IV. 大巡思想の自生的近代性と治乱のリミナリティ

土克水が五行において重要である理由は、河図洛書の核心的な原理、すなわち直線を循環に変える原理が金火交易となるためである。金火交易は五行において金と火が互いに位置を入れ替えて五行を循環させる原理である。陰陽五行は河図と洛書を背景とするため、金火交易は河図と洛書の変化を理解する主要な鍵となる。23) 河図と洛書は東洋思想において超越天の宇宙創造と宇宙変化の原理とみなされ、森羅万象をすべて説明する原理すなわち理となった。実際に東洋では今もなお宇宙万物の原理を説明した書物を集めた場所を、河図と洛書からそれぞれ図と書を引用して図書館と呼ぶ。相生を主とする河図において五行は木→火→土→金→水の原理で相生関係として循環し、相克を主とする洛書において五行は水→火→金→木→土の原理で相克関係として循環する。河図の相生と洛書の相克が出会い、宇宙森羅万象は緯糸と経糸のように互いに変化する。

陰陽五行の変化において金火交易と土克水が核心的に台頭するのは、第一に河図と洛書の転換、第二に洛書の循環部分である。まず河図と洛書の転換を見ると、河図と洛書の差異は金と火が互いに位置を交換する点にある。すなわち金と火が互いに位置を交換すれば、つまり金火交易が起こり、相生が相克となり相克が相生となるため、金火交易は陰陽五行において核心原理となる。すなわち金火交易は、洛書において南方にあった金を河図と同じく西方へ移すために、洛書において西方の火と南方の金を互いに位置交換(交易)するものである。水克火→火克金→金克木→木克土→土克水と反時計回りに展開される洛書において金と火の位置を交換すれば、金生水→水生木→木生火→火生土→土生金という相生の順に展開される。

「修行する者たちは方位が変わったと言うが、私が天地を回し戻したことをどうして知ろうか」と仰せられた。24)

上の例文において「私が天地を回し戻したことをどうして知ろうか」という表現は、金火交易のように八卦の順序変更によって宇宙運行を変えるという意味である。易の世界では、天上の天が天地を通じて森羅万象を化育し、天地は八つの門、すなわち乾坎艮震巽離坤兌という八門で構成されており、八門の方位を変えることによって生長斂蔵・元亨利貞の河図洛書の理によって天地が運用される。天地の方位が八門で構成されているという表現は、次の節に具体的に表れる。

上帝はある日「天地大八門 日月大御命 禽獸大道術 人間大積善 時乎時乎鬼神世界」と書き、申京洙の家に共に住んでいた公又に渡して京洙の家の壁に貼らせ、仰せられた。「京洙の家に壽命所を定めるので、すべての人に接する時にその長所のみを取り、たとえ短所が見えても寛大に許して憎まないようにせよ」と仰せられた。この時また亨烈に仰せられた。「法というものはソウルから始まって万方に広がっていくものであるから、ソウルの京の字の名を持つ人の気運を用いるべきである。それゆえ京洙の家に壽命所を、京學の家に大学校を、京元の家に福祿所をそれぞれ定める」と仰せられた。25)

上の例文において「天地大八門 日月大御命 禽獸大道術 人間大積善」は、「乾坤坎離巽離坤兌」として現れる天地の八門に日月という時間が現れたものである。これは禽獣の大道術と遍く通ずる人間の大積善によって天地を化育することに九天の意図が内在することを示す。元亨利貞と生長斂蔵は結局、河図洛書のようにこの八門の順序変化からもたらされる。

金火交易を行うに際して基準となるのは土克水である。土克水が金火交易の鍵となる理由は、洛書の相克順序において水克火→火克金→金克木→木克土→土克水と成り立つのは「土克水」があるためである。陰陽五行において陰陽を共に持つ存在は土が唯一である。また陰陽のうち一方のみを持つ木火金水のうち最も強いのは洛書の順序において「水」となり、最も弱いのは「木」となる。したがって五行が相克の循環を成すためには、最も強い「水」を陰陽を共に持つ存在である土が克し、最も弱い存在である木に「土」が克されることによって、五行が相克として循環する。これは相生関係である河図にも同様に適用され、互いに相克である火から金へ循環するためには、中間に土の仲介が必要となる。

結局、土は五行において木火金水土の一つの位置を占めながらも、木火金水とは異なる分離された存在である。あたかも天上の天である超越天が天地に分離された天に再び介入し、天地内の諸要素と交わって内在天として現れるかのようである。陰陽五行の土は結局、天の超越天と内在天の性格を明らかにする。土の二重的性格はリミナリティの包越性と非常によく合致する。東洋思想においても早くからこれを把握し、陰陽五行の核心は土克水であると把握したことがある。

五行之義 土克水也26)

大巡思想は九天がすなわち弥勒であるという表現において「土克水」に言及することによって、「土」の存在を再活性化する点に大巡思想の差別性があることを示す。実際に大巡真理会の修道時間は土の時間である辰戌丑未の時間に祈祷を捧げる。「土」の存在としての九天の姿は、大巡思想において「九天大元造化主神」という表現として現れる。

無上の智慧と無辺の徳化と偉大な権能の所有主であられ、歴史的大宗教家であられる姜甑山聖師は、九天大元造化主神として三界大権を主宰され、天下を大巡されてから人世に大降され、常道を失った天地度数を整理され、後天の無窮なる仙境の運路を開いて地上天国を建設し、否劫に包まれた神明と災劫に陥った世界蒼生を広く救済しようと巡回周遊されながら大公事を行われた。陰陽合徳・神人調化・解寃相生・大道の真理によって、神人依導の理法をもって解寃を主として天地公事を報恩によって終結された。解寃・報恩の両原理である道理によって、万古に積もったすべての寃鬱が解け、世界が相克のない道化楽園として成就されるであろう。これがすなわち大巡された真理である。27)

上の例文において、大巡思想は九天を九天大元造化主神として表現していることを示す。大巡思想は「土克水」の原理に従って三界がいかに道徳によって天地化育されたかを示す。

曰有道, 道有德, 德有化, 化有育, 育有蒼生, 蒼生有億兆, 億兆有願戴, 願戴有唐堯28)

上の例文は『周易』に「天地化育」とのみ表現された過程をより詳細に示す。実体的九天を示す大巡思想は、道と徳が九天より起こり、天道地徳の原理によって億兆蒼生を化育するが、化育の最終目標は上帝の人身降世による天地と人間の成功、すなわち唐堯のように天地の恩恵を知り天地に報いることのできる至人の出現にあることを示す。29)

「土」の二重的属性に従い、属性中心の東洋思想の天観は九天の存在を忘却しており、これが東洋天観の主要な問題点であると大巡思想は指摘する。九天の忘却は第一に、利瑪竇の地上天国の試みが儒教の弊習によって成功しなかったところに現れ、30) 第二に、九天の忘却は天外天と天地誠敬信を忘却する忠孝烈喪失の天下皆病として深化し、第三に東西洋の交流によって天地を背く背天地の段階にまで現れる。

上帝はある日金亨烈に仰せられた。「西洋人利瑪竇が東洋に来て地上天国を建てようとしたが、長きにわたり根を下ろした儒教の弊習により容易に改革することができず、その志を成就できなかった。31)

世無忠 世無孝 世無烈 是故天下皆病32)

誓者元天地之約 有其誓 背天地之約 則雖元物其物難成33)

上の例文は、利瑪竇に初めて言及して天地公事の概要を説明した節と、化天以後に残された「病勢文」、そして「玄武経」に込められた核心的な節に現れる。これは大巡思想出現の背景が東西洋の九天忘却にあることを示す。

人身降世の天界観に現れた西洋天観の再活性化

実体論的な天外天を主張してきた西洋天観と属性論的な東洋天観に、実体論的な天観を統合した大巡思想の天観は、九天に属性的な陰陽五行の原理が追加されているという点が他の天観と比較して最も顕著な相違点である。まずその差異は大巡思想の天外天の神位、すなわち「九天応元雷声普化天尊姜聖上帝」に表れる。西洋の天外天がGod、ゼウス、アラーのように名称のみで現れるのに対し、東洋の属性的天観が反映されている大巡思想九天の神位には陰陽五行的な属性が明確に表現される。大巡思想において陰陽五行は元亨利貞という九天の天地化育の原理である。これは「九天応元雷声普化天尊姜聖上帝」の神位のうち「九天」と「普化」という部分に明確に表れる。まず「九天」を見ると

九天というのは

『典経』に「…諸々の神聖・仏・菩薩たちが会集して九天に訴えたために…(教運一-九)」とあるように、この宇宙を総轄される最も高い位におられる天尊に訴えたという意味であり、その九天はすなわち上帝が三界を統察され、乾坤を調理し運化を調錬されておられる最も高い位を意味するものであり、34)

上の例文において大巡思想の九天は神明である神聖・仏・菩薩の意見を傾聴する。「宇宙を総轄される最も高い位におられる天尊」という点は西洋の超越天と共通するが、神明を通して三界を統察され乾坤を調理し運化を調錬されるという点が相違点として現れる。大巡思想と西洋天観に現れる神明の介入の有無は、大巡思想と西洋天観の特徴的な相違点である。

西教は神明の薄遇が甚だしいので、敢えて成功し得ないであろう。35)

『典経』に見られる上の例文は、西洋の天観が超越天を強調した点で東洋の天観より優れた点があるとしても、内在神である神明を否定することによって、西教の天観がたとえ実体論的天観であろうとも、成功し難い天観であることを指摘する。ここで「成功」とは、親が自分より優れた子を育てた時に「青出於藍」といって子女教育に成功したというように、大巡思想においては天地が陰陽として出会って万物を化育し、天地と同等の人間を輩出した時の「成功」を意味する。

上帝は「これより後は天地が成功する時である。西神が司命して万有を裁制するゆえ、すべての理を集めて大いに成すであろう。これがすなわち開闢である。万物が秋風に従って落ちもし、あるいは成熟もするのと同様に、真なる者は大いなる実りを得てその寿命が永く昌盛し、偽りなる者は枯れ落ちて永く滅亡するであろう。それゆえ神の威厳を振るって不義を粛清もし、あるいは仁愛を施して義しき人を助けるので、福を求める者と生を求める者は努めよ」と仰せられた。36)

上の例文のように、大巡思想の超越的天観は内在的天観を通して生長収蔵の原理で天地を化育し、人間と共に天地もまた西神によって成功の可否を審判されることを示す。大巡思想の天観は東洋の属性的天観と西洋の実体的天観が結合されて二重に実体化される。九天は天地に万物を化育する命を下したという点が特に異なる。これは九天の神位のうち「普化」という部分に表れる。

普化というのは

宇宙の万有が有形無形に化成されることは天尊の徳化によるものであることを意味するものであり、37)

上の例文は、当初雷声によって天地を陰陽に分けたことは、天地を化育しようとする九天の普化を意味する。ここで「普化」の普は「普遍的」という単語を使用する時の「普」の意味を表す。宗教思想において普と化は天外天を象徴する単語であった。例えば西洋の場合、天外天を意味する「カトリック(catholic)」は「普遍」の意味であり、「化」は万物を化育する東洋の天概念であった。「普化」という用語は東西洋の超越天概念が統合して万有を化育するという意味を持つ。

「普化」概念には、万物を創造したとされる西洋の超越天概念と、万物を創造して化育するという大巡思想の九天概念の相違点が際立って現れる。大巡思想九天神位に現れた「雷声」という概念が西洋超越天の天観のように「創造」の意味を持つとすれば、「普化」は創造された万物の進化と関連する。西洋超越天の天観をめぐっては進化論の台頭以後、創造論と進化論の多くの論争があったが、大巡思想の天観においては論争が解決される。

西洋の実体的な超越天がギリシア・ローマの場合は第五元素として現れ、キリスト教では唯一神として現れたが、二つの天観には第五元素という共通の背景がある。初期のイエスの弟子のうちギリシア・ローマ哲学に造詣の深かったパウロは、イエスの思想を説明するためにギリシア・ローマ哲学を利用したりもした。地水火風がキリスト教出現以後近代に至るまで聖書の宇宙論を形成した点で、第五元素はキリスト教においても超越天の役割を果たす。「土」の二重的属性を超越天の説明に適用した大巡思想の九天は、西洋の第五元素の意味を包含しつつ超越している。大巡思想が実体化した超越概念と内在の二重的天観は、近代に現れた東西古今の天観・地観・人間観を総合し、近代性を超えて脱近代性へと発展する。大巡思想の実体的な九天観は、東洋の属性的な天観(1)と西洋の実体的な天観(2)、そして東学思想の超越的な天観(3)を包含して超える自生的近代性のリミナリティ様相が再活性化(1+2+3=1′)に至った段階である。

最近、大巡思想が活性化したのが旧韓末ではなく1980年代以後の現代韓国社会であるという点に着目し、大巡思想を単純に旧韓末の新宗教と見るよりも1980年代ポストモダニズムの次元からアプローチする研究もまた注目されている。大巡思想をポストモダニズムの領域として見る研究を見ると、宗教学的研究として李京源38)と宗教心理学的研究として高南植の研究がある。39) ポストモダニズム思想としての大巡思想に対する本格的研究である朴マリアの論文40)は、現代ポストモダニズムによる多元主義問題の解決策としての大巡思想を提示する。

姜敦求は「宗教と近代性」、そして「宗教と脱近代性」というテーマの下に、近頃世界宗教の変動を説明しようとする試みがあってきたのは事実であるという。41) しかし今日後期構造主義などの意味で使用されるポストモダニズム概念には、Arnold Joseph Toynbee(1889-1975)が初めて指称した時の新しい実存概念が抜け落ち、過度に構造主義的な意味で使用されている。アーノルド・トインビーがポストモダニズムと指称した「実存主義以後の実存」概念は、今日の後期構造主義よりも実存をより強調した概念であった。42) リミナリティ概念もまたレヴィ・ストロースの構造主義人類学が過度に構造を強調したことに対する実存的反発であったと、ターナーは明らかにしている。43)

実際にポストモダニズムが開花したのは90年代以後からであり、まさに始まった時期も早く見積もっても60年代になる前に、実存的な歴史学者アーノルド・トインビーが50年を見越してポストモダニズムと命名してからである。ポストモダニズムとして知られる後期現代西洋哲学において、ドゥルーズ、ラカン、デリダなどが理気概念と類似した西洋思想の全一化を追求したが、未だに限界が目撃されている。44)

天地誠敬信地界観の自生的近代性

地界観としての地観

人身降世を通して属性と実体の二つの性格を同時に持つことになった大巡思想の天観は、東学思想と同じく多重的な地観を持つことになる。まず大巡思想の天観を九天である超越天として比定する場合、大巡思想の地観もまた東学思想のように九天の下の天地概念を包括する。東学思想と異なる点は、東学思想の地観が無為而化、気化、造化など見えない実体として主に表現されたとすれば、大巡思想は神明界を含む地界として具体化されて表現される。

また上帝は仰せられた。「地気が統一されないために、その中に住んでいる人類は各々思想が食い違い、各々考えて反目闘争するのである。これを除こうとすれば、解寃をもって万古の神明を調化し、天地の度数を調整しなければならない。これが成し遂げられれば天地は開闢し、仙境が建てられるであろう」と。45)

上の例文において、九天に対して天地は皆形体を持つ存在であるが、その中でも地は形体を持つ代表的存在となる。地もまた神明から成っているため、地を変えることもまた神明から始まる。これに神明を薄遇した西教と異なり、神明を厚遇した朝鮮が浮上し、上帝が人身降世した場所もまた朝鮮となる。大巡思想地界観の成立は、九天が東土に至り人身降世が朝鮮に至るところから始まる。

上帝はある日京石を連れて籠岩を出て井邑へ行く途中、院坪の酒幕に立ち寄り、通り過ぎる行人を呼んで酒を買い勧め、「この道は南朝鮮の船路である。荷を多く積んでこそ出航するであろう」と仰せられ、再び道を急ぎ三十里となる所に至り「大陣は一行三十里である」と仰せられて、古阜松月里の崔氏の斎室に居住する朴公又の家に宿泊された。公又と京石に仰せられた。「今、会うべき人に会ったので通精神が出てくる。私のことは、たとえ父母兄弟であろうとも知らないことである」とまた「私は西洋大法国天啓塔に降りてきて天下を大巡してから、三界の大権を持って三界を開闢し仙境を開き、死滅に陥った世界蒼生たちを救おうとして汝らの東方を巡回してきた。この地に留まったのは、参禍の中に埋もれた無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった寃を解いてやろうとするものである。私に従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽を享受するであろう。これが真の東学である。弓乙歌に「朝鮮江山名山なり。道通君子また生まれる」とあるが、これもまた私のことを言うものである。東学信者の間で大先生が更生するであろうと伝えるが、これは代先生がまた生まれるという言葉であり、私がすなわち代先生である」と仰せられた。46)

上の例文は、人身降世が朝鮮で行われた理由には「無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった寃を解いてやろうとするものである」という表現のように、解寃の趣旨があることを示す。地の解寃は天地公事のうち解寃公事の主要な趣旨の一つであった。

今や解寃の時代を迎えたので、人もまた名色のなかった人が気勢を得て、地もまた捨てられていた地に気運が戻るであろう。47)

しかし当時朝鮮の他にも無名の弱小民族は多くあったので、『典経』は追加の説明をしている。

朝鮮のように神明をよく接待する所はこの世にない。神明たちがその恩恵を返そうとして各々願いに従って不足なく奉ってくれるので、道人たちは天下事のみに何の憚りもなく従事することになるであろう。48)

上の例文は、人身降世が朝鮮で行われた理由は、朝鮮が無名の弱小民族であるだけでなく、無名の弱小民族の中でも神明を最もよく接待した国家でもあることを示す。また、人身降世が行われる場所が朝鮮の中でも三神山がある井邑であったということは、人身降世が行われた背景に三神山のような地の聖地という意味も内包することを示す。

此の地は古来より蓬萊山・瀛洲山一名神仙峰・方丈山の三山が三神山と呼ばれてきた所である。49)

上の例文において、天界が北極星を中心として北斗七星とその周辺の二十八宿を通して三十三天として区分されたり三十六天として区分されたりするように、地もまた天の北極星のような三神山を背景として人身降世が行われることを示す。地の中心山は崑崙山であるが、天と地の陰陽合徳という側面から見ると、意味上は三神山が地の中心となり得る。九天の人身降世を背景として聖-俗が再編されることが現れる。一旦人身降世が行われた後は天地公事として現れる。

上帝はいつも舟の音を出されたので、従徒たちがその所以を尋ねたところ、答えて仰せられた。

「わが国を上等国にするためには西洋神明を呼んで来なければならないので、今や船に積んでくる貨物票に従って渡ってくることになるからそうなのである」

と仰せられた。50)

上の例文において貨物票に従って神明が朝鮮に渡ってくるのは天地公事によるものであるが、また天地公事の原理に従ったものである。天地公事の原理には原始返本の原理が含まれるので、天地公事において地界観が成立する原理もまた原始返本が基準となる。

戊申年四月のある日、また従徒たちに仰せられた。「この世に姓としては風姓が先にあったが、伝わってこられず、ただ風采・風身・風骨等のように身体の生まれつきの呼称としてのみ残ったのみで、その次は姜姓が出てきたので、すなわち姓の原始となるのである。それゆえ開闢時代を迎えて原始返本となるので、姜姓が事を任されることになったのである」と仰せられた。51)

上の例文を地界観に適用すれば、朝鮮で人身降世が行われる原理は、地の中心である三神山があるためである。さらに朝鮮が天地公事の背景となったのは、無名の弱小民族という寃と共に、より大きな歴史的背景までも含まれる。まず近くを見れば、大巡思想の地界観の成立が始まった金山寺はマテオ・リッチに、さらに少し遠くは古代史にまで連結され得る。

物質に偏らない代替的近代性は、無名の弱小民族が成功する解寃を通じて提示され得る。甑山が提示した相生の原理によれば、日本に作った隔てをまず解く日本解寃方式が適用される。日本が解寃されれば中国の報恩を受けられ、中国の報恩を受ければ五仙圍碁を通じて全世界を解寃し、全世界の助けによって上等国となるというのが、真の東学の地界観に現れる解寃方策である。52) 実際に天地公事が始まった時期にGNP世界最下位水準であった韓国がその後、植民地経験を持つ国の中で唯一に政治的民主化、経済的産業化、文化的先進化のような近代性を成就した。大巡思想は東学思想が失敗した原因を「解寃」思想の不在として把握し、「東学」思想を真の東学として復活させた。

南接のみで全州において連戦連勝していた東学軍が、北接まで加勢して牛禁峙へ進撃する時、日本軍に世界初の機関銃であるガトリング銃(Gatling Gun)で致命的打撃を受けることは夢にも思わなかった反撃であった。東学軍蜂起は韓国史上数千年ぶりに初めて起こった全国的規模の蜂起であったが、結果は前例のない大失敗であった。義兵が数多くの成功を成し遂げてきた韓国民衆運動史において、東学軍はほぼ初めて大成功と失敗を同時に経験したが、その成功と失敗の意味を理解することができなかった。甑山が天地公事を準備しようとした時期もまさに東学農民革命が平定され、両班たちが祝賀行事である詩会を行う時であったという。53)

国際情勢に疎く日本と韓国の差を理解できなかった東学信徒たちにとって、甑山の説明は理解し難い内容であった。毎度日本に侵略のみされてきた朝鮮であるのに、むしろ日本が朝鮮に解寃すべきだという甑山の説明と公事は当時としては受け入れ難いものであった。甑山は日本が解寃すべきものは壬辰の乱に生じた三つの寃であるとし、日本を「三恨堂」と呼び、日本の寃を解いてやることを天地公事のうち世界情勢に関連した地界公事の優先順位として定める。54) 日本が壬辰の乱で経験した三つの恨は、王を捕らえることができなかった点、非効率的に人命被害を与え過ぎた点、二毛作の技術を教えて朝鮮経済を復興させた点であるという。55)

