自生的(自生的)近代性とリミナリティ
近代性と自生的近代性
近代性と聖・俗の統摂(統攝)
「近代性(Modernity)」という概念は、人類を闇の桎梏から脱せしめ理性の力を取り戻させた特性として、東西を通じて文明の象徴として崇拝されてきた概念である。科学技術を世界認識の土台とし、それに資本と国家が結合して自然と人間を対象化し、効率的に管理する生のあり方を「近代性」と規定することができる。1) 近代性は長い人類史の試行錯誤を通じて人類が発見した普遍的価値であり、これにより「近代性」は世界が共通に志向する目標となったのである。人類は近代が到来する以前は権力の支配下にあり、共同の努力によって絶対権力から解放された後、近代性を見出すに至った。李道欽(이도흠)は近代の力を次のように表現している。
人類は「呪術の庭」たる中世を脱し、理性と科学が支配する現代を開いた。現代の力は実に途方もないものであった。無知蒙昧と野蛮が支配した世界を、理性と科学を通じて打破し、合理性の原則と科学に基づいて再びデザインしたのである。2) 百万年を超える人類進化の歴史の中で、近代は初めて人類を自然と餓死という物質の恐怖から脱せしめ、たとえ相対的剥奪感はあるにしても、一般市民が過去の皇帝のような物質的豊かさを享受するに至らしめた前代未聞の時期であった。三十年にも満たなかった人類の寿命は近代以降今日では八十歳まで延び、神のような地位に登った人間はついには大部分が無神論者となり、代わりに物質主義者となった。
近代化(modernisation)、近代性(modernity)、モダニズム(modernism)は現代社会の中心主題として扱われる領域であり、近代化(modernisation)、近代性(modernity)はモダニズム(modernism)と比較すれば、定義に関しては異論があまりないとされる。近代化(modernisation)は産業革命およびその影響と関連する一連の技術的・経済的・政治的発展を意味し、近代性(modernity)はそのような発展の結果として現れた社会的条件と経験の様式であるといえる。3)
しかしながら、手綱の外れた欲望の結果、近代は再び人類を前代未聞の絶滅の危機に直面させ、近代に対する批判理論としての脱近代性(post-modernism)理論が大いに流行することとなった。近代性に対する批判が激しいのは、それだけ近代が人類に前代未聞の恩恵を与える時期であったからにほかならず、ただ未だ人類はなぜこのような恩恵が与えられたのかについて、なお研究が進行中である。
まず、古典的近代性の代表的理論家として知られるウェーバー(Max Weber)は、近代性を「全社会の合理化」に集約させ、①合理的資本主義、②合理的法・行政体系(法治国家)、③合理的社会分化に細分化した。4) ウェーバーの著作において、近代性はすなわち「合理性」へと集約される。これに対し、近代性に対する批判理論家である脱近代論者たちは、この合理性を近代性の核心的問題として指摘する。脱近代論者たちは、近代の合理性をデカルト(Rene Descartes, 1596-1650)の「我思う、ゆえに我あり(Cogito, ergo sum)」という方法論的懐疑(methodological skepticism)に立脚した理性中心主義に要約し、この合理性が近代性の数多の問題の原因であると指摘した。イデアや神を否定し、自我から認識と存在、価値に関するあらゆる法則を再構築するナルシシズム(narcissism)的な同一者としての近代性は、結局「他人は地獄」というサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)のような結論を導き出すほかないと、脱近代論者たちは主張する。5) そこで、他者を受容する相互関係的な生成的・過程的・解体的な合理性が必要であるとされる。脱近代性とは、このような近代性に抵抗しつつその代案を追求してきた傾向と規定することができる。6)
デカルト的還元主義的合理性に対する批判は、遠くはスピノザ(Baruch Spinoza, 1632-1675)、ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)の表現主義的形而上学から始まり、その現代的契機はニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)、ベルクソン(Henri-Louis Bergson, 1859-1941)、フッサール(Edmund Husserl, 1859-1938)から各々異なる分野で発展し、フーコー、ドゥルーズ、デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)、ラカン等の代表的な脱近代性理論家へと至っている。7) ポストモダニズムは、今日キリスト教の救済者とも呼ばれるルネ・ジラール(Rene Girard, 1923-2015)によってアメリカに紹介され、分析哲学が支配的なアメリカにおいても例外的に大いに活性化し、今日のヨーロッパとアメリカの人文社会科学における主要思潮となった。これに対し、既存の英米哲学8)や正統的近代性の立場からの批判もまた強まっている。9)
近代が前代に比して達成した発展と、近代以降の変化、すなわち脱近代理論家たちが主張する「近代性」と「脱近代性」の差異を要約すれば、〈表1〉のごとくであるとされる。本稿においては「脱近代性」は「脱現代性」と同義に用いられる。
ポストモダニズム論争は1968年5月のフランス学生運動から触発され、1990年代に韓国においても大いに活性化される。ポストモダニズム論争はヨーロッパ、特にフランスにおいて、サルトルの実存主義(Existentialism)とレヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss, 1908-2009)の構造主義(Structuralism)論争から始まったが、その後この論争はサルトルの実存主義に代表される近代的合理性と共産主義に対する批判へと連なり、後期構造主義(post-structuralism)理論のような現代哲学の巨大な潮流を形成するに至った。10)
〈表1〉 中世・現代・脱現代の概観11)
〈表1〉 中世・現代・脱現代の概観[^11]
| 中世 | 現代 | 脱現代 | |
| 上部構造 | 神中心 | 人間中心 | 生態論的パラダイム |
| 上部構造 | 神聖の支配 | 理性と合理性の原則 | |
| 上部構造 | 神が真理 | 真理の絶対性と普遍性 | |
| 上部構造 | 迷信と呪術 | 科学 | |
| 上部構造 | 善あるいは神が美 | 芸術の世俗化と自己目的性の追求 | |
| 上部構造 | 神に従属する自我 | 主体 | |
| 上部構造 | 生の空間 | 現実 | |
| 上部構造 | ローマと中国中心主義 | ヨーロッパ中心主義 | |
| 上部構造 | 中心の文字 | 国家の文字 | |
| 土台 | 封建体制 | 資本制 | 後期資本制 |
| 土台 | 前産業社会 | 産業社会 |
脱近代性の議論がますます重要視される理由は、画期的発展を遂げた近代がかえって人類により大きな危険として迫ってきたことにある。これにより、近代性批判に注力した脱近代性論に関する研究のみならず、代案的近代性に関する研究も多くなされてきた。代案的近代性に関する研究は、脱近代性論のような理論的模索よりも、西欧と異なる文化圏に現れた近代性の歴史に注目する多重近代性(multiple modernity)概念を中心になされてきた。多重的近代性は代案的近代性とは区別される。多重近代性論は、1998年の学術誌『Daedalus』の"early modernities"特集号において初めてその陣容を現したとされる。アイゼンシュタット(Shmuel N. Eisenstadt, 1923- 現在)、ヴィトロック(Bjorn Wittroc, 1945- 現在)、アルナソン(Johann Pall Arnason, 1940- 現在)等の比較歴史社会学者たちがこの立場を代表する。12) 一方、代案的近代性論は、文化理論、文芸・政治批評、人類学等の多様な領域において提起されているとされる。13)
さらに彼らは、今日の近代性は西欧的近代性を包含するグローバルな近代性(global modernity)として理解されるべきであり、これは中国宋代の事例に見られるように、諸文明の相互交流による中層的近代性(Multilayered Modernities)であると述べる。すなわち、西欧的近代性が存在する以前に原型近代性(proto modernity)が存在し、西欧的近代性以降に植民・被植民近代性(colonizing-colonized modernity)が存在した後、今日のグローバル近代性という中層近代性となったとされる。14) 近代性が西欧においてのみ始まったと見るヨーロッパ物神主義(fetishism of European modernity)は、今日代案的近代性の構築における大きな障害となるという論旨である。
代案的近代性論者たちは、デカルト的合理性を中心とする西欧的近代性の代案モデルとして、統摂(統攝、encompass)モデルを提案する。統摂はウィルソン(Edward Osborne Wilson, 1929-2021)が提案した生物学的統摂ではなく、聖(聖)と俗(俗)の境界を転換する宗教社会学的近代性モデルである。統摂とは、中心が外部を排除せず包含しつつも統制するということである。近代性とは、枢軸時代(Axial Age)15)以降、聖(聖)が俗(俗)を統摂した「統摂1」から、俗(俗)が聖(聖)を統摂する「統摂2」への転換を意味する。統摂2もまた、統摂の過程において聖(聖)が統制の座から退いただけであって消滅したわけではなく、むしろより重要となったのである。この統摂理論は、カルヴァンの予定説等のウェーバーの西欧的近代性に関する説明や、西欧的近代性ではない性理学を通じた宋代の初期近代的発展についてもよく説明することができる。聖(聖)と俗(俗)の再配置を通じた神性(神性)の強化である、聖(聖)と俗(俗)の統摂関係は、宗教社会学において説明されるごとく、人類普遍の現象であるからである。16)
統摂は合理化の裏面にある宗教化を説明してくれることにより、未だ十分に理解されていない東西近代性において儒教が果たした相反する役割をよく説明してくれる。ウェーバーと同時代を生きた中国の代表的近代化理論家である梁啓超(梁啓超、1873-1929)が儒教を通じた中国近代化を試みたが失敗した原因は代表的な例である。西洋の近代的合理性は内面に宗教性を統摂した近代性であることを知らず、宗教性を脱色した儒教で近代性を成そうとしたことが、梁啓超の儒教的近代化が失敗した原因であったというウェーバーの指摘は正確であったとされる。17)
多重的近代性は東学にも適用しうるとされる。東学は壬辰倭乱以降丁若鏞に至るまでの朝鮮における「全国両班化」思潮の決定版として解釈することができる。東学と西欧近代性の嚆矢となった宗教改革との類似性は、複数の学者によって指摘されてきた。近代性が俗(俗)が聖(聖)を統摂する統摂の転換であるならば、東学思想は代案的近代性として理解することができる。実際、120余年前の東学思想以降に現れた大巡思想においては、このような近代がかえって人類に大きな脅威と災厄となることを予見していた。18)
120余年後、近代性は実際に現代人類絶滅の危機の原因として指摘され、再構築の解決策を見出すための数多の研究が進められた。脱近代性の議論は、今やベック等の近代性に対する反省を強調する省察的近代性19)や、意思決定を妨げる過程的かつ流動的な特性を強調するバウマン(Zygmunt Bauman, 1925-2017)の液体近代性(Liquid Modernity)としても論じられている。20) 今やポストモダニズム(Postmodernism)は、ヨーロッパ大陸と英米思想界の主流思想のひとつとなった。しかし、世界の社会科学を代表する知性であるハーバーマス(Jurgen Habermas, 1929- 現在)が述べたように、多くの研究にもかかわらず、なお近代は後期近代を論じることのできない未完のプロジェクトであり、再構築の対象である。21) 実際、「近代(modern)」という語の語源を辿れば、近代性自体が近代と脱近代の意味を同時に持ち得るのである。
近代性(Modernity)の語源であるモード(mode)は「今、ここ」であると、オックスフォード辞典は規定している。長年の論争にもかかわらず、その語源の由来は未だ明確ではない状況である。近代性については多くの理論があったが、にもかかわらず、なぜ中世に対する新たな思潮を近代性(Modernity)という名で命名したのかについては、未だ明らかにされていない。ただ、ローマ時代以前から用いられてきた「今、ここ」を意味するmodeが、漢字「巫(mu)」とも関連するキリスト教以前のグノーシス主義的伝統と関係しているがゆえに、キリスト教に対する対抗文化として出発した近代が対抗性を強調するために採用した、という理論がある。22) 近代性と脱近代性は今日の現実において重畳的に現れるため、「今、ここ」は近代性と脱近代性の双方を意味し得る。ひとまず近代性(Modernity)の語源は、近代性自体が「近代」と「脱近代」の意味を同時に持ち得ることを示している。
本稿は、代案的近代性、多重的近代性、脱近代性、中層近代性、省察的近代性、液体近代性等を総合しうる近代性概念として、自生的近代性(Autogenous Modernity)に注目したいと思う。自生的近代性とは、われわれの伝統に近代性が存在しており、西洋の近代性に対抗してわれわれの伝統を活かした近代性が存在していた、という意である。ウェーバーを超克した近代に対する意識と、西欧的視角を脱却すれば、歴史に立脚した客観的視角から、東学思想と大巡思想において自生的近代性が発見されうるのである。23) 日本と中国の場合、京都学派(京都學派)や汪暉等によって試みられ、広く知られている。24)
西洋において近代性は、宗教改革等の宗教の世俗化を通じて、教会権力によって失われた個人の自由を取り戻し、産業化を成し遂げさせた概念であり、東洋において近代性は、西欧によって数多の被害を被ったとはいえ、非合理的な抑圧から民衆を解放させた概念であった。したがって、近代性を論じる際、西洋では主として宗教改革、産業革命を通じた脱呪術性(dis-enchantment)を強調し、東洋では主として自生性、すなわち民族主義運動を強調してきた。25)
自生的近代性もまた、近代性と脱近代性という二つの性格が同時に現れる。西欧以外の地域が圧縮的近代を達成した物質的近代化と同様、代案的近代性もまた近代性と脱近代性を圧縮的に構築する。脱近代性理論家たちは、西洋において見出される脱近代性よりも、西欧以外の地域に現れる自生的近代性のほうが、代案的近代性としてより適していると述べる。これを「外部の思惟」と称し、構造主義以降の脱近代理論の主要な根拠となった。さらに、最近強調されている西欧近代性の東洋的起源は、脱近代性としての多重的近代性、すなわち自生的近代性にいっそう注目させる。新科学以降、多くの研究者が近代性の代案を実際に東洋思想に求めてきた。ポストモダニズムの登場以降、科学分野のみならず人文社会科学にまで拡大し、特に近代性と脱近代性は東西の宗教思想が出会う接点を形成してきた。近代性は中世および脱近代性と比較されることで、その特性が常に明確に現れる。
多重的近代性の統摂理論や省察的近代性理論のごとく、今日の近代性は省察、すなわち限界を脱しようとする力、つまり聖と俗の境界、すなわちリミナリティの問題となる。とりわけ東洋の場合、東洋哲学の思惟方法論である相関的思惟のリミナリティの問題となる。究極的なリミナリティは、聖と俗のうち聖を択ぼうとする意志26)となる。人間は絶えず俗を脱して聖を求めようとするがゆえに、究極的実在を求める宗教が生じるのである。
これに関連して、今日韓国の近代性は東学から見出されている。27) 東学から最初に韓国に国民国家の概念が生じたとされる。しかし、この東学から始まる近代性概念には論争が多い。植民地近代化論者は東学をイデオロギーと見做した。植民地近代化論者にとって、東学はただ力なき民衆の抵抗に過ぎない。28) 内在的発展論者にとって東学は近代の萌芽の発露であるが、思想的背景はない。しかし、東学は東洋思想の内在性、すなわち「宇宙の原理が身に具備されているがゆえに民心はすなわち天心」という思想に基づく東洋の自生的近代性、すなわち相関的思惟のリミナリティと関係する。29) 伝統と同様に、近代性においても均衡のとれた視点が必要である。30)
