序論
研究の背景および必要性
東学思想(東學思想)は主として宗教思想として研究され、「東学(東學)」という名称に現れる東洋の自生的(自生的, autogenous)近代性(近代性, modernity)および哲学的思惟方法論という側面からは、いまだ主体的に照明されてこなかった。これは「真東学(参東学)」1)を主張する大巡思想(大巡思想)においても同様である。2) 当時の「西学(西學)」は、物質文明と人類中心に代表される西欧的近代性に対する当時の別の名称であり、東学はそれに対応する自生的近代性および哲学的思惟方法論の別の表現であった。3) 大巡思想もまた、西洋近代性の起源はマテオ・リッチ(Matteo Ricci, 利瑪竇, 1552-1610)4)が伝えた東洋文明であり、物質に偏った西欧的近代性が招いた地球的危機を出現の背景として強調している。5) 大巡思想はまさにこのような側面からも、「東学」ではなく「真東学」という用語を用いている。
東学思想と大巡思想が自生的近代性の側面から研究されてこなかったのは、西欧の「近代性」が起源したと知られてきた今日において、東洋の自生的近代性に注目してこなかったからである。しかし大巡思想が早くに明らかにしたように、西欧の近代性がマテオ・リッチによって西洋に伝播された東洋文明に起源することが最近明らかになるにつれ、東洋の自生的近代性としての東学思想と大巡思想もまた再評価されつつある。
このような東西両洋の近代性に対する再評価は、今日IT技術の発達により、西欧近代性の黎明期に書かれた文献がグーグル(google.com)などオンライン上で無料で公開されるにつれ、隠蔽されていた西洋近代性の東洋的起源が再照明されることで始まっている。実際ウェーバー(Max Weber, 1864-1920)は近代性の起源をカルヴァンの救援予定説(救援豫定說, Predestination in Calvinism)であると主張したが6)、カルヴァンの神学を資本主義として制度化した啓蒙主義(啓蒙主義, enlightenmentism)は、マテオ・リッチが伝播した中国の唯一神宗教を伴わない倫理文明、すなわち儒教文明から始まったことが明らかになった。7) 東洋では近代化の障害要素として指目された儒教が、かえって西欧では近代性の起源であったことを、それらの記録は示している。8)
啓蒙主義の東洋的起源を主張してきた西欧学者らの主張がオンライン資料を通じて立証されると、黄台淵をはじめとする東洋圏の学者らも、西欧啓蒙主義の起源が、前近代的迷信とまで貶められていた東洋の倫理的省察および宗教的学問にあることを明らかにしつつある。9) この方面の代表的な学者として、中国では朱謙之(朱謙之, 1899-1972)10)、西洋では従属理論家として有名なフランク(Andre Gunder Frank, 1929-2005)11)、ホブソン(John Montagu Hobson, 1962-現在)12)、クリール(Herrlee Glessner Creel, 1905-1994)13)、ライヒヴァイン(Adolf Reichwein, 1898-1944)14)、国内では黄台淵15)、趙惠仁16)、全弘奭17)、李英宰18)、李東熙19) らを挙げることができる。
そこで西欧の「脱近代性(post-modernism)」理論家ら、特にフランソワ・ジュリアン(Francois Jullien, 1951-現在)らは、西欧近代性の代案である脱近代性思想を東洋に求める研究を持続的に進めてきた。ジュリアンは啓蒙哲学が直接的に孟子(孟子, BC372?-BC289?)から影響を受けたとは主張しないものの、啓蒙哲学者の問題意識と孟子の問題意識とが極めて近接していることを示している。20)
このような西欧的近代文明は、核兵器や環境問題など人類絶滅の危機を招くと懸念されてきており、その危機は現実のものとして迫ってきた。これにより代案的近代性(alternative modernities)の構築は切実な現実の課題となった。21) 今日「脱近代性」議論によって代案的近代性を準備してきたポストモダニズム思想家らもまた、近代性の代案を自生的近代性と同じく「倫理的省察」22)と「宗教的回帰」23)に求めている。人類の傲慢と物質に偏った近代文明は、絶えず自然を征服してきた文明に対する省察(reflexivity)と宗教的回帰(Religious Turns)なしには、「解体(Deconstruction)」「哀悼(mourning)」など数多くの脱近代的思想が提案する代案も成功し得ないと、碩学たちは異口同音に語っている。
このような全世界的な思想界の流動的変化のなかで、早くから近代文明の危機と代案的近代性としての宗教的回帰を強調してきた東学思想と大巡思想が、今日東アジアの自生的近代思想として再照明されている。24)
東学思想と大巡思想は自生的近代性として多方面から研究されてきたが、既存の研究では「東学」という名に前提された東洋の哲学的思惟方法論、すなわち東洋的・韓国的哲学的思惟方法論に関する研究は不足していた。一方、西洋では早くから東洋思想の特徴を東洋思想の哲学的思惟方法論に求め、これを西洋の近代的合理性に対する代案的合理性として持続的に注目してきた。
これまでの東学関連思想に関する研究において、哲学的思惟方法論を対象としなかったのはやや意外である。東西哲学的思惟方法の差異に対する理解不足は、東学関連思想の自生的近代性が有する世界思想史的価値を十分に明らかにできていない。東学関連思想とは、東学以降「真東学」と表現された大巡思想を含み、東学の影響を受けた思想あるいは東学と関連する思想、例えば円仏教や統一教などを東学関連思想と称し得る。25)
実際、東学思想は東道西器論(東道西器論)、中体西用論(中體西用論)、西学中源論(西學中源論)のような東西文明の衝突による正体性の危機への対応の「学(學)」として「東学」を主張し出現した。「東学」という用語が初めて出現する『東経大全』の「論学文」において、東学思想は数か所にわたって東学を西学と対比される「学(學)」として提示している。26) 東学の失敗により、この課題は東学関連思想の課題として残されることとなった。
宗教を「学」という学術的観点から理解することは、性理学以降に流行した東アジアの独特の宗教理解の方式である。「学」という表現で宗教を理解していた東アジアに「宗教」という表現が導入されるのはこれ以後のことであり、今日においても「宗教」概念には多くの論争がある。27)
