V. 東学思想と大巡思想の自生的近代性の比較

朱子は「鬼神に関わることは本来第二義的なものである。形もなく影もない鬼神は理解しがたく、無理に理解しようとする必要はなく、まずは日常の緊要なところに進んで工夫すべきである」と述べている。76) 鬼神論は身体で「事(事)」を習う小学段階の言説ではなく、心で「理(理)」を窮める大学段階の言説である。宋明理学を朱子学と陽明学に大別して両者を対立的に見ることもあるが、実は両者は工夫論的には異なっても本体論的には異ならない。本体論で言えば「理(理)の体(體)」は無(無)であり虚(虛)となる。77)

結局、大巡思想の地界観は陰陽五行において陰陽五行の中心を意味する「土」の重要性として現れる。78)。労而無功と天地成功は、土としての九天の役割を表現する別の理論である。人身降世以前を労而無功、人身降世以後を天地成功と表現したのである。

これにより、東学の地観は土地の生命思想を強調する形で理解されることもある。東学が生命思想として再照明されるにつれて、土地に対する東学の強調も再照明される。今日の韓国の有機農法も東学思想の土地中心思想に由来すると言われる。しかし実際に東学思想において土地に対しては、天と同程度の重要性は強調されていない。ここで東学は大巡思想の『典経』に従い初期東学までのみ言及されるため、初期東学のみを取り上げることとする。『典経』に東学として主に言及されるのは東学歌辞と水雲歌辞である。

天地成功は、天地が役割を分担して事を成すという概念であり、東学思想とは異なり神明を強調する大巡思想に現れる用語である。東アジアの伝統的地観においても、土地は「天地」という用語のように表面的には天と同格に現れる。代表的に天円地方は、天が丸いという地動説によって明らかにされた天動説の誤った主張を述べるものではなく、「天道之謂圓 地道之謂方」の略であり、時間を表す「宙(宙)」の一次元的性格、空間を表す「宇(宇)」の二次元的性格を述べていると言える。周易の天は「乾」と呼ばれるが、この「乾(乾)」は「乙(乙)」作用をする時間の乾いた属性を表す。

大巡思想は抑陰尊陽(抑陰尊陽)を正陰正陽(正陰正陽)に変える天地公事を通じて、伝統的な地観を実体化する。これによって土地もまた天文と同様に再整列される。大巡思想は三神山79)から出発し、父母山である回文山と母岳山が整備され、山王と海王の血穴が整列される。80) 天地陰陽合徳の結果である地上天国は、三界が相関的に作用する大巡思想の地界観を代表する用語である。

不然其然の東学的地人関係が胞胎された以後に養生されるのは、三神山と父母山を再び比定した大巡思想の地界公事の再活性化に起因するところが大きい。大巡思想において三界錯乱は、地人関係における地気不通(地氣不通)による世界戦争と物質文明による人類の傲慢として現れる。大巡思想において世界紛争の原因として指摘された地気(地氣)の不調和は、地気統一公事によって統一される。マテオ・リッチによる東西洋神明交流の開通以後、地下文明神の天上交流と人世への施恵によって近代文明は開拓された。しかし近代文明は人類の傲慢と物質文明への偏りにより天下震滅の危機に帰結した。81) これに対し、地界公事によって物質文明に対する道術文明として地上神仙の地人関係を、大巡思想は構築しようとする。

崔水雲は、日本を壬辰倭乱の際に我が国を侵略した仇であり、したがって滅ぼすべき復讐の対象として把握していた。82) 一方、甑山はむしろ日本が壬辰倭乱の際に漢城に入ることができず、無辜の人命が多く殺害され、また朝鮮に田植えの法を教えたことによって怨恨を結んだので、これを解いてやるために83) 朝鮮を日本に任せる公事を執り行った。また甑山は、日本に敵対せず順従するよう述べ、84) 今後日本は敗亡して賃金も受け取れずに帰っていくであろうと85) 預言した。既存の多くの研究で、甑山が西洋勢力から朝鮮民族を保護するために日本に一時朝鮮を任せる公事を執り行ったことは、甑山が一時的に日帝の東アジア盟主論を活用したことを示すと見られることもある。86)

人間観の自生的近代性の比較

人乃天(人乃天)と神人調化(神人調化)

人すなわち天であるという「人乃天(人乃天)」は、初期東学において水雲が用いた表現ではないが、内有神霊・外有気化という東学思想の天人・地人関係のうち超越的側面を排除し内在的側面を極大化して、西欧的近代性に符合するようにした概念として評価されている。87) 天道教以後、水雲の思想を解釈した天道教において「人乃天」は東学思想の近代性を代表する文句として使用されている。「人乃天(人乃天)」が東学思想の近代性を代表する用語として指称されたのは、「人乃天(人乃天)」が内包する平等思想のためであった。白丁や女性、子供までも天になり得るという「人乃天」は、「天子」のみが天になり得る前近代社会において、神明世界を除く人間世界における平等を主張し得る思想としては、極めて先進的な思想であった。

「人乃天」思想が多くの呼応を得たにもかかわらず、東学思想が失敗に帰した理由を、大巡思想では「解冤」と見た。大巡思想において平等思想は、革命のように瞬間に到来するのではなく、解冤とそれに伴う相生によって到来する漸進的なものであった。

また大巡思想は「人間が天である」とは表現しない。大巡思想において天は、既存の天地に分けられた天だけでなく、森羅万象を主宰する九天としての天をも意味する。天の恩恵を強調する大巡思想において、人間は天と同等の存在になり得ない。しかし人身降世が成された大巡思想において、人間の地位は東学思想とは異なる方法で格上げされる。初期東学である水雲の思想も「吾心即汝心」であって「人乃天」ではなかった。大巡思想はむしろ天地の恩恵を忘却した人間と近代性を問題の原因として指摘し、天地を尊重することを主張する。

事之當旺在於天地 必不在人

然無人無天地 故天地生人 用人

以人生 不參於天地用人之時 何可曰人生乎 88)

上記の例文では、事の始まりと終わりは天地にあるのであって人間にあるのではないことが明確にされている。結局、大巡思想は人乃天が志向する平等世界を成すには、天地に対する報恩とそのための人間の解冤が優先されなければならず、変革ではなく解冤こそが真正な近代性であることを示している。89)

したがって、変革のための人乃天に対して大巡思想が提示するものは、神と人間の調和、すなわち神人調化である。ここで調化(調化)は調和(調和)の調(調)と造化(造化)の化(化)を合わせて作られた合成語であり、既存の辞書には存在せず大巡思想にのみ現れる単語である。調化(調化)は調和(調和)と造化(造化)の長所のみを集めた結合と言える。90)

東学思想には現れない大巡思想の神明と人間との関係は、東学思想と大巡思想の人間観の自生的近代性の差異において、その核心となる部分である。東学思想は近代性問題の原因を各自為心という人間の問題と見たが、大巡思想において近代性問題の原因は、天地神明の恩恵を知らない人間の愚かさである。大巡思想の観点は九天の観点を反映する。大巡思想において人乃天のように人間を天と同様の存在と考えることは、人類の傲慢であり愚かさである。人間が天地の恩恵を知らなかったり、天地に反する事を行えば、いかなる事も成功し得ない。91) これにより大巡思想は、天地の恩恵を知らしめてくれた堯帝を極めて模範的人間の典型と見なす。

上帝は丁未年十二月二十三日に、辛敬洙をその家に訪ねられた。上帝は堯(堯)の「曆像日月星辰敬授人時」について述べられて「天地は日月がなければ空の殻であり、日月は知人(知人)がなければ虚影(虛影)であり、唐堯(唐堯)が日月の法を見出して百姓に教えたために、天の恩恵と地の理が初めて人類に与えられたのである」と仰せられた。この時、上帝は「日月無私治萬物 江山有道受百行」を教え、五呪(五呪)を作り、天地の津液(津液)と名付けられた。その五呪は以下の通りである。

新天地家家長歲 日月日月萬事知

侍天主造化定永世不忘萬事知

福祿誠敬信 壽命誠敬信 至氣今至願爲大降

明德觀音八陰八陽 至氣今至願爲大降

三界解魔大帝神位願趁天尊關聖帝君92)

上記の例文において堯帝の最大の貢献は、「天の恩恵と地の理」を人類に伝えたこと、すなわち天地の恩恵を人間が知るようにしてくれたことにあると述べている。人乃天に対して大巡思想はむしろ人間と神の調和、すなわち神人依導(神人依導)を人間の最大の課題として提示する。93)

東学思想において天主と上帝は言及されるが、神明(神明)、神道(神道)に対する表現はほとんど現れない。これは三才(三才)にも適用され、東学思想には神明界を前提とする三界という表現もほとんど現れない。大巡思想は、東学思想が儒教の典憲として受容できなかった神道を通じて、東学思想が提示した人道の限界を超越する。

大巡思想は人乃天という人類の傲慢に対して、三界という表現を前面に押し出す。人間は天と同じになるのではなく、九天が古い天を新しい天に変えるのである。姜甑山を信仰する宗団の中でも大巡思想は、「大巡(大巡)」という用語が「三界大巡 開闢公事」の略であるという点で、特に三界を前面に押し出す思想である。

大巡思想を三界を中心に説明するならば、上帝によって造化された三界が人間の怨恨により三界錯乱に至り、さらに三界震滅の真境に至るに及んで、神聖・仏・菩薩の訴えにより上帝は三界大巡によって三界を診断した後、三界公事により三界開闢を成すという一連の過程が三界大巡であり、これに伴う思想が大巡思想となる。

神明によって運行される大巡真理会の三界は、数多の神明によって運行される。大巡思想において三界が神明によって運行されるのは、神明は真理に至極な存在だからである。

金光贊と辛元一が上帝に侍していた丁未年正月のある日、上帝は彼らに「鬼神は真理に至極であるから、鬼神とともに天地公事を判断するのである」と仰せられながら、壁に文を以下のように書いて掲げられた。94)