甑山は日本解寃公事以後、常識的には人界公事の最も第一順位として語られる人類最初の寃である丹朱解寃公事を行う。人間寃恨の始まりとなったという堯帝の子丹朱の寃が解寃されるのは、日本解寃が成った後に中国報恩へと巡行する過程の中にあるため、56) 日本解寃が地界公事として人界公事より優先順位となったように見える。甑山は一般的な常識と異なり、中国は朝鮮の朝貢を受けてきたので朝鮮に報恩し、57) 日本は朝鮮に対して受けるべきものがあるので解寃するという。58)

甑山はまた、むしろ日本を「仕事を見る」「日本人」と呼んで、59) 当時イギリスの競争相手であったロシアを日本に勝たせて日本を世界舞台の頂上に上らせ、東アジアを西洋の植民地が経験する人種差別から保護するとした。60)

甑山の未来展望のうち、当時の民衆に印象深かった点は断然、東学の敗亡予言61)と日露戦争における日本の勝利であった。62) 甑山は牛禁峙の戦いと同時期に起こった金開南の清州戦闘に、63) 自身の従徒であった安弼成と金亨烈を従わせ、敗戦後の避難の道を準備してやって命を救った。また、日露戦争における日本の勝利は全世界の列強たちも予測できなかったことであった。日露戦争において日本に勝利を齎した予想外の東南風を予め予見した甑山の言行は多くの注目を集めた。64)

大巡思想は渡江而西65)の原理によって、満州から来た道主趙鼎山の五十年功夫終畢66)に従い、6.25を避けながら蛇頭龍尾として発展する。突然の光復と6.25に対応し、先制的に釜山甘川太極村へ道場を移した無極道は、太極道として名を変更した後、67) 再び1969年ソウルにおける朴牛堂の大巡真理会へと連結される。68)

原始返本の原理と共に、大巡思想地界観の近代性成立に重要な要素は解寃となる。未来への展望のために過去を廃棄する西欧の近代性は、戻る道を確保できず前へのみ進む危険な山行のようなものである。過去の解寃なき西欧の近代性は、過去の寃をさらに増幅させて人類を戻り得ない盡滅之境に置いたというのが、大巡思想に現れた西洋近代性に対する評価であった。真正な近代性は解寃から始まるというのが、大巡思想に現れた自生的近代性の原理であり、これは天界観より相対的に寃の多い地界観から始まり、人身降世以後にこそ可能なものであった。

天地誠敬信の地界観

超越天が東洋思想に再び出現する契機であった東学思想において、地に対する理解は造化、無為而化、気化などの概念として提示された。しかし九天が実体として出現する大巡思想において地は天地神明概念として理解される。

上帝はある日従徒たちに「私がこの公事を引き受けようとするものではない。天地神明が集まって上帝でなければ天地を正すことができないというので、苦しさ限りないが、いかんともし難く引き受けることになった」と仰せられた。69)

上の例文において、大巡思想に現れた九天の出現は九天の意志ではなく、盡滅之境に陥った天地を救済するために天地神明の訴えによる已むを得ない結果であることを述べる。九天が実体を持つ大巡思想において地観は地界観という形態で多重的意味を内包する。東学思想においては気化、造化、無為而化など人格的神明よりは抽象的で理法的な姿として天地が現れたが、超越神が実体を持つ大巡思想では天地が人格的な神明の姿として人間に出現する。その結果、大巡思想においては九天に対比される地観概念としての地界が、天地神明のシステムである三界としてその姿を顕す。

金光燦と申元一が上帝に侍していた丁未年一月のある日、上帝は彼らに「鬼神は真理に至極なので、鬼神と共に天地公事を判断する」と仰せられながら、壁に文を以下のように書いて貼られた。70)

上の例文において「真理に至極」という表現は、「一心」という側面と「没入と偏重」という側面の二つの意味を指示する。「一心」とは一分野に卓越するという意味で、裏面にはその他分野については別の神明が存在するという意味として解釈され得る。また、特化された機械的神明という神明の特徴は、相対的に有機的な肉体を持つ人間と対比される。神明が専門家のように一分野に特出するが、他分野を知らないとすれば、人間は責任者のように遍く知るが、個別分野においては神明より不足する。人間は特化された神明が互いに調和するように補完し得る、有機的性格を持つ存在であるということを意味する。

具体的に大巡思想において神明は、特定分野に特化された機械のように一分野に対しては特出するが他分野に対しては介入しない数多くの神明から構成されていることを示す。大巡思想において結局宇宙は、一分野の真理に至極な機械的神明と、一分野の真理に至極な専門家ではないが諸分野に遍く通ずる有機的人間という二つの存在によって運行されるという東洋的三才の隠れた原理を示す。天地の運行は差錯という過ちがあってはならないので、真理に至極な神明によって運行される。

天地に神明が満ちているので、たとえ草葉一つでも神が離れれば枯れ、土を塗った壁でも神が移れば崩れるのである。71)

上の例文において、土を塗った壁は無生物、草葉は生命を代表するという。上の例文は大巡思想において三界のシステムを説明する。三界の界とは神明で満ちたシステムを意味する。大巡思想の三界は神明のシステムである天界、地界と人間のシステムである人間界から構成される。したがって三界が運行される原理は天界、地界と人間界において差が生ずる。神明は一分野の真理に至極なので、自分が引き受けた分野については時には九天の指示にも従わない。

上帝はある日従徒たちに仰せられた。「私が扶安地方の神明を呼んでも応じないので、事情を知ろうとやむなくその地方へ行ってみると、元一が功夫する時にその地方神たちが護衛して離れなかったがゆえである。こうしたことを見れば、功夫することをどうして等閑にできようか」と仰せられた。72)

上の例文において九天が扶安地方の神明を呼んだが、扶安地方の神明は自身の領域内に事があり上帝の召しにも応じないほど真理に至極である。真理に至極であるという点は問題点もまた内包する。これに九天は神と人間の相互調和を問題解決の方法として提示する。

大巡思想において天地は機械のように正確に運行されるが、その運行は無作為に与えられるものではなく、天地を運行する神明の至極な誠敬信によって運行される。天地の化育が天地の誠敬信によって成し遂げられることが明確に明かされる箇所は、大巡思想の『典経』に初めて登場する。

天地誠敬信73)

誠敬信とは単一概念の誠、敬、信が合わさった用語であり、事を成就するために必要な努力の総体を意味する。大巡思想において神明の誠敬信は、種々の誠敬信が適用された事例の中でも最も至極な誠敬信として表現される。人間と神明はこの誠敬信を共有しながら解寃と報恩を行うので、誠敬信は自然の原理であり人間修道の原理となる。大巡思想において人間と神明は誠敬信によって互いに神人依導関係を成し、解寃と報恩の関係を成す。

神人以陰陽成造化…(中略)

神無人後無托而所依人無神前無導而所依74)

上の例文において大巡思想の相互補完的神人関係は、天地の運行にも互いに異なる神人の神人依導が鍵となることを示す。神人依導とは、身体がなく特定分野に明るい神明が人間を導くことができ(導)、また身体がなく人間に依拠することになる関係を意味する(依)。人間と神明は陰陽の関係であり、人間でなければ神は依託する所がなく、神明でなければ導く存在がないという上の例文において、人間と神明の関係は天地運行に核心的関係となることを示す。したがって依導の関係は神人間の恩怨関係、すなわち解寃と報恩が鍵となる。地界もまた天界のようにシステムの意味を持っており、大巡思想の地界公事に対する研究は地気統一公事として主に研究されてきた。大巡思想の地界は主に解寃の方法によって地が解寃されることで、互いに和解する統合の境地へと進む。

「解寃」は今日人類学で言うリミナリティ(liminality)の方式で進行された。リミナリティは「敷居」という意味で、あれでもこれでもない境界状態を言う語である。75) 人類学において全世界に現れる通過儀礼は解寃を代表し、結婚式、葬式のようにあれでもこれでもないリミナリティな儀礼を通じて「解寃」という変化を受け入れる。例えば韓日合邦は日本でも韓国でもないリミナリティの状態であり、これによって日本は解寃する。リミナリティは「霊魂結婚式」のように易地思之の状態となることである。日本解寃は解寃公事という天地公事の実際性を表す客観的徴標として、日本解寃は三十六年間を要するほど重要な公事である。

大巡思想において天界は神聖・仏・菩薩が集まって上帝に訴えるように、天上公庭が行われる場であり、76) 地界は利瑪竇死後に開放された天地の間で、地下の文明神が天上に上がって文明を学び人世に施す文明と形体の世界である。77) 属性的な自然と実体的な人間が文明神を通じて調和する。この三界が人間の寃によって秩序が乱れ、三界を再整備するために出現した思想が大巡思想であり、ここに東西洋融合の痕跡が現れる。

大巡思想の天を実体的な九天とする時、天地神明が地に該当するため、九天に訴える存在は神聖・仏・菩薩となる。近代性と関連付けて見ると、大巡思想から見て、神明は人間に施したが、人間は物質に偏って神明の恩恵を忘却し、天地は盡滅することになったのである。大巡思想の天界に現れる神明は属性のみを意味した東洋の天概念だけでなく、実体を強調する西洋の神概念とも符合する。

大巡思想において地は神明が奉安され得る場である。神明が天のみに奉安されているのではなく、地と人にも時代の変化に従って移動する。

天尊と地尊より人尊が大きいので、今は人尊時代である。心を勤勉にせよ。78)

上の例文において天尊とは神が天に奉安されている天尊時代の天尊を意味し、地尊とは地に奉安されている地尊を言う。神明が人間に奉安され得る人尊を可能にする、大巡思想の相関的思惟に基づいたリミナリティと再活性化は、陰陽合徳、三才確立、五行具備と言える。

人身降世による実体論的九天の出現は天地関係の包越として現れる。東学思想において九天の出現により変化した天地関係は、神明が出現する大巡思想において実体的な関係に変化する。金剛すなわち「雷声」という概念によって三界を連結する大巡思想は、79) 東学思想の「天地鬼神」80)という概念によっても解決できなかった天地関係の相克化を、正陰正陽を通して再活性化により解決させる。

上帝はある日後天における陰陽度数を調整しようと従徒たちに五呪を修練させた。従徒たちが修練を終えて各々座を定めると、上帝は紙片を分けて渡されながら「後天陰陽度数を見ようとする。各自他人に分からないように点を打って表示せよ」と仰せられたので、従徒たちは心にあるままに点を打って上げた。「應鍾は二点、京洙は三点、乃成は八点、京石は十二点、公信は一点を打ったが、九点がないので、いにしえより一男九女という言葉は分からないことである」と仰せられて、乃成に「八仙女という言葉があって八点を打ったのか」と問われ、應鍾と京洙に「老人たちが二人の妻を望むが、いかに堪え得ようか」と仰せられたので、彼らが「後天においては新しい気力が出てこないのですか」と問い返すと「もっともである」と仰せられた。そして上帝が京石に「お前は何の妻を十二人も望むのか」と問われると、彼は「十二帝国に一人ずつ妻を持ってこそ満足するのです」と答えたが、この言を聞かれ、上帝は再び「もっともである」と言葉をかけられ、公信を顧みて「京石は十二人も望むのに、お前はなぜ一人だけを考えるのか」と問われると、彼は「乾坤があるばかりで二坤があり得ませんので、一陰一陽が原理であると存じます」と申し上げたところ、上帝は「お前の言は正しい」と仰せられ、「公事をよく見たので、客のもてなしをよくせよ」と命じられた。公信は仰せの通りに奉行した。上帝はこの陰陽度数を終えられ、公信に「お前は正陰正陽の度数なので、その気運をよく堪えて受け、正心で修練せよ」と命じられ、「文王の度数と伊尹の度数があるが、その度数を任されるには極めて難しいのである」と教えてくださった。81)

上の例文において正陰正陽とは、天と地が先天においては多重的に対応したが、後天においては一対一に対応するという意味となる。陽尊陰卑、抑陰尊陽、天尊地卑であった相克的な天地関係は、大巡思想の正陰正陽的な相生となり、天地関係は地上天国へと転化する。地上天国は天国が地で成し遂げられ地がすなわち天国となるという意味で、天地の陰陽合徳を表す大巡思想の天地関係の相生化を代表する概念である。大巡思想において地上天国は正陰正陽公事によって成し遂げられるが、天地が分離される時から天地が化育する十二運星の原理として現れる。

年月日時分刻輪廻 皆是元亨利貞天地之道也82)

上の例文は、春夏秋冬の気運を象徴する元亨利貞が年月日時に皆無限重畳して適用される原理であることを示し、83) 仏教の輪廻もまた年月日時分刻輪廻の一つであると明確に言及している。円の原理によって輪廻は、仏教におけるように生の輪廻にのみ止まるのではなく、極大と極小の時空間世界においてフラクタル原理として作動する。84) 『典経』に元亨利貞は宇宙のあらゆる変化の根本原理である大経大法としても表現される。85)

上の例文において元亨利貞と十二運星は体用関係として現れる。大巡思想においては、これまでその発生と作動の原因が分からなかった命理学の十二運星(運星)が、天地之道である元亨利貞と体用の関係であることを明らかにした。体である五運が現実的には六気という用として現れるように、元亨利貞という天地の道である体は、胞胎養生浴帯冠旺衰病死葬という十二運星の用として現れるという。

胞胎養生浴帯冠旺衰病死葬は運気学に出てくる十二運星、あるいは胞胎法である。胞胎は母の腹中で胎児が着床することであり、養生は着床した胎児が発育することであり、浴帯は母の腹中で赤子が出てくることであり、冠旺は冠を被って旺盛に活動することを言う。胞胎養生浴帯冠旺衰病死葬は今日十二運星とも呼ばれる「陰陽休旺説」の用語である。「陰陽休旺説」は易学の五運六気において六気に該当する気の動きで、例えば木気である甲は寅木において最も強盛な冠となり、木と相克される金である申において気運が始まる胞となる。

陰陽休旺説は今日命理学において一部使用されるが、易学において天地之用と言えるほど普遍的に使用される概念ではないにもかかわらず、『典経』では元亨利貞と体用関係を成す天地之用として引用されるほど強調されている。易学はあらゆる循環の根本モデルを提示するので、易学で循環の核心と言える気の循環を扱う陰陽休旺説が『典経』で天地之用にまで言及されたと言える。大巡思想において陰陽休旺説は問題解決の基本枠組みとなった。問題解決の原理である知所先後と厚薄は、86) 理と気の順序、すなわち陰陽休旺の順に事が成し遂げられることを示す。

十二運星は生命が妊娠して育ち、大きくなって活動する前半の成長過程を十二段階に分けた典型的な成長理論である。87) 十二運星は陰陽と五行理論が出会うことによって生じざるを得ない必然的な結果である「陰殺陽生」と「陰陽順逆之説」によるものである。「陰殺陽生」は陰が衰えることが陽が生ずることであり、「陰陽順逆之説」はその反対も同様であるということである。実際に『典経』にも「陰殺陽生」と「陰陽順逆之説」が現れる。

陰殺陽生 陽殺陰生 生殺之道 在於陰陽 人可用陰陽然後 方可謂人生也88)

『淮南子』、『白虎通義』に現れる十二運星は、五行が八卦と出会って生長斂蔵する陰殺陽生に現れる。89) 十二運星は十干が十二支に及ぶ姿である。『黄帝内経』運気学の十二運星が言及されることは、運気学の大宇宙と小宇宙の区分を『典経』で反映していることを示す。大巡思想において地は天地と十二運星の変化をする存在として地位が浮上する。大巡思想は十二運星を二で割って天地之用を六用と言い、六用を天地人の三徳と言う。

六用三德 三德則天德地德人德也 統合謂之大德也 (中略)

天地之用 胞胎養生浴帶冠旺衰病死葬而已90)

したがって十二運星は胞胎、養生、浴帯、冠旺、衰病、死葬という六用に分かれ、胞胎、養生、浴帯は天地人の三徳に該当する。天地化育はこの天地人の三徳によって成し遂げられ、これは再び天地人と関係する儒仏仙と連動される。

九天が実体として出現する大巡思想においては、造化、無為而化、気化などの東学思想地観の概念が天地神明の概念として具体化されながら、十二運星が元亨利貞と体用関係であることが明らかになるなど、構成要素間の関係が明確になる。91) 天地之用へと拡大された大巡思想の地界観は、東洋の凝縮的地観(1)、西洋の質料的地観(2)、東学思想の造化定的地観(3)を受容して新たな天地之用の地界観を示す。これにより東西洋が統合された聖-俗の再配置、すなわち近代性が定立され、さらに脱近代性へと転換される。

天地誠敬信地界観に現れた東西洋地観の再活性化

天地誠敬信地界観に現れた儒仏仙地観の再活性化

大巡思想においては儒仏仙が天地之用の十二運星と関連するという。

受天地之虛無仙之胞胎

受天地之寂滅佛之養生

受天地之以詔儒之浴帶92)

十二運星の原理に従い、天地の胞胎気運である虚無を持って仙道が生じ、天地の養生気運である寂滅を持って仏道が生じ、天地の浴帯気運を持って儒教の以詔が生じたという。大巡思想においては天地の成長過程が宇宙万物に適用されるので、人間の成長もまた天地の十二運星の成長原理として解釈され得る。大巡思想は十二運星という一貫性によって人間の成長を説明している。仙道と仏教、儒教はそれぞれ胞胎・養生・浴帯関係として連結された存在となる。儒仏仙が胞胎・養生・浴帯を通じて遂行する役割を見れば

佛之形體仙之造化儒之凡節93)

仏教は養生をして形体を作り、仙道は造化として陰陽を合徳させて胞胎する。腹中から出た赤子は凡節を学ぶことになる。人間が仙(胞胎,天)-仏(養生,地)-儒(浴帯,人)の順に発展していくとすれば、天地が生ずるのは反対に儒(子,天)-仏(丑,地)-仙(寅,人)の順に生ずる。94)

道傳於夜天開於子 轍環天下虛靈

敎奉於晨地闢於丑 不信看我足知覺

德布於世人起於寅 腹中八十年神明95)

大巡思想の地界観はこの儒仏仙の地界観を実際の地に具現するものである。神明が奉安され得る地はまた天のように再活性化されて天文のように地もまた再整列される。大巡思想の地界観は三神山から出発し、父母山である回文山と母岳山において整備され、山王と海王の穴処が整列される。

此の地は古来より蓬萊山・瀛洲山一名神仙峰・方丈山の三山が三神山と呼ばれてきた所である。

まず三神山の場合、三神山は古代道教思想である神仙思想と風流思想が、大巡思想が出発した井邑を中心に起こったことを示す代表的な地名である。井邑はまた東学農民運動が起こった所でもある。96) 井邑は当時、渤海の水中に沈んだという三神山がある位置と近く、全国の三神山の中でも独り井邑の三神山は全国的に知られている。金性煥、鄭在書などの先行研究のように、井邑は秦漢時代の神仙思想を代表する徐福(BC 255-?)が不老草を探して向かった旅程の道筋であった可能性もある。97) 三神山が九天が応じ得る地であれば、父母山は九天が作った天地神明と対応し得る場である。

上帝は各処で精気を抜く公事を行われた。江山精気を抜いて合わせようと父母山の精気から公事を見られた。「父母山は全州の母岳山と淳昌の回文山である。回文山に二十四穴があり、その中に五仙圍碁形があり、碁変は唐堯が創作して丹朱に教えたものであるから、丹朱の解寃は五仙圍碁から大運が開かれて巡るであろう。次に四つの明堂の精気を総合しなければならない。四つの明堂は淳昌回文山の五仙圍碁形と務安僧達山の胡僧禮佛形と長城巽龍の仙女織錦形と泰仁拜禮田の群臣奉詔形である。そして扶安邊山に二十四穴があるが、これは回文山の穴数の対となり、海辺にあって海王の度数に応じるのである。回文山は山君、邊山は海王である」と仰せられて、上帝はその精気を抜かれた。98)

地の陰陽の始まりと言える父母山の中、「父」に該当する回文山は、大巡思想において世界平和が始まる五仙圍碁穴がある所でもある。一般的な風水地理が微視的に家事や国事に取り上げられるとすれば、大巡思想の風水地理は巨視的に天下事に関連する。

また上帝は長根に式醯一甕を作らせ、この夜の初更に式醯を大きな器に盛って人頃の下に置かれた後、「碁の始祖丹朱の解寃度数を回文山五仙圍碁穴に付けて朝鮮国運を回らせようとするのである。五人の神仙のうち一仙は主人として手をこまねいて見るのみで、四人の神仙は盤を置いて互いに組を作り取り合おうとするので、日が遅くなって勝負が決定されないため、今、崔水雲を招いて証人として立たせ、勝負を決定しようとするのである。この式醯は水雲を接待するものである」と仰せられ、「お前たちが持っている文集にある句節を知るか」と問われ、数人が「記憶する句節があります」と答えた。上帝は白紙に「乞群クッ チョランイ パ ナムサダン ヨサダン サムデチ」と書き、「この文がすなわち呪文である。唱える時に笑う者があれば死ぬので注意せよ」と仰せられ、「この文に曲調があるので、もし唱える時に曲調に合わなければ神仙たちが笑うであろう」と仰せられて、上帝が自ら曲調を付けて読まれ、従徒たちにも従って読ませると、やがて冷気が漂った。上帝は読むのを止めて「崔水雲が来たので静かに聞け」と仰せられ、突然人頃の上で「家長が厳粛であれば、そのような顔色がなぜあろうか」と叫ぶ声が聞こえたので、「この言葉はどこにあるのか」と問われた。一人の従徒が答えて「水雲歌詞にあります」と。上帝は人頃の上に向かって何句か聞き取れないように対話された。99)

回文山が父の山であり世界平和の始まりとなる五仙圍碁が始まる場所であるならば、地の陰陽の始まりと言える母岳山は父母神の中「母」に該当し、甑山が神明として三十年留まった金山寺がある。

金山寺で上帝に従って行った時、上帝は従徒たちに 天皇 地皇 人皇 後 天下之大金山 母岳山下に金佛が能言し 六丈金佛が化爲全女なり 萬國活計南朝鮮 淸風明月金山寺 文明開花三千國 道術運通九萬里 という句節を唱えてくださった100)

