I. 序論

序論

研究の背景および必要性

東学思想(東學思想)は主として宗教思想として研究され、「東学(東學)」という名称に現れる東洋の自生的(自生的, autogenous)近代性(近代性, modernity)および哲学的思惟方法論という側面からは、いまだ主体的に照明されてこなかった。これは「真東学(参東学)」1)を主張する大巡思想(大巡思想)においても同様である。2) 当時の「西学(西學)」は、物質文明と人類中心に代表される西欧的近代性に対する当時の別の名称であり、東学はそれに対応する自生的近代性および哲学的思惟方法論の別の表現であった。3) 大巡思想もまた、西洋近代性の起源はマテオ・リッチ(Matteo Ricci, 利瑪竇, 1552-1610)4)が伝えた東洋文明であり、物質に偏った西欧的近代性が招いた地球的危機を出現の背景として強調している。5) 大巡思想はまさにこのような側面からも、「東学」ではなく「真東学」という用語を用いている。

東学思想と大巡思想が自生的近代性の側面から研究されてこなかったのは、西欧の「近代性」が起源したと知られてきた今日において、東洋の自生的近代性に注目してこなかったからである。しかし大巡思想が早くに明らかにしたように、西欧の近代性がマテオ・リッチによって西洋に伝播された東洋文明に起源することが最近明らかになるにつれ、東洋の自生的近代性としての東学思想と大巡思想もまた再評価されつつある。

このような東西両洋の近代性に対する再評価は、今日IT技術の発達により、西欧近代性の黎明期に書かれた文献がグーグル(google.com)などオンライン上で無料で公開されるにつれ、隠蔽されていた西洋近代性の東洋的起源が再照明されることで始まっている。実際ウェーバー(Max Weber, 1864-1920)は近代性の起源をカルヴァンの救援予定説(救援豫定說, Predestination in Calvinism)であると主張したが6)、カルヴァンの神学を資本主義として制度化した啓蒙主義(啓蒙主義, enlightenmentism)は、マテオ・リッチが伝播した中国の唯一神宗教を伴わない倫理文明、すなわち儒教文明から始まったことが明らかになった。7) 東洋では近代化の障害要素として指目された儒教が、かえって西欧では近代性の起源であったことを、それらの記録は示している。8)

啓蒙主義の東洋的起源を主張してきた西欧学者らの主張がオンライン資料を通じて立証されると、黄台淵をはじめとする東洋圏の学者らも、西欧啓蒙主義の起源が、前近代的迷信とまで貶められていた東洋の倫理的省察および宗教的学問にあることを明らかにしつつある。9) この方面の代表的な学者として、中国では朱謙之(朱謙之, 1899-1972)10)、西洋では従属理論家として有名なフランク(Andre Gunder Frank, 1929-2005)11)、ホブソン(John Montagu Hobson, 1962-現在)12)、クリール(Herrlee Glessner Creel, 1905-1994)13)、ライヒヴァイン(Adolf Reichwein, 1898-1944)14)、国内では黄台淵15)、趙惠仁16)、全弘奭17)、李英宰18)、李東熙19) らを挙げることができる。

そこで西欧の「脱近代性(post-modernism)」理論家ら、特にフランソワ・ジュリアン(Francois Jullien, 1951-現在)らは、西欧近代性の代案である脱近代性思想を東洋に求める研究を持続的に進めてきた。ジュリアンは啓蒙哲学が直接的に孟子(孟子, BC372?-BC289?)から影響を受けたとは主張しないものの、啓蒙哲学者の問題意識と孟子の問題意識とが極めて近接していることを示している。20)

このような西欧的近代文明は、核兵器や環境問題など人類絶滅の危機を招くと懸念されてきており、その危機は現実のものとして迫ってきた。これにより代案的近代性(alternative modernities)の構築は切実な現実の課題となった。21) 今日「脱近代性」議論によって代案的近代性を準備してきたポストモダニズム思想家らもまた、近代性の代案を自生的近代性と同じく「倫理的省察」22)と「宗教的回帰」23)に求めている。人類の傲慢と物質に偏った近代文明は、絶えず自然を征服してきた文明に対する省察(reflexivity)と宗教的回帰(Religious Turns)なしには、「解体(Deconstruction)」「哀悼(mourning)」など数多くの脱近代的思想が提案する代案も成功し得ないと、碩学たちは異口同音に語っている。

このような全世界的な思想界の流動的変化のなかで、早くから近代文明の危機と代案的近代性としての宗教的回帰を強調してきた東学思想と大巡思想が、今日東アジアの自生的近代思想として再照明されている。24)

東学思想と大巡思想は自生的近代性として多方面から研究されてきたが、既存の研究では「東学」という名に前提された東洋の哲学的思惟方法論、すなわち東洋的・韓国的哲学的思惟方法論に関する研究は不足していた。一方、西洋では早くから東洋思想の特徴を東洋思想の哲学的思惟方法論に求め、これを西洋の近代的合理性に対する代案的合理性として持続的に注目してきた。

これまでの東学関連思想に関する研究において、哲学的思惟方法論を対象としなかったのはやや意外である。東西哲学的思惟方法の差異に対する理解不足は、東学関連思想の自生的近代性が有する世界思想史的価値を十分に明らかにできていない。東学関連思想とは、東学以降「真東学」と表現された大巡思想を含み、東学の影響を受けた思想あるいは東学と関連する思想、例えば円仏教や統一教などを東学関連思想と称し得る。25)

実際、東学思想は東道西器論(東道西器論)、中体西用論(中體西用論)、西学中源論(西學中源論)のような東西文明の衝突による正体性の危機への対応の「学(學)」として「東学」を主張し出現した。「東学」という用語が初めて出現する『東経大全』の「論学文」において、東学思想は数か所にわたって東学を西学と対比される「学(學)」として提示している。26) 東学の失敗により、この課題は東学関連思想の課題として残されることとなった。

宗教を「学」という学術的観点から理解することは、性理学以降に流行した東アジアの独特の宗教理解の方式である。「学」という表現で宗教を理解していた東アジアに「宗教」という表現が導入されるのはこれ以後のことであり、今日においても「宗教」概念には多くの論争がある。27)

もちろん東アジアにおいて「学」という概念は、「宗教」という概念が入ってくる前に用いられた前近代的な未分化な宗教概念として評価されることもある。28) しかし「学」という概念について、海外では「学」が発生する社会的背景およびその政治的含意を含む広義の概念として多くの研究が進められており、特に性理学の「学」概念は極めて総体的な思惟体系として評価されている。29)

性理学から提示される「学(學)」という概念は、具体的に近代的教育における知識や技術の獲得、さらには文化の獲得とも非常に異なる論理構造をもつものとして評価される。性理学が説く「学」の主要部分は、人間社会の具体的現象とは最も遊離して見えるであろう心(心)の問題を論じるが、抽象的形而上学にのみ見える理論が、実際には現実的問題を理解するうえで極めて重要な部分となるという。30)「学」は、「学」を正体性とするエリート層と非エリート層である民(民)とがいかに区別され、いかなる関係を結ぶことになるのか、そして彼らがいかに具体的に国家や特別な機構によって権力を付与されることなくして現実的権力を保持し、これを正当化し得るのか、エリートと政府・国家・君主との関係がいかに規定されるのかを示している。

東学の「学(學)」に対する評価は、国内の場合は修養論として拡大して再評価されることもあり31)、韓国的人文学・韓国哲学として再評価されることもあるが32)、海外ではポストモダン科学論争を通じて東アジアの代案科学にまで再評価される。33) 科学哲学において早くから東洋の「学」が代案的科学となり得ることは、ヨーロッパ科学哲学において、ヨーロッパの前近代科学哲学である「地水火風(地水火風)」四元素説(四元素說)の科学的再評価において議論された事例がある。

西洋の前近代科学理論である「地水火風」理論もまた科学哲学として再評価されるようになったのは、バシュラール(Gaston Louis Pierre Bachelard, 1884-1962)が地水火風の科学哲学を発見してからである。34) バシュラールから始まるフランス科学哲学は、今日の科学哲学を代表するクーン(Thomas Samuel Kuhn, 1922-1996)のパラダイム(paradigm)、あるいはポパー(Karl Raimund Popper, 1902-1994)の反証可能性(反證可能性, Falsifiability)などの英米科学哲学とともに、世界科学哲学界を二分している。クーンとポパーの英米科学哲学が科学の分野に限定され、また「地水火風」のような具体的体系を持たないのに対して、地水火風の科学哲学から始まったフランス科学哲学は、英米科学哲学と異なり人文社会科学分野にまで拡大され、また地水火風という伝統的実体を前提としている。

科学の条件を理論の反証可能性、あるいは科学社会の合意とみなしたポパーやクーンの英米科学哲学とは異なり、バシュラールは科学の特徴を認識論的断絶(Epistemological Break)とみなす。科学は普遍妥当な理論が絶対的に存在し、その理論が反証可能あるいは協約によって成り立つのではなく、互いに断絶した理論が独立して出現し共存するというのである。代表的なものが「地水火風」と原子論的科学の共存である。この共存をバシュラールはクーン以前に「パラダイム」と命名した。「認識論的断絶」をパラダイムとみなしたバシュラールの科学哲学は、今もなお威勢を振るっているポストモダニズムの代表的哲学者であるアルチュセール(Louis Pierre Althusser, 1918-1990)、ラカン(Jacques Lacan, 1902-1981)、フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)、ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)、セール(Michel Serres, 1930-2019)、デュラン(Gilbert Durand, 1921-2012)、そしてシステム科学理論家であるマトゥラーナ(Humberto Maturana, 1928-2021)、ヴァレラ(Francisco Javier Varela Garcia, 1946-2001)、ルーマン(Niklas Luhmann, 1927-1998)らの理論的基盤となった。

「地水火風」はヨーロッパのみならず、仏教やヒンドゥー教、エジプトおよび中国の一部の科学観でもあるほど、近代以前に全世界を代表する科学観であった。過去の華麗さにもかかわらず、近代科学以降に没落した地水火風の科学観をバシュラールが科学哲学理論として復活させた契機は、逆説的にも地水火風の科学観の問題点を指摘する過程であった。35) 初期のバシュラールは地水火風の問題点を発見する過程において、「地水火風」のうちに科学を超越する科学以前の要素である想像力の根源を発見した。バシュラールは地水火風が科学を妨害する要素ではなく、むしろ科学もまた人間の想像力の発見であるため、科学は地水火風を活用してこそ発展し得ることを発見した。36) バシュラールは、現代科学がかえって地水火風の想像力を妨害することによって現代人を想像力不在の苦しみに陥らせ、想像力の不在こそが現代のあらゆる問題の原因であると指摘した。37) このようなバシュラールの主張は、多様な方法で変奏されながら世界の科学哲学の主流を形成することとなった。

地水火風の科学哲学が東学の「学」概念の理解において重要であるのは、東学が学術的に基盤を置く東アジアの科学理論である陰陽五行が38)、現代の科学哲学として再評価され得る余地を見せ、陰陽五行が地水火風の科学哲学と同様に東洋の現代科学哲学に寄与し得る可能性をもつからである。