上記の例文において「真理に至極である」というのは、神明の役割と境界に忠実であるという意味である。魂魄を共に持つ人間のように多様性を備える代わりに、一つの役割にのみ忠実であり得ない人間とは異なり、大巡思想において神明は魂魄のうち一つだけを持つ存在であるため、一つの役割に忠実であり得て天地の運行を成し得る。したがって大巡思想において三界は、三界を運行する神明と人間の調和が新しい天地運行において核心となる。

天地の運行のみならず、大巡思想において三界は今日の科学技術とも連関するほどに現実と密接な関係がある。大巡思想の三界観において天界には天上界、冥府が含まれ、地界には地下界が含まれる。このうち天上界と地下界は今日の科学文明の起源となり、冥府では天地に対する誠敬信に対する人間の報恩が評価されもする。

上帝はある日、金亨烈に仰せられて「西洋人マテオ・リッチ(利瑪竇)が東洋に来て地上天国を建てようとしたが、長く根を張った儒教の弊習により容易に改革できず、その意を遂げることができなかった。ただ天上と地下の境界を開放し、それぞれの地域を固く守って互いに行き来できなかった神明を相互に往来させ、彼は死後に東洋の文明神(文明神)を率いて西洋に行き文運(文運)を開いたのである。これより地下神は天上のあらゆる妙法を見習って人世にそれを施した。西洋のあらゆる文物は天国の模型を象ったものである」と告げられて「95)

上記の例文は第一に、天上の神と地下の神が交流することによって天地が運行され、人間界も変化するという大巡思想の神人調化を示している。第二に、大巡思想において天界には天上の神がいる天上界が含まれ、地界には地下神が含まれることを示している。第三に、天上神と地下神の交流が人間界と密接に連関しており、天上と地下の境界が人間界にいた人物によって変化し得るという三界の交流を示している。

上帝は「先天では人間事物がすべて相克に支配され、世に怨恨が積もり結ばれて三界を満たしたため、天地が常道(常道)を失って様々な災禍が生じ、世は惨憺たるものとなった。それゆえ余が天地の度数を整理し、神明を調化して万古の怨恨を解き、相生(相生)の道で後天の仙境を建てて世界の民生を救おうとするのである。およそ大小の事を問わず、神道から冤を解かねばならない。まず度数を堅固にして調化すれば、それが基盤となって人事はおのずと成し遂げられるであろう。これがすなわち三界公事(三界公事)である」と金亨烈に仰せられて、その中の冥府公事(冥府公事)の一部に着手された。96)

上記の例文は第一に、天地と人間は相互に成長し成長させる存在であることを示している。第二に、冥府は天地神明が人間を評価する場所であることを示している。しかしその相互成長は、相克に支配された人間事物によって正当な評価がなされず、怨恨ばかりが大きくなってしまい、これが三界混乱の原因であることを示している。第三に上記の例文は、冥府が天界に属し、冥府が三界の事が総合される場所であることを示している。

宇宙の運行を越えて科学技術と冥府における人間の運命にまでも天地の神明によって決定されるという大巡思想の三界観は、人間界の事に天地が優先され、これは万事の決定にまで至るとする。

事之當旺在於天地 必不在人97),

萬事分已定 浮生空自忙98)

上記の二つの句のうち、第一の句は大巡思想の三界観において天地が事の順序において人間に比して優先順位であることを明白に示している。子が親より優れたとしても親の恩恵によるものであり、親が優先であるように、天地と人間との関係も類似していることを示している。第二の句はさらに、天地より人間がより成功したとしても、これはすでに天地によって既に定められたものであることを示している。

これまでの議論を通じて見た大巡思想の人界観は以下の通りである。まず大巡思想の三界観は、最高神である九天の上帝と上帝によって造化された天地人の三界から構成される。大巡思想において三界観は、上帝に代わり天地が万物を化育するが、上帝は観鑑万天する。観望を意味する観鑑万天(觀鑑萬天)99)が、隠れた神と共通する部分はあるが、天地という媒介体を具体的に介入させる点が異なる。

天地もまた森羅万象を化育するとき、各部分を担当する無限の神明に事を委ねる。天地は昇降しながら互いに出会うが、天地は陰陽であるため天は企画し地(地)は施行する。100) したがって乾定坤順(乾定坤順)に見られるように、天上文明は企画し101) 地下神はかたどって作り人世に施す。102) 天地は誠敬信で103) 真理に至極に104) 人間を化育する。至極な誠敬信を通じた天地の化育によって生と寿命と福禄を受けた人間は105) 天地と同じく誠敬信で報恩する義務がある。しかし現代科学によって天地と競い得るようになった人間は、天地を裏切り、天地神明はいないとして天地を開発・征服する。これにより天地もまた人を殺そうとするばかりの三界混乱の時代となり、106) 神聖・仏・菩薩の訴えにより上帝が人世を大巡することとなり、まず水雲に天命と神教を下されたが107) これにより東学思想が出現する。たとえ天命と神教を水雲が受けたとしても、水雲が儒教の限界を越えられなかったため108) 上帝が三界に人間の身を借りて直接誕降された。109) これは九天の人身降世という大巡思想の人界観の背景となる。

大巡思想において神明で満ちた三界の存在と役割が陰陽五行で成り立つことが明確に明らかにされたが、東西洋もまた古代から大巡思想と同様に神明で満ちて人間界に介入する天界、地界を想定してきた。大巡思想の三界観はむしろ近代以前の東西洋宇宙観と共通する要素を多く持っている。これにより大巡思想の三界観もまた天地人と神明界を含むので、東西古今の天界、地界、人界に対する観念もまた三界という概念で総称して相互に比較してみることができる。大巡思想の三界観は、近代が廃棄した古代東西洋の宇宙観を近代科学と統合した再活性化の宇宙観に近い。

以上のような大巡思想の人間観を圧縮的に表現すれば、神人依導(神人依導)の人間観と言える。東学思想が西洋の存在論的三界観から生成論的三界観へのリミナリティを成したとすれば、大巡思想は神人依導を通じて生成論的三界観に内在する神明と人間の関係を再活性化した。

不然其然(不然其然)と成事在人(成事在人)

東学思想と大巡思想の人間観の結論的な差異は成事在人である。大巡思想の成事在人とは、事の成功如何に対する決定が、過去には天にあったものが今や人間に変わるという意味である。東学思想の天外天出現と大巡思想の九天人身降世の差異は、最終的に成事在人として現れる。

人々同士の争いは天上において先霊神たちの間の争いを引き起こすのであり、天上の争いが終わった後に人間の争いが決定されるのである。110)

上記の例文において「天上の争いが終わった後に人間の争いが決定される」という表現は、先天の成事在天(成事在天)を意味する。神明概念が現れない東学思想において争いを決定するのは気運であるが、大巡思想の場合、争いを決定するのは神明となる。大巡思想において人間の争いを決定する神明という原理も、上帝の人身降世以後に人間と神明の位置が入れ替わる。

先天においては「謀事(謀事)が在人(在人)し、成事(成事)は在天(在天)である」と言われたが、今では謀事は在天し成事は在人である。また汝らがいくら死のうとしても死ぬことはできず、余が放してこそ死ぬのである。111)

上記の例文において「今では謀事は在天し成事は在人である」という表現は、九天の人身降世以後、決定権の位置が神明から人間に変わったことを意味する。人身降世以後、謀事(謀事)と成事(成事)の位置が入れ替わるのは、九天の人身降世によって人間の窮極的価値が初めて明らかになったためである。身体と精神という陰陽をすべて持つ存在としての人間の価値が、九天の人身降世によって明らかになったためである。人身降世以前に天下事が天地神明によって成し遂げられたとすれば、人身降世以後は人間によって成し遂げられるというのが成事在人の意味となる。

上帝は朴公又が妻と争って銅谷を訪ねてきたので、突然叱責されて「余は毒であれば天下の毒をすべて持ち、善であれば天下の善をすべて持っている。汝はいかにして余の前に在りながらそのような真実でない行いをするのか。今や天地神明が運数の座を求めて、各人と各家庭を出入りしながら器局を試験するであろう。性質が寛大でなく家庭で和気を失えば、神明たちが嘲笑し、大事を任せられぬ器局だとして互いに引き連れて去って行くであろうから、事に志ある者がしばし時も思いを疎かにしてどうしてよいことがあろうか」と仰せられた。112)

上記の例文において「天地神明が運数の座を求めて」という表現は、九天の人身降世以後、人間は成事(成事)を成す運数の座へと変わったという意味となる。九天の人身降世により人間と神明の位置が入れ替わるのは、神明は否劫(否劫)に陥り人類は災劫(災劫)に陥ったためである。東学思想と大巡思想の人間観を比較すると、大巡思想は東学思想に比して相関的思惟の拡大によりフラクタル思惟が強化される点である。大巡思想において人間は陽、神明は陰の役割を果たす。113) 神人調化もまた陰陽合徳の原理によって成される。

成事(成事)と謀事(謀事)は、調理(調理)と気化(氣化)の陰陽五行として理解され得る。調理と気化の関係が先天とは異なり後天では反対となる。東学思想においては木火金水を調理する土の存在が神明となる。

成事在人(成事在人)の関係において、調理と気化は人間の調理と神明の気化として現れる。これは五行において土と木火金水の関係と類似する。特に大巡思想において人間の調理と神明の気化は、人間を中心とする陰陽五行の円としての循環である。

土のような人間の調理と木火金水の神明の気化は、東西洋の伝統にもあった。東洋の伝統思想においても木火金水のように四方を表す存在は、四神図(四神圖)という形態の動物として神を表現してきた。西洋においても神は動物として表現されてきた。西洋の四神図に該当する地水火風はバシュラールにより人間想像力の基本コンプレックスと見なされた。114)

