フランスを中心とするヨーロッパの構造主義哲学から始まった内在性の思惟は、新科学(New Age Science Movement)、自己組織化理論(Self-organization Theory)などの実証的研究へと発展もするが、英米圏へ渡って相関的思惟とリミナリティ理論へと発展する。相関的思惟とリミナリティ理論は、構造主義の二項対立的(binary opposition)・対称的な思惟を東洋思想に適用し、相関的思惟という思惟の特徴と、リミナリティという思惟変化の様相として展開される。相関的思惟はフラクタル(Fractal)理論のような実証主義的方向へと発展し、이재걸, 「칸트 유기체론의 ‘자기조직화’ 개념과 프랙탈 이론의 교차 연구: 유기체, 생명성, 무한(無限)에 대한 미학적 전제」 『문화와 융합』 44(9), 2022, pp.419-433. リミナリティ理論は液体近代という脱近代性理論として注目されるようになる。
이재걸, 「칸트 유기체론의 ‘자기조직화’ 개념과 프랙탈 이론의 교차 연구: 유기체, 생명성, 무한(無限)에 대한 미학적 전제」 『문화와 융합』 44(9), 2022, pp.419-433.
次に、東西の区分基準を考察することにする。東学思想よりも東西洋の区分事例が多い大巡思想の経典『典経』において、東西洋区分の基準は、歴史的に東アジア文化圏で用いられてきた東西洋の区分基準と一致する。『典経』において時代的に最も早い東西洋区分は、マテオ・リッチが東洋と西洋を区分した地点から始まる。これは地理的に崑崙山を基準として西を西洋、東を東洋とした伝統的概念と一致する。西洋基準では東洋(orient)は中東を含むが、東アジア文化圏において中東は西洋に該当する。東洋と西洋を区分する基準が崑崙山となる。また、『典経』において東西洋の区別がなされる事例は、神明界の様相としても現れる。マテオ・リッチ以前に東西洋を堅く守り神明が互いに往来しなかったという事例や、『전경』「교운」 1-9. 東洋のすべての道通神を率いて西洋へ震黙大師が渡って行ったという内容 『전경』「공사」 3-15.に見られるように、『典経』における東西洋の区分は神明界の区分基準にまで現れる。神明界までもが東西洋に区分されるということは、東西洋の区分基準が世界の構成においてきわめて核心的であるという意味になる。
『전경』「교운」 1-9.
『전경』「공사」 3-15.
大巡思想において東西洋の区分が神明界の区分にまで現れる理由は、陰陽という大巡思想の世界観と、天尊・地尊・人尊という大巡思想の神観と関連する。万物を太極から分化した陰陽とみなす大巡思想の世界観において、東洋と西洋は陰陽の一つの軸を担う。大巡思想において東洋と西洋の区分が、陰陽の一つの軸のなかでも神明界区分の基準にまで拡大されるのは、人類史の時代が神明が地に奉安される地尊時代(地尊時代)であるためである。 『전경』「교법」 2-56. 人類の歴史時代が神明が地に奉安される地尊時代であるならば、地を区分する東洋と西洋の区分は、神明の区分にまで連なる核心概念となるのである。
『전경』「교법」 2-56.
東洋と西洋が神明を区分する核心概念となるならば、万物に神明が内在するとみる大巡思想の構図において、東洋と西洋は陰陽の基準点である太極の原理が神明界にまで適用されるものとして理解しうる。この原理に従って、東洋と西洋の日用事物はすべて陰陽のように相反する形態として現れることになるのである。したがって、日用事物に普遍的原理が内在するという東洋の学問において、東学と西学の区分は根本的な区分となり、実際に東学と西学は陰陽のように相反する属性として現れる。東学の論学文冒頭で水雲が述べた東学と西学の差異についても、これまで西学を西洋学問一般として解釈せず、天主教に限定して解釈してきたことに理解の困難があったとされる。(황종원, 「최제우와 박은식의 유교개혁 방향, 평등관, 서구 근대문명에 대한 태도」, 『퇴계학과 유교문화』 49, 2011. p.330)
동학의 논학문 서두에서 수운이 말한 동학과 서학의 차이도 지금까지 서학을 서양 학문 일반으로 해석하지 않고 천주교로 국한하여 해석한데서 이해에 어려움이 있었다고 한다.(황종원, 「최제우와 박은식의 유교개혁 방향, 평등관, 서구 근대문명에 대한 태도」, 『퇴계학과 유교문화』 49, 2011. p.330)
東学と西学は神明を区分する核心概念であっただけでなく、西洋文明によって東洋文明が崩壊しうる東西洋の衝突状況のなかで、西洋を理解する重要な概念であった。東道西器論、中体西用論、西学中源論のように、東洋と西洋を区分して理解しようとする理論は当時すでに存在していた。 함영대, 「18~19세기 서학중원론(西學中源論)의 전개와 그 함의- 서학(西學)에 대한 조선학자들의 대응논리」, 2020. しかし、東洋と西洋を思惟方法という側面から陰と陽に区分した、近代的でありながらも伝統により合致する区分は、韓中日を通じて東学が初めてであった。
함영대, 「18~19세기 서학중원론(西學中源論)의 전개와 그 함의- 서학(西學)에 대한 조선학자들의 대응논리」, 2020.
実際に東洋に西洋文明が一〇〇余年以上伝播し、東西洋の思惟方法論についての人類学的・文化学的比較が進められた今日、当時の東学思想と大巡思想に現れた根本的な文化区分としての東西洋区分は、きわめて適切なものとして現れる。東洋と西洋は文化・言語のみならず思考方式まで相反する様相であるという点で、東学はすでにその名称からして伝統の連続を実現したものとみることができるためである。
自生的近代性の哲学的方法論としての相関的思惟
今日、東洋科学の論理は西洋とは異なる相関的思惟として位置づけられている。 정우진, 2015, "동양과학의 논리: 감응의 유형에 관한 연구." 도교문화연구 42, pp.119-140. 相関的思惟は、構造主義を東洋思想に適用して万物を連結したものとして思惟する理論であり、東洋的思惟に現れた合理性を西洋が再評価したものである。相関的思惟(相關的思惟, correlative thinking)とは、部分と全体が同時に動くという思惟方式である。部分のなかに全体があり、万物が互いに相関関係にあるという思考と認識方法であって、西洋を除くほとんどの文明はこのような思惟体系を有している。 J. J. Clarke 지음, 조현숙 옮김, 『서양, 도교를 만나다』, 서울: 예문서원, 2014. p.152. かつては迷信的思考と考えられてきた相関的思惟が、現代科学によって検証される今日では、むしろ新たな科学としての可能性が打診されている。 상관적 사유의 과학적 가능성 타진은 니담과 카프라에 의해 시작되고 카우프만 등 산타페연구소에의 해 발전되었다고 한다.(J J. Clarke 지음, 조현숙 옮김, 『서양, 도교를 만나다』, 서울: 예문서원, 2014. pp.141-144., 167-177) 最近ではさらに、分析的科学の理論すらも、実は相関的思惟の一種であることが明らかにされた。そのなかでも特に、大巡思想の第一の宗旨を構成する東洋の代表的伝統理論である陰陽理論は、分析的思惟が実は隠れた相関的思惟であることを表面に顕在化させた代表的な相関的思惟体系として注目されている。
정우진, 2015, "동양과학의 논리: 감응의 유형에 관한 연구." 도교문화연구 42, pp.119-140.
J. J. Clarke 지음, 조현숙 옮김, 『서양, 도교를 만나다』, 서울: 예문서원, 2014. p.152.
상관적 사유의 과학적 가능성 타진은 니담과 카프라에 의해 시작되고 카우프만 등 산타페연구소에의 해 발전되었다고 한다.(J J. Clarke 지음, 조현숙 옮김, 『서양, 도교를 만나다』, 서울: 예문서원, 2014. pp.141-144., 167-177)
これまで西洋科学は、万物は独立的に動くという個体的思惟を行ってきた。例えば、男と女は互いに相反するものではあるが、その動きは互いに別個であるというのである。それゆえ万物はある粒子(原子、分子、量子)へと分割でき、事物とはそのような部分の集合であると考えてきた。西洋教育を受けて育った現代の東洋人も、大部分は分析的思惟を行っている。このように万物が独立しているがゆえに、分割して事物を認識する方法を分析的認識論という。これに反対して、万物は互いに連結されているがゆえに分割できず、相関関係として認識する生成論的思惟方法を相関的認識論という。 A.C 그레이엄 지음, 이창일 옮김, 『음양과 상관적 사유』, 청계, 2001.
A.C 그레이엄 지음, 이창일 옮김, 『음양과 상관적 사유』, 청계, 2001.
相関的思惟理論は、東洋的思惟の代表的論理理論である陰陽五行説について初めて肯定的に評価したグラネから始まり、その後グレアム(Angus Charles Graham, 1919-1991)、エイムズ(Roger T. Ames, 1947-現在)、ホール(David L. Hall, 1937-2001)、シュウォーツ(Benjamin Isadore Schwartz, 1916-1999)、ニーダム(Joseph Terence Montgomery Needham, 1900-1995)などへと連なる理論である。相関的思惟理論は、肯定的側面と否定的側面の両方をもつ陰陽五行説を可能な限り客観的に評価し、原始的形態の科学として評価した。 김기, 「음양오행설의 주자학적 적용양상에 관한 연구」, 성균관대학교 박사학위 논문 2012, p.4 特にアメリカの構造主義東洋思想家A.C.グレアムは、構造主義と中国哲学を接合させ、東洋思想が西洋の個体性とは異なる東洋の相関的科学性をもつことを証明した。 A.C.그레이엄 지음, 이창일 옮김, 『음양과 상관적 사유』 청계 2001; D. L. Hall and R. T. Ames, Anticipating China, Albany: State University of New York Press, 1995. グレアムらの研究があって初めて、西洋は東洋の科学性を理解し始め、東洋は逆に西洋を通じて東洋思想を学ぶことによって自らのアイデンティティを見出していっている。
김기, 「음양오행설의 주자학적 적용양상에 관한 연구」, 성균관대학교 박사학위 논문 2012, p.4
A.C.그레이엄 지음, 이창일 옮김, 『음양과 상관적 사유』 청계 2001; D. L. Hall and R. T. Ames, Anticipating China, Albany: State University of New York Press, 1995.
ヘンダーソン(John B. Henderson)は相関的思惟を四つに区分した。 존 핸더슨 지음, 문중양 옮김, 『중국의 우주론과 청대의 과학혁명』 ,2004, p.45. 第一に、人間と宇宙、すなわち小宇宙と大宇宙の間の関係。第二に、ニーダムが国家類比(国家ユビ)と呼んだもので、コスモスの領域である天と、地上の領域である王朝または国家官僚体系の間の関係。第三に、五行のような数秘学的相関体系。第四に、周易の体系である。 정우진, 「동양과학의 논리: 감응의 유형에 관한 연구」, 『도교문화연구』, 42, 2015, p.122.
존 핸더슨 지음, 문중양 옮김, 『중국의 우주론과 청대의 과학혁명』 ,2004, p.45.
