Ⅳ · 2. 神人調化と経済倫理の再生

神人調化に基づく回帰的(回帰的)社会契約主義分配観を経済倫理と関連して考察すると、回帰的(回帰的)社会契約主義分配観は、今日、菩薩資本主義を発展させた社会契約主義が意図せずもたらした経済倫理の失踪を、循環の力によって再生させる。

最初、正義の実現という経済倫理の問題を解決しようとして成立した仏教は、儒教の力に押されて循環論に偏っていたところ、西洋に伝播して西教の積極的博愛精神と結合し、カント主義のような社会契約主義へと発展し、人類の経済倫理を大きく振作する。しかし、社会契約主義が振作させた人類の経済倫理は、西教が持つ循環性の不足によってかえって大きく後退し、倫理的欲望は肥大して現実的反映は貧弱な倫理的虚無主義へと転落する。融通の利かない社会契約主義がもたらす精神的疲弊によって、人類は正義の拡大という経済倫理を喪失し、上流層では極端な相対主義、一般人はアノミーに埋没する。資本主義を生きる現代人は、不義と妥協し、倫理的自負心に傷を負い、辛うじて一日一日を耐え抜き、何の積極的正義も実現できずにいる。

人類の経済倫理の危機に対して、大巡の回帰的社会契約主義は、ただ市場で他人より損をしない正義のみを正義と規定した西洋の社会契約主義とは異なり、経済の循環性に立脚して、制度の基礎構造改革という正義の原初的な力の復活を、現代の経済倫理危機の代案として提示する。ここまで論じてきた大巡の回帰的社会契約主義を考察すると、回帰的社会契約主義は、第一に、菩薩資本主義の循環的経済動機回復思想をまず強調し、第二に、社会契約主義の経済倫理再生の問題点を循環性の危機として診断し、第三に、社会契約主義的分配観の経済倫理危機の代案として神人調化を提示し、第四に、社会契約主義が神人調化思想によって変化した回帰的社会契約主義がいかなる形態かを示す。

まず、大巡の回帰的社会契約主義が菩薩資本主義の循環性重視の分配観を復活させて経済倫理を振作させることを考察すると、大巡思想において分配は循環の結果であるため、循環を妨げない限り、分配に対する欲望は回帰性(回帰性)によって極めて強調される。

上帝は卑賤な人にも必ず敬語を使われた。金亨烈は、自分の下男である池南植に対するたびに敬語を使われる上帝に接するのが極めて畏れ多く、「この者は私の下男ですから、お言葉を下げてくださいませ」と請うた。これに上帝が「その人はあなたの下男であって、私と何の関係があろうか。この田舎では幼い頃から習慣となって言葉を改めるのは難しかろうが、他の村に行っては、どんな人に対しても皆敬え。以後は嫡庶の名分も班常の区別もない」と告げられた。(『典経』教法一章十節)

上文は、基本的正義に関する社会契約主義的分配観を認めている。基本的正義はまた、公正な機会均等へとつながる。[585]仏教の因果応報のような縁起論のように、循環論である大巡思想においても、捨てられて名色のなかったことを原因として、機会が公平に巡る。公正な機会均等は、自尊感の社会的基礎の土台となる。過去の韓国の身分制度はインドに匹敵したが、韓国はカースト制度が残るインドに比べてほとんど身分制度が残っておらず、先進国である英国・米国・日本などと比べても最も民主化された国と数えられている。『典経』が記録された当時、嫡庶の名分と班常の区別をなくすということは信じがたい事実であったが、歴史は『典経』と一致する方向へ流れていった。東洋の古典的な「年長者尊重」という観念のために、大巡の分配観をしばしば階層的な分配観と誤解するが、大巡思想の分配観は、循環を前提とする限り、社会契約主義分配観よりもさらに積極的である。

次に、大巡の回帰的社会契約主義が社会契約主義の経済倫理再生の問題点を循環性の危機として診断することを考察すると、大巡思想において公正(公正)は経済循環のための核心的鍵であるため、外面の収拾など共同体的参与を否定する社会契約主義的人事(人事)を極めて批判する。

このように万事が解けた後、上帝が京五に「私はあなたに銭七十両があることを知って請求したのに、なぜそのように欺くのか」と仰せになると、彼は正色して「本当にございませんでした」と申し上げた。その翌日、京五の家に火賊が入り、その銭をすべて失った。その事実を聞かれて上帝が仰せられた。「その銭に咎神(척신)が犯していることを知って、蒼生を救おうとして請うたのに、彼は聞かなかったのである。」(『典経』行録三章十六節)

上文は、社会契約主義は正義を強調して、儒教に押されてまともに発展できなかった菩薩資本主義を受け入れて拡大発展させるのには寄与したが、正義の基盤である共同体を無視して過度に個人的義務を強調し、かえって正義の基盤である社会を崩し、基本的な正義まで崩して経済倫理を極めて疲弊させたことを示す。とりわけ、正義の本質である社会制度改革を機能とする財貨を、財利という個人的目的のみで運用することによって、個人的な経済循環すら決定的に崩したことを指摘している。