バシュラールを継ぐジルベール・デュランは、想像力の終点は人間の象徴が神(神)となって出会うことであり、人間の象徴は動物となり、ついに神となると述べる。これまでは人間が神となろうとしてきたが、韓国の心情文化においては、特に神が人間になろうとすると述べている。115)

孔子が道教の隠者たちに伝えたとされる先天易学の理気論は、性理学の後天易学理気論と異なり、太極と陰陽五行が理気の性格をすべて持つため、儒仏仙と西教をすべて受容する。しかし邵康節の理気論ですら、先天の陰陽自体の歪曲と近代科学に対する説明力不足によりマテオ・リッチの批判に十分に対応できず、東洋の神人関係は崩壊した。116)

大巡思想においては人界観のリミナリティ的属性もまた強化される。人類の傲慢と物質主義は反省され117) 人間最初の冤が解冤される。人間の煞を象徴的に剥ぎ取って与え118) 末店島で流謫に処され119) 白衣将軍白衣将相度数で再活性化が拡大される。120)

大巡思想の人界観において、人間の地位上昇は東学より明確に表現される。神明界を導入できなかった東学思想では神人調化が「不然其然(不然其然)」として表現される。「不然其然(不然其然)」とは、人間として理解しがたい不然(不然)という部分もいつかは修道を通じて理解し得る其然(其然)となるという意味である。大巡思想では、東学において多くの不然(不然)であった部分が其然(其然)として現れる。人間は身体に閉じ込められた神であるため、内部の神を目覚めさせ、外部の神と疎通し得る。身体を通じて新たな神明へと変化、発展することが人間が生まれた目的となる。121) 内部の神を見出してこそ失った自己を取り戻し、天地を成功させる人間の道を歩み得る。したがって大巡思想において開闢は天地が成功することであり、これは道通君子の輩出以後に可能な人尊の道通真境世界である。

大巡思想において神人調化は、人間を通じて天地が成功する開闢の原理となる。神人調化が可能な理由を大巡思想では金火交易(金火交易)、土克水(土克水)という陰陽五行の原理で説明する。否劫に陥った神明、災劫に陥った人間という用語におけるように、大巡思想において天界と地界に該当する神明と人間は、属性と実体において相互に両立しがたい二つの属性を有している。「神人依導(神人依導)」の様相として現れる。122) 天地が基盤とする天地神明もまた神明であるため、神明はデジタルのように真理に至極であるが一方向のみを有し、人間は精密ではないが変化に伸縮的に適応し得る身体を有している。123) 天円地方のように属性は円のように両方向、実体は四角の方のように一方向に動くため、二つの属性を合わせれば神人調化となって問題が解決されるのである。相反する実体と属性という二要素を統合する原理を金芝河は「白い陰の美学」と表現し、金益斗はこれをリミナリティとして解釈したことがある。124) 大巡思想の自生的近代性は、相関的思惟のリミナリティと再活性化を強調する。

東学思想において天人関係は道教的発展が再活性化されなかったが、大巡思想においては具体的に再活性化される。大巡思想は甑山を信仰の対象とする宗教団体の中で唯一、最高神の神格位を九天応元雷声普化天尊姜聖上帝として尊称している。

東学思想と大巡思想の天地関係の自生的近代性の比較

天地鬼神(天地鬼神)と天地誠敬信(天地誠敬信)

天地鬼神と天地誠敬信はそれぞれ東学思想と大巡思想において初めて出現する両思想の天地関係を代表する用語である。天地鬼神と天地誠敬信もまた、天外天の出現を強調する東学思想と九天の人身降世を強調する大巡思想の差異を明確に示す二つの概念である。まず東学思想において天地が超越天の陰陽理によって作られた存在であるという意味の天地鬼神の場合、「鬼神」は東学思想の天外天を意味し、神明を意味しない。一方、天地の誠敬信によって天地が運行され、天地が化育されて人間の福禄と寿命も決定されるという大巡思想の天地誠敬信は、神明の誠敬信を強調する。

東学思想と大巡思想は共に天の上の天、すなわち超越天を強調するため、ここでの天地は伝統的な東洋思想の陰陽としての天地概念とは異なる。天を超越天と見なせば、相対となる地は天地のいずれにも該当する。天地鬼神(天地鬼神)と天地誠敬信(天地誠敬信)はすべて、超越神と超越神に対する天地神明の態度を意味する。

細部にわたって見れば、まず大巡思想において三界はまず神明と共存し、神明の誠敬信によって運行される。

天地誠敬信125)

生(生)と寿命(壽命)と福禄(福祿)は天地(天地)の恩恵(恩惠)であるから、誠(誠)・敬(敬)・信(信)をもって天地(天地)報恩(報恩)の大義を立てて人道(人道)を尽くし、126)

上記の二つの句は、人間の生と寿命と福禄は天地(天地)を運行する諸神明の誠敬信(誠敬信)によって施された恩恵であるから、人間もまた天地に倣って誠敬信(誠敬信)で報恩しなければ、天地の恩恵を受けるに値する者としての資格を備え得ないという意味となる。これは大巡真理会の信条のうち三要諦が誠敬信となる背景となる。127)

超越神の最初の出現という意義を強調する東学思想に比して、九天の人身降世を強調する大巡思想は天地の異なる部分を強調する。まず東学思想の天地鬼神とは、超越天の至気(至氣)の気化作用(氣化作用)であることを強調する意味である。東学思想が出現する以前、性理学においても天地を鬼神と表現したが、性理学において現れた天地が鬼神であるというのは陰陽作用の実体的説明であった。しかし東学思想は性理学からさらに進んで超越天を強調する。天地が鬼神であるという意味は陰陽の作用ではなく超越天の気化作用であることを強調し、性理学に新たな近代的転機を設けた。128)

天地亦是(天地亦是) 鬼神(鬼神)ぞ 鬼神亦是(鬼神亦是) 陰陽(陰陽)なるを

かように知らずして 経伝(經傳)を察して何になろう

道(道)と徳(德)を知らずして 賢人君子(賢人君子)がいかに知ろうか 129)

上記の例文において「鬼神」と「道徳」は超越天の意味となり、「経伝」と「賢人君子(賢人君子)」は東学が克服しようとする天の下の天の道を述べている。東学思想は超越天を通じて性理学を凌駕する近代性を追求したが、神明概念まで受容できず、儒教の典憲を越えることができなかった。

鬼神概念を超越天の意味としてのみ受容し、超越天の命令を聴く神明概念を受容できなかった東学思想は、神明概念の不在により成功的な近代性に到達できない。これに対し大巡思想は神明概念を受容して、天地を鬼神と表現した東学思想に対して、天地を誠敬信と表現する。

誠敬信とは、陰陽五行で成る相関的思惟の東洋思想において、超越天と人間の関係を核心的に表現する用語である。東学思想もまた東学思想自体を「誠敬信思想」と表現する。

吾道博而約不用多言義

別無他道理誠敬信三字130)

誠敬信は中庸の誠(誠)思想から次第に敬(敬)、信(信)へと拡大し、東学思想において誠敬信を共に称する用語として現れた。東学思想において誠敬信を共に称するのは、精気神のように誠敬信に内包される各々の天地人の要素を同時に表現しようとするからである。実際、誠(誠)は今日西洋の研究者には創造性として翻訳されることもある。131)

しかし同じ「誠敬信」という用語が使用されるが、「誠敬信」概念は東学思想と大巡思想、さらには儒教思想に至るまでも最大の差異が現れる部分である。儒教思想から誠(誠)が強調されたのは、天と人間が繋がる部分が誠(誠)であったためである。至極な精誠を尽くせば天と一致するように、誠(誠)は天と人間の主要な通路、人間の豁然貫通の主要な方法であったため、誠(誠)は儒教思想において最も重視された。儒教を通じて西学に接した李檗のような初期西学思想家も、誠(誠)を儒教と西教の連結環と見なした。東学思想は儒教の伝統が消滅したことを再活性化する側面で誠(誠)を強調するが、儒教と異なるのは天地の天ではなく、天地を造った超越天に対する誠(誠)であるという点である。一方、大巡思想はさらにこの誠(誠)が九天によって造られた天地にも適用され、大巡思想の誠(誠)概念は九天、神明、人間の三角構図の中に現れるという点が相違点である。人間が誠(誠)で報恩するのが大巡思想では九天と天地の両者すべてに該当する。

また鬼神概念もまた、大巡思想と東学思想、さらには儒学思想が最大の差異が現れる部分である。天地誠敬信という表現が現れるように、大巡思想の鬼神あるいは神明概念は、神明概念に誠敬信が連結されるが、東学思想や儒教思想には誠敬信が連結されない。大巡思想においては儒教思想や東学思想に明示されなかった天地神明の役割が強調される。これをさらに細部にわたって見れば以下の通りである。

自然哲学的立場から散逸する気として説明される鬼神概念は、祭祀の対象となる鬼神の永遠性を保障し得ず、祭祀の意義を裏付けるため永遠性を補強した宗教的鬼神概念は、気の有限性を前提とする性理学説に無理なく符合する理論ではなかった。

性理学の自然哲学的立場から解釈された鬼神は、理と気の合として、本体と現象、有と無の間を行き来する存在である。そのような鬼神の概念を人間の事に適用すれば、それは原初的な無から誕生に至る過程、そして死から原初的な無に再び戻る過程にある存在を指すこととなる。理気論において鬼神は理解できぬ超自然的実体ではなく、自然の中の諸事物と現象が生まれ消滅するその中間過程として、理(理)と気(氣)で成る自然をその変化運行の側面から把握した概念であるという。彼は「外に現れるものは気(氣)であり、その奥深く内在するものは理(理)である。これを総括して鬼神と謂う」132)と述べている。

