목 목생어금 기용가용연후 방가위신인야。음살양생 양살음생 생살지도 재어음양 인가용음양연후 방가위인생야。인위양 신위음 음양상합연후 유변화지도야。불측변화지술 도재어신명 감통신명연후 사기사칙위지대인대의야。水(水)が火(火)から生じ、火(火)が水(水)から生じ、金(金)が木(木)から生じ、木(木)が金(金)から生じる、その用(用)を知り得た後にこそ、はじめて神人(神人)というべきである。陰を殺せば陽が生き、陽を殺せば陰が生きるゆえ、生殺(生殺)の道は陰陽にある。人がよく陰陽を用い得た後にこそ、はじめて人生というべきである。人は陽となり神は陰となるゆえ、陰陽が互いに和合した後にこそ変化の道がある。あるいは変化の方術(方術)はすべて神明(神明)にあるゆえ、神明に感通(感通)した後にその事が成就すれば、これを大仁大義(大仁大義)というのである。(양무목, 「救援 眞理로서의 陰陽合德과 民主主義」, 『대순사상논총』 2, 1997, p.175-176)
『전경』「제생」 43。수생어화 화생어수 금생어목 목생어금 기용가용연후 방가위신인야。음살양생 양살음생 생살지도 재어음양 인가용음양연후 방가위인생야。인위양 신위음 음양상합연후 유변화지도야。불측변화지술 도재어신명 감통신명연후 사기사칙위지대인대의야。水(水)が火(火)から生じ、火(火)が水(水)から生じ、金(金)が木(木)から生じ、木(木)が金(金)から生じる、その用(用)を知り得た後にこそ、はじめて神人(神人)というべきである。陰を殺せば陽が生き、陽を殺せば陰が生きるゆえ、生殺(生殺)の道は陰陽にある。人がよく陰陽を用い得た後にこそ、はじめて人生というべきである。人は陽となり神は陰となるゆえ、陰陽が互いに和合した後にこそ変化の道がある。あるいは変化の方術(方術)はすべて神明(神明)にあるゆえ、神明に感通(感通)した後にその事が成就すれば、これを大仁大義(大仁大義)というのである。(양무목, 「救援 眞理로서의 陰陽合德과 民主主義」, 『대순사상논총』 2, 1997, p.175-176)
上の例文において、人間は陽、神明は陰であり(人爲陽 神爲陰)、人間は陰陽を用いることを知ってこそ人間といえるがゆえに(人可用陰陽然後 方可謂人生也)、大巡思想において強調され追求される陰陽概念は、正陰正陽(正陰正陽)と調和を通じた合徳(合德)を主唱するものであり、それを通じて理想世界が建設され得ることを示すとされる。(이호열, 『大巡思想의 陰陽論에 관한 연구』, 대진대학교 석사학위논문. 2015) 人間は神明とともに事をなすことを知ってこそ(感通神明然後 事其事)、陰陽を用いることを知る人間としての最小条件を備えることになる。
大巡思想において強調され追求される陰陽概念は、正陰正陽(正陰正陽)と調和を通じた合徳(合德)を主唱するものであり、それを通じて理想世界が建設され得ることを示すとされる。(이호열, 『大巡思想의 陰陽論에 관한 연구』, 대진대학교 석사학위논문. 2015)
上帝は「先天においては人間と事物がすべて相克に支配され、世に怨恨が積もり結ばれて三界を満たしたゆえに、天地が常道(常道)を失い、さまざまの災禍が起こり、世は惨憺たるものとなった。ゆえに、われは天地の度数を整理し、神明を調化して万古の怨恨を解き、相生(相生)の道によって後天の仙境を建て、世界の民生を救おうとするのである。およそ大小の事を問わず、神道から怨を解かねばならぬ。まず度数を堅固にして調化すれば、それが基(もとい)となり、人事はおのずから成就するであろう。これがすなわち三界公事(三界公事)である」と金亨烈に仰せられ、そのうちの冥府公事(冥府公事)の一部に着手された。『전경』「공사」 1-3。
『전경』「공사」 1-3。
上の例文において「およそ大小の事を問わず、神道から怨を解かねばならぬ」という内容は、東学思想と西欧的近代性が、神明と怨恨という部分を理解できなかったために、大小の事において成功的な結果を示せなかったことを明らかにする。
大巡思想において儒教の特徴は、儒持凡節と称して、神明を強調しない人間中心の教理体系とみなされる。実際、儒教は伝統的に敬而遠之(敬而遠之)と称して、神明を認めはするが(敬)、近づかない(遠之)という伝統を固守してきた。樊遲問知, 子曰: 「務民之義, 敬鬼神而遠之, 可謂知矣」。(『논어』「옹야」)
樊遲問知, 子曰: 「務民之義, 敬鬼神而遠之, 可謂知矣」。(『논어』「옹야」)