정우진, 「동양과학의 논리: 감응의 유형에 관한 연구」, 『도교문화연구』, 42, 2015, p.122.
相関的思惟が西洋とは異なる東洋の特徴であることが実証的に立証されるのは、今日の認知心理学分野である。相関的思惟の観点から東洋と西洋の認知心理学的差異を初めて理論化したニスベットは、東洋人は相関的思惟ゆえに世界が西洋人よりも一層複雑なものとして現れることを示している。東洋人は個人的な統制よりは集団的な統制の対象である。西欧人にとって世界は相対的に単純な場所であり、きわめて個人的な統制の対象である。実に異なる二つの世界であると述べた。 리처드 니스벳 지음, 최인철 옮김, 『생각의 지도: 동양과 서양, 세상을 바라보는 서로 다른 시선』 2004, 김영사. 東洋にも多様な層位があり国家間の差異も大きいが、相関的思惟を行うという点では共通的であるといえる。
리처드 니스벳 지음, 최인철 옮김, 『생각의 지도: 동양과 서양, 세상을 바라보는 서로 다른 시선』 2004, 김영사.
相関的思惟は東洋的世界観の共通した認識の枠組みであるため、伝統の連続と変化においてその原理が相関的思惟として現れる。陰陽五行と太極に代表される東洋的思惟は、伝統の連続と変化を、太極と陰陽五行にどれほど合致するかによって説明してきた。したがって、東学思想と大巡思想に現れた伝統と連続の変化は、陰陽五行と太極の概念から考察することができる。
相関的思惟と関連して、今日東洋文化を再評価する西洋の議論が啓蒙主義期から集中した地点は、孔子(孔子, B.C.551-479)の一以貫之(一以貫之)であるといえる。孔子は自らの理論を、忠恕(忠恕)という共感の概念によって一以貫之した。さらに孔子は、自らの一以貫之の方法論が自らの理論ではなく、古代から伝わってきた述而不作(述而不作)の方法論であると述べた。実は孔子のみならず、一以貫之は東洋文化全体の特徴となる。東洋は西洋よりもむしろ一貫性に一層執着するのである。カント以前のヨーロッパにおいて孔子の思想は、共感の一以貫之として解釈され、新たな西洋道徳の基礎となった。ただし東洋の一貫性は、西洋とは異なり内面的一貫性であるため、カント以後の研究者たちにとって儒学は雑学の水準にしか見えなかった。
共感の一以貫之という側面から孔子の思想を再解釈すれば、従来主観的理論とみなされてきた東洋思想が、客観的一貫性を呈するようになる。まず、すべての東洋思想の根幹となる易(易)の基本思想である天地人からして、共感という側面から理解されるところがある。東洋の伝統においては、天地人が互いに共感することを感応として表現してきた。東洋思想においては、天地人と人間がいずれも一物(一物)から出たものであるため、互いに感応せざるをえない存在となる。共感もまた感応の延長線上にあるのであって、感応が共感を擬人化したものではない。
今日、東洋思想を共感として理解する西洋の研究は、大きくジュリアンの内在性理論と進化人類学が代表的であるといえる。両研究はそれぞれ今日の西洋の合理論伝統と経験論伝統を代表する研究であり、研究の最先端において異質な学問同士が出会った事例であるといえる。まず、合理論伝統を継承したジュリアンの研究は、ドゥルーズとフーコーの研究を継承する。ジュリアンは、西洋が東洋と異なる内在性、すなわち外部から西洋を眺めるときにもつ固有の特性を研究する過程で、孟子と啓蒙哲学者たちの共通点を発見する。 프랑수아 줄리앙, 『맹자와 계몽철학자의 대화(도덕의 기초를 세우다, 루소 칸트)』, 한울아카데미, 2009. 啓蒙哲学者ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712-1778)が当代の人々の注目を浴びたのは、西洋哲学では見出しがたい東洋の内在性、すなわち共感を導入したためである。共感は東洋の内在性、すなわち西洋と区別される東洋の最も代表的な特徴である。
프랑수아 줄리앙, 『맹자와 계몽철학자의 대화(도덕의 기초를 세우다, 루소 칸트)』, 한울아카데미, 2009.
ジュリアンが西洋の内在性として指摘したのは、変化を説明する過程で用いた実体概念である。アリストテレスはプラトン(Plato, B.C 424-348)とは異なり、三段論法(三段論法, syllogism)を完成させながら、変化は必ず実体がもつ属性によって説明しなければならないということを公式化した。例えばAがBへと変化する場合、東洋やアリストテレス以前の西洋においては、共感のような感応によって変化しうるものであった。しかしアリストテレス以後、AからBへの変化は必ずAのなかに内在するBの実体がなければならなかった。このような伝統のなかで、感応が変化の要素となるという東洋の内在性は、結局共感へと連なり、この共感がまさに啓蒙主義思想の礎石となった。啓蒙主義は西洋においては異質な思想であり、西洋は啓蒙主義の異質性を、神を代替する道徳の基礎としてよく発展させ、近代文明を成し遂げることができた。
マテオ・リッチが伝えた孔子思想の核心を「共感」として解釈したもう一つの理論は、イギリスの経験論であった。経験論は、それ自体の実用性ゆえにアリストテレスの内在性概念に縛られなかったため、初めから東洋の思想を「共感」として自然に受け入れた。カント以後、東洋思想との交流は大陸では停滞したが、イギリスの経験論は進化論と進化人類学へと発展を続ける。進化論と進化人類学は、最近の脳科学のミラーニューロン理論の発見を受容しながら、共感理論をさらに拡大する。実際、イギリス経験論の影響を受けたアメリカのプラグマティズム(pragmatism, 實用主義)は、特にデューイ(John Dewey, 1859-1952)を通じて中国に大きな影響を与えもしたが、これは孔子の思想ときわめて類似しているためであるという。 로저 에임즈 지음, 장원석 옮김, 『東洋哲學, 그 삶과 창조성: 和而不同: 비교철학 강의』, 성균관대학교 출판부, 2005, pp.155-199.
로저 에임즈 지음, 장원석 옮김, 『東洋哲學, 그 삶과 창조성: 和而不同: 비교철학 강의』, 성균관대학교 출판부, 2005, pp.155-199.
西洋が東洋思想を共感として解釈したのは、実は今日が初めてではない。西洋はカント以前にも、マテオ・リッチの翻訳物に接して以来、東洋を一貫して共感として解釈してきた。啓蒙主義とイギリス経験論は、中国の影響から始まったといえる。西洋の近代性がマテオ・リッチの伝えた儒教の合理性に基づく近代性であったとすれば、リミナリティを通じて西学を専有(領有)した東学思想は、自生的近代性であるといえる。
これにより、東洋の相関的思惟を脱近代性であるポストモダニズムと関連づけた研究が続いた。金炯孝(キム・ヒョンヒョ)は甑山思想にまで連繋させて、早くからポストモダニズムと東洋思想を結びつけ、 김형효, 「原始返本과 解寃思想에 대한 哲學的 省察-甑山思想의 한 硏究」, 『東西哲學에 대한 主體的 記錄』, 서울: 고려원. 1985, pp.38-67; 김형효, 『데리다와 老莊의 독법』: 한국정신문화연구원, 1994. 後代の多くの西洋学者がこれに同調してきた。朴正鎮(パク・チョンジン)は金炯孝の研究を宗教学的観点から、多くの実質的な研究成果を生み出した。 박정진, 『종교인류학』, 서울: 불교춘추사, 2007; 박정진, 『철학의 선물, 선물의 철학』, 서울: 소나무, 2012. 朴容淑(パク・ヨンスク)は文明史的観点から古代シャーマニズムの東西会通を研究し、 박용숙, 『천부경 81자 바라밀』, 파주: 소동, 2018. 金正民(キム・ジョンミン)は実証資料を模索してきた。 김정민, 『샤먼 바이블』, 서울: 글로벌콘텐츠, 2023. これは大巡思想研究においても行われた。韓哲学(ハン哲学)の主唱者である金相日(キム・サンイル)もまた過程哲学などによって大巡思想の意義を明らかにし、 김상일, 「대순사상의 4대 종지에 대한 문명사적 고찰」, 『대순진리학술논총』 1, 2007. 金大鉉(キム・デヒョン)は大巡思想をヘーゲル、ハイデガー、デリダ、ドゥルーズと比較しもした。 김대현, 「대순사상과 하이데거의 ‘양심’ 개념에 대한 비교연구: 근원을 향한 ‘양심’의 회귀적 특성에 대한 논의를 중심으로」 『대순사상논총』 28, 2017, pp.243-265.; 김대현, 「헤겔의 노동(勞動, Arbeit) 개념을 통해 본 천지공사(天地公事) 연구」 『대순사상논총』 32, 2019, pp.175-199; 김대현, 「들뢰즈 체계의 형성 배경에 대한 연구: 칸트 선험철학 체계 그 심연으로부터의 역류」 『대순사상논총』 37: 329-355. 2021; 김대현, 「대순진리의 해원(解寃)사상에 대한 해체(解體)론적 이해: 자크 데리다(Jacques Derrida)의 해체론을 중심으로」 『대순사상논총』 39, 2021, pp.69-97.
김형효, 「原始返本과 解寃思想에 대한 哲學的 省察-甑山思想의 한 硏究」, 『東西哲學에 대한 主體的 記錄』, 서울: 고려원. 1985, pp.38-67; 김형효, 『데리다와 老莊의 독법』: 한국정신문화연구원, 1994.
박정진, 『종교인류학』, 서울: 불교춘추사, 2007; 박정진, 『철학의 선물, 선물의 철학』, 서울: 소나무, 2012.
박용숙, 『천부경 81자 바라밀』, 파주: 소동, 2018.
김정민, 『샤먼 바이블』, 서울: 글로벌콘텐츠, 2023.
김상일, 「대순사상의 4대 종지에 대한 문명사적 고찰」, 『대순진리학술논총』 1, 2007.
김대현, 「대순사상과 하이데거의 ‘양심’ 개념에 대한 비교연구: 근원을 향한 ‘양심’의 회귀적 특성에 대한 논의를 중심으로」 『대순사상논총』 28, 2017, pp.243-265.; 김대현, 「헤겔의 노동(勞動, Arbeit) 개념을 통해 본 천지공사(天地公事) 연구」 『대순사상논총』 32, 2019, pp.175-199; 김대현, 「들뢰즈 체계의 형성 배경에 대한 연구: 칸트 선험철학 체계 그 심연으로부터의 역류」 『대순사상논총』 37: 329-355. 2021; 김대현, 「대순진리의 해원(解寃)사상에 대한 해체(解體)론적 이해: 자크 데리다(Jacques Derrida)의 해체론을 중심으로」 『대순사상논총』 39, 2021, pp.69-97.