この点に注目し、本稿は東学思想を哲学的思惟方法として研究する既存の先行研究を、「伝統の連続と変化」という側面から通時的に提示することにより31)、東学思想の哲学的思惟方法論を深層的な方法で理解し、これを通じて東学思想と大巡思想が提示した自生的近代性の文脈と妥当性を理解しようとする試みである。
早くから大巡思想は、東洋を排除した歪曲された西洋近代性概念に起因する人類絶滅の危機を120余年前に予測した。32) 大巡思想が提示した東西が融合した解寃相生の近代性概念は、近代性概念の再構築問題に対する新たな解法として注目される。33) 大巡思想が提示した近代性概念は、他の東洋思想と同じく、西洋科学が最先端まで発展した今日に至ってようやくその真意が明らかにされつつある。当時、西洋の物質文明によって華やかに包装された西洋の近代性に隠れて、大巡思想が東西思想を総合して提示した近代性はほとんど理解されなかった。西洋の近代性が現代の危機の震源となり、ポストモダニズム等の数多の近代性再構築の努力によって、西洋の人文・社会・自然科学全領域において存在論・認識論・価値論の新科学的転換が起こり、新科学の次の段階として東洋学が提示されることによって、理解の糸口が生じたのである。34)
西欧近代性と自生的近代性の東洋的共同起源
非西欧文明の中で唯一、東アジア3カ国が西欧を凌駕する経済成長を遂げた今日、停滞した文明として東アジアを評価していた過去とは異なり、西欧の近代がかえって東洋の影響を受けたという研究が続出している。最近の東アジア文化研究の結果に基づき、これまで旧時代の独自的遺産程度として見做されていた近現代韓国の自生的近代性もまた、再評価を受けている。35)
漢字を知らなかったウェーバーとは異なり、漢字を知り、ウェーバーの方法を適用してウェーバーと正反対の結論を導き出したメッツガー(Thomas A. Metzger, 1933- 現在)の研究を見れば、東洋の「自生的近代性」を理解し始めたかのようである。36) 最近の西欧近代文化の東洋影響説に関連して明らかにされつつある東洋的近代性の萌芽は、韓国の自生的近代性と伝統を再構成させる要素である。また、ジュリアン、フランク、ホブソン、クリール、ウッドサイド(Alexander Woodside, 1938- 現在)等の西欧の学者たちが東洋文化の近代性を東洋的視角から解釈することもまた、韓国の自生的近代性と伝統を再考察させる要因である。37)
東学関連思想が当時の世界の他の宗教運動と区別されて現れる特徴は、西欧近代性に対する東洋的起源を主張したことにある。東学において「東学」、「再び開闢」のような間接的表現で現れた西欧近代性に対する東洋的起源は、参東学を主張した大巡思想においては、東洋の文明神と道通神を西洋へとそれぞれ移動させたというマテオ・リッチ38)と震默39)大師の事例によって明確に現れる。東学思想が成立する当時においても、中国は西洋学問の起源が中国において始まったという西学中源論が得勢しており、韓国においても徐命膺以降さらに発展していた。40)
中国の5・4革命以来、東洋の伝統的学問は非合理的な前近代性の学問として罵倒されたが、当時ヨーロッパにおいても東洋の伝統的学問を否定したのは僅か100余年も経たない現象であった。むしろヨーロッパにおいては、マテオ・リッチ以降、啓蒙時期に至るまで、いわゆる「中国熱風」と称されたごとく、ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)、アダム・スミス(Adam Smith, 1723-1790)、ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)等、今日の近代思想の起源を成した学者たちは異口同音に、マテオ・リッチが伝来した中国思想に自らの主張の根拠を求めた。ヨーロッパが中国文明を前近代的と見たのは、啓蒙主義以降、植民地支配が始まってからのことであった。今日公開されている当時の記録は、隠蔽されていた西欧近代性の東洋的起源を明確に示している。41)
当時の記録を見れば、宗教なくしてヨーロッパよりも道徳的な中国社会は、宗教の不在が道徳性の堕落へとつながるという名分のもと、宗教戦争という骨肉相争まで辞さなかったヨーロッパ社会にとっては、立派な代案として現れた。科挙制という自由、平等の基本的な機会すらもなかった当時のキリスト教的伝統が強かったヨーロッパにおいては、中国の世俗化された合理的伝統を、皇帝の専制的属性という副作用なしに受容しうる土壌が形成されていた。42) 実際、今日の近代性を代表するスミスの「見えざる手(invisible hand)」、ルソーの天賦人権説(Natural Right)は、当時の中国の文明を研究していたヨーロッパの知識人たちが東洋思想から着想を得て開発した概念であるとされる。43)
ウェーバーが合理性を人類の普遍的価値である近代性として定義するに至った出発点は、ヘーゲルの絶対理性(Absolute Geist)にあると見られる。「普遍的」という語の語源は「カトリック(catholic)」に由来するだけに、西欧においては非常に伝統的な問題であったと見られる。西洋はキリスト教を「カトリック(catholic)」と称して普遍の真理としたが、中世の数多の矛盾を経験した。再び近代に至って普遍性を再構築しようとする西洋の努力こそが、デカルトを始めとする西洋近代思想であったといえる。ヘーゲルはデカルトとカントへと続く系譜上に位置するのである。
ウェーバーが発見した合理性は、弁証法を通じてみずから発展していくヘーゲルの普遍的価値あるいは絶対理性を念頭に置いたものと見られる。ヘーゲルは西欧近代社会を最も発展した近代社会として仮定し、その下に東洋社会等を置き、原始社会から西欧近代社会に至るまでの過程を弁証法的に説明する。東洋社会を西洋社会より絶対精神が発展していない社会と見做すヘーゲルの観点をウェーバーは受容し、東洋社会を前近代社会あるいは家産官僚体制として指摘したのであり、これがウェーバーの東洋社会論となるのである。
ウェーバーの東洋社会論が今日重要であるのは、ウェーバーの理論が現在に至っても今日の東洋社会を見る西欧の視角、あるいは西欧の影響が支配的な東洋社会において東洋の知性人が東洋社会を見る基本的な視角といえるからである。ウェーバーが東洋社会論を主張してからすでに100余年が経つが、未だウェーバーの理論に対する思惟方法論を中心とする反論がないということは、自生的近代性を論じる地点においては、まず第一の出発点とならざるをえない。
メッツガーはウェーバーの理論を適用したが、ウェーバーとは異なり、東洋人こそがプロテスタントのような緊張感を有していたと主張する。憂患意識として現れた世界に対する東洋人の緊張感は、西洋の民主主義思想が入ってきた際に、民主主義の実現のために投身した人々の面々から看取しうる。東洋の観点から見れば、民主主義は下からの革命というよりは官僚主義の拡大であり、官僚主義の拡大は内聖外王の過程であるがゆえに、官僚主義の拡大こそが真の歴史発展である。今日の東アジアの独歩的発展は、東アジアの観点が妥当であることを証明している。実際、東学思想は性理学に対する宗教改革の性格があり、実際の朝鮮社会は西欧市民社会よりもより市民社会的な性格が強かったという研究もある。44)
メッツガーの理論を適用してみれば、東洋社会のほうがより近代性に近い社会となる。それでは、東洋社会はなぜ西洋より先に近代化が成し遂げられなかったのか。東洋はなぜ西洋より早くから近代思想が萌芽することができたのかを考察することが、鍵となる。メッツガーと同様に、ウェーバーの述べる憂患意識が西洋より東洋において先んじていたにもかかわらず、東洋が西洋より近代化が遅れて起こった理由は、東洋文化が有する共感の強調と関係がある。東洋文化は共感を通じて近代性においては先んじていたが、近代性を産業化させた近代化においては、西欧に後れを取ったのである。
ウェーバーが主張した東洋社会論をさらに集約してみれば、東洋には合理性がない、言い換えれば一貫性がないということに要約される。ウェーバーがここで述べる一貫性とは、カントの影響が支配的であったドイツ社会において述べられるカント式の一貫性のことを指す。ウェーバーから見れば、まず性理学は理(理)を強調するというものの、何ら論証がない。論証がないがゆえに、性理学の理致はウェーバーの述べる合理性(rationality)ではなくなるのである。
しかし最近、ウェーバーの理論は当時カントの影響を受けてカント以前の議論を排除したためであることが明らかにされつつある。カント以前の西洋において、東洋の思想はカントとは異なり、合理性そのものであった。むしろ啓蒙主義の時期には、西洋の宗教であるキリスト教の教理が迷信を象徴していたがゆえに、啓蒙主義の名のもとに中国の合理性を受け入れ、キリスト教の教理の非合理性をなくそうとしたのである。
5・4運動に代表されるように、東学思想が発生する当時、中国は明治維新の日本と同様に、西欧化を近代性の典型として大部分受け入れたが、東学関連思想は西洋近代性の東洋的起源を把握し、東西の統合を模索した。とりわけ西欧近代性が招来する全地球的危機に対して、両思想は対応方策を模索しようとした。したがって、韓国の近代性は近代性の危機に対する代案的近代性となりうる。常識とは反対に、近代性はむしろ東洋において始まり、中国より性理学が発達した韓国は、そのなかでも先進的な近代性であった。
18世紀のヒューム、アダム・スミスは、マテオ・リッチが伝授した孔子の儒教思想を「共感」として解釈し、西洋道徳理論の新たな土台を築こうとした。45) 孔子の儒教と啓蒙主義の共通性はすでに注目されてきており、今日両理論の共通性を偶然の一致と見る中層近代性理論が提起されたが、最近の共感理論の発展と歴史資料の再発掘によって、直接的な影響を受けたものであることが明らかにされつつある。
西洋は東洋から共感を通じた倫理が可能であるということを学んだ後、神に対する一方的服従の反省から近代性を開発する。しかし、西洋の近代性はすぐに物質に偏り、人類の傲慢を招来して多くの問題を引き起こす。これにより、再び近代に対して反省する省察的近代性と脱近代性が模索されたのである。東洋の自生的近代性が重要であるのは、東洋の近代性には西洋の近代性よりも省察を強調する省察論的近代性であるという点である。とりわけ、西洋近代性の起源となったとされる共感は、省察と結合される時に意義が生じる。
自生的近代性が提示される背景には、ポストモダニズムにおいて提起された近代性と脱近代性の論争がある。近代性は中世に比べて数多の発展を遂げたが、また多くの深刻な問題を引き起こしたがゆえに、代案的近代性を模索することとなった。
自生的近代性の形式体系としての「学(學)」
西洋学問の危機があらわになるや、西洋学問のみを科学であると独断的に主張していた科学哲学においても、反省の声が高まりつつある。今日の西洋の科学哲学において、科学はファイヤアーベントのごとく方法論的自由主義(Anarchistic Theory of Knowledge)に立脚した科学の意味としても用いられている。46) 科学の方法論的自由主義とは、白い猫であれ黒い猫であれ鼠さえよく捕らえればよいという鄧小平の白猫黒猫論のように、一貫性があり、予測と結果が一致するならば、学界の標準であるとされる正常科学の理論的枠組みに関わらず、すべて科学であるといえるという現代の科学哲学を指す。47) 本稿もまた、東洋学問の科学性という意味を方法論的自由主義による観点から用いるが、より限定的に用いる。本稿において主張しようとする東学の科学性は、既存の東洋科学も有していた方法論的自由主義に加え、東洋科学を分析的な制度圏科学の理論構造で比較説明しうる反証可能性までを含む。48)
宗教思想としての東学が他の宗教と最も顕著に区別される部分は、宗教を「学(學)」という学術的用語で表現するという点である。宗教思想を「学」という用語で表現することは、儒教を「性理学」と長らく呼んできた東アジアの伝統と符合する。実際、天主教もまた東アジアにおいては「西学」と称され、他宗教も「学」という学術的用語で表現された。伝統的に東洋において宗教が学として表現された理由の一つは、東洋の宗教は天文地理という自然科学的背景を有しており、災異説(災異說)を主張した董仲舒(董仲舒、BC 176?-AD 104)の事例におけるごとく、宗教よりは天文地理が優先される傾向があり、自然科学と区分されない総体的な属性を有しているからでもある。
「東学」という用語が初めて現れる『東経大全』の「論学文」には、東洋宗教と西洋宗教の差異は、西学の「各自爲心(各自爲心)」のような思惟の方法論にあると説明されている。49) 東学思想において西学に対応する東学を提示することは、東洋に対して西学の方法論が優秀であるとするマテオ・リッチの『天主実義(De Deo Verax Disputatio・天主實義)』を念頭に置いて対応するものと見做すこともできる。50)
東アジア宗教を研究するにあたり、方法論的にまず先決すべき課題は、「学」の宗教現象学的意味の定立である。早くから、東洋宗教を今日の宗教学の主要方法論である宗教現象学(phenomenology of religion)で研究するためには、東アジア固有の現象学が必要であると論議されてきた。51)
実際、最近、東学の「学」に注目する研究は、さまざまに試みられている。しかし、「学」に注目する既存の研究は、今日注目されている東学の「修養論」次元でなされており、韓国宗教特有の哲学的思惟方法としての宗教現象学および宗教人類学的研究に注目する研究は稀であった。
今日「学」という哲学的思惟方法は、宗教現象学的には大きく世界観に属する領域である。世界観が今日の宗教現象学において研究対象として本格的に浮上するのは、ニニアン・スマート(Roderick Ninian Smart, 1927-2001)から始まる。52)
ニニアン・スマートはエリアーデの原型(Archetype)理論的な宗教現象学とファン・デル・レーウの「力」中心の現象学を折衷して、「文化交差的」現象学を開発する。「文化交差的」現象学は宗教学的研究対象としての世界観を大きく二つに区分する。ニニアン・スマートの文化交差的現象学において、宗教とは人間が世界を理解し生きていくのに必要なシステムと見ることができ、これは再び「世界説明体系」(Welterklaerungssystem)と「人生問題克服体系」(Lebensbewaeltigungssystem)に区分される。53) ニニアン・スマートはさらにこれを7次元に分けたが、「学」という宗教方法論の側面から、この二つの区分が要となる。54)
このように、宗教を「世界説明体系」(Welterklaerungssystem)と「人生問題克服体系」(Lebensbewaeltigungssystem)に区分してみれば、宗教現象学は宗教を人間の問題解決過程として研究する宗教人類学と接合しうる。宗教人類学において、宗教を通じた人類の問題解決は大きく原理、過程、構造という3つの方向から研究されてきた。
まず原理について見れば、ファン・ヘネップ(Arnold Van Gennep, 1873-1957)55)の「通過儀礼(通過儀禮、rite of passage)」理論と、「通過儀礼」理論から出発したターナーのリミナリティ(Liminality)理論を挙げることができる。一個人の成人への変化過程を説明する通過儀礼理論は、巨視的には一社会を変化させるリミナリティ理論となる。これを東学思想研究に適用すれば、東学思想とそれ以降に至る大巡思想までを一つの通過儀礼と見做すことができる。金芝河の場合、東学関連思想のリミナリティ的性格を「白い陰の美学」として表現したことがあり、大巡思想においても天地公事をリミナリティの儀礼の観点から遂行した研究がある。56) 金泰洙はこれまで注目されてこなかった天地公事の儀礼的側面のうち形式的側面に注目し、リミナリティ理論に立脚して詳細な研究を遂行した。本稿は金泰洙の形式的側面研究に基づき、リミナリティに対する最新の研究成果57)を活用して、近代性と関連する内容的側面に集中したい。