早くから大巡思想は「真東学」という用語を通じて、東学思想が提起した東アジアの思惟方法論としての「東学」という課題に対する最終的解決案が大巡思想であることを提示してきた。極めて広範な研究がなされてきた大巡思想と東学思想ではあるが、依然として両方面の研究者らにおいて、東アジアの哲学的思惟方法論としての「東学」という観点から遂行された研究は稀少な状況である。

大巡思想の経典である『典経』には、「西有大聖人東有大聖人曰東學(西に大聖人有り、東にも大聖人有り、これを東学という)」39)という句節において、東洋の聖人によって発生した宗教と学問を西洋の西学と対比して「東学」と表現している。『典経』の表現において「東学」が東アジア宗教の哲学的思惟方法論としても提示されたことが見て取れる。40)「大巡真理」の「真理」という学術的表現を用いたこともこれを反映している。

東学においてもこの用語が哲学的思惟方法論として提示されたことは当然のことである。「東学」という用語が初めて現れる『東経大全』の「論学文」も、もとの題目は「東学文」であったという。41) 水雲のハングル歌辞を集大成した『龍潭遺詞』および漢文著書である『東経大全』は、いずれも水雲が直接書いたものであるため、初期東学に該当する。42) 本論議では、水雲が活動した4年間の時期の東学を「初期東学」と称し、「初期東学」が甑山の思想であるという大巡思想の立場に従って、本稿の東学思想は初期東学にのみ限定したい。43) ただし、大巡思想との比較のため、初期東学思想を特定的に解釈した後代の一部の用語を用いることもある。

大巡思想において東学思想は「後天の事を主張した宗教44)」として現れる。「後天」という用語が『龍潭遺詞』や『東経大全』に直接現れることはないが、「東学」「開闢」「地上仙境」など、大巡思想は初期東学で初めて出てきた用語を実際に多数共有している。

大巡思想が東学の完成、すなわち真東学として提示されたという表現のもう一つの根拠は、作乱と治乱についての言及である。45)「作乱(作亂)した人は水雲(水雲)であり、治乱(治亂)する人は甑山(甑山)である」というこの句節は、「東学」に対する最初の問題提起が水雲によってなされ、その解決が甑山の真東学によって成し遂げられたことを示している。初期東学と大巡思想が共有する用語を東洋の哲学的思惟方法論として検討し、大巡思想の真東学が東学思想の東学をいかに完成させているのかを示す作業は、大巡思想を研究するにあたって大巡思想の論理的整合性を理解するうえで必ず必要な研究である。

西洋の近代性がコペルニクスの地動説から始まったように、学問としての「近代性」が始まる地点が宇宙観に対する自生的理論の構築であることは、広く知られた事実である。46) したがって東学もまた、自生的近代思想として東洋的宇宙観、すなわち天観・地観・人間観を新たに構築するところから出発したが、東学の哲学的思惟方法と同様、これまで多く研究されてこなかった。これにより本研究では、天観・地観・人間観の自生的近代性を中心に哲学的思惟方法という側面から東学思想と大巡思想を検討し、東学思想と大巡思想の自生的近代性の幅と深さを論じてみたい。

研究の目的と範囲

本論議の目的は、「東学」関連思想が東洋の哲学的思惟方法を通じて東西両洋を融合した天観・地観・人間観を構築し、相生的(相生的)天界観(天界觀)・地界観(地界觀)・人界観(人界觀)を導出して、西洋近代性に対する自生的近代性を樹立したことを示すことである。このような観点から東学思想と大巡思想を比較したい。

哲学的思惟方法としての「東学」という主題は、東アジア文明の正体性と関連する広範かつ重要な主題である。東西文明が本格的に衝突した帝国主義時期以来、西洋に対する代案としての東洋の哲学的思惟方法の模索は、東洋人にとっては生存のための課題であった。逆説的にも、自生的近代性は西洋人にとっても、今日の西洋文明が招来した現代文明の危機を解決してくれる代案的近代性のための重要な課題である。

大巡思想と東学思想は、東洋思想の哲学的構造と論理的整合性を、既存の東洋思想よりも明確に提示している。東学思想と多くの用語を共有している大巡思想ではあるが、大巡思想は東学思想において初めて提示された用語に対する根本的な再定義と補完を行い、これを「真東学」と称する。東洋の哲学的思惟方法論という意味で「東学」という用語が出現したことを考慮するならば、大巡思想と東学思想の差異は、東洋の哲学的思惟方法論という側面から再検討される必要がある。47) 特に、大巡思想で言う真東学は、東学思想よりも東洋の哲学的思惟方法論により忠実であったという意味でも理解し得る。東洋の哲学的思惟方法論の側面から東学思想と大巡思想を比較することは、自生的近代性確立としての「東学」に対するより本質的な理解の可能性を示し得る。

本稿は、東学思想と大巡思想の自生的近代性の特徴を、相関的思惟(correlative thought)のリミナリティ(Liminality)と再活性化(Revitalization Movements)として定義した先行研究の基盤の上に、東西両洋の融合的天観・地観・人間観の構築という側面から考察する。相関的思惟(相關的 思惟, correlative thinking)のリミナリティ(Liminality)は、100余年間、西欧近代性の代案を模索してきた現代西洋思想史において代案的合理性を説明しようとした代表的概念であった。

相関的思惟は、万物の全体をまず見て、その文脈と関係から部分を見る思惟体系であり、部分をまず見て全体を後で見る西洋の実体論的・存在論的な分析的思惟(analytical thought)に対応する東洋の全息的(全息的)で48)ホリスティック(Holistic)な生成的思惟体系である。相関的思惟の理論は、住所を書く際にも近い住所から書く西洋と異なり、東洋は最も遠い国名から書く固有の関係論的思惟体系をもっているという理論である。49) 相関的思惟は、「バドゥガ・チョルスヤ(犬や、チョルスや)」のような身近な対象から学ばせる西洋式の教育とは異なり、「天地玄黄(ハヌルチョン・タジ)」をまず学ばせていた伝統的な東洋の教育方式に現れる思惟体系である。相関的思惟は、東洋宗教に対する初期研究者であるグラネ(Marcel Granet, 1884-1940)が提示し、持続的に発展してきた。50)

次にリミナリティ理論は、宗教的変化を通過儀礼を通じて説明する理論である。ターナー(Victor Turner, 1920-1983)は、通過儀礼において現れる変化以前と変化以後の中間地帯であるリミナリティという概念によって宗教的変化を説明する。51) 境界あるいは中間地帯を意味するリメン(Limen)に由来するリミナリティ概念もまた、二分法的な西洋的思考とは異なり、リミナリティという第三の中間地帯が通過儀礼のような個人的・社会的変化を説明し得るという理論である。両理論はいずれも代案的思惟を求めるために西洋において発展し、東洋的思惟および制度の特性に適用されつつある。

また、再活性化理論は、近代性の変化を重視するリミナリティ理論とは異なり、外部の変化に対する対応過程を説明する理論である。人類学者ウォーレス(Anthony F. C. Wallace, 1923-2015)によって初めて導入された52)再活性化理論は、外部の脅威に対して伝統を活用した対応過程の変化を説明する、もう一つの人類学的儀礼理論である。内部の変化過程を重視するリミナリティ理論とは異なり、再活性化は外部の脅威と伝統の活用を強調する。個人もまた正体性が解体され得るという脅威を受けると、自らの長所に基づいて個人が自身の信念体系を再整備し、変わった信念体系を実践に移して社会における自身の位置を変化させる。ウォーレスは、社会が有する社会的正体性が解体される危機を迎えると、各社会の既存の文化伝統の長所を蘇らせて社会的信念体系を変化させることを再活性化と名づけた。リミナリティの様相が変化機制を説明するとすれば、再活性化は変化の維持機制をよく説明する。実際に再活性化の内部的変化はリミナリティによって説明され得る。53) したがって自生的近代化を説明するには、中間段階であるリミナリティと同時に、変化の維持原理である再活性化という観点が同時に必要である。54)

研究の目的を達成するため、本論議は次のような順序と範囲で研究を進める。第一に、自生的近代性の条件としての東西両洋の思惟体系の差異、および東西両洋の思惟体系の媒介となり得るリミナリティと再活性化について明らかにする。第二に、本稿は天観・地観・人間観に範囲を限定して、両思想に現れた自生的近代性を追跡する。両思想に現れた伝統的天観・地観・人間観の近代的変化を考察し、その原理を追跡する。第三に、両思想の自生的近代性を比較し、結論において天観・地観・人間観の自生的近代性としての評価と展望を提示する。

細部的には、本稿は次のような順序で研究を進める。まずⅠ章では近代性に関連する先行研究を分析する。Ⅱ章では近代性と自生的近代性の差異を説明し、自生的近代性の条件としてリミナリティと再活性化を提示する。具体的に、Ⅱ-1章では聖(聖)・俗(俗)統摂(統攝)としての近代性の定義、近代性と自生的近代性の東洋的共同起源、自生的近代性の形式体系としての「学」、自生的近代性の哲学的思惟方法としての相関的思惟を考察し、Ⅱ-2章では自生的近代性の変化機制としてのリミナリティと、持続機制としての再活性化を考察する。

Ⅲ章では天観・地観・人間観を中心に、東学思想に現れた東西両洋伝統の連続と変化、すなわち共通点と相違点を三つの部分に分けて説明する。具体的には、Ⅲ-1章で東西両洋の伝統的天観(天觀)をそれぞれ同化的(同化的)、形相的(形相的)天観に分けて説明し、東学思想の侍天主的(侍天主的)天観に現れた自生的近代性を考察する。Ⅲ-2章では東西両洋の伝統的地観(地觀)をそれぞれ凝縮的(凝縮的)、質料的(質料的)地観に分けて説明し、東学思想の造化定(造化定)的地観に現れた近代性を考察する。Ⅲ-3章では東西両洋の伝統的人間観をそれぞれ接化的(接化的)、成長論的人間観に分けて説明し、東学思想の永世不忘的(永世不忘的)人間観に現れた近代性を考察する。

Ⅳ章では天観・地観・人間観を中心に、大巡思想に現れた東西両洋伝統の連続と変化、すなわち共通点と相違点を比較して三つの部分に分けて説明する。Ⅳ-1章では大巡思想の天観を人身降世(人身降世)の天界観(天界觀)として説明し、伝統的天観と比較した後、その様相と特徴を考察する。Ⅳ-2章では大巡思想の地観(地觀)を天地誠敬信(天地誠敬信)の地界観(地界觀)として説明し、伝統的地観(地觀)と比較した後、その様相と特徴を考察する。Ⅳ-3章では大巡思想の人間観を成事在人(成事在人)の人界観(人界觀)として説明し、伝統的人間観と比較した後、その様相と特徴を考察する。

Ⅴ章では東学思想と大巡思想の天観・地観・人間観を、両思想の連続と変化の側面から比較してみる。Ⅴ-1章では東学思想と大巡思想の天観を中心に両思想の自生的近代性を比較する。Ⅴ-2章では東学思想と大巡思想の地観を中心に両思想の自生的近代性を比較する。Ⅴ-3章では東学思想と大巡思想の人間観を中心に両思想の自生的近代性を比較する。