もちろん東アジアにおいて「学」という概念は、「宗教」という概念が入ってくる前に用いられた前近代的な未分化な宗教概念として評価されることもある。28) しかし「学」という概念について、海外では「学」が発生する社会的背景およびその政治的含意を含む広義の概念として多くの研究が進められており、特に性理学の「学」概念は極めて総体的な思惟体系として評価されている。29)
性理学から提示される「学(學)」という概念は、具体的に近代的教育における知識や技術の獲得、さらには文化の獲得とも非常に異なる論理構造をもつものとして評価される。性理学が説く「学」の主要部分は、人間社会の具体的現象とは最も遊離して見えるであろう心(心)の問題を論じるが、抽象的形而上学にのみ見える理論が、実際には現実的問題を理解するうえで極めて重要な部分となるという。30)「学」は、「学」を正体性とするエリート層と非エリート層である民(民)とがいかに区別され、いかなる関係を結ぶことになるのか、そして彼らがいかに具体的に国家や特別な機構によって権力を付与されることなくして現実的権力を保持し、これを正当化し得るのか、エリートと政府・国家・君主との関係がいかに規定されるのかを示している。
東学の「学(學)」に対する評価は、国内の場合は修養論として拡大して再評価されることもあり31)、韓国的人文学・韓国哲学として再評価されることもあるが32)、海外ではポストモダン科学論争を通じて東アジアの代案科学にまで再評価される。33) 科学哲学において早くから東洋の「学」が代案的科学となり得ることは、ヨーロッパ科学哲学において、ヨーロッパの前近代科学哲学である「地水火風(地水火風)」四元素説(四元素說)の科学的再評価において議論された事例がある。
西洋の前近代科学理論である「地水火風」理論もまた科学哲学として再評価されるようになったのは、バシュラール(Gaston Louis Pierre Bachelard, 1884-1962)が地水火風の科学哲学を発見してからである。34) バシュラールから始まるフランス科学哲学は、今日の科学哲学を代表するクーン(Thomas Samuel Kuhn, 1922-1996)のパラダイム(paradigm)、あるいはポパー(Karl Raimund Popper, 1902-1994)の反証可能性(反證可能性, Falsifiability)などの英米科学哲学とともに、世界科学哲学界を二分している。クーンとポパーの英米科学哲学が科学の分野に限定され、また「地水火風」のような具体的体系を持たないのに対して、地水火風の科学哲学から始まったフランス科学哲学は、英米科学哲学と異なり人文社会科学分野にまで拡大され、また地水火風という伝統的実体を前提としている。
科学の条件を理論の反証可能性、あるいは科学社会の合意とみなしたポパーやクーンの英米科学哲学とは異なり、バシュラールは科学の特徴を認識論的断絶(Epistemological Break)とみなす。科学は普遍妥当な理論が絶対的に存在し、その理論が反証可能あるいは協約によって成り立つのではなく、互いに断絶した理論が独立して出現し共存するというのである。代表的なものが「地水火風」と原子論的科学の共存である。この共存をバシュラールはクーン以前に「パラダイム」と命名した。「認識論的断絶」をパラダイムとみなしたバシュラールの科学哲学は、今もなお威勢を振るっているポストモダニズムの代表的哲学者であるアルチュセール(Louis Pierre Althusser, 1918-1990)、ラカン(Jacques Lacan, 1902-1981)、フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)、ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)、セール(Michel Serres, 1930-2019)、デュラン(Gilbert Durand, 1921-2012)、そしてシステム科学理論家であるマトゥラーナ(Humberto Maturana, 1928-2021)、ヴァレラ(Francisco Javier Varela Garcia, 1946-2001)、ルーマン(Niklas Luhmann, 1927-1998)らの理論的基盤となった。
「地水火風」はヨーロッパのみならず、仏教やヒンドゥー教、エジプトおよび中国の一部の科学観でもあるほど、近代以前に全世界を代表する科学観であった。過去の華麗さにもかかわらず、近代科学以降に没落した地水火風の科学観をバシュラールが科学哲学理論として復活させた契機は、逆説的にも地水火風の科学観の問題点を指摘する過程であった。35) 初期のバシュラールは地水火風の問題点を発見する過程において、「地水火風」のうちに科学を超越する科学以前の要素である想像力の根源を発見した。バシュラールは地水火風が科学を妨害する要素ではなく、むしろ科学もまた人間の想像力の発見であるため、科学は地水火風を活用してこそ発展し得ることを発見した。36) バシュラールは、現代科学がかえって地水火風の想像力を妨害することによって現代人を想像力不在の苦しみに陥らせ、想像力の不在こそが現代のあらゆる問題の原因であると指摘した。37) このようなバシュラールの主張は、多様な方法で変奏されながら世界の科学哲学の主流を形成することとなった。
地水火風の科学哲学が東学の「学」概念の理解において重要であるのは、東学が学術的に基盤を置く東アジアの科学理論である陰陽五行が38)、現代の科学哲学として再評価され得る余地を見せ、陰陽五行が地水火風の科学哲学と同様に東洋の現代科学哲学に寄与し得る可能性をもつからである。
早くから大巡思想は「真東学」という用語を通じて、東学思想が提起した東アジアの思惟方法論としての「東学」という課題に対する最終的解決案が大巡思想であることを提示してきた。極めて広範な研究がなされてきた大巡思想と東学思想ではあるが、依然として両方面の研究者らにおいて、東アジアの哲学的思惟方法論としての「東学」という観点から遂行された研究は稀少な状況である。
大巡思想の経典である『典経』には、「西有大聖人東有大聖人曰東學(西に大聖人有り、東にも大聖人有り、これを東学という)」39)という句節において、東洋の聖人によって発生した宗教と学問を西洋の西学と対比して「東学」と表現している。『典経』の表現において「東学」が東アジア宗教の哲学的思惟方法論としても提示されたことが見て取れる。40)「大巡真理」の「真理」という学術的表現を用いたこともこれを反映している。