リミナリティと再活性化
自生的近代性の聖(聖)・俗(俗)変化機制としてのリミナリティ
東学思想と大巡思想が主眼を置いた相関的思惟と近代性を連結する西洋の代表的な人文・社会科学的理論には、リミナリティ(Liminality)理論がある。リミナリティは、ファン・ヘネップが人類学において「通過儀礼」に共通して現れる属性を表現するために初めて創案した用語である。 반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986. 게넵은 원어 발음으로는 방즈네프, 헤넵으로도 불리지만 여기서는 일반 로마자 발음과 다른 번역서의 용례를 따라 “게넵”으로 번역한다. ラテン語の「リメン」(Limen)は、境界領域である敷居(Threshold)を指す語であり、リミナリティは「リメン」から派生した用語である。リミナリティは「境界性(境界性)」「易置性(易置性)」などと訳されることもあるが、その意味を十分に伝えることができないため、一般的にはそのまま「リミナリティ」と訳される。
반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986. 게넵은 원어 발음으로는 방즈네프, 헤넵으로도 불리지만 여기서는 일반 로마자 발음과 다른 번역서의 용례를 따라 “게넵”으로 번역한다.
ファン・ヘネップは、世界の宗教儀礼の共通的属性として「通過」(通過, passage, Transition)という概念を発見した。 반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986, p.13. ヘネップは、世界の通過儀礼(通過儀禮, rite of passage)が共通して、分離儀礼(分離儀禮, rite of seperation)、転移ないし過渡儀礼(轉移, 過渡, rite of transition)、統合儀礼(統合儀禮, rite of incoporation)という三つの儀礼から構成されているとする。 반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986, p.13. ファン・ヘネップは、通過儀礼の第一段階から第二段階へ、すなわち分離から転移へと移行する境界領域をリミナリティとして表現した。 반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986, p.14.
반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986, p.13.
반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986, p.13.
반 게넵 지음, 서영대 옮김, 『통과의례』, 인천: 인하대학교 출판부, 1986, p.14.
ファン・ヘネップは、通過儀礼が境界領域を中心として、さらに境界前儀礼(pre-liminal rites)、過渡儀礼(liminal rites)、境界後儀礼(post-liminal rites)に区分されるとする。リミナリティは、価値から一時的に離脱することによって、曖昧で無決定的で不明瞭な属性を帯びる。 Z. Bauman, “A Revolution in the Theory of Revolutions?”, International Political Science Review 15(1): 15-24, 1994. このような理由から、リミナリティはしばしば死や子宮、暗闇、男女両性性、荒廃、日食と月食などにたとえられる。リミナリティの様相がこのような二重性と曖昧性をもつ理由は、通過儀礼の趣旨が単に既存の社会秩序の維持のための儀礼的な社会の形式的行為ではなく、実際に予想されない新たな創発性を図るためである。通過儀礼以前と以後の変化は、通過儀礼に参加する人や周囲で助ける人にも予想することができないがゆえに意義がある。ただし通過儀礼以後の変化は、通過儀礼以前の状態を含みつつもそれを超える包越の状態となる。
Z. Bauman, “A Revolution in the Theory of Revolutions?”, International Political Science Review 15(1): 15-24, 1994.
リミナリティ理論の長所は、変化の形式と内容を詳細に公式化させることで、儀礼における変化過程の象徴が変化において果たす役割と意味をよく明らかにしてくれる点にある。これによりリミナリティ理論は、今日宗教の意味を理解しがたく感じる現代人に対して、宗教と疎通しうる迅速な方法を提示する。 빅터 터너 지음, 강대훈 옮김, 『인간 사회와 상징 행위: 사회적 드라마, 구조, 커뮤니타스』, 서울: 황소걸음, 2018, pp.5-12.
빅터 터너 지음, 강대훈 옮김, 『인간 사회와 상징 행위: 사회적 드라마, 구조, 커뮤니타스』, 서울: 황소걸음, 2018, pp.5-12.
ポストモダニズム論争以後、最も注目される近代性概念の一つであるジグムント・バウマン 지그문트 바우만 지음, 정일준 옮김, 『쓰레기가 되는 삶들: 모더니티와 그 추방자들』, 서울: 새물결, 2008.の「液体近代(Liquid Modernity, 液體近代)」と、シュムエル・アイゼンシュタット(Shmuel Noah Eisenstadt, 1923-2010) 사무엘 N. 아이젠스타트 지음, 임현진 [외] 옮김, 『다중적 근대성의 탐구: 비교문명적 관점 』, 파주: 나남, 2009. 다중적 근대성은 또한 자생적 근대성과 같은 대안적 근대성을 포괄하는 개념이기도 하다.の「多元近代性(Multiple Modernities, 多重近代性)」の二つの理論は、いずれもリミナリティ概念と関連する。 A. Szakolczai, “Liminality and experience: Structuring transitory situations and transformative events”, International Political Anthropology 2(1), 2009, p.160. リミナリティが近代性理論として注目される理由は、既存の近代性理念を代表するヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)の弁証法が提示しえない現代社会の問題点を分析してくれるためである。生涯を近代性概念の探究に費やしてきたバウマンは、晩年に「液体近代」という概念によって世界的な注目を集中させる。液体性(Liquiduty)とは、近代性の特徴とされる「両価性(兩價性, ambiguity)」を指す言葉であり、これはリミナリティという肯定的意味を内包する。また、聖と俗の概念を再定義した統摂概念によって近代性を記述した多元近代性は、聖と俗の境界転換にあるリミナリティ概念を表す。
지그문트 바우만 지음, 정일준 옮김, 『쓰레기가 되는 삶들: 모더니티와 그 추방자들』, 서울: 새물결, 2008.
사무엘 N. 아이젠스타트 지음, 임현진 [외] 옮김, 『다중적 근대성의 탐구: 비교문명적 관점 』, 파주: 나남, 2009. 다중적 근대성은 또한 자생적 근대성과 같은 대안적 근대성을 포괄하는 개념이기도 하다.
A. Szakolczai, “Liminality and experience: Structuring transitory situations and transformative events”, International Political Anthropology 2(1), 2009, p.160.
リミナリティは、正反合からなる弁証法と同じく対極の合一という属性をもつが、弁証法が楽天的に解釈した対極の合一に内在する両価性の問題点を指摘し、この両価性が今日の極甚な現代性の意気消沈と不確定性を、永遠のリミナリティ、すなわち液体近代(Liquid Modernity)などとして解釈する。リミナリティ概念は、既存の価値を転覆した近代性が、子を洗った水を捨てようとして子まで捨てる結果を招いたことを提示し、脱近代性の混乱を卓越して分析しえた理論として認められている。バウマンは一九九二年に社会学および社会科学部門のヨーロッパ・アマルフィ賞を、一九九八年にフランクフルト市のテオドール・アドルノ賞を受賞した。
바우만은 1992년에 사회학 및 사회과학 부문 유럽 아말피 상과 1998년에 프랑크푸르트시의 테오도어 아도르노 상을 수상했다.
リミナリティ理論が弁証法に対する代案理論として、近代性を解釈する理論にまで発展するには、三つの段階を経た。第一は、ファン・ヘネップのリミナリティ理論が、当時から今日まで社会学の主流理論となっているデュルケーム(David-Emile Durkheim, 1858-1917)によって批判され、通過儀礼(Ritual Process)理論としてのみ残る段階である。ファン・ヘネップが儀礼の共通的属性として発見した「通過」概念は、当時の人類学が長らく探し求めてきた概念であった。人類学の共通した原理として、森の司祭継承に現れた「金枝(The Golden Bough)」を発見したフレイザー(Sir James George Frazer, 1854-1941)以後、人類学は人類が社会を構成するに至った共通原理を探し求めてきた。フレイザーを継承して、ヨーロッパ・インド語族に共通する三機能体系を発見したデュメジル(Georges Dumezil, 1898-1986)と同時代を生きたファン・ヘネップは、儀礼の共通した通過と、通過の核心であるリミナリティ概念を発見し、以後エリアーデなど宗教学にも大きな影響を及ぼした。
ファン・ヘネップが儀礼の共通的属性として発見した「通過」概念は、人類学を超えて社会を構成する核心原理までも説明しうる、波及力のある理論であった。 B. Thomassen, Liminality and the modern, Surrey: Ashgate, 2014, p.4: 김광건, 「리미널리티 (liminality) 개념의 다각적 이해」, 『신학과 실천』 78, 2022, pp.700-701에서 재인용. しかしこれは、当時の社会学の主流をなしていた「機能」と「維持」という社会学理論とは相容れない概念であった。今日の社会学主義、すなわち宗教現象は社会現象の反映であるという理論を初めて主張して主流理論を形成したデュルケームは、構造よりも行為を強調するファン・ヘネップのリミナリティ理論を批判し、当初普遍的概念として出発したリミナリティ概念を、通過儀礼理論の領域にのみ縮小させた。ファン・ヘネップが発見したリミナリティ概念は、コントなどによって社会学が初めて発生した背景であるフランス大革命とも合致し、当時カントに劣らぬほど大きな影響を及ぼしたパスカルの「考える葦」などに現れるリミナリティ概念とも合致する理論であった。しかしその後リミナリティは、宗教社会学においてはほとんど忘れられた概念となった。
B. Thomassen, Liminality and the modern, Surrey: Ashgate, 2014, p.4: 김광건, 「리미널리티 (liminality) 개념의 다각적 이해」, 『신학과 실천』 78, 2022, pp.700-701에서 재인용.
第二の段階は、埋もれていたリミナリティ概念が、ヴィクター・ターナーの偶然の発見によって復活する段階である。当時、ンデンブ(Ndembu)部族の通過儀礼を研究していたヴィクター・ターナーは、既存の構造機能主義人類学理論では説明されないンデンブ部族の通過儀礼を説明するために、自分なりの概念を設定しようと努めるなかで、ファン・ヘネップのリミナリティ理論を発見し、構造概念を導入して、ファン・ヘネップも説明しえなかったリミナリティ概念の隠れた意味を見出していく。 A. Szakolczai, “Liminality and experience: Structuring transitory situations and transformative events”, International Political Anthropology 2(1), 2009, p.160. ヴィクター・ターナーは、分離・転移・統合という通過儀礼のうち転移段階に注目し、このとき現れるリミナリティ現象が、通過儀礼のみならず巨視的な社会全般の変化を説明しうる、弁証法のような概念であることを発見する。 M. Engelke, “An Interview with Edith Turner”, Current Anthropology 41(5), 2000,: pp.843-852. リミナリティの社会劇的性格を発見した後、ターナーはシェクナー(Richard Schechner, 1934-現在)などとともに、儀礼の共通的属性を公演学として規定し、民族公演学(ethno-performance studies)として研究を展開する。第三の段階は、ターナー没後、彼の妻エディス・ターナー(Edith Turner, 1921-2016)が多様な日常分析に拡大させたリミナリティ概念を、ジグムント・バウマンとシュムエル・アイゼンシュタットが近代性概念の分析に実際に導入し、以後人文・社会分野に広く拡散して、金益斗(キム・イクトゥ)、 김익두, 『한국 민족공연학』, 파주: 지식산업사, 2013. 李英蘭(イ・ヨンラン) 이영란, 『리미널리티』, 서울: 동방인쇄공사, 2020. などによって個別の民族文化の脱近代性理論にまで拡大される段階である。
A. Szakolczai, “Liminality and experience: Structuring transitory situations and transformative events”, International Political Anthropology 2(1), 2009, p.160.