鬼神というのは理や気のように根源的存在の次元にあるものではないが、理と気が共に束ねられて自然の中に実在し、自ら変化を起こす主宰力(主宰力)を発揮するものとして理解されたのである。鬼神を気(氣)一つだけで理解すれば、それは徹底的に物質的なものとしてのみ認識されるであろうし、反対に理(理)としてのみ見なせば、原理的、抽象的存在に留まることになる。したがって鬼神が自ら主宰力を持つ神妙な存在となるためには、理と気の二要素を共に持たなければならない。ただし、鬼神を説明する際にその二つのうちいずれにより比重を置くか、理気が共にあることが並存(竝存)か合一(合一)かの問題が、後代の性理学者たちの間で持続的な議論主題となった。

性理学では人間の身体も他の事物と同様に気(氣)で成り立っていると考える。一人の人間の誕生は、母の胎中で父母の気、そしてその時点で周囲を漂っていた気が合わさって一つの独立した生命体を形成することで成る。人間の死はその過程が逆に進むことである。独立した個体として存在した一人の人間の生命が尽きると、その身体を構成していた気が自然の中へと散逸して消えるという。ところでこの時、この気が散逸するのは人が死ぬ瞬間に直ちに起こるのではなく、長い時間をかけて徐々に進行するものである。朝鮮時代に王室と士大夫家であらゆる精誠を集めて絶え間なく施行されてきた様々な祭祀が、虚構や観念ではなく実在する存在を対象とするものであるという論理は、まさにこれを根拠に説明される。祭祀の対象となる死者の鬼神、すなわち人鬼(人鬼)というものは、たとえ消滅の過程にある有限なものではあるが、完全な消滅に至るまでは実在する存在として祭祀を歆享し得るとされる。

理気(理氣)の役割を区分して作為(作爲)の能力を気にのみ与え、理には原理的な性格のみを持たせた性理学の理気二元論の前提に照らして見れば、一部の性理学者たちは霊魂不滅説が無理な理論であるとも言う。しかし我々が意味深く把握すべき点は、朝鮮時代の性理学者たちが考えた理(理)という実体は単純に無情意(無情意)・無造作(無造作)の自然的、倫理的原理に留まるのではなく、人間存在の永遠性を担保する霊明(靈明)な存在として認識されもしたという点であるという。133)

東学思想と大巡思想の天地・地人関係において際立つ差異は、西洋に対する認識の差異にある。自生的近代性を最初に主張した東学の場合、東学という名称に見られるように西学に対立する立場を強調するならば、大巡思想は大巡という用語に見られるように包容する点を強調する。これにより大巡思想は自生的近代性と関連して西洋近代性の東洋的起源を提示する。自生的近代性と関連する東学思想の成立に対する最近までの研究を概括すれば、東学思想は西洋近代性の東洋的起源から出発し、逆に西学とともに東洋に再輸入され、再び東洋において自生的に発展した蘭壇道教のような中国近世道教が既存の性理学と総合され、天師問答(天師問答)という上帝の啓示の形態で成立する。134)

道気長存(道氣長存)と相生(相生)

相生概念は大巡思想と東学思想の土地に対する観念のうち最も代表的な差異が現れる用語である。相生という概念が解冤相生のように抽象的概念と結びついて使用されるのは、甑山思想の中でも大巡思想に初めて現れる。陰陽五行で用いられた相生が、抽象的な概念とともに大巡思想で使用され得るのは、調理と気化に見られるように、土による木火金水の仲介という九天と神明の関係を背景とする。

陰陽五行概念は東学思想にも現れ、董仲舒以後2000余年の間、東洋において科学の標準として機能したが、陰陽五行の核心概念が解冤相生のように使用されるのは、三界と三才、先天と後天のように九天の観点から眺めた陰陽五行の理論的導出である。大巡思想において陰陽五行は、陰陽合徳、三才確立、五行具備という「無極道趣旨書」に現れるように、五行は陰陽、三才とともに九天が三界を運行する原理である。

大巡思想においては河図、洛書という陰陽五行の配置方法に従い、九天が陰陽五行を運行し、これに従い生長斂蔵の無為而化が発生する。神明は九天の意図に従い無限重畳され、天地神明の役割を尽くすというのが九天によって提示された大巡思想の自生的近代性による世界観である。

ここに相克と相生は陰陽五行の運行原理を越えて、森羅万象の核心原理に格上げされる。伝統的な相克と相生は自生的近代性において日用事物に適用され、日用事物を評価し判断する基準となる。135)

東学思想にも陰陽五行は出現するが、相克と相生は強調されない。相克と相生は人身降世後、天地公事によって九天が陰陽五行を調理する中で重要性が強調される。136) 陰陽五行は東学思想において強調される無極のみならず、太極の重要性としても現れる。

太極は陰陽から三才五行へと展開し、結局陰陽五行となり、陰陽五行において変わらないのは真ん中の中心である土(土)となる。董仲舒が結合した陰陽と五行は、邵康節が再発掘した河図洛書を通じて初めて完全に結合される。邵康節は孔子が伝説的に道教思想家たちに伝えたという伏羲の河図洛書と八卦図を公開し、陰陽五行と八卦を統一した。137) 河図洛書で統一された邵康節の陰陽五行解釈によれば、宇宙は陰陽五行の無限な反復であり、陰陽五行は真ん中の土(土)を中心に木火金水が相克相生で運動する動きである。陰陽五行が果てしない変化を意味するならば、太極のように陰陽五行が果てしなく変化するように変わらない存在があり、それがすなわち理(理)であり、気(氣)の陰陽五行に対応して元亨利貞という属性を持つことになる。138) 結局、邵康節体系において理(理)は五行において真ん中の見えない土(土)であり、元亨利貞であり、気(氣)は五行において周辺に現象する木火金水であり、陰陽五行である。139)

陰陽五行において相克は相生とともに必ず必要なものである。ただし相克と相生は均衡が重要であるため、相克に偏れば相克が極大化する憂いがある。東学思想の自生的近代性は、道気長存(道氣長存)、気化(氣化)、斥倭を強調することのように、相克の力を追求する。

東学思想において道気長存(道氣長存)という単語は、水雲が天師問答直前の庚申年立春に学問に邁進することを誓って書いた文「立春詩」に出てくる句である。

道氣長存邪不入, 世間衆人不同歸140)

上記の文は学問に対する固い誓いとして単純に考え得るが、相克と相生という観点から重要な意味が秘められていることを『典経』は明らかにしている。

崔水雲の歌辞に「道氣長存邪不入(道気長存邪不入)」とあるが、上帝は「眞心堅守福先來(真心堅守福先来)」と仰せられた。141)

上記の例文において水雲の道気長存(道氣長存)は真心堅守(眞心堅守)と対比される。上記の例文において道気長存(道氣長存)は真心堅守(眞心堅守)と対比して、力に対しては力で対抗する意味が強調される。力に対して力で対応することについて、『典経』は次のように言及する。

悪を悪で返すことは血で血を洗うようなものである。142)

悪を悪で返すなというからといって、『典経』においても不当な相手方の要求を聞き入れよと述べているのではない。むしろ典経では不当な要求を拒めないことを軟弱と批判する。ただし問題を解決するに際して、相克を相生で解かなければならないことを強調する。

東学思想と大巡思想の自生的近代性において、相克と相生が最も顕著に現れる部分は西洋と日本に関係する部分である。まず西洋の場合を見れば、

東有大聖人曰東學 西有大聖人曰西學143)

上記の例文において大巡思想は西学を東学と同じ聖人の列と見なす。西洋に対して大きな警戒心を表した東学思想と異なり、大巡思想は東洋と西洋を陰陽合徳の相生関係と見なす。マテオ・リッチのような場合は、東西洋の境界を貫いて天上の文明を地に伝えた人物としても現れる。実際、朝鮮後期実学においても西学に対して両義的態度があった。

朝鮮後期実学の代表的学派である星湖学派の学人たちの間に影響力を及ぼしたキリスト教思想は、大きく三種類の対応を引き起こしたと思われる。その第一は安鼎福の場合のように、科学としての西学では学ぶべきものがあると認めるが、宗教または哲学としてのキリスト教思想については明白に拒否する立場をとったものであり、第二はそれと反対にキリスト教思想を宗教として受容しそれを信仰する段階にまで進んだものである。星湖の弟子のうち信西派(信西派)と呼ばれる李檗(李檗、1754〜1786)、権哲身(權哲身、1736〜1801)、李承薰(李承薰、1756〜1801)、李家煥(李家煥、1742〜1801)らがこれに該当する。第三はキリスト教思想の刺激を古代儒教の本源的立場に回帰する契機として、自然と人間問題に対する新たな理論体系を確立しようとした努力である。朝鮮後期実学の代表的人物として挙げられる丁若鏞(丁若鏞、1762〜1836)の哲学がその第三の場合に該当する。144) 当時の代表的な学者であった丁若鏞は上帝と理気論は認めたが、天地神明の理論的基盤となる陰陽五行は否定したという。145)

次に日本の場合を見れば、甑山の化天以後最も早く実現された天地公事は「日本解冤」であった。146) 「犬のような倭賊めら」という東学思想に比して、大巡思想は日本は日本人であるから言葉遣いだけでも厚くするようにと述べる。147)

上帝はある日に仰せられて「朝鮮を西洋に渡せば人種の差別により虐待が酷くて生きていくことができず、清国に渡してもその民族が愚鈍であって後始末ができないであろう。日本は壬辰の乱以後、道術神明の間に隻が結ばれているから、彼らに任せてやれば隻が解けるであろう。それゆえ彼らに一時天下統一之気(一時天下統一之氣)と日月大明之気(日月大明之氣)を付与して使役させようとするが、一つだけ与えることのできないものがある。それはすなわち仁(仁)である。もし仁の字までも付与すれば、天下が皆彼らに帰すことになるから、仁の字を汝らに付与するから、よく守るように」と仰せられて「汝らは楽な人となるであろう。彼らは仕事ばかりするだけであるから、すべての事を明るくしてやれ。彼らは仕事を終えて去る時に賃金も受け取れずに空手で帰っていくから、言葉遣いだけでも厚くしてやれ」と仰せられた。