東学においてもこの用語が哲学的思惟方法論として提示されたことは当然のことである。「東学」という用語が初めて現れる『東経大全』の「論学文」も、もとの題目は「東学文」であったという。41) 水雲のハングル歌辞を集大成した『龍潭遺詞』および漢文著書である『東経大全』は、いずれも水雲が直接書いたものであるため、初期東学に該当する。42) 本論議では、水雲が活動した4年間の時期の東学を「初期東学」と称し、「初期東学」が甑山の思想であるという大巡思想の立場に従って、本稿の東学思想は初期東学にのみ限定したい。43) ただし、大巡思想との比較のため、初期東学思想を特定的に解釈した後代の一部の用語を用いることもある。
大巡思想において東学思想は「後天の事を主張した宗教44)」として現れる。「後天」という用語が『龍潭遺詞』や『東経大全』に直接現れることはないが、「東学」「開闢」「地上仙境」など、大巡思想は初期東学で初めて出てきた用語を実際に多数共有している。
大巡思想が東学の完成、すなわち真東学として提示されたという表現のもう一つの根拠は、作乱と治乱についての言及である。45)「作乱(作亂)した人は水雲(水雲)であり、治乱(治亂)する人は甑山(甑山)である」というこの句節は、「東学」に対する最初の問題提起が水雲によってなされ、その解決が甑山の真東学によって成し遂げられたことを示している。初期東学と大巡思想が共有する用語を東洋の哲学的思惟方法論として検討し、大巡思想の真東学が東学思想の東学をいかに完成させているのかを示す作業は、大巡思想を研究するにあたって大巡思想の論理的整合性を理解するうえで必ず必要な研究である。
西洋の近代性がコペルニクスの地動説から始まったように、学問としての「近代性」が始まる地点が宇宙観に対する自生的理論の構築であることは、広く知られた事実である。46) したがって東学もまた、自生的近代思想として東洋的宇宙観、すなわち天観・地観・人間観を新たに構築するところから出発したが、東学の哲学的思惟方法と同様、これまで多く研究されてこなかった。これにより本研究では、天観・地観・人間観の自生的近代性を中心に哲学的思惟方法という側面から東学思想と大巡思想を検討し、東学思想と大巡思想の自生的近代性の幅と深さを論じてみたい。
研究の目的と範囲
本論議の目的は、「東学」関連思想が東洋の哲学的思惟方法を通じて東西両洋を融合した天観・地観・人間観を構築し、相生的(相生的)天界観(天界觀)・地界観(地界觀)・人界観(人界觀)を導出して、西洋近代性に対する自生的近代性を樹立したことを示すことである。このような観点から東学思想と大巡思想を比較したい。
哲学的思惟方法としての「東学」という主題は、東アジア文明の正体性と関連する広範かつ重要な主題である。東西文明が本格的に衝突した帝国主義時期以来、西洋に対する代案としての東洋の哲学的思惟方法の模索は、東洋人にとっては生存のための課題であった。逆説的にも、自生的近代性は西洋人にとっても、今日の西洋文明が招来した現代文明の危機を解決してくれる代案的近代性のための重要な課題である。
大巡思想と東学思想は、東洋思想の哲学的構造と論理的整合性を、既存の東洋思想よりも明確に提示している。東学思想と多くの用語を共有している大巡思想ではあるが、大巡思想は東学思想において初めて提示された用語に対する根本的な再定義と補完を行い、これを「真東学」と称する。東洋の哲学的思惟方法論という意味で「東学」という用語が出現したことを考慮するならば、大巡思想と東学思想の差異は、東洋の哲学的思惟方法論という側面から再検討される必要がある。47) 特に、大巡思想で言う真東学は、東学思想よりも東洋の哲学的思惟方法論により忠実であったという意味でも理解し得る。東洋の哲学的思惟方法論の側面から東学思想と大巡思想を比較することは、自生的近代性確立としての「東学」に対するより本質的な理解の可能性を示し得る。
本稿は、東学思想と大巡思想の自生的近代性の特徴を、相関的思惟(correlative thought)のリミナリティ(Liminality)と再活性化(Revitalization Movements)として定義した先行研究の基盤の上に、東西両洋の融合的天観・地観・人間観の構築という側面から考察する。相関的思惟(相關的 思惟, correlative thinking)のリミナリティ(Liminality)は、100余年間、西欧近代性の代案を模索してきた現代西洋思想史において代案的合理性を説明しようとした代表的概念であった。
相関的思惟は、万物の全体をまず見て、その文脈と関係から部分を見る思惟体系であり、部分をまず見て全体を後で見る西洋の実体論的・存在論的な分析的思惟(analytical thought)に対応する東洋の全息的(全息的)で48)ホリスティック(Holistic)な生成的思惟体系である。相関的思惟の理論は、住所を書く際にも近い住所から書く西洋と異なり、東洋は最も遠い国名から書く固有の関係論的思惟体系をもっているという理論である。49) 相関的思惟は、「バドゥガ・チョルスヤ(犬や、チョルスや)」のような身近な対象から学ばせる西洋式の教育とは異なり、「天地玄黄(ハヌルチョン・タジ)」をまず学ばせていた伝統的な東洋の教育方式に現れる思惟体系である。相関的思惟は、東洋宗教に対する初期研究者であるグラネ(Marcel Granet, 1884-1940)が提示し、持続的に発展してきた。50)
次にリミナリティ理論は、宗教的変化を通過儀礼を通じて説明する理論である。ターナー(Victor Turner, 1920-1983)は、通過儀礼において現れる変化以前と変化以後の中間地帯であるリミナリティという概念によって宗教的変化を説明する。51) 境界あるいは中間地帯を意味するリメン(Limen)に由来するリミナリティ概念もまた、二分法的な西洋的思考とは異なり、リミナリティという第三の中間地帯が通過儀礼のような個人的・社会的変化を説明し得るという理論である。両理論はいずれも代案的思惟を求めるために西洋において発展し、東洋的思惟および制度の特性に適用されつつある。