M. Engelke, “An Interview with Edith Turner”, Current Anthropology 41(5), 2000,: pp.843-852.
김익두, 『한국 민족공연학』, 파주: 지식산업사, 2013.
이영란, 『리미널리티』, 서울: 동방인쇄공사, 2020.
かねてより弁証法は、相関的思惟理論である陰陽理論との共通点と相違点が、東西洋の差異であるという観点から比較されてきた。 김혜숙, 『新음양론』, 서울: 이화여자대학교출판부, 2014.; 김영주, 「서양 이분법과 동양 음양법의 극복- 태극 이분법」, 『사회사상과 문화』 4: 2001, pp.37-80. リミナリティ理論は、陰陽理論と弁証法を仲介する概念のように、東西洋の近代性に現れた共通点を解釈してくれた。リミナリティ理論は、初めは通過儀礼という儀礼・祭儀理論から出発した文化人類学の概念であったが、決定的にターナーによって社会文化変動の全般にわたって適用される普遍的概念へと拡大される。
김혜숙, 『新음양론』, 서울: 이화여자대학교출판부, 2014.; 김영주, 「서양 이분법과 동양 음양법의 극복- 태극 이분법」, 『사회사상과 문화』 4: 2001, pp.37-80.
ヴィクター・ターナーのリミナリティ理論は、大きくリミナリティとコムニタスに分類される。リミナリティとコムニタスは、社会劇儀礼理論である。このうち社会劇概念は、ファン・ヘネップの通過儀礼理論を、社会変動の演劇理論として再解釈したものである。ファン・ヘネップによれば、人間は生存の危機に陥った場合、あるいは見知らぬ領域を通過したり身分の変化を経験したりするとき、通過儀礼を経験するようになる。通過儀礼は「分離→転移→統合」の過程を含む。象徴比較文化人類学者であるターナーは、ファン・ヘネップの通過儀礼概念を、儀礼のみならず社会普遍的な原理と構造としてみた。ヴィクター・ターナーは、ファン・ヘネップの通過儀礼概念を社会・文化・宗教の諸領域へと拡張し、これを社会を背景とする演劇のようなものであるとして「社会劇(Social Drama)」と呼んだ。 빅터 터너 지음, 김익두 옮김, 『(빅터 터너의) 제의에서 연극으로』, 서울: 민속원, 2014.
빅터 터너 지음, 김익두 옮김, 『(빅터 터너의) 제의에서 연극으로』, 서울: 민속원, 2014.
コムニタスは、人間の相互関係性に関する用語であり、ヴィクター・ターナーは二つの類型の人間関係性を提示した。並列的な相互関係と、二者択一の相互関係がそれである。リミナリティとコムニタスはほぼ同時に現れ、強調する部分の差異によって異なって命名されるものとみる。前者は既存社会の構造的状態、すなわち政治・法律・経済的地位の構造化され分化した社会様式を指し、後者は儀礼の転換期に組織が完全でない、相対的に未分化な社会様式を意味する。後者がまさに反構造(anti-structure)に該当する。このような意味でコムニタスとは、構造の次元を超えた「反構造」、または構造を破棄した「無構造」状態の脱構造共同体であるといえる。
ヴィクター・ターナーの社会劇は、エリアーデにおいて神話と同様の機能を果たすものへと拡大される。ただしエリアーデにおいて神話が唯一の聖なる時代と関係を結んでいる物語であるのに対し、ターナーは、神話が意識の境界線にまたがる経験を幅広く提供することによって、現在の心理的・社会的目的に寄与すると主張した。これは神話学において祭儀学派の主張を受容したのと同じである。祭儀学派は祭儀それ自体を正当化するために神話と祭儀を連結させたが、ターナーは、神話と祭儀がともに苦痛に満ちた人生の転換過程をより容易に通過しうるよう助ける心理的機能を遂行するという点に焦点を置いて、祭儀と神話を連結する。ヴィクター・ターナーの社会劇理論が危機状況の解釈において注目されるのは、危機を克服する方法を最も包括的でありながらも詳細に教えてくれるという点による。コムニタスは今日、儀礼のみならず社会、政治、宗教、文化、芸術などの領域に応用される。
ヴィクター・ターナーは、アフリカのンデンブ(Ndembu)部族を研究しながら特異な事実を発見する。 빅터 터너, 『상징의 숲』, 서울: 지식을만드는지식, 2020. その部族の構成員たちは勇猛で強靭で責任感があった。村で伝統的に挙行される一三歳の男児の成人式行事を通じて知ったことは、適当な時期に成人男性たちが宿舎に密かに入り込み、男児たちを風呂敷に包んで拉致するということであった。その後、成人男性たちはまったく知らない場所に男児たちを連れて行って消える。この子どもたちが投げ込まれた場所こそが境界性(リミナリティ)である。一度も経験したことのない危機のなかに置かれた子どもたちは、周囲をまったく知らない山中に自分たちが投げ込まれたことを知るようになる。初めは互いに泣きわめいて大騒ぎになるが、彼らが泣いても親が来るわけではない。部族の長老たちは月に一度訪問して安否を尋ね、助言を与える。そのような環境のなかで、子どもたちは生存する術を学ぶ。子どもたちは「我々がここで生き延びるためには、我々同士で団結しなければならない」という、きわめて強い協同心、同志意識、結束力を学び、強烈な社会的連帯感と所属感をもつようになる。そのような過程を経た後、村に戻って成人式を行う。このように子どもたちが成人式を行う前に、自ら共同体の一員としてともに生存しながら学ぶ共同体をコムニタスと呼ぶ。
빅터 터너, 『상징의 숲』, 서울: 지식을만드는지식, 2020.
ヴィクター・ターナーは、社会的ドラマが「全世界的に起こる普遍的な社会文化現象」の変化を説明する理論であるとする。ヴィクター・ターナーによれば、すべての社会劇と葛藤は「構造(structure)→反構造(anti-structure)→構造(structure)」の弁証法を経て、具体的には違反―危機―矯正/治癒―再統合/分裂の段階を経るとする。ファン・ヘネップが、生の危機において行われる祭儀、例えば成年式・結婚式・葬礼式・出産と妊娠などに関心を集中したのに比べ、ヴィクター・ターナーは、大部分の祭儀や出来事が通過という過程や形式をもつという事実に注目した。ヴィクター・ターナーは要するに、三段階のうち第二段階である転移、すなわちこの段階でもあの段階でもない境界線の間に置かれた敷居(threshold)という時空間に関心をもつようになり、この第二段階である転移、すなわち反構造が危機解決の鍵であると考え、リメン・リミナリティ・リミノイド(liminoid)・コムニタス・反構造・文化的仮定法(subjunctive mode of culture)などの用語を活用して、儀礼の象徴的体系についての研究を本格化する。
反構造をなすコムニタスとリミナリティは、密接に関連しながらも区分される。リミナリティは、人間や集団の存在様相・状況・条件に関するものである。それに対しコムニタスは、リミナリティにおいて顕れた人間の相互関係様式に関するものである。
リミナリティは、既存の社会・文化的体系や秩序、または象徴的体系から抜け出して、既存の地位を喪失し、新たなシステムへ再統合するために経過する、あらゆる可能性と潜在的な力に満ちた中間的な状態と過程である。コムニタスは、本質的に具体的で異色の性質をもつ個人どうしの関係である。このような個人は役割や身分によって分かれたものではなく、個人どうしの自由な関係を形成する。
反構造の特徴は次のとおりである。第一に、匿名性である。コムニタスのなかで人間は一般的に匿名の存在となる。儀礼の参与者たちは同一の服装を着用したまま、無所有者として表象される。彼らが既存社会でもっていた地位・財産・職業・序列・身分・特権などの世俗的な識別意識は、すべて消えるか同質化される。第二に、平等性である。既存の社会的地位や身分などがすべて無化された状態において、修練者どうしの間には強い同僚意識と平等意識が伸長され、積極的に平等主義を受容する。 빅터 터너 지음, 박근원 옮김, 『의례의 과정』, 서울: 한국심리치료연구소, 2005, pp.144-170. 第三に、弱者の逆説的な力である。反構造的な状況において社会的役割と権威が逆転するが、弱者が権威を掌握し、強者が権威を奪われる現象が現れる。下位にある者が高い地位に上ったり、低い身分や地位にある者が永久的にまたは一時的に聖なる属性をもつようになったりする。これは社会がその存在方式を枠づけるところに目的がある。
빅터 터너 지음, 박근원 옮김, 『의례의 과정』, 서울: 한국심리치료연구소, 2005, pp.144-170.
ヴィクター・ターナーが死去した後、彼の妻エディス・ターナーはコムニタスの適用範囲をさらに拡張したが、ほぼすべての生の領域において出現すると説明した。彼女は、通過儀礼・祝祭・音楽・スポーツに見出されるコムニタスのみならず、仕事(労働)・解放・抵抗・災難のコムニタスなど、新たな範疇も提示した。 Turner, Edith L. B., Communitas, New York: Palgrave Macmillan, 2012.
Turner, Edith L. B., Communitas, New York: Palgrave Macmillan, 2012.
特にエディス・ターナーは、災難状況においてコムニタスの対処が重要であるとする。これは、違反―危機―矯正/治癒―再統合/分裂という社会劇四段階のうち矯正/治癒の段階である。 M. Engelke, “An Interview with Edith Turner”, Current Anthropology 41(5), 2000, pp.843-852. 今日の社会劇において矯正/治癒に最も大きな影響を及ぼすのは、SNSを含む各種の社会の言論である。しかし、コビッド一九のように社会の言論だけでは葛藤を解決できないとき浮かび上がるのは、宗教的対処である。
M. Engelke, “An Interview with Edith Turner”, Current Anthropology 41(5), 2000, pp.843-852.
このような点において、先行研究は大巡思想の修行論的伝統を十分に浮き彫りにしえなかった点がある。これらを統合するリミナリティの属性は、演劇治療におけるように、修行論的脱近代性を修行論的に総合する側面が強い。しかしリミナリティは、修行論的な固有の特性を生かしつつも社会文化的な要素を含むときに説明しうる、よい枠組みとなる。映画「カップ」の監督として有名なブータンの精神的指導者キェンツェ・ノルブが、公演学を仏教と関連づけて行った先行研究もある。 Norbu, Khyentse, 『人間是劇場』, 北京: 新星出版社, 2016. 東西洋において近代性は、災難状況のように危機の瞬間に訪れた。西洋の場合、近代性は、モンゴルの侵入とペストの流行という中世の危機と、その反省の上で中国およびインドと交流を試みる過程で発生する。東学思想もまた、帝国主義のアジア支配における人種清掃の危機のただなかで、危機克服の通過儀礼として発生する。
영화“컵”의 감독으로 유명한 부탄의 정신적 지도자 키엔체 노르부가 공연학을 불교와 관련하여 수행한 선행연구도 있다. Norbu, Khyentse, 『人間是劇場』, 北京: 新星出版社, 2016.