『典経』は日本との相克よりは、百済の敗亡とその後の壬辰倭乱までもつながる日本の解冤が成されて以後、朝鮮は中国の報恩を受けて上等国になり得る相生の道を、自生的近代性の歴史解釈として提示する。

東学思想と大巡思想の天人・地人関係の自生的近代性の比較

人道(人道)と神道(神道)の天人関係

大巡思想は「天命」と「神教」と称して、人間による人道(人道)と神明による神道(神道)を区分している。

上帝が九天にましました時、神聖・仏・菩薩らが、上帝でなければ混乱に陥った天地を正すことができぬと訴えたため、西洋(西洋)大法国天啓塔に降りられて三界を巡り見、天下を大巡されている途中で東土にとどまり、母岳山金山寺の弥勒金像に臨んで三十年を過ごされながら、崔水雲に天命と神教を下されて大道を立てさせ、甲子年に天命と神教を引き上げ、辛未年に自ら世に降りることに定められた。148)

神道と人道の核心的な差異は、神明は天地を構成する要素であるため、神道は構造的変化を伴うという点である。149) したがって天地公事と並行される神道は、天人関係の再定立という形で現れる。

神道(神道)をもって大小の事を治めれば、玄妙不測の功が成されるのであり、これがすなわち無為化である。神道を正して諸事を道義に合わせて、限りない仙境の運数を定めるであろうから、その度数が巡って至るに従って新たな基盤が開かれるであろう。

過ぎ去った壬辰の乱を崔風憲(崔風憲)が引き受けたなら三日に過ぎず、震默(震默)が当たれば三月を越えず、宋亀峰(宋龜峰)が引き受けたなら八か月で平定したであろう。これはただ仙・仏・儒の法術が異なるためである。昔は局面が狭く事が単純であったため、一つだけ用いても能く狂乱を正し得たが、今日は東西が交流して局面が広くなり事が複雑となり、すべての法を合わせて用いなければ混乱を能く正し得ぬであろう。150)

上記の例文において「運数が巡って至るに従って新たな基盤が開かれるであろう」という表現は、神明は天地を構成する要素であるため、神道は構造的変化を伴うことを表している。結局、大巡思想は東学思想が「天命」と「神教」という神道を十分に理解できず、神明をほとんど言及せず人道から大きく抜け出せなかったことを惜しむ。伝統的に人道は人為的な道、神道は自然法則のような自然の必然的な道という意味を持っている。大巡思想においてもまた、人道と神道に対する伝統的な区分に従っている。151)

東学思想において天外天の出現は画期的であったが、神明の存在と役割を説明できなかったので、天外天と人間の関係は儒教的な人道の範囲を抜け出せなかった。東学思想は人間として為し得る最善を尽くすことで、天外天と疎通する人道(人道)の道を選んだ。

ある日、従徒たちが上帝のお言葉に従って歴代の万古名将を考えながら書いていたが、京石が上帝に「創業君主も名将と申し上げてよろしいでしょうか」と尋ねたところ、上帝は「そうである」と仰せられた。京石が黄帝(黃帝)から湯(湯)・武(武)・太公(太公)・漢高祖(漢高祖)などを順に列記し、最後に全明叔(全明叔)を書いて上帝に奉呈すると、上帝は彼に「全明叔を最後に回したのはどういうことか」と問われ、京石が「文を左から見られれば全明叔が首位となります」と答えた。上帝はその言葉を是とされ、従徒たちに向かって「全明叔は万古の名将である。白衣の一寒士から起ち上がって能く天下を動かしたのである」と告げられた。152)

上記の例文において東学農民運動は賤人を優遇して両班にしてやろうとしたものであり、清・日戦争から露・日戦争、第一・二次世界大戦に至るまでの一連の事件の導火線となった。東学思想は当時のみならず今日においても、フランス大革命より真正な元祖の近代思想運動として評価されており、井邑では世界革命都市連帯会議が毎年開催されてもいる。しかし大巡思想では天人関係において天外天と直接疎通しようとする東学思想の人道(人道)よりも、天地神明とともに疎通する神道(神道)をより強調する。

水生於火 火生於水 金生於木 木生於金 其用可知然後 方可謂神人也

陰殺陽生 陽殺陰生 生殺之道 在於陰陽 人可用陰陽然後 方可謂人生也

人爲陽 神爲陰 陰陽相合然後 有變化之道也

不測變化之術 都在於神明 感通神明然後 事其事則謂之大仁大義也153)

上記の例文において人間は陽、神明は陰であり(人爲陽 神爲陰)、人間は陰陽を用いることができてこそ人間と言えるので(人可用陰陽然後 方可謂人生也)、154) 人間は神明とともに事を成し得て(感通神明然後 事其事)こそ、陰陽を用い得る人間としての最小条件を備えることとなる。

上帝は「先天では人間事物がすべて相克に支配され、世に怨恨が積もり結ばれて三界を満たしたため、天地が常道(常道)を失って様々な災禍が生じ、世は惨憺たるものとなった。それゆえ余が天地の度数を整理し、神明を調化して万古の怨恨を解き、相生(相生)の道で後天の仙境を建てて世界の民生を救おうとするのである。およそ大小の事を問わず、神道から冤を解かねばならない。まず度数を堅固にして調化すれば、それが基盤となって人事はおのずと成し遂げられるであろう。これがすなわち三界公事(三界公事)である」と金亨烈に仰せられて、その中の冥府公事(冥府公事)の一部に着手された。155)

上記の例文において「およそ大小の事を問わず、神道から冤を解かねばならない」という内容は、東学思想と西欧的近代性は神明と怨恨という部分を理解できなかったため、大小の事において成功的な結果を示せなかったことを明らかにしている。

大巡思想において儒教の特徴は維持凡節と言って、神明を強調しない人間中心の教理体系と見なされる。実際、儒教は伝統的に敬而遠之(敬而遠之)と言って、神明を認めるが(敬)親しまない(遠之)という伝統を固守してきた。156)

三界観の再定立が天人関係と連結されるのは、調理と気化という神人関係の再定立を通じてである。九天の人身降世以後、調理と気化は今や相克を相生に変えることができるようになり、神明の調化と人間の解冤を人を通じて可能にする。

天外天の出現を強調する東学思想と九天の人身降世を強調する大巡思想が違いとして、共感を通じた人間の矛盾仲介、すなわち人間が陰陽を用いることは人間の調理と神明の気化を通じてである。邵康節は『典経』のように、心の共感と正義を通じて人間が神明を調理し得ることを示している。

心急道儒(心急道儒)と道通君子(道通君子)の地人関係

東学思想と大巡思想の地界観(地界觀)において最も際立つ差異点は、大巡思想の開闢は金剛山を通じて一万二千君子の道通とその以後の道通真境を明示するという点である。神明を介入させない東学思想において道の実現は社会的実践として現れた。当時の社会において道の実現は、百姓も王侯将相になり得るという現世的欲望であった。東学思想を実践する人々にとって天外天出現の意味は心急道儒(心急道儒)に帰結した。157)

心急道儒は末期の著作と推定される『東経大全』「歎道儒心急(歎道儒心急)」に現れる東学教徒に対する水雲の当付を伝える対象を指す。158) 水雲は東学教徒を道儒(道儒)と呼んできており、修道の結果が早く現れるよう望む東学教徒を心急道儒と呼んで、この詩を通じて戒めている。159)

山河大運 盡歸此道 其源極深 其理甚遠 山河大運 尽帰此道 其源極深 其理甚遠

固我心柱 乃知道味 一念在玆 萬事如意 固我心柱 乃知道味 一念在茲 万事如意

消除濁氣 兒養淑氣 消除濁気 児養淑気

非徒心至 惟在正心 隱隱聰明 仙出自然 非徒心至 惟在正心 隠隠聡明 仙出自然

來頭百事 同歸一理 来頭百事 同帰一理

他人細過 勿論我心 我心小慧 以施於人 他人細過 勿論我心 我心小慧 以施於人

如斯大道 勿誠小事 臨勳盡料 自然有助 如斯大道 勿誠小事 臨勳尽料 自然有助

風雲大手 隨其器局 玄機不露 勿爲心急 風雲大手 随其器局 玄機不露 勿為心急

功成他日 好作仙緣 心兮本虛 應物無迹 功成他日 好作仙縁 心兮本虚 応物無迹

心修來而知德 德惟明而是道 心修来而知徳 徳惟明而是道

在德不在於人 在信不在於工 在徳不在於人 在信不在於工

在近不在於遠 在誠不在於求 在近不在於遠 在誠不在於求

不然而其然 似遠而非遠 不然而其然 似遠而非遠

一方、九天の人身降世によって神明が導入される大巡思想には、現世の地上神仙と地上天国を実現するが、東学思想のように王侯将相を欲速不達に望むのではなかった。160) 大巡思想は遠く後天まで見通す長期的な視野で日常に忠実であった。後天を考える大巡思想には、東学思想には現れない金剛山と開闢以後の道通君子の出現を明示し、道通君子の輩出を志向するのが真東学であるという。161) 大巡思想の三界観は道通君子の輩出を優先課題として志向するため、地人関係(地人關係)も道通君子を中心に展開される。東学思想の地人関係(地人關係)において道通君子と金剛山は明示されないが、人傑は地霊であるという句と神仙に対する言及として現れる。

「全国両班作り」の実践的事例となった東学思想がさらに「全国王侯将相作り」までと平等思想の実践強度を極大化したが、『典経』では水雲が儒教の典憲を越えられなかったと解釈している。162)