上の例文において「母岳山下に金佛が能言し」は、金山寺に九天の降世が予想されるという意味となる。東学思想の地観と大巡思想の地界観を比較すると、大巡思想は東学思想に比べて相関的思惟の拡大により地の役割が増大し、リミナリティ様相が強化される。代表的に地気を強化するために「三尺三寸の地を焼く」というのは、再活性化を拡大するために甑山が遂行した地気統一公事を通じて成し遂げられる。

後天においては種子を一度撒けば毎年根から新芽が出て収穫することになり、地もまた耕さなくとも沃土となるであろう。これは地を三尺三寸を焼く所以である。101)

上の例文において地を「三尺三寸」を焼く理由は、地を沃土へと地位上昇させて地上天国を作ることを示す。「三尺三寸」は伝統的な地観(地官)が地の気運が影響を及ぼす範囲とみなした範囲である。天気は九万里であり、今日の人工衛星軌道と一致するという。

大巡思想地界観の特徴は終末ではなく地上天国という「地上主義」的宗教観であるという。102)「地上主義」とは聖と俗の境界を再配置する契機を意味する。車善根は内庭と霊台の関係を道教と共に論じる。103) 大巡思想において地界観は風水地理と共に非常に大きな比重を占める。

地界観の場合、父母山と二十四穴処が再整備される。父母山である母岳山と回文山、そして世界の根源山である内蔵山を中心として山君と海王の二十四穴を再整備する。

上帝は各処で精気を抜く公事を行われた。江山精気を抜いて合わせようと父母山の精気から公事を見られた。「父母山は全州の母岳山と淳昌の回文山である。回文山に二十四穴があり、その中に五仙圍碁形があり、碁変は唐堯が創作して丹朱に教えたものであるから、丹朱の解寃は五仙圍碁から大運が開かれて巡るであろう。次に四つの明堂の精気を総合しなければならない。四つの明堂は淳昌回文山の五仙圍碁形と務安僧達山の胡僧禮佛形と長城巽龍の仙女織錦形と泰仁拜禮田の群臣奉詔形である。そして扶安邊山に二十四穴があるが、これは回文山の穴数の対となり、海辺にあって海王の度数に応じるのである。回文山は山君、邊山は海王である」と仰せられて、上帝はその精気を抜かれた。104)

地気統一公事の中心となるのは回文山と母岳山である。父母山である回文山と母岳山の公事と全羅道三神山、そして智異山、金剛山、漢拏山の外三神山に対する運回公事と山君と海王の二十四穴公事が地界公事の中心となる。天地公事によって天界が整列され、天人関係は東学思想の造化関係から発展した相生関係として再活性化される。人身降世によって天円地方の天地関係を仲介する人間の地位が再活性化され、天地公事は東西洋の相克的地人関係を相生へと転換させる。儒仏仙地観が各々個別に構成されているとすれば、大巡思想の地界観は十二運星として統合されて現れる。

天地誠敬信地界観に現れた西洋地観の再活性化

西洋の世界観は実体的世界観である。西洋で言う地は東洋で言うように天と感応して天地の化育に同参する存在ではない。ただ天の形象が適用される質料的実体であるか、天の形象通りに作られて人間が支配・管理する対象である。これに西洋の地は神明で満ちた東洋の地と異なり、人間の便宜のために活用される対象であった。『典経』にはこれについて蒼生の便宜と表現している。

上帝はある日京石に仰せられた。「以前はお前が私の言を聞いたが、今日は私がお前の言を聞いて公事を処決することになるのだが、問うままによく考えて答えよ」と命じられ、「西洋人が発明した文明利器をそのまま置くべきか、取り除くべきか」と再び問われると、京石は「そのまま置いて利用することが蒼生の便宜になるかと思います」と答えた。その言を正しいと仰せられ、「彼らの機械は天国のものを真似たものである」と仰せられ、また上帝は様々なことを問われた後、公事として決定された。105)

上の例文は西洋近代性の地界観に対する総体的な性格規定を示す。まず「西洋人が発明した文明利器」という句節は、地に対する西洋近代性の特徴が文明利器にあることを示す。文明利器は歴史的に西洋近代性を総体的に象徴する象徴物であった。まず銃、刀、列車などに代表される西洋の文明利器は、近代以後原子論へと転換した西洋の天観・地観・人間観を反映する。

デカルトの「Cogito ergo sum(我思う、ゆえに我あり)」という命題は短い句節であるが、変化した西洋の天観・地観・人間観を全体的に含蓄している。カルヴァンの予定説によって始まった西洋の近代であったが、マテオ・リッチ以後伝来した属性中心の東洋的世界観は、神を中心として成立した西洋の実体論的世界観において唯一残っていた唯一神までも否定する契機をもたらし、唯一神が消えた世界において唯一神を代替する新たな実体を見出さなければならない課題を抱えることになった。これに対する最も有力な対応策として登場したのがデカルトの「Cogito ergo sum」という命題であった。

デカルトの「Cogito ergo sum」は、唯一神が消えたので今や信じられるのは「我思う」一つの事実であるから、すべての天観・地観・人間観を「Cogito ergo sum」の上に再構成するというのが、西洋近代性を代表する構成主義(constructivism)の核心であった。デカルトに対して反対に、宇宙全体が神であるというスピノザの汎神論(pantheism)や気と同様に存在するというライプニッツの単子論(La Monadologie)もあったが、デカルトの構成主義はカントを経ながら西洋近代の天観・地観・人間観として位置づき、特に地観においてその実践を加速化した。

近代以後、西洋にとって地とは原子から構成された物質の組合せに過ぎず、人間の役割は原子の特性を利用して文明利器を作ることであった。逆説的なのは、原子の法則もまた天観・地観・人間観の原理に従ったものであったが、そうした主張は隠蔽されたのである。今や人間は文明利器を作る道具的理性の存在となり、西洋のみが道具的理性を持つ人間となる。しかし上の例文は、この文明利器がマテオ・リッチが開放した天上と地下の境界開放によって、106) 天の文明が地の神明に伝わり、地が人間のために展開したものであると述べている。これに古い天は人間を殺す天へと変貌した。107)

西洋の近代性が退路なく前進のみする危険な近代性であり、神明の恩恵も知らず自ら傲慢になって自滅している近代性であったが、上の例文はまた西洋近代性の価値を「蒼生の便宜」という次元で高く評価している。この句節において「蒼生」とは、後天に道通をできずに日常の生を生きていく存在を意味する。道通をしていないので、日常を営むに当たって文明利器は実に便利な手段となる。西洋の近代性が神明を排除したが、蒼生の便宜に発展を遂げたのは西洋の地気運によるものであるので、各文明の長所が統合される開闢では高く評価され得るのであった。108)

上の例文において大巡思想に現れた九天は、西洋の近代性に対して両義的に評価していることが確認できる。九天が西欧の近代性に対して両義的評価をすることは、九天が意図的に西欧的近代性を志向したと言える余地がある。実際に大巡思想の九天は西欧的近代性のような物質文明の重要性を非常に強調している。

用力術を学ぶでない。汽車と輪船で百万斤を運搬するであろう。縮地術を学ぶでない。雲車に乗って風を制御し万里の道を一刻に往来するであろう。109)

上の例文は蒼生の便宜が先天の道術を凌駕する姿を示す。大巡思想においては大巡思想を先天の道術と混同しないことを強調している。大巡思想は東学思想のように既存に出現した真理体系には見られない真理であるので、先天の道術を学ばないことを勧める。

天地に水気が回る時、万国の人が学ばなくても通語するようになり、水気が回る時にガラッという音が出るであろう。110)

大巡思想が言う文明の範囲は、汽車と輪船のような実体的な内容だけでなく、言語のような抽象的な内容までも含むことを意味する。天地公事が始まり100余年が過ぎた今日にこそ実現される技術の発展が、当時に予測されていたことになる。

金山寺に上帝に従って赴いた折、上帝が従徒たちに

天皇(天皇) 地皇(地皇) 人皇(人皇) 後 天下之大金山(天下之大金山)

母岳山下(母岳山下)に金佛(金佛)が能言(能言)し

六丈金佛(六丈金佛)が化爲全女(化爲全女)なり

萬國活計南朝鮮(萬國活計南朝鮮) 淸風明月金山寺(淸風明月金山寺)

文明開花三千國(文明開花三千國) 道術運通九萬里(道術運通九萬里)

という句を誦して下された。111)

上記の引用文は、大巡思想が語る近代性の範囲が西洋の近代性を含む遥かに広範かつ長期的な観点の近代性であることを示している。また、天皇・地皇・人皇という『史記』に現れる文明始原に関する言及は、近代性が実は伝統と接続していることを示している。

「この世に学校を広く立てて人を教えるのは、まさに天下を大いに文明化し、三界の歴史に付して神人(神人)の解寃を解こうとするものであるが、現下の学校教育は学ぶ者をして官吏の俸禄など卑劣な功利のみに陥らせるので、それゆえ盤外にて成道することとなったのである」と仰せられ、お言葉を終えられた。112)

上記の引用文は、西洋の近代性がマテオ・リッチによって西洋の文運が開かれた当時の趣旨とは異なり、利得のみに活用する人間によって当初の趣旨を活かせなかったことを示している。以後、西洋は神明を否定し冷遇して当初の趣旨は活かせなかったが、蒼生の便宜を図ったという長所は認められる。

上帝がある日、京石に向かって「以前は汝が我が言に従ったが、今日は我が汝の言に従って公事を処決することになるであろうから、問うことに応じて十分に思案して答えよ」と仰せられ、「西洋人が発明した文明の利器をそのまま留めおくのが正しいか、撤するのが正しいか」と再度問われたところ、京石は「そのまま留めおいて利用することが蒼生の便宜となるかと存じます」と答えた。その言を是とされて「彼らの機械は天国のものを模したものである」と仰せられ、また上帝は様々なことを問われた上で公事として決定された。113)

西洋の文明が蒼生の便宜を図ることとなったのは、地の気の影響として現れる。ただし、地の気の差異は各文化の発展のみならず反目をも誘発し得るため、地気を統一する公事によって相互発展を図り得るとされる。

また上帝が「地気が統一されていないがゆえに、その中に生きる人類はそれぞれ思想が食い違い、それぞれに思考して反目闘争するのである。これを除こうとするならば、解寃によって万古の神明を調和し、天地の度数を調整しなければならず、これが成就すれば天地は開闢し仙境が建てられるであろう」と仰せられた。114)

上記の引用文に現れた異なる地気の影響は、文化のみならず宗教の領域でも現れる。宗教の領域においては、宗教は地の気と合わさり文化発展に寄与することにもなる。儒仏仙もまた互いに三合をなし得る。

四月のある日、金宝鏡の家にて公事を行われるに、白紙四枚を広げられて紙の隅ごとに「泉谷(泉谷)」と書かれたので、その意味を致福が伺ったところ、上帝は「昔、節死した郡守の名である」とお教えくださり、致福と松煥をして文を書いた紙を向き合わせに持たせ、「その形は喪輿の護防傘(護防傘)のごとくである」と仰せられた。

そして甲七は上帝のお言葉があって外に出て戻り、西の空に一点の雲があることを申し上げると、再び命じられたので、また外に出て空を見て戻り、一点の雲が全天を覆ったことを申し上げたところ、上帝は白紙一枚の真ん中に四明堂(四明堂)と書かれ、致福に「弓乙歌にある四明堂更生という言葉は、僧の四明堂ではなく、明字を用いた四明堂であり、造化は仏法(佛法)にあるゆえに胡僧礼仏穴(胡僧禮佛穴)であり、無病長寿(無病長壽)は仙術(仙術)にあるゆえに五仙囲碁穴(五仙圍碁穴)であり、国泰民安(國泰民安)は群臣奉詔穴(群臣奉詔穴)であり、仙女織錦穴(仙女織錦穴)で蒼生に絹衣を着せるであろう。六月十五日に神農氏(神農氏)の祭祀を行い公事を行うであろう。今年は天地の捍門(捍門)である。今、事を行わなければ事を成し得ぬであろう」と仰せられた。

上記の引用文は、儒仏仙に代表される各文明の基盤が地の気にあり、その土地はそれぞれ天の意を代表していたことを示している。上記の引用文において西教の部分と推定される箇所は仙女織錦穴であり、上記の引用文においても蒼生に絹衣を着せると述べて、蒼生の便宜を強調している。

九天に対する認識の転換は、近代性において常に鍵となってきた。東学思想において天外天が東洋思想に初めて出現するが、西洋の場合は天外天を天概念とみなす土台の文化であったため、地観についても天に感応する東洋の地観に比べて実体的な属性をより多く有していた。西洋の地観の実用的性格について、蒼生の便宜に関する内容は「錦衣蒼生」という部分に代表される。大巡思想は地気統一公事を通じて東西洋の地観を再活性化する。

地上天国(地上天國)の天地関係に現れた東西洋の天地関係の再活性化

地上天国に関する言説と関連して、大巡思想に現れる特徴は二つある。第一は地上天国に関する理論的背景を明らかにする点であり、第二は地上天国の現象を示すという点である。

まず、大巡思想が地上天国の原理を明らかにしたのは、地上天国の原理が陰陽合徳の原理に従って具現されるという点である。大巡思想において天地関係は、天円地方の天地構成原理に従って天地神明の相互作用により森羅万象を化育する体系となる。天地は陰と陽の一方のみを担っており、人間の道通があってこそ成功し得る存在であり、道通君子の化育を目標とする。魂の性格を有する天は形体なき企画を行うため、天円地方、天文地理、天道地徳の場合と同じく魂の性格を有する円(圓)、文(文)、道(道)の役割を遂行する。一方、魄(魄)の性格を有する地は形体があり実行を行うため、天円地方、天文地理、天道地徳の場合と同じく魄の性格を有する方(方)、理(理)、徳(徳)の役割を遂行する。大巡思想の呪文には、天地の二十八宿と二十四節候、天地造化、天地八門、天地遁甲を遂行する神明たちが体系的に現れる。

伝統的に地上天国は想像の中にのみ存在する希望事項として理解されてきた。大巡思想は西洋という見慣れぬ他者が出現する局面を迎え、東洋と西洋の関係を陰陽の原理によって解釈し、自生的な西洋理解の転機をもたらす。同様に地上天国についても陰陽の原理を適用し、西洋によって進行されつつあった地上天国の意味を東洋的に理解させた。

目的(目的)

無自欺(無自欺)       精神開闢(精神開闢)

地上神仙実現(地上神仙實現) 人間改造(人間改造)

地上天国建設(地上天國建設) 世界開闢(世界開闢)115)

上記の引用文は、道主・趙鼎山が1925年乙丑年に九天を九天応元雷声普化天尊上帝(九天應元雷聲普化天尊上帝)に奉安した後、大巡思想の宗旨・目的・信条を明らかにした際、目的として説明した部分である。当時、甑山の思想に関する研究者は多数存在したが、大巡思想を宗旨・目的・信条として明確に区分したのは道主・趙鼎山が初めてであった。

上記の引用文において目的とは、天地公事を含め甑山の数多の行跡がいかなる意図に基づいてなされたかを明示する部分である。上記の引用文において世界開闢という表現で示された地上天国建設は、地上天国が陰陽合徳という開闢の次元で理解されていることを示している。

次に第二の地上天国の現象について見れば、大巡思想は地上天国の様相を理(理)を通じて説明している。

後天においては種子を一度植えれば、毎年根から新芽が生じて収穫することとなり、土地も耕さなくとも沃土となるであろう。これは土地を三尺三寸焼くがゆえである。116)

上記の引用文は、後天の地上天国における土地を描写した一節である。後天の土地は種を撒かずとも作物が自ずと育つ。陰陽合徳の原理に従って天と同じく地位が上昇した土地は、その機能の面でも天と対応する。一方、後天を導く道通君子と共に行動する道通神明が存在する場所もまた、地上で最も秀麗とされる金剛山となる。

上帝が泰仁・道昌峴にある井戸を指して「これは乳(乳)の泉である」と仰せられ、「道はやがて金剛山一万二千峰に応気して一万二千の道通君子をもって昌盛するであろう。しかし後天の道通君子には女性が多いであろう」と仰せられて、

「上有道昌中有泰仁下有大覚(上有道昌中有泰仁下有大覺)」

と仰せられた。117)

地上天国は甑山の人身降世によって現実化されたが、地上天国は天地が造られた時から意図された原理であったため、降世以前から持続的に追求されてきた。西洋の宗教では天国と地上を概ね分離したが、新羅の仏国土や花郎のような事例に見るように、東洋では持続的に結合が追求される。

大巡思想において地上天国を実現することは、「典教」に現れるように、4,600余年にわたる歴史の中で世に出現した聖人と儒仏仙の伝播を通じた人間に対する教育によるものとして現れる。『典経』は、天地の陰陽合徳と人間と神明の神人調化が成り、天地が成功した後天の地上天国を次のように描写している。

後天にはまた天下が一家となり、威武や刑罰を用いずとも造化によって蒼生を法理に適うように治めるであろう。仕える者は化権が開かれて分を超える法がなく、百姓は寃鬱と貪淫のあらゆる煩悩がなく、病んで苦しみ死んで葬る事を免れて不老不死し、貧富の差別がなく心のままに往来し、天が低くて昇降が思いのままになり、知恵が明らかになり過去・現在・未来および十方世界に通達し、世に水・火・風(水火風)の三災がなくなって瑞祥が熟する地上仙境と化すであろう。118)

上記の引用文において後天は、人間によって天地が調和されることを前提とするため、人間の教育と人間の変化が前提とされることを示している。このように大巡思想の地上天国は、長い歴史の中で極めて緻密な論理を土台として成就していく。

併せて大巡思想においては、原理と共に地上天国に関連して歴史的な三つの事件が注目される。『典経』において地上天国を本格的に追求した人物は、堯王、マテオ・リッチ、震黙大師である。大巡思想において陰陽合徳を通じて地上天国を建設しようとした最初の人物は堯王である。

上帝が丁未年陰暦十二月二十三日に申京洙をその家に訪ねられた。上帝は堯(堯)の暦像日月星辰敬授人時(曆像日月星辰敬授人時)について「天地は日月がなければ空の殻であり、日月は知人(知人)がなければ虚影(虛影)である。唐堯(唐堯)が日月の法を解き明かして百姓に教えたゆえ、天の恩と地の理が初めて人類に与えられたのである」と仰せられた。この時、上帝は日月無私治万物 江山有道受百行(日月無私治萬物 江山有道受百行)を教え、五呪(五呪)を作って天地の津液(津液)と名付けられた。その五呪は次のとおりである。

新天地家家長歲 日月日月萬事知

侍天主造化定永世不忘萬事知

福祿誠敬信 壽命誠敬信 至氣今至願爲大降

明德觀音八陰八陽 至氣今至願爲大降

三界解魔大帝神位願趁天尊關聖帝君119)

上記の引用文において、堯王(帝堯陶唐氏, BC 2324-BC 2255)が天の恩である日月の法、すなわち時間の原理とそれに伴う地の理を知らしめ、地上天国となり得る道を開いたと大巡思想は評価する。

次に近代に近い時期に大巡思想の地上天国を成就しようとした人物は、マテオ・リッチと震黙大師(震默, 1562-1633)である。大巡思想においてマテオ・リッチの東方宣教は、西学の地上天国建設の努力として高く評価される。西学の天堂は死後世界にあるものとして強調されたが、実際の西学の価値は地上天国の建設にあったと大巡思想は評価する。マテオ・リッチ以前にも地上天国を模索しようとした他の人物たちが大巡思想において再照明される。これらの人物の中には神農氏(炎帝 神農氏)、姜太公(姜尙, B.C. 1211-1072)、関雲長(關羽, ?-21)、釈迦牟尼などがある。120)

儒教の弊習によりマテオ・リッチの地上天国の試みは挫折した。しかしその代わりに東西の境界が開放され、東洋の文明神は西洋に渡って西洋の地上天国建設に同参することになる。しかし人間の傲慢により怨恨が解寃されぬ状態でのこの開放は、かえって三界の錯乱へとつながる。

大巡思想において地上天国建設のために尽力した今一人の人物は震黙大師である。朝鮮中期に生き仏と呼ばれるほど異跡と伝説の主人公であった震黙大師は、天上に昇って種々の妙法を学んで降り、人世にそれを施そうとしたが、これもまた儒学者・金鳳谷の陰謀によって挫折する。

東学の失敗以後、百尺竿頭にあった東洋(東洋)の形勢は、その存亡の急迫さが百尺竿頭(百尺竿頭)にあったが、天地公事の後、日露戦争を契機に復活の転機を迎え今日に至る。西洋より先んじていた東西洋の関係はマテオ・リッチと震黙大師以後に逆転し、東洋は尽滅の危機に置かれた後復活する。天地公事以後、東西洋の交流は増幅され、東西洋の長所が合わさった文化が150余年にわたり築かれてきた。

成事在人(成事在人) 人界観(人界觀)の自生的近代性

人界観(人界觀)としての人間観(人間觀)

大巡思想の人界観の成立は九天の人身降世から始まる。実体としての九天の人身降世は、九天の神位に現れる「姜聖上帝」という用語に明確に現れる。

姜聖上帝(姜聖上帝)とは、

宇宙(宇宙)森羅万象(森羅萬象)を三界大権(三界大權)をもって主宰(主宰)管領(管領)し、観鑑万天(觀鑑萬天)される全知全能(全知全能)の神(ハヌニム)の尊称(尊稱)であることを意味する。

「姜聖上帝(姜聖上帝)」は、人間界の姓を神位に追加することによって、九天が人身降世をなしたことを示している。九天の人身降世により人界観は新たに形成される。人身降世後、天地を運行していた神明は運数の座を共にする人間を求めて出向くこととなる。人身降世以前には人間が神明を求めて来たが、人身降世以後には神明が人間を求めることになる。