三界観の再定立が天人関係と連結されるのは、調理と気化という神人関係の再定立を通じてである。九天の人身降世以後、調理と気化は、いまや相克を相生へと変えることができるようになり、神明の調化と人間の解冤を、人を通じて可能にする。
天外天の出現を強調する東学思想と、九天の人身降世を強調する大巡思想との差異として、共感を通じた人間の矛盾仲裁、すなわち人間が陰陽を用いることは、人間の調理と神明の気化を通じてである。邵康節は『전경』と同様に、心の共感と正義を通じて人間が神明を調理し得ることを示す。
心急道儒(心急道儒)と道通君子(道通君子)の地人関係
東学思想と大巡思想の地界観(地界觀)において最も際立つ差異は、大巡思想の開闢が金剛山を通じた一万二千君子の道通と、その以後の道通真境を明示するという点である。神明を介入させない東学思想において、道の実現は社会的実践として現れた。当時の社会において道の実現は、民もまた王侯将相になり得るという現世的欲望であった。東学思想を実践する人々にとって、天外天出現の意味は心急道儒(心急道儒)へと帰結した。유지연, 「황현(1855-1910)의 동학에 대한 인식과 비판: 『오하기문(梧下記文)』을 중심으로」, 『梨院학술논집』 2, 2004, pp.1-54。
유지연, 「황현(1855-1910)의 동학에 대한 인식과 비판: 『오하기문(梧下記文)』을 중심으로」, 『梨院학술논집』 2, 2004, pp.1-54。
心急道儒とは、末期の著作と推定される『동경대전』「歎道儒心急(歎 道儒心急)」に現れる、東学教徒に対する水雲の戒めを伝える対象を指す。김기승, 「수운 최제우 저작의 연대기적 검토」, 『동학학보』 3, 2002, pp.159-162。水雲は東学教徒を道儒(道儒)と呼んできたが、修道の結果が早く現れることを望む東学教徒を心急道儒と称し、この詩を通じて戒めている。山河の大いなる運数がことごとくこの道に帰するゆえ、その源は最も深く、その理は甚だ遠い。わが心の柱を堅固にしてこそ、ここに道の味を知り、一念がここにあってこそ、万事が意のごとくなるであろう。濁った気を掃き払い、清き気を嬰児を育てるように養え。ただ心が至極であるのみならず、ただ心を正しくすることにある。隠やかな聡明はおのずから仙のごとくに出で、これから来るすべての事は一つの理に帰するであろう。他人の小さな過ちをわが心において論難せず、わが小さな知恵を人に施せ。かくのごとき大道を、小さな事に誠を費やすな。大事に当たって思慮を尽くせば、おのずから助けがあるであろう。風雲の大手はその器局に従う。玄妙な基(きざし)は現れぬゆえ、心を急がせるな。功を成す他日に、よくよく仙の縁を結ぶであろう。心は本来虚であって、物に応じても跡がないものである。心を修めてこそ徳を知り、徳をただ明らかにすることが道である。徳にあって人にあるのではなく、信にあって工(つとめ)にあるのではなく、近くにあって遠くにあるのではなく、誠にあって求めることにあるのではない。そうでないようでいてそうであり、遠いようでいて遠くないのである。『천도교경전』
김기승, 「수운 최제우 저작의 연대기적 검토」, 『동학학보』 3, 2002, pp.159-162。
山河の大いなる運数がことごとくこの道に帰するゆえ、その源は最も深く、その理は甚だ遠い。わが心の柱を堅固にしてこそ、ここに道の味を知り、一念がここにあってこそ、万事が意のごとくなるであろう。濁った気を掃き払い、清き気を嬰児を育てるように養え。ただ心が至極であるのみならず、ただ心を正しくすることにある。隠やかな聡明はおのずから仙のごとくに出で、これから来るすべての事は一つの理に帰するであろう。他人の小さな過ちをわが心において論難せず、わが小さな知恵を人に施せ。かくのごとき大道を、小さな事に誠を費やすな。大事に当たって思慮を尽くせば、おのずから助けがあるであろう。風雲の大手はその器局に従う。玄妙な基(きざし)は現れぬゆえ、心を急がせるな。功を成す他日に、よくよく仙の縁を結ぶであろう。心は本来虚であって、物に応じても跡がないものである。心を修めてこそ徳を知り、徳をただ明らかにすることが道である。徳にあって人にあるのではなく、信にあって工(つとめ)にあるのではなく、近くにあって遠くにあるのではなく、誠にあって求めることにあるのではない。そうでないようでいてそうであり、遠いようでいて遠くないのである。『천도교경전』