Ⅵ章結論では、上記の論議を要約し、本研究の限界と意義を明らかにして、東学思想と大巡思想の自生的近代性比較を総合する。

先行研究分析

東学に関する研究は、東学学会、韓国東学学会など関連学会を中心に1,000編余りを超える論文が発表され拡大されてきた。主要な論議は、既存の韓国近代性理論の起源を「実学」に求めてきた理論に対する反論として、「東学」に求める内容として行われた。55) 先行研究のうち、東学思想において自生的近代性の起源として強調される部分は、金芝河56)らから始まった東学思想の現代哲学的面貌、すなわち生命哲学、過程哲学のような西洋現代哲学的面貌との比較であった57)

近代性と関連した東学思想に関する先行研究は、東学民衆運動、東学の宗教思想、東学の哲学的思惟方法に関する研究という大きく三つに区分される。第一に、東学民衆運動は東学農民革命に関する歴史的研究であり、宗教と思想よりは東学思想によって発生した社会運動の歴史について、社会科学的方法によって主に研究される。第二に、東学の宗教思想は、東洋宗教に対する宗教学的方法あるいは思想史的方法によって研究される。第三に、東学の哲学的思惟方法は、科学哲学あるいは文明史的側面において東洋学問の方法論として研究される。

本稿と関係する先行研究は、主として東学思想と大巡思想を宗教思想として研究する第二の研究と、東洋の思惟方法論とみなす第三の研究である。第二の研究は再び、韓国宗教思想史全体において東学思想と大巡思想の意義を模索する研究と、東学思想と大巡思想を集中的に探索する研究に分けられる。第一に韓国宗教思想史全体において東学思想と大巡思想の意義を模索する研究としては、張秉吉58)、鄭鎭弘59)、尹以欽60)、崔鍾誠61)、姜敦求62)、盧吉明63)、金洪喆64)、ドン・ベイカー65)、柳東植66)、金鍾瑞67)、金益斗68)、黄宗源69)らを挙げることができ、第二の東学思想と大巡思想を集中的に比較探索する研究の場合、代表的な研究者として金芝河70)、金鐸71)を挙げることができる。

各研究者を詳細に見ると、まず大巡思想を最も早く先駆的に研究し、『典経』初版をソウル大学校出版部から出版した張秉吉の場合、東学思想と大巡思想を基層民衆の霊性的世界観として理解し、これに対応して出現した大巡思想には、特に天地変化の原理に従って神明観、人間観、価値観などの総体的変化も伴うとしている。72) 韓国の代表的宗教学者であった鄭鎭弘の場合は、韓国宗教史をミメシス(mimesis)の道教、ミュトス(Mythos)の仏教、ロゴス(Logos)の儒教、テオス(Theos)の東学として整理し、解放後の改新教の発展を東学の延長線上のものとみなす。73) 東学は短い出現期間ではあったが、韓国宗教思想テオス(Theos)の始まりという重要な意味があるとしている。74) 崔鍾誠は鄭鎭弘の研究を継承して、東学を「テオプラクシー(Theopraxy)」という儀礼中心で研究する必要があるとしている。鄭鎭弘の研究が教理中心で東学思想の意義を研究したとすれば、尹以欽は最高神の形態によって東学思想の意義を説明し、東学は新しい思想であるとともに以前の鄭鑑録の変革的世界観を共有しており、それ以後出現する新宗教の標本となっているとしている。75)

世界宗教学の流れを韓国新宗教研究に適用しようとする姜敦求の場合は、韓国宗教の差別化という側面から『正易』の役割を強調し、『正易』を反映した韓国新宗教においてその韓国的特性が際立つという点を強調する。特に『正易』を強調した大巡思想は韓国的特徴をよく表現してくれるとしている。76) 盧吉明は、今日の韓国新宗教は成立は旧韓末になされたが、経済開発以降に再び照明されたという点で、脱近代性とも関連し得る現代的な現象であるという。これにより大巡思想の解寃相生もまた、西洋の近代性が招来するであろう未来の危機を展望した甑山の代案的近代性として検討されねばならないとしている。77)

金洪喆の場合は、東学思想と大巡思想出現の地理的背景として金山寺と真表律師を指目し、両思想の背景として百済復興運動と弥勒信仰の再活性化の関係を照明する。東学農民革命と大巡思想は、奇しくも百済滅亡と関係する金山寺と弥勒を中心に展開されている。78) ドン・ベイカーは東学関連思想を、韓国人の霊性(靈性)を成してきた神(神)と道(道)の結合とみなす。神(神)がキリスト教や巫俗のような人格神概念であるとすれば、道(道)は儒・仏・仙のような理法神(理法神)と言える。79) 柳東植の場合は「風流(風流)」神学を主張し、神霊決定論、占卜予言信仰、風水地理が韓国民間信仰の三大主流であり、東学思想と大巡思想はその延長線上にあるとしている。風流の風(風)は気(氣)と代替され得る気(氣)以前の気(氣)概念であり、気(氣)は神霊決定論、占卜予言信仰、風水地理という韓国民間信仰の主要な軸を成してきた。80) 金鍾瑞は、社会革命的側面を強調した近代的な東学思想と、人類救援に関心を置いた大巡思想とを互いに比較したプルナー(Gernot Prunner, 1935-2002)の研究を紹介している。81)

東学思想と大巡思想の中心地である井邑で「井邑学」を主導する金益斗の場合は、戯曲を専門に研究する国文学者として、両思想を、葛藤を重視するアリストテレス(Aristotle, B.C.384-322)の西洋葛藤フレームを韓国的相生に変える画期的思想と評価する。金益斗は、カタルシスが弁証法の母胎となり、カタルシスは神の葛藤をモチーフとする西洋神話をモチーフとしているため、ポストモダニズムが求めようとする代案的近代性を西欧に求めようとした企図は失敗したという。むしろ金益斗は、ポストモダニズムが求めようとする代案的近代性を東学思想と大巡思想に求めた金芝河の研究に注目し、金芝河の研究をリミナリティの観点から解釈する。金益斗は、金芝河が両思想に見出した「白い陰の美学」という代案的近代性は、西欧神話とは異なり神々の和合をモチーフとする韓国神話に基盤しているために可能であったという。82)

また、李英蘭は早くからリミナリティを公演学(パフォーマンス研究)に適用し、韓国巫俗をリミナリティの観点から高く評価したリチャード・シェクナー(Richard Schechner, 1934-現在)から公演学を師事したことがあり、公演学的観点からリミナリティを「ある(being)」と「生成(becoming)」という二つの軸で解釈し、天地人の天観・地観・人間観と西洋脱近代性の代表的思想を一つの表として総合している。「ある(存在する)」と「である(同一性)」という二つの意味を持つ「be」動詞は、ハイデガー実存主義において世界を説明する核心道具として適用されており、シェクナーはこれを公演学に適用してリミナリティを「ある(being)」と「生成(becoming)」として解釈した。東アジアには「be」動詞はないが、部分と全体を同時に指称する「ハン(han)」概念があり、李英蘭はこれを天符経のように天地人に適用し、天(1)、地(2,1+2)、人(3,1+2、1+2+3、1'=1+2+3)として解釈し、この「ハン」概念はbe動詞よりもより容易にリミナリティを解釈し得ると、李英蘭は主張する。83) 本稿はリミナリティの定義において金益斗と李英蘭の定義を主に参考にして、東学思想と大巡思想の自生的近代性に適用したい。

黄宗源は、東学思想と大巡思想が東西両洋宗教の三つの淵源を独創的に総合し、創造的な近代性を成しているとする。東学思想と大巡思想は、開化派と衛正斥邪派に対して第三の方向を選択した思想のなかでも、朴殷植のような儒教大衆化とは異なり、客観的立場から東西両洋を調律して成功的な自生思想となったとしている。これは汪暉が指摘した中国の梁啓超の事例とも非常に符合する。

次に東学思想と大巡思想の近代性比較に集中した研究を見ると、まず金芝河の場合、東学思想と大巡思想を政治的近代思想と文化的近代思想とに大きく区分する。金芝河は、東学思想が政治的近代性を強調したとすれば、大巡思想は日常の小さな実践から適用して文化的近代性を追求したとしている。直観的な理解が容易な美学的方法によって両思想を比較する金芝河は、東学思想は人為的かつ伝統的な民衆反乱の組織的方法によって動世開闢(動世開闢)を追求した政治思想的性格が強いが、大巡思想は日常的実践において文化的な靖世開闢(靖世開闢)の運動を見せた文化運動の性格が強いとしている。84) 金芝河は両思想の近代的特徴を、科学と神学を総合したテイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin, 1881-1955)の思想の側面から比較分析を試み85)、特に脱近代性の代表的思想家であるジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)の生成哲学を比較し、カオスモス(Chaosmos)という共通点を最終的に導出した。86) 金芝河はこれを生命思想と87)律呂(律呂)、そして「白い陰の美学」という段階を経ながら表現した。88) 東洋の和音という意味でありながら宇宙的調和を象徴する「律呂」は、相関的思惟の自生的近代性に対する金芝河の美学的表現であった。金芝河は東学思想と大巡思想を自生的近代性と脱近代性として解釈し89)、相関的思惟の特徴を強調したが、美学的表現を主に用いたため、本稿のようにリミナリティと再活性化のような人類学的概念と相関的思惟を結びつける比較は試みなかった。

金鐸の場合は、両思想に対する詳細な文献的考証によって、両思想が既存の思想と結びつく伝統の連続と変化を、人間中心主義という側面から具体的に比較している。特に大巡思想が真東学であり得たほど、東学思想と大巡思想が共有している用語に対する説明を十分に示している。ただし、両思想の背景に現れた相関的思惟については、まだ研究を進めていない。90) 両研究者以外にも、両思想の近代性に関する比較研究が一部行われたが、論議を展開しながら主題が出てくるたびに論じることにする。91)

第三に、東学思想と大巡思想に対する思惟方法の側面の先行研究を見ると、大きく過程哲学と相関的思惟および同時性に関する研究に区分される。ただし、これらの研究はまだ東学思想や大巡思想の個別研究には適用されてきたが、両思想の比較にはほとんど適用されてこなかった。東洋思想に対する西洋学問の適用という方法論を適用する第三の方法に対する論争は現在も進行中である。今日の西洋近代の科学および人文社会思想がマテオ・リッチと震黙大師(震默, 1562-1633)による東洋思想の西洋伝播によるものであるとする大巡思想の論争にもかかわらず、東学思想と大巡思想に対する思惟方法の側面の先行研究は、優先して検討されるべき先行研究である。実際に黄台淵は、グーグルがインターネットに公開したマテオ・リッチ当時の400余年前の英文著作を分析し、マテオ・リッチ以降に伝来した東洋思想がいかに西洋の科学と人文社会科学へと変化したかを分析した既存の20余冊の著書を通じて、東学関連思想において東洋思想に起源する西洋近代性がいかに専有されているかを示している。92)