上帝が朴公又が妻と争って銅谷を訪ねて来たため、にわかに叱責されて「我は毒であれば天下の毒をことごとく備え、善であれば天下の善をことごとく備えるものである。汝はいかにして我が前にありながらかかる真ならぬ行為をなすのか。今や天地神明が運数の座を求めて各人および各家庭に出入りしながら器局を試みるであろう。性質が寛容ならず家庭に和気を失えば、神明は嗤って大事を任せ得ぬ器局として、互いに引き連れて去るであろう。事に志を置く者が一時たりとも、いかにあえて思慮を疎かにし得ようか」と仰せられた。121)

運数の座とは、陰陽合徳の原理によって後天において神明が共にする人と家庭を意味する。九天の人身降世により人間の地位が格上げされる。大巡思想において神明と人間は生と死の境界において区分される。人間は死ねば神明となり、神明が生まれれば人間となるのである。

金松煥が死後のことについて伺ったところ、上帝は「人には魂と魄があり、人が死ねば魂は天に昇って神となり子孫の祭祀を受け、四代(四代)を過ぎた後には霊ともなり仙ともなる。魄は地に帰り、四代を経れば鬼となるのである」と仰せられた。122)

神明と人間は生と死によって自ら其の形態を変える。すなわち人間は神が身という形体を有することであり、人間が死によって形体を脱すれば神となる。ただし修道をなした人間は精と魂が結合し凝集することとなり、死しても魂が消滅せず天上に昇り得るが、修道をなさぬ人間は煙が散じるごとく消失する。

道を修めた者はその精魂が固く凝集するゆえ、死しても散ぜず天上に昇るであろうが、然らざる者はその精魂が微かにして、煙や水泡が散じるごとくなるであろう。123)

上記の引用文において「精魂(精魂)」が魂と異なるのは、身体にある精気神(精氣神)のうち物質である精(精)と精神である魂(魂)が結合したものが精魂であるため、精魂は人間が生存している時にのみ有する魂となる。人間は修道の如何によって、この精魂の水準が決定される。これにより神明と人間は陰陽関係を形成し得る。

神有人神陰人陽, …(中略) 神人以陰陽成造化…(中略) 神人和而萬事成神人合而百工成神明竢人人竢神明陰陽相合神人相通然後天道成而地道成神事成而人事成人事成而神事成124)

神があり人があり、神は陰にして人は陽である。…

神と人は陰陽をもって造化を起こす。…

神と人の仲が良くてこそ万事が成り、

神と人が協力してこそ百の功が成る。

神は人を待ち(望み)、人は神を待つ(望む)。

陰陽が互いに合し、神と人が互いに通じた後にこそ、

天の道が完成し地の道が完成する。

神の事が成ってこそ人の事が成り、

人の事が成ってこそ神の事が成る。125)

上記の引用文において神と人間が互いに依存し引き合う所以は、身体を有する人間は地上世界に変化を与え得るが見えざる部分を知り得ず、神明は見えざる部分を見得るが地上世界に変化を起こし得ぬためである。天の上の天が天地を化育するに当たり、神明と人間を区分して相互に交流させるのは、身体を有する人間となれば努力を通じて広く善くこなし得るも一分野に卓越し得ず、身体を持たぬ神明となれば一分野には卓越し得るも、身体がないため他の分野に広く善くなし得ぬ存在となるためである。しかし人間界の神明と天地の神明は区分される。

天地に神明が満ち満ちているゆえ、たとえ草葉一枚であっても神が離れれば枯れ、土塗りの壁であっても神が移り去れば崩れるのである。126)

上記の引用文は、大巡思想において天観・地観・人間観は、神明で満ち満ちた天界・地界・人間界という神明システムであることを示している。これは大巡思想の神人関係が有機的な人間と機械的な神明とで構成され、この関係が天・地・人に反映されていることを示している。これに九天は神人依導(神人依導)の法を三界錯乱に対する処方として提示する。その核心は人身降世以後、天下の問題を診断する三界大巡以後、「神」と「人間」が互いに助け合って世を変えることである。

神人依導(神人依導)の理法(理法)をもって解寃(解冤)を主(爲主)とし、天地公事(天地公事)を報恩(報恩)をもって終結(終結)されたゆえ127)

三才(三才)理論において人間は天地の疎通を仲介する仲介者として現れる。人界観と人間観もまた、差異は「界(界)」が有するシステム的性格に従って事件が論理的に連結されるという相違点がある。三才の人間観が個別的な意思決定に焦点があるとすれば、三界の人界観にはシステム的な性格が強調される。したがって人間が有する仲介的・接化的機能もまた組織的に現れる。

近代以後100余年にわたり東洋と西洋はオリエンタリズムとオクシデンタリズムという両価的感情を相互に抱くこととなった。西洋は東洋を神秘化して東洋支配を正当化し、東洋は西洋を神秘化して東洋のアイデンティティ放棄を正当化した。100余年にわたる西洋近代文明の東洋起源の忘却は、今日の東洋人に西洋近代の起源が東洋であることを信じさせぬものとしている。東洋の天観・地観・人間観は、危機状況において新たな天界観・地界観・人界観の出現を待つこととなった。

成事在人(成事在人) 人界観(人界觀)

九天の出現前後の差異は、神明と人間の関係の逆転に著しく現れる。常に神明を奉ってきた人間が近代に至って神に挑戦し神を否定する段階にまで至ったが、上帝の人身降世はついに神明が人間を認め、人間との協力を成す契機となる。

「中察人事は道通を意味し、これは今後あらゆる権利やいかなるものでも人がことごとく有するという意味である。ゆえに人が最も高くなる。…(中略)昔は神封於天(神封於天)であらゆる権限を天が担って行使し天尊時代であり、現在は神封於地(神封於地)で地が担って行使するゆえ地尊時代である。今は地尊時代も終わったとはいうが、引越しの際に方位を見て墓地を選定するなど、いまだ地に依存するのは地が権限を有しているためである。今後は神封於人(神封於人)でこの権限を人が担うこととなる。」「都典様訓示」(1989. 4. 12)128)

上記の引用文において東洋は、西洋と異なり風水地理のような地の力が天と同じく大きく強調されてきた理由が、地に神明が奉安されたと考えたためであることが分かる。また、上帝の人身降世は地に奉安されていた神明を人間に奉安する大きな機会であることが分かる。神明の罪と罰を恐れていた人間は、人身降世により神明と同等の位に格上げされる。

九天の人身降世によって招来された地観と人間観の変化のうち最大の変化は、「人間とは何であり、何故に存在するのか」という疑問の解決であった。大巡思想は人間の存在理由に対する答として「心」を提示する。

心は一身(一身)の主(主)であり、人のあらゆる言語(言語)・行動(行動)は心の表現(表現)である。その心には良心(良心)・私心(私心)の二つがある。良心(良心)は天性(天性)そのままの本心(本心)であり、私心(私心)は物欲(物慾)によって発動(發動)する欲心(慾心)である。元来(原來)人性(人性)の本質(本質)は良心(良心)であるが、私心(私心)に囚われて道理(道理)に背く言動(言動)を敢行(敢行)するに至るゆえ、私心(私心)を捨てて良心(良心)である天性(天性)を取り戻すことに専念(專念)せよ。人間(人間)のあらゆる罪悪(罪惡)の根源(根源)は心を欺くことから始まって起こるものであるゆえ、人性(人性)の本質(本質)である正直(正直)と真実(眞實)をもって一切(一切)の罪悪(罪惡)を根絶(根絶)せよ。129)

上記の引用文において人間の心は天性を宿す存在である。西洋において神の形象に従って造られたとされるように、人間の心は特に天の心と通じ得るとされる。西洋は近代100余年間東洋を凌駕してきたが、いまだ西洋の人文科学において「心」という概念は存在しない。

東洋伝統において修行の根本機制とみなされた「心」は、大巡思想において九天の人身降世以後、地上天国が実現される契機にまで格上げされる。大巡思想において心は天地の宝であり130)、天地も心に従って作動し、九天の人身降世も成就する。131) 神明が人間に封ぜられるのも心があるためであり、心はそれゆえに霊魂の家である霊台(靈臺)と呼ばれた。東学思想において「至気(至氣)」が幾度も言及されるが、その「至気」を受けることとなる心に関する言及は稀である。人間は心を有する存在であるがゆえに天地と対等な三才をなすこととなるというのが、人身降世以後に明らかにされた人間の存在理由である。

六月のある日、辛京元(辛京元)が泰仁から人を急ぎ遣わして、巡検が日々その家に来て上帝の在所を問うているという知らせを伝えさせた。上帝はその者を見て「急ぎの件で来る者が途中で滞って遅くなったのはいかなる事であるか」と叱責されたところ、その者は「来る途上で唐画周易によって運命を判ずる者がいたゆえ、しばし滞りましたゆえ、お赦しください」と申し上げた。上帝はすぐに文を書いて与えられ、「この文を京元に与え、見終わったらすぐに焼却せよ」と仰せられた。その文はかくのごとくである。

天用雨露之薄則必有萬方之怨

地用水土之薄則必有萬物之怨

人用德化之薄則必有萬事之怨

天用地用人用統在於心

心也者鬼神之樞機也門戶也道路也

開閉樞機出入門戶往來道路神

或有善或有惡

善者師之惡者改之

吾心之樞機門戶道路大於天地132)

上記の引用文において、天が雨露を下し地が水土の徳を用いることは心に懸かっている。天地は化育のために人間が望むままに動いてくれるため、地もまた人間の意に従う。人間の心は神明が出入りする通路と家となる。加一倍法(加一倍法)というリミナリティの原理に従い、人尊時代に至る前に地尊時代を経て、地尊時代から人尊時代へ移行する過程において多くの地の変動を予測する研究者もいる。133) 人間は心を有する存在であるがゆえに、心が実体化される恩寃関係(恩怨關係)において心の価値が決定される。

正吾之心氣 立吾之義理 求吾之心靈134)

人間の心が宝であるという「布喩文」の最後の部分に現れる上記の引用文は、人間の心の価値が平常時の心気と義理によって左右されるものであることを示している。これにより地上天国は、人間が解寃して義理と報恩が消失した無道病の世界に再び義理と報恩が立つときに到来する。

特に親と子、すなわち先霊神と子孫の間の解寃-報恩関係が心の実現すなわち地上天国実現の鍵となる。西洋において理性があらゆる判断の基準であるとすれば、東洋における心は孝が判断の基準となる。大巡思想においてもまた、孝は心と生死判断の究極的基準となる。

上帝が大興里にて三十枚の洋紙の冊の前頁十五枚ごとに「背恩忘德萬死神 一分明一陽始生(背恩忘德萬死神 一分明一陽始生)」を、後頁十五枚ごとに「作之不止聖醫雄藥 一陰始生(作之不止聖醫雄藥 一陰始生)」と書き、鏡面朱砂と皿一つを置いて光燦に「この事は生死の道を定めるものであるゆえ、よく思案して述べよ」と仰せられた。光燦が「先霊神を奉ることを知らぬ者は生き得ぬでしょう」と申し上げたところ、上帝はお言葉なく、しばらくして「汝の言葉は可なり」と仰せられ、皿を紙に包んで朱砂(朱砂)を付け、冊の頁ごとに押された。「これがすなわち馬牌(馬牌)である」と仰せられた。135)

上記の引用文において、先霊神への報恩は生死判断の基準となる。義理と報恩が生死判断の基準となるのは、天地が人間を選ぶ基準である心の性能が義理によって決定されるためである。

西洋思想に心はないが、大巡思想は西洋思想をも肯定的に包摂する。大巡思想は西洋と同様に成長を肯定する。ただし大巡思想において西洋と異なる点は、天地神明と先霊神が含まれた成長であるという点である。大巡思想において人間の成長は道通となる。大巡思想の成長において強調されるのは、天地と祖先の恩、すなわち報恩である。しかし大巡思想において道通は、道教と異なり自身の努力のみならず上帝の任意に任せてこそ到達し得る。

任上帝之任意洋洋上帝在上浩浩136)

上記の引用文は、宝である心が成し得る道通が、人身降世した九天が提示した真法に従って遂行する安心安身にあることを示している。大巡思想において道通は無為而化の原理と同様に、個人の努力のみならず九天の法理が重要である。

大巡思想の人界観は天地公事の進行と共にその意味が顕れたが、天地公事以前の「典教」に現れる。天地人の気を有する儒仏仙を通じて天地が人間を成長させるプログラムとして、大巡思想は「典教」を提示している。500年ごとに聖人が出現するという孟子の言及のごとく、「典教」では513年周期で9回にわたり約4,617余年間、神聖(神聖)および儒仏仙の聖人とその教えが現れて、<表3>のごとく人間を教えてきたとされる。137)

<表3> 儒仏仙と典教

<表3> 儒仏仙と典教

胞胎(政教合一)養生(政教分離)浴帯(政教分離)冠旺(政教合一)
期間513年×3=1539年513年×3=1539年513年×3=1539年
内容三皇五帝堯舜湯王釈迦孔子イエス新羅南朝性理学教皇大巡

実際、大巡思想は東洋数学の天文・地理すなわち河図洛書数学の拡張である紫微斗数の七星138)、密教天文学の二十八宿139)、時間関数たる二十四節140)、天象分野列次之図の宇宙観と欲界・色界・無色界の三十六天宇宙観として解釈し得る141)

東西古今の時空間に現れた理(理)を融合するという大巡思想の三界公事に従って、三界は人間化育のために再整備される。天界公事によって天象分野列次之図の中心である太乙は太乙天上元君と関係を持ち、太乙を取り巻く七星は七星呪の順序変化により再整備される。七星を取り巻く二十八宿と二十四節には各神将たちが配置され、相関的思惟が実体化される。後天三界関係において先天と最も異なる点は、人尊(人尊)、成事在人(成事在人)、道通君子(道通君子)である。142)

これにより既存宗教の神人関係と異なり、大巡思想においては相互疎通となっている。人間は体内に閉じ込められた神であるがゆえに、内部の神を覚醒させて外部の神と疎通させるものといえる。大巡思想の宇宙観と人体観は細部事項が緻密で、既存宗教の宇宙観と人体観がより詳細かつ体系的に説明される。

100年前に東アジアに入ってきた西洋思想は、東アジア人にとって実は親しみのあるものであった。西洋は孟子に学んで最初の易姓革命を起こし143)、『周易』を通じてライプニッツは原子論の端緒となる単子論を立てた。144) 西洋文物が流入した当時、東洋の知識人にとって西洋の民主主義と科学は見知らぬものではなかったゆえ、他文明と異なり受容が極めて容易であった。

韓国新宗教におけるヨーロッパ近代文明の東アジア起源が有する意味は、韓国新宗教が有する近代性が今日の立場ではポストモダニズムすなわち現代的近代性であったことを示唆する。近代主流の知識人は西洋の近代性を文字通り受け入れたが、貧弱に見える新宗教の自生的近代性はかえって西洋より一歩先んじた近代性であった。韓国新宗教の近代性がポストモダニズムすなわち現代性であったという今一つの根拠は、韓国新宗教が大いに流行したのが、現代性が顕れた1980年代後半以後であるという点である。145)

韓国新宗教は発生当時すでに西洋の近代性よりは一次元高い近代性を追求したため、韓国新宗教が日本の弾圧以後復活するまでには、共産主義崩壊というポストモダニズム的状況あるいは現代的状況を迎えねばならなかった。

成事在人(成事在人) 人界観(人界觀)に現れた東西洋の人間観(人間觀)の再活性化

成事在人(成事在人) 人界観(人界觀)に現れた儒仏仙の人間観(人間觀)の再活性化

大巡思想に現れる人界観は「典教」に現れるように、儒仏仙の人間観と連結される。大巡思想において儒仏仙は、天が人間を教育する過程であったとされる。九天が強調される大巡思想において儒仏仙は天地人の気と対応する。しかし大巡思想は実体的な神明を強調するのに対し、既存の儒仏仙は神明の属性的な作用を強調する点に大きな差異がある。

既存の仙仏儒の思想を代表する虚無・寂滅・以詔は、大巡思想においてそれぞれ天と地の一つの機能を担う。仙・仏・儒の虚無・寂滅・以詔は、十二運星において胞胎・養生・浴帯の次段階である冠旺に統合され、大巡思想は冠旺の道である。146) 仙道の虚無と仏道の寂滅、そして儒教の以詔は、性理学において明らかにされた心の三つの作用である虚霊(虛靈)・知覚(知覺)・神明(神明)にそれぞれ対応する。

道傳於夜天開於子 轍環天下虛靈

敎奉於晨地闢於丑 不信看兒足知覺

德布於世人起於寅 腹中八十年神明147)

『心経(心經)』において心は虚霊-知覚-神明の構造を有するとされる。148) 大巡思想において虚霊-虚無、知覚-寂滅、神明-以詔の三気はそれぞれ天地人に対応する。虚霊・知覚・神明は天地人に対応して、本体・作用・主体として解釈し得る。149)

大巡思想において儒仏仙が神明と関係し得る原理は、儒仏仙がそれぞれ天地の胞胎・養生・浴帯の気を有するためである。

受天地之虛無仙之胞胎

受天地之寂滅佛之養生

受天地之以詔儒之浴帶150)

上記の引用文は、仙道の虚無という思想が天地の胞胎の気である虚無から出たものであり、仏教の寂滅思想もまた天地の養生の気である寂滅から出たものであることを示している。これは儒教の場合も同様である。

胞胎・養生・浴帯として機能する儒仏仙の原理を通じた大巡思想の神人調化は、東洋思想を記号数学で表示した韓泰東の方法を通じてより明確に理解し得る。151) 儒仏仙と西教は、XはXであり-Xは-Xであるという二重肯定の儒教、Xは-Xであり-XはXであるという逆説的な道教、XはXでも-Xでもないという二重否定的な仏教として表現し得る。儒仏仙は友と敵の関係を定義する上でその特性が明らかに現れる。学んで(X)復習する(X)ことが嬉しく、遠方より友(X)が又(X)来ることが嬉しい儒教は、君主(X)は君主(X)らしく、臣下(-X)は臣下(-X)らしくあらねばならぬゆえに、友(X)と敵(-X)の関係において友(X)は友(X)、敵(-X)は敵(-X)であるとする。152) 敵と友を斥力のごとく分離して推進する儒教に対し、長きにわたる儒教の宿敵であった道教は、道(X)を道(X)といえば道ではなく(-X)、有(X)は無(-X)であり無(-X)は有(X)であり、最も弱い水(-X)が最も強く(X)、最も醜い(-X)者が最も美しい(X)であるゆえに、敵(-X)は友(X)であり友(X)は敵(-X)であるとする。153) 敵と友を対称的に配置する道教に対し、長きにわたる儒教-道教の仲介者である仏教は、友(X)も敵(-X)もない一切空(空)を主張する。したがって道教と仏教の虚無と寂滅は-Xで表される。154) また儒教の場合-Xはないが、以詔(以詔)で示される二重肯定のXは内部的超越として解釈し得る。ポストヒューマン時代は内部的超越を必要とし155)、これは東洋女性が内面化した超越が反映された韓流の流行に良く現れているとされる。156) 虚無寂滅に基づく内部的超越がポストヒューマン時代における人間と機械の共進化の鍵となるとされる。以上の十二運星と儒仏仙の関係は<表4>のごとく整理し得る。157)

東洋における儒仏仙の推移をそれぞれ見れば、全体的に神明の実体性が消失し属性を強調する方向に進行してきた。道教の場合、陰陽五行の相関的思惟が外丹(外丹)から内丹(內丹)へと進行し、陰陽五行の気が内面化される。仏教の場合、相関的思惟は仏と衆生が厳格に区分される小乗仏教から徐々に衆生に仏性が内在するという如来蔵思想の大乗仏教へと進み、結局衆生が直ちに悟り得るという禅仏教へと発展した。儒教の場合は漢代以後に陰陽五行体系と儒教が結合した後、性理学段階において儒教は内面の修行へと発展する。しかし実体を捨てて属性に偏した儒仏仙は、結局実体に偏する西洋の脅威に克ち得ない。

<表4> 十二運星と儒仏仙

<表4> 十二運星と儒仏仙

区分
十二運星胞胎養生浴帯
特性造化形体凡節
論理Xは-X、-XはXXは-X、-XはXXはX、-Xは-X
先天宗長老子釈迦孔子
後天宗長水雲震黙朱子

これに対して大巡思想においては、実体的な神明の概念が現れる。西洋が「神は死んだ」と言うならば、大巡思想の天地公事は「天は老いた」と要約される。西洋では神が死んで人間が神なしに独り生きねばならぬとするならば、大巡思想において神に該当する天は死んだのではなく老いただけであり、上帝によって天もまた修められ再定立され得るとされる。

また、属性的要素を強調する東洋思想に対し、大巡思想においては実体的要素を強調し、罪と罰の原因を人性のみならず天地の構造という実体に置くことで、罪と罰の概念を表現する。

過ぎ去った先天英雄時代は罪をもって生きてきたが、後天聖人時代は善をもって生きるであろう。罪をもって生きることが長く続くか、善をもって生きることが長く続くか。今や後天衆生をして善をもって生きる度数を組み立てておいたのである。158)

上記の引用文において「罪をもって生きる先天」という表現は、人間の罪が個人の問題のみではないことを示している。大巡思想の人間観は、属性的人間観を強調する東洋儒仏仙の人間観と異なり、先天と後天という構造的実体として属性と実体を兼備し、東洋の自生的近代性を内包している。

成事在人(成事在人) 人界観(人界觀)に現れた西洋人間観(人間觀)の再活性化

西洋において近代に至って唯一神を中心とする世界観が崩壊すると、続いて神観の崩壊、そして人間の崩壊が発生した。地動説により崩壊した西洋の世界観は、ついには「神は死んだ」に代表される神観の崩壊へとつながり、今日の人間性の終末と生態系崩壊の現実の中で人間性喪失にまで連結されている。

マテオ・リッチが西教を伝えた時、西教もまた陰陽五行のような地水火風という有機体的世界観があったが、天地公事が進行されていた時期、西洋人間観は地水火風の人間観を廃棄し、デカルト-カントの構成主義的人間観に置換されていた。