次に構造という側面において、各伝統には特有の構造が現れ、各宗教は構造の差異として説明されうるという理論である。原理の側面が宗教としての世界観を「人生問題克服体系」と見ていたとすれば、構造の側面から見る説明は「世界説明体系」に近い。構造の側面から宗教を説明する人類学は、大きく英米圏と大陸圏の科学哲学に方法論が起源を有する。英米圏と大陸圏ともに、「学」をパラダイム(paradigm)という用語で説明する。しかしながら、その意味は異なる。英米圏の場合、パラダイムは共同体の合意と関連する。58) パラダイム理論において、特定の真理とは一つの連鎖的な仮説の集合に過ぎないがゆえに、その方法を異にすれば異なるものが真理となりうる。パラダイムとは一種の思考の枠組みのようなものであり、新たな理論が異なる問題枠を有する場合、既存の科学者たちは正常科学(Normal science)ではないとする。アインシュタインの相対性理論が科学として認められるまでには、長期にわたる科学集団の合意があった。現在、東洋の陰陽五行が科学に編入されないのは、科学性の問題というよりは、還元主義のみを科学として認める規範(paradigm)のためであるといえる。
パラダイムの側面から見れば、東洋の「学(學)」は「相関的思惟」を固有の規範とする。「相関的思惟」は「分析的思惟」と対比される用語で、万物が独立しているがゆえに分割して事物を認識すべきだという分析的認識論とは異なり、万物は互いに連結されており分割しえないがゆえに相関関係として認識する思惟方法である。
大規模な実験を通じて、東西の学問の方法論的差異が実際に現代の東西人の思考方式にも適用されることを立証した研究もあった。59) また、代表的な相関的思惟理論である陰陽理論は、分析的思惟が隠れている相関的思惟であることを明らかにした研究もある。60) 相関的思惟の側面から見れば、分析的思惟もまた内面は循環的思考であり、結局は現れない相関的思惟であるということになる。東洋の相関的思惟を要約した研究には、鄭宇珍(정우진)の研究がある。このような研究に基づくとき、今日の東西の哲学的思惟方法論として見做されているのは、大きく東洋の生成論的方法と西洋の存在論的方法の二つに大別することができる。61) 相関的思惟は、上から下へと生成していく演繹的原則を有する東洋の生成論的思惟方法に該当し、このような東洋の生成論的思惟方法は大きく相関的思惟と同時性として現れる。62)
次に過程という側面から見るとき、宗教としての世界観は再活性化と見ることができる。再活性化は宗教学者ウォーレスの再活性化モデルにおいて言及される再活性化モデルにおいて主張された概念である。再活性化は文化接変の過程において他の学問を受容する過程に現れ、これは宗教としての世界観を察する重要な方法となる。外部の変化にも変わらない宗教的世界観は伝統の連続と変化の過程として理解されえ、これは再活性化を通じて成し遂げられるからである。
以上考察した哲学的思惟方法論としての「学(學)」概念を考慮しつつ、本研究では東学思想と大巡思想を比較するために、伝統の連続と変化の中で宗教としての世界観を研究する宗教人類学の三つの方法を立体的に同時に用いたい。東学思想と大巡思想に現れる伝統の連続と変化は、主として用語と概念上の意味変化において現れる。したがって本稿は、両思想の主要な用語に注目しつつも、用語が有する意味の連続と変化を、構造・原理・過程という三つの観点すべてを用いて立体的に把握したい。これを通じて、世界観としての宗教という側面から、大巡思想が東学が継承した東西の伝統の連続と変化においていかほど忠実であったかを指標とし、参東学としての意義を有しうるかを検証したい。
自生的近代性の理論的背景としての東西区分
東学思想と大巡思想において、東西の概念、すなわち東西の区分は、東学や参東学のごとく非常に根本的な区分として現れる。東西の区分が哲学的思惟において根本的な区分として現れるのであれば、東西の区分基準と、東西の区分が根本的に重要である理由が何かについての検討が必要である。
東学と西学の差異に関する研究は、東洋と西洋の思惟方法論の差異等、多様な部分でなされてきた。まず、東洋人と西洋人の思惟方法の差異に対する認知心理学(認知心理學、cognitive psychology)の実証的研究は、最近ニスベット(Richard Eugene Nisbett, 1941- 現在)によって実験心理学として立証されている。ニスベットは実験において、アジア人にとって世界は複雑な場所であり、個人的な統制よりは集団的な統制の対象として現れ、西欧人にとって世界は相対的に単純であり、極めて個人的な統制の対象であって、両世界は実に異なると述べる。実際にニスベットは、飛び去る鳥を見て、西洋人は鳥の数を記憶し、東洋人は背景を記憶すると述べた。63)
東西の思惟方法の差異については、多様な説明があった。まず馮友蘭(馮友蘭、1894-1990)は、商業と農業文化の差異として説明した。馮友蘭は東洋には認識論がなかったと主張したが、東洋に認識論がなかった理由は、取引相手の本質と実体を区分せねばならない商業が西洋において発達したのとは異なり、自然環境のよかった東洋は農業において直観的認識が重要であったがゆえに、西洋のごとく本質と実体を区分する認識論が必要ではなかったからであるとされる。64)
商業と農業の差異の他にも、金弼年は集団性と個人性に集約される東西差異の起源を、東西文明の車軸時期であるギリシアと春秋戦国が置かれていた地理環境的差異から分析した。金弼年は、西洋は多人種が集まって暮らすがゆえに明確な意思伝達のために論理が発達し、中国は春秋戦国の場合、問題が政治的問題であったがゆえに内面倫理が発展したとする。65)
環境決定論とは異なり、韓国的論理学を開発したと評価される朴東煥は、言語学的モデルで東西の差異、特に韓国の差異を説明したりもする。韓国の論理は、西洋および中国とは異なり、周辺が中心を決定する虚辞決定の循環的論理学であるとされる。韓国論理学は虚辞決定論の論理学であるがゆえに、新たな理論がいくらでも融合される循環的特徴を有しているとされる。66)
東西の差異により、実際の東西の文化はニスベットが述べたごとく、全体と部分の関係として類型化しうるとされる。崔鳳永は、各文明は個体と共同体を個別的な観点から見るか、全体論的観点から見るかによって分類することができ、西教は神と人間を従属関係として見る統体・従属者的世界観から、近代の個別者・合体的世界観へと、中国は統体・部分者的(部分者的)世界観、インドは統体(統體)・縁起者的(緣起者的)世界観として分類されるとする。67)
西洋の場合、レヴィ=ストロースに代表される構造主義人類学者たちは、実存主義との論争を通じて、原始部族の思惟もまた実存主義のような西欧的思惟に比して決して劣らない構造的原理を有していることを立証した。構造主義人類学において、原住民の思惟体系を「野生の思考(Savage Mind)」と呼び68)、これは陰陽のような対称的思惟(Symmetrical thinking)からなっているとされる。構造主義人類学の原理を東西に適用すれば、東西の差異が生じる根本的原因は、野生の思惟である対称的思惟が地域によって異なって適用されたことになる。構造主義人類学によれば、東洋的思惟である全体論的思惟がより対称的思惟に近く、これは西洋の分析的思惟よりも合理的な思惟でありうるとされる。とりわけ仏教は最も循環に近い対称性の思考を成しているとされる。仏教は対称性思考の極致である空(空)を有しているがゆえに、万物の対称性と一致するというのである。69)
構造主義人類学の登場以降、西欧においては内在性(Immanence)という概念を通じて、西洋の思惟を反省してみることのできる外部の思惟を求めようとした。内在性とは、特定の文化において共有される暗黙の規約であり、外部からでなければ知り得ない特性を指す。例えば、生涯水中でのみ暮らす魚の場合、水は水の外に出なければ知り難い内在性となる。後期構造主義者たちを中心として西洋が発見した西洋の内在性は、マテオ・リッチが東洋の相関的思惟である陰陽五行論を批判する際に用いた実体論(substance theory)であった。アリストテレスの実体論とは、変化に対して論理的説明が成立するためには、変化の過程に必ず属性を有する実体、すなわち原子、地水火風、神等で説明しなければならないという理論である。アリストテレスの影響を受けたマテオ・リッチの実体論によれば、究極の実体は神であるがゆえに、神のように変化を実体で説明しない陰陽五行と理気論の場合、論理的でないと主張した。70)
ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)とフーコー(Paul-Michel Foucault, 1926-1984)、デリダ(Jacques Derrida, 1930-2004)等の後期構造主義者たちが「外部の思惟(Outside Thinking)」71)、すなわち西洋の内在性を求めようとした理由は、西洋思想において独断の痕跡を発見したからである。実存を発見させもしたが、実存を追いやりもした西洋思想の交差点は、実体が有する独断にあった。デリダ等が音声中心主義(Grammatology)等と呼んで独断を批判したりもしたが、金益斗が主張したごとく、西洋の独断を招来したのはアリストテレスの悲劇理論にも現れた実体論であり、これに対する代案を西欧において見出しえなかったことにあった。72)
内在性概念を考案したドゥルーズは実体性は批判したが、東洋に対しては批判しなかった。73) ジュリアンはドゥルーズの内在性概念を通じて、東洋において「外部の思惟」を見出した。ジュリアンは対立の統一を志向するが、実体を仮定しない東洋の内在性に注目した。彼によれば、東洋の全体論的思惟は、たとえ実体概念は不足しているとしても、西洋のような独断を脱しえた。さらにジュリアンは、東洋の内在性は西洋と全く反対であったがゆえに、東洋の内在性に起因する孟子の修養論的実存概念が西洋近代思想の道徳的基盤と性格を同じくしており、西洋思想の代案的問題解決事例となりうることを示している。74)
実際、代案的近代性を中国思惟において求めてきた汪暉(汪暉、1959- 現在)は、東洋の相関的思惟が古代から変化していく過程において、現代に適用可能な代案的近代性を見出しうると主張する。汪暉は、周代の封建秩序が崩れることで、帝王と貴族を中心とする夏殷周三代の儒教的思惟が変換されたとする。汪暉は、孔子の仁(仁)思想をシャーマニズムから始まった周代の礼楽の神聖性を理性化させたものであるとする既存の解釈の誤謬を指摘し、むしろこれを回復しようとしたものであると主張する。同じ原理で、封建制から中央集権制が強い郡県制へと変わった漢唐(漢唐)時代の災異論(災異論)や、官僚制中心の宋・元・明・清時代の理気論もまた、崩れた神聖性を回復するものであったと見る。魯迅研究において既存研究の誤謬を指摘して世界的名声を得た汪暉は、中国思惟に基盤を置く代案的近代性もまた、伝統の回復と共に可能であると主張する。75) 汪暉の代案的近代性理論は、聖と俗の変化として近代性を説明するという点において、聖と俗の統摂変化として近代性を説明する西欧の代案的近代性論と符合する。
分析哲学に基盤を置く心身関係、すなわち心身関係論で儒教思想を研究する林憲圭は、性理学の基盤となった孟子の井戸に落ちた子に関する心の共感論的解釈は、心理哲学的に立証はまだなされていないが、立証されれば現代心理哲学の心身関係が解決しえない問題を総体的に解決する重要な心身関係哲学理論となりうるとする。76) これは分析哲学で相関的思惟を批判した議論に対する分析哲学的反論となりうる。77)
マテオ・リッチ以降、西欧近代性に現れた合理性の東洋的起源を求めてきた黄台淵は、実際の西欧の合理性はウェーバーの述べるカント的意味の合理性ではなく、カント以前に中国哲学を受容していた孔子・孟子の儒教的合理性であるとする。78) 今日合理性を代表する分析哲学は、儒教的合理性に比すれば、むしろ西洋の実体性に潜在する独断と見ることができるというのである。
整理してみれば、結局、東西の思惟体系の差異は多様な理由から生じたが、西洋の部分者的実体と東洋の全体論的属性という内在性の差異に要約される。西洋の実体と東洋の属性に対する東洋思想の説明は、『黄帝内経』等に現れる陰陽の属性差として解釈しうる。『黄帝内経』において、人の経絡(經絡)のうち陰の属性を有する陰経絡(陰經絡)は下から上へと上り、陽の属性を有する陽経絡(陽經絡)は上から下へと下りてくる。『黄帝内経』が説明する陰陽の差異を東洋と西洋に適用すれば、陽の属性を有する西洋の人は陰経絡のように下から上へ、すなわち自己から宇宙へと進む実体的思惟体系を有し、陰の属性を有する東洋の人は陽経絡のように上から下へ、すなわち宇宙から自己へと下りていく属性的かつ全体的思惟体系を有することとなる。地気(地氣)が陽である東洋において、人は陰陽の均衡のために陰の属性を有する陰人(陰人)となり、地気が陰である西洋において、人は陽の属性を有する陽人(陽人)となる。東学思想ではこれを西洋の各自爲心(各自爲心)とし、大巡思想においても鐘韻(鐘韻)において「天気下降(天氣下降)し地気上昇(地氣上乘)する」と表現し、陰の原理によって自己から世界を上昇的に考える西洋の近代性が、結局物質的財利(財利)に陥ったことを叱責する。
フランスを中心とするヨーロッパの構造主義哲学において始まった内在性の思惟は、新科学(New Age Science Movement)、自己組織化理論(Self-organization Theory)等の実証的研究へと発展もするが、英米圏に渡って相関的思惟とリミナリティ理論へと発展する。相関的思惟とリミナリティ理論は、構造主義の二項対立的(binary opposition)対称的思惟を東洋思想に適用し、相関的思惟という思惟の特徴と、リミナリティという思惟変化の様相として展開される。相関的思惟はフラクタル(Fractal)理論のような実証主義的方向へと発展し79)、リミナリティ理論は液体近代という脱近代性理論として注目されるようになる。
次に東西の区分基準を考察してみたい。東学思想よりも東西の区分事例が多い大巡思想の経典である『典経』において、東西区分の基準は、歴史的に東アジア文化圏において用いられた東西の区分基準と一致する。『典経』において時代的に最も早い東西区分は、マテオ・リッチが東洋と西洋を区分した地点から始まる。これは地理的に崑崙山を基準に西側を西洋、東側を東洋とした伝統的概念と一致する。西洋基準では東洋(orient)は中東を含むが、東アジア文化圏において中東は西洋に該当する。東洋と西洋を区分する基準は崑崙山となる。また、『典経』において東西の区別となる事例は、神明界の様相としても現れる。マテオ・リッチ以前に東西を堅く守って神明が互いに往来しなかったという事例や80)、東洋のすべての道通神を率いて西洋へと震默大師が渡ったという内容81)に見られるごとく、『典経』において東西の区分は神明界の区分基準にまで現れる。神明界までもが東西に区分されるということは、東西の区分基準が世界の構成において極めて核心的であるという意味となる。
大巡思想において東西の区分が神明界の区分にまで現れる理由は、陰陽という大巡思想の世界観、ならびに天尊・地尊・人尊という大巡思想の神観と関連している。万物を太極から分化した陰陽とみなす大巡思想の世界観において、東洋と西洋は陰陽の一軸を担う。大巡思想において東洋と西洋の区分が陰陽の一軸の中でもとりわけ神明界を区分する基準にまで拡張されるのは、人類の歴史時代が神明が地に奉安される地尊時代(地尊時代)であるためである。82) 人類の歴史時代が神明が地に奉安される地尊時代であるとすれば、地を区分する東洋と西洋の区分は神明の区分にまでつながる中核概念となるのである。
東洋と西洋が神明を区分する中核概念となるならば、万物に神明が内在しているとみなす大巡思想の構図において、東洋と西洋は陰陽の基準点である太極の原理が神明界にまで適用されるものとして理解しうる。この原理に従って、東洋と西洋の日常事物はすべて陰陽のように相反する形態で現れることになるのである。したがって、日常事物に普遍的原理が内在するとする東洋の学問において、東学と西学の区分は根本的区分となり、実際に東学と西学は陰陽のように相反する属性として現れる。83)
東学と西学は神明を区分する中核概念であっただけでなく、西洋文明によって東洋文明が崩壊しうる東西衝突の状況において西洋を理解する重要な概念であった。東道西器論、中体西用論、西学中源論のように、東洋と西洋を区分して理解しようとする理論は当時すでに存在していた。84) しかし、東洋と西洋を思惟方法という側面から陰と陽として区分した、近代的でありながら同時に伝統により合致する区分は、韓中日を通じて東学が初めてであった。