研究者別に見ていくと、まず過程哲学の場合、代表的な研究者として金敬宰と金相日がいる。ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead, 1861-1947)から始まった過程哲学は、ジョン・カブ(John B. Cobb, 1925-現在)らを経て過程神学として発展し、東西古今の修養論的伝統の宗教神観93)理解に画期的に貢献した。金芝河の場合も過程哲学を美学的に受容して東学思想と大巡思想に適用し、また東アジア思惟方法論の起源となる周易思想自体を過程哲学的に分析した朴在柱の研究もあるが94)、本格的に東学思想を過程哲学と関連付けた研究者は金敬宰と金相日である。金敬宰はハーツホーン(Charles Hartshorne, 1897-2000)の過程神学の概念を受容して95)、東学の神観を超越者が内在的に共にある汎在神論として解釈し、哲学的思惟方法による東学理解の可能性を優先的に提示した。96) 金相日はハーツホーンの概念を更に拡大したジョン・カブの過程神学を適用して、東学を新西学(新西學)と規定する。97) 金相日はその後、過程哲学を現代フラクタル科学に接ぎ木して、ケン・ウィルバー(Ken Wilber, 1949-現在)と関連する永遠哲学など、大巡思想の脱近代性に適用する多様な研究も試みた。98) 最近、過程神学に対する研究は、東学思想の全一性(全一性)に対する研究へと発展している。99)

次に相関的思惟の場合、代表的研究者として金炯孝、李昌一、郭信煥、丁宇鎭、朴正鎮、金基、白承鍾、李奉鎬、金白鉉などを挙げることができる。相関的思惟を国内に本格的に紹介した研究者は李昌一であるが100)、それ以前の30余年前からポストモダニズムと東洋思想を接ぎ木してきた金炯孝の研究があり101)、その後国内の朴正鎮102)らと海外の研究が後続した。103) 相関的思惟に対する儒教研究者らの本格的な研究としては、郭信煥の研究がある。郭信煥は相関的思惟に関する台湾の研究を紹介しながら104)、韓国新宗教思想を含む退渓以降の韓国思想研究に適用したことがある。105) 金基は相関的思惟に対する儒教的側面の国内外研究を総合した博士学位論文も発表している。106) 『鄭鑑録』の影響を追跡してきた白承鍾は、『鄭鑑録』が有する力の背景となった相関的思惟を通じた心の力について、東洋伝統を追跡することもある。107)

相関的思惟に対する道教研究者らの本格的な研究は、丁宇鎭らによって進められた。丁宇鎭は、韓医学と相関的思惟が結びつく最近の東アジア道教研究の流れを反映し108)、相関的思惟と同時性思惟を区別しながら109)、東アジア科学が集約される身体に対する多様な見解を提示した。110) 金喜貞は相関的思惟が確立される時期を『黄帝四経』が確立される漢代と見なし、相関的思惟を通じて身体、国家、宇宙が一つに統合される東洋科学の発生過程を追跡したことがある。111) 徐命膺(徐命膺, 1716年-1787年)など、相関的思惟によって西学に対応した道教学者らの相関的思惟を追跡してきた李奉鎬は112)、太一を中心に相関的思惟が初めて現れる「易伝」の発生を、易学の誕生過程として追跡した。113) 李奉鎬は権宅英のように114)、脱近代性理論の代表的主唱者であるラカン構造主義の起源となったソシュールと、老子『道徳経』の構造の類似性を追跡したこともある。115) 金白鉉は気化論(氣化論)という側面から相関的思惟の起源を総合する。116)

相関的思惟に対する批判的研究としては、分析的科学に対する代案科学とはなり得ないという相関的思惟に対する金永健の分析哲学的立場の批判的研究もあったが117)、科学に分析的方法のみが存在せねばならない理由はないというファイヤアーベント(Paul Karl Feyerabend, 1924-1994)の科学哲学を適用するならば、今日の現実問題を解決するうえで無力な分析的思惟は、相関的思惟によって十分に補完され得る。118)

同時性に関する研究は、『シークレット』119)の旋風に見るように、今日「宗教と科学の出会い」として代表される、まさに宗教学の未来と言える分野である。韓国の精神科学学会は解体されたが、1968年に設立され、科学と宗教に関する国際学術大会を持続的に開催してきた国際科学と宗教学会(International Society for Science & Religion)120)は、毎年世界宗教学界の上位学会に位置づけられている。121) 同時性に関する研究は、全体が部分のうちに反復されて現れるというフラクタル(Fractal)科学の多様な分野として現れる。122) 同時性と関連する東学思想および甑山思想関連分野の先行研究者としては、許勳、朴秉勳らを挙げることができる。許勳は「永遠哲学(Perennial Philosophy)」を通じて大巡思想を眺望し123)、朴秉勳は東学の降筆(降筆)研究を通じて同時性事例を発掘した。124)

既存の東学思想の近代性議論において相関的思惟に注目する研究は、金芝河に対する研究が先駆的である。東学思想と甑山思想を同時に研究したほぼ唯一の初期研究者である金芝河125)は、多くの文学作品もまた発表したが、金芝河の作品に見られる一貫性が陰陽五行であった。126) 金芝河もまた、自身の思想展開過程を陰陽五行で解釈した洪龍熹の評論が自身の論旨と最も符合すると主張した。127) 洪龍熹は金芝河の初期作品『黄土の道』と後期作品『愛隣』を比較しながら、金芝河が東学思想を陽の近代性として、甑山思想を脱近代性として解釈したとしている。金芝河は東学思想から甑山思想への展開を、生命、律呂、白い陰という3段階で説明したとしている。

西欧の場合、ポストモダニズムの流行とともに、世界的にも相関的思惟を脱近代性として解釈する研究が現れた。西欧においてポストモダニズムは、相関的思惟のような非線形思惟に基盤を置いている。特に複雑系(複雜系, complex system)のような理論は、人文社会科学のみならず現代自然科学の代案として注目された。128) 韓国においても金相日らは、周易が脱現代の論理に立脚しており129)、過程哲学とも関連するという演繹的理論130)を展開した。しかしこれらの先行研究は、日常性や微視的理論に拘泥し、実際に近代性の根幹となる巨視的な天観・地観・人間観を論じることはなかった。

修養論として研究してきた東学思想研究者も、相関的思惟に関する研究は不十分であった。131) 相関的思惟を修養論と結びつける「リミナリティ」のような媒介概念がなかったためである。認識論と修養論の二つの側面の属性をもつリミナリティ概念は、東学思想の「造化」概念と共通の属性を有しており、東学思想の相関的思惟に関する研究を修養論と結びつけることができる。「造化」に対する趙容一の伝統的研究132)と「リミナリティ」に対する李英蘭の研究133)は、二つの概念を結びつけることができる。

「造化」は「侍天主」とともに東学思想の核心思想であったが、趙容一以降に後続研究は不備であった。「造化」が該当する広範な領域と意味は、核心属性を明瞭化することが非常に困難な概念であった。広義の造化は、金芝河134)が提示した「律呂」「白い陰の美学」や、金相日の「ハン」概念も135)「造化」の別の概念として解釈し得る。

「造化」概念に関して博士論文において趙容一は、東学思想に現れる「不然(不然)」と「其然(其然)」概念を活用して、「造化」概念をドイツ語be動詞「ist」に内在する「ある(being)」の実体と「生成(becoming)」の属性という二重的意味として解釈する。同様に李英蘭は、「リミナリティ」の二重的属性を公演学的観点から解釈して「生成(becoming)」と「ある(being)」として解釈する。さらに李英蘭は、この二つの属性をデリダ系列とドゥルーズ系列のポストモダニズム比較に適用し、脱近代性を理解する一つの枠組みと、近代性と東洋思想との連結の鎖もまた共に提示する。これは天主を我が身に侍して修養論を極大化しようとする侍天主が、修養論を通じて追求しようとした「造化」の姿を形象化して、東学関連思想の自生的近代性を提示してくれる。

東学思想と大巡思想に対する研究は、本稿が方法論として採択した相関的思惟、リミナリティと再活性化、そして近代性と関連する分野のみならず、思想的にも多くの研究があるが、細部的論議において追加で言及することにしたい。136)

次に、上記三つの方法と関連する大巡思想研究者らの研究を見てみると、代表的研究者として高南植、李京源、車善根、朴相奎、金泰洙らの研究を挙げることができる。まず高南植の場合、テキスト中心の研究方法によって、これまで注目されなかった真東学137)、50年工夫138)、二度の啓示(啓示)139)、三界観(三界觀)140)、地人(地人)関係141)、南朝鮮142)、日本解寃143)、神道(神道)144)、理定心法(理定心法)145)など、多くの隠れた概念を発掘してきた。特に、第一の研究と関連する東学思想と大巡思想の成立と展開に対する全体の過程を、真東学の側面から研究した。146) 高南植はまず、真東学の成立と展開過程を作乱(作亂)、動乱(動亂)、治乱(治亂)の観点から研究し、再び真東学を構成する解寃と地上天国建設と関連して、日本解寃147)から始まる韓国の解寃、大巡思想における二度の啓示などからなる東学とは異なる民族主義の具現148)など、道主趙鼎山の工夫が50年工夫終畢として締めくくられ、大巡思想が真東学であることを立証しようとした。

高南植は大巡思想の展開過程を真東学の展開過程として説明した。高南植の研究は、その真東学の発展過程に対して宗教学的理論が適用されると、多様な研究へと拡大され得る契機を準備してくれる。これにより本稿は、宗教人類学的成長論と見られる通過儀礼理論を中心に、東学の「学」に注目して真東学の発展過程を説明しようとする論文である。実際に大巡思想において、自然征服という絶え間ない罪悪を犯す近代文明は、相関的思惟に符合する天観・地観・人間観と通過儀礼によって克服されるべき文明として評価されている。本稿は、近代文明の危機を通過儀礼のリミナリティによって克服するため、東学思想と大巡思想がいかに新しい思惟方法論として天観・地観・人間観を提示しているのかを考察することによって、両思想が自生的近代性および脱近代性であることを示そうとするものである。

李京源の場合、東学思想と甑山思想に対する宗教学的分析を「窮極的実在」に対する宗教学的探求として比較する。149) 李京源は、東学思想と大巡思想において成立した類例なき韓国の人格神概念を「窮極的実在」という人類普遍的な宗教学的概念として解釈し得る事例を見せ、両思想が自生的近代性として解釈され得る端緒を見せる。150) 有機体哲学によって大巡思想を理解することもあった李京源は、「窮極的実在」という概念が東学思想と大巡思想に共通する神観の特徴であることを叙述し、汎在神論的概念を超越する理解が可能であることを示した。151) 李京源は「窮極的実在」という概念を通じて、大巡思想の三界観のみならず152)、新宗教全般153)さらには韓国宗教154)の特徴を解釈し得ることを示した。また李京源は、大巡思想に現れた天概念の近代的変化に関する研究において、天外天(天外天)の出現という東学思想の神秘的天観と、九天(九天)の人身降世(人身降世)という大巡思想の権化的(勸化的, avatar)天観を比較して説明した。155) また大巡思想の近代性と変革思想に関する研究において、解寃思想を真近代性として、天地公事を変革思想として説明した。解寃なき近代性は、過去清算なき未来投資のようなものであり、近代性が進行するほど問題が大きくなる今日の近代性の問題をよく説明してくれる。本稿は、神秘的天観と変革思想にリミナリティを、権化的天観と真近代性に再活性化を、近代性に相関的思惟を追加して考察したい。