上帝はある日、金亨烈に仰せられて「西洋人マテオ・リッチ(利瑪竇)が東洋に来て地上天国を建てようとしたが、長く根を張った儒教の弊習により容易に改革できず、その意を遂げることができなかった。ただ天上と地下の境界を開放し、それぞれの地域を固く守って互いに行き来できなかった神明を相互に往来させ、彼は死後に東洋の文明神(文明神)を率いて西洋に行き文運(文運)を開いたのである。これより地下神は天上のあらゆる妙法を見習って人世にそれを施した。西洋のあらゆる文物は天国の模型を象ったものである」と告げられて「その文明は物質に偏って却って人類の傲慢を助長し、ついに天理を揺るがし自然を征服しようとするところから、あらゆる罪悪を絶え間なく犯して神道の権威を堕としたため、天道と人事の常道が違えられて三界が混乱し、道の根源が断たれることとなった。そこで原始のあらゆる神聖と仏と菩薩が会集して、人類と神明界のこの劫厄を九天に訴えたため、余が西洋(西洋)大法国(大法國)天啓塔(天啓塔)に降りて天下を大巡(大巡)していた途中、この東土(東土)にとどまり、母岳山金山寺(母岳山金山寺)三層殿(三層殿)弥勒金仏(彌勒金佛)に至り三十年を過ごし、崔済愚(崔濟愚)に済世大道(濟世大道)を啓示したが、済愚が能く儒教の典憲を越えて大道の真意を明らかにできなかったため、甲子(甲子)年についに天命と神教(神敎)を引き上げ、辛未(辛未)年に降世したのである」と仰せられた。163)

上記の例文において「大道の真意」は、物質に偏り人類の傲慢を助長した西洋の近代性に対する代案的近代性として、大巡思想は東学思想の趣旨を儒教を越えた思想として提示している。系統発生を個体発生が反復するように、「大道の真意」は儒教を越えてすべての理の長所のみを集めた新たな真理でなければならなかった。したがって東学が具現できなかった真東学は、「全国王侯将相作り」の近代性を越えて、「地上神仙」を実現することであった。

上帝はある日、京石を連れて籠岩(籠岩)を発って井邑に向かう途中、院坪の酒幕に立ち寄り通りすがりの行人を呼んで酒を買って勧め「この道は南朝鮮の船路である。荷を多く積んでこそ出発し得るのである」と仰せられ、再び道を急いで三十里になる所に至り「大陣(大陣)は一行三十里である」と仰せられ、古阜松月里(松月里)崔(崔)氏の斎室に居住する朴公又(朴公又)の家に逗留された。公又と京石に仰せられて「今や会うべき人に会ったので、通精神(通精神)が出てくる。余の事はたとえ父母兄弟であっても知らぬことである」また「余は西洋(西洋)大法国(大法國)天啓塔(天啓塔)に降りて天下を大巡していた途中、三界の大権を持って三界を開闢し仙境を開き、死滅に陥った世界の蒼生を救おうとして汝ら東方を巡回していた途中、この地に留まったのは、すなわち惨禍の中に埋もれた無名の弱小民族をまず助けて、万古に積もった冤を解いてやろうとするためである。余に従う者は永遠の福禄を得て不老不死し、永遠の仙境の楽を享けるであろうから、これが真東学である。弓乙歌(弓乙歌)に「朝鮮江山(朝鮮江山)名山(名山)である。道通君子(道通君子)が再び生まれる」とあるが、これもまた余の事を言うのである。東学信者の間に大先生(大先生)が更生するであろうと伝えられているが、これは代先生(代先生)が再び生まれるという言葉であり、余がすなわち代先生(代先生)である」と仰せられた。164)

上記の例文において東学の本来の趣旨は、儒教的な「反封建反外勢」を主張することを越えて、新たな世界である後天へと向かう自生的近代性、すなわち真東学へと発展することとして現れる。

新たな世界である後天は地上神仙と道通君子の世界であり、地上神仙は陰陽関係である地と人間のもう一つの陰陽合徳の様態である。地上神仙の口号は今日現実として現れている。これまで東学思想と大巡思想に現れた自生的近代性に対する研究において注目されてこなかった陰陽五行という相関的思惟を導入すれば、地上神仙は次のように地と人間の陰陽合徳関係として理解し得る。

天地人三才概念から人間は天地と同格として見なされてきたが、人間がなぜ天地と同格であり得るのかに対する説明はほとんどなかった。大巡思想は人間が天地と互換され得て、人間が在ってこそ天地が成功し得るという、天地媒介の人間中心性を神人調化として明確に言及する。大巡思想において人間は天地に比して規模や機能が比較できぬほど小さいが、天と地の二つの姿を陰陽として結合しているという点で、天地と互換し得る人間は有機的に天地と同格の存在となる。大巡思想以前に人間は三才、三界を通じて人間の地位を形式的にのみ天地と同等化していた。大巡思想出現以前には実際に天地に比べて人間は塵のような存在であった。人間の道通を通じて人間は天地を媒介させ互換させる存在になり得るというのが、大巡思想の地人関係(地人關係)の特徴である。

大巡思想は東学から東学農民革命を経て甑山思想に至る過程を、作乱(作亂)、動乱(動亂)、治乱(治亂)という調化の過程として表現したことがある。165) 東学思想において始まった「調化」という概念の相関的思惟を「リミナリティ」として解釈すれば、実際に相関的思惟が集約された三界観概念を中心に、東学と真東学としての大巡思想に現れた近代性を比較し得る。真東学を主張した大巡思想は実際に東学思想に比して、陰陽合徳、三才確立、五行具備という初期無極道趣旨書から陰陽五行を思想的自生性として具体化している。166)

結論

東学農民運動は今日フランス大革命に比肩する近代的運動として再評価されており、大巡思想は東洋の伝統的な思惟体系で近代以後の世界変化を説明し得る思想として注目されている。本稿は東洋哲学の思惟方法としての「東学(東学)」という概念を中心に、両思想がそれぞれ天観・地観・人間観の再構成を通じて、東アジアの自生的(自生的)近代性を構築したことを立証しようとした文である。

本稿で明らかにした一連の議論を要約すれば以下の通りである。危機に瀕した西洋近代性の代案は、東学思想と大巡思想の天観・地観・人間観が示す代案的近代性に見出し得る。その理由は、西洋近代性危機の原因は万物の変化を実体としてのみ見る西洋の内在性にある一方、東洋は万物の変化を属性として説明する相関的思惟を持っているからである。西洋の脱近代性理論は長い議論の末に、東洋の合理性を相関的思惟とリミナリティで説明することとなった。これにより東学思想と大巡思想が構築した新たな代案的天観・地観・人間観は、相関的(相関的)思惟のリミナリティ(Liminality)で説明し得る。

リミナリティは敷居、境界の意味で、通過儀礼における境界の通過、すなわち変化のために相互対立する二要素をすべて含めて相互対立を調和することであり、陰陽の調和を追求する東洋思惟のカオス的な(Chaos)動態的特性を表す。一方、相関的思惟は万物が相互に連結されているというフラクタル的な(Fractal)静態的特性を表す。二つの特性を総合する相関的思惟のリミナリティによって、東西洋の天地人は相互に連結される。天地は人間にとって君師父のような存在となる。人間関係においても臣下、弟子、子は君師父の意を奉じて実現する存在であるように、人間は天地から恩恵を受け恩恵を返し、天地のような能力を学ぶ与天地同の存在となる。

東学思想において天師問答(天師問答)が成された時、天外天(天外天)の趣旨は、天地人の三界に相関的思惟のリミナリティを再活性化することにあった。これにより東学思想では、天外天の出現に基づく天観・地観・人間観を新たに提示する。東学思想が新たに提示した天観・地観・人間観は、侍天主(侍天主)の天観、造化定(造化定)の地観、永世不忘(永世不忘)の人間観で構成される。東学思想の三界は再び鬼神論的天地関係に基づき、気化論的(氣化論的)天人関係、王侯将相の地人関係(地人關係)で相互に交流する。しかし東学思想の天観・地観・人間観は儒教の典憲を十分に越えられず中断される。

これに対し大巡思想は九天の人身降世に基づき、神明と怨恨概念を導入し、神人依導的(神人依導的)三界観で東学の天観・地観・人間観に現れる儒教の典憲を克服する。大巡思想は人身降世の天界観、天地誠敬信の地界観、成事在人の人界観を提示する。大巡思想の三界は与天地同(與天地同)の原理で相互に交流し、地上天国の天地関係に基づき、天地報恩の天人関係と地上神仙の地人関係を構築して、これを天地公事と修道で実現する。

東学思想と大巡思想は共通して相関的思惟の再活性化(Revitalization)を通じてリミナリティを成し、自生的近代性を提示する。東学思想が短期的なリミナリティに偏って再活性化の進入に寄与したとすれば、大巡思想は東学思想が失敗した場で東学思想を再活性化して真東学を提示する。これにより東学思想は作乱(作亂)と胞胎(胞胎)のリミナリティという自生的近代性の属性を持ち、大巡思想は治乱(治亂)と官旺(官旺)のリミナリティという自生的近代性の再活性化を表す。

大巡思想が再活性化した東学思想の相関的思惟は、大巡思想の天観・地観・人間観の再構成においてより具体的に現れる。大巡思想の相関的思惟は陰陽合徳、三才確立、五行具備として現れる。大巡思想は東学思想と異なり、天界観において太乙呪を通じて無極、太極を定立し、理法天(理法天)と人格天の陰陽合徳を成し天文を再定立する。また三神山と父母山、山王(山王)と海王(海王)を再定立して地の地理を再構成する。これは人間に連結され血統脈を正し、解冤を通じて皇極神と冥府など神明界も一致させる。

宗教人類学のリミナリティと再活性化が儀礼にのみ留まり得る不完全な通過儀礼であるならば、政治と教化が合わさった大巡思想の通過儀礼は、実践にまでつながる通過儀礼として実際に今日まで脈々と続き、大巡真理会の実体として連結されている。これは道教の同時性、過程哲学の仏教、相関的思惟の儒教などとも調和し、東西洋の近代性が調和される自生的近代性を成している。