一方、変化の可能性は多く内包するが、きわめて不安定な状態を意味する「液体近代」という用語は、近代性危機の言説において「リミナリティ(Liminality)」が弁証法に代わって脚光を浴びている理由をよく説明してくれる。「液体近代」理論において近代性は、永久的リミナリティによる極端な流動的変化状態として解釈される。封建的価値を克服して誕生した近代は、代案的価値を確立できず、液体のように永久的リミナリティ状態にあるというのが「液体近代」概念である。 지그문트 바우만 지음, 이일수 옮김, 『액체근대』, 서울: 강, 2009. リミナリティ概念は、ロマン的愛と 에바 일루즈 지음, 박형신, 권오헌 옮김, 『낭만적 유토피아 소비하기』, 서울: 이학사, 2014. のように日常的でありながらも近代の代表的な神話概念や、光州民主化運動 강인철, 『5·18 광주 커뮤니타스』, 서울: 사람의무늬, 2020. など近代の難解な事例について明快な解釈を提示する、有用な理論である。それでもなお、聖と俗の再配置を通じて近代性をなすリミナリティは、永久的リミナリティに陥った近代人の問題を提示しもする。今日の近代人は一度も近代人であったことがないがゆえに、 브뤼노 라투르 지음, 홍철기 옮김, 『우리는 결코 근대인이었던 적이 없다: 대칭적 인류학을 위하여』, 서울: 갈무리, 2009. 近代は常に未完の改革としてのみ残ることになったためである。
지그문트 바우만 지음, 이일수 옮김, 『액체근대』, 서울: 강, 2009.
에바 일루즈 지음, 박형신, 권오헌 옮김, 『낭만적 유토피아 소비하기』, 서울: 이학사, 2014.
강인철, 『5·18 광주 커뮤니타스』, 서울: 사람의무늬, 2020.
브뤼노 라투르 지음, 홍철기 옮김, 『우리는 결코 근대인이었던 적이 없다: 대칭적 인류학을 위하여』, 서울: 갈무리, 2009.
この問題と関連して、近代性の核心概念であるリミナリティを A. Szakolczai, “Permanent (trickster) liminality: The reasons of the heart and of the mind”, Theory & Psychology 27(2), 2017, pp.231-248. 相関的思惟に現れる自生的近代性へと拡大させた研究者は、金芝河(キム・ジハ)、金益斗、李英蘭である。投獄生活において実際に東学思想が与える生命のリミナリティを経験した金芝河は、出獄後、東学思想と大巡思想に現れた自生的モダニティとポストモダニティについて膨大な分量の著述を残した。金芝河は、東学思想から大巡思想への展開を、生命、律呂、白い影という三段階で説明した。東学思想と大巡思想の差異と関連して、金芝河は甑山思想が東学思想よりも日常を一層強調したと主張する。 김지하, 『김지하전집1』, 서울: 실천문학사, 2002. 金芝河は東学において「生命」を発見し、物質中心の唯物論的西洋近代性に対する自生的近代性を見出す。しかし「生命」と「陰陽」、「侍天主」を発見した東学は、「生命」と「陰陽」、「侍天主」を日常において持続可能なものとしうる根を見出すことができず、「欲速不達」という儒教の典憲を越えられなかったために、自生的脱近代性である大巡思想が現れたと説明している。
김지하, 『김지하전집1』, 서울: 실천문학사, 2002.
金芝河理論の三段階発展について、変化の中心が白い影のリミナリティ概念にあることを明らかにしたのは金益斗である。金芝河は、自らが考案した白い影概念と類似する西欧理論の概念を見出せず、周辺の研究者を当惑させたが、この問題を解決したのが金益斗であった。金益斗は、白い影の二重的属性がリミナリティの様相に現れる二重的属性と一致し、金芝河理論の三段階発展がリミナリティの様相がもつ三段階発展に対応することを示した。金益斗は、白い影がもつリミナリティ属性の共通点のみならず相違点までも提示し、金芝河が説明する東学思想と大巡思想の固有性をも導き出す。専門的な戯曲研究者として金益斗は、東西洋の神話を戯曲として分析し、東・西洋神話の様相における決定的な差異がアリストテレスの葛藤理論にあることを見出す。そして、このアリストテレスの葛藤理論がリミナリティ理論にまで連なり、リミナリティの東西洋差異が、金芝河が発見した自生的ポストモダニティと西洋のポストモダニティの差異にまで連結されると説明する。したがって金益斗は、金芝河が発見した東学思想と大巡思想に現れた自生的モダニティとポストモダニティが、西洋のポストモダニズムがあれほど探し求めていた代案的近代性であることを明らかにする。 김익두, 「상생ㆍ해원ㆍ대동의 ‘천지굿’ 비전과 신명 창출의 문체」, 『천년의시작』 11(3), 2012, pp.12-25.
김익두, 「상생ㆍ해원ㆍ대동의 ‘천지굿’ 비전과 신명 창출의 문체」, 『천년의시작』 11(3), 2012, pp.12-25.
金益斗の研究は、リミナリティをポストモダニズムの共通した属性として明らかにした李英蘭の研究によって、より西欧理論と精密に結合され、自生的モダニティおよび自生的ポストモダニティ理論にまで発展する。李英蘭は、リミナリティ理論をポストモダニズムに現れる共通的現象として分析する。脱近代性理論家たちが近代を批判した諸概念の共通点にリミナリティの様相があることを、李英蘭は発見したのである。これによりリミナリティは、現代の東西洋思想を総括するキーワードとみなされる。李英蘭は、メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の身体の現象学、デリダの脱構築主義、ホワイトヘッドの過程哲学、ドゥルーズの生成哲学、金相日の韓思想(ハン思想)、韓国の仙道思想を、公演学的観点から〈表2〉のようにリミナリティ理論として統合し、提示している。 이영란, 『리미널리티』, 서울: 동방인쇄공사.2020, p.162.
이영란, 『리미널리티』, 서울: 동방인쇄공사.2020, p.162.
公演学的観点からリミナリティと脱近代性を要約した上の表は、相関的思惟のリミナリティを自生的近代性として表現する主要な観点を提供する。魂と魄、身体と精神の結合が、天観・地観・人間観において人間に与えられた核心課題であるとするとき、身体と精神を結合する公演学は、主要な方法論を提示することができる。実際に現象学に身体を導入したメルロ=ポンティは、現象学の発展に独創的な寄与をした哲学者として評価されており、脱近代性の核心主題もまた「身体」の導入であるという。あわせて李英蘭は、脱近代性としてのリミナリティの特徴を、系統発生を反復する個体発生として規定し、弁証法との差異を明示する。李英蘭は、リミナリティ過程において起こる反構造、分離などの段階が、系統発生を反復しなければならない個体発生の過程として理解されうるとする。すなわちリミナリティの二項対立統合過程は、系統発生を反復しなければならない個体の通過過程となる。実際にターナーもまた、転移段階における無化過程を、プレリミナルな段階とポストリミナルな段階の統合として説明している。
〈表2〉. 公演学的観点のリミナリティと脱近代性の要約
現象学/脱構築主義/過程哲学/生成哲学/メルロ=ポンティ/ジャック・デリダ/アルフレッド・ホワイトヘッド/ドゥルーズ・ガタリ/個人的意識と現実との間の生きた経験/「間」における予測不可能で不確定的な様相/存在は存在によって構成されるのではなく生成によって構成される/存在と存在の作動原理を機械と配置として解釈/生きた俳優の身体を通じて顕れる世界の顕現/「私」と「役」との「間」「間隙」において起こる予測不可能性/「私」と「役」が自ら共に変化していく過程的行為それ自体/「私」と「役」とは存在ではなく存在の間で繰り広げられる変化の様相
現象学
脱構築主義
過程哲学
生成哲学
メルロ=ポンティ
ジャック・デリダ
アルフレッド・ホワイトヘッド
ドゥルーズ・ガタリ
個人的意識と現実との間の生きた経験
「間」における予測不可能で不確定的な様相
存在は存在によって構成されるのではなく生成によって構成される
存在と存在の作動原理を機械と配置として解釈
生きた俳優の身体を通じて顕れる世界の顕現
「私」と「役」との「間」「間隙」において起こる予測不可能性
「私」と「役」が自ら共に変化していく過程的行為それ自体
「私」と「役」とは存在ではなく存在の間で繰り広げられる変化の様相
このように李英蘭は、リミナリティ概念を脱近代性にまで適用したという点で、金益斗の研究をより拡大しうる契機を設けた。李英蘭は、東洋の相関的思惟と西洋の脱近代性概念に現れる類似性を、リミナリティとして総合する。これによって李英蘭の研究により、東学思想と大巡思想の自生的近代性が、脱近代性と連結される代案的近代性となりうるという理論的基盤が設けられた。金益斗と李英蘭は共通して、ターナーとシェクナーの公演学において、天地人に対応する身体と精神が結合する東洋公演学のリミナリティを見出した。これによりリミナリティは、両思想の近代性を理解する主要な哲学的思惟方法となりうる。このようにみるとき、相関的思惟のリミナリティとしての自生的近代性とは、実体中心の西洋的天観・地観・人間観と、属性中心の東洋的天観・地観・人間観との系統発生的融合、すなわち伝統の連続と変化となり、自生的脱近代性は自生的近代性を包含することになる。
東学思想と大巡思想に代表される新宗教をリミナリティとして初めて解釈した研究には、尹勝龍(ユン・スンヨン)の研究がある。 윤승용, 「新宗敎의 反構造(communitas)的 性格에 관한小考」,서울: 서울大學校 大學院, 1988. 尹勝龍は、リミナリティと新宗教についての分析において、前例のなかった韓国新宗教の成功を、リミナリティとコムニタスとして解釈し出している。しかし当時の韓国にはポストモダニズムが紹介されていなかったため、尹勝龍はリミナリティを自生的近代性にまで連結することはなかった。尹勝龍の先行研究を金芝河研究に拡大・適用し、さらに韓国宗教精神史を統合した鄭鎮弘(チョン・ジンホン)の研究と結合させれば、 정진홍, 『한국종교문화의 전개』, 서울:집문당, 1988. 東学思想と大巡思想は自生的な近代性として理解しうるようになる。
윤승용, 「新宗敎의 反構造(communitas)的 性格에 관한小考」,서울: 서울大學校 大學院, 1988.
정진홍, 『한국종교문화의 전개』, 서울:집문당, 1988.