実際、東洋に西洋文明が百年以上にわたって伝播し、東西の思惟方法論に対する人類学的・文化学的比較が進行した今日において、当時の東学思想と大巡思想に現れた根本的な文化区分としての東西区分はきわめて適切なものとして現れている。東洋と西洋は文化や言語のみならず思考方式までもが相反する様相であるという点で、東学はすでにその名称からして伝統の連続を実現したものとみなすことができるからである。
自生的近代性の哲学的方法論としての相関的思惟
今日、東洋科学の論理は西洋とは異なる相関的思惟として位置づけられている。85) 相関的思惟とは、構造主義を東洋思想に適用して万物を連結したものとして思惟する理論であり、東洋的思惟に現れる合理性を西洋が再評価したものである。相関的思惟(相関的思惟, correlative thinking)とは、部分と全体が同時に動くという思惟方式である。部分の中に全体があり、万物が相互に相関関係にあるという考えと認識方法であり、西洋を除く大部分の文明はこのような思惟体系を有している。86) かつては迷信的思考と考えられてきた相関的思惟が、現代科学によって検証される今日においては、むしろ新しい科学としての可能性が打診されている。87) 最近では、分析的科学の理論ですら、実は相関的思惟の一種であることが明らかにされている。なかでも特に、大巡思想の第一の宗旨を構成する東洋の代表的伝統理論である陰陽理論は、分析的思惟が実は隠された相関的思惟であることを表面に顕在化させた代表的な相関的思惟体系として注目されている。
これまで西洋科学は、万物は独立して動くという個体的思惟をなしてきた。例えば男性と女性は互いに反対のものではあるが、その動きは互いに別個であるというものである。それゆえ万物は何らかの粒子(原子、分子、量子)に分割でき、事物とはそのような部分の集合であると考えてきた。西洋教育を受けて育った現代東洋人もおおむね分析的思惟をなしている。このように万物が独立しているがゆえに、分割して事物を認識する方法を分析的認識論という。これに反して、万物は相互に連結されているがゆえに分割できず、相関関係として認識する生成論的思惟方法を相関的認識論という。88)
相関的思惟理論は、東洋的思惟の代表的論理理論である陰陽五行説に対して最初に肯定的に評価したグラネから始まり、その後グレアム(Angus Charles Graham, 1919-1991)、エイムズ(Roger T. Ames, 1947-現在)、ホール(David L. Hall, 1937-2001)、シュウォルツ(Benjamin Isadore Schwartz, 1916-1999)、ニーダム(Joseph Terence Montgomery Needham, 1900-1995)などへとつながる理論である。相関的思惟理論は、肯定的側面と否定的側面の双方を有する陰陽五行説を可能な限り客観的に評価し、原始的形態の科学として評価した。89) とりわけ米国の構造主義東洋思想家A. C. グレアムは、構造主義と中国哲学を接合し、東洋思想の西洋的個体性とは異なる東洋の相関的科学性を証明した。90) グレアムらの研究があってはじめて、西洋は東洋の科学性を理解し始め、東洋は逆に西洋を通して東洋思想を学ぶことによって自らのアイデンティティを見出しつつある。
ヘンダーソン(John B. Henderson)は相関的思惟を四つに区分した。91) 第一に、人間と宇宙、すなわち小宇宙と大宇宙との関係。第二に、ニーダムが国家類比と呼んだもので、コスモスの領域である天と地上の領域である王朝または国家官僚体系との関係。第三に、五行のような数秘学的相関体系。第四に、周易の体系である。92)
相関的思惟が西洋とは異なる東洋の特徴であることが実証的に立証されているのは、今日では認知心理学の分野である。相関的思惟の観点から東洋と西洋の認知心理学的差異を最初に理論化したニスベットは、東洋人は相関的思惟ゆえに世界が西洋人よりもより複雑に現れることを示している。東洋人は個人的統制よりは集団的統制の対象である。西洋人にとって世界は相対的に単純な場所であり、きわめて個人的な統制の対象である。実に異なる二つの世界であると述べた。93) 東洋にもさまざまな階層があり国家間の差も大きいが、相関的思惟をなすという点では共通的であるといえる。
相関的思惟は東洋的世界観の共通した認識枠組みであるがゆえに、伝統の連続と変化においてその原理が相関的思惟として現れる。陰陽五行と太極に代表される東洋的思惟は、伝統の連続と変化を太極と陰陽五行にどれだけ合致するかによって説明してきた。したがって、東学思想と大巡思想に現れる伝統と連続の変化は、陰陽五行と太極の概念において検討することができる。
相関的思惟との関連で、今日東洋文化を再評価する西洋の議論が啓蒙主義期から集中している地点は、孔子(孔子, B.C.551-479)の一以貫之(一以貫之)であるといえる。孔子は自らの理論を忠恕(忠恕)という共感概念によって一以貫之した。さらに孔子は、自らの一以貫之の方法論は自らの理論ではなく、古代から伝わる述而不作(述而不作)の方法論であると述べた。実は孔子のみならず、一以貫之は東洋文化全体の特徴となる。東洋はむしろ西洋よりも一貫性に強く執着するのである。カント以前のヨーロッパにおいて、孔子の思想は共感の一以貫之として解釈され、新しい西洋道徳の基礎となった。ただし、東洋の一貫性は西洋とは異なり内面的一貫性であるがゆえに、カント以降の研究者にとって儒学は雑学の水準としか映らなかった。
共感の一以貫之という側面から孔子の思想を再解釈すれば、従来主観的理論とみなされてきた東洋思想が客観的一貫性を現すこととなる。まずすべての東洋思想の根幹をなす易(易)の基本思想である天地人から共感という側面で理解されるものがある。東洋の伝統においては天地人が互いに共感することを感応と表現してきた。東洋思想においては、天地人と人間とがいずれも一物(一物)から出たものであるがゆえに、互いに感応せざるをえない存在となる。共感もまた感応の延長線上にあるものであって、感応が共感を擬人化したものではない。
今日、東洋思想を共感として理解する西洋の研究は、大きくジュリアンの内在性理論、進化人類学が代表的であるといえる。両研究はそれぞれ今日の西洋の合理論の伝統と経験論の伝統を代表する研究であり、研究の最先端で異質な学問同士が相互に出会った事例といえる。まず合理論の伝統を継承したジュリアンの研究は、ドゥルーズとフーコーの研究を継承している。ジュリアンは、西洋が東洋とは異なる内在性、すなわち外部から西洋を眺めるときに有する固有の特性を研究する過程において、孟子と啓蒙哲学者たちの共通点を発見する。94) 啓蒙哲学者ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)が当代の人々の注目を集めたのは、西洋哲学では発見しがたい東洋の内在性、すなわち共感を導入したためである。共感は東洋の内在性、すなわち西洋と区別される東洋のもっとも代表的特徴である。
ジュリアンが西洋の内在性として指摘したのは、変化を説明する過程で用いた実体概念である。アリストテレスはプラトン(Plato, B.C 424-348)とは異なり、三段論法(三段論法, syllogism)を完成させつつ、変化は必ず実体が有する属性によって説明されねばならないということを公式化した。例えばAがBに変化する場合、東洋やアリストテレス以前の西洋においては共感のような感応によって変化することができた。しかしアリストテレス以降、AからBへの変化は必ずAの内に内在するBの実体がなければならなかった。このような伝統の中で、感応が変化の要素となるという東洋の内在性は結局共感へとつながり、この共感こそが啓蒙主義思想の礎石となった。啓蒙主義は西洋にとっては異質な思想であり、西洋は啓蒙主義の異質性を、神に代わる道徳の基礎としてうまく発展させ、近代文明を成しえた。
マテオ・リッチが伝えた孔子思想の核心を「共感」として解釈したもう一つの理論は、英国の経験論であった。経験論は自体的な実用性ゆえにアリストテレスの内在性概念に縛られなかったがゆえに、はじめから東洋の思想を「共感」として自然に受け入れた。カント以降、東洋思想との交流が大陸では停滞したが、英国の経験論は進化論と進化人類学へと継続的に発展していく。進化論と進化人類学は最近、脳科学のミラーニューロン理論の発見を受け入れつつ、共感理論をさらに拡大している。実際、英国経験論の影響を受けた米国のプラグマティズム(pragmatism, 実用主義)は、特にデューイ(John Dewey, 1859-1952)を通じて中国に大きな影響を与えもしたが、これは孔子の思想ときわめて類似しているためであるという。95)
西洋が東洋思想を共感として解釈したのは、実は今日が初めてではない。西洋はカント以前にもマテオ・リッチの翻訳物に接して以来、一貫して東洋を共感として解釈してきた。啓蒙主義と英国経験論は中国の影響から始まったといえる。西洋の近代性がマテオ・リッチの伝えた儒教の合理性に基づく近代性であったとするならば、リミナリティを通して西学を専有した東学思想は自生的近代性であるといえる。
これに関連して、東洋の相関的思惟をポストモダンである脱近代と連関させた研究が続いた。金炯孝は甑山思想までを連繋させて早くからポストモダンと東洋思想を連結し、96) 後代の多くの西洋学者たちもこれに同調してきた。朴正鎮は金炯孝の研究を宗教学的観点から多くの実質的研究成果を挙げた。97) 朴容淑は文明史的観点から古代シャーマニズムの東西会通を研究し、98) 金正民は実証資料を模索してきた。99) これは大巡思想研究においても行われた。韓哲学の主唱者金相日もまた過程哲学などをもって大巡思想の意義を明らかにし、100) 金大鉉は大巡思想をヘーゲル、ハイデガー、デリダ、ドゥルーズと比較しもした。101)
リミナリティと再活性化
自生的近代性の聖(聖)・俗(俗)変化機制としてのリミナリティ
東学思想と大巡思想が主眼を置いた相関的思惟と近代性を連結する西洋の代表的人文・社会科学的理論には、リミナリティ(Liminality)理論がある。リミナリティは、ファン・ヘネップが人類学において「通過儀礼」に共通して現れる属性を表現するために初めて創案した用語である。102) ラテン語の「リメン」(Limen)は境界領域である敷居(Threshold)を指す語であり、リミナリティは「リメン」から派生した用語である。リミナリティは「境界性(境界性)」「易置性(易置性)」などと翻訳されることもあるが、その意味を十分に伝達できないため、一般的にはそのまま「リミナリティ」と訳される。
ファン・ヘネップは世界の宗教儀礼の共通的属性として「通過」(通過, passage, Transition)という概念を発見した。103) ヘネップは、世界の通過儀礼(通過儀礼, rite of passage)は共通して分離儀礼(分離儀礼, rite of separation)、転移ないし過渡儀礼(転移、過渡, rite of transition)、統合儀礼(統合儀礼, rite of incorporation)という三種の儀礼から構成されているとする。104) ファン・ヘネップは通過儀礼の第一段階から第二段階、すなわち分離から転移へと移動する境界領域をリミナリティとして表現した。105)
ファン・ヘネップは、通過儀礼は境界領域を中心に再び境界前儀礼(pre-liminal rites)、過渡儀礼(liminal rites)、境界後儀礼(post-liminal rites)に区分されるとする。リミナリティは価値から一時的に離脱することによって曖昧で不確定的かつ多義的な属性を有する。106) このような理由から、リミナリティはしばしば死や子宮、暗闇、男女両性性、荒廃、日食や月食などになぞらえられる。リミナリティの様相がこのような二重性と曖昧性を有する理由は、通過儀礼の趣旨が単に既存の社会秩序の維持のための儀礼的な社会の要式行為ではなく、実際には予期せざる新たな創発性を図るためである。通過儀礼以前と以後の変化は、通過儀礼に参加する者や周囲で助ける者にも予想しえないがゆえに意義がある。ただし、通過儀礼以後の変化は通過儀礼以前の状態を包含しつつも超える包越の状態となる。
リミナリティ理論の長所は、変化の形式と内容を細部に至るまで公式化し、儀礼における変化過程の象徴が変化において果たす役割と意味を的確に明らかにする点にある。これによりリミナリティ理論は、今日宗教の意味を理解することを困難に感じる現代人に対し、宗教と疎通しうる迅速な方法を提示する。107)
ポストモダン論争以降、もっとも注目される近代性概念の一つであるジグムント・バウマン108)の「液体近代(Liquid Modernity, 液体近代)」とシュムエル・アイゼンシュタット(Shmuel Noah Eisenstadt, 1923-2010)109)の「多重近代性(Multiple Modernities, 多重近代性)」の両理論は、いずれもリミナリティ概念と関連する。110) リミナリティが近代性理論として注目される理由は、既存の近代性理念を代表するヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)の弁証法が提示しえない現代社会の問題点を分析してくれるためである。生涯を近代性概念に穿鑿してきたバウマンは、晩年に「液体近代」という概念によって世界的な注目を集めた。液体性(Liquidity)とは近代性の特徴とされる「両価性(両価性, ambiguity)」を指す語であり、これはリミナリティという肯定的意味を内包する。また、聖と俗の概念を再定義した統摂概念によって近代性を記述した多重近代性は、聖と俗の境界転換にあるリミナリティ概念を表すものである。
リミナリティは正反合からなる弁証法と同様、対極の合一という属性を有するが、弁証法が楽天的に解釈した対極の合一に内在する両価性の問題点を指摘し、この両価性が今日きわめて深刻な現代性の意気消沈と不確定性を、永続的リミナリティ、すなわち液体近代(Liquid Modernity)などとして解釈する。リミナリティ概念は、既存の価値を転覆させた近代性が、子どもを洗った水を捨てようとして子どもまでも捨てた結果を招いたことを提示し、脱近代の混乱を卓越して分析しえた理論として認められている。111)
リミナリティ理論が弁証法に対する代案理論として近代性を解釈する理論にまで発展するには三つの段階を経た。第一は、ファン・ヘネップのリミナリティ理論が、当時から今日まで社会学の主流理論となっているデュルケーム(David-Emile Durkheim, 1858-1917)によって批判され、通過儀礼(Ritual Process)理論としてのみ残る段階である。ファン・ヘネップが儀礼の共通的属性として発見した「通過」概念は、当時の人類学において長らく追究されてきた概念であった。人類学の共通原理として、森の司祭継承に現れる「黄金の枝(The Golden Bough)」を発見したフレイザー(Sir James George Frazer, 1854-1941)以降、人類学は人類が社会を構成するに至った共通原理を求めてきた。フレイザーを継承し、ヨーロッパ・インド語族に共通する三機能体系を発見したデュメジル(Georges Dumezil, 1898-1986)と同時代を生きたファン・ヘネップは、儀礼に共通する通過と通過の核心であるリミナリティ概念を発見し、その後エリアーデなど宗教学にも大きな影響を及ぼした。
ファン・ヘネップが儀礼の共通的属性として発見した「通過」概念は、人類学を超えて社会を構成する核心原理までも説明しうる、波及力のある理論であった。112) しかし、これは当時社会学の主流をなしていた「機能」と「維持」という社会学理論とは相反する概念であった。今日社会学主義、すなわち宗教現象は社会現象の反映であるという理論を初めて主張して主流理論を形成したデュルケームは、構造よりも行為を強調するファン・ヘネップのリミナリティ理論を批判し、当初普遍的概念として出発したリミナリティ概念を通過儀礼理論の領域にのみ縮小させた。ファン・ヘネップが発見したリミナリティ概念は、コントなどによって社会学が初めて発生した背景であるフランス大革命とも合致し、当時カントに匹敵する大きな影響を及ぼしたパスカルの「考える葦」などに現れるリミナリティ概念とも合致する理論であった。しかしながら、その後リミナリティは宗教社会学においてはほぼ忘れられた概念となった。