また、再活性化理論は、近代性の変化を重視するリミナリティ理論とは異なり、外部の変化に対する対応過程を説明する理論である。人類学者ウォーレス(Anthony F. C. Wallace, 1923-2015)によって初めて導入された52)再活性化理論は、外部の脅威に対して伝統を活用した対応過程の変化を説明する、もう一つの人類学的儀礼理論である。内部の変化過程を重視するリミナリティ理論とは異なり、再活性化は外部の脅威と伝統の活用を強調する。個人もまた正体性が解体され得るという脅威を受けると、自らの長所に基づいて個人が自身の信念体系を再整備し、変わった信念体系を実践に移して社会における自身の位置を変化させる。ウォーレスは、社会が有する社会的正体性が解体される危機を迎えると、各社会の既存の文化伝統の長所を蘇らせて社会的信念体系を変化させることを再活性化と名づけた。リミナリティの様相が変化機制を説明するとすれば、再活性化は変化の維持機制をよく説明する。実際に再活性化の内部的変化はリミナリティによって説明され得る。53) したがって自生的近代化を説明するには、中間段階であるリミナリティと同時に、変化の維持原理である再活性化という観点が同時に必要である。54)
研究の目的を達成するため、本論議は次のような順序と範囲で研究を進める。第一に、自生的近代性の条件としての東西両洋の思惟体系の差異、および東西両洋の思惟体系の媒介となり得るリミナリティと再活性化について明らかにする。第二に、本稿は天観・地観・人間観に範囲を限定して、両思想に現れた自生的近代性を追跡する。両思想に現れた伝統的天観・地観・人間観の近代的変化を考察し、その原理を追跡する。第三に、両思想の自生的近代性を比較し、結論において天観・地観・人間観の自生的近代性としての評価と展望を提示する。
細部的には、本稿は次のような順序で研究を進める。まずⅠ章では近代性に関連する先行研究を分析する。Ⅱ章では近代性と自生的近代性の差異を説明し、自生的近代性の条件としてリミナリティと再活性化を提示する。具体的に、Ⅱ-1章では聖(聖)・俗(俗)統摂(統攝)としての近代性の定義、近代性と自生的近代性の東洋的共同起源、自生的近代性の形式体系としての「学」、自生的近代性の哲学的思惟方法としての相関的思惟を考察し、Ⅱ-2章では自生的近代性の変化機制としてのリミナリティと、持続機制としての再活性化を考察する。
Ⅲ章では天観・地観・人間観を中心に、東学思想に現れた東西両洋伝統の連続と変化、すなわち共通点と相違点を三つの部分に分けて説明する。具体的には、Ⅲ-1章で東西両洋の伝統的天観(天觀)をそれぞれ同化的(同化的)、形相的(形相的)天観に分けて説明し、東学思想の侍天主的(侍天主的)天観に現れた自生的近代性を考察する。Ⅲ-2章では東西両洋の伝統的地観(地觀)をそれぞれ凝縮的(凝縮的)、質料的(質料的)地観に分けて説明し、東学思想の造化定(造化定)的地観に現れた近代性を考察する。Ⅲ-3章では東西両洋の伝統的人間観をそれぞれ接化的(接化的)、成長論的人間観に分けて説明し、東学思想の永世不忘的(永世不忘的)人間観に現れた近代性を考察する。
Ⅳ章では天観・地観・人間観を中心に、大巡思想に現れた東西両洋伝統の連続と変化、すなわち共通点と相違点を比較して三つの部分に分けて説明する。Ⅳ-1章では大巡思想の天観を人身降世(人身降世)の天界観(天界觀)として説明し、伝統的天観と比較した後、その様相と特徴を考察する。Ⅳ-2章では大巡思想の地観(地觀)を天地誠敬信(天地誠敬信)の地界観(地界觀)として説明し、伝統的地観(地觀)と比較した後、その様相と特徴を考察する。Ⅳ-3章では大巡思想の人間観を成事在人(成事在人)の人界観(人界觀)として説明し、伝統的人間観と比較した後、その様相と特徴を考察する。
Ⅴ章では東学思想と大巡思想の天観・地観・人間観を、両思想の連続と変化の側面から比較してみる。Ⅴ-1章では東学思想と大巡思想の天観を中心に両思想の自生的近代性を比較する。Ⅴ-2章では東学思想と大巡思想の地観を中心に両思想の自生的近代性を比較する。Ⅴ-3章では東学思想と大巡思想の人間観を中心に両思想の自生的近代性を比較する。
Ⅵ章結論では、上記の論議を要約し、本研究の限界と意義を明らかにして、東学思想と大巡思想の自生的近代性比較を総合する。
先行研究分析
東学に関する研究は、東学学会、韓国東学学会など関連学会を中心に1,000編余りを超える論文が発表され拡大されてきた。主要な論議は、既存の韓国近代性理論の起源を「実学」に求めてきた理論に対する反論として、「東学」に求める内容として行われた。55) 先行研究のうち、東学思想において自生的近代性の起源として強調される部分は、金芝河56)らから始まった東学思想の現代哲学的面貌、すなわち生命哲学、過程哲学のような西洋現代哲学的面貌との比較であった57)。
近代性と関連した東学思想に関する先行研究は、東学民衆運動、東学の宗教思想、東学の哲学的思惟方法に関する研究という大きく三つに区分される。第一に、東学民衆運動は東学農民革命に関する歴史的研究であり、宗教と思想よりは東学思想によって発生した社会運動の歴史について、社会科学的方法によって主に研究される。第二に、東学の宗教思想は、東洋宗教に対する宗教学的方法あるいは思想史的方法によって研究される。第三に、東学の哲学的思惟方法は、科学哲学あるいは文明史的側面において東洋学問の方法論として研究される。
本稿と関係する先行研究は、主として東学思想と大巡思想を宗教思想として研究する第二の研究と、東洋の思惟方法論とみなす第三の研究である。第二の研究は再び、韓国宗教思想史全体において東学思想と大巡思想の意義を模索する研究と、東学思想と大巡思想を集中的に探索する研究に分けられる。第一に韓国宗教思想史全体において東学思想と大巡思想の意義を模索する研究としては、張秉吉58)、鄭鎭弘59)、尹以欽60)、崔鍾誠61)、姜敦求62)、盧吉明63)、金洪喆64)、ドン・ベイカー65)、柳東植66)、金鍾瑞67)、金益斗68)、黄宗源69)らを挙げることができ、第二の東学思想と大巡思想を集中的に比較探索する研究の場合、代表的な研究者として金芝河70)、金鐸71)を挙げることができる。
各研究者を詳細に見ると、まず大巡思想を最も早く先駆的に研究し、『典経』初版をソウル大学校出版部から出版した張秉吉の場合、東学思想と大巡思想を基層民衆の霊性的世界観として理解し、これに対応して出現した大巡思想には、特に天地変化の原理に従って神明観、人間観、価値観などの総体的変化も伴うとしている。72) 韓国の代表的宗教学者であった鄭鎭弘の場合は、韓国宗教史をミメシス(mimesis)の道教、ミュトス(Mythos)の仏教、ロゴス(Logos)の儒教、テオス(Theos)の東学として整理し、解放後の改新教の発展を東学の延長線上のものとみなす。73) 東学は短い出現期間ではあったが、韓国宗教思想テオス(Theos)の始まりという重要な意味があるとしている。74) 崔鍾誠は鄭鎭弘の研究を継承して、東学を「テオプラクシー(Theopraxy)」という儀礼中心で研究する必要があるとしている。鄭鎭弘の研究が教理中心で東学思想の意義を研究したとすれば、尹以欽は最高神の形態によって東学思想の意義を説明し、東学は新しい思想であるとともに以前の鄭鑑録の変革的世界観を共有しており、それ以後出現する新宗教の標本となっているとしている。75)