車善根の場合は、比較宗教学において宗教現象学的方法を用いるとしても、比較は二つの宗教を全体的に比較するのではなく、個別宗教別に脈絡的に比較してこそその宗教の固有性が現れる、というジョナサン・スミス(Jonathan Zittell Smith, 1938-2017)の方法論を、大巡思想の比較研究において適用したことがある。大巡思想は東学思想のみならず、道教思想、正易思想、巫俗思想など韓国の他の多くの宗教伝統と様々な特性を共有するため、多くの比較研究があった。これに対して車善根は、大巡思想に対する既存の研究は宗教現象学のなかでも二つの宗教を全体的に比較する宗教現象学的方法に集中して、比較対象となる二つの宗教の固有な特徴が隠蔽される点があることを強調し、脈絡的比較は隠蔽された特徴を浮き彫りにするのに有利であることを強調する。156) これにより、東学思想と大巡思想に対する共通点があるにもかかわらず、相違点が明確に区分されねばならないことを強調し、その相違点を宗教学の範疇別に細部的に区分する。157) 車善根は特に、東学思想の「気化(氣化)」158)と大巡思想の「徳化(德化)」概念の差異を通じて、大巡思想は東学思想の代案思想ではなく、固有の思想であることを宗教学的に立証している。159) 東学思想の道気長存邪不入(道氣長存邪不入)160)と大巡思想の真心堅守福先来(眞心堅守福先來)161)は、気化と道化の差異をよく示している。本稿もまた、車善根が提案した脈絡的比較方法に従って、「学問」と「相関的思惟の天観・地観・人間観」という脈絡においてのみ制限的に両思想を比較することにする。

三界観あるいは宇宙論と関連する大巡思想研究の場合、朴相奎の研究を挙げることができる。まず朴相奎は、三界観(三界觀)のうち天界観(天界觀)に関する論文において162)、欲界・色界・無色界に区分される仏教三界の28天と、大巡思想の36天の天界(天界)、そして道教36天を比較しながら、三つの天界観が互いに調和し得ることを示す。朴相奎は、無極道当時の道場である無極道場の霊台(靈臺)と兜率宮(兜率宮)という二重構造を通じて、二重構造が三界(三界)内の天と九天(九天)という三界(三界)外の天という天界の二重構造を見せるとしている。朴相奎は、天界を二重構造として説明する際、様々な方法によって三つの天界が互いに連結され得るとしている。儒・仏・仙が太極の機動作用である天地之用の十二運星の原理に従ってなされたとする大巡思想において163)、儒・仏・仙の天界観が符合することは当然のことであろう。

最後にリミナリティの場合、金泰洙は大巡思想の天地公事をリミナリティの観点から分析したことがある。164) 金泰洙は天地公事自体をリミナリティに立脚した儀礼とみなし、リミナリティ理論に立脚して天地公事を詳細に分析した。本稿は、リミナリティ概念を最高神の立場から適用した金泰洙とは異なり、修道人の修養論的観点からリミナリティを適用し、また、これを東学思想および相関的思惟と近代性という側面から比較した点に違いがある。

東学思想の近代性を研究してきた三つの方法、すなわち東学民衆運動、宗教思想、思惟方法論には違いがあるが、三つの方法は相互有機的に結びつく。哲学的思惟方法論として東学を研究するからといって、民衆運動や宗教思想としての東学思想の特徴が色あせるわけではない。むしろ哲学的思惟方法に対する検討は、他の二つの特性を倍加させ得る。東学思想に対する哲学的思惟方法論的研究は、東学思想の理論が発生する理由を、思想的側面のみならず論理的側面からも理解できるようにし、東学思想に対してより共感させることができる。東学思想に対する論理的理解はまた、東学思想を実践に移した東学民衆運動に対する人々の動機についても合理的かつ普遍的な理解を可能にする。したがって東学思想に対する哲学的思惟方法論的理解は、大巡思想もまた普遍的に理解させるうえで、非常に重要な研究となる。

他の二分野に比して研究が不足していないにもかかわらず、哲学的思惟方法論を大巡思想に適用した研究は、東学思想と比較すると相対的に不足している。研究不足の理由は、通時的研究の不在と理想世界という研究範囲とに関連する。第一に通時的研究の不在を見ると、東学に関する既存の哲学的思惟方法に関する研究は、同時代の東西両洋の哲学的思惟方法論を比較する既存の共時的方法に留まり、時代変化に注目する他の二分野と連動することが困難であった。既存の共時的方法は、東学思想に対する哲学的思惟方法論的理解を科学哲学部門に限定し、既存に活性化された他の二つの研究分野に影響を与え得る有機的方法を提示することができなかったためである。特に既存の先行研究は、時間の変化に従って現れる変化を研究する通時的方法によって、東学思想と大巡思想の差異について注目しなかった。通時的方法の研究は、東学を東学思想以前の東学と大巡思想出現以後の東学とを通時的に提示することによって、東学思想の出現と東学民衆運動の出現を、東学思想に対する哲学的思惟方法論的理解として説明し得る。

大巡思想が思惟方法論という側面から理解されてこなかったもう一つの理由は、大巡思想において東学の完成は、東洋思想の理想世界の実現にまで東学の範囲が拡大されるからである。「我に従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽しみを享受するであろう。これが真東学である」165)という句節のように、大巡思想において東学は民衆運動の次元を超え、実際に東洋の理想社会である後天にまでその範囲が拡張されており、学術的理解よりは宗教的理解がより適切に見えるためである。しかし東学が説く後天の理想世界を、実証的次元ではなく東洋哲学的思惟方法という方法論的次元において理解するならば、理想世界までを含む大巡思想の真東学を思惟方法として理解する方法が提示され得る。

このほかにも、東学思想と大巡思想には多様な研究成果がある。大巡思想と宇宙論および三界観の場合だけでも、李在源166)、金容煥167)、金貴萬168)、大巡思想と正易思想の宇宙論を比較した車善根の研究169)と未来観に関する研究170)、大巡思想と東学思想の三界観を比較した崔元赫171)の研究、理想社会に関する比較研究172)、そしてSCI級など海外ジャーナルに掲載された諸研究および単行本もある。173) 追加的な先行研究は、以後論議を展開しながら主題が出てくるたびに論じることにする。