第二段階は、死蔵されていたリミナリティ概念がヴィクター・ターナーの偶然の発見によって復活する段階である。当時ンデンブ(Ndembu)族の通過儀礼を研究していたヴィクター・ターナーは、既存の構造機能主義人類学理論では説明しえないンデンブ族の通過儀礼を説明するために自らの概念を設定しようと努める過程で、ファン・ヘネップのリミナリティ理論を発見し、構造概念を導入して、ファン・ヘネップも説明しえなかったリミナリティ概念の隠された意味を発見し出す。113) ヴィクター・ターナーは、分離・転移・統合という通過儀礼のうち転移段階に注目し、この時に現れるリミナリティ現象が通過儀礼のみならず巨視的な社会全般の変化を説明しうる、弁証法と同様の概念であることを発見する。114) リミナリティの社会劇的性格を発見した後、ターナーはシェクナー(Richard Schechner, 1934-現在)らと共に儀礼の共通的属性を公演学として規定し、民族公演学(ethno-performance studies)として研究を展開する。第三段階は、ターナー死後にその妻エディス・ターナー(Edith Turner, 1921-2016)が多様な日常分析にまで拡張したリミナリティ概念を、ジグムント・バウマンとシュムエル・アイゼンシュタットが近代性概念分析に実際に導入し、その後広く人文・社会分野に普及し、金益斗115)、李英蘭116)らによって個別民族文化の脱近代理論にまで拡張される段階である。
早くから弁証法は、相関的思惟理論である陰陽理論との共通点と相違点が東西の差異であるという観点から比較されてきた。117) リミナリティ理論は陰陽理論と弁証法とを仲介する概念のように、東西の近代性に現れる共通点を解釈してくれた。リミナリティ理論は当初、通過儀礼という儀礼と祭儀の理論から出発した文化人類学の概念であったが、決定的にターナーによって社会文化変動の全般にわたって適用される普遍的な概念へと拡張される。
ヴィクター・ターナーのリミナリティ理論は大きくリミナリティとコムニタスに分類される。リミナリティとコムニタスは社会劇儀礼理論である。このうち社会劇概念は、ファン・ヘネップの通過儀礼理論を社会変動の演劇理論として再解釈したものである。ファン・ヘネップによれば、人間は生存の危機に処する場合、または見知らぬ領域を通過したり身分の変化を経たりするときに通過儀礼を経験することとなる。通過儀礼は「分離→転移→統合」の過程を含む。象徴比較文化人類学者ターナーは、ファン・ヘネップの通過儀礼概念を儀礼のみならず社会普遍的な原理と構造とみなした。ヴィクター・ターナーはファン・ヘネップの通過儀礼概念を社会・文化・宗教の諸領域へと拡張し、これを社会を背景とする演劇のごときものとして「社会劇(Social Drama)」と呼んだ。118)
コムニタスは人間の相互関係性に関する用語であり、ヴィクター・ターナーは二つの類型の人間関係性を提示した。並列的な相互関係と二者択一的な相互関係がそれである。リミナリティとコムニタスはほぼ同時に現れ、強調する部分の差によって異なって命名されるものとみなされる。前者は既存社会の構造的状態、すなわち政治・法律・経済的な地位の構造化され分化された社会様式を指し、後者は儀礼の転換期において組織が完全ではない、相対的に未分化な社会様式を意味する。後者がまさに反構造(anti-structure)に該当する。このような意味において、コムニタスとは構造の次元を超えた「反構造」または構造を破棄した「無構造」状態の脱構造共同体であるといえる。
ヴィクター・ターナーの社会劇はエリアーデにおいて神話と同様の機能を果たすものへと拡張される。ただしエリアーデにとって神話が唯一の聖なる時代と関係を結んでいる物語であるのに対し、ターナーは神話が意識の境界線にまたがる経験を広く提供してくれることによって、現在の心理的・社会的目的に寄与すると主張した。これは神話学において祭儀学派の主張を受容したのと同様である。祭儀学派は祭儀そのものを正当化するために神話と祭儀を連結させたが、ターナーは神話と祭儀とが等しく苦痛に満ちた人生の転換過程をより容易に通過しうるよう助ける心理的機能を遂行する点に焦点を当てて、祭儀と神話を連結する。ヴィクター・ターナーの社会劇理論が危機状況解釈において注目されるのは、危機を克服する方法をもっとも包括的でありながらも詳細に知らせる点にある。コムニタスは今日、儀礼のみならず社会、政治、宗教、文化、芸術などの領域に応用されている。
ヴィクター・ターナーはアフリカのンデンブ(Ndembu)族を研究しつつ、特異な事実を発見する。119) その部族の構成員は勇猛かつ強靭で責任感があった。村で伝統的に挙行される13歳の男児たちの成人式行事を通じて知り得たのは、適当な時期に成人男性たちが宿舎にひそかに入り、男児たちを風呂敷に包んで拉致するということである。その後、成人男性たちはまったく見知らぬ場所に男児たちを置いて姿を消す。この子どもたちが投げ出された場所こそが境界性(リミナリティ)である。一度も経験したことのない危機の中に置かれた子どもたちは、周辺をまったく知らぬ山中に自分たちが投げ出されたことを悟る。最初は互いに泣き叫び大騒ぎになるが、彼らが泣いたところで親が来るわけではない。部族の長老たちは月に一度訪れて安否を尋ね、助言を与える。そのような環境の中で、子どもたちは生存する術を学ぶ。子どもたちは「我々がここで生き延びるためには互いに団結せねばならぬ」というきわめて強い協同心、同志意識、結束力を学び、強烈な社会的連帯感と所属感を持つようになる。そのような過程を経た後に村に戻って成人式を行う。このように子どもたちが成人式を行う前に、自ら共同体の一員として共に生存しつつ学ぶ共同体をコムニタスと呼ぶ。
ヴィクター・ターナーは、社会的ドラマが「全世界的に起こる普遍的な社会文化現象」の変化を説明する理論であるとする。ヴィクター・ターナーによれば、すべての社会劇と葛藤は「構造(structure)→反構造(anti-structure)→構造(structure)」の弁証法を経るが、具体的には違反―危機―矯正/治癒―再統合/分裂の段階を経るという。ファン・ヘネップが人生の危機において執り行われる祭儀、例えば成人式・結婚式・葬礼・出産や妊娠などに関心を集中したのに比して、ヴィクター・ターナーは大部分の祭儀や出来事が通過という過程ないし形式を有しているという事実に注目した。ヴィクター・ターナーは要するに三段階のうち第二段階である転移、すなわちこの段階でもあの段階でもない境界線の狭間に置かれた敷居や閾という時空間に関心を持つようになり、この第二段階である転移、すなわち反構造が危機解決の鍵であると考え、リメン・リミナリティ・リミノイド(liminoid)・コムニタス・反構造・文化的仮定法(subjunctive mode of culture)などの用語を活用して、儀礼の象徴的体系に対する研究を本格化する。
反構造を成すコムニタスとリミナリティは密接に関連しつつも区別される。リミナリティは人間や集団の存在様相・状況・条件に関するものである。それに比してコムニタスは、リミナリティにおいて現れた人間の相互関係様式に関するものである。
リミナリティは、既存の社会・文化的体系や秩序ないし象徴的体系から離脱して既存の地位を喪失し、新たなシステムへと再統合するために経過する、あらゆる可能性と潜在的力に満ちた中間的状態と過程である。コムニタスは本質的に具体的で個性的な性質の個人同士の関係である。このような個人は役割や身分によって隔てられているのではなく、個人同士の自由な関係を形成する。
反構造の特徴は以下の通りである。第一に、匿名性である。コムニタスの中で人間は一般的に匿名の存在となる。儀礼の参加者たちは同一の服装を着用したまま、無所有者として表象される。彼らが既存社会において有していた地位・財産・職業・序列・身分・特権など世俗的な識別意識はすべて消えるか同質化される。第二に、平等性である。既存の社会的地位や身分などがすべて無化された状態において、修練者の間には強い同僚意識と平等意識が伸長され、積極的に平等主義を受容する。120) 第三に、弱者の逆説的な力である。反構造的な状況においては社会的役割と権威が逆転され、弱者が権威を掌握し強者が権威を奪われる現象が現れる。下位にある者が高い地位へと上昇するか、低い身分や地位にある者が永久的または一時的に聖なる属性を有することとなる。これは社会がその存在様式を枠づけることに目的がある。
ヴィクター・ターナーが死去した後、その妻エディス・ターナーはコムニタスの適用範囲をさらに拡張したが、ほぼすべての人生の領域において出現すると説明した。彼女は通過儀礼・祭・音楽・スポーツにおいて発見されるコムニタスのみならず、労働(労働)・解放・抵抗・災難のコムニタスなど新たな範疇をも提示した。121)
とりわけエディス・ターナーは、災難状況においてコムニタスの対処が重要であるという。これは違反―危機―矯正/治癒―再統合/分裂の社会劇四段階における矯正/治癒段階である。122) 今日、社会劇において矯正/治癒にもっとも大きな影響を及ぼすのは、SNSを含む各種の社会の言論である。しかし、コロナ19のように社会の言論のみでは葛藤を解決しえないときに浮上するのは、宗教的対処である。
このような点において、先行研究は大巡思想の修行論的伝統を十分に浮き彫りにしていない点がある。これらを統合するリミナリティの属性は、演劇治療においてと同様、修行論的脱近代を修行論的に総合する側面が強い。しかしながら、リミナリティは修行論的な固有の特性を生かしつつも社会文化的な要素を含むときに説明しうる良い枠組みとなる。123) 東西において近代性は災難状況のような危機の瞬間に到来した。西洋の場合、近代性はモンゴルの侵入とペストの流行という中世の危機と、その反省の上で中国およびインドと交流を試みる過程において発生する。東学思想もまた、帝国主義のアジア支配における人種清掃の危機の中で、危機克服の通過儀礼として発生する。
一方、変化の可能性は多分に内包しつつもきわめて不安定な状態を意味する「液体近代」という用語は、近代性危機の言説において「リミナリティ(Liminality)」が弁証法に代わって脚光を浴びている理由を的確に説明してくれる。「液体近代」理論において近代性は永続的リミナリティに起因する極端な流動的変化状態として解釈される。封建的価値を克服して誕生した近代は代案的価値を定立しえず、液体のように永続的リミナリティの状態にあるというのが「液体近代」概念である。124) リミナリティ概念は、ロマンチック・ラブ125)のように日常的でありながらも近代の代表的神話概念や、光州民主化運動126)など近代の難解な事例に対して明快な解釈を提示する有用な理論である。それにもかかわらず、聖と俗の再配置を通じて近代性を成すリミナリティは、永続的リミナリティに陥った近代人の問題を提示しもする。今日の近代人は一度も近代人であったことがなかったがゆえに127)、近代は常に未完の改革としてのみ残ることとなったからである。
この問題に関連して、近代性の核心概念であるリミナリティを128)、相関的思惟に現れる自生的近代性へと拡張した研究者が金芝河、金益斗、李英蘭である。東学思想において西洋の弁証法とは異なる東洋の生成的思惟方法を発見し、生命思想を主張した金芝河は、東学思想において自生的近代性を発見し、律呂思想と白い陰の美学によって大巡思想にまで研究を拡張した。金益斗は金芝河の白い陰の美学に人類学のリミナリティ概念を適用し、自生的近代性がリミナリティ概念へとつながることを明らかにした。李英蘭は、脱近代と連結されるリミナリティ概念が弁証法と対比される核心的差異は、個体発生が系統発生を反復する点にあるとみる。例えば天地人三才において天、地、人をそれぞれ1、2、3とすれば、天(1)から地(2)への変化、すなわちリミナリティは、地(2)において地(1, 2, 1+2)の創発的属性が現れリミナリティ様相が現れるという。同様に天(1)から人(3)への変化は、人(3)において人(1, 2, 3, 1+2, 1+2+3)の属性が現れねばならず、三才を成すためには再びより大きな1とならねばならぬという。李英蘭は、このようにリミナリティ様相において個体発生が系統発生を反復する理由は、「身体」には変化が累積される身の原理があるためであるという。李英蘭は、身体を通してリミナリティ様相は同時に作用し、したがって現在にも作用される現象そのものであるという。129)
ターナーもまた、リミナリティを新たな第三要素の出現として定義したことがある。ターナーは、自らが再発見したリミナリティとファン・ヘネップが当初述べたリミナリティとの差異を、リミナリティの不確定性に見出す。既存のリミナリティが主に社会の再統合のための要式行為と同様の性格のリミナリティを通過儀礼としていたとすれば、実際にリミナリティ様相が社会において機能する理由はリミナリティの不確定性のためであったという。130)
またターナーは、この不確定性こそが第三要素の出現であり、この第三要素は既存の要素と新たな要素の矛盾をすべて統合した加一倍の性格を有するという。あたかも科学革命においてもパラダイムが転換するには、新たなパラダイムが既存のパラダイムが説明したものをすべて説明し、新たな現象を説明しなければ、新たなパラダイムによって既存のパラダイムを代替しえないのと同様である。131)
東洋では早くからリミナリティを加一倍法(加一倍法)と「化(化)」という用語によって説明してきた。加一倍法とは、邵康節が易において一つの次元から次の次元へと変化する際に1を加えるという意味である。ここで加一倍とは2の倍数を意味する。例えば陰陽で説明がつかなければ、陰陽に加一倍、すなわち2を乗じて四象として説明すれば説明がつくというのである。実際、東洋の陰陽五行は陰陽(2, 2¹)―四象(4=2²)―八卦(8=2³)の構造となっている。ここで2、4、8は2の倍数で動くが、2の指数では1、2、3で加一倍である。これを卦で表現すれば、一、二、三、𝌆と加一倍となる。
このとき1を加えるという加一倍は、既存の基盤の上に一数を加えるという意味となり、李英蘭が述べたリミナリティの内容的特徴と合致する。これは東洋の六爻(六爻)や西洋のエニアグラム(eniagram)、タロット(Tarot)、カバラ(Kabbalah)などの数字変化においても同様に適用される。周易の六卦である六爻において次の爻は前の爻の要素を有している。エニアグラム、タロットなどにおいても後ろの数は前の数の特徴を有している。接化の性格が強い韓国において宗教受容に自由なのも、このような説明が可能である。すなわち韓国は宗教を受容する際に改宗をするのではなく、可宗(可宗)をするためであるという。黄弼鎬は可宗が韓国宗教文化の特徴であるとする。132) 例えば仏教が入ってきた際にも既存のシャーマニズムに仏教という要素を追加したにすぎず、その後の儒教やキリスト教も同様である。これを東洋では伝統的に、包含しつつ超越するという包越、接化または化(化)と表現してきた。接化の性格が強い韓国文化は、同じ東洋文化であっても同化の性格が強い中国や凝縮の性格が強い日本に比して、天上の天すなわち超越天と近い性格が強い。133) 東洋三国のうち韓国のみが超越天宗教であるキリスト教と天主教が得勢したという。接化は精神と身体の二つを共に包括する概念である。同様に通過儀礼においても精神と物質の双方が通過儀礼に打ち克たねばならない。身体と同様に精神が変化するときには加一倍法の原理によって変化するがゆえに、これを伝統的には化学的変化を意味する「化(化)」を用いて表現した。「化(化)」は『正易』において造物主を「化无翁(化无翁)」と表現するように、超越天が事物を運用する原理を表したものである。
東学思想と大巡思想に現れる相関的思惟のリミナリティは、金芝河、金益斗、李英蘭らによってより詳細に説明される。投獄生活において実際に東学思想がもたらす生命のリミナリティを経験した金芝河は、出獄後、東学思想と大巡思想に現れる自生的モダニティとポストモダニティに関する膨大な分量の著述を残した。金芝河は、東学思想から大巡思想への展開を生命、律呂、白い陰という三段階によって説明した。東学思想と大巡思想の差異に関連して、金芝河は、甑山思想が東学思想よりも日常をより強調したと主張する。134) 金芝河は、東学において「生命」を発見し、物質中心の唯物論的西洋近代性に対する自生的近代性を見出した。しかし、「生命」と「陰陽」、「侍天主」を発見した東学は、「生命」と「陰陽」、「侍天主」を日常において持続可能にしうる根を見出しえず、「欲速不達」という儒教の典憲を超ええなかったがゆえに、自生的脱近代である大巡思想が現れたと説明している。