世界宗教学の流れを韓国新宗教研究に適用しようとする姜敦求の場合は、韓国宗教の差別化という側面から『正易』の役割を強調し、『正易』を反映した韓国新宗教においてその韓国的特性が際立つという点を強調する。特に『正易』を強調した大巡思想は韓国的特徴をよく表現してくれるとしている。76) 盧吉明は、今日の韓国新宗教は成立は旧韓末になされたが、経済開発以降に再び照明されたという点で、脱近代性とも関連し得る現代的な現象であるという。これにより大巡思想の解寃相生もまた、西洋の近代性が招来するであろう未来の危機を展望した甑山の代案的近代性として検討されねばならないとしている。77)
金洪喆の場合は、東学思想と大巡思想出現の地理的背景として金山寺と真表律師を指目し、両思想の背景として百済復興運動と弥勒信仰の再活性化の関係を照明する。東学農民革命と大巡思想は、奇しくも百済滅亡と関係する金山寺と弥勒を中心に展開されている。78) ドン・ベイカーは東学関連思想を、韓国人の霊性(靈性)を成してきた神(神)と道(道)の結合とみなす。神(神)がキリスト教や巫俗のような人格神概念であるとすれば、道(道)は儒・仏・仙のような理法神(理法神)と言える。79) 柳東植の場合は「風流(風流)」神学を主張し、神霊決定論、占卜予言信仰、風水地理が韓国民間信仰の三大主流であり、東学思想と大巡思想はその延長線上にあるとしている。風流の風(風)は気(氣)と代替され得る気(氣)以前の気(氣)概念であり、気(氣)は神霊決定論、占卜予言信仰、風水地理という韓国民間信仰の主要な軸を成してきた。80) 金鍾瑞は、社会革命的側面を強調した近代的な東学思想と、人類救援に関心を置いた大巡思想とを互いに比較したプルナー(Gernot Prunner, 1935-2002)の研究を紹介している。81)
東学思想と大巡思想の中心地である井邑で「井邑学」を主導する金益斗の場合は、戯曲を専門に研究する国文学者として、両思想を、葛藤を重視するアリストテレス(Aristotle, B.C.384-322)の西洋葛藤フレームを韓国的相生に変える画期的思想と評価する。金益斗は、カタルシスが弁証法の母胎となり、カタルシスは神の葛藤をモチーフとする西洋神話をモチーフとしているため、ポストモダニズムが求めようとする代案的近代性を西欧に求めようとした企図は失敗したという。むしろ金益斗は、ポストモダニズムが求めようとする代案的近代性を東学思想と大巡思想に求めた金芝河の研究に注目し、金芝河の研究をリミナリティの観点から解釈する。金益斗は、金芝河が両思想に見出した「白い陰の美学」という代案的近代性は、西欧神話とは異なり神々の和合をモチーフとする韓国神話に基盤しているために可能であったという。82)
また、李英蘭は早くからリミナリティを公演学(パフォーマンス研究)に適用し、韓国巫俗をリミナリティの観点から高く評価したリチャード・シェクナー(Richard Schechner, 1934-現在)から公演学を師事したことがあり、公演学的観点からリミナリティを「ある(being)」と「生成(becoming)」という二つの軸で解釈し、天地人の天観・地観・人間観と西洋脱近代性の代表的思想を一つの表として総合している。「ある(存在する)」と「である(同一性)」という二つの意味を持つ「be」動詞は、ハイデガー実存主義において世界を説明する核心道具として適用されており、シェクナーはこれを公演学に適用してリミナリティを「ある(being)」と「生成(becoming)」として解釈した。東アジアには「be」動詞はないが、部分と全体を同時に指称する「ハン(han)」概念があり、李英蘭はこれを天符経のように天地人に適用し、天(1)、地(2,1+2)、人(3,1+2、1+2+3、1'=1+2+3)として解釈し、この「ハン」概念はbe動詞よりもより容易にリミナリティを解釈し得ると、李英蘭は主張する。83) 本稿はリミナリティの定義において金益斗と李英蘭の定義を主に参考にして、東学思想と大巡思想の自生的近代性に適用したい。
黄宗源は、東学思想と大巡思想が東西両洋宗教の三つの淵源を独創的に総合し、創造的な近代性を成しているとする。東学思想と大巡思想は、開化派と衛正斥邪派に対して第三の方向を選択した思想のなかでも、朴殷植のような儒教大衆化とは異なり、客観的立場から東西両洋を調律して成功的な自生思想となったとしている。これは汪暉が指摘した中国の梁啓超の事例とも非常に符合する。
次に東学思想と大巡思想の近代性比較に集中した研究を見ると、まず金芝河の場合、東学思想と大巡思想を政治的近代思想と文化的近代思想とに大きく区分する。金芝河は、東学思想が政治的近代性を強調したとすれば、大巡思想は日常の小さな実践から適用して文化的近代性を追求したとしている。直観的な理解が容易な美学的方法によって両思想を比較する金芝河は、東学思想は人為的かつ伝統的な民衆反乱の組織的方法によって動世開闢(動世開闢)を追求した政治思想的性格が強いが、大巡思想は日常的実践において文化的な靖世開闢(靖世開闢)の運動を見せた文化運動の性格が強いとしている。84) 金芝河は両思想の近代的特徴を、科学と神学を総合したテイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin, 1881-1955)の思想の側面から比較分析を試み85)、特に脱近代性の代表的思想家であるジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)の生成哲学を比較し、カオスモス(Chaosmos)という共通点を最終的に導出した。86) 金芝河はこれを生命思想と87)律呂(律呂)、そして「白い陰の美学」という段階を経ながら表現した。88) 東洋の和音という意味でありながら宇宙的調和を象徴する「律呂」は、相関的思惟の自生的近代性に対する金芝河の美学的表現であった。金芝河は東学思想と大巡思想を自生的近代性と脱近代性として解釈し89)、相関的思惟の特徴を強調したが、美学的表現を主に用いたため、本稿のようにリミナリティと再活性化のような人類学的概念と相関的思惟を結びつける比較は試みなかった。