次に、大巡の回帰的社会契約主義が社会契約主義的分配観の経済倫理危機に対して提示する代案を考察すると、回帰的社会契約主義は、個人の義務遂行と違法者に対する制裁のうち、個人の義務遂行を優先する社会契約主義とは逆に、違法者に対する制裁倫理を優先して提示する神人調化を示す。[586]神人調化とは、ドミノにおいて最初の原因が決して消えず、大きくなったり小さくなったりして最後に自分に必ず回帰するフィードバック(feedback、回帰の輪)のような理をいう。違法者に対する制裁倫理を神(神)、個人の義務遂行を人(人)とするとき、回帰的自由至上主義は、人(人、個人の義務遂行)より神(神、違法者に対する制裁倫理)を上に置く社会契約主義とは異なり、神(神、違法者に対する制裁倫理)を人(人、個人の義務遂行)と対等に置く神人調化を実践する。

上帝が教訓されて仰せられた。「人間は欲望を満たせなければ憤りが破裂して大病にかかる。いまや、まず乱法を立て、その後に真法を下すのであり、あらゆる事を解いて各自の自由意思に任せるから、凡事に心を正しくせよ。邪曲なものはあらゆる罪の根本であり、真実は万福の根源となる。いまや神明をして人に臨ましめ、心に墨縄を当てさせ、私情の鑑定を稲妻の火に付するであろう。心を正しく持てず邪曲を行う者は、至気が下るとき心臓が破裂し、骨節が弾け飛ぶであろう。運数はよいが、首を越えるのが難しかろう。」(『典経』教法三章二十四節)

あらゆる事は、目に見えない神(神)の領域を厚く先にし、目に見える人(人)の領域を後に薄くせねばならないのに、根本である神(神)の領域は薄くし、末(末)である人(人)の領域を厚く先にする現代文明は失敗することを警告している。しかし現代人は、末端(末端)である人間の欲望を神明より優先して、自分でも知らぬうちに危機を助長している。

次に、大巡の回帰的社会契約主義は、西洋の社会契約主義が神人調化思想によって変化した回帰的社会契約主義がいかなる形態かを示す。

(中略)お前たちは市場や集会に行って、「私の言葉を信じれば生きる道が開けるのに」と思いさえすれば、彼らは知らずとも彼らの神明は知るであろうから、徳はお前たちに返るであろう。(『典経』教法一章二節)

上文は、大巡の回帰的分配観が、社会契約主義よりさらに厳格な「神明」という分配ネットワークから成っていることを示す。回帰的社会契約主義の分配観は、社会契約主義よりさらに徹底した分配観であり、単に「投入した分だけ算出される」単純系ではなく、「投入したものが増幅されたり減少したりして出てくる」複雑系であり、したがって「最初から何の怨恨もないようにする」という「無咎(無척)」が極めて重要であることを示す。

仏教と社会契約主義分配観において、個人的自由は社会の正義を妨げうるとする。仏教は、儒教の仁と礼を「無用の分別」と強調し、分別を超越するのが空(空)であると表現した。カントにとって正義は個人の存在に対する証明であり、他人が関与する問題ではなかった。仏教とカント主義・社会契約主義は、いずれも最小限の国家介入を要請し、個人の自由を拘束しない社会福祉を希望する。[587]

回帰的分配観では、個人の恩恵も咎もすべて返ってくる。社会的保障を提供する個人も損にはならない。大巡思想では、私がよくなるには、私がまず贈与すればよい。宇宙は循環するため、私が贈与した財富(財富)はどんな形であれ再び返ってくるからである。回帰的分配を増やすには、他人に恩恵であれ咎であれ受けたければ「まず与える」という順序一つだけを変えればよいだけであるという。回帰的分配を積むための順序を知るとき、神明と通じるといえる。

社会契約主義的経済倫理再生が失敗した理由は、社会契約主義的経済倫理再生が追求する正義が、自由至上主義の自由、功利主義の共同体利益、共同体主義の共同体の卓越性と互いに衝突して、正義への懐疑感が生じたためである。回帰的社会契約主義において、「相手は知らずとも相手の神明は知るであろうと信じて他人をよくする」人間像は、自由至上主義と功利主義・共同体主義をすべて包んで経済倫理を回復した人間像を示す。

以上、回帰的社会契約主義分配観を通じた経済倫理問題の解決を要約すると次のとおりである。

〈表4.2〉大巡思想の回帰的分配観

詳細内訳『典経』関連の一節
社会契約主義的分配観の承認基本的自由/公正な機会均等/自尊の社会的基礎どんな人に対しても皆敬え(教法一章十節)
社会契約主義的分配観の問題点個人間の疎通の不在/恩恵を返さなくても責任なし/単純系京五に咎神が犯した銭を盗賊に奪われることを説明(行録三章十六節)
社会契約主義的分配観の問題点の解決方案神人調化/永劫回帰/複雑系神明をして人に臨ましめ心に墨縄を当てさせる(教法三章二十四節)
社会契約主義と大巡の分配観の比較大巡は社会契約主義よりさらに厳格な分配ネットワークで連結/構造的に徹底した分配観/無咎は複雑系の初期条件彼らは知らずとも彼らの神明は知る(預示一章四十三節)

注释

  1. [585](原文は空白。)
  2. [586]大巡思想において神明は精神的背景として現れる。人間が持つ神明性もまた、その外在的な実在として理解されるときにも、常に人間と同行し、また人間の機能を尽くしうるよう助ける役割をする。(이경원, 『한국 신종교와 대순사상』, 문사철, 2011, 172~174쪽)
  3. [587]カントと仏教は共通して、自由を倫理学の根本要請とみなす。(김진, 『칸트와 불교』, 철학과 현실사, 2000, 56~59쪽)