脚注

  1. 1)李正雨, 『世界哲学史3: 近代性のカルトグラフィー』, ソウル: キル, 2021, pp.164-165.
  2. 2)李道欽, 「脱現代思想としての東洋哲学の可能性と限界」 『東学学報』 10, 2005, p.9.
  3. 3)チャールズ・ハリソン, 『モダニズム』, 坡州: 悦話堂, 2003, p.6.
  4. 4)近代性に対するウェーバーの論旨は、有名な『宗教社会学論叢』の「著者序文」に集約されて現れるという。金尚俊, 『孟子の汗、聖王の血:重層近代と東アジア儒教文明』, ソウル: アカネット, 2011, p.52より再引用; マックス・ウェーバー著, 金徳栄訳, 『プロテスタント倫理と資本主義精神』, ソウル: キル, 2010, pp.11-38.
  5. 5)ヴァンサン・デコンブ著, 朴成昌訳, 『同一者と他者:現代フランス哲学(1933-1978)』, ソウル: 人間社, 1991.
  6. 6)李正雨, 『世界哲学史3: 近代性のカルトグラフィー』, ソウル: キル, 2021, pp.164-165.
  7. 7)李正雨, 『世界哲学史3: 近代性のカルトグラフィー』, ソウル: キル, 2021; 李正雨, 『世界哲学史4: 脱近代思惟の地平』, ソウル: キル, 2024.
  8. 8)アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン著; 李熙宰訳, 『知的詐欺:ポストモダン思想家たちは科学をいかに濫用したか』, ソウル: 韓国経済新聞韓経BP, 2014.
  9. 9)鄭一権, 『ルネ・ジラールと現代思想家たちとの対話:ミメーシス理論、後期構造主義、そして脱構築主義哲学』, ソウル: 東淵, 2017.
  10. 10)後期構造主義は、構造の変化可能性をより柔軟にみなす第2世代構造主義である。大きな範疇における代表的理論家としてラカン、フーコー、デリダなどを挙げることができる。
  11. 11)李道欽, 「脱現代思想としての東洋哲学の可能性と限界」 『東学学報』 10, 2005, p.11.
  12. 12)Eisenstadt, Shmuel N. and Schluchter, Wolfgang, "Introduction: Paths to Early Modernities: A Comparative View", Daedalus 127(3), 1998. pp.1-18 など Eisenstadt(2002), Eisenstadt, Riedel, Sachsenmaier(2002), Wittrock(1998), Anarson(2001), Kaya(2004), Hung (2004). シュムエル・N・アイゼンシュタット著; 林玄鎮ほか訳, 『多重的近代性の探求:比較文明的観点』, 坡州: ナナム, 2009; 金尚俊, 『孟子の汗、聖王の血:重層近代と東アジア儒教文明』, ソウル: アカネット, 2011, pp.35-36より再引用; S. N. Eisenstadt, Multiple modernities. New Brunswick, N.J.: Transaction Publishers, 2002; Johann P. Arnason, Sternberg, Yitzhak and Ben-Rafael, Eliezer, "Identity, Culture and Globalization." The Multiplication of Modernity. Brill. 2001; B. Wittrock, "Early modernities: Varieties and transitions." Daedalus 127(3), 1998; I. Kaya, "Modernity, openness, interpretation: a perspective on multiple modernities", Social science information 43(1), 2004; Hung, "Early modernities and contentious politics in mid-Qing China, c. 1740–1839." International Sociology 19(4), 2004.
  13. 13)Appadurai(1996), Gilroy(1993), Ong(1999), Gaonkar ed.(2001). 金尚俊, 『孟子の汗、聖王の血:重層近代と東アジア儒教文明』, ソウル: アカネット, 2011, pp.35-36より再引用; A. Appadurai, Modernity at large: Cultural dimensions of globalization. Minn.: University of Minnesota Press, 1996; P. Gilroy, The black Atlantic: Modernity and double consciousness. Harvard University Press, 1993; A. Ong, Flexible citizenship: The cultural logics of transnationality. Duke University Press, 1999.
  14. 14)金尚俊, 『孟子の汗、聖王の血:重層近代と東アジア儒教文明』, ソウル: アカネット, 2011, p.41.
  15. 15)枢軸時代は、奇しくもほぼ同時代に聖人たちが出現し、世界が宗教を中心とする文明に進入した紀元前800-200年の間を指す言葉で、ヤスパース(Karl Jaspers, 1883-1969)が初めて使用した。
  16. 16)聖と俗の再配置を通じた神聖の強化による歴史の発展は、中国思想史に隠れた発展公式であるという。(汪暉著, 朴子英・崔正燮・陳成洙ほか3名訳, 『近代中国思想の興起』, 坡州: トルベゲ, 2024)
  17. 17)金尚俊, 『孟子の汗、聖王の血:重層近代と東アジア儒教文明』, ソウル: アカネット, 2011, pp.33-79; 172-182.
  18. 18)『典経』「教運」 1-9.
  19. 19)ウルリッヒ・ベック著, 洪性泰訳, 『危険社会:新しい近代(性)に向けて』, ソウル: セムルキョル, 1997.
  20. 20)ジグムント・バウマン, 『液体近代』, ソウル: カン, 2009.
  21. 21)金徳栄, 『還元近代:韓国近代化と近代性の社会学的普遍史のために』, ソウル: キル, 2014, p.41.
  22. 22)朴容淑, 『天符経81字波羅蜜』, 坡州: ソドン, 2018.
  23. 23)バーマン(Herold J. Berman)の先駆的方式を見ることが有用である。彼は1983年に西欧の法律的伝統の形成に関する研究書を著したことがある。彼によれば、我々が過去を再叙述する際には、「マルクスとウェーバーを超えねばならず」、また多様な西欧の民族主義の誤謬、宗教的先入観、そして19世紀の歴史的唯物論および理想型分析などを克服せねばならない。例えば地域名称の場合もそうである。東アジア、東南アジアの区分が歴史的実際と内的論理構造によるものではなく、第二次世界大戦以降のアメリカの戦略的地域構図による恣意的区分であり、これは誤ると知的探求を麻痺させ得る誤った慣行となり得る。アレクサンダー・ウッドサイド著, 閔丙姫訳, 『失われた近代性』, ノモブックス, 2012年, p.18.; 金徳森, 李京子, 崔元赫, 「近現代パラダイムの転換と内在性に関する考察-伝統と近代に関する韓国的再考(再考)を中心に」 『人文科学研究』 23, 2014, pp.115-142.
  24. 24)汪暉著, 白元淡訳, 『近代中国思想の興起』, 坡州: トルベゲ, 2024.; 李宗民, 『中国思想と代案近代性:汪暉の『近代中国思想の興起』読みと書き』, ソウル: 玄岩社, 2017.
  25. 25)近代性の象徴と言える20世紀モダニズムもまた、日常的に最も明確に現れる美術分野においても、16世紀から本格化した極東アジア文化のヨーロッパ伝播による文化的変種として解釈される。(俞炫準, 『モダニズム:東西両洋文化のハイブリッド』, ソウル: ミセウム, 2008, pp.73-92)。西欧近代性の東洋的起源を主張する学者らは、重層近代性に対してすら、西洋の近代性自体がすでに極東アジア文化のヨーロッパ伝播による文化的変種であるため、現実を説明し得る十分な近代性概念ではないという。
  26. 26)尹勝龍, 「新宗教の反構造(communitas)的性格に関する小考:朝鮮末期宗教現象を中心に」, ソウル大修士学位論文, 1982.
  27. 27)李善民, 『韓国の自主的近代化に関する省察』, 坡州: ナナム, 2021; 趙惠仁, 『東から西へ広がった近代公民社会』, 坡州: 集文堂, 2013.; 黄台淵, 『儒教的近代の一般理論』, ソウル: 韓国文化社, 2023.
  28. 28)李善民, 『韓国の自主的近代化に関する省察』, 坡州: ナナム, 2021.
  29. 29)東学という用語を用いたことは、東学の独特な問題意識を表現するといえる。「運則一(運は一)、道則同(道は同じ)、理則非(理は非)」、運は一つで道は同じであるが理は異なる。西学は元亨利貞の理がないと水雲は批判する。元亨利貞という全一的な理がなく、状況に合わせて真理をみなすため中心がないという西学の弱点を、水雲は鋭く指摘する。(裵英淳, 「東学と西学の差別性問題:"運則一・道則同 理則非"を中心に」, 『大邱史学』 73, 大邱史学会, 2003, pp.203-210) 崔水雲は『東経大全』「論学文」において、西洋は分析的であり状況によって言葉が変わり、神を信じるかのようで信じないため結局虚無に陥ると述べる。西洋の帝国主義に対抗した全世界の文明のうち、唯一韓国の東学のみが、ニスベットのように学問の方法論を抵抗の主要主題とした。これまで東学は民衆抵抗運動の観点からのみ研究されてきたため、パラダイムと思惟方法論という内在性の立場から新たに論議される必要がある。
  30. 30)金徳森, 崔元赫, 李京子, 「近現代パラダイムの転換と内在性に関する考察-伝統と近代に関する韓国的再考(再考)を中心に」 『人文科学研究』 23, 2014, pp.115-142.
  31. 31)鄭在植, 『伝統の連続と変化』, ソウル: アカネット, 2004.
  32. 32)ウェーバーは、改新教の清教徒精神によって始まった初期資本主義と、今日経済的能率にのみ集中された現代資本主義は区別されるという。(ダニエル・パルス著, 趙炳鍊, 全中鉉共訳, 『宗教に対する八つの理論』, 高陽: 韓国基督教研究所, 2013) 近代性の特徴である資本主義の性格が変わったというウェーバーの指摘は正しいが、資本主義が西洋のキリスト教的立場からのみ発生し得るというウェーバーの理論は、今日の東洋の西洋追越によって理論的にも実践的にも論破された。(トーマス・メツガー, 『困境の脱皮:朱熹・王陽明から唐君毅・馮友蘭までの新儒学と中国の政治文化』, 民音社, 2014, pp.62-65)
  33. 33)高南植, 「水雲と甑山の民族主義的要素比較」, 『新宗教研究』 26, 韓国新宗教学会, 2012; 李京源, 「大巡真理の近代性と変革思想」, 『東学学報』10集, 東学学会, 2005. また韓流が世界的なブームを巻き起こすのは、大巡思想によく現れているような韓国の宗教哲学であるという分析もある。(朴鍾鉉, 「韓流文化現象の宗教哲学的起源と分析」, 『神学論壇』 76, 延世大学校神科大学連合神学大学院, 2014)
  34. 34)全寿俊, 『新科学から東洋学へ』, ソウル: 大元出版, 1995, pp.281-283.
  35. 35)朱謙之著, 全弘奭訳, 『中国が作ったヨーロッパの近代-近代ヨーロッパの中国文化熱風』, 清渓, 2003.
  36. 36)トーマス・メツガー, 『困境の脱皮:朱熹・王陽明から唐君毅・馮友蘭までの新儒学と中国の政治文化』, 民音社, 2014.
  37. 37)金徳森, 崔元赫, 李京子, 「近現代パラダイムの転換と内在性に関する考察-伝統と近代に関する韓国的再考(再考)を中心に」 『人文科学研究』 23, pp.115-142.
  38. 38)『典経』「教運」 1-9; 安信, 「マテオ・リッチと大巡思想の関係性に関する研究:大巡思想のキリスト教宗匠に対する宗教現象学的解釈」, 『大巡思想論叢』 36, 2020.
  39. 39)『典経』「公事」 3-15; 金泰洙, 「『震默祖師遺蹟攷』と『典経』に現れた震默説話の差異に関する再解釈:文献伝承と口伝伝承の差異を中心に」, 『大巡思想論叢』 41, 2022.
  40. 40)李奉鎬, 『正祖の師、徐命膺の哲学(西洋科学に対する朝鮮学者の対応)』, 高陽: 東と西, 2013.
  41. 41)黄台淵, 『儒教的近代の一般理論:西欧国家の儒教的近代化と儒教国家の西欧的近代化』, ソウル: 韓国文化社, 2023.
  42. 42)蘇建生著, 趙京姫, 林素淵訳, 『宋朝の悲しみ』, 坡州: グルハンアリ, 2021.
  43. 43)黄台淵, 『孔子と世界:パッチワーク文明時代の孔孟政治哲学』, 坡州: 清渓, 2011; 黄台淵, 『儒教的近代の一般理論:西欧国家の儒教的近代化と儒教国家の西欧的近代化』, ソウル: 韓国文化社, 2023.
  44. 44)趙惠仁, 『東から西へ広がった近代公民社会:儒教の礼治(禮治)および自由観念の発展と西欧への伝播』, 坡州: 集文堂, 2013.; 趙惠仁, 『傷ついた節操、翼を畳んだ発展:儒教的遺産と韓国資本主義の浮沈』, 坡州: ナナム出版, 2007.
  45. 45)李英宰, 「孔子の『恕』概念に関する共感道徳論的解釈」, 『韓国政治学会報』 47(1), 2013, p.37.
  46. 46)パウル・ファイヤアーベント著, 鄭炳勳訳, 『方法に反対する』, ソウル: グリンビ, 2019.
  47. 47)鄭炳勳, 「ファイヤアーベント:客観主義と相対主義を超えて」 『科学哲学』, 坡州: 創批, 2011.