金鐸の場合は、両思想に対する詳細な文献的考証によって、両思想が既存の思想と結びつく伝統の連続と変化を、人間中心主義という側面から具体的に比較している。特に大巡思想が真東学であり得たほど、東学思想と大巡思想が共有している用語に対する説明を十分に示している。ただし、両思想の背景に現れた相関的思惟については、まだ研究を進めていない。90) 両研究者以外にも、両思想の近代性に関する比較研究が一部行われたが、論議を展開しながら主題が出てくるたびに論じることにする。91)
第三に、東学思想と大巡思想に対する思惟方法の側面の先行研究を見ると、大きく過程哲学と相関的思惟および同時性に関する研究に区分される。ただし、これらの研究はまだ東学思想や大巡思想の個別研究には適用されてきたが、両思想の比較にはほとんど適用されてこなかった。東洋思想に対する西洋学問の適用という方法論を適用する第三の方法に対する論争は現在も進行中である。今日の西洋近代の科学および人文社会思想がマテオ・リッチと震黙大師(震默, 1562-1633)による東洋思想の西洋伝播によるものであるとする大巡思想の論争にもかかわらず、東学思想と大巡思想に対する思惟方法の側面の先行研究は、優先して検討されるべき先行研究である。実際に黄台淵は、グーグルがインターネットに公開したマテオ・リッチ当時の400余年前の英文著作を分析し、マテオ・リッチ以降に伝来した東洋思想がいかに西洋の科学と人文社会科学へと変化したかを分析した既存の20余冊の著書を通じて、東学関連思想において東洋思想に起源する西洋近代性がいかに専有されているかを示している。92)
研究者別に見ていくと、まず過程哲学の場合、代表的な研究者として金敬宰と金相日がいる。ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead, 1861-1947)から始まった過程哲学は、ジョン・カブ(John B. Cobb, 1925-現在)らを経て過程神学として発展し、東西古今の修養論的伝統の宗教神観93)理解に画期的に貢献した。金芝河の場合も過程哲学を美学的に受容して東学思想と大巡思想に適用し、また東アジア思惟方法論の起源となる周易思想自体を過程哲学的に分析した朴在柱の研究もあるが94)、本格的に東学思想を過程哲学と関連付けた研究者は金敬宰と金相日である。金敬宰はハーツホーン(Charles Hartshorne, 1897-2000)の過程神学の概念を受容して95)、東学の神観を超越者が内在的に共にある汎在神論として解釈し、哲学的思惟方法による東学理解の可能性を優先的に提示した。96) 金相日はハーツホーンの概念を更に拡大したジョン・カブの過程神学を適用して、東学を新西学(新西學)と規定する。97) 金相日はその後、過程哲学を現代フラクタル科学に接ぎ木して、ケン・ウィルバー(Ken Wilber, 1949-現在)と関連する永遠哲学など、大巡思想の脱近代性に適用する多様な研究も試みた。98) 最近、過程神学に対する研究は、東学思想の全一性(全一性)に対する研究へと発展している。99)
次に相関的思惟の場合、代表的研究者として金炯孝、李昌一、郭信煥、丁宇鎭、朴正鎮、金基、白承鍾、李奉鎬、金白鉉などを挙げることができる。相関的思惟を国内に本格的に紹介した研究者は李昌一であるが100)、それ以前の30余年前からポストモダニズムと東洋思想を接ぎ木してきた金炯孝の研究があり101)、その後国内の朴正鎮102)らと海外の研究が後続した。103) 相関的思惟に対する儒教研究者らの本格的な研究としては、郭信煥の研究がある。郭信煥は相関的思惟に関する台湾の研究を紹介しながら104)、韓国新宗教思想を含む退渓以降の韓国思想研究に適用したことがある。105) 金基は相関的思惟に対する儒教的側面の国内外研究を総合した博士学位論文も発表している。106) 『鄭鑑録』の影響を追跡してきた白承鍾は、『鄭鑑録』が有する力の背景となった相関的思惟を通じた心の力について、東洋伝統を追跡することもある。107)
相関的思惟に対する道教研究者らの本格的な研究は、丁宇鎭らによって進められた。丁宇鎭は、韓医学と相関的思惟が結びつく最近の東アジア道教研究の流れを反映し108)、相関的思惟と同時性思惟を区別しながら109)、東アジア科学が集約される身体に対する多様な見解を提示した。110) 金喜貞は相関的思惟が確立される時期を『黄帝四経』が確立される漢代と見なし、相関的思惟を通じて身体、国家、宇宙が一つに統合される東洋科学の発生過程を追跡したことがある。111) 徐命膺(徐命膺, 1716年-1787年)など、相関的思惟によって西学に対応した道教学者らの相関的思惟を追跡してきた李奉鎬は112)、太一を中心に相関的思惟が初めて現れる「易伝」の発生を、易学の誕生過程として追跡した。113) 李奉鎬は権宅英のように114)、脱近代性理論の代表的主唱者であるラカン構造主義の起源となったソシュールと、老子『道徳経』の構造の類似性を追跡したこともある。115) 金白鉉は気化論(氣化論)という側面から相関的思惟の起源を総合する。116)
相関的思惟に対する批判的研究としては、分析的科学に対する代案科学とはなり得ないという相関的思惟に対する金永健の分析哲学的立場の批判的研究もあったが117)、科学に分析的方法のみが存在せねばならない理由はないというファイヤアーベント(Paul Karl Feyerabend, 1924-1994)の科学哲学を適用するならば、今日の現実問題を解決するうえで無力な分析的思惟は、相関的思惟によって十分に補完され得る。118)
同時性に関する研究は、『シークレット』119)の旋風に見るように、今日「宗教と科学の出会い」として代表される、まさに宗教学の未来と言える分野である。韓国の精神科学学会は解体されたが、1968年に設立され、科学と宗教に関する国際学術大会を持続的に開催してきた国際科学と宗教学会(International Society for Science & Religion)120)は、毎年世界宗教学界の上位学会に位置づけられている。121) 同時性に関する研究は、全体が部分のうちに反復されて現れるというフラクタル(Fractal)科学の多様な分野として現れる。122) 同時性と関連する東学思想および甑山思想関連分野の先行研究者としては、許勳、朴秉勳らを挙げることができる。許勳は「永遠哲学(Perennial Philosophy)」を通じて大巡思想を眺望し123)、朴秉勳は東学の降筆(降筆)研究を通じて同時性事例を発掘した。124)