金芝河理論の三段階発展に対して、変化の中心は白い陰のリミナリティ概念にあることを明らかにした人物は金益斗である。金芝河は自らが考案した白い陰概念と類似する西欧理論の概念を見出しえず、周囲の研究者たちを当惑させていたが、この問題を解決したのが金益斗であった。金益斗は、白い陰の二重的属性はリミナリティ様相に現れる二重的属性と一致し、金芝河理論の三段階発展はリミナリティ様相の有する三段階発展に対応することを示した。金益斗は白い陰の有するリミナリティ属性の共通点のみならず相違点までも提示し、金芝河の説明する東学思想と大巡思想の固有性をも導き出す。専門的な戯曲研究者として金益斗は、東西の神話を戯曲として分析し、東西神話の様相における決定的差異がアリストテレスの葛藤理論にあることを見出す。そしてこのアリストテレスの葛藤理論がリミナリティ理論にまでつながり、リミナリティの東西の差は、金芝河が発見した自生的ポストモダニティと西洋のポストモダニティの差にまで連結されると説明する。したがって金益斗は、金芝河が発見した東学思想と大巡思想に現れる自生的モダニティとポストモダニティが、西洋のポストモダンがそれほどに探し求めていた代案的近代性であることを明らかにする。135)
金益斗の研究は、リミナリティをポストモダンの共通した属性として明らかにした李英蘭の研究によって、より西欧理論と精密に結合され、自生的モダニティと自生的ポストモダニティ理論にまで発展する。李英蘭はリミナリティ理論をポストモダンに現れる共通的現象として分析する。脱近代理論家たちが近代を批判した諸概念の共通点にリミナリティ様相があることを李英蘭は発見したのである。これによりリミナリティは、現代の東西思想を総括するキーワードとみなされている。李英蘭はメルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の身体の現象学、デリダの脱構築主義、ホワイトヘッドの過程哲学、ドゥルーズの生成哲学、金相日の韓思想、韓国仙道思想を公演学的観点から<表2>のようにリミナリティ理論として統合、提示している。136)
公演学的観点からリミナリティと脱近代を要約した上表は、相関的思惟のリミナリティを自生的近代性として表現する主要な観点を提供する。魂と魄、身体と精神の結合が天観・地観・人間観において人間に与えられた核心課題であるとするとき、身体と精神を結合する公演学は主要な方法論を提示しうる。実際、現象学に身体を導入したメルロ=ポンティは現象学の発展に独創的な寄与をなした哲学者として評価されており、脱近代の核心主題もまた「身体」の導入であるという。あわせて李英蘭は、脱近代としてのリミナリティの特徴は系統発生を反復する個体発生として規定し、弁証法との差異を明示する。李英蘭は、リミナリティ過程において起こる反構造、分離などの段階が、系統発生を反復せねばならぬ個体発生の過程として理解されうるとする。すなわちリミナリティの二項対立統合過程は、系統発生を反復せねばならぬ個体の通過過程となる。実際、ターナーもまた転移段階における無化過程をプレリミナルな段階とポストリミナルな段階の統合として説明している。
<表2>. 公演学的観点のリミナリティと脱近代要約
<表2>. 公演学的観点のリミナリティと脱近代要約
| 現象学 | 脱構築主義 | 過程哲学 | 生成哲学 |
| メルロ=ポンティ | ジャック・デリダ | アルフレッド・ホワイトヘッド | ドゥルーズ/ |
| 個人的意識と | 「あいだ」における | 存在は存在によって構成されず、生成によって構成 | 存在と存在の |
| 生きている俳優の身体を通して現れる世界の顕示 | 「我」と「役」との「あいだ」「間隙」において起こる予測不可能性 | 「我」と「役」が自ら共に変化していく過程的行為そのもの | 「我」と「役」とは |
このように李英蘭はリミナリティ概念を脱近代にまで適用したという点において、金益斗の研究をさらに拡張しうる契機を設けた。李英蘭は東洋の相関的思惟と西洋の脱近代概念に現れる類似性をリミナリティとして総合する。これによって李英蘭の研究によって、東学思想と大巡思想の自生的近代性が脱近代と連結される代案的近代性となりうるという理論的基盤を設けた。金益斗と李英蘭は共通して、ターナーとシェクナーの公演学において天地人に対応する身体と精神とが結合する東洋公演学のリミナリティを見出した。これによりリミナリティは、両思想の近代性を理解する主要な哲学的思惟方法となりうる。このようにみるとき、相関的思惟のリミナリティとしての自生的近代性とは、実体中心の西洋的天観・地観・人間観と属性中心の東洋的天観・地観・人間観との系統発生的融合、すなわち伝統の連続と変化となり、自生的脱近代は自生的近代性を包含することとなる。
東学思想と大巡思想に代表される新宗教をリミナリティによって最初に解釈した研究としては尹勝勇の研究がある。137) 尹勝勇はリミナリティと新宗教に対する分析において、類例のなかった韓国新宗教の成功をリミナリティとコムニタスによって解釈し出している。しかし当時の韓国にはポストモダンが紹介されていなかったため、尹勝勇はリミナリティを自生的近代性にまでは連結しなかった。尹勝勇の先行研究を金芝河研究に拡張・適用し、さらに韓国宗教精神史を統合した鄭鎮弘の研究と結合するならば、138) 東学思想と大巡思想は自生的な近代性として理解しうるようになる。
近代性が急激な変化の只中にあった点において、近代性は通過儀礼と同様にリミナリティの属性を有することとなり、平等と自由という反構造的近代思想が出現することを助ける。例えば結婚式のような通過儀礼を控えた男女は、未婚でも既婚でもない境界性を現し、通過儀礼の前には通過儀礼と相反する逸脱と反構造を部分的に許容することとなる。近代という大変革を控えた社会もまた、前近代的属性を離れる前にフランス大革命のような平等と自由の時期を通過する。東洋では洪秀全の太平天国の乱や東学の農民革命運動があった。
西洋と東洋がいずれも天観・地観・人間観を通じてリミナリティを構築し近代性を実現するが、自己から宇宙へと拡張していく合理性を有する西洋と、宇宙から自己へと合理性を拡張していく東洋とでは、近代性のリミナリティ形態が異なっていた。139) この差異を誤解して、西洋では東洋に近代性がないとし、東洋を植民地として収奪した。幸い日露戦争において日本が奇跡的にロシアを破ることにより、東洋は日本中心ではあるものの再起に成功する。植民地経営に限界を迎えた西洋は内部的に闘争方向を転換させ、互いに共倒れとなり、東洋は独立という活路を見出す。
リミナリティは相反する要素の調和を強調する東洋の相関的思惟と類似性を有する。実際、ポストモダン以降、東洋の儒仏仙もまた脱近代的思惟の原型として再評価されつつ、儒仏仙が基盤とする陰陽五行の相関的思惟が有する近代性が再評価されてきた。東アジア三国のうち、自生的三界観によって近代性を構築した事例は、特に韓国の東学思想と大巡思想である。五・四運動と明治維新によって伝統的三界観を排斥した中国・日本とは異なり、東学思想と大巡思想は自生的三界観と関係する開闢を共通して強調している。韓国の近代性は実に自生的三界観の変化である「開闢」から近代性を開始する。140)
このような視角からみるとき、理想的状況においては分析的思惟よりも相関的思惟においてより多様な平等と自由が実現されたが、怨みが累積された歪曲された状況においては、むしろ相関的思惟の否定的側面が発生し、かえって分析的思惟よりも自由と平等が抑圧されえた。相関的思惟の否定的側面は「完璧な図式の誤謬」と表現される。伝統的な天観・地観・人間観に内在する相関的思惟は、一つの宇宙の中で事実と価値が葛藤しない安定と持続性を確保した。しかしその代わり、新たな経験を無慈悲に呑み込み、秩序整然と分類してしまう完璧な図式ゆえに、冒険と挑戦を忘却せねばならぬ高価な代償を払わざるをえなかった。141) とりわけ外部環境の急激な変化に直面した東洋においては、怨みによって歪曲された三界を開闢する新たな自生的思想が切実に要請された。
自生的近代性の聖(聖)・俗(俗)持続機制としての再活性化
近代性としてのリミナリティは、帝国と植民地によって伝統に対する態度の差異が鮮明に現れる。142) 伝統に対する反作用によってアイデンティティを規定した西欧近代性の場合、リミナリティは伝統に対する否定的立場が強調されたとすれば、植民地の経験を有する非西欧国家の近代性は、西欧に対する反作用として伝統に肯定的立場が強調されるリミナリティ様相が多かった。非西欧近代性において伝統に肯定的立場が強調されるリミナリティ形態は、再活性化運動として言及されてきた。再活性化理論はターナーのリミナリティ理論が出現する以前に出された理論であるがゆえに、リミナリティ理論に比べて拡張可能性は制限されるが、リミナリティ理論のうち伝統の連続と変化の部分についてはより明確な説明を提示する。
ウォレスによれば、社会の信念体系が変わるのは、一つの社会の成員が有する精神的イメージ(mental image)であるメイズウェイ(Mazeway, 認識地図、原意は迷路)を通じてである。143) ウォレスによれば、一つの社会の構成員はすべて社会有機体の一部として、自らの身体と身体が行う行為の規則性についてのみならず、自らが属する社会と文化について精神的イメージを持つこととなり、まさにこのイメージが「メイズウェイ」に該当するという。144) ウォレスは人間社会を巨大な有機体としてみており、メイズウェイは各社会構成員がこのような社会的有機体に適応していく方式である。迷路という概念は、社会的環境の内に生きていく物理的客体に対する認識のみならず、与えられたストレスを最小化するために個人が調整する方式や、社会構成員と共にこの迷路を調整・再構成する方式についての認識を含む。145)
社会のアイデンティティ危機が訪れると、個人にはこのメイズウェイに危機が訪れることとなり、これは物質的な危機のみならず社会を構成するイデオロギーの危機にまで連結されるがゆえに、社会構成員にとっては物質的危機よりも大きな脅威として迫ってくる。これにより社会は多様な宗教的再活性化運動として反応することとなり、一部の宗教運動は政治運動にまで拡張される。帝国主義が膨張した19~20世紀、数多くの植民地国家の指導者たちにとって最も脅威的であったのは、物質的危機よりもアイデンティティ危機であった。数千年にわたり続いてきた伝統は西欧文明によって迷信としてタブー視され、尊敬されていた指導者たちは迷信を助長する詐欺師として転落し、もはや伝統社会の信念体系は社会秩序を維持しえず、個人の社会的地位もまた取り返しのつかぬ形で失墜した。
一般大衆にとっても伝統の崩壊は強い精神的ストレスとして作用した。新たな西洋の信念体系もまた崩壊した伝統信念体系と同じく、長い伝統に由来する、いつでも崩壊しうる信念体系であるにもかかわらず、自らの信念体系のみが否定される状況において、一般大衆と指導者たちが選択しうる方法は、既存の伝統を新たに解釈する伝統の専有、すなわち再活性化であった。再活性化は時間、空間、人間すべてに適用された。時間の場合は新たな時代が到来するであろうという千年王国運動(Millenarianism)として現れ、空間の場合は新たなユートピアが到来するであろうという地上天国運動となりもする。人間的には宗教学説が混合される混淆主義が現れもし、政治的に無抵抗主義が現れもする。19~20世紀の宗教運動の大部分は再活性化の類型に分類されえ、東学の場合はこのすべての類型が総合されている。
再活性化理論は、1952年にインディアン部族の一つであるセネカ(Seneca)族の予言者ハンサム・レイク(Handsome Lake, 1735-1815)が広め、19世紀初頭イロコイ族(Iroquois)に現れたロングハウス運動(Long House movement)に対する探究を基盤に、宗教団体の誕生と発展を評価しようとする理論として出発した。中国を中心とする長い宗法的秩序を世界の全体とのみ知っていた朝鮮に、日本と西欧の資本主義的物質文化がアイデンティティ危機を引き起こしたのと同様、長い歳月にわたり文化的自負心を持って生きてきたインディアンにとって、銃刀によって自らの権威を崩壊させる西洋文化と西洋人は大きな衝撃として迫ってきた。
ニューヨークが位置する米国北東部の代表的インディアン部族であるイロコイ族にとって、その衝撃はより大きく迫ってきた。イロコイ族の一つであるセネカ族指導者階層の一人であったハンサム・レイクもまた、米国の植民政策によりアイデンティティ危機を深刻に経験した人物であった。ハンサム・レイクが生きた時代は米国の金鉱が発見されてゴールドラッシュが進行する時期であり、このゴールドラッシュが生じることにより、かつては米国と対等な位置で互いに国家対国家の契約をしていたインディアンの地位は、日韓併合の際に国家資格を喪失した朝鮮と同様、保護国へと転落する。
併合をしたとしても支配のために既存の両班の地位を保全していた日本とは異なり、米国はインディアン指導層の地位を認めなかった。落胆した他のインディアン指導者たちと同様、ハンサム・レイクもまた酒と放縦の生活へと入っていくが、ある日改心の転機が訪れる。水雲に現れた上帝のように、ハンサム・レイクもまた神秘体験をすることとなるが、ハンサム・レイクに現れた神霊なる存在は、ハンサム・レイクに対しインディアンの再活性化された未来を啓示し、その条件として節制された規律による生活を要請することとなる。
神秘体験から覚めたハンサム・レイクは放縦生活を清算し、神秘体験で経験したことと学んだ教えを自ら実践し他の人々に広く伝え、多くのインディアンがハンサム・レイクと共に放縦生活を清算し規律運動に参加することとなる。これらが集まった場所がハンサム・レイクのいたロングハウス(Long House)であったがゆえに、これを「ロングハウス運動」と呼ぶ。ハンサム・レイク以降にも北米インディアン社会では、踊れば早くインディアンのユートピアが到来するという啓示に従ってゴーストダンス(ghost dance)が流行しもし、「ペヨーテ」という薬草を食する「ペヨーテ儀礼」が現れもする。146)
ハンサム・レイクの事例は再活性化の典型的な段階を示す。ウォレスはハンサム・レイクの事例を通じて、数多くの再活性化の事例に共通する段階を発見する。ウォレスは再活性化運動を「より満足のいく文化を構築するための社会構成員の慎重かつ組織的で意識的な努力」として定義する。再活性化運動は、現在のシステムが満足のいくものではないがゆえに、そうする必要があると感じるときに生じる。人々は新しい機能、新しいシステムを革新し、これは連鎖反応効果へとつながる。活性化は社会を有機体としてみることを意味する理論であり、デュルケームによって最初に導入された。147) 変化の圧力を受けると社会は「個別構成員の生命維持体系(Matrix)」の不変性を保存するために緊急措置をとる。148)
リミナリティ理論と再活性化理論はいずれも変化に関する理論であるという共通点があるが、リミナリティが変化機制に関する理論であるとすれば、再活性化(Revitalization Movements)理論は持続機制に関する理論であるといえる。リミナリティ理論が主に危機に対して変化によって問題を解決する一方、再活性化理論は危機に対して伝統によって問題を解決するという差異がある。個人が深刻なストレスに直面し、自らの迷路が安堵感を提供しないことを悟るとき、彼は選択に直面する。伝統を継続するか変化するかの択一である。「迷路と『現実』との一致のために、『実際』のシステムを変更せねばならぬこともある。より効果的なストレス低減を許容しようと、メイズウェイと『実際』のシステムの変化を共に作動させようとする試みもまた活性化のための努力である。またそのような努力に多くの人々が協力するのが再活性化運動である。」149)
リミナリティ理論と再活性化理論が文化変化理論として注目される理由は、内部と外部の変化に対して、さまざまな変化の中から一つの共通した公式を見出した点にある。神話の場合、エリアーデが発見した数多くの神話においてジョセフ・キャンベル(Joseph John Campbell, 1904-1987)は英雄の循環という一つの公式を発見し出し、この公式をハリウッドのシナリオ作成に応用して、数多くのブロックバスター映画が作られたことがある。150) 実際、西洋の近代性はルネサンスというギリシア・ローマ文化の再活性化から始まり、イスラムやインドもまた再活性化を通じて自生的近代性を構築している。
仏家においては修道を通じた数多くの変化過程を十牛図によって共通点を提示したことがある。大巡思想もまた十牛図を尋牛図として改作し、修道過程の奮発を要請しもする。このような脈絡において、キャンベルの英雄循環17段階は尋牛図6幅の絵と同様、再活性化段階に従う。再活性化過程は「多少重複する5段階」に従う。