  48. 48)保守的な科学哲学は、科学を反証可能な学問に制限する。科学を集団的約束であるパラダイムとみなすクーン系列の科学哲学では二つの科学の共約不可能性を強調するが、方法論の差異により共約不可能な二つの科学であっても、ラカトシュの研究プログラムのように既存科学の用語によって新しい科学を説明し、その関係を明らかにするならば、理論的互換性をもう一つの反証可能性と言える。理論的互換性とは、例えば相対性理論はニュートン理論をすべて説明し得て、量子力学は相対性理論をすべて説明し得た特性をいう。(申重燮, 『ポパーと現代の科学哲学』, ソウル: 西光社, 1992, pp.209-214) 大巡思想において東洋科学が西洋科学と理論的互換性をもつ理由は、大巡思想に現れるように利瑪竇による東洋科学の西洋伝来と言える。(『典経』「教運」 1-9)
  49. 49)伝統儒教と近代の間で、こうした二者択一の極端を超えて比較的均衡のとれた視角を示しながら適切に取捨選択しようとしたもう一つの流れもあった。儒教の枠の内外においてなされた儒教改革運動がそれである。朝鮮における儒教改革は大きく見て二つの流れによってなされた。一つは儒教の枠内において朴殷植-李承熙-李炳憲へと続いた改革運動であり、もう一つは儒教の枠外において崔済愚と崔時亨によって進められたより急進的な革新運動であるが、朴殷植と崔済愚はこの二つの方向への転換を最初に試みた者たちであるが、互いに相反する態度を見せたという。(黄宗源, 「崔済愚と朴殷植の儒教改革方向、平等観、西欧近代文明に対する態度」, 『退渓学と儒教文化』 49, 2011, pp.318-319.)
  50. 50)金容沃, 『東経大全2』, トンナム, 2021.
  51. 51)安信, 「スコットランド宗教現象学派の『起源』:ニニアン・スマートとアンドリュー・ウォールズを中心に」, 『宗教文化研究』 9, 2007, p.230.
  52. 52)ニニアン・スマートから本格化される宗教現象学の研究対象としての世界観の導入は、遠く自然科学に対比して人文科学の存在価値を解釈学によって立証した解釈学の定礎者ディルタイ(Wilhelm Dilthey, 1833-1911)から始まる。(李吉龍, 「修養論から見た韓国新宗教の構造的特徴-東学と甑山教を中心に」, 『東学学報』25, 2012, p.153.)
  53. 53)李吉龍, 『宗教学の理解』, ソウル: ハンドゥル出版社, 2007.
  54. 54)ニニアン・スマートの理論もまた、エリアーデ理論のようにもう一つの類型論として批判され得るが、エリアーデの類型論もまた曖昧な点を除けば宗教の特性を表す有用な説明体系であることが、ジョナサン・スミスによって認められたことがある。
  55. 55)Van Gennep は反ジェネップ以外にも、ヴァン・ジュネプ、ヴァン・ヘネップなど様々な語彙に翻訳される。本稿では一般的なローマ字発音原則によりヴァン・ジェネップと翻訳する。
  56. 56)金泰洙, 「天地公事に現れた儀礼的性格研究」, 大眞大学校博士学位論文, 2013.
  57. 57)李英蘭, 『リミナリティ』, ソウル: 東邦印刷公社, 2020; Thomassen, Bjørn, Liminality and the modern, Surrey: Ashgate, 2014.
  58. 58)トーマス・S・クーン著, 金明子訳, 『科学革命の構造』, ソウル: カチグルバン, 2013.
  59. 59)金明珍, 『(EBSドキュメンタリー)東と西』, ソウル: イェダム, 2008.
  60. 60)A. C. グレアム著, 李昌一訳, 『陰陽と相関的思惟』, 清渓, p.264, 2001.
  61. 61)金景洙, 『老荘(老莊)の生成論』, ソウル: 文史哲, 2015.
  62. 62)丁宇鎭, 「東洋科学の論理:感応の類型に関する研究」, 『道教文化研究』 42, 2015, p.122.
  63. 63)リチャード・ニスベット著, 崔仁哲訳, 『考えの地図:東洋と西洋、世の中を見つめる異なる視線』, 2004, 金英社, pp.83-106.
  64. 64)馮友蘭, 『中国哲学の精神(新原道)』, 郭信煥訳, ソウル: 西光社, 1993.
  65. 65)金弼年, 『東-西文明と自然科学』, ソウル: カチ, 1992.
  66. 66)朴東煥, 『東洋の論理はどこにあるのか』, ソウル: 高麗院, 1993.
  67. 67)崔奉永, 「『社会』概念に前提された個体と全体の関係と類型」, 『東洋社会思想』1, 1998, pp.88-101.
  68. 68)レヴィ=ストロース著, 安貞男訳, 『野生の思考』, ソウル: ハンギル社, 1996.
  69. 69)中沢新一著, 金玉姫訳, 『対称性人類学:無意識から発見する代案的知性』, 東アジア, 2004, pp.197-221.
  70. 70)循環的世界観において実在の出発は実体ではなく感応となる。(フランソワ・ジュリアン著, 兪秉泰訳, 『運行と創造:東西文化比較試論』, ソウル: KCアカデミー, 2003, pp.55-69) フランソワ・ジュリアンは、東西両洋がともに対立の統一を志向したが、実体を仮定しない東洋の内在性は、たとえ実体概念は不足していても、西洋のような独断を脱し得たという。(フランソワ・ジュリアン, 『孟子と啓蒙哲学者の対話(道徳の基礎を立てる、ルソー、カント)』, ハンウルアカデミー, 2009, pp.174-180) 感応は東洋思想の事物理解方式が感応となる前哨となる。
  71. 71)申智英, 『内在性とは何か』, ソウル: グリンビ, 2009.
  72. 72)フランソワ・ジュリアン, 『事物の性向:中国人の思惟方式』, ハンウルアカデミー, 2009, pp.27-37.
  73. 73)申智英, 『内在性とは何か』, ソウル: グリンビ, 2009.
  74. 74)フランソワ・ジュリアン, 『孟子と啓蒙哲学者の対話(道徳の基礎を立てる、ルソー、カント)』, ハンウルアカデミー, 2009, pp.174-180.
  75. 75)李宗民, 『中国思想と代案近代性:汪暉の『近代中国思想の興起』読みと書き』, ソウル: 玄岩社, 2017, pp.14-30より再引用.
  76. 76)林憲圭, 『孔子から茶山丁若鏞まで:儒教人文学の東西哲学的省察』, ソウル: パラアカデミー, 2019, pp.350-381.
  77. 77)金永健, 『東洋哲学に関する分析的批判』, ソウル: ラティオ出版社, 2009.
  78. 78)黄台淵, 『儒教的近代の一般理論:西欧国家の儒教的近代化と儒教国家の西欧的近代化』, ソウル: 韓国文化社, 2023.
  79. 79)李在傑, 「カント有機体論の『自己組織化』概念とフラクタル理論の交差研究:有機体、生命性、無限(無限)に関する美学的前提」 『文化と融合』 44(9), 2022, pp.419-433.
  80. 80)『典経』「教運」 1-9.
  81. 81)『典経』「公事」 3-15.
  82. 82)『典経』「教法」 2-56.
  83. 83)東学の論学文の冒頭において水雲が説いた東学と西学の差異もまた、これまで西学を西洋学問一般として解釈せず、天主教に限定して解釈してきたところに理解の困難があったという。(黄宗源, 「崔済愚と朴殷植の儒教改革方向、平等観、西欧近代文明に対する態度」, 『退渓学と儒教文化』 49, 2011, p.330)
  84. 84)咸泳大, 「18~19世紀西学中源論(西學中源論)の展開とその含意-西学(西學)に対する朝鮮学者らの対応論理」, 2020.
  85. 85)丁宇鎭, 2015, "東洋科学の論理:感応の類型に関する研究." 道教文化研究 42, pp.119-140.
  86. 86)J. J. Clarke 著, 趙顕淑訳, 『西洋、道教に出会う』, ソウル: 芸文書院, 2014, p.152.
  87. 87)相関的思惟の科学的可能性の打診はニーダムとカプラによって始まり、カウフマンなどサンタフェ研究所によって発展したという。(J J. Clarke 著, 趙顕淑訳, 『西洋、道教に出会う』, ソウル: 芸文書院, 2014, pp.141-144, 167-177)
  88. 88)A.C. グレアム著, 李昌一訳, 『陰陽と相関的思惟』, 清渓, 2001.
  89. 89)金基, 「陰陽五行説の朱子学的適用様相に関する研究」, 成均館大学校博士学位論文, 2012, p.4.
  90. 90)A.C. グレアム著, 李昌一訳, 『陰陽と相関的思惟』, 清渓, 2001; D. L. Hall and R. T. Ames, Anticipating China, Albany: State University of New York Press, 1995.
  91. 91)ジョン・ヘンダーソン著, 文重養訳, 『中国の宇宙論と清代の科学革命』, 2004, p.45.
  92. 92)丁宇鎭, 「東洋科学の論理:感応の類型に関する研究」, 『道教文化研究』 42, 2015, p.122.
  93. 93)リチャード・ニスベット著, 崔仁哲訳, 『考えの地図:東洋と西洋、世の中を見つめる異なる視線』, 2004, 金英社.
  94. 94)フランソワ・ジュリアン, 『孟子と啓蒙哲学者の対話(道徳の基礎を立てる、ルソー、カント)』, ハンウルアカデミー, 2009.
  95. 95)ロジャー・エイムズ著, 張原碩訳, 『東洋哲学、その生と創造性:和而不同:比較哲学講義』, 成均館大学校出版部, 2005, pp.155-199.
  96. 96)金炯孝, 「原始返本と解寃思想に関する哲学的省察-甑山思想の一研究」, 『東西哲学に対する主体的記録』, ソウル: 高麗院, 1985, pp.38-67; 金炯孝, 『デリダと老荘の読法』, 韓国精神文化研究院, 1994.
  97. 97)朴正鎮, 『宗教人類学』, ソウル: 仏教春秋社, 2007; 朴正鎮, 『哲学の贈り物、贈り物の哲学』, ソウル: ソナム, 2012.
  98. 98)朴容淑, 『天符経81字波羅蜜』, 坡州: ソドン, 2018.
  99. 99)金正民, 『シャーマン・バイブル』, ソウル: グローバルコンテンツ, 2023.
  100. 100)金相日, 「大巡思想の四大宗旨に対する文明史的考察」, 『大巡真理学術論叢』 1, 2007.
  101. 101)金大現, 「大巡思想とハイデガーの『良心』概念に対する比較研究:根源に向かう『良心』の回帰的特性に関する論議を中心に」 『大巡思想論叢』 28, 2017, pp.243-265.; 金大現, 「ヘーゲルの労働(勞動, Arbeit)概念を通じて見た天地公事(天地公事)研究」 『大巡思想論叢』 32, 2019, pp.175-199; 金大現, 「ドゥルーズ体系の形成背景に関する研究:カント先験哲学体系、その深淵からの逆流」 『大巡思想論叢』 37: 329-355. 2021; 金大現, 「大巡真理の解寃(解寃)思想に対する解体(解體)論的理解:ジャック・デリダ(Jacques Derrida)の解体論を中心に」 『大巡思想論叢』 39, 2021, pp.69-97.
  102. 102)ヴァン・ジェネップ著, 徐永大訳, 『通過儀礼』, 仁川: 仁荷大学校出版部, 1986. ジェネップは原語発音ではヴァン・ジュネプ、ヘネップとも呼ばれるが、ここでは一般のローマ字発音と異なる翻訳書の用例に従って「ジェネップ」と翻訳する。
  103. 103)ヴァン・ジェネップ著, 徐永大訳, 『通過儀礼』, 仁川: 仁荷大学校出版部, 1986, p.13.
  104. 104)ヴァン・ジェネップ著, 徐永大訳, 『通過儀礼』, 仁川: 仁荷大学校出版部, 1986, p.13.
  105. 105)ヴァン・ジェネップ著, 徐永大訳, 『通過儀礼』, 仁川: 仁荷大学校出版部, 1986, p.14.
  106. 106)Z. Bauman, "A Revolution in the Theory of Revolutions?", International Political Science Review 15(1): 15-24, 1994.
  107. 107)ヴィクター・ターナー著, 姜大勳訳, 『人間社会と象徴行為:社会的ドラマ、構造、コミュニタス』, ソウル: 黄牛の歩み, 2018, pp.5-12.
  108. 108)ジグムント・バウマン著, 鄭一俊訳, 『ゴミになる人生たち:モダニティとその追放者たち』, ソウル: セムルキョル, 2008.
  109. 109)シュムエル・N・アイゼンシュタット著, 林玄鎮ほか訳, 『多重的近代性の探求:比較文明的観点』, 坡州: ナナム, 2009. 多重的近代性はまた、自生的近代性のような代案的近代性を包括する概念でもある。
  110. 110)A. Szakolczai, "Liminality and experience: Structuring transitory situations and transformative events", International Political Anthropology 2(1), 2009, p.160.
  111. 111)バウマンは1992年に社会学および社会科学部門ヨーロッパ・アマルフィ賞と、1998年にフランクフルト市のテオドール・アドルノ賞を受賞した。
  112. 112)B. Thomassen, Liminality and the modern, Surrey: Ashgate, 2014, p.4: 金光建, 「リミナリティ(liminality)概念の多角的理解」, 『神学と実践』 78, 2022, pp.700-701より再引用.
  113. 113)A. Szakolczai, "Liminality and experience: Structuring transitory situations and transformative events", International Political Anthropology 2(1), 2009, p.160.
  114. 114)M. Engelke, "An Interview with Edith Turner", Current Anthropology 41(5), 2000, pp.843-852.