既存の東学思想の近代性議論において相関的思惟に注目する研究は、金芝河に対する研究が先駆的である。東学思想と甑山思想を同時に研究したほぼ唯一の初期研究者である金芝河125)は、多くの文学作品もまた発表したが、金芝河の作品に見られる一貫性が陰陽五行であった。126) 金芝河もまた、自身の思想展開過程を陰陽五行で解釈した洪龍熹の評論が自身の論旨と最も符合すると主張した。127) 洪龍熹は金芝河の初期作品『黄土の道』と後期作品『愛隣』を比較しながら、金芝河が東学思想を陽の近代性として、甑山思想を脱近代性として解釈したとしている。金芝河は東学思想から甑山思想への展開を、生命、律呂、白い陰という3段階で説明したとしている。
西欧の場合、ポストモダニズムの流行とともに、世界的にも相関的思惟を脱近代性として解釈する研究が現れた。西欧においてポストモダニズムは、相関的思惟のような非線形思惟に基盤を置いている。特に複雑系(複雜系, complex system)のような理論は、人文社会科学のみならず現代自然科学の代案として注目された。128) 韓国においても金相日らは、周易が脱現代の論理に立脚しており129)、過程哲学とも関連するという演繹的理論130)を展開した。しかしこれらの先行研究は、日常性や微視的理論に拘泥し、実際に近代性の根幹となる巨視的な天観・地観・人間観を論じることはなかった。
修養論として研究してきた東学思想研究者も、相関的思惟に関する研究は不十分であった。131) 相関的思惟を修養論と結びつける「リミナリティ」のような媒介概念がなかったためである。認識論と修養論の二つの側面の属性をもつリミナリティ概念は、東学思想の「造化」概念と共通の属性を有しており、東学思想の相関的思惟に関する研究を修養論と結びつけることができる。「造化」に対する趙容一の伝統的研究132)と「リミナリティ」に対する李英蘭の研究133)は、二つの概念を結びつけることができる。
「造化」は「侍天主」とともに東学思想の核心思想であったが、趙容一以降に後続研究は不備であった。「造化」が該当する広範な領域と意味は、核心属性を明瞭化することが非常に困難な概念であった。広義の造化は、金芝河134)が提示した「律呂」「白い陰の美学」や、金相日の「ハン」概念も135)「造化」の別の概念として解釈し得る。
「造化」概念に関して博士論文において趙容一は、東学思想に現れる「不然(不然)」と「其然(其然)」概念を活用して、「造化」概念をドイツ語be動詞「ist」に内在する「ある(being)」の実体と「生成(becoming)」の属性という二重的意味として解釈する。同様に李英蘭は、「リミナリティ」の二重的属性を公演学的観点から解釈して「生成(becoming)」と「ある(being)」として解釈する。さらに李英蘭は、この二つの属性をデリダ系列とドゥルーズ系列のポストモダニズム比較に適用し、脱近代性を理解する一つの枠組みと、近代性と東洋思想との連結の鎖もまた共に提示する。これは天主を我が身に侍して修養論を極大化しようとする侍天主が、修養論を通じて追求しようとした「造化」の姿を形象化して、東学関連思想の自生的近代性を提示してくれる。
東学思想と大巡思想に対する研究は、本稿が方法論として採択した相関的思惟、リミナリティと再活性化、そして近代性と関連する分野のみならず、思想的にも多くの研究があるが、細部的論議において追加で言及することにしたい。136)
次に、上記三つの方法と関連する大巡思想研究者らの研究を見てみると、代表的研究者として高南植、李京源、車善根、朴相奎、金泰洙らの研究を挙げることができる。まず高南植の場合、テキスト中心の研究方法によって、これまで注目されなかった真東学137)、50年工夫138)、二度の啓示(啓示)139)、三界観(三界觀)140)、地人(地人)関係141)、南朝鮮142)、日本解寃143)、神道(神道)144)、理定心法(理定心法)145)など、多くの隠れた概念を発掘してきた。特に、第一の研究と関連する東学思想と大巡思想の成立と展開に対する全体の過程を、真東学の側面から研究した。146) 高南植はまず、真東学の成立と展開過程を作乱(作亂)、動乱(動亂)、治乱(治亂)の観点から研究し、再び真東学を構成する解寃と地上天国建設と関連して、日本解寃147)から始まる韓国の解寃、大巡思想における二度の啓示などからなる東学とは異なる民族主義の具現148)など、道主趙鼎山の工夫が50年工夫終畢として締めくくられ、大巡思想が真東学であることを立証しようとした。
高南植は大巡思想の展開過程を真東学の展開過程として説明した。高南植の研究は、その真東学の発展過程に対して宗教学的理論が適用されると、多様な研究へと拡大され得る契機を準備してくれる。これにより本稿は、宗教人類学的成長論と見られる通過儀礼理論を中心に、東学の「学」に注目して真東学の発展過程を説明しようとする論文である。実際に大巡思想において、自然征服という絶え間ない罪悪を犯す近代文明は、相関的思惟に符合する天観・地観・人間観と通過儀礼によって克服されるべき文明として評価されている。本稿は、近代文明の危機を通過儀礼のリミナリティによって克服するため、東学思想と大巡思想がいかに新しい思惟方法論として天観・地観・人間観を提示しているのかを考察することによって、両思想が自生的近代性および脱近代性であることを示そうとするものである。
李京源の場合、東学思想と甑山思想に対する宗教学的分析を「窮極的実在」に対する宗教学的探求として比較する。149) 李京源は、東学思想と大巡思想において成立した類例なき韓国の人格神概念を「窮極的実在」という人類普遍的な宗教学的概念として解釈し得る事例を見せ、両思想が自生的近代性として解釈され得る端緒を見せる。150) 有機体哲学によって大巡思想を理解することもあった李京源は、「窮極的実在」という概念が東学思想と大巡思想に共通する神観の特徴であることを叙述し、汎在神論的概念を超越する理解が可能であることを示した。151) 李京源は「窮極的実在」という概念を通じて、大巡思想の三界観のみならず152)、新宗教全般153)さらには韓国宗教154)の特徴を解釈し得ることを示した。また李京源は、大巡思想に現れた天概念の近代的変化に関する研究において、天外天(天外天)の出現という東学思想の神秘的天観と、九天(九天)の人身降世(人身降世)という大巡思想の権化的(勸化的, avatar)天観を比較して説明した。155) また大巡思想の近代性と変革思想に関する研究において、解寃思想を真近代性として、天地公事を変革思想として説明した。解寃なき近代性は、過去清算なき未来投資のようなものであり、近代性が進行するほど問題が大きくなる今日の近代性の問題をよく説明してくれる。本稿は、神秘的天観と変革思想にリミナリティを、権化的天観と真近代性に再活性化を、近代性に相関的思惟を追加して考察したい。