デカルト-カントの構成主義的人間観とは、唯一神が消失した場に唯一神の位置を人間の五感という実体に置換する世界観であった。唯一神が消失し何も信ずることができない状況において唯一信じ得るものは自身の思考のみであるというデカルトの主張は広く受容され、その後カントに至り、世界は各自が自ら構成するものであるという構成主義世界観へと発展した。

神(神)なき世界の道徳的社会である東洋を模倣する過程において現れたこの構成主義的世界観は、東洋の世界観と異なり自然を支配・操作する危険な実体的世界観であった。構成主義的世界観は人間の感覚に従って世界を計量化・道具化し、それまで考えも及ばなかった多くの文明の利器と科学技術を考案した。159) 人間はますます神に近づいて見えるなど、このような構成主義は成立初期の200余年間ひたすら成功的とのみ思われた。しかしわずか300余年が過ぎぬうちに、西洋は『西欧の没落』を語り始めた。160) 西洋は300余年間、闇雲に一度も歩んだことのない道を駆け抜けた結果、自らの文明が人類の絶滅をもたらし、戻る道のない行き止まりに突き当たったことを知るに至ったのである。

そもそも西洋が模倣した、神なき世界における道徳的社会という東洋の思想は、実のところ西洋のような構成主義ではなかった。東洋もまた超越神を持たない社会において世界に対し自らの法則を投影するが、彼らが投影するのは理気論という相関的思惟の理であった。また、東洋思想に現れる神概念もまた西洋のような超越神ではなく、敵対する必要すらなかったのである。

東洋の鬼神論が陰陽や理気のような機械的な神概念であるという点は、東西の神観が最も大きく異なる地点である。東洋の神観は、東洋神観が最初に現れる殷の甲骨文に見られる上帝の概念を見れば、西洋に類似した人格神的要素を備えているが、殷の上帝概念に代わって周の天概念が登場するに従い、次第に人格神的概念が薄れ理法神的特性が顕在化する。周の天概念は、戦国時代の天地人三才思想の影響により天神・地祇・人鬼の概念へと発展し、ついには『周易』が確立する漢代に至っては陰陽概念に置き換えられる。機械論的な東洋の鬼神概念は、仏教・道教の人格神的概念が流行する中で一時的に中国思想史の前面から姿を消す。邵康節が理気概念を鬼神概念と陰陽五行の体用関係として説明して初めて、鬼神概念に内在する陰陽および理気概念は再生する。邵康節の体用関係は、単純な陰陽関係であった戦国時代の神人関係よりも、さらに気化論的に具体的であった。161)

儒仏仙が属性論的観点から人間観を説明する概念であるとすれば、調理(調理)と気化(気化)は実体論的立場から人間観を説明する概念となる。大巡思想もまた、人間の調理と神明の気化を人界観の主要な特徴として提示する。

天用地用 人用之 調理綱紀 統制乾坤 此之謂造化手段也162)

上記の例文において調理(調理)とは、中心から乾坤を統制する方法、すなわち人間による土(土)の仲介を意味する。これは人間が理(理)を備えた存在として周辺の事物を統制するという易学的観点を反映している。人間が世界の中心において耳目口鼻を通じて感覚される世界を操作するという西洋構成主義の東洋的事例に該当する。

西洋の構成主義に対応する東洋思想は、共感を通じた人間による矛盾の仲介、すなわち人間の調理と神明の気化であった。人間による土(土)の仲介という戦国時代の観念は、邵康節の理気概念において人間による調理(調理)という概念として具体化される。163) 邵康節の理気概念に現れる人間による調理の概念を考察すると、人間による調理(調理)という邵康節の概念もまた、神と人間との陰陽関係から出発していることが分かる。164) 邵康節当時すでに広く活用されていた神仙術とは異なり、邵康節は陰陽五行のうちに、より具体的な神人関係の結合モデルを発見した。河図洛書の原理を深く研究した邵康節が見出したものは、陰陽五行における土と木火金水との区分であった。

これを具体的に見ると、邵康節は『典経』と同様、心の共感と正義を通じて人間が神明を調理することができることを示している。邵康節の神人関係においては、中(中)・土(土)としての人間と、四象(四象)・周辺としての神の配置が現れる。165) 人間はあらゆる理を具備した存在として、耳目口鼻を通じて事物を外形ではなく理として観る観物によって万物を調理する。166) 道教の神仙内丹術は、陰陽すなわち調理する人間と気化する東洋の機械的な神明とをよく表現してくれるという。陽(陽)である人間と陰(陰)である神とが合わさった存在である神仙は、あらゆる陰陽は太極へと合わさるという易(易)思想に基づく東洋神人関係の結論である。畏怖の対象であった鬼神に陰陽の合理的属性があることが『周易』によって明らかにされると、神と人間との関係もまた陰陽関係と見なされ、西洋とは異なり東洋では鬼神は人間と結合し、人間が活用しうる存在となる。陰陽概念が確立されて以後、秦の始皇帝をはじめ数多くの東洋の知識人が神仙術に魅了されたのは、神仙術に内在する陰陽論という合理性に起因するといえる。陰陽が神と人間とが合わさりうるという大前提であるとすれば、五行とは中心である人間と周辺である神とが配置される具体的な様相であった。

西洋近代の構成主義が現れる以前、西洋の地水火風もまた陰陽五行よりも構成主義に類似した点が多かった。陰陽五行における土と木火金水の関係は、東西が明確に異なる部分である。西洋の地水火風もまた、東洋の陰陽五行と同様に土に相当する第五元素エーテルを有していたが、西洋の第五元素は唯一神のごとく、地水火風とは別個の存在であった。これに対し陰陽五行の土は、別個の存在でありながらも木火金水と運行を共にする内在的存在でもあった。邵康節の神人関係は、超越的な西洋の神人関係と内在的な東洋の神人関係とを同時に包摂することができる。

調理-気化の概念を西洋化したのはデカルト-カントだけではなかった。ライプニッツは邵康節の哲学を円として解釈し、霊魂不滅説と理気概念との接点を見出している。ライプニッツは「神は万物のうちにあるといい、万物にも神(神)があるという。神は同時に円(円)であり、また円の中心である。なぜなら神はいずれの場所においても円の中心にある円であるからである」と述べる。167) 西洋を代表する汎神論者であるスピノザは、気(気)理論の影響を受けて西洋的な多神論を作り上げる。168) ショーペンハウアーは『周易』の気(気)と象(象)を反映して『意志と表象としての世界』を著す。169) ニーチェもまた仏教の影響により超人を追求した。170) カントからフィヒテ、シェリング、ヘーゲルに至るまで、ある場合には「神」を道徳的存在(カント)と見なし、ある場合には「神」を普遍的自我(フィヒテ Johann Gottlieb Fichte, 1762-1814)と見なし、また別の場合には神を世界を構成する統一的絶対観念(ヘーゲル)と見なした。要するに「理性」を「神」とするこのような傾向こそ、正統的宗教を哲学的宗教に置き換えるものであり、いずれも中国哲学の影響を受けたといわざるをえないと指摘される。171)

現代物理学や仏教の華厳経においても、宇宙・物質・人間は自作(自作)・他作(他作)・共作(共作)・無因作(無因作)ではなく、原因が与えられた結果として現出する現象であり、現代物理学が明らかにしている物質の創生・消滅は素粒子とエネルギーの性質であって、華厳でいう本性(本性)の性起(性起)であることが明らかにされるという。星々の生死、無機質から有機質への変化など、一切の法界が重々無尽に縁起していることを示しているのである。172)

理気(理気)概念の出発点となった『黄帝内経』は諸子百家がすべて包含されており、173) 性理学の発展した理(理)概念は仏教華厳経の影響を受けたとされる。今日の比較哲学において理気概念は、記号学・トミズム・スピノザ主義およびその影響を受けた後期フランス哲学とも広範に比較研究されている。174)

玉(玉)の筋目を意味する理(理)概念が仏教の華厳経において太極の意味にまで及ぶようになったのは、玉(玉)の持つ権力の意味と、ブラフマン-アートマンの合一というインド・バラモン教の概念とが結合して現れたものと理解しうる。玉(玉)は膨大な労働力を必要とするため、玉(玉)それ自体が既に権力の象徴となりうるものであり、宇宙的存在全体であるブラフマンと個別的存在であるアートマンとが結合することは、「各具太極 統体太極」という太極の意味、すなわち部分と全体が同じ性格を示すという有機体科学の意味とも一致するからである。

華厳経は、実際に仏教が衰退しインド・バラモン教が復活する六世紀頃に現れた経典である。気(気)の条理(条理)という概念から出発した理(理)概念は、『荘子(荘子)』に現れる養生(養生)としての調理(調理)概念として独立した後、華厳経の理(理)概念が翻訳された当時、イスラームおよびヒンドゥー教に現れたプラトン思想的側面が邵康節の理(理)概念の形成に影響を与えたといえる。イスラームのタウヒード(Tawḥīd)は「ひとつにする」または「ひとつであることを宣言する、あるいは認める」の動名詞形であり、神の唯一性(唯一性)・不可分性・絶対性・唯一の実在であることを認めるものであるとされる。タウヒードは新プラトン主義のような流出説の一変形態であって、華厳経の事事無礙(事事无涯)と理事無礙(理事无涯)に影響を与えたものと見ることができるという。175) 理(理)概念の起源に関するインド・イスラーム・中国の相互連関性は、理(理)概念の起源である河図洛書の伏羲氏の起源を古代三機能体系の時代にまで遡源しうる余地を示している。176)

天地報恩(天地報恩)の天人(天人)関係に現れた東西天人関係の再活性化

大巡思想において人間と天との関係は天地報恩へと集約される。人間が地上天国を実現しうる理由は、人間が心を通じて報恩できる存在だからである。

道通天地報恩177)

上記の例文において、人間が道通を遂げるのは道教とは異なり人間の能力のためではなく、天地に報恩するからである。人間は天地の最霊なる者と称されるがゆえに天地の恩を知ることができ、人間の天地報恩は人間存在の理由といえる。

人間が報恩すべきものは、具体的には天地の誠敬信に関わる。人間を化育する天地の運行が神明の至極な誠敬信によるものであることを忘れてきたために、神明に対する報恩が人間の生死における重要な要素となる。

生(生)と寿命(寿命)と福禄(福禄)は天地(天地)の恩恵(恩恵)であるから、誠(誠)・敬(敬)・信(信)をもって天地(天地)報恩(報恩)の大義を立て、人道(人道)を尽くし、178)

上記の例文に見られるように、人間の寿命・福禄は天地の誠敬信の結果であるから、人間倫理道徳の核心的理由となる。それゆえ人間は天地の恩恵に対する報恩に努めねばならず、また人間の報恩とそれに伴う道通は天地の化育における核心となる。これに大巡思想では、六十余年にわたる祖先の努力により魂と魄が結合した子孫として人間が生まれることができ、179) 魂と魄が結合するがゆえに、欲望の根源かつあらゆる人間能力の基盤となりうる心を人間は持つに至るとされる。

至宝即吾之心霊也 心霊通則鬼神可与酬酢 万物可与倶序 180)

上記の例文において、人間が天地の恩恵に報恩することを知るならば、人間の心は鬼神と酬酢しうる通路となる。大巡思想において天地は人間に無限の恩恵を施す存在となる。しかし人間の怨恨が天地にまで結びついているとはいえ、人間が一心の修行を行えば、天地に道通をもって報恩する存在となる。

人間の道通およびそれに伴う開闢のためには、天地人に対する審判もまた行われる。これに上帝は自ら人間の身を借りて生まれ、実際に非常に苦痛であることを訴える。

上帝はある日、従徒たちに「我はこの公事を引き受けようとしたのではない。天地神明が集まり、上帝でなければ天地を正すことができないと言うために、苦しみは限りないがやむを得ず引き受けたのである」と仰せられた。181)

上帝は甑山にて工夫されている折、しばしば山の下にある泉場の向こうで泣かれることもあったが、ある時、父君がご飯を持って甑山峰に登られる途中、その光景を御覧になった。182)

上帝は壁の方を向いて横になられるや、突然従徒たちに仰せられた、「いま全世界が滅亡しようとしているのに、皆を救い出すことは難しいゆえ、なんと痛恨なことではないか」と仰せられ、大いに悲しまれた。183)

上記の例文において九天は、天地公事を行わねばならぬ苦悩を表現している。九天は東学思想を誤解して死ぬに至った数多くの怨魂の解寃もまた公事として処決する。

上帝は十二月に入って諸公事を終えられ、逆度(逆度)を調整する公事に着手された。京石・光燦・乃成は大興里へ、元一は申京元の家へ、亨烈と自賢は銅谷へと発った。上帝は残っていた文公信・黄応鍾・申京洙らに仰せられた、「京石は誠(誠)・敬(敬)・信(信)が至極であって他に用いようかとも思ったが、自ら請う事ゆえやむを得ぬ」と諭され、また「もともと東学が輔国安民(輔国安民)を主張したのは、後天の事を叫んだに過ぎなかったが、心は各々王侯将相(王侯将相)を望みつつも所願を成し遂げられず、引かれていって死んだ者が数万人である。怨恨が天を覆っており、その神明たちをそのまま放置すれば、後天には逆度(逆度)に引っ掛かり、政事が乱れることとなるゆえ、その神明たちの解寃の頭目を定めようとしているところに、京石が十二帝国を口にしたのはこれは自請である。彼の父は東学の重鎮として捕らえられ死に、彼もまた東学総代を務めたゆえ、これより以後、東学神明たちをすべて京石に附与して送ったので、この席より王侯将相(王侯将相)の解寃となるであろう」と仰せられ、紙に文字を書きながら外人の出入を禁じ、「後日に見よ。金銭の消費が多くなるであろうし、人もまた甲午年より多くなるであろう。解いておかねば後天に何ら障りがなくなるのである」と言葉を結ばれた。184)

上記の例文において、実体としての九天が天地報恩においてまず強調するのは、森羅万象の解寃である。また解寃を通じてのみ道通を成すことができるため、解寃は極めて重視される。先天世にあって解決しえなかった解寃を、九天は天地・天人関係における最優先の解決課題として選定する。

無上(無上)なる智慧(智慧)と無辺(無辺)の徳化(徳化)と偉大(偉大)なる権能(権能)の所有主(所有主)であられ、歴史的(歴史的)大宗教家(大宗教家)であられる姜甑山(姜甑山)聖師(聖師)におかれては、九天大元造化主神(九天大元造化主神)として三界大権(三界大権)を主宰(主宰)され、天下(天下)を大巡(大巡)されて人世(人世)に大降(大降)し、常道(常道)を失った天地度数(天地度数)を整理(整理)され、後天(後天)の無窮(無窮)なる仙境(仙境)の運路(運路)を開いて地上天国(地上天国)を建設(建設)し、否劫(否劫)に陥った神明(神明)と災劫(災劫)に陥った世界蒼生(世界蒼生)を広く救おうとされ、巡回(巡回)周遊(周遊)されながら大公事(大公事)を行(行)われ、陰陽合徳(陰陽合徳)・神人調化(神人調化)・解寃相生(解寃相生)の大道(大道)の真理(真理)をもって、神人依導(神人依導)の理法(理法)により解寃(解寃)を主とされ、天地公事(天地公事)を報恩(報恩)をもって終結(終結)されたゆえに、解寃(解寃)・報恩(報恩)の両原理(両原理)である道理(道理)により、万古(万古)に積もったあらゆる寃鬱(寃鬱)が解け、世界(世界)が相克(相克)なき道化楽園(道化楽園)として成就されるであろう。これこそ大巡(大巡)されし真理(真理)であるのだ。

上記の例文において「万古(万古)に積もったあらゆる寃鬱(寃鬱)が解け」という部分は、九天の天地公事の趣旨が解寃にあり、解寃が近代性の鍵であることを示すものである。また甑山の解寃・報恩公事により、三界の森羅万象は後天仙境となる。この解寃と報恩が円滑に進行することが天地の成功であり、森羅万象の解寃と報恩が成し遂げられることもまた甑山の権能のもとに成就されるのである。

大巡思想において三界の相克化は三界錯乱として現れ、三界の相生は天地成功として現れる。冥府の錯乱が大きな問題であるため、天地公事を通じてこの神明と人間の否劫により生じた冥府の錯乱を防ぐことによって、天人関係・地人関係を復権し再活性化する。

人界観の場合、天界と地界のあらゆる問題の発生と解決が人間を通じて同時に成し遂げられるという見解である。天地が成功するために人間を必要とする時期であり、185) 天地成功とは186) 天人関係の相生によって成就されるものである。

地上神仙(地上神仙)の地人(地人)関係に現れた東西地人関係の再活性化

大巡思想において人間と大地との関係は地上神仙と関連する。大巡思想において人間の成長と世界発展の鍵は神人調化であり、神人調化の方法が陰陽合徳である。大巡思想において神人調化が可能である理由は、神も人間もともに陰陽という太極の原理を共通して有しているため、相互に対待する立場を理解するならば、同じ原理であるがゆえに調和することができるからである。神と人との調化を通じて世界は解寃相生と道通真境へと成長していくというのが、大巡思想が提示する後天関連の人間観である。

地上神仙となりうる大巡思想における大地と関係する人間の地位は、宗旨に集約される。大巡思想において宇宙は元亨利貞[理]として無限重畳循環[気]し、人間は共感[心]によって仲介するという本稿の考察が正しいとすれば、大巡思想において宇宙における人間の地位は、天地を成功させる存在である。187) 天地を成功させねばならぬ宇宙における人間の地位は、大巡思想において再び共感の方法に従って宗旨のように四つに分けられる。無限重畳循環[理気]と共感[心]は、大巡思想に現れる宇宙における人間の地位に対する共通の原理となる。大巡思想に現れる人間の地位について見ていくこととする。

まず陰陽合徳に関連して見ると、人間は時空間を通じて天地と共感せねばならぬゆえ、時間の動きを知る知人(知人)となりうる。188) 人は時を知り時に応じて変わることを知れば、生気(生気)が継続して生じる。189) 人の一念によって天地の一気が変わるほど、人間は心を欺かない無自欺を通じて、身体と心の陰陽合徳を行うことができる。人間は陰陽合徳という共感を通じて、弦望晦朔の理によって自由に動く春夏秋冬の気運をよく統制することができる。宇宙は無限重畳循環するため、陰陽が理となり理が経緯となる。190)

次に神人調化に関連して見ると、人間は唯一、神が持たない肉体によって苦痛を受けうる心を持つ存在である。大巡思想において神明(神明)は元亨利貞の気(気)として解釈されうる。人の心は神明が出入する場所であり、191) 理定心法(理定心法)のごとく、理は心を定めることができる。192) 安心安身(安心安身)を通じて心を潜心(潜心)せしめ、心が潜心されれば、宇宙(宇宙)という家の中に住まう女性のように心は安らかとなって、神と共感しうるようになる。193) 修道人は呪文修練を通じて無限重畳循環する宇宙を仲介することができ、誠敬信を通じて理(理)をもって神と共感(共感)・感応(感応)するのである。194)

次に解寃相生に関連して見ると、人間は唯一、寃を理によって解きうる存在である。理解(理解)とは寃(寃)は必ず理を通じて解ける(解)という意味と見ることができるゆえ、人間は理を通じて寃を解くことができる。195) 人間は共感して仲介する存在であるゆえ、人間の陰陽を調節できなければ、寃は人間を病ませ196)、人と称することはできない。197) それゆえ東洋にも西洋にも道通神があるとすれば、医通は朝鮮にのみある。198) 人間は中心において宇宙の病を癒し循環させる存在である。宇宙は無限重畳循環するため、一人の抱いた怨恨によっても天下の気運が塞がるのである。

以上考察した大巡思想三界観の再定立に現れた自生的近代性は、大きく三つに要約される。第一に、三界全体の可変性、特に天界の可変性である。大巡思想は三界観の崩壊を三界観自体の問題ではなく、三界の問題と見なした。「古い天」に代表される大巡思想の天界観は、東西を通じて歴史時期を通して至尊の存在であった天に対し、老いうる存在であるという限界を付与することによって、天界観の崩壊を再定立した。大巡思想において三界は、既存の東洋思想における不変の・君臨する三界ではなく、上帝によって変えられうる可変的な三界である。

第二に、三界における地界の地位上昇である。東西を通じて天は高めたが、地を天と同じ程度に高めねばならぬと強調した思想は、東西の歴史を通じて甑山を信仰の対象とする宗教がほぼ唯一である。大巡思想は地を高める陰陽合徳を宗旨の第一の語句として掲げることにより、地界の地位上昇を、甑山信仰の宗教団体の中でも最も明確に提示した。

第三に、三界の互換性である。大巡思想において三界は全体的に変化し内部比重が流動的であるが、媒介をなす人間を中心として相互に互換される。大巡思想は、共通構造と原理によって発生した天地人が、怨恨ゆえに相互に疎通しえず、多くの災いが起きたと説く。相互交流が塞がれた理由は、地は天に比して冷遇され、人間は弱い存在として原則なしに利用されたためであった。199) 九天の人身降世以後に現れた大巡思想の天観・地観・人間観の変化は、天地人の可変性と恒常性、互換性として現れる。

東学思想と大巡思想の自生的近代性比較

天観(天観)の自生的近代性比較

三才(三才)と三界(三界)

個体発生は系統発生を反復するというリミナリティの原理に従い、大巡思想は東学思想の特徴に新たな特徴が付加される。したがって両思想の比較は、新たに現れる特徴を通じて比較しうる。大巡思想の天観に固有に現れる用語は三界と後天を挙げることができ、これはそれぞれ東学思想の三才と先天に対比される。

まず大巡思想において三界とは、天界(天界)・地界(地界)・人界(人界)を指す。道教思想においても天上界・地下界などを個別に言及することはあるが、これらを総じて三界という表現を用いる事例は稀である。これに対し大巡思想は、大巡という用語からして「三界」を前提とし、大巡思想において核心となる天地公事もまた、一連の三界公事として表現される。