  115. 115)金益斗, 『韓国民族公演学』, 坡州: 知識産業社, 2013.
  116. 116)李英蘭, 『リミナリティ』, ソウル: 東邦印刷公社, 2020.
  117. 117)金惠淑, 『新陰陽論』, ソウル: 梨花女子大学校出版部, 2014.; 金英珠, 「西洋二分法と東洋陰陽法の克服-太極二分法」, 『社会思想と文化』 4: 2001, pp.37-80.
  118. 118)ヴィクター・ターナー著, 金益斗訳, 『(ヴィクター・ターナーの)祭儀から演劇へ』, ソウル: 民俗院, 2014.
  119. 119)ヴィクター・ターナー, 『象徴の森』, ソウル: 知識を作る知識, 2020.
  120. 120)ヴィクター・ターナー著, 朴根遠訳, 『儀礼の過程』, ソウル: 韓国心理治療研究所, 2005, pp.144-170.
  121. 121)Turner, Edith L. B., Communitas, New York: Palgrave Macmillan, 2012.
  122. 122)M. Engelke, "An Interview with Edith Turner", Current Anthropology 41(5), 2000, pp.843-852.
  123. 123)映画「カップ」の監督として有名なブータンの精神的指導者キェンツェ・ノルブが公演学を仏教と関連して遂行した先行研究もある。Norbu, Khyentse, 『人間是劇場』, 北京: 新星出版社, 2016.
  124. 124)ジグムント・バウマン著, 李日洙訳, 『液体近代』, ソウル: カン, 2009.
  125. 125)エヴァ・イルーズ著, 朴亨信、權五憲訳, 『ロマンチック・ユートピアを消費する』, ソウル: イハク社, 2014.
  126. 126)姜仁哲, 『5・18光州コミュニタス』, ソウル: 人の文様, 2020.
  127. 127)ブリュノ・ラトゥール著, 洪哲基訳, 『我々は決して近代人であったことはない:対称的人類学のために』, ソウル: ガルムリ, 2009.
  128. 128)A. Szakolczai, "Permanent (trickster) liminality: The reasons of the heart and of the mind", Theory & Psychology 27(2), 2017, pp.231-248.
  129. 129)李英蘭, 『リミナリティ』, ソウル: 東邦印刷公社, 2020, pp.231-232.
  130. 130)ヴィクター・ターナー, 金益斗訳, 『(ヴィクター・ターナーの)祭儀から演劇へ』, ソウル: 民俗院, 2014, pp.47-48.
  131. 131)大巡思想においても、表層宗教と深層宗教の宗教的経験差異としてリミナリティを宗教体験として研究したことがある。(李恩姫, 「表層と深層の視角から見た大巡真理会:宗教的経験の観点から」, 『大巡思想論叢』 27, 2016)
  132. 132)黄弼鎬, 『宗教弁護学・宗教学・宗教哲学』, ソウル: 哲学と現実社, 2004, pp.220-235.
  133. 133)天の外の天は超越天あるいは天外天と呼ばれる。大巡思想において、本稿で天の外の天は、大巡思想の場合は九天として、それ以外の場合は内在天と対比される意味が強調される際には超越天として、空間的差異が強調される際には天外天として呼ぶことにする。
  134. 134)金芝河, 『金芝河全集1』, ソウル: 実践文学社, 2002.
  135. 135)金益斗, 「相生・解寃・大同の『天地クッ』ビジョンと神明創出の文体」, 『千年の始まり』 11(3), 2012, pp.12-25.
  136. 136)李英蘭, 『リミナリティ』, ソウル: 東邦印刷公社, 2020, p.162.
  137. 137)尹勝龍, 「新宗教の反構造(communitas)的性格に関する小考」, ソウル: ソウル大学校大学院, 1988.
  138. 138)鄭鎭弘, 『韓国宗教文化の展開』, ソウル: 集文堂, 1988.
  139. 139)リチャード・ニスベット著, 崔仁哲訳, 『考えの地図:東洋と西洋、世の中を見つめる異なる視線』, 坡州: 金英社, 2004.
  140. 140)趙成桓, 「東学の自生的近代性:海月崔時亨の人間観と世界観を中心に」 『神学と哲学』 (36), 2020, pp.223-243.
  141. 141)李昌一, 『邵康節の哲学』, ソウル: 心山, 2007, p.479.
  142. 142)イハブ・ハッサン著, 鄭正鎬, 李素英訳, 『ポストモダニズム概論』, ソウル: 翰信文化社, 1991.
  143. 143)Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, p.166.
  144. 144)それは、社会のすべての人がシステムのすべてのレベルにおいて変化の圧力を減らす方式で行動するため、社会と文化、自身の身体と行動規則に対する精神的イメージを維持するうえで機能的に必要である。私が『迷路道』と呼ぶこのイメージ……[それは]一人が見る自然、社会、文化、性格、身体イメージである。(金周官, 「交差文化的比較から見た再生運動としての東学」, 『東学学報』35, p.244再引用)
  145. 145)崔亨根, 「宣教と文化変化」, 『宣教神学』16, 2007, p.272.
  146. 146)金周官, 「交差文化的比較から見た再生運動としての東学」, 『東学学報』 35, 2015, p.257.
  147. 147)Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, pp.146-149.
  148. 148)Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, p.255.
  149. 149)Wallace, Anthony FC, "Revitalization Movements." American anthropologist, 1956, pp.266-267.
  150. 150)キャンベルの17循環は次のとおりである。Ⅰ.第1幕:1.日常世界、2.冒険への召命、3.召命の拒否、4.精神的師との出会い、5.最初の関門の通過。Ⅱ.第2幕:6.試験・協力者・敵対者、7.洞窟の最も深い場所への接近、8.試練、9.報酬 Ⅲ.第3幕:10.帰還の道、11.復活、12.霊薬をもって帰還。キャンベルの12循環は分離-通過-帰還という3段階で構成されている。3段階に区分される場合、再び17段階に細分化されることもある。Ⅰ.出発・分離:1.凡俗な日々の世界、2.冒険への召命、3.召命の拒否、4.超自然的な助力、5.最初の関門の通過、6.鯨の腹 Ⅱ.下降・入門・通過:7.試練、8.女神との出会い、9.誘惑者としての女性、10.父との和解、11.神格化、12.窮極の恩恵 Ⅲ.帰還:13.帰還の拒否、14.不可思議な脱出、15.外部からの救助、16.(帰還)関門の通過、17.生の自由。クリストファー・ボグラー著, 咸春成訳, 『神話、英雄、そしてシナリオ書き』, ムウス, 2005, p.51.;ジョセフ・キャンベル著, 李潤基訳, 『千の顔をもつ英雄』, 民音社, 1999, pp.44-45, 54-59, 315, 333-337; 趙得昌, 金徳森, 崔元赫, 「キャンベル神話理論の接ぎ木を通じた京劇の再照明」, 『芸術人文社会融合マルチメディア論文誌』 7(1), 2017, pp.979-987; 金賢子, 「キャンベルの神話論」, 『宗教と文化』 6, ソウル大学校宗教問題研究所, 2000.
  151. 151)Wallace, Anthony FC, "Revitalization Movements." American anthropologist, 1956, p.268.
  152. 152)P. Laude, "Reflections on Civilization, Modernity, and Religion in Light of the Fellowship of the Truth", Journal of Daesoon Thought and the Religions of East Asia 1(1), 2021, pp.39-60.
  153. 153)鄭鎭弘, 金泰然, 張錫萬, 李振九、林賢洙, 『韓国宗教学』, ソウル: 大韓民国学術院, 2021, pp.398-431.
  154. 154)金鐸, 『韓国新宗教を貫通する理念、人間中心主義』, ソウル: 民俗院, 2023.
  155. 155)カール・マンハイム著, 林錫珍訳, 宋虎根解題, 『イデオロギーとユートピア』, 坡州: 金英社, 2012.
  156. 156)Anthony F. C. Wallace 著, 金鍾石訳, 『宗教人類学』, 天安: アウネ, 2010, pp.146-149.
  157. 157)趙惠進, 「抵抗儀礼としての『五広大ノリ』と『東学』『三・一運動』との相関性-小説[土地]の物語叙事特性と抵抗儀礼研究」, 『現代文学の研究』 78, 2022, pp.63-102.
  158. 158)金泰洙, 「『典経』に現れた入門儀礼に関する研究」, 『大巡思想論叢』24(2), 2015, pp.85-115; 金泰洙, 『天地公事に現れた儀礼的性格研究』, 大眞大学校博士学位論文, 2013.
  159. 159)東学思想と開化思想、東学思想と儒教思想の共同体意識などについては比較研究がある。(陳普成, 「19世紀後半朝鮮における社会変革的公共意識の二つの流れ」, 『人文社会21』 13(2): 2022; 陳普成, 金鍾坤, 「東学の連帯的共同体意識と近代の道」, 『大同哲学』 104, 2023.)
  160. 160)金周官, "交差文化的比較から見た再生運動としての東学." 東学学報(35), 2015, pp.237-272.
  161. 161)金漢久, "東学天道教に関する文化人類学的一考察." 社会科学論叢 9, 1990, pp.143-172.
  162. 162)Rigal-Cellard, Bernadette, "Daesoon Jinrihoe in Light of Anthony Fc Wallace's Revitalization Theory." Religiski-filozofiski raksti 30(2), 2021, pp.134-162.
  163. 163)高南植, 「大巡思想に現れた東学の位相と甑山の真東学の展開」 『大巡思想論叢』 16, 2003, pp.1-23.
  164. 164)自身を第三者として疎遠に見る反省と討論は、大巡思想において教化を真理討論と呼ぶ点から強調されている。(『大巡指針』, 1章5節; 厳惠珍, 「大巡真理会教化方法の討論教育的アプローチ」, 大眞大学校修士学位論文, 2019)
  165. 165)「無自欺」概念と大巡思想の相生が結びつく地点についても、すでに西洋哲学の観点から研究されたことがある。金泰洙, 「大巡思想の無自欺(無自欺)に現れた相生倫理-カントとミルの倫理観との対比を中心に」, 『大巡思想論叢』 27, 2016.
  166. 166)「無自欺」は大巡思想の天地人の関係が集約される地上天国、地上神仙実現とともに大巡思想の目的、すなわち理想社会と符合する。(羅權洙, 「大巡真理会の理想社会論研究」, 大眞大学校博士学位論文, 2016)
  167. 167)金容煥, 「無極と太極の相関連動の大巡宇宙論研究」 『大巡思想論叢』 33, 2019, pp.31-62.
  168. 168)金貴萬, 「大巡思想の宇宙論研究」 『円仏教思想と宗教文化』 74, pp.285-323.
  169. 169)車善根, 「正易思想と大巡思想の比較研究-宇宙論を中心に」 『宗教研究』 60, 2010, pp.35-59.
  170. 170)裵奎漢, 「人間と世界の未来に関する解寃相生思想研究」 『大巡思想論叢』 30, 2018, pp.1-57.
  171. 171)崔元赫, 「東学思想と大巡思想の自生的近代性比較研究」 『Studies on Humanities and Social Sciences (SHSC)』 6(1), 2024, pp.287-305.
  172. 172)羅權洙, 「大巡真理会の理想社会論研究」 『大巡思想論叢』 21, 2013, pp.409-452.
  173. 173)Rigal-Cellard, Bernadette, "Daesoon Jinrihoe In Light Of Anthony Fc Wallace's Revitalization Theory", Religiski-filozofiski raksti 30(2), 2021; Introvigne, Massimo, "The Flourishing of New Religions in Korea", Nova Religio 25(1), 2021; T.S. Kim, 「The Ethical Characteristics of "Haewon-sangsaeng"(解寃相生) in Daesoon Thought: With Focus on Its Relation to the Idea of" Guarding Against Self-deception"」, 『臺灣宗教研究』 20(1), 2021. 最近、大巡思想と関連する経典に関する英文博士論文も出版された。ジェイソン・グリーンバーガー, 『Searching for the Historical Jeungsan while Beholding the Hagiographical Jeungsan』, 大眞大学校博士学位論文, 2024.; Kim, D.W., Daesoon Jinrihoe in Modern Korea: The Emergence, Transformation and Transmission of a New Religion. Cambridge Scholars Publishing, 2020.