1. 正常状態
2. 個人ストレス期間
3. 文化的歪曲の時代
4. 活性化期間(メイズウェイの再構成、コミュニケーション、組織、適応、文化変形および日常化の機能が発生する)
5. 新たな安定状態。151)
宗教学においてリミナリティは通過儀礼に属し、再活性化は再活性化儀礼に属する。これは儒教における内聖外王と類似している。リミナリティは内面を修める内聖に、再活性化は外部と疎通する外王に近い。東学もまた、内聖は反封建、外王は反外勢として対応した。
相関的思惟からリミナリティを経て再活性化に至る過程は、儒教経典『大学』における格物致知—正心修身—斉家平天下の段階と類似している。相関的思惟が格物致知の方法として東学の認識論を導出するならば、リミナリティは正心修身のように東学の内的成長方法を示し、再活性化理論は斉家治国のように東学の西学に対する外的対応を表す。
「東学」という名称は既存の儒仏仙を統合するという再活性化の端緒を有しており、「真の東学(参東学)」はこれを完成させるという意味を有する。大巡真理会は今日、東学に関連する数多の団体のうち東洋伝統の宗団名称と教理体系を持ち、大宗団を成した唯一の団体である。これをリミナリティの観点から見れば、リミナリティの様相において成し遂げた変化が持続する唯一のコミュニタスと見なすことができる。東学思想を生成され続けるリミナリティと見るならば、大巡思想の「会」はコミュニタスに対応するといえる。これに関して「会」という特性を、パトリック・ロード(Patrick Laude, 1958-現在)は東洋の近代性として解釈したことがある。152)
大巡思想が宗団として発生する無極道以降については、リミナリティよりも再活性化が適合する。このように、東学思想と大巡思想の相関的思惟に現れる自生的近代性は、宗教人類学のリミナリティおよび再活性化理論を通じて、より普遍的に説明することができる。産業化に重点を置いた近代化とは異なり、近代性は文化的変化を強調する。西欧の産業化が伝播した非西欧社会においては、近代性は近代化よりも文化の変化と持続という側面が顕著であり、それゆえリミナリティと再活性化は非西欧社会の自生的近代性を説明するのに適した用語となる。西洋の近代化もまた、産業化以前にはリミナリティと再活性化によって説明されうる。西洋においても、近代性の契機は東西洋の衝突、すなわちモンゴルの侵入とペストの流行であったと言われている。モンゴルの侵入とペストの流行は、キリスト教に代表される既存の天観・地観・人間観の危機と反省をもたらした。ついに西欧は、キリスト教に対する対応理論として原子論という新たな天観・地観・人間観を考案する。彼らはルネサンスという名のもとに再活性化を通じて原子論を考案し、変化を持続させる。さらに西欧は東洋の共感文化を受け入れ、啓蒙主義を通じて近代性を構築する。
東西洋のリミナリティと再活性化が共通して展開されるとはいえ、主要な相違は相関的思惟にある。今日、相関的思惟のような認識論もまた、認知宗教学領域において解釈され、脱近代性を超えて人間と機械の結合が問題となるポストヒューマニズム(Post-humanism)へと進化している。153) しかし、西欧の近代性が流入した当時、相関的思惟は東洋の近代性を停滞させた要因として指目され、自生的近代性の土台として主流社会から排斥された。しかし韓国の新宗教はこれを自生的近代性の土台とする。この点は今日、再評価されるべきである。韓国の新宗教を貫く思想を人間中心主義と呼ぶことができるとすれば154)、これは新唯物論を超えて人工知能時代に対抗しうるポストヒューマニズムとして解釈されうるからである。
相関的思惟理論は、西洋とは常に反対の傾向を示す東洋伝統の特徴と理由を示している。ターナーのリミナリティ理論は、なぜ危機の時代に宗教的リミナリティが必要であるかを提示する。さらにワラスの再活性化理論は、伝統の再構成が行われる様相を示している。
相関的思惟理論、ターナーのリミナリティ理論、ワラスの再活性化理論の共通点は、ある社会と文化伝統の連続と変化を論じる代表的理論であるという点である。相関的思惟理論が東西洋文化の根源的相違点を知らしめ、東洋文化伝統の連続と変化を説明する理論であるならば、リミナリティ理論と再活性化理論はある社会の既存秩序がいかに変化し、変化が持続するのかをよく示している。
客観性を代表する科学さえもパラダイム(paradigm)に過ぎないとするクーンの科学哲学のように、学問の方法論はある社会を維持・変化させる思考のフレーム(Frame)として作動し、このフレームは各社会のイデオロギーとユートピアを形成する。早くからマンハイムは、ある社会の秩序維持と変化をイデオロギー(Ideology)とユートピア(Utopia)として要約した。155) イデオロギーが既存秩序を維持しようとする理念と態度であるならば、ユートピアは既存秩序を変革しようとする理念と態度である。リミナリティと再活性化の理論は、宗教において現れるイデオロギーとユートピアの宗教人類学的発生と変化過程を説明する理論である。156) 社会内部構成員の変化である通過儀礼理論から出発したリミナリティ理論が社会秩序の内的変化と成長に焦点があるとすれば、文化接変理論から出発した再活性化理論は外部衝撃に対する対応を強調する。両理論ともに宗教のイデオロギー的機能とユートピア的機能を説明する代表的理論である。
東学は、その名称において西学という外部イデオロギーに対する対応様相が現れている。これに関連して東学は、第一に東洋の認識論的方法という意味が強調された「東」という側面を強調した。ここで「東」とは相関的思惟という方法論的対応を意味する。第二に、内的変化と成長を追求する「学」という側面において、通過儀礼理論であるリミナリティ理論を包含する。第三に、「西学」という外部イデオロギーの衝撃に対する対応という点で再活性化の特性も包含する。このように東学関連思想は、三つの理論を立体的に適用して研究するとき、宗教学的に人類普遍的な価値が導出されうる。
相関的思惟理論が東学思想や大巡思想に適用された事例はほとんどない一方、リミナリティ理論を東学思想157)と大巡思想158)にそれぞれ適用した研究は存在するが、東学思想と大巡思想との比較の次元で研究されたわけではない。リミナリティ理論は両思想の比較研究において詳細な研究として適用されうるという点で、その思想的差異と意義をより明確に示すために用いられうる。159)
ワラスの再活性化理論もまた、キリスト教と伝統宗教の出会いに関連する世界の多様な事例に適用されて研究されてきており、東学思想単独分野160)および東学思想と天道教を結ぶ研究161)、そして大巡思想においてもベルナデット・リガル・セラール(Bernadette Rigal-Cellard)によって研究されたことがある。162)
しかしベルナデットの研究は、東学思想と大巡思想のリミナリティを比較していない。したがって、両思想の差異において現れるリミナリティの差異と相関的思惟は浮き彫りにされなかった。これに対して論者は、東学思想と大巡思想を東洋の思惟方法論的側面で比較し、リミナリティおよびワラスの再活性化理論を適用するならば、真の東学とされる大巡思想と東学思想との差異が明確に表れうると考える。
東学思想と大巡思想を真の東学という側面で連続的に把握した研究としては高南植の研究がある。163) 本稿は、大巡思想を東学思想の連続と変化の側面から検討した先行研究を基盤として、既存の東学思想に関する先行研究を総合し、東洋思想の学術的方法を適用するものである。ただし、これを宗教人類学的側面から詳細に考察することにより、東学が提示する理想世界の実現にまで東学の範囲を拡大した大巡思想の側面をより緻密に照らし出す。特に、大巡思想が東学の再活性化に失敗した地点において、いかに東学を再活性化させたのかを伝統の連続と変化の側面から考察したい。これを通じて、東学思想と大巡思想に対する別個の二方面の研究である民衆運動と宗教思想、そして理想世界の実現という実践的東学研究までも総合する有機的方法を適用し、両思想の人類普遍的思想としての価値を提示したい。
リミナリティと再活性化は、自己反省と創造的受容を共通の特徴とする。通過儀礼としてのリミナリティには、二項対立を統合しうる底の体験と反省を通じた新たな創造が現れる。再活性化理論もまた、自己文化を見慣れぬものとして見ることにより、自己文化に存する肯定的側面が再照明される。164) これは大巡思想において修道の根本として強調されてきた無自欺(毋自欺)の属性と符合する。無自欺は反省を通じて自己を見慣れぬものとして見ることにより、底の体験と反省を通じた新たな創造、自己内部にある肯定的側面を再照明してくれるからである。165) このような点に注目し、本論文ではリミナリティと再活性化を通じて、相関的思惟の天観・地観・人間観が西洋の天観・地観・人間観を受け入れて新たに再創造されることが、東学思想と大巡思想の自生的近代性となるという点を照らし出したい。166) 西洋近代性の東洋的起源と相関的思惟の合理性に対する誤解は、東学関連思想に現れる自生的リミナリティと再活性化に対する評価にも影響を及ぼした。相関的思惟のリミナリティ様相が分析的思惟のリミナリティと異なる点は、分析的思惟のリミナリティが弁証法のように相互対立的な二要素を調和させるのに対し、相関的思惟のリミナリティは相補的な二要素の境界を調和させるという点にある。これに関して本研究では、東学関連思想が内包し、大巡思想が注目する西欧近代性の東洋的起源を念頭に置き、両思想が相関的思惟のリミナリティとして自生的近代性という再活性化を成し遂げようとした道程を追跡したい。
東学思想の自生的近代性と作乱のリミナリティ
侍天主(侍天主)天観(天観)の自生的近代性
西洋の形相的(形相的)天観
西洋の近代性に代表される地動説とカルヴァンの救済予定説は、いずれも天観・地観・人間観に対する観点の変化であった。天観・地観・人間観は人間の実存と生存に直結する最も基本的な土台であるため、時代の画期となる近代のような変化は、天観・地観・人間観の変化が尺度となる。1)
天観・地観・人間観は、天地人三才に代表される東洋思想の宇宙観において宇宙を区分する主要な用語であったが2)、北方シャーマニズムと関連する宗教の共通起源を持つ西洋思想においても、天観・地観・人間観は三機能体系として現れたことがある。3) 天観・地観・人間観は神話時代より西洋において宇宙を区分する土台概念であった。4) それゆえ天観・地観・人間観は東西洋思想を比較しうる概念となりうる。
西洋思想において天地人三才が土台概念であるといえるのは、西洋哲学の根源となったプラトン哲学の宇宙観もまた、天地人と同様に宇宙・神・人間という三次元から構成されている点にも現れている。5) よく知られているように、プラトンは目に見える宇宙は目に見えないイデアの世界の反映であると説明した。このとき、目に見えないイデアの世界は東洋の天、目に見える世界は東洋の地に該当し、目で観察する存在が人に該当する。
西洋哲学はプラトン哲学への脚註であるというホワイトヘッドの言葉が6) 長らく語り継がれているように、西洋思想にはプラトン哲学の影響が大きかった。プラトンの思想はその弟子アリストテレスによって、より現実説明に適した形に変形され、アリストテレスはイデアを形相、土を質料として説明した。アリストテレスにとって、形相的な天、質料的な地という形で現れた宇宙は、天の形相が地を質料として変形させた世界として現れた。人間は天の形相を地に現れさせるのを助ける存在と見なされる。
アリストテレスから始まる西洋の天観・地観・人間観は、変化を説明する際に実体を仮定するため存在論的であるといえる。存在論と生成論は今日、東洋と西洋を区分する主要な思惟体系となっている。7) 全体から部分へ、上から下へ思惟する東洋思想の体系においては、変化を説明する際に実体なく変化が説明される生成論的思惟体系が形成され、部分から全体へ拡大される西洋の思想体系においては、部分から実体として変化を説明する存在論的思惟体系となる。
ドゥルーズの内在性理論を東洋思想に適用したフランソワ・ジュリアンもまた、変化を実体で説明する西洋を存在論、属性で説明する東洋を生成論と見なす。代表的に医学の場合、東洋医学は生きている人間を対象とするため解剖図が貧弱であり、西洋は死者を対象とするため解剖図が詳細である。実体論に代表される西洋の存在論の立場から見れば、今日の西洋を代表する原子論や中世西洋を代表した唯一神、古代西洋を代表するプラトンのイデアといった存在もすべて、実体としての形相的(形相, form, eidos)天観(天観)といえる。存在論的天観・地観・人間観においては、変化の実体を過去には神として想定したが、神を否定する近代に至っては神なくして物質のみで変化を説明することとなったのである。
アリストテレスの実体論は、変化の過程が論理的説明となるためには必ず実体として説明されねばならないという存在論的理論である。例えば水が火に変わるためには、アリストテレスの理論は水を火に変化させる属性を持つ実体がなければならず、そうでなければ論理的学問ではないというものである。一方、陰陽五行のフラクタル的(fractal)8) 感応原理は何ら実体なくして変化しうる。
この変化の実体的原因が四原因であり、変化を引き起こす質料が四元素である。アリストテレスは宇宙が地水火風という四つの元素から成ると述べる。同じ原理で、宇宙は形相因・目的因・運動因・質料因という四原因から成るという。9) 四原因のうち、事物を構成する質料因と形相因は事物に内在するが、事物を動かし目的を実現させる作用因と目的因は事物の外に存在する。東洋の陰陽五行と西洋の四原因説および四元素説の差異は、変化を実体で説明する点にあった。10)
形相と質料が結合する目的と作用が実体を形成する四原因であるならば、質料が区分されたものが地水火風の四大である。四元素説を循環として解釈するとき、四元素は循環の四局面である収斂(水)—圧縮および爆発(地)—拡張(火)—膨張(風)の四局面となる。アリストテレスはエンペドクレス以前の地水火風理論を、より実体化した。デュメジルは、上昇と下降から成るインド・ヨーロッパ語族想像界の人類学的構造において、実体論的宇宙観が火と風の上昇、地と水の下降という四元素説として作られたとしている。11)
四原因説はマテオ・リッチが生きた17世紀に至るまで、宇宙を説明する西洋の最も合理的な理論と見なされてきた。したがって西洋の形相的天観においては、地水火風とは分離された第五元素としてのプラトンのイデアやキリスト教の唯一神が天観の中心となる。東洋とは異なり境界が明確な西洋の天観・地観・人間観は、内在的なリミナリティよりは第五元素という実体を通じたリミナリティの様相が成立する。
アリストテレスの四原因説は、マテオ・リッチが陰陽五行の宇宙論よりも地水火風の宇宙論の方がより科学的であるという『天主実義』の論拠として用いられた。マテオ・リッチはアリストテレスの「四原因説」によって天主の存在を証明する。『天主実義』はリッチが著した西学に対する要約であって、東洋では初めて著され、以後、東学思想と大巡思想にまで大きな影響を及ぼす。12) 両思想は類似して見えるが、陰陽五行が変化を属性で説明するならば、地水火風は実体で説明するという差異があり、この差異が東西洋の近代性に大きな差異を生じさせる。西洋では中世の建築や美術に見られるように、神の属性もまた地水火風の四つの属性として現れる。
四元素説と四原因説には密接な関係があるといえる。地水火風の世界観を持つインドにおいても四原因説のような論理学が発達したが、四元素の変化を説明する過程がすなわち四原因説に連なるといえる。
今日、大部分の東洋人は神明を認めない西洋の伝統的な天観・地観・人間観を科学的世界観として選好している。しかし東洋の天観・地観・人間観を基準として見れば、神明を認めない西洋の天観・地観・人間観もまた特定の仮定の下に成立した天観・地観・人間観となる。西洋の天観・地観・人間観は、変化を実体で説明する存在論という背景を持つ存在論的天観・地観・人間観であるといえる。
要するに、西洋の存在論的天観・地観・人間観はアリストテレスから始まる地水火風の世界観に代表される。下から上へと事物を観察する西洋の場合、本質と現象として実体が区分され、したがって現象は本質である形相が現象である質料を実体として変化させるものである。これに反して生成は実体を前提しないため、東洋は現象と本質を区分せず、陰陽五行のように現象と本質は一つに統一され、一元論として変化を説明する。
東洋の同化的(同化的)天観