両思想に現れた自生的近代性を細部にわたって要約すれば以下の通りである。今日大衆にとって近代性は「世俗化」を意味するが、「近代性」研究者にとって近代性はむしろ「聖(聖)と俗(俗)の再配置」、すなわちリミナリティ(liminality)による神性(神性)の強化であった。今日「世俗化」の代表的事例である西欧の近代性ですら、始まりはカルヴァンの救援予定説とデカルトのコギト・エルゴ・スム(Cogito ergo sum、我思う、ゆえに我あり)であった。「近代性」が人類史上の数多の変化の中でも最大の変化であったのは、近代性が最初はカルヴァンやデカルトのように物質と精神に跨る「聖と俗」の永久的かつ巨大な変化、すなわち神性の強化であったからである。しかし近代性は当初の趣旨とは反対に俗(俗)のみを強調する世俗化に変わり、地上で神性が消える危機にまで直面した。

東学思想と大巡思想は脱近代性の現代哲学と比較され、東アジアの自生的近代性として学界において早くから個別的に多く論議されてきた。しかし既存の自生的近代性論議は、西欧近代性と共有する東洋的起源を強調しなかった。あわせて両思想は「東学(東学)」という概念に現れた自生的近代性の形式と原理の側面において、相互に比較研究されなかった。本稿は「聖(聖)と俗(俗)の再配置」という多重的近代性概念に基づき、相関的思惟という東洋の哲学的思惟方法で天観・地観・人間観において成した両思想の自生的近代性を比較し、両思想の思想的価値をより明確に示そうとした。

「世俗化」であれ「聖俗の再配置」による「神性の強化」であれ、近代性は政治的民主化、経済的産業化、文化的多様化として現れる。今日、植民地国家としてはほぼ唯一上記三つすべてを成した韓国の場合、他国では見られない自生的近代性があった。それがすなわち東学思想と大巡思想に代表される天外天(天外天)思想である。天外天(天外天)思想は帝国主義侵略前にマテオ・リッチが提起した問題に対する答弁であった。マテオ・リッチは東アジアの天観・地観・人間観は天地人の属性的特性のみが強調される理法化(理法化)が過度に強調されて、天外天(天外天)の人格神的特性を失ったと批判した。これに対して東学思想と大巡思想はそれぞれ天外天の出現と九天の誕降という概念を通じて、東西洋の天観・地観・人間観を統合した自生的な聖俗(聖俗)の再配置を答弁として提示した。相関的思惟に基づく天外天である両思想の九天は、東西洋の天・地・人の長所を統合し得た。

両自生的近代性に対する比較の細部的方法論として、本稿はグレアム(A.C. Graham)らの相関的思惟論、ヴィクター・ターナー(Victor Turner)のリミナリティ(liminality)理論、アンソニー・ウォレス(Anthony Wallace)の再活性化(revitalization movement)理論など三つの方法論を用いた。三理論を同時に適用する理由は、三理論が比較研究において相互に有機的に作用するためである。第一に、相関的思惟論は東洋と西洋の思惟方式の認識論的差異を明確に示して、自生的近代性と近代性の差異を明確に示す。第二に、聖俗(聖俗)の再配置という近代性において再配置過程の説明にはリミナリティ理論が有効であり、第三に、再配置過程に現れた伝統の継承に対する説明には再活性化理論が有用である。

実体を重視する西洋思想の天観・地観・人間観が分化的(分化的)であるとすれば、属性を重視する東洋思想の天観・地観・人間観はそれぞれ同化的(同化的)、凝縮的(凝縮的)、接化的(接化的)特性として現れる。これに対し東学思想は超越天の天観、そしてそれに従う地の気化(氣化)、そして人乃天的人間観を提示して、東西洋の統合を試みた。黄帝から起源を取る東アジア四千六百余年の文明史において初めて出現した東学の天外天は、当時の朝鮮社会に大きな反響を呼び起こし、大規模農民運動にまで発展した。しかし儒教の限界を越えられなかった東学思想は、むしろ大きな作乱(作亂)と動乱(動亂)として残ることとなった。

これに対し大巡思想は九天(九天)の人身降世(人身降世、Incarnation)という前提のもと、天地神明の概念を導入し、東学思想が提示した天観・地観・人間観を再び再活性化した。大巡思想は解冤相生・報恩相生という宗教的法理で東学思想を再解釈し、日用事物にまで適用し得る相関的思惟で、天地と神明が気化論(氣化論)的に結合した自生的近代性を構築した。陰陽合徳・神人調化・解冤相生・道通真境という大巡思想の原理に従い、大巡思想は三界(三界)、後天(後天)、相生(相生)、神道(神道)、地上天国(地上天国)、地上神仙(地上神仙)などのような自生的近代性の天観・地観・人間観を提示した。

以上の議論に基づく本研究の価値と意義は以下の通りである。第一に、本研究は危機に瀕した今日の西欧の近代性に対する代案的近代性として、両思想の自生的近代性を提示した。東学思想と大巡思想の自生的近代性言説は、今日少数言説ではあるが、世界に残る唯一の東アジア相関的思惟の近代性言説である。哲学史において危機の時代は少数言説が主流言説に変わる事例が多くあった。特に気候危機、核脅威など近代性の総体的危機に対する代案的近代性の不在により人類絶滅を悩む今日、東学思想と大巡思想の自生的近代性は、東西古今の天観・地観・人間観の長所を相関的思惟のリミナリティで統合した言説として、日常の中で実践可能な代案的近代性を提示し得る。

第二に、本稿は停滞した東アジア近代性の成長に対する解決方案として、相関的思惟の再活性化を提示した。過去150余年間、九天上帝を頂点とする神道(神道)を主張して西欧の近代性を学んできた東アジア、特に韓・中・日三国は、いつしか経済面では西欧を凌駕した。しかしもはや西欧から学ぶことがなくなった東アジアは、今や新たな成長のために自生的近代性において新たな成長のモデルを見出すことになった。これにより東アジア三国の中で唯一相関的思惟に基づき自生的近代性を構築してきた東学思想と大巡思想は、東アジアで失われた近代性を取り戻すモデルを提示してくれる。これは共同体のみならず、アイデンティティ混乱に伴う東アジアの個々人にも適用可能であり、比較至上主義文化の西欧的近代性を克服し自生的近代性で新たな生存戦略を構築させ得る。

第三に、本稿は東学思想と大巡思想に対する東西古今の比較思想的理解に一助となり得る。天観・地観・人間観を中心に両思想の自生的近代性を西洋の近代性と比較する本研究は、両思想に内在する意義と価値をより容易に理解させてくれる。東学思想と大巡思想は既存の東西洋思想と今日の科学思想との比較を通じて、その特性がより容易に理解される。

あわせて本研究の限界は以下の通りである。第一に、本研究は自生的近代性に対して相関的思惟の天観・地観・人間観に偏り、既存の近代性に対する研究を十分に受容できなかった。近代性は総体的な現象であり、相関的思惟以外にも生態学分野に至るまで多様な分野で研究されてきた。今後、自生的近代性もまた既存の近代性研究の成果に基づく後続研究が必要である。

第二に、本研究は天観・地観・人間観の広範な研究領域により、細部的議論が不足した。研究の方法論を中心に要約的に両思想を比較した本研究は、学際的研究で補完される必要がある。

第三に、本研究は相関的思惟の自生的近代性が成功的に具現される具体的な実例に対する紹介が不足した。相関的思惟の自生的近代性が実際に代案的近代性として適用され得るには、多様な適用事例と研究モデルが必要である。