その三界公事はすなわち天・地・人の三界を開闢することであって、この開闢は他者が作っておいたものに従って行う事ではなく、新たに作られるものであるため、以前にもなく今もなく、他者から受け継いだものでもなく、運数にある事でもなく、ただ上帝によって作られねばならぬ事である。1)

上記の例文において、三界は天界・地界・人間界を総じて言うものと定義される。三界は大巡思想の特徴を顕す教理の中心語として現れる。三界(三界)は三才(三才)と対比されるが、大巡思想において初めて現れ、反復して使用される。例えば大巡思想において九天大元造化主神(九天大元造化主神)は三界至尊(三界至尊)2)として三界を統察(統察)し、三界役使(三界役使)3)を行う中で、神聖・仏・菩薩の訴えにより三界混乱(三界混乱)4)が三界錯乱(三界錯乱)5)へと発展することを、三界大巡(三界大巡)6)を通じて問題を診断し、三界大権(三界大権)7)によって三界伏魔(三界伏魔)8)を三界改造(三界改造)9)する三界公事(三界公事)10)を行って三界解魔(三界解魔)11)し、三界を透明(透明)12)ならしめて三界を開闢(開闢)13)する。

このような三界(三界)は三才(三才)と比較して三つの特徴が浮かび上がる。第一に、三界至尊・三界大巡のごとく、九天の立場から眺める天観・地観・人間観の特徴が現れる。第二に、三界(三界)は「界(界)」がシステムという意味を持つため、三才(三才)と比較して神明界を強調する。第三に、三界(三界)は「界(界)」という用語に表れるように、属性を強調する東洋的な三才(三才)と比較して、西洋の実体性をも同時に強調する。それぞれの特徴を三界が用いられた用例に照らして見れば、次の通りである。

第一に、三界には三界の至尊・三界大巡のごとく、九天の立場から眺める天観・地観・人間観の特徴が現れる。天主、すなわち九天大元造化主神(九天大元造化主神)は三界の至尊(至尊)として三界を統察(統察)し、三界において役事するのである。

天尊(天尊)というは

群生万物(群生万物)を雷声(雷声)もて普化万方(普化万方)される至大至聖(至大至聖)なる三界(三界)の至尊(至尊)であることを意味するものであり14)

九天(九天)というは

『典経(典経)』に「……あらゆる神聖(神聖)・仏(仏)・菩薩(菩薩)たちが会集(会集)し、九天(九天)に訴えるゆえに……(教運1章9節)」とあるように、この宇宙(宇宙)を総轄(総轄)される最も高い位(位)におられる天尊(天尊)に訴えたという意であって、その九天(九天)はまさに上帝(上帝)が三界(三界)を統察(統察)され、乾坤(乾坤)を調理(調理)し運化(運化)を調錬(調錬)されておられる最も高い位(位)であることを意味するものであり、15)

統察(統察)という単語もまた、三界と同様に国語辞典になく大巡思想固有の用語である。国語辞典には洞察(洞察)・通察(通察)のみあり、統察(統察)の統(統)は「率いる」を意味する統(統)である。統察(統察)はまた統制(統制)と区分されるが、統制(統制)とは率いつつ制裁することであり、統察(統察)とは大宇宙を率いつつ観察することである。三界統察は三界至尊としてあり、三界大権を用事することである。九天は三界至尊としてあり、九天において神聖・仏・菩薩の訴えを聞くのである。

「この世に学校を広く建てて人を教うることは、将に天下を大いに文明化し、三界の役事に附して神人(神人)の解寃を解こうとするものであるが、現下の学校教育が学ぶ者をして官吏俸禄等の卑劣な功利にのみ陥らせるゆえ、それで判の外で成道させたのである」と仰せられ、言葉を結ばれた。16)

先天において神明が寃を解く方法は、人間に応ずるか、人間として再び生まれ、より高い境地の業績を成す方法のほかなく、それは学校を通じてのみ可能なものであった。三界役事はただ一度のみ『典経』に言及される。三界役事において三界の問題は、人間を問題の解答として提示するということが分かる。

第二に、三界(三界)は「界(界)」がシステムという意味を持つため、三才(三才)と比較して神明界が強調される。東学思想と大巡思想の自生的近代性は、実体を強調する西洋の天観・地観・人間観の近代性と、属性を強調する伝統的東洋三才思想との衝突を背景とする。西洋の実体的な天観・地観・人間観は成長を主とするゆえに力はあったが安定性がなく、東洋の三才観は安定を主とするゆえ統合的安定性は提示したものの現実に対応する力が不足であった。東学思想は東洋思想に潜んでいた天外天を顕在化させ、東洋の三才観に不足する力を補完しようとしたが、十分な方法とはなりえなかった。これに大巡思想では、三界という概念を通じて神明概念を導入することにより、東西の天観・地観・人間観を統合する方法を提示した。

大巡思想において九天は、天地神明である神聖・仏・菩薩の訴えによって、三界混乱(三界混乱)17)が三界錯乱(三界錯乱)18)へと発展することを、三界大巡(三界大巡)19)を通じて問題を診断する。

大巡真理会は常道(常道)を失った三界(三界)を正してほしいという天地神明たちの訴えにより、九天上帝が人世(人世)に降りられて常道を失った天地度数を整理され、匡救天下(匡救天下)しようと解寃相生の道理(道理)を人界(人界)に宣布され、これに伴う大公事(大公事)を四十年にわたって終えられ、化天(化天)されたものであり、20)

「天地神明たちの訴え」とは、「あらゆる神聖(神聖)・仏(仏)・菩薩(菩薩)たちが会集(会集)し、九天(九天)に一度した訴え」を意味する。これによりあらゆる神聖(神聖)・仏(仏)・菩薩(菩薩)たちが天地神明として表現されている。神明は属性と実体を連結し、実体を属性に合うように動かし、属性が実体として現れるようにする。神明の役割によって、三界は混乱に陥ることもあれば、混乱から脱することもある。

…(上略)その文明は物質に偏って、かえって人類の驕慢を助長し、ついに天理を揺さぶり自然を征服しようとするところからあらゆる罪悪を絶え間なく犯し、神道の権威を失墜させたゆえに、天道と人事の常道が違わせられ、三界が混乱して道の根源が断たれるに至ったため、原始のあらゆる神聖と仏と菩薩が会集して、人類と神明界のこの劫厄を九天に訴えるがゆえに(下略)…21)

混乱は神明界の作動混乱として現れる。神明界の混乱は神明界の錯乱へと発展する。天界の混乱は冥府の錯乱から始まるという。「上帝は仰せられた、『冥府の錯乱に従って全世界が錯乱したのであるから、冥府公事が終結すれば全世界の事が解決される』。この言葉を仰せられた後より、上帝は日々紙に文字を書かれては、それを焼き払われた」22) という一節において、神明は混乱の原因でもあるが、問題解決の方法でもある。九天は三界大巡を通じて神明界の混乱を診断し、三界公事を通じて神明界の混乱を正す。「大巡真理」とは「三界開闢大巡真理」の略称である。

この宗団(宗団)の名称(名称)を大巡真理会(大巡真理会)としたその大巡(大巡)の語句(語句)は、典経(典経)に上帝(上帝)が

「……(上略)原始(原始)のあらゆる神聖(神聖)・仏(仏)・菩薩(菩薩)たちが会集(会集)し、人類(人類)と神明界(神明界)の劫厄(劫厄)を九天(九天)に訴えるゆえに、我は西洋(西洋)大法国(大法国)天啓塔(天啓塔)に降り来て天下(天下)を大巡(大巡)し、この東土(東土)に至り……(下略)」とか23)

「……(上略)我は西洋(西洋)大法国(大法国)天啓塔(天啓塔)に降り来て天下(天下)を大巡(大巡)し、三界大権(三界大権)を持って三界(三界)を開闢(開闢)して仙境(仙境)を開き、死滅(死滅)に陥った世界(世界)蒼生(蒼生)を救おうと…(下略)」とか24)

「公又(公又)が三年(三年)の間、上帝(上帝)に仕え、天地公事(天地公事)に幾度も随従(随従)し、公事(公事)が終わるたびに、彼は『各処(各処)の従徒(従徒)たちに巡回(巡回)・演布(演布)せよ』との分付(吩咐)を受け、『この事こそ天地の大巡(大巡)である』との言葉を聞いた」25) などの言葉のうち、三界大巡(三界大巡)開闢公事(開闢公事)の意を含むその大巡(大巡)を引用(引用)して名付けたものである。26)

上記の諸例文において「三界大巡(三界大巡)開闢公事(開闢公事)の意を含むその大巡(大巡)」という表現は、「大巡真理」とは「三界開闢大巡真理」の略称であることを示している。

第三に、三界(三界)は「界(界)」という用語に表れるように、属性を強調する東洋的な三才(三才)と比較して、西洋の実体性が強調される。大巡思想の九天は三界大権(三界大権)27)によって三界伏魔(三界伏魔)28)を三界改造(三界改造)29)する三界公事(三界公事)30)を行って三界解魔(三界解魔)31)し、三界を透明(透明)32)ならしめて三界を開闢(開闢)33)する。まず三界は属性の意味に偏った三才に比して、三界大権のような実体を持つこととなり、実質的な変化をもたらす。

上帝はある日、金亨烈に「三界大権を主宰し、造化をもって天地を開闢し、後天仙境(後天仙境)を開いて苦海に陥った衆生を広く救おうとするのである」と仰せられ、また仰せられた

「いまや末世に当たって、これより無極大運(無極大運)が開かれるゆえ、

あらゆる事に注意して、他人に隻を作らず、罪を遠ざけ、

純潔な心で天地公庭(天地公庭)に参与せよ」

と仰せられ、彼に神眼を開いて与え、神明の会算と聴令(聴令)を参観させられた。34)

上記の例文において九天は、神明を通じて造化をもって天地を開闢し、後天仙境(後天仙境)を開く手段として三界大権を言及する。神明を通じて九天は、三界の隠れた魔である伏魔(伏魔)を解魔(解魔)し、開闢することもできるのである。

三界概念を通じた神明界の導入と実体と属性の調和は、天外天の出現のみが強調された東学思想に比して、大巡思想の人身降世とそれに伴う天観・地観・人間観の調和によってより具体的に説明されうる。上で考察した三界という概念を背景に、東学思想と大巡思想に現れた自生的近代性を比較して考察することができる。

まず東学思想の天観・地観・人間観の特徴を要約するならば次の通りである。第一に、東学思想においては天界外の存在である天主という概念を活性化した。東学天観は分離されているだけであった東学以前の天観とは異なる。第二に、東学思想の天観は、形式的には西学の超越性と道教の内在性を同時に有し、内容的には西学の内在性と道教の超越性を有している。東学思想の地観の場合、東学思想もまた地上天国を志向する。東学思想の人間観を考察すると、輔国安民を主張する。これは大地と人間の調和、人間と人間の調和を背景とする。

東西を通じて、人間観と神観に対する主張と思想は引き続き出現してきた。しかし三界観を再定立し、三界観という世界観を通じて神観・人間観を再定立した思想は、大巡思想がほぼ唯一である。大巡思想が既存宗教と異なる三界観の再定立であった分だけ、それゆえに三界観研究は極めて稀であった。

東洋の世界観たる天観・地観・人間観は、百余年前に発生した西洋の侵略以後、今日もはや東洋人もまた信じ依拠する世界観ではない。天観・地観・人間観の否定はすなわち東洋文明の否定であり、東洋が築いてきた五千年の歴史に対する否定となる。したがって天観・地観・人間観の再定立はすなわち東洋文明の再定立であり、東洋史の復活である。

東学思想の変化した天観・地観・人間観に対し、大巡思想は三界概念を提示する。三界はその起源が古いだけでなく、巨視的な世界観を超えて東アジア文化全体に微視的枠組みを提供した。三界は天・地・人という空間的世界観を超え、東アジアの哲学・宗教・科学・芸術・技術の基盤となった陰陽五行という方法論の基盤となった。三才は陰陽理論と五行理論の共通基盤として、支配文化から民俗に至る統一的な枠組みを提供した。

大巡思想の世界観は三界観(三界観)として特徴づけられる。三界観を明確に世界観として提示する宗教は大巡思想がほぼ唯一である。大巡思想において三界とは、天界(天界)・地界(地界)・人界(人界)を指す。道教思想においても天上界・地下界などを個別に言及することはあるが、これらを総じて三界という表現を用いる事例は稀である。これに対し大巡思想は、大巡という用語からして「三界」を前提とし、大巡思想において核心となる天地公事もまた一連の三界公事として表現される。

相関的思惟を主張した場は甑山を信仰の対象とする宗団であり、その中でも大巡思想が最も代表的である。大巡宗団はさらに三界を明示し、また強調する。大巡思想もまた三界観の定立を天地公事の最優先課題とし、理論的にも優先順位に配した。大巡思想の三界観定立は相関的思惟に基づくリミナリティと再活性化であり、陰陽合徳・三才確立・五行具備といえる。これを天地公事において実際に天・地・人に具現するのである。

開闢が最も具体化されたのは大巡の三界開闢である。甑山が三界開闢を語る前に再び開闢が存在したものの、三界開闢が明確で実体性を備えている。東学に関する多くの研究がなされてきたが、天観・地観・人間観に対する大巡思想との比較研究は稀である。東学思想と大巡思想との比較は、天観・地観・人間観の変化において最も鮮明に表れる。

三界が東アジア文化に広範な事例を有するにもかかわらず、むしろ三界に対する理解は大巡思想自体だけでなく、東洋思想研究全体においてもいまだ不備な状況である。三界に対する研究が不備であるのは、三界という概念が実証的かつ論理的な説明を要するという点である。これは人文科学の領域を超える学際研究の分野である。すなわち三界が持つ広範な領域がかえって障害として作用したのである。三界は単に象徴的枠組みではなく実体的文化に適用されるため、三界が持つ無限の領域を説明するに当たって既存の西洋科学と合致しない場合が多かった。したがって東アジア思想を研究するに当たって、世界観としての三界は前近代的世界観と見なされ、思想部分のみ別個に研究されてきた。

天地人を三界と解釈する大巡思想の天観・地観・人間観は、道教の天観・地観・人間観と表面的には合致する。道教の三界(三界)は、天地人という三才の才(才)概念が世界(世界)という界(界)概念へと拡大されて成立した概念である。東洋の三界は大きく欲界・色界・無色界からなる仏教の三界と、道教の天界・地界・人界とに分かれる。物質的世界を明確に説明する道教的天観・地観・人間観と、精神的境地としても理解される仏教的三界観は、説明分野の違いが明らかであるが、共通点もまた現れる。共通点の中でまず三界という名称を見ると、仏教の三界概念以後、道教においても三才に代えて天界・地界・人界という「界」概念が出現するという点である。また天の区分においては、仏教三界に現れる天を合わせると二十八天となり、道教も上位天を除けば二十八天となる。二十八天という天の数が一致するという点において、道教が三才を仏教の三界のように「界」として表現したことには、道教の天界・地界・人界と仏教の三界とが共通点を有しているという点を示している。仏教と道教の「界」概念においてもう一つの共通点は、世界認識において三数分化的思考を適用したという点である。35)

仏教と道教共に三数分化は、仏教と道教に共通する易学的対称性の強調と見られる。対称性そのものは陰陽の二数分化であるが、対称性を持続するためには二軸の中心において新たな中心軸を必要とする。巨視的な太陽系や微視的な素粒子系の自然現象のように、形而上学的思想においても三軸があってこそ初めて持続的な対称性を維持しうる。三位一体概念の世界的偏在(偏在)のように、三数分化の世界観が東洋だけでなく古今東西を通じて全世界に普遍的である理由は、明確に対称性の維持ということである。これはまた陰陽合徳を宗旨とする大巡思想三界観の特徴である。大巡思想の三界観と合致する道教の天観・地観・人間観が注目されるさらに別の理由は、科学的性格のためである。とりわけ宇宙を単一の原理の反復として見る量子力学のフラクタル的世界観が、1960年代の新科学者カプラなどから注目されてきた。36)

先天(先天)と後天(後天)

東学思想と大巡思想の天観に現れる最も顕著な差異は、圧縮して先天と後天といえる。三界と三才の差異のように、先天と後天は単に時代の差異のみを意味するのではなく、近代性において神明の役割の有無が関わる核心的概念である。後天という概念は上帝の人身降世を基準に先天と後天に区分される。東学思想の天外天出現と大巡思想の九天人身降世は、世界を構成する神明界の立場からは比較しえぬほどの大きな差異となるため、後天の境界は神明界と人間界の総体的な地位変化を招来する大巡思想の九天人身降世から始まる。したがって大巡思想において後天という概念は、正易思想とはまったく異なる大巡思想だけの表現となる。

東学思想において開闢は「道路先天」という意を持つ「再び開闢」となる。東学思想の「再び開闢」はしばしば「後天開闢」という言葉として解釈されてきた。しかし東学思想を継承した東学関連宗団の記録を見ると、「再び開闢」は「後天開闢」の意味よりも「道路先天」という先天への原点回帰として見える。「道路先天」は「再び開闢」と形式的に類似した用語と見られる。「道路先天」という用語を使用した「尚州東学」は、東学関連の経典と歌詞を新たに多く配布した宗団として知られている。出版と文献に集中した宗団が「道路先天」として「再び開闢」を解釈したのは、東学経典の文脈上「再び開闢」は「道路先天」として解釈されることが妥当であるという立場であると見られる。実際当時の問題を儒教的観点からのみ見るならば、当時の問題に対する最善の解決策は再び尭舜時代に戻る「再び開闢」となりうる。37)

これに対し大巡思想は後天開闢を主張する。先天と後天の概念もまた、リミナリティの原理に従い個体発生は系統発生を反復するゆえ、東学思想の先天との比較は後天の特徴を考察することによって比較しうる。後天は東洋の属性的天観と西洋の実体的天観が合徳された天観である。儒仏仙を統合する大巡思想の立場から、尭舜時代が再び始まるという「道路先天」とは、儒教の典憲によって大巡思想を縮小理解したものとなる。

上帝は十二月に入って諸公事を終えられ、逆度(逆度)を調整する公事に着手された。京石・光燦・乃成は大興里へ、元一は申京元の家へ、亨烈と自賢は銅谷へと発った。上帝は残っていた文公信・黄応鍾・申京洙らに仰せられた、「京石は誠(誠)・敬(敬)・信(信)が至極であって他に用いようかとも思ったが、自ら請う事ゆえやむを得ぬ」と諭され、また「もともと東学が輔国安民(輔国安民)を主張したのは、後天の事を叫んだに過ぎなかったが、心は各々王侯将相(王侯将相)を望みつつも所願を成し遂げられず、引かれていって死んだ者が数万人である。怨恨が天を覆っており、その神明たちをそのまま放置すれば、後天には逆度(逆度)に引っ掛かり、政事が乱れることとなるゆえ、その神明たちの解寃の頭目を定めようとしているところに、京石が十二帝国を口にしたのはこれは自請である。彼の父は東学の重鎮として捕らえられ死に、彼もまた東学総代を務めたゆえ、これより以後、東学神明たちをすべて京石に附与して送ったので、この席より王侯将相(王侯将相)の解寃となるであろう」と仰せられ、紙に文字を書きながら外人の出入を禁じ、「後日に見よ。金銭の消費が多くなるであろうし、人もまた甲午年より多くなるであろう。解いておかねば後天に何ら障りがなくなるのである」と言葉を結ばれた。38)

東学思想の本来の趣旨は後天であったが、儒教の典憲によって大巡思想を理解した東学思想は、後天を道路先天と誤解して「全国民が両班になる」思想として東学思想を理解する。さらに「両班」の夢は王侯将相に連結され、これは「道路先天」の解釈が不完全な解釈となったことを示している。

系統発生が個体発生において反復されるという原理のように、大巡思想は新たな時代は儒仏仙を統合した新たな思想によって新たな世において実現されるものであり、それは道路先天ではなく新天新地である後天とならねばならなかった。

大巡思想において先天は後天と対比される止揚すべき世界ではなく、生長斂蔵の原則に従って後天に行くために経るべき過程であった。先天の数多くの怨恨は、後天に解寃として解かれうる動力であった。しかし先天が道路先天のように最初へとリセットされることが開闢、すなわち大巡思想の自生的近代性の意味ではなかった。大巡思想の自生的近代性が追求しようとした開闢と後天は、系統発生を反復する個体発生のように、古今東西の理のうち長所のみを集めて作る新たな世界であった。39)

もともと「先天」という言葉は邵康節によって易学史上初めて使用されたものであり、朱熹と『書伝序文』を著した蔡沈の父・蔡元定によって先天易学の学問的体系が完成された。40) 先天易学とは、文王の六十四卦に従って占いを行う易学とは異なり、伏羲八卦図と河図洛書に現れる宇宙変化の原理を探究する易学である。今日広く用いられる伏羲八卦図は邵康節が公開する以前には存在しなかった。先天易学において先天とは、易において天に先んじる意として用いられたものであり、事物が相克的に運行する以前あるいは物質が生じる以前を指す。邵康節は尭帝が土(土)の概念を発見した時を境として先後天を区分する。先天易学は八卦の配置と関わるため、『正易』もまた広義の先天易学といえる。先天易学の現代的解釈については、韓圭性41)、韓泰東42)、韓長庚43)、韓東錫44)、李承洙45)、金勝鎬46)、柳南相47)、李賢中48)、林炳学49)、尹鍾彬50)、金相日51)が広く知られている。

後天という概念は、東学思想において天主という概念が用いられたことから始まる。先天と後天を分かつものは上帝の人身降世であるからである。「天主(天主)」はマテオ・リッチがある中国人青年から伝え聞いた唯一神の名である。52) マテオ・リッチを含め、儒教経典を研究した天主教神父およびキリスト教牧師は、原始儒教の上帝は純粋な唯一神論的な姿であると指摘する。53) 中国に西教を初めて伝えた天主教神父であるマテオ・リッチと、『周易』と『論語』など四書五経を西洋に翻訳した開新教牧師であるジェームズ・レッグ(James Legge, 1815-1897)とは、ほとんど同一人物であるかのように、中国人はノアの子孫が移住してきたゆえに原始唯一神思想があり、その後堕落したものと主張する。54) 二十世紀初頭まで欧州最高の中国学者であったラクペリ(Terrien de Lacouperie, 1844-1894)もまた、黄帝はバビロニアから来たことを主張した。55)