車善根の場合は、比較宗教学において宗教現象学的方法を用いるとしても、比較は二つの宗教を全体的に比較するのではなく、個別宗教別に脈絡的に比較してこそその宗教の固有性が現れる、というジョナサン・スミス(Jonathan Zittell Smith, 1938-2017)の方法論を、大巡思想の比較研究において適用したことがある。大巡思想は東学思想のみならず、道教思想、正易思想、巫俗思想など韓国の他の多くの宗教伝統と様々な特性を共有するため、多くの比較研究があった。これに対して車善根は、大巡思想に対する既存の研究は宗教現象学のなかでも二つの宗教を全体的に比較する宗教現象学的方法に集中して、比較対象となる二つの宗教の固有な特徴が隠蔽される点があることを強調し、脈絡的比較は隠蔽された特徴を浮き彫りにするのに有利であることを強調する。156) これにより、東学思想と大巡思想に対する共通点があるにもかかわらず、相違点が明確に区分されねばならないことを強調し、その相違点を宗教学の範疇別に細部的に区分する。157) 車善根は特に、東学思想の「気化(氣化)」158)と大巡思想の「徳化(德化)」概念の差異を通じて、大巡思想は東学思想の代案思想ではなく、固有の思想であることを宗教学的に立証している。159) 東学思想の道気長存邪不入(道氣長存邪不入)160)と大巡思想の真心堅守福先来(眞心堅守福先來)161)は、気化と道化の差異をよく示している。本稿もまた、車善根が提案した脈絡的比較方法に従って、「学問」と「相関的思惟の天観・地観・人間観」という脈絡においてのみ制限的に両思想を比較することにする。
三界観あるいは宇宙論と関連する大巡思想研究の場合、朴相奎の研究を挙げることができる。まず朴相奎は、三界観(三界觀)のうち天界観(天界觀)に関する論文において162)、欲界・色界・無色界に区分される仏教三界の28天と、大巡思想の36天の天界(天界)、そして道教36天を比較しながら、三つの天界観が互いに調和し得ることを示す。朴相奎は、無極道当時の道場である無極道場の霊台(靈臺)と兜率宮(兜率宮)という二重構造を通じて、二重構造が三界(三界)内の天と九天(九天)という三界(三界)外の天という天界の二重構造を見せるとしている。朴相奎は、天界を二重構造として説明する際、様々な方法によって三つの天界が互いに連結され得るとしている。儒・仏・仙が太極の機動作用である天地之用の十二運星の原理に従ってなされたとする大巡思想において163)、儒・仏・仙の天界観が符合することは当然のことであろう。
最後にリミナリティの場合、金泰洙は大巡思想の天地公事をリミナリティの観点から分析したことがある。164) 金泰洙は天地公事自体をリミナリティに立脚した儀礼とみなし、リミナリティ理論に立脚して天地公事を詳細に分析した。本稿は、リミナリティ概念を最高神の立場から適用した金泰洙とは異なり、修道人の修養論的観点からリミナリティを適用し、また、これを東学思想および相関的思惟と近代性という側面から比較した点に違いがある。
東学思想の近代性を研究してきた三つの方法、すなわち東学民衆運動、宗教思想、思惟方法論には違いがあるが、三つの方法は相互有機的に結びつく。哲学的思惟方法論として東学を研究するからといって、民衆運動や宗教思想としての東学思想の特徴が色あせるわけではない。むしろ哲学的思惟方法に対する検討は、他の二つの特性を倍加させ得る。東学思想に対する哲学的思惟方法論的研究は、東学思想の理論が発生する理由を、思想的側面のみならず論理的側面からも理解できるようにし、東学思想に対してより共感させることができる。東学思想に対する論理的理解はまた、東学思想を実践に移した東学民衆運動に対する人々の動機についても合理的かつ普遍的な理解を可能にする。したがって東学思想に対する哲学的思惟方法論的理解は、大巡思想もまた普遍的に理解させるうえで、非常に重要な研究となる。
他の二分野に比して研究が不足していないにもかかわらず、哲学的思惟方法論を大巡思想に適用した研究は、東学思想と比較すると相対的に不足している。研究不足の理由は、通時的研究の不在と理想世界という研究範囲とに関連する。第一に通時的研究の不在を見ると、東学に関する既存の哲学的思惟方法に関する研究は、同時代の東西両洋の哲学的思惟方法論を比較する既存の共時的方法に留まり、時代変化に注目する他の二分野と連動することが困難であった。既存の共時的方法は、東学思想に対する哲学的思惟方法論的理解を科学哲学部門に限定し、既存に活性化された他の二つの研究分野に影響を与え得る有機的方法を提示することができなかったためである。特に既存の先行研究は、時間の変化に従って現れる変化を研究する通時的方法によって、東学思想と大巡思想の差異について注目しなかった。通時的方法の研究は、東学を東学思想以前の東学と大巡思想出現以後の東学とを通時的に提示することによって、東学思想の出現と東学民衆運動の出現を、東学思想に対する哲学的思惟方法論的理解として説明し得る。
大巡思想が思惟方法論という側面から理解されてこなかったもう一つの理由は、大巡思想において東学の完成は、東洋思想の理想世界の実現にまで東学の範囲が拡大されるからである。「我に従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽しみを享受するであろう。これが真東学である」165)という句節のように、大巡思想において東学は民衆運動の次元を超え、実際に東洋の理想社会である後天にまでその範囲が拡張されており、学術的理解よりは宗教的理解がより適切に見えるためである。しかし東学が説く後天の理想世界を、実証的次元ではなく東洋哲学的思惟方法という方法論的次元において理解するならば、理想世界までを含む大巡思想の真東学を思惟方法として理解する方法が提示され得る。
このほかにも、東学思想と大巡思想には多様な研究成果がある。大巡思想と宇宙論および三界観の場合だけでも、李在源166)、金容煥167)、金貴萬168)、大巡思想と正易思想の宇宙論を比較した車善根の研究169)と未来観に関する研究170)、大巡思想と東学思想の三界観を比較した崔元赫171)の研究、理想社会に関する比較研究172)、そしてSCI級など海外ジャーナルに掲載された諸研究および単行本もある。173) 追加的な先行研究は、以後論議を展開しながら主題が出てくるたびに論じることにする。