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脚注

  1. 76)『朱子語類』 卷3、中華書局、33頁。「鬼神事自是第二著。那箇無形影底、是難理會底。末消去理會、且就日用緊切處做工夫」。
  2. 77)崔鎮德、「朱子学の理気論と鬼神論」、『陽明学』23、韓国陽明学会、2009。pp.381-382。
  3. 78)『典経』「行録」2-16。
  4. 79)『典経』「行録」1-2。
  5. 80)『典経』「公事」3-6。
  6. 81)『典経』「教運」1-9。
  7. 82)崔水雲は自身の七代祖である崔震立(震立)が壬辰倭乱、丙子胡乱の際に多くの功を立てて戦死し、死後に兵曹判書の官職と貞武公の諡号を受けたことに対して自負を抱いており、「安心歌」では「犬のような倭敵(倭敵)めら」、「これもまた仇である」という表現を通じて日本を敵対的関係に設定していた。(朴光洙、『韓国新宗教の思想と宗教文化』ソウル: 集文堂、2012、pp.199-201)。
  8. 83)『典経』「預示」74。
  9. 84)『典経』「預示」57。
  10. 85)『典経』「公事」2-4。
  11. 86)姜敦求、『韓国近代宗教と民族主義』、ソウル: 集文堂、1992。; 朴宰賢、「韓国近代時期大巡思想の特質 - 超民族主義と近代および脱近代価値を中心に」、『大巡思想論叢』24、2014。
  12. 87)黄宗源、「20世紀初葉天道教の人乃天教義および心性論に対する批判的研究」、『大同哲学』44、2008、pp.92-93。
  13. 88)『典経』「教法」3-47。事之當旺在於天地、必不在人、然無人無天地、故天地生人用人、以人生 不參於天地、用人之時何可曰人生乎。いかなる事が成し遂げられるのは、その根本原因が天地にあるのであって必ずしも人にあるのではない。しかし人がなければ天地が無用であるから、天地(天地)が人を出してその人を用いるのである。然らば、天地が人を用いようとする時、人が天地の意に従わなければ、どうしてこれを人生と言い得ようか。(教務部、「天地生人用人」、『大巡会報』13、1989)
  14. 89)李京源、「大巡真理の近代性と変革思想」、『東学学報』9(2): 43。2005。
  15. 90)李京源、『大巡宗学原論』、ソウル: 文史哲、2013。
  16. 91)『典経』「教運」1-66。
  17. 92)『典経』「教運」1-30。
  18. 93)『大巡真理会要覧』「趣旨」。
  19. 94)『典経』「教運」1-19。
  20. 95)『典経』「教運」1-9。
  21. 96)『典経』「公事」1-3。
  22. 97)『典経』「教法」3-47。事之當旺在於天地、必不在人。いかなる事が成し遂げられるのは、その根本原因が天地にあるのであって必ずしも人にあるのではない。(教務部、「天地生人用人」、『大巡会報』13、1989)
  23. 98)『典経』「教法」3-47。萬事分已定 浮生空自忙、すべての事は分が既に定められているのに、世の人々が無駄に自ら忙しく動いている。(教務部、「万事分已定」、『大巡会報』148、2013)
  24. 99)『大巡真理会要覧』、p.7。
  25. 100)『典経』「教運」2-42。
  26. 101)『典経』「教運」1-9。
  27. 102)『典経』「教運」1-9。
  28. 103)『典経』「教運」1-66。
  29. 104)『典経』「教運」1-19。
  30. 105)『大巡真理会要覧』、p.20。
  31. 106)『典経』「公事」1-11。
  32. 107)『典経』「教運」1-9。
  33. 108)『典経』「教運」1-9。
  34. 109)『典経』「行録」1-10。
  35. 110)『典経』「教法」1-54。
  36. 111)『典経』「教法」3-35。
  37. 112)『典経』「教法」1-42。
  38. 113)『典経』「済生」43。
  39. 114)唐玄善、『ジルベール・デュランの想像界研究』、弘益大学校大学院修士学位論文、2009、pp.28-30。
  40. 115)朴正鎮、『(芸術人類学序説)韓国文化 心情文化』、未来文化社、1990、pp.130-146。
  41. 116)陰陽五行説には肯定的側面と否定的側面が共にあり、西洋学者たちの場合には陰陽五行を最大限客観的に評価して、少なくとも原始的形態の科学程度には評価する。代表的な人物としてマルセル・グラネ、アンガス・グレアム、ベンジャミン・シュワルツ、ジョセフ・ニーダムなどを挙げ得る。(金基、「陰陽五行説の朱子学的適用様相に関する研究」、成均館大学校博士学位論文、2012、p.4) 一方、むしろ東洋の学者たちは反対に陰陽五行をより迷信的なものと見なすという。(方仁、「古代中国の宇宙論の一形態としての陰陽五行説」、『宗教研究』4、1988、p.71)
  42. 117)『典経』「教運」1-9。
  43. 118)『典経』「公事」3-14。
  44. 119)『典経』「公事」2-1。
  45. 120)『典経』「行録」3-53。
  46. 121)『典経』「済生」43。
  47. 122)李御寧、『デジログ: 韓国人が率いる先端情報社会、その未来を読むキーワード』、ソウル: 思考の樹、2006。
  48. 123)『典経』「預示」46。
  49. 124)金芝河、『(美学講義)白い陰の美学を訪ねて』、ソウル: 実践文学社、2005。; 金益斗、「東アジア思想の中の和解と相生 — 韓国の近現代全北の思想運動とその展開様相」、『第93回東アジア古代学会学術大会資料集』、2023。
  50. 125)『典経』「教運」1-66。
  51. 126)『大巡真理会要覧』、「訓誨」。
  52. 127)『大巡真理会要覧』、「信条」。
  53. 128)『典経』「教運」1-6。
  54. 129)『龍潭遺詞』、「道徳歌」。
  55. 130)『東経大全』、「座箴」。吾道博而約 不用多言義 別無他道理 誠敬信三字。我が道は広くして簡約であり、多言を用いることなく、別に他の道理はなく、誠・敬・信の三字である。
  56. 131)A. N. Whitehead, D. R. Griffin and D. W. Sherburne, 『Process and reality』, New York: Free Press, 1929。pp.10-11。ロジャー・エイムス、デイヴィッド・ホール著; 張元錫訳、『日常事に焦点を合わせる: 『中庸』の翻訳と哲学的解釈』、城南: 韓国学中央研究院出版部、2019。pp.50-51から再引用。
  57. 132)南孝温著、朴大鉉訳、『秋江集』、ソウル: 民族文化推進会、2007、巻5、35b。
  58. 133)韓国思想史研究会、『朝鮮儒学の概念たち』、芸文書院、2002。
  59. 134)金潤暻、『韓国道教史』、ソウル: 文史哲、2020。
  60. 135)『典経』「済生」43。
  61. 136)『典経』「済生」43。
  62. 137)高懐民著、郭信煥訳、『邵康節の先天易学』、ソウル: シムサン、2007。
  63. 138)実際、元亨利貞という概念は春・夏・秋・冬、朝・昼・夕・夜、初年・壮年・中年・老年のように循環する周期の四つの共通した属性を称する語として使用されている。元亨利貞は無限重畳循環のように、一事一物にも元亨利貞があり、万事万物にも元亨利貞があるという。(尹龍男、「朱子(朱子)理説(理說)の再構成」、『東洋哲學硏究』8、1988、pp.52-54)
  64. 139)崔鎮德、「朱子学の理気論と鬼神論」、『陽明学』23、韓国陽明学会、2009、pp.381-383。
  65. 140)道氣長存邪不入 世間衆人不同歸。道の気運を長く保存して邪なるものは入らず、世間の衆人と同じく帰することがない。
  66. 141)『典経』「教法」2-3
  67. 142)『典経』「教法」1-34
  68. 143)『典経』「行録」5-38。東有大聖人曰東學 西有大聖人曰西學。東に大聖人ありて東学と曰い、西に大聖人ありて西学と曰う。(教務部、「石屏風」、『大巡会報』119、2011)
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  73. 148)『典経』「預示」1。
  74. 149)「神道」を窮極的実在と見て、解冤相生の根拠と見ることもある。(金義性、『大巡思想の哲学的探究』、成均館大学校博士学位論文、2017)
  75. 150)『典経』「預示」73。
  76. 151)『大巡指針』1章1節。
  77. 152)『典経』「公事」1-34。
  78. 153)『典経』「済生」43。水生於火 火生於水 金生於木 木生於金 其用可知然後 方可謂神人也。陰殺陽生 陽殺陰生 生殺之道 在於陰陽 人可用陰陽然後 方可謂人生也。人爲陽 神爲陰 陰陽相合然後 有變化之道也。不測變化之術 都在於神明 感通神明然後 事其事則謂之大仁大義也。水(水)が火(火)から生じ、火(火)が水(水)から生じ、金(金)が木(木)から生じ、木(木)が金(金)から生じる、その用(用)を知り得て後、初めて神人(神人)と謂い得る。陰を殺せば陽が生き、陽を殺せば陰が生きるから、生殺(生殺)の道は陰陽にある。人が能く陰陽を用い得て後、初めて人生と謂い得る。人は陽となり神は陰となるから、陰陽が互いに和合した後にこそ変化の道がある。不測の変化の方術(方術)は皆神明(神明)にあるから、神明に感通(感通)した後にその事を成せば、これを大仁大義(大仁大義)と謂う。(梁武穆、「救援真理としての陰陽合徳と民主主義」、『大巡思想論叢』2、1997、p.175-176)
  79. 154)大巡思想において強調され追求される陰陽概念は、正陰正陽(正陰正陽)と調和を通じた合徳(合徳)を主唱するものであり、それを通じて理想世界が建設され得ることを示すという。(李虎烈、『大巡思想の陰陽論に関する研究』、大真大学校修士学位論文、2015)
  80. 155)『典経』「公事」1-3。
  81. 156)樊遲問知, 子曰: 「務民之義, 敬鬼神而遠之, 可謂知矣」。(『論語』「雍也」)
  82. 157)柳智淵、「黄玹(1855-1910)の東学に対する認識と批判: 『梧下記文(梧下記文)』を中心に」、『梨院学術論集』2、2004、pp.1-54。
  83. 158)金基承、「水雲崔済愚著作の年代記的検討」、『東学学報』3、2002、pp.159-162。
  84. 159)山河の大運がすべてこの道に帰するから、その源が最も深くその理が甚だ遠い。我が心柱を堅固にしてこそ道の味を知り得て、一念がここに在ってこそ万事が意の如くなろう。濁った気を払い清き気を幼児を育てるが如くせよ。ただ心が至るだけでなく、ただ心を正しくすることに在る。隠然たる聡明は自然に神仙の如く出て、来たる諸事は一理に帰するであろう。他人の小さな過ちを我が心に論ぜず、我が小さな知恵を人に施せ。かくの如き大道に小事に精誠を尽くすな。大事に当たって深く料れば、自ずと助けがあろう。風雲の大手はその器局に従うのである。玄妙なる機は現れぬから、心を急にせず。功を成す他日に良き仙の縁を作ろう。心は本来虚にして物に応じても跡がないのである。心を修めてこそ徳を知り、徳を惟だ明らかにすることが道である。徳にあって人にあるのではなく、信にあって工にあるのではなく、近きにあって遠きにあるのではなく、誠にあって求めるにあるのではないから、そうでないようでありながらそうであり、遠いようでありながら遠くないのである。『天道教経典』
  85. 160)『典経』「公事」3-41。
  86. 161)『典経』「権智」1-11。
  87. 162)金尚俊、「全国が両班になる-朝鮮後期儒教的平等化メカニズム」、『社会と歴史(旧韓国社会史学会論文集)』63(0)、2003、pp.5-29
  88. 163)『典経』「教運」1-9。
  89. 164)『典経』「権智」1-11。
  90. 165)『典経』「教法」3-30; 高南植、「朝鮮末期姜甑山の歴史認識と朝鮮観」、『東アジア古代学』59、2020、pp. 239-270. 259。
  91. 166)村山智順、「無極道趣旨書」、『朝鮮の類似宗教』。大邱: 啓明大學校 出版部。1991。