侍天主呪文の「天主(天主)」が重要であるのは、東学弾圧の原因が「侍天主」呪文の「天主(天主)」に基づく東学の天主教嫌疑であったからである。崔水雲は「侍天主」呪文の「天主(天主)」が東学を天主教として追い込まれる危険があることを知りながら、なぜあえて「天主(天主)」を固執したのかは、学界では解けない宿題である。崔水雲は上帝の教えを啓示として受け取ったものであり、侍天主もまた上帝の啓示であったゆえに、天主教として追い込まれる懸念があったとはいえ改めることはできなかった。「侍天主」における天主は、弥勒上生経に登場する兜率天主・弥勒を意味することもあった。56) マテオ・リッチが Deus を天主と翻訳したのは、自身が創作した用語ではなく、当時の中国で「神様」を意味した用語であったからである。後天は弥勒下生後の龍華世界と対比される概念であった。57)

大巡思想において後天は三才が確立された三界観である。三才確立の大巡思想天界観は、天の天文までも再整備する。大巡は無極神という概念を通じて無極を実体化し、太乙天上元君を通じて太極を実体化する。後天は神明が導入され、九天の視角から見える未来の天界観である。後天の天界観は次の通りである。

第一に、大巡思想の天界観念は二つの天界観念として現れる。上帝としての天が新たに加わる。大巡思想において神は、上帝としての神と天地神明という二つの神があり、天もまた地と対比される太極の天があり、天と地を統合したその上の太極天がある。無極と太極ともに上帝が主宰する。

第二に、大巡思想は天地が陰陽であるという宣言にとどまった東学に比して、理法天が東学思想に比してより具体化される。総合すると大巡思想の天界観の特徴は、古い天と新しい天との交替、太極と理の強調、天の恩恵と地の理の区分、天と地の陰陽合徳関係など、東学思想よりさらに具体的な天界観として現れる。

東学思想の天界観に現れる相関的思惟は、大巡思想に比して制限される。大巡思想の天界観において天人関係と天地関係がさらに浮き彫りになるのは、東学思想より大巡思想の天界観においてリミナリティ様相が強化されることを示している。さらに大巡思想の天界観には、東学思想に現れない相生が強調され、天の役割が再規定されて、大巡思想において再活性化が拡大される。

大巡思想において再活性化された天界観は、無極神・太乙天上元君として実体化され、七星呪の配置位置もまた変わり、二十四呪と二十八宿呪に神明の名が呼ばれることにより天界観が再確立される。これは天地公事において冥府公事を通じて実現される。天象分野列次之図の天文が再整列される。

大巡思想において開闢された後天とは、古今東西の時空間に現れたあらゆる理の融合を意味する。したがって東学思想の調化に現れる東西の天観・地観・人間観の連結は、大巡思想において三界公事を通じて融合にまで発展する。

内有神霊と外有気化からなる東学思想の天地関係の無為而化は、大巡思想において生長斂蔵の四儀(四儀)として現れる。天地公事によって整備された二十八宿・二十四節気などの結果として、十干十二支・元亨利貞・十二運星の調化が大巡思想において定立される。これは大巡思想の無極道趣旨書に現れた陰陽合徳・三才確立・五行具備の順序として現れる。

しかし既存の天観・地観・人間観は天地人の関係が固定され、不均衡で互換されえぬため、主として人間の救援や苦痛からの解脱、人間の不老長生を追求したのであって、人間による世界精神の具現を追求することはできなかった。既存の天観・地観・人間観は、過去に西洋文明が東洋へ伝播したときに解けなかった宿題をいまだに有している。大巡の三界観が既存の天観・地観・人間観と異なるのは、三界の可変性・恒常性・互換性である。大巡の三界観は上帝によって可変性・恒常性・互換性を有する。

近代の問題を伝統的な三界の問題として見る視角は道教においても為された事がない。大巡思想が百余年を経た今日もなお光を放つ理由は、百余年を経た今においても、いまだ大巡思想ほどに近代文明を伝統的な東洋の観点から診断した事例が稀であるからである。三界の老衰と不均衡という観点から近代の諸問題を眺めたという観点に対する、差別化された研究を必要とする。

地観(地観)の自生的近代性比較

気化(気化)と調理(調理)

超越天の立場から天観・地観・人間観を規定する東学思想と大巡思想において、地は既存の天地に属する地ではなく、超越天に対比される天地概念、すなわち気化(気化)となる。しかし東学思想に神明概念を導入した大巡思想の場合、気化は人身降世した超越天による調理(調理)、すなわち土の仲介者としての役割が気化概念に追加される。大巡思想の調理概念もまた、個体発生は系統発生を反復するというリミナリティの原理に従って、大巡思想に現れる調理概念を通じて、東学思想と大巡思想の地観を比較することができる。調理は神明界によって調化される大巡思想の地界観を、東学思想と対比して鮮明に表す概念である。

天用地用 人用之 調理綱紀 統制乾坤 此之謂造化手段也58)

上記の例文は、気化に対応する調理が気化と同様に宇宙の運行を説明する核心的原理となることを示している。調理の理(理)は理あるいは理法などとして表現される。大巡思想において地は理の中心となる存在として現れる。

上帝は丁未年閏月二十三日に申京洙をその家に訪ねられた。上帝は尭(尭)の「暦象日月星辰敬授人時(暦象日月星辰敬授人時)」について仰せられた、「天地は日月がなければ空の殻、日月は知人(知人)がなければ虚影(虚影)、唐尭(唐尭)が日月の法を解き明かし百姓に教えたゆえに、天の恩恵と地の理がはじめて人類に与えられたのである」。この時、上帝は「日月無私治万物 江山有道受百行(日月無私治万物 江山有道受百行)」を教え、五呪(五呪)を作り天地の津液(津液)と名づけられた。その五呪は次の通りである。59)

上記の例文において地の理とは、天円地方の原理通り、理と法則に重点を置く地の姿を示している。理は太極と関連して伝統的に現れる。東学思想と大巡思想が出現する以前、理気論において理は中心思想であったゆえに、東学思想は「気化」という概念によって相対的に理よりも気を強調した。大巡思想はこれに対し、理(理)以前の理(理)、すなわち無極太極を強調することにより、日用事物に適用される実質性を強調する。60)

理雖高 出於太極无極之表 不離乎日用事物之間61)

上記の例文において「理は高しといえども無極太極より出でしもの」という表現は、無極と太極の主宰者である大巡思想の九天に理(理)が属するということを示している。これによりすなわち日用事物の間、すなわち森羅万象に理(理)が存在する。理気論において理(理)が実体性を排除した属性を志向する概念であったとすれば、上記の例文に現れた理(理)は実体性が強調される理(理)概念である。

太極は宇宙の根源であるため、最初の根源にのみあるのではなく、華厳経の理(理)のごとく万物に内在する。万物に太極があるという朱子の「各具太極、統体太極(各具太極、統体太極)」という表現は、塵の中に無数の仏があるという62) 華厳経の言葉のごとく、極大の宇宙と極小の宇宙に太極が理のように共同で存在するという言葉である。太極と仏教の理(理)が異なるのは、太極は具体的に太極内部が陰陽から成ることを明示的に表現するという点だけである。理気論の理(理)と華厳経の理(理)が異なるのもまた、華厳経の理(理)より理気論の理(理)が元亨利貞という具体的属性まで表すという点である。

もともと理(理)範疇の特徴は包容性・多様性・動態性であるという。性理学以前の理(理)概念を考察すると、説文解字において事物の筋目は玉(玉)が最も緻密であるため玉(玉)に従うという次元で、玉(玉)と理(理)が連結される。理(理)が初めて現れる場は『詩経(詩経)』『左伝』『国語』であり、模様の理である文理(紋理)として用いられた理(理)概念が、治める理である治理(治理)として現れる。その後、易(易)においては天下の理、性命の理となり、孟子の義理、荀子の礼理となり、道家の天然の理へと変わる。その後、董仲舒の理(理)概念と黄帝内経の理(理)概念が出現する。董仲舒は『春秋繁露』「循環之道」において「天地之未達 理(天地之未達 理)」といい、黄帝内経においては生長化成収蔵を「養生の理(理)」という。63)

もともと理(理)範疇の特徴が包容性・多様性・動態性であったのは、陰陽五行の「土」概念から出発したからである。大巡思想の「理」概念は、この「土」概念としての「理」概念を再活性化することにより、「気化」概念に偏った東学思想に比して「理」概念を導入することができ、それに従って理に伴う神明概念までも導入し、より具体的な自生的近代性を提示しうるに至った。

元亨利貞大経大法道正天地数定千法而理定心法64)

道の悟りを定義する「覚道文」に現れる上記の例文において、理は元亨利貞と土を意味する心概念の間に現れ、心が土となるのは心を定めるのが理概念であると表現することにより、理(理)と気(気)の関係が土と木火金水の関係であることを示している。大巡思想は理気論の出発点が陰陽五行であり、邵康節によるものであることを間接的に強調している。

「『東学歌辞(東学歌辞)』に三つの気運が明示されているがゆえに、言は蘇・張(蘇秦 張儀)の雄弁があり、知は康節(康節)の知識があり、文は李・杜(李太白 杜子美)の文章がある、とあるがゆえに、よく考えてみよ」と仰せられた。65)

理気論の出発が陰陽五行によるものであったということが、性理学によって長らく忘れられた。性理学が西洋に敗北したことも、陰陽五行を自ら廃棄した点に求められている。陰陽五行は理気論の出発であったが、性理学者たちは理気論は受け入れたが、陰陽五行は迷信と見なした。マテオ・リッチ以後、陰陽五行の迷信化は加速化した。陰陽五行を理気論として定礎した徐命膺などの邵康節理論の再照明は、当時としては必然的であった。

人間の調理(調理)を通じた解寃相生が実現されれば、東洋と西洋の神人関係は相互に統合されうる。陰陽五行として神明が存在することが確実となれば、西洋の地水火風もまた円の循環の一つとなる。西洋においては神明の概念が天使の概念として降格されているが、再び天使もまた神明の地位に復帰する。66)

西洋の先霊神もまた再び復帰する。西洋においても人間と関連する先霊神と自然と関連する天地神明が区分される。天使が神明と同等となれば、西洋においても人間は天使と合わさる存在となる。東洋と西洋の性格上、西洋は地下神と親近性を有してきたが、陰陽が合徳されて西洋においても祖先の魂霊と共にする。大巡思想は「祖先が四代(代)を過ぎれば霊ともなり仙ともなる」と説くことにより、理気論と霊魂論をともに説明する。西洋において天使の概念が神明へと転換されるならば、絶対者の性格もまた転換される。67) 東洋においては無極・太極のごとく究極的存在を理法化したが、イエスが父という名で人格化させた西教伝統もまた受容し、大巡思想においては無極・太極を無極神などの名として具体化することにより、東西の神人関係は再定立される。再定立された東西の神人関係は、次のように自然の変化もまた説明することができる。

道主は海印寺から戻られた翌日、諸従徒たちを集めて仰せられた、「上帝が海印を印牌と仰せられたといって、ある物体と思うのは誤った考えである。海印は遠い所にあるのではなく、自分の掌中(掌中)にある。宇宙森羅万象のあらゆる理の根源が海にあるゆえに海印であり、『海島真人(海島真人)』という言葉がある。海水を見よ、全部が電気である。水は流れ下るが、昇る性品を有している。森羅万象の根源が水気を吸収して生長する。天は三十六天(三十六天)があり、上帝が統率され電気を司られて、天地万物を支配・滋養される雷声普化天尊上帝(雷声普化天尊上帝)であられる。天上の電気が海水にあったがゆえに、海水の電気によって万物を包蔵するのである」。68)

東学において「気化(気化)」という概念が現れる場は「内有神霊 外有気化」の部分である。内有神霊・外有気化の場合、神霊と気化は東学において東西を連結するもう一つの概念である。水雲は人格的でありつつも同時に非人格的、外在的でありつつも同時に完全に内在的な天主の姿を、我々の「内に神霊があり、外に気化がある(内有神霊 外有気化)」と表現する。69) 「論学文」を見ると、崔済愚が一般的な東道西器論(東道西器論)より一歩進んで、西洋の学問と道徳を高く評価したことが分かる。

「西洋人は道成立徳しており、その造化に及んでは成し遂げぬものがない。武器によって攻撃すれば、戦いにおいて前に立ち向かう者なく、中国が滅びれば(我々にとって)唇亡歯寒の憂いがどうしてないと言えようか。他に由縁があるのではない。彼らはその道を西道と呼び、学は天主(学)と称し、教は聖教と言うが、これは天時を知り天命を受けたものではないか」70)

一方水雲は西教の修行は批判する。「西教には気化の神霊なく、学問には天主の教えがない」という一節において、後者の「学無天主之教」を「学無天主降話之教(学無天主降話之教)」、すなわち内的に降話(降話)の教えを受けていないことを意味するという。71) 水雲が西洋人は天主を奉ることも知らず、結局自分自身のためにのみ祈るだけと批判したのは、彼らが我と汝を媒介し共属させる気化の神霊を知らぬと見たためである。

大巡思想は東学思想に比して、男性的な気よりも女性的な心を強調するという点を相違点として示してきた。

崔水雲の歌辞に「道気長存 邪不入(道気長存邪不入)」とあったが、上帝は「真心堅守 福先来(真心堅守福先来)」と仰せられた。72)

東学思想において強調される男性的「至気」とは異なり、大巡思想において女性的な心が強調されるのは、理に従う解寃が強調されるためである。理による解寃である「理解」は、「和解」と共に大巡思想において持続的に強調される。73) 今日東学思想が再照明されるのは、東学思想が韓国の自生的近代性と関係する自生性という側面もあるが、東学思想が物質的近代文明に対する批判と代案的未来展望を持つ思想であるという点である。東学思想は物質的近代文明を天主教である西学の遺産と見なし、西学は表面上は平等を主張するが、修行過程においては各自為心によって天を裏切る点があると批判する。74)

東学思想の今日の現況は東学思想自体としては不備であるが、東学以後発生した東学関連思想の拡大によって、大きな影響を今日もなお及ぼしている。東学関連思想は大部分が代案として開闢を提案した。とりわけ東学が短期的・外部的・社会的な開闢を志向した。これに対し大巡思想は長期的・宗教的な神明による開闢を志向した。

植民地に転落して五千年間維持してきた民族全体のアイデンティティが絶滅しかねぬ暗澹たる時点の当時の東アジアにおいて、類例の稀なほどに韓国新宗教は薔薇色の未来展望を提示し、当時の民衆たちに大きな反響を得た。実際その展望は解釈次第では今日まで的中し、今日も当時の新宗教は宗教的影響が持続している。

当時の王侯将相の未来展望が失敗して挫折していた東学参加者に対して、甑山は東学失敗の原因と対策として解寃と開闢の参東学を提示する。

上帝はある日、京石を連れて籠岩(籠岩)を発って井邑に向かう途上、院坪の酒幕に立ち寄り、通り過ぎる行人を呼んで酒を買って勧め、「この道は南朝鮮船道である。荷をたくさん積んでこそ発つことができよう」と仰せられ、再び道を急がれて三十里余りの所に至り、「大陣(大陣)は一行三十里である」と仰せられ、古阜松月里(松月里)崔(崔)氏の斎室に居住する朴公又(朴公又)の家にお泊まりになった。公又と京石に仰せられた、「いまや会う人に会ったがゆえに、通精神(通精神)が出てくる。我が事は父母兄弟といえども知らぬことである」と、また「我は西洋(西洋)大法国(大法国)天啓塔(天啓塔)に降り来て天下を大巡し、三界の大権を持って三界を開闢し、仙境を開いて死滅に陥った世界蒼生たちを救おうと汝ら東方を巡回している最中、この地に留まったのは、まさに惨禍の中に埋もれた無名の弱小民族をまず助け、万古に積もった寃を解いてやろうとするためである。我に従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽を享受するであろう。これこそ真の東学である。弓乙歌(弓乙歌)に『朝鮮江山(朝鮮江山)名山(名山)である。道通君子(道通君子)再び生まれる』とあるが、これもまた我が事を称するものである。東学信者の間で大先生(大先生)が更生するであろうと伝わっているが、これは代先生(代先生)が再び現れるという意味であり、我こそが代先生(代先生)である」と仰せられた。

上記の例文において甑山は、無名の弱小民族たる韓国を助けて全世界に積もった万古の寃を解き、地上天国を提示することが、本来の東学の趣旨であり、東学は本来の趣旨を活かしきれずに失敗しただけであって、今後東学の趣旨は参東学を通じて実現されるであろうと述べている。実際、甑山以後、韓国はかえって日本の支配に陥ったが、日本の支配の後、韓国は実際に甑山の展望通り、当時世界最下位の国家から、植民地を経験した国の中で漢江の奇跡と呼ばれる政治・経済・文化的先進国となった。大巡思想は東学思想の「気化(気化)」によって招かれた不安な未来に対し、「地徳(地徳)」を強調することによって安心安身の生活を可能ならしめた。

労而無功(労而無功)と天地成功(天地成功)

東学思想と大巡思想の地観(地観)においてその差を鮮明に表す用語が労而無功(労而無功)と天地成功(天地成功)である。「労力したが成功しなかった」という「労而無功」は、天外天が神明としてのみ出現した東学思想において自らの業績を説明する用語であり、天地成功は九天の人身降世以後、天地に対し九天が表現した用語である。

伝統的陰陽五行において天地成功と対比される用語は天地化育である。75) 天円地方・天道地徳のような理想的三才概念において、天地は家門の成功のために子を育てる父母のように、人間を化育して天地を成功させようとする。労而無功は成功の事例がなかったという意となる。東洋思想において「天円地方」のような天地に対する多くの用語があるにもかかわらず、天地成功についての概念の端緒が現れる場は、東学思想が唯一である。東学思想において天地成功は天主の「労而無功(労而無功)」という表現として現れる。東学思想の労而無功は大巡思想の天地成功を理解する関門となる。天地成功はすなわち地と天が陰陽合徳される地上天国であり、天主の成功となる。

労而無功は東学思想において天地を天主、すなわち鬼神として悟る場面に現れるため、労而無功を理解するためには既存の東洋の鬼神概念を理解する必要がある。東学思想において鬼神は天外天を意味するが、天外天を鬼神という用語として表現したことを理解するには、伝統的な鬼神概念の理解が必要である。