近代性が急激な変化のただなかにあったという点で、近代性は通過儀礼のようにリミナリティの属性をもつようになり、平等と自由という反構造的な近代思想が出現することを助ける。例えば、結婚式のような通過儀礼を控えた男女は、未婚でもなく既婚でもない境界性を呈し、通過儀礼以前には通過儀礼と相反する逸脱と反構造を部分的に許容するようになる。近代という大変革を控えた社会もまた、前近代的属性を離れる前に、フランス大革命のような平等と自由の時期を通過する。東洋においては、洪秀全の太平天国の乱や、東学の農民革命運動があった。
西洋と東洋はいずれも天観・地観・人間観を通じてリミナリティを構築し、近代性を実現するが、自己から宇宙へと拡大していく合理性をもつ西洋と、宇宙から自己へと合理性を拡大していく東洋とでは、近代性のリミナリティの形態が異なっていた。 리처드 니스벳 지음, 최인철 옮김, 『생각의 지도: 동양과 서양, 세상을 바라보는 서로 다른 시선』, 파주: 김영사, 2004. この差異を誤解して、西洋は東洋に近代性がないとし、東洋を植民地として収奪した。幸いにも日露戦争において日本が奇跡的にロシアに勝利したことで、東洋は日本中心ではあるが再起に成功する。植民地経営に限界を迎えた西洋は、内部的に闘争の方向を転換させて互いに共倒れとなり、東洋は独立という活路を見出す。
리처드 니스벳 지음, 최인철 옮김, 『생각의 지도: 동양과 서양, 세상을 바라보는 서로 다른 시선』, 파주: 김영사, 2004.
リミナリティは、相反する要素の調和を強調する東洋の相関的思惟と類似性をもつ。実際にポストモダニズム以後、東洋の儒仏仙もまた脱近代的思惟の原型として再評価されながら、儒仏仙が基盤とする陰陽五行の相関的思惟がもつ近代性が再評価されてきた。東アジア三国のうち、自生的三界観によって近代性を構築した事例は、特に韓国の東学思想と大巡思想である。五・四運動と明治維新によって伝統的三界観を排斥した中国・日本とは異なり、東学思想と大巡思想は、自生的三界観と関係する開闢を共通して強調している。韓国の近代性は、実に自生的三界観の変化である「開闢」から近代性を始める。 조성환, 「동학의 자생적 근대성: 해월 최시형의 인간관과 세계관을 중심으로」 『신학과 철학』 (36), . 2020, pp.223-243.
조성환, 「동학의 자생적 근대성: 해월 최시형의 인간관과 세계관을 중심으로」 『신학과 철학』 (36), . 2020, pp.223-243.
このような視角からみるとき、理想的状況においては分析的思惟よりも相関的思惟においてより多様な平等と自由が実現されたが、怨恨が累積された歪曲された状況においては、むしろ相関的思惟の否定的側面が発生し、かえって分析的思惟よりも自由と平等が抑圧されうるものであった。相関的思惟の否定的側面は「完璧な図式の誤謬」として表現される。伝統的な天観・地観・人間観に内在する相関的思惟は、一つの宇宙のなかで事実と価値が葛藤しない安定と持続性を確保した。しかしその代わりに、新たな経験を無慈悲に飲み込み、整然と分類してしまう完璧な図式ゆえに、冒険と挑戦を忘却しなければならないという高価な代価を払わねばならなかった。 이창일, 『소강절의 철학』, 서울: 심산, 2007. p.479. 特に外部環境の急激な変化に直面した東洋においては、怨恨によって歪曲された三界を開闢する新たな自生的思想が切実に要請された。
이창일, 『소강절의 철학』, 서울: 심산, 2007. p.479.
自生的近代性の聖(聖)・俗(俗)持続機制としての再活性化
近代性としてのリミナリティは、帝国と植民地によって伝統に対する態度の差異が鮮明に現れる。 이합 핫산 지음, 정정호, 이소영 옮김, 『포스트모더니즘 개론』, 서울: 翰信文化社, 1991. 伝統に対する反作用としてアイデンティティを規定した西欧近代性の場合、リミナリティは伝統に対する否定的立場が強調されたとすれば、植民地の経験をもつ非西欧国家の近代性は、西欧に対する反作用として伝統に肯定的立場が強調されるリミナリティの様相が多かった。非西欧近代性において、伝統に肯定的立場が強調されるリミナリティの形態が、再活性化運動として言及されてきた。再活性化理論は、ターナーのリミナリティ理論が出現する前に登場した理論であるため、リミナリティ理論に比べて拡大可能性は制限されるが、リミナリティ理論のなかでも伝統の連続と変化の部分については、より明確な説明を提示する。
이합 핫산 지음, 정정호, 이소영 옮김, 『포스트모더니즘 개론』, 서울: 翰信文化社, 1991.
ウォレスによれば、社会の信念体系が変わるのは、一社会の成員がもつ精神的イメージ(mental image)であるメイズウェイ(Mazeway, 認識地図、原義は迷路)を通じてである。 Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, p.166. ウォレスによれば、一社会の構成員は皆、社会有機体の一部として、自らの身体と身体が行う行為の規則性についてのみならず、自らが属する社会と文化について精神的イメージをもつようになるが、まさにこのイメージが「メイズウェイ」に該当するという。それは、社会のすべての人がシステムのすべての水準において変化の圧力を減らす方式で行動するために、社会と文化、自らの身体と行動規則についての精神的イメージを維持するうえで機能的に必要である。私が「迷路の道」と呼ぶこのイメージ……〔それは〕一人の人が見る自然、社会、文化、性格、身体のイメージである。(김주관, 「교차문화적 비교로 본 재생운동으로서 동학」, 『동학학보』35, p.244 재인용) ウォレスは人間社会を巨大な有機体としてみており、メイズウェイは各社会構成員がこのような社会的有機体に適応していく方式である。迷路という概念は、社会的環境のなかで生きていく物理的客体についての認識のみならず、与えられたストレスを最小化するために個人が調整する方式や、社会構成員とともにこの迷路を調整し再構成する方式についての認識を含む。 최형근, 「선교와 문화변화」, 『선교신학』16, 2007, p.272.
Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, p.166.
그것은. 사회의 모든 사람이 시스템의 모든 수준에서 변화의 압력을 줄이는 방식으로 행동하기 위해 사회와 문화, 자신의 신체와 행동 규칙에 대한 정신적 이미지를 유지하는 데 기능적으로 필요합니다. 내가 '미로길'이라고 부르는 이 이미지... [그것은] 한 사람이 보는 자연, 사회, 문화, 성격, 신체 이미지입니다.(김주관, 「교차문화적 비교로 본 재생운동으로서 동학」, 『동학학보』35, p.244 재인용)
최형근, 「선교와 문화변화」, 『선교신학』16, 2007, p.272.
社会のアイデンティティ危機が訪れると、個人にはこのメイズウェイに危機が訪れることになり、これは物質的な危機のみならず社会を構成するイデオロギーの危機にまで連結されるため、社会構成員には物質的危機よりも大きな脅威として迫ってくることになる。これに対し社会は、多様な宗教的再活性化運動によって反応するようになり、一部の宗教運動は政治運動にまで拡大される。帝国主義が膨張した一九〜二〇世紀、数多くの植民地国家の指導者たちにとって最も脅威的であったのは、物質的危機よりもアイデンティティ危機であった。数千年間続いてきた伝統は西欧文明によって迷信としてタブー視され、尊敬されていた指導者たちは迷信を助長する詐欺師へと転落し、もはや伝統社会の信念体系は社会秩序を維持できず、個人の社会的地位もまた取り返しのつかぬほど墜落した。
一般大衆にとっても、伝統の崩壊は強い精神的ストレスとして作用した。新たな西洋の信念体系も、崩れた伝統信念体系と同じく長い伝統から来た、いつでも崩れうる信念体系であるにもかかわらず、自分たちの信念体系だけが否定される状況において、一般大衆と指導者たちが選びうる方法は、既存の伝統を新たに解釈する伝統の専有(領有)、すなわち再活性化であった。再活性化は時間、空間、人間のすべてに適用された。時間の場合は、新たな時代が到来するという千年王国運動(Millenarianism)として現れ、空間の場合は、新たなユートピアが到来するという地上天国運動となりもする。人間的には、宗教学説が混合される混淆主義が現れもし、政治的には無抵抗主義が現れもする。大部分の一九〜二〇世紀の宗教運動は再活性化の類型として分類されえ、東学の場合はこのすべての類型が総合されている。
再活性化理論は、一九五二年にインディアン部族の一つであるセネカ(Seneca)部族の預言者ハンサム・レイク(Handsome Lake, 1735-1815)が起こし、一九世紀初頭にイロコイ族(Iroquois)に現れたロングハウス運動(Long House movement)についての探究を基盤として、宗教団体の誕生と発展を評価しようとする理論として出発した。中国を中心とする長い宗法的秩序を世界の全体としてのみ知っていた朝鮮に、日本と西欧の資本主義的物質文化がアイデンティティ危機を引き起こしたように、長い年月、文化的自負心をもって生きてきたインディアンたちにとって、銃と刀によって自らの権威を崩す西洋文化と西洋人は、大きな衝撃として迫ってきた。
ニューヨークが位置するアメリカ北東部の代表的なインディアン部族であるイロコイ族にとって、その衝撃はより大きく迫ってきた。イロコイ族の一つであるセネカ部族の指導者階層の一人であったハンサム・レイクもまた、アメリカの植民政策によってアイデンティティ危機を深刻に経験した人物であった。ハンサム・レイクが生きていた時期は、アメリカの金鉱が発見されてゴールドラッシュが進行する時期であり、このゴールドラッシュが生じることで、かつてアメリカと対等な位置で互いに国家対国家の契約を結んでいたインディアンの地位は、韓日合邦の際に国家資格を喪失した朝鮮と同様に、保護国へと転落する。
併合をしたとしても、支配のために既存の両班の地位を保全してやった日本とは異なり、アメリカはインディアン指導層の地位を認めなかった。落胆した他のインディアン指導者たちと同じく、ハンサム・レイクもまた酒と放縦の生活へと入り込むが、ある日、改心の転機が設けられる。水雲に現れた上帝のように、ハンサム・レイクもまた神秘体験をするようになるが、ハンサム・レイクに現れた霊妙なる存在は、ハンサム・レイクにインディアンの再活性化された未来を啓示し、その条件として節制された規律による生活を要請するようになる。
神秘体験から覚めたハンサム・レイクは放縦生活を清算し、神秘体験で経験したことと学んだ教えを直接実践し、他の人々に広く伝え、多くのインディアンがハンサム・レイクのように放縦生活を清算して規律運動に参加するようになる。これらが集まった場所が、ハンサム・レイクのいたロングハウス(Long House)であったため、これを「ロングハウス運動」と呼ぶ。ハンサム・レイク以後にも北米インディアン社会では、踊りを踊るとインディアンのユートピアが早く到来するという啓示に従って、ゴーストダンス(ghost dance)が流行しもし、「ペヨーテ」という薬草を食べる「ペヨーテ儀礼」が現れもする。 김주관, 「교차문화적 비교로 본 재생운동으로서 동학」, 『동학학보』 35, 2015, p.257.
김주관, 「교차문화적 비교로 본 재생운동으로서 동학」, 『동학학보』 35, 2015, p.257.