山河大運 盡歸此道 其源極深 其理甚遠 산하대운 진귀차도 기원극심 기리심원
固我心柱 乃知道味 一念在玆 萬事如意 고아심주 내지도미 일념재자 만사여의
消除濁氣 兒養淑氣 소제탁기 아양숙기
非徒心至 惟在正心 隱隱聰明 仙出自然 비도심지 유재정심 은은총명 선출자연
來頭百事 同歸一理 내두백사 동귀일리
他人細過 勿論我心 我心小慧 以施於人 타인세과 물론아심 아심소혜 이시어인
如斯大道 勿誠小事 臨勳盡料 自然有助 여사대도 물성소사 임훈진료 자연유조
風雲大手 隨其器局 玄機不露 勿爲心急 풍운대수 수기기국 현기불로 물위심급
功成他日 好作仙緣 心兮本虛 應物無迹 공성타일 호작선연 심혜본허 응물무적
心修來而知德 德惟明而是道 심수래이지덕 덕유명이시도
在德不在於人 在信不在於工 재덕부재어인 재신부재어공
在近不在於遠 在誠不在於求 재근부재어원 재성부재어구
不然而其然 似遠而非遠 불연이기연 사원이비원
反面、九天の人身降世によって神明が導入される大巡思想においては、現世の地上神仙と地上天国を実現するが、東学思想のように王侯将相を欲速不達に望むものではなかった。『전경』「공사」 3-41。大巡思想は、遠く後天までを見通す長期的な眼識によって日常に忠実であった。後天を思う大巡思想においては、東学思想には現れない金剛山と、開闢以後の道通君子の出現を明示し、道通君子の輩出を志向することが真東学であるとする。『전경』「권지」 1-11。大巡思想の三界観は、道通君子の輩出を優先課題として志向するがゆえに、地人関係(地人關係)もまた道通君子を中心に展開される。東学思想の地人関係(地人關係)において、道通君子と金剛山は明示されないが、人傑は地霊であるという句と、神仙に対する言及として現れる。
『전경』「공사」 3-41。
『전경』「권지」 1-11。
「国じゅう両班にすること」の実践的事例となった東学思想が、さらに「国じゅう王侯将相になること」にまで平等思想の実践強度を極大化したが、『전경』においては、水雲が儒教の典憲を越えられなかったものとして解釈している。김상준, 「온 나라가 양반 되기-조선 후기 유교적 평등화 메커니즘」, 『사회와 역사(구 한국사회사학회논문집)』63(0), 2003, pp.5-29
김상준, 「온 나라가 양반 되기-조선 후기 유교적 평등화 메커니즘」, 『사회와 역사(구 한국사회사학회논문집)』63(0), 2003, pp.5-29
上帝はある日、金亨烈に仰せられた。「西洋人マテオ・リッチ(利瑪竇)が東洋に来て地上天国を建てようとしたが、長きにわたり根を張った儒教の弊習によって容易には改革できず、その意を遂げることができなかった。ただ天上と地下の境界を開放し、それぞれの地域を固く守って互いに行き来できなかった神明を相互に往来させ、彼は死後、東洋の文明神(文明神)を率いて西洋に行き文運(文運)を開いたのである。これより地下神は天上のあらゆる妙法に倣い、これを人世に施した。西洋のあらゆる文物は天国の模型に倣ったものである」と仰せられ、「その文明は物質に偏って、かえって人類の傲慢を助長し、ついには天理を揺るがし自然を征服しようとするところからあらゆる罪悪を絶えず犯し、神道の権威を失墜させたゆえに、天道と人事の常道が背かれ、三界が混乱して道の根源が断たれることとなり、原始のすべての神聖と仏と菩薩が会集し、人類と神明界のこの劫厄を九天に訴えたゆえに、われは西洋(西洋)大法国(大法國)天啓塔(天啓塔)に降りて天下を大巡(大巡)したあげく、この東土(東土)に止まり、母岳山金山寺(母岳山金山寺)三層殿(三層殿)の弥勒金仏(彌勒金佛)に至って三〇年を過ごしたあげく、崔済愚(崔濟愚)に済世大道(濟世大道)を啓示したが、済愚がよく儒教の典憲を越えて大道の真意を明らかにすることができなかったゆえに、甲子(甲子)年についに天命と神教(神敎)を収め、辛未(辛未)年に降世したのである」と仰せられた。『전경』「교운」 1-9。
『전경』「교운」 1-9。
上の例文において「大道の真意」は、物質に偏り人類の傲慢を助長した西洋の近代性に対する代案的近代性として、大巡思想は東学思想の趣旨を、儒教を超えた思想として提示している。系統発生を個体発生が反復するように、「大道の真意」は儒教を超えて、あらゆる理の長所のみを集めた新たな真理でなければならなかった。したがって東学が具現できなかった真東学は、「国じゅう王侯将相にすること」の近代性を超えて、「地上神仙」を実現することであった。