脚注

  1. 1)『典経』「予示」5。
  2. 2)『大巡真理会要覧』、p.7。
  3. 3)『典経』「教運」1-17。
  4. 4)『典経』「教運」1-9。
  5. 5)『典経』「予示」10。
  6. 6)『典経』「教運」1-9;『典経』「教運」2-6。
  7. 7)『典経』「予示」17;『典経』「権智」1-21。
  8. 8)『典経』「行録」5-38。
  9. 9)『典経』「予示」7。
  10. 10)『典経』「公事」3。
  11. 11)『典経』「教運」1-30。
  12. 12)『大巡真理会要覧』、p.9
  13. 13)『典経』「公事」1-2
  14. 14)『大巡真理会要覧』、「信仰の対象」。
  15. 15)『大巡真理会要覧』、「信仰の対象」。
  16. 16)『典経』「教運」1-17。
  17. 17)『典経』「教運」1-9。
  18. 18)『典経』「予示」10。
  19. 19)『典経』「教運」1-9;『典経』「教運」2-6。
  20. 20)『布徳教化基本原理』、「沿革概要」。
  21. 21)『典経』「教運」1-9。
  22. 22)『典経』「公事」1-5。
  23. 23)『典経』「教運」1-9。
  24. 24)『典経』「権智」1-11。
  25. 25)『典経』「教運」1-64。
  26. 26)『大巡真理会要覧』「大巡真理会」
  27. 27)『典経』「予示」17;『典経』「権智」1-21。
  28. 28)『典経』「行録」5-38。
  29. 29)『典経』「予示」7。
  30. 30)『典経』「公事」1-3。
  31. 31)『典経』「教運」1-30。
  32. 32)『大巡真理会要覧』、p.9。
  33. 33)『典経』「公事」1-2。
  34. 34)『典経』「予示」17。
  35. 35)朴泰奉「韓国の思想と文化に現れた三数原理研究」、公州大学校博士学位論文、2020。
  36. 36)フリッチョフ・カプラ著、金容貞・金東光訳『生命の網:生物システムに対する新しい科学的理解』、ソウル:高陽、1998;フリッチョフ・カプラ著、李成範・金容貞訳『現代物理学と東洋思想』、高陽:汎洋社、2015。
  37. 37)金鐸「東学教『道の先天』思想の内容と意義」、『大巡思想論叢』48、2024、pp.199-237。
  38. 38)『典経』「公事」2-19。
  39. 39)『典経』「予示」30。
  40. 40)趙喜英「徐命膺の先天易学定立と時代的意義;『先天四演』を中心に」、『哲学研究』98、2012、p.1。
  41. 41)韓奎性原著、韓必勳編『周易に対する46の質問と回答』、トンニョク、1996;韓奎性『易学原理講話』、芸文志、1997。
  42. 42)韓泰東『思惟の流れ』、延世大学校出版部、2003。
  43. 43)韓長庚『周易・正易』、生と夢、2001。
  44. 44)韓東錫『宇宙変化の原理:陰陽五行原理』、大元出版、2003。
  45. 45)李承洙『中の原理』、ソウル:ジジドットコム、2008。
  46. 46)金勝鎬『周易原論』(1-6)、宣英社、2009。
  47. 47)尹鍾彬『正易と周易』、相生出版、2009。
  48. 48)李賢中『易経と四書』、亦楽、2004。
  49. 49)林炳学『易学と河図洛書』、韓国学術情報、2008。
  50. 50)尹鍾彬『韓国易学研究の基礎』、聞慶出版社、2012。
  51. 51)金相日『易と脱現代の論理』、知識産業社、2006。
  52. 52)安成鎬「17世紀初マテオ・リッチの『天主実義』と19世紀ジェームズ・レッグの中国儒教経典英訳本で使用された用語『上帝』間の神学的連続性」、『韓国基督教と歴史』32、韓国基督教歴史研究所、2010、pp.302-304;陳凱統『古代中国の中の神』、ソウル:純出版社、2009。
  53. 53)安成鎬「ジョン・ロスの中国儒教原始唯一神論と中国語聖書翻訳の用語論争に関する神学的立場」、『韓国基督教と歴史』40、(韓国基督教歴史研究所、2014)、p.228。
  54. 54)Legge, The Notions of the Chinese concerning God and Spirits, p.33。安成鎬「17世紀初マテオ・リッチの『天主実義』と19世紀ジェームズ・レッグの中国儒教経典英訳本で使用された用語『上帝』間の神学的連続性」、『韓国基督教と歴史』32、韓国基督教歴史研究所、2010、pp.315-316より再引用。
  55. 55)孫江「黄帝はバビロンから来た:ラクペリの『中国文明西来説』と東アジアへの伝播」、『概念とコミュニケーション』5、2010、pp.79-26。
  56. 56)百千の天子たちが天の伎楽を奏すると同時に、天の曼陀羅花と摩訶曼陀羅花を持ってその上に散らしながら讃嘆して言うであろう。『善きかな、善きかな。善男子よ、汝は閻浮提に広く福ある業を修めたので、ここに来て生まれた。ここがすなわち兜率陀天であり、今ここの天主の名は弥勒であり、汝は当に帰依すべきである』と。(『仏説観弥勒菩薩上生兜率天経』、百千天子作天伎樂持天曼陁羅花摩訶曼陁羅花以散其上讚言善哉善哉善男子汝於閻浮提廣修福業來生此處此處名兜率陁天今此天主名曰彌勒汝當歸依、東国大学校仏教記録文化遺産アーカイブ)。九天大元造化主神もまた九天の天と造化主の主を合わせて天主と言える。
  57. 57)崔鍾錫「甑山教に現れた仏教的要素:弥勒信仰の受容を中心に」、『禅文化研究』23(-)、2017、pp.254-255。
  58. 58)『典経』「済生」43。天用と地用と人用は綱紀を等しくすることであり、天と地を統制する。これを造化の手段と称する。(梁茂木「救援真理としての陰陽合徳と民主主義」、『大巡思想論叢』2、1997、pp.175-176)
  59. 59)『典経』「教運」1-30。
  60. 60)大巡思想が発生した井邑には、理気論の中でも実質論的理気論である一斎李恒の伝統があったという。金益斗、崔英成、李善娥、金範洙著『一斎李恒の思想・学問・理論に関する新たな視角』、ソウル:文芸院、2014。
  61. 61)『典経』「済生」43。理雖高、出於無極太極之表、不離乎日用事物之間。理は高くとも太極と無極の外に出て、日用の事物の間を離れない。
  62. 62)朱子の「各具太極、統体太極」という表現は、華厳経の重重無尽と連結される。(金鍾旭「複雑系としての生態系と法界」、『哲学思想』41、2011、pp.7-36)
  63. 63)張立文外著、安裕京訳『理の哲学』、ソウル:芸文書院、2004、pp.30-36、46、49、106。
  64. 64)『典経』「教運」2-33。元亨利貞 大経大法 道正天地 數定天法 理定心法。道は天地を正し、数は千法を定め、理は心法を定める。(崔致鳳「大巡思想の太極に関する研究」、『大巡思想論叢』23、2014、p.403)
  65. 65)『典経』「教法」2-42。
  66. 66)今日西洋の「死生学」においては、西洋もまた先霊神の存在を認めている。Well-dyingを目標とするホスピス運動から始まったが、現代西洋の死生学は数万件の臨死体験事例を通して、西洋でも東洋と同様に死後世界で生前には一度も会ったことのない先霊神と遭遇することを立証している。(イーブン・アレクサンダー、プトレマイオス・トンプキンス共著、高美羅、李珍共訳『私は天国を見た』、坡州:金永社、2013、pp.124-130、190)
  67. 67)ミシェル・セールは、東洋の神明概念と同様に、天使概念が単純な概念ではなく西洋の認識論的枠組みを形成する決定的契機とみなす。(ミシェル・セール著、李奎賢訳『ヘルメス』、ソウル:民音社、2009、pp.299-303)
  68. 68)『典経』「教運」2-55.
  69. 69)白旼晶「上帝と心概念で比較した丁若鏞と崔済愚の思惟」『民族文化』61、2022、p.149.
  70. 70)『東経大全』「論学文」.
  71. 71)孫炳旭「東学と仏教念仏禅の修証体系比較」『東学学報』23、2011、p.107.
  72. 72)『典経』「教法」2-3.
  73. 73)大巡真理会の壁画は、解寃相生を表す五仙囲碁が利害として表現されている。
  74. 74)金容沃『東経大全2』通木、2021、p.135.
  75. 75)『典経』「教運」1-66.
  76. 76)『朱子語類』巻3、中華書局、33頁。「鬼神事自是第二著.那箇無形影底,是難理會底. 末消去理會,且就日用緊切處做工夫」.
  77. 77)崔眞德「朱子学の理気論と鬼神論」『陽明学』23、韓国陽明学会、2009、pp.381-382.
  78. 78)『典経』「行録」2-16.
  79. 79)『典経』「行録」1-2.
  80. 80)『典経』「公事」3-6.
  81. 81)『典経』「教運」1-9.
  82. 82)崔水雲は自身の七代祖である震立(震立)が壬辰倭乱・丙子胡乱の際に多くの功を立てて戦死し、死後に兵曹判書の官職と貞武公の諡号を受けたことに対して誇りを持っており、「安心歌」では「犬のごとき倭敵(倭敵)らよ」「彼もまた仇敵である」という表現を通じて日本を敵対的関係に設定していた。(朴光洙『韓国新宗教の思想と宗教文化』ソウル:集文堂、2012、pp.199-201).
  83. 83)『典経』「預示」74.
  84. 84)『典経』「預示」57.
  85. 85)『典経』「公事」2-4.
  86. 86)姜敦求『韓国近代宗教と民族主義』ソウル:集文堂、1992;朴在賢「韓国近代期における大巡思想の特質-超民族主義および近代・脱近代の価値を中心に」『大巡思想論叢』24、2014.
  87. 87)黄宗源「20世紀初頭における天道教の人乃天教義および心性論に関する批判的研究」『大東哲学』44、2008、pp.92-93.
  88. 88)『典経』「教法」3-47. 事之當旺在於天地, 必不在人, 然無人無天地, 故天地生人用人, 以人生 不參於天地, 用人之時何可曰人生乎. 何らかの事が成就するのはその根本原因が天地にあるのであって、必ずしも人にあるのではない。しかし人がなければ天地は無用であるゆえ、天地(天地)が人を生んでその人を用いるのである。かかる以上、天地が人を用いんとする時、人が天地の意に従わなければ、いかにしてこれを人生と言い得ようか。(教務部「天地生人用人」『大巡会報』13、1989)
  89. 89)李京源「大巡真理の近代性と変革思想」『東学学報』9(2): 43、2005.
  90. 90)李京源『大巡宗学原論』ソウル:文史哲、2013.
  91. 91)『典経』「教運」1-66.
  92. 92)『典経』「教運」1-30.
  93. 93)『大巡真理会要覧』「趣旨」.
  94. 94)『典経』「教運」1-19.
  95. 95)『典経』「教運」1-9.
  96. 96)『典経』「公事」1-3.
  97. 97)『典経』「教法」3-47. 事之當旺在於天地, 必不在人, 何らかの事が成就するのはその根本原因が天地にあるのであって、必ずしも人にあるのではない。(教務部「天地生人用人」『大巡会報』13、1989)
  98. 98)『典経』「教法」3-47. 万事分已定 浮生空自忙, あらゆる事は分がすでに定まっているのに、世人はいたずらに自ら忙しなく動く。(教務部「万事分已定」『大巡会報』148、2013)
  99. 99)『大巡真理会要覧』、p.7.
  100. 100)『典経』「教運」2-42.
  101. 101)『典経』「教運」1-9.
  102. 102)『典経』「教運」1-9.
  103. 103)『典経』「教運」1-66.
  104. 104)『典経』「教運」1-19.
  105. 105)『大巡真理会要覧』、p.20.
  106. 106)『典経』「公事」1-11.
  107. 107)『典経』「教運」1-9.
  108. 108)『典経』「教運」1-9.
  109. 109)『典経』「行録」1-10.
  110. 110)『典経』「教法」1-54.
  111. 111)『典経』「教法」3-35.
  112. 112)『典経』「教法」1-42.
  113. 113)『典経』「済生」43.
  114. 114)唐玄善『ジルベール・デュランの想像界研究』弘益大学校大学院修士学位論文、2009、pp.28-30.
  115. 115)朴正鎮『(芸術人類学序説)韓国文化心情文化』未来文化社、1990、pp.130-146.
  116. 116)陰陽五行説には肯定的側面と否定的側面が共にあり、西洋の学者たちの場合には陰陽五行を可能な限り客観的に評価し、少なくとも原始的形態の科学程度には評価する。代表的人物としてマルセル・グラネ、アンガス・グラハム、ベンジャミン・シュワルツ、ジョセフ・ニーダムなどが挙げられる。(金基「陰陽五行説の朱子学的適用様相に関する研究」成均館大学校博士学位論文、2012、p.4)これに対して、むしろ東洋の学者たちは反対に陰陽五行をより迷信的なものとみなすとされる。(方仁「古代中国の宇宙論の一形態としての陰陽五行説」『宗教研究』4、1988、p.71)
  117. 117)『典経』「教運」1-9.
  118. 118)『典経』「公事」3-14.
  119. 119)『典経』「公事」2-1.
  120. 120)『典経』「行録」3-53.
  121. 121)『典経』「済生」43.
  122. 122)李御寧『デジログ:韓国人が率いる先端情報社会、その未来を読むキーワード』ソウル:思考の木、2006.
  123. 123)『典経』「預示」46.
  124. 124)金芝河『(美学講義)白い陰影の美学を求めて』ソウル:実践文学社、2005;金益斗「東アジア思想の中の和解と相生-韓国の近現代全北の思想運動とその展開様相」『第93回東アジア古代学会学術大会資料集』、2023.
  125. 125)『典経』「教運」1-66.
  126. 126)『大巡真理会要覧』「訓誨」.
  127. 127)『大巡真理会要覧』「信条」.
  128. 128)『典経』「教運」1-6.
  129. 129)『龍潭遺詞』「道徳歌」.
  130. 130)『東経大全』「座箴」. 吾道博而約 不用多言義 別無他道理 誠敬信三字. 吾が道は広くして略にして、多くの言を用いるべきにあらず、別に他の道理なく、誠・敬・信の三字なり。
  131. 131)A. N. Whitehead, D. R. Griffin and D. W. Sherburne, 『Process and reality』, New York: Free Press, 1929. pp.10-11. ロジャー・エイムズ、デイヴィッド・ホール著;張源錫訳『日常事に焦点を合わせる:『中庸』の翻訳と哲学的解釈』城南:韓国学中央研究院出版部、2019、pp.50-51より再引用.
  132. 132)南孝温著、朴大鉉訳『秋江集』ソウル:民族文化推進会、2007、巻5、35b.
  133. 133)韓国思想史研究会, 『朝鮮儒学の概念たち』, 芸文書院, 2002.
  134. 134)金潤景, 『韓国道教史』, ソウル: 文史哲, 2020.
  135. 135)『典経』「済生」 43.
  136. 136)『典経』「済生」 43.
  137. 137)高懐民著, 郭信煥訳, 『邵康節の先天易学』, ソウル: 心山, 2007.
  138. 138)実際、元亨利貞という概念は、春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜、初年・壮年・中年・老年のごとく循環する周期の四つの共通する属性を称する語として用いられている。元亨利貞は無限重畳循環のように一事一物にも元亨利貞があり、万事万物にも元亨利貞があるという。(尹龍男, 「朱子(朱子)理説(理説)の再構成」, 『東洋哲学研究』 8, 1988, pp.52-54)
  139. 139)崔振徳, 「朱子学の理気論と鬼神論」, 『陽明学』 23, 韓国陽明学会, 2009, pp.381-383.
  140. 140)道気長存邪不入 世間衆人不同帰。道の気運を長く保たんとせば邪なるものは入り得ず、世間の衆人と同じくは帰らじ。
  141. 141)『典経』「教法」 2-3
  142. 142)『典経』「教法」 1-34
  143. 143)『典経』「行録」 5-38. 東有大聖人曰東学 西有大聖人曰西学。東に大聖人ありて東学といい、西に大聖人ありて西学という。(教務部, 「石屏風」, 『大巡会報』 119, 2011)
  144. 144)韓国思想史研究会, 『朝鮮儒学の概念たち』, 芸文書院, 2002.
  145. 145)金善熙, 「儒学者が眺めた有神論的世界」, 韓国宗教学会発表資料集, 韓国宗教学会, 2014; 田性鍵, 「茶山霊知説の神学的可能性」, 韓国宗教学会発表資料集, 韓国宗教学会, 2014)
  146. 146)高南植, 「近・現代期の姜甑山(姜甑山)伝承に現れた日本(日本)関連記録の様相と意味 ―『大巡典経(大巡典経)』(1929-1965)を中心に―」 『日本近代学研究』, 2023.
  147. 147)『典経』「公事」 2-4.
  148. 148)『典経』「予示」 1.
  149. 149)「神道」を究極的実在と見、解寃相生の根拠として見る場合もある。(金義成, 『大巡思想の哲学的探究』, 成均館大学校博士学位論文, 2017)
  150. 150)『典経』「予示」 73.
  151. 151)『大巡指針』 1章1節.
  152. 152)『典経』「公事」 1-34.
  153. 153)『典経』「済生」 43. 水生於火 火生於水 金生於木 木生於金 其用可用然後 方可謂神人也。陰殺陽生 陽殺陰生 生殺之道 在於陰陽 人可用陰陽然後 方可謂人生也。人為陽 神為陰 陰陽相合然後 有変化之道也。不測変化之術 都在於神明 感通神明然後 事其事則謂之大仁大義也。水(水)が火(火)より生じ、火(火)が水(水)より生じ、金(金)が木(木)より生じ、木(木)が金(金)より生じる、その用(用)を知ることができてはじめて、まさに神人(神人)と称することができる。陰を殺せば陽が生き、陽を殺せば陰が生きるゆえ、生殺(生殺)の道は陰陽にある。人がよく陰陽を用いることができてはじめて、まさに人生と称することができる。人は陽となり神は陰となるゆえ、陰陽が相合してはじめて変化の道がある。さもなければ変化の方術(方術)はすべて神明(神明)にあるため、神明に感通(感通)した後にその事が成事すれば、これを大仁大義(大仁大義)と称する。(梁茂穆, 「救援真理としての陰陽合徳と民主主義」, 『大巡思想論叢』 2, 1997, p.175-176)
  154. 154)大巡思想において強調され追求される陰陽概念は、正陰正陽(正陰正陽)と調和を通じた合徳(合徳)を主唱するものであり、それを通じて理想世界が建設されうることを示すという。(李虎烈, 『大巡思想の陰陽論に関する研究』, 大真大学校碩士学位論文, 2015)
  155. 155)『典経』「公事」 1-3.
  156. 156)樊遲問知, 子曰: 「務民之義, 敬鬼神而遠之, 可謂知矣」。(『論語』「雍也」)
  157. 157)兪芝妍, 「黄玹(1855-1910)の東学に対する認識と批判: 『梧下記文(梧下記文)』を中心に」, 『梨苑学術論集』 2, 2004, pp.1-54.
  158. 158)金基承, 「水雲崔済愚著作の年代記的検討」, 『東学学報』 3, 2002, pp.159-162.
  159. 159)山河の大運数がみなこの道に帰するゆえ、その根源は最も深く、その理は甚だ遠い。我が心柱を堅くしてこそ道の味を知ることができ、一念がここにあってこそ万事が意のごとくになるであろう。濁った気運を払い清めた気運を嬰児を養うがごとくにせよ。徒に心が至るのみではなく、ただ心を正しくするにある。隠然たる聡明は自然に神仙のごとく現れ、これより来るあらゆる事は一理に帰するであろう。他人の小さな過ちを我が心に論難せず、我が小さな知恵を人に施せ。かくのごとく大道を小事に誠を注ぐな。大事に当たって慮を尽くせば自然に助けがあろう。風雲大数はその器局に従う。玄妙な機は現れぬゆえ、心を急かしてはならぬ。功を成す別の日に良き神仙の縁を結ぶであろう。心は本来空しく、物に応じても跡なきものである。心を修めてこそ徳を知り、徳をひたすら明らかにするのが道である。徳にあって人にあるのではなく、信にあって工夫にあるのではなく、近くにあって遠くにあるのではなく、誠にあって求めることにあるのではないゆえ、然らぬようでいて然り、遠きようでいて遠からず。『天道教経典』
  160. 160)『典経』「公事」 3-41.
  161. 161)『典経』「権智」 1-11.
  162. 162)金尚峻, 「全国民が両班になる―朝鮮後期儒教的平等化メカニズム」, 『社会と歴史(旧韓国社会史学会論文集)』 63(0), 2003, pp.5-29
  163. 163)『典経』「教運」 1-9.
  164. 164)『典経』「権智」 1-11.
  165. 165)『典経』「教法」 3-30; 高南植, 「朝鮮末期姜甑山の歴史認識と朝鮮観」, 『東アジア古代学』 59, 2020, pp. 239-270. 259.
  166. 166)村山智順, 「無極道趣旨書」, 『朝鮮の類似宗教』。大邱: 啓明大学校出版部. 1991.
  167. 167)李東熙, 『ライプニッツが出会った中国』, 理学社, 2003, pp.92-93.
  168. 168)安鍾洙, 「スピノザと儒学」, 『哲学論叢』 44(2), 2006, pp.172-173.
  169. 169)李英在, 「現代共感理論を通じた孔孟哲学の再照明」, 『精神文化研究』 35(2), 2012, p.427.
  170. 170)李東熙, 「近代ドイツ哲学者の対立的仏教理解と受容」, 『ヘーゲル研究』 29, 2011.
  171. 171)朱謙之著, 全洪奭訳, 『中国がつくった欧州の近代: 近代欧州の中国文化熱風』, 清渓, 2010, p.378.
  172. 172)許貞花, 「華厳思想と現代物理学の比較研究」, 東国大学校碩士学位論文, 2003.
  173. 173)在〈内経〉一書中, 可以看到道家、墨家、名家、阴阳家等学派的思想痕迹, 这是不可否认的事实。徐儀明, 『性理与岐黄』, 中国社会科学出版社, 1997, p.23.
  174. 174)蘇炳善, 『朱子学とトミズムの哲学的比較』: 韓国学中央研究院博士学位論文, 2005; 朴正鎮, 『哲学の贈り物 贈り物の哲学』, ソウル: ソナム, 2012; 李正雨・金時天・金教彬ほか, 『気学の冒険: 1, 東西哲学者, 流配された気の復活を語る』, ソウル: トルニョク, 2004.
  175. 175)松本耿郎, 「イスラームにおける宗教間対話の理論(宗教間対話の思想――歴史的諸相とそれらの対話, パネル,〈特集〉第68回学術大会紀要)」, 『宗教研究』 83-4, 日本宗教学会, 2010, pp.180-81, 1272-73.
  176. 176)ミルチャ・エリアーデ著, 崔鍾晟・金在賢訳, 『世界宗教思想史2: ゴータマ・ブッダから始まり、キリスト教の勝利まで』, 理学社, 2005, p.299, pp.490-491.
  177. 177)『典経』「予示」 88, 道通天地報恩.
  178. 178)『大巡真理会要覧』 p.20.
  179. 179)『典経』「教法」 2-36.
  180. 180)『典経』「教運」 2-41. 至極な宝はすなわち我が心霊である。心霊が通ずれば鬼神とともに酬酢することができ、万物とともに秩序を共にすることができる。(教務部, 「布諭文」, 『大巡会報』 184, 2016)
  181. 181)『典経』「公事」 1-9.
  182. 182)『典経』「行録」 2-9.
  183. 183)『典経』「行録」 5-24.
  184. 184)『典経』「公事」 2-19.
  185. 185)『典経』「予示」 30.
  186. 186)『典経』「予示」 30.
  187. 187)『典経』「予示」 30.
  188. 188)『典経』「公事」 1-30, 『典経』「教運」 1-30, 『典経』「予示」 1-21.
  189. 189)『典経』「行録」 5-38.
  190. 190)『大巡指針』 p.18
  191. 191)『典経』「行録」 3-44.
  192. 192)『典経』「教運」 2-33; 高南植, 「理定心法と修心の究極的性向」, 『大巡思想論叢』 13, 2001.
  193. 193)高南植, 「先天天観と上帝の超越性: 上帝の神道、三界大権と関連して」, 『大巡思想論叢』 8, 1999, pp.562-563
  194. 194)黄台淵, 「孔子の共感的無為・現世主義と西欧寛容思想の東アジア的起源 上」, 『韓国学』 36(2), 2013, pp.73-74.
  195. 195)大巡思想においては解寃を象徴する五仙囲碁壁画を「理解」と表現している。解寃は相生の自然科学的基礎となる。(朴鎔哲, 「解寃相生の実現に対する考察」, 『大巡思想論叢』 4(-), 1998, pp.213-241)
  196. 196)『典経』「行録」 5-38; 趙英淑, 「『東医宝鑑』 宇宙本体論に関する研究」, 『道教文化研究』 33, 2010, p.141; 金美林, 「『東医宝鑑』の養生観研究」, 外国語大学校博士学位論文, 2009, pp.163-165.
  197. 197)『典経』「済生」 43.
  198. 198)『典経』「行録」 5-38.
  199. 199)崔元赫, 「東学思想と大巡思想の自生的近代性比較研究」, 『Studies on Humanities and Social Sciences (SHSC)』 6(1), 2024.