ハンサム・レイクの事例は、再活性化の典型的な段階を示している。ウォレスは、ハンサム・レイクの事例を通じて、数多くの再活性化の事例に共通する段階を発見する。ウォレスは再活性化運動を「より満足のいく文化を構築するための社会構成員の慎重で組織的で意識的な努力」として定義する。再活性化運動は、現在のシステムが満足のいくものでないため、そうする必要があると感じるときに生じる。人々は新たな機能、新たなシステムを革新し、これは連鎖反応効果へとつながる。活性化は、社会を有機体としてみることを意味する理論であり、デュルケームによって初めて導入された。 Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, pp.146-149. 変化の圧力を受けると、社会は「個別構成員の生命維持体系(Matrix)」の不変性を保存するために緊急措置を取る。 Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, p.255.
Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, pp.146-149.
Wallace, Anthony F. C., Religion; an Anthropological View. New York: Random House 1966, p.255.
リミナリティ理論と再活性化理論がともに変化についての理論であるという共通点をもつが、リミナリティが変化機制についての理論であるとすれば、再活性化(Revitalization Movements)理論は持続機制についての理論であるといえる。リミナリティ理論が主に危機に対して変化によって問題を解決するのに対し、再活性化理論は危機に対して伝統によって問題を解決するという差異がある。個人がひどいストレスに直面し、自らの迷路が安堵感を提供しないことを悟るとき、彼は選択に直面する。伝統を継いでいくか変化するかの択一である。「迷路と『現実』の一致のために『実際の』システムを変更しなければならないかもしれない。より効果的なストレス減少を許容しようと、メイズウェイと『実際の』システムの変化をともに作動させようとする試みもまた、活性化のための努力である。また、そのような努力に多くの人々が協力するのが再活性化運動である。」 Wallace, Anthony FC, "Revitalization Movements." American anthropologist, 1956, pp.266-267.
Wallace, Anthony FC, "Revitalization Movements." American anthropologist, 1956, pp.266-267.
リミナリティ理論と再活性化理論が文化変化理論として注目される理由は、内部と外部の変化について、さまざまな変化のなかから一つの共通した公式を見出したという点である。神話の場合、エリアーデが発見した数多くの神話のなかから、ジョーゼフ・キャンベル(Joseph John Campbell, 1904-1987)は英雄の循環という一つの公式を見出し、この公式をハリウッドのシナリオ作成に応用して、数多くのブロックバスター映画が作られた。キャンベルの一七循環は次のとおりである。Ⅰ. 第一幕:1.日常世界、2.冒険への召命、3.召命の拒否、4.精神的師との出会い、5.第一の関門の通過。Ⅱ. 第二幕:6.試練・協力者・敵対者、7.洞窟の最も深い所への接近、8.試練、9.報償。Ⅲ. 第三幕:10.帰還の道、11.復活、12.霊薬をもって帰還。キャンベルの一二循環は、分離―通過―帰還という三段階で構成されている。三段階に区分される場合、さらに一七段階に細分化されもする。Ⅰ.出発、分離:1.凡俗な日常の世界、2.冒険への召命、3.召命の拒否、4.超自然的な助力、5.第一の関門の通過、6.鯨の腹。Ⅱ. 下降、入門、通過:7.試練、8.女神との出会い、9.誘惑者としての女性、10.父との和解、11.神格化、12.究極の恩寵。Ⅲ. 帰還:13.帰還の拒否、14.不可思議な脱出、15.外部からの救助、16.(帰還)関門の通過、17.生の自由。 크리스토퍼 보글러 지음, 함춘성 옮김, 『신화 영웅 그리고 시나리오 쓰기』, 무우수, 2005, p.51,:조셉 캠벨 지음, 이윤기 옮김, 『천의 얼굴을 가진 영웅』, 민음사, 1999, pp.44-45, 54-59, 315, 333-337; 조득창, 김덕삼 최원혁, 「캠벨 신화이론 접목을 통한 경극의 재조명」, 『예술인문사회융합멀티미디어논문지』 7(1), 2017, pp.979-987; 김현자, 「캠벨의 신화론」, 『종교와 문화』 6, 서울대학교 종교문제연구소, 2000. 実際に西洋の近代性はルネサンスというギリシア・ローマ文化の再活性化から始まり、イスラムとインドもまた再活性化を通じて自生的近代性を構築している。
캠벨의 17순환은 다음과 같다. Ⅰ.제1막: 1.일상세계, 2.모험에의 소명, 3.소명의 거부, 4.정신적 스승과의 만남, 5.첫 관문의 통과. Ⅱ. 제2막: 6.시험·협력자·적대자, 7.동굴 가장 깊은 곳으로의 접근, 8.시련, 9. 보상 Ⅲ. 제3막 : 10.귀환의 길, 11. 부활, 12. 영약을 가지고 귀환. 캠벨의 12순환은 분리-통과-귀환이라는 3단계로 구성되어 있다. 3단계로 구분되는 경우 다시 17단계로 세분화되기도 한다. Ⅰ.출발,분리 : 1.범속한 나날의 세계, 2. 모험에의 소명, 3.소명의 거부, 4.초자연적인 조력, 5.첫 관문의 통과, 6.고래의 배 Ⅱ. 하강, 입문, 통과 : 7.시련, 8.여신과의 만남, 9.유혹자로서의 여성, 10.아버지와의 화해, 11.신격화, 12.궁극의 은혜 Ⅲ. 귀환 : 13.귀환의 거부, 14.불가사의한 탈출, 15.외부로부터의 구조, 16. (귀환) 관문의 통과, 17.삶의 자유. 크리스토퍼 보글러 지음, 함춘성 옮김, 『신화 영웅 그리고 시나리오 쓰기』, 무우수, 2005, p.51,:조셉 캠벨 지음, 이윤기 옮김, 『천의 얼굴을 가진 영웅』, 민음사, 1999, pp.44-45, 54-59, 315, 333-337; 조득창, 김덕삼 최원혁, 「캠벨 신화이론 접목을 통한 경극의 재조명」, 『예술인문사회융합멀티미디어논문지』 7(1), 2017, pp.979-987; 김현자, 「캠벨의 신화론」, 『종교와 문화』 6, 서울대학교 종교문제연구소, 2000.
仏家においては、修道を通じた数多くの変化過程を十牛図によって共通点として提示したことがある。大巡思想もまた十牛図を尋牛図に改作し、修道過程の奮発を要請しもする。このような脈絡において、キャンベルの英雄循環一七段階は、尋牛図六幅の絵のように再活性化の段階に従う。再活性化過程は「多少重複する五段階」に従う。
1. 正常状態
2. 個人的ストレスの期間
3. 文化的歪曲の時代
4. 活性化の期間(メイズウェイの再構成、コミュニケーション、組織、適応、文化変形および日常化の機能が発生する)
5. 新たな安定状態。 Wallace, Anthony FC, "Revitalization Movements." American anthropologist, 1956, p.268
Wallace, Anthony FC, "Revitalization Movements." American anthropologist, 1956, p.268
宗教学において、リミナリティは通過儀礼に属し、再活性化は再活性化儀礼に属する。これは儒教における内聖外王と類似している。リミナリティは内部を修養する内聖に、再活性化は外部と疎通する外王に近い。東学もまた、内聖は反封建、外王は反外勢として対応した。
相関的思惟において、リミナリティを経て再活性化に至る過程は、儒教経典『大学』における格物致知―正心修身―斉家平天下の段階と類似している。相関的思惟が格物致知の方法によって東学の認識論を導き出すとすれば、リミナリティは正心修身のように東学の内部的成長方法を示し、再活性化理論は斉家治国のように東学の西学に対する外部的対応を表す。
「東学」という名称は、既存の儒仏仙を統合するという再活性化の端緒をもち、「真東学」はこれを完成するという意味をもつ。大巡真理会は、今日東学に関連する数多くの団体のなかで、東洋伝統の宗団名称と教理体系をもって大宗団をなした唯一の団体である。これをリミナリティの観点からみれば、リミナリティの様相において成し遂げた変化が持続する唯一のコムニタスとみることができる。東学思想を生成し続けるリミナリティとしてみれば、大巡思想の「会」はコムニタスに対応するといえる。これについて「会」という特性を、パトリック・ロード(Patrick Laude, 1958-現在)は東洋の近代性として解釈したことがある。 P. Laude, “Reflections on Civilization, Modernity, and Religion in Light of the Fellowship of the Truth”, Journal of Daesoon Thought and the Religions of East Asia 1(1), 2021, pp.39-60.
P. Laude, “Reflections on Civilization, Modernity, and Religion in Light of the Fellowship of the Truth”, Journal of Daesoon Thought and the Religions of East Asia 1(1), 2021, pp.39-60.
大巡思想が宗団として発生する無極道からは、リミナリティよりも再活性化が適合する。このように東学思想と大巡思想の相関的思惟に現れた自生的近代性は、宗教人類学のリミナリティと再活性化理論を通じて、一層普遍的に説明することができる。産業化に重点を置いた近代化とは異なり、近代性は文化的変化を強調する。西欧の産業化が伝播した非西欧社会においては、近代性は近代化よりは文化の変化と持続という側面が際立っており、これによりリミナリティと再活性化が、非西欧社会の自生的近代性を説明する適合した用語となる。西洋の近代化もまた、産業化以前にはリミナリティと再活性化によって説明されうる。西洋においても近代性の契機は、東西洋の衝突、すなわちモンゴルの侵入とペストの流行であったという。モンゴルの侵入とペストの流行は、キリスト教に代表される既存の天観・地観・人間観の危機と反省を招いた。ついに西欧は、キリスト教に対する対応理論として原子論という新たな天観・地観・人間観を考案する。これらはルネサンスという名のもとに、再活性化を通じて原子論を考案し、変化を持続する。さらに西欧は、東洋の共感文化を受け入れて、啓蒙主義を通じて近代性を構築する。
東西洋のリミナリティと再活性化は共通して展開されるが、主要な差異は相関的思惟にある。今日、相関的思惟のような認識論もまた、認知宗教学の領域において解釈され、脱近代性を超えて人間と機械の結合が問題となるポストヒューマニズム(Post-humanism)へと進化している。 정진홍, 김태연, 장석만, 이진구 임현수, 『한국 종교학』, 서울: 대한민국학술원, 2021, pp.398-431. しかし西欧の近代性が流入していた当時、相関的思惟は東洋の近代性を停滞させた要因として指摘され、自生的近代性の土台として主流社会から排斥される。しかし韓国の新宗教は、これを自生的近代性の土台とする。この点は今日、再評価されるべきである。韓国新宗教を貫く思想を人間中心主義であるといえるとすれば、 김탁, 『한국신종교를 관통하는 이념, 인간중심주의』, 서울: 민속원, 2023. これは新唯物論を超えて、人工知能時代に対抗しうるポストヒューマニズムとして解釈されうるためである。
정진홍, 김태연, 장석만, 이진구 임현수, 『한국 종교학』, 서울: 대한민국학술원, 2021, pp.398-431.
김탁, 『한국신종교를 관통하는 이념, 인간중심주의』, 서울: 민속원, 2023.