伝統的に東洋の「天」概念は「天地」として区分され、天地に対応する「天」概念と、「天地」として区分される前、天地を生んだ無極・太極の天、すなわち天の上の天、天外天(天外天)という二つの天(天)概念があった。13) これはあたかも西洋においてもアダムとイブに分かれる前のアダムがイブに分かれ、分かれた後も同じくアダムと呼ばれることに類似している。それゆえ天地人概念もまた、天を天地の外の天外天と想定すれば地(地)は天外天が作った天地となり、天地として区分された天を天とすれば地(地)はまた天地として区分された地(地)の概念となる。天概念のこのような重義的な使用は、東洋の天観・地観の議論が困難で混同される原因ともなる。本稿は天外天としての天と天地として区分された天の区分を、天概念の説明前に明示したい。
これは神(神)概念にも同様に適用される。天(天)概念が天地を作った天外天の概念として用いられるときの神は「上帝」を意味し、天外天によって成った天地において天地を運行する主体としての神は天地神明あるいは神明となる。しかし人間と区分されるときには上帝と神明の双方を合わせて神と総称してきたため、神概念もまた区分する必要がある。東学思想において上帝あるいは天主は天外天の神を意味するため、神明としての神が多く現れる既存の東洋思想の神概念とは区分される。西洋と比較するならば、西洋は統一的に神は天外天の上帝のみを主に強調し、東洋の天は夏殷周三代の時代には天外天の意味が強調されたものの、性理学においてはほとんど天地のうちの一つである天の概念、すなわち理法天(理法天)として用いられた。
理法天(理法天)は天の人格的側面より理致的側面を強調した用語である。これは天の上の天が天地を理致のままに作ったため、天の下の天は法則のままに動くという東洋思想が反映されている。天の下の天は理致のままに作られて人格的属性は相対的に乏しいが、天の上の天があるために理法天もまた可変的でありうるとはいえ、東洋思想においては理法天として天の属性を固定させた。
神概念のみならず地(地)概念にも同様に適用される。天を天外天として用いるとき、地概念は既存の天外天によって成った「天地」の概念となるため、このとき地は天外天による「造化」あるいは「無為而化」の作用対象および結果として現れ、東学思想においては「造化」と「無為而化」、「気化」という用語が天外天に対応する「地(地)」を意味する用語となる。
天(天)・地(地)・神(神)の概念が重義的に用いられることは東西洋で類似している。しかし東洋において西洋よりも重義的に用いられるのは、実体論的な西洋とは異なり、感応によって変化する東洋においては、天・地・神を相関的思惟の変化として説明するためである。属性を中心として説明する東洋においては、天・地・神が場合によって具体的に意味する範囲は異なるが、属性は同一である。
相関的思惟は西洋思想において審美的秩序に該当するため、東洋の天・地・人は美学的用語によってより明確に定義されうる。14) それゆえ天円地方(天円地方)、天道地徳(天道地徳)に代表される陰陽として区分された東洋の天観(天観)は同化的(同化的, assimilation)天観として、地観(地観)は凝縮的(凝縮的, condensation)地観(地観)として、人間観(人観)は接化的(接化的, grafting)人間観として区分しうる。15)
同化(同化)とは、地方(地方)に対する天円(天円)、地徳(地徳)に対する天道(天道)に共通して現れる属性を表現する用語であって、「炭素同化作用」の「同化」のように異質的な性質や様式を同一にすることである。同化は互いに異質的なものが一つに統合されつつ主従関係を形成するため16)、統合の円と秩序の道の性格を示す。東洋の精神文化である儒仏仙もまた同化の性格が現れ、道教は自然に同化し、儒教は内面に同化し、仏教は法に同化する。17) 東洋は分析し支配する西洋とは異なり、自然と人間は一つであるという有機体的自然観があったため、同化を追求した。
凝縮は天円(天円)に対する地方(地方)、天道(天道)に対する地徳(地徳)に共通して現れる属性を表現する用語であって、「水蒸気の凝縮」の「凝縮」のように、互いに異なる要素が絡み合って固まる現象を表現する。凝縮は同化のように成分自体が変わるのではなく、異質的存在を圧縮して一つの小さな統一体を成すため、方のように四角の角があるが、正確さの徳を特徴とする。凝縮と同化のいずれも統一を志向するが、力の方向は反対である。同化が自己を中心として外部に向かって絶えず拡張していく力であるならば、凝縮は内部に向かって収縮する力である。18) 同化を中和(中和)と呼ぶならば、凝縮は回帰(回帰)と同様である。東洋の物質文化である美術・音楽・武術は、余白の美のように最小の作業で最大の効果を模索した。
接化(接化)は、地方(地方)に対する天円(天円)、天道(天道)に対する地徳(地徳)など、互いに対立的な存在が出会って一つに調和することを表現する用語であって、「接化群生」の接化のように二つの存在が同等に出会って異質性を保存する統合を表現する。同化が中心を志向し、凝縮が完璧主義を志向するならば、接化は相克(相克)の調和として混合主義を標榜する。これは円方角に現れる天円(天円)と地方(地方)の融合、道徳君子に現れる天道(天道)と地徳(地徳)の融合である人間の属性に適合する。
このとき東洋の天・地・人は、系統発生が個体発生を反復するという李英蘭のリミナリティ定義と同様の関係を成す。乾健坤順(乾健坤順)19)は天が定めれば地がこれを実行するという意味であって、乾を天(1)、坤を地(2)とすれば、このとき地の順(順)は天の健(健)を含む1+2の意味を持つ。同様に、天と地を接化した人は、天(1)・地(2)・人(3)において3, 1+2+3, (1+2+3)’を成す関係である。すなわち凝縮は同化を含み、接化は同化・凝縮および第三の存在までを含む。
一方、生成論的な東洋思惟に比して存在論的な西洋思惟は、同化に反対する異化(異化, differenciation)あるいは分化(分化, segmentation)に該当し、これは存在論的秩序に該当するため、西洋存在論の礎となるアリストテレスの存在論に従い、西洋の天観は形相的天観として、地観は質料的(質料, matter, hyle)地観として、人間観は成長論的(成長論的, growth theory)人間観として区分しうる。
無極と太極から自ずから分化される東洋の生成論的天観・地観・人間観において、東洋の天観は万物を一体として統合する同化的天観となる。道教の天観が天の作品である自然界に対する同化的天観であるならば、儒教の天観は天の名品(名品)である人間に対する内面の心に対する同化的天観であるといえる。東洋においては存在論に最も近い仏教の天観もまた、天という存在に対する存在論の同化的天観であるといえる。20)
東洋の天観・地観・人間観は、実体で変化を説明する西洋の三才とは異なり、属性で変化を説明するため、東洋の天観には万物と同様に陰陽五行の法則が適用される。属性として作用する陰陽五行は物質のみならず神明にも適用され、東洋の天には陰陽五行が適用された無数の神明から構成される。
東洋の神は西洋の絶対神のような単一の概念ではなく、最高神である上帝と天地神明、そして祖先神に区分される複合的概念であった。西洋の数少ない天使とは異なり、塵一つにも数多の仏があるとされるほど多い東洋の神明は宇宙万物にぎっしりと満ち、コンピュータのように宇宙を運行し、陰陽の法則に従って自己固有の領域を持つ存在であった。21) 東洋の神明は陰陽の法則に従って区分された各自の領域を守っているため、東洋の上帝は上帝であっても神明の事に干渉することができず、東洋においては最高神の存在がほとんど法則として非人格化され忘却されるに至った。22) 東洋の神人関係において神明は他のあらゆる存在と同様に上帝によって人間と陰陽として作られた存在であり、人間が死んでなる祖先神は神明とは異なり、天地運行には関与せず、人間の子孫が修道して神明と陰陽として結合することを管掌する存在であった。
西洋の伝統的な存在論的三才の構成原理が地水火風の原理であるならば、東洋の伝統的な生成論的三才の構成原理は陰陽五行である。ギリシア・ローマ神話、インド神話に現れる三機能体系から始まった西洋の天観・地観・人間観が地水火風を通じてアリストテレスに至り、質料—形相の存在論的天観・地観・人間観として早くから定立されたとすれば、東洋の生成論的天観・地観・人間観は儒仏仙と陰陽五行が互いに交流しつつ長期間にわたって形成される。
東洋の伝統的な天観・地観・人間観は、大きく『周易』の三才観と仏教の三界観に大別される。天地人の原理から構成される『周易』の三才観が東洋の伝統的な生成論的三才観であるならば、仏教の三界観は存在論的三才観に近い。東洋の伝統的な天観・地観・人間観は、まず道教的な『周易』の三才観が形成された後、仏教の存在論的三界観が導入されつつ、性理学的・儒教的な三才観として互いに総合されるに至る。実際、儒教は仏教が導入される前は存在論的な宇宙論がほとんどなく、まず陰陽五行の生成論的宇宙論が導入された。生成論的な東洋の思惟体系において、天観・地観・人間観は仏教の存在論的な思惟体系が導入されて初めて三才観として発展しえたというのは自然な事である。
自然環境と文化環境の差異により、西洋に比して生成論的な天観・地観・人間観を発展させた東洋の三才観は、天地人と陰陽五行に代表される相関的思惟の天観・地観・人間観であった。歴史的に個別に発生したとされる陰陽・五行・三才の理論は相関的思惟を共有しているため、董仲舒の天人感応論の儒学から統合されはじめるが、本格的に統合されるのは性理学の根幹となる周敦頤(周敦頤, 1017-1073)の『太極図説(太極図説)』からである。『周易』に述べられる陰陽は、ヨーロッパの三機能体系と類似するアジア・シャーマニズムの天地人三才、そして五行の順に発展する。相関的思惟の発展過程を要約して見れば次の通りである。
陰陽・三才・五行・八卦は起源は異なったが、それぞれが同じ三才を見る観点の差異であったので、観点の差異を理解するならば互いに統合されうる。これらそれぞれは観点に従って三才を見る最小体系であった。陰陽・三才・五行・八卦は邵康節の加一倍法(加一倍法)に従い、同一の三才を詳細に解釈しうる統合的原理となる。
まず陰陽は全世界に共通する二項対立の要素であって、直観的に事物を区分する第一段階かつ原理的な属性となる。属性を強調する生成論的三才観において陰陽は根源的原理となる。形体23)がない世界において陰陽が二項対立的属性を示すならば、この属性が現実において実体を持つためには立体を成さねばならないため、三次元立体を成すための最小体系である三才(三才)へと発展するに至る。このとき三才は天地人三才に代表され、三才は陰陽から形体として発展したものであるため、天地人において天は陽、地は陰、人は天地を仲裁する中(中)の役割を持つこととなる。
三才として立体を成したならば、物質において粒子が波動の性格を同時に持たねば存在しえないように、粒子は波動として循環しうる四象(四象)体系を成さねばならない。元亨利貞(元亨利貞)、生長斂蔵(生長斂蔵)、春夏秋冬のような四象体系は、地水火風の成す四象体系と類似する体系を成す。ただしここで地水火風の四象体系と陰陽五行の四象体系が異なるのは、地水火風は下から上へと上っていく実体的思惟体系であるため、事物に共通する属性である陰陽五行に発展する属性的思惟体系ではないという点である。
四象体系は再び持続的な循環を成すために相克(相克)と相生(相生)を成さねばならないため、相克と相生の最小体系である五行(五行)へと発展し、その中心の役割として中心である土(土)を必要とすることとなる。24) しかし五行までもまだ事物を構成する陰陽を持たない生数(生数)の存在であるため、この生数が現実において変化を持つ陰陽を備えるためには、五行は偶数として相克相生の最小体系を成しうる八卦へと変化せねばならない。25) 八卦は再び中心を必要とするため九宮八卦となり、この九宮八卦(九宮八卦)が宇宙を説明する相関的思惟の基本体系となり、河図洛書(河図洛書)へと発展する。
河図洛書の九宮(九宮)が実際に天地の運行を行う実体として現れるためには、時間の要素が追加され十干(干)十二支(支)として現れる。十干十二支には辰戌丑未(辰戌丑未)のように土(土)の要素が時間に配置されて、時間の変化を仲裁する。26) 天地にそれぞれ配置された十干十二支は、天地化育(天地化育)のために天気下降・地気上昇、すなわち天地昇降(天地昇降)を通じて、天地之用(天地之用)27)である十二運星(運星)の作用、すなわち胞胎(胞胎)・養生(養生)・浴帯(浴帯)・冠旺(冠旺)・衰病(衰病)・死蔵(死蔵)の作用を行う。十干十二支が物理学の原子のようなものであるならば、天地之用である十二運星は原子が結合して全く異なる性質が現れる分子のようなものであると喩えうる。
十二運星は天地昇降の天地化育を生命の一生として表現したものである。28) 男女の出会いのように、陰陽としての天地は天降地昇(天降地昇)して地に生命の種が蒔かれる胞胎から始まり、地が生命の種を養生し、種が地の外あるいは身体の外に出て天の雨露(雨露)で沐浴し、帯を巻いたもう一つの個体として浴帯を成し、再び事を担い旺盛に活動する冠旺に至った後に衰え、病み、葬られるという十二段階を意味する。29) これはキャンベルの原質神話の十二段階や七人のキャラクター30)、十牛図のような過程を示す。これを金芝河は律呂と表現した。31) 天地之用は、天地の運行が自然による機械的なものではなく、天地の至極な誠敬信によるものであることを示す。東洋思想の立場から、西欧の原子論的近代性が最も看過したのが、機械論的自然観において神明の誠敬信を欠落させたことである。これを東学思想と大巡思想において「無道病(無道病)」と呼称する。32)
天地之用は日用事物のみならず思想体系にも影響を与え、儒仏仙は天地之用を反映したものとして現れる。天地の胞胎は虚無の仙道として、天地の養生は寂滅の仏道として、天地の浴帯は儒道の以詔(以詔)として表出される。33) 西洋の天観が地水火風の実体的属性によって天の特徴を説明するならば、東洋は陰陽五行の四つの属性によって天の属性が表現される。西洋の天観が実体的であるがゆえに、近代以降の原子論のように個別的に数限りなく分化されるならば、東洋の天観は原子・分子・個体・社会など各単位内部において陰陽・三才・五行・八卦・十干・十二支など統一的構造を示す。
近代東西洋天観の衝突と相克化(相克化)
天観の衝突
地水火風の属性として表現される西洋の天観と、陰陽五行で表現される東洋の天観には類似する面があった。実際、東洋宣教に乗り出したリッチは、性理学以前の儒教経典である『書経』に現れる東洋の天観が西洋天観と類似しており、むしろより優れた点があることに感嘆し、東方宣教に希望を抱く。
私はヨーロッパに知られたあらゆる異邦人の国家のうち、古代中国人の思想ほど誤謬の少ない所をいまだかつて見たことがない。実際、私は彼らの書物の中で、彼らが天の王(天帝)あるいは天と地(天地)と呼ぶ最高の存在を常に欽崇していたことを発見した。あるいは彼らの考えにおいては、天と地が生命力あるものとして唯一の肉体(体)を構成し、その肉体の最高存在は霊魂のようなものであったのであろう。34)
マテオ・リッチは地水火風の天観・地観・人間観によって東方宣教を追求する。マテオ・リッチが発見した『書経』の天観には、創造主としての天、天の摂理、天の審判、主宰者としての天の属性が西学とほぼ類似して現れた。35)
天と地は万物の父母であり、人は万物の霊長である。36) —創造主としての天
皇天が顧みられ命じられて、全世界を治める天下の君主となられました。37) —天の摂理
天が罰するは罪あるがゆえなり。38) —天の審判
天道は善き者には福を下し、悪しき者には禍を下す法なり。39) —主宰者としての天の属性
マテオ・リッチは、西洋の天観と類似していると発見した『書経』の天思想が、周代・孔子・性理学へと連なる中で人格神としての属性は色褪せ、理法神へと変化したことを堕落と考え惜しんでいる。しかし俗が聖を統摂する多重的近代性の属性として理解する今日の観点では、むしろ神性はさらに強化されたと見なす。40)
実際、東アジアにおいて最も性理学化された社会であった朝鮮の知識人は、『天主実義』に接して儒教の本義を明らかにしうる思想として歓迎することもあった。曠庵李檗、丁若鏞など当代の知識人は命を賭して西学を受容することもあった。一方、『西学弁(西学弁)』を著した愼後聃(愼後聃, 1702-1761)に代表される多くの知識人は、西学に対して憂慮を表することもあった。41)