上帝はある日、京石を連れて籠岩(籠岩)を発ち、井邑へ向かう途中、院坪の酒幕に立ち寄り、通りすがりの行人を呼んで酒を買い勧め、「この道は南朝鮮の船路である。荷を多く積んでこそ出発するであろう」と仰せられ、再び道を急がれ、三〇里となる所に至って「大陣(大陣)は一行三〇里である」と仰せられ、古阜松月里(松月里)の崔(崔)氏の斎室に居住する朴公又(朴公又)の家に宿られた。公又と京石に仰せられた。「いまや会うべき人に会ったゆえ、通精神(通精神)が出るのである。わが事は、たとえ父母兄弟であっても知らぬ事である」と。また「われは西洋(西洋)大法国(大法國)天啓塔(天啓塔)に降りて天下を大巡したあげく、三界の大権を握って三界を開闢し、仙境を開いて死滅に陥った世界の蒼生たちを救おうとして、汝らの東方を巡回するなかで、この地に止まったのは、すなわち惨禍のうちに埋もれた無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった怨を解いてやろうとするためである。われに従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽を享受するであろう。これが真東学である。弓乙歌(弓乙歌)に『朝鮮江山(朝鮮江山)は名山(名山)である。道通君子(道通君子)が再び生まれる』とあるのも、またわが事を指すのである。東学信者の間で大先生(大先生)が甦るであろうと伝えられているが、これは代先生(代先生)が再び生まれるという言葉であり、われがすなわち代先生(代先生)である」と仰せられた。『전경』「권지」 1-11。
『전경』「권지」 1-11。
上の例文において、東学の本来の趣旨は、儒教的な「反封建反外勢」を主張することを超えて、新たな世界である後天へと向かう自生的近代性、すなわち真東学へと発展するものとして現れる。
新たな世界である後天は、地上神仙と道通君子の世界であり、地上神仙は陰陽関係である地と人間の、もう一つの陰陽合徳の様態である。地上神仙の標語は、今日、現実として現れつつある。これまで東学思想と大巡思想に現れた自生的近代性に対する研究において注目されなかった陰陽五行という相関的思惟を導入すれば、地上神仙は次のように地と人間の陰陽合徳関係として理解することができる。
天地人三才概念から、人間は天地と同格とみなされてきたが、人間がなぜ天地と同格であり得るのかに対する説明はほとんどなかった。大巡思想は、人間が天地と互換され得るがゆえに、人間がいてこそ天地が成功し得るという、天地媒介の人間中心性を神人調化として明確に言及する。大巡思想において人間は、天地に比して規模や機能が比較にならないほど小さいが、天と地の二つの姿を陰陽として結合しているという点において、天地と互換され得る人間は、有機的に天地と同格の存在となる。大巡思想以前において、人間は三才・三界を通じて人間の地位を形式的にのみ天地と同等化していた。大巡思想出現以前には、実際に天地と比較して人間は塵のような存在であった。人間の道通を通じて、人間は天地を媒介させ互換させる存在となり得るというのが、大巡思想の地人関係(地人關係)の特徴である。
大巡思想は、東学から東学農民革命を経て甑山思想に至る過程を、作乱(作亂)・動乱(動亂)・治乱(治亂)という調化の過程として表現したことがある。『전경』「교법」 3-30; 고남식, 「조선말기 강증산의 역사인식과 조선관」, 『동아시아고대학』 59, 2020, pp. 239-270. 259。東学思想で始まった「調化」という概念の相関的思惟を「リミナリティ」として解釈すれば、実際に相関的思惟が集約された三界観概念を中心に、東学と真東学としての大巡思想に現れた近代性を比較することができる。真東学を主張した大巡思想は、実際に東学思想に比して、陰陽合徳・三才確立・五行具備という初期の無極道趣旨書から、陰陽五行を思想的自生性として具体化している。무라야마 지준, 「무극도취지서」, 『조선의 유사종교』. 대구: 啓明大學校 出版部. 1991。
『전경』「교법」 3-30; 고남식, 「조선말기 강증산의 역사인식과 조선관」, 『동아시아고대학』 59, 2020, pp. 239-270. 259。
무라야마 지준, 「무극도취지서」, 『조선의 유사종교』. 대구: 啓明大學校 出版部. 1991。