相関的思惟理論は、西洋と常に相反する性向を見せる東洋伝統の特徴とその理由を示す。ターナーのリミナリティ理論は、なぜ危機の時代に宗教的リミナリティが必要であるかを提示する。さらにウォレスの再活性化理論は、伝統の再構成が行われる様相を表す。
相関的思惟理論、ターナーのリミナリティ理論、ウォレスの再活性化理論の共通点は、一社会と文化伝統の連続と変化を論じる代表的理論であるという点である。相関的思惟理論が東西洋文化の根源的差異点を教えて東洋文化伝統の連続と変化を説明してくれる理論であるとすれば、リミナリティ理論と再活性化理論は、一社会の既存秩序がいかに変化し、変化が持続するかをよく示してくれる。
客観性を代表する科学すらもパラダイム(paradigm)に過ぎないかもしれないというクーンの科学哲学のように、学問の方法論は一社会を維持・変化させる思考のフレーム(Frame)として作動し、このフレームは各社会のイデオロギーとユートピアを形成する。かねてよりマンハイムは、一社会の秩序維持と変化を、イデオロギー(Ideology)とユートピア(Utopia)として要約したことがある。 카를 만하임 지음, 임석진 옮김, 송호근 해제. 『이데올로기와 유토피아』, 파주: 김영사, 2012. イデオロギーが既存秩序を維持しようとする理念と態度であるとすれば、ユートピアは既存秩序を変革しようとする理念と態度である。リミナリティと再活性化理論は、宗教において現れるイデオロギーとユートピアの宗教人類学的発生と変化過程を説明する理論である。 Anthony F. C. Wallace 지음, 김종석 옮김, 『종교인류학』, 천안: 아우내 2010, pp.146-149. 社会内部構成員の変化である通過儀礼理論から出発したリミナリティ理論が、社会秩序の内部的変化と成長に焦点があるとすれば、文化接変理論から出発した再活性化理論は、外部衝撃に対する対応を強調する。両理論はいずれも、宗教のイデオロギー的機能とユートピア的機能を説明する代表的理論である。
카를 만하임 지음, 임석진 옮김, 송호근 해제. 『이데올로기와 유토피아』, 파주: 김영사, 2012.
Anthony F. C. Wallace 지음, 김종석 옮김, 『종교인류학』, 천안: 아우내 2010, pp.146-149.
東学は、その名称から、西学という外部イデオロギーに対する対応様相が現れる。これと関連して、東学は第一に、東洋の認識論的方法という意味が強調された「東」という側面を強調した。ここで「東」は、相関的思惟という方法論的対応を意味する。第二に、内部的変化と成長を追求する「学」という側面において、通過儀礼理論であるリミナリティ理論を含む。第三に、「西学」という外部イデオロギーの衝撃に対する対応であるという点において、再活性化の特性も含む。このように東学関連思想は、三つの理論を立体的に適用して研究するとき、宗教学的に人類普遍的な価値が導き出されうる。
相関的思惟理論が東学思想や大巡思想に適用された場合がほとんどないのに対し、リミナリティ理論を東学思想 조혜진, 「저항의례로서 '오광대놀이'와 '동학','삼일운동'과의 상관성-소설 [토지] 의 이야기 서사 특성과 저항의례 연구」, 『현대문학의 연구』 78, 2022, pp.63-102. と大巡思想に 김태수, 「『전경』 에 나타난 입문의례에 관한 연구」, 『대순사상논총』24(2), 2015, pp.85-115; 김태수, 『천지공사에 나타난 의례적 성격 연구』. 대진대학교 박사학위논문, 2013. それぞれ適用した研究はあるが、東学思想と大巡思想との比較の次元から研究されてはいない。リミナリティ理論は、両思想の比較研究において詳細な研究として適用されうるという点で、その思想的差異と意義をより明確に顕在化させるのに用いられうる。東学思想と開化思想、東学思想と儒教思想の共同体意識などについては比較研究がある。(진보성, 「19세기 후반 조선에서의 사회 변혁적 公共의식의 두 갈래」, 『인문사회 21』 13(2): 2022; 진보성, 김종곤, 「동학의 연대적 공동체 의식과 근대의 길」, 『大同哲學』 104, 2023.
조혜진, 「저항의례로서 '오광대놀이'와 '동학','삼일운동'과의 상관성-소설 [토지] 의 이야기 서사 특성과 저항의례 연구」, 『현대문학의 연구』 78, 2022, pp.63-102.
김태수, 「『전경』 에 나타난 입문의례에 관한 연구」, 『대순사상논총』24(2), 2015, pp.85-115; 김태수, 『천지공사에 나타난 의례적 성격 연구』. 대진대학교 박사학위논문, 2013.
동학사상과 개화사상, 동학사상과 유교사상의 공동체 의식 등에 대해서는 비교연구가 있다. (진보성, 「19세기 후반 조선에서의 사회 변혁적 公共의식의 두 갈래」, 『인문사회 21』 13(2): 2022; 진보성, 김종곤, 「동학의 연대적 공동체 의식과 근대의 길」, 『大同哲學』 104, 2023.
ウォレスの再活性化理論もまた、キリスト教と伝統宗教の出会いに関連する世界の多様な事例に適用されて研究されてきており、東学思想単独分野 김주관, "교차문화적 비교로 본 재생운동으로서 동학." 동학학보(35), 2015, pp.237-272. および東学思想と天道教を連結する研究 김한구, "동학천도교에 관한 문화인류학적 일고찰." 社會科學論叢 9, 1990, pp.143-172.、そして大巡思想においても、ベルナデット・リガル=セラール(Bernadette Rigal-Cellard)によって研究されたことがある。 Rigal-Cellard, Bernadette, "Daesoon Jinrihoe in Light of Anthony Fc Wallace's Revitalization Theory." Religiski-filozofiski raksti 30(2), 2021, pp.134-162.
김주관, "교차문화적 비교로 본 재생운동으로서 동학." 동학학보(35), 2015, pp.237-272.
김한구, "동학천도교에 관한 문화인류학적 일고찰." 社會科學論叢 9, 1990, pp.143-172.
Rigal-Cellard, Bernadette, "Daesoon Jinrihoe in Light of Anthony Fc Wallace's Revitalization Theory." Religiski-filozofiski raksti 30(2), 2021, pp.134-162.
しかしベルナデットの研究は、東学思想と大巡思想のリミナリティは比較しなかった。したがって、両思想の差異から現れるリミナリティの差異と相関的思惟は浮き彫りにされなかった。これに対し論者は、東学思想と大巡思想を東洋の思惟方法論的側面から比較し、リミナリティおよびウォレスの再活性化理論を適用するならば、真東学であるという大巡思想と東学思想との差異が明確に顕在化されうるとみる。
東学思想と大巡思想を真東学という側面から連続的に把握した研究には、高南植の研究がある。 고남식, 「대순사상에 나타난 동학의 위상과 증산의 참동학 전개」 『대순사상논총』 16, 2003, pp.1-23. 本稿は、大巡思想を東学思想の連続と変化の側面から検討した先行研究を基盤として、既存の東学思想についての先行研究を総合し、東洋思想の学術的方法を適用する。ただしこれを宗教人類学的側面から詳細に考察することによって、東学が提示する理想世界の実現にまで東学の範囲を拡大した大巡思想の側面を、より緻密に照明する。特に、大巡思想が東学の再活性化に失敗した地点において、いかに東学を再活性化させたかを、伝統の連続と変化の側面から考察しようとする。これを通じて、東学思想と大巡思想についての異なる二つの方面の研究である民衆運動と宗教思想、そして理想世界の実現という実践的東学研究までを総合する有機的方法を適用し、両思想の人類普遍的思想としての価値を提示しようとする。
고남식, 「대순사상에 나타난 동학의 위상과 증산의 참동학 전개」 『대순사상논총』 16, 2003, pp.1-23.
リミナリティと再活性化は、自己反省と創造的受容を共通的特徴とする。通過儀礼としてのリミナリティには、二項対立を統合しうる底の体験と、反省を通じた新たな創造が現れる。再活性化理論もまた、自己文化を見慣れぬものとして見ることによって、自己文化にある肯定的側面が再照明される。自己を第三者として見慣れぬものとして見る反省と討論は、大巡思想において教化を真理討論と呼ぶという点からして強調されている。(『대순지침』,1장 5절; 엄혜진, 「대순진리회 교화방법의 토론교육적 접근.」,.大眞大學校 석사학위논문, 2019) これは大巡思想において修道の根本として強調されてきた毋自欺(毋自欺)の属性と合致する。毋自欺は、反省を通じて自己を見慣れぬものとして見ることによって、底の体験と反省を通じた新たな創造、自己のなかにある肯定的側面を再照明してくれるためである。「毋自欺」概念と大巡思想の相生が連結される地点についても、すでに西洋哲学の観点から研究されたことがある。 김태수, 「대순사상의 무자기(無自欺)에 나타난 상생윤리 - 칸트와 밀의 윤리관과의 대비를 중심으로」, 『대순사상논총』 27, 2016. このような点に注目し、本論文では、リミナリティと再活性化を通じて、相関的思惟の天観・地観・人間観が西洋の天観・地観・人間観を受容して新たに再創造されることが、東学思想と大巡思想の自生的近代性となるという点を照明しようとする。「毋自欺」は、大巡思想の天地人の関係が集約される地上天国、地上神仙の実現とともに、大巡思想の目的、すなわち理想社会と合致する。(나권수, 「大巡眞理會의 理想社會論 硏究.」,.大眞大學校 박사학위논문, 2016) 西洋近代性の東洋的起源と、相関的思惟の合理性に対する誤解は、東学関連思想に現れた自生的リミナリティと再活性化に対する評価にも影響を及ぼした。相関的思惟のリミナリティの様相が分析的思惟のリミナリティと異なる点は、分析的思惟のリミナリティが弁証法のように相互対立的な二要素を調和させるとすれば、相関的思惟のリミナリティは相補的な二要素の境界を調和させるという点である。これに対し本研究では、東学関連思想が内包し、大巡思想が注目する西欧近代性の東洋的起源を念頭に置き、両思想が相関的思惟のリミナリティとして自生的近代性という再活性化を成し遂げようとした道程を追跡しようとする。
자기를 제3자로 낯설게 보는 반성과 토론은 대순사상에서 교화를 진리토론이라고 부르는 점에서부터 강조되고 있다.(『대순지침』,1장 5절; 엄혜진, 「대순진리회 교화방법의 토론교육적 접근.」,.大眞大學校 석사학위논문, 2019)
‘무자기’개념과 대순사상의 상생이 연결되는 지잠에 대해서도 이미 서양철학의 관점에서 연구된 바가 있다. 김태수, 「대순사상의 무자기(無自欺)에 나타난 상생윤리 - 칸트와 밀의 윤리관과의 대비를 중심으로」, 『대순사상논총』 27, 2016.
‘무자기’는 대순사상의 천지인의 관계가 집약되는 지상천국, 지상신선실현과 함께 대순사상의 목적, 곧 이상사회와 부합한다. (나권수, 「大巡眞理會의 理想社會論 硏究.」,.大眞大學校 박사학위논문, 2016)