第三章 第1節:侍天主(侍天主)の天観

東学思想の自生的近代性と作乱のリミナリティ

侍天主(侍天主)天観(天観)の自生的近代性

西洋の形相的(形相的)天観

西洋の近代性を代表する地動説とカルヴァンの救済予定説は、いずれも天観・地観・人間観に対する観点の変化であった。天観・地観・人間観は人間の実存と生存に直結する最も基本的な土台であるため、時代の画期となる近代のような変化は、天観・地観・人間観の変化が尺度となる。西洋において近代の哲学的神学が発生した動機は、天文学のコペルニクス的転回にあったとされる。(リハルト・シェフラー著、이종진訳、『종교의 현상학』、서울: 夏雨、2023、pp.241—242。

西洋において近代の哲学的神学が発生した動機は、天文学のコペルニクス的転回にあったとされる。(리하르트 셰플러 지음, 이종진 옮김, 『종교의 현상학』, 서울: 夏雨, 2023, pp.241—242。

天観・地観・人間観は、天地人三才に代表される東洋思想の宇宙観において宇宙を区分する主要な用語であったが、박원길は、北方シャーマニズムにおいては宇宙の構造が上・中・下の三界、あるいは天界(天上界)・人界(人間界)・地界(地下界)の三界説に分ける三界宇宙説となっていると述べている。(박원길, 『유라시아 초원제국의 샤마니즘』, 서울: 민속원, 2001, p.36) 우실하はさらに、北方シャーマニズムにおける基本的な思惟の枠組みである三数分化の世界観は、三界宇宙説と、根は地下世界に連結され、幹は人間世界にあり、枝と頂は神の世界に連結されていると信じる宇宙木信仰、および三つの霊魂があるとする三魂説から構成されていると述べている。(우실하, 『전통 음악의 구조와 원리: '삼태극의 춤'동양 음악』, 서울: 소나무, 2004. p.202, 허호익, 『한국 문화와 천지인 조화론』, 서울: 동연, 2020, p163에서 재인용) 우실하は既に、フラクタル原理により三数分化の世界観が五行、七星信仰、モンゴルの九十九崇拝、ヨーロッパの三機能体系へと拡散したと主張したことがある。(우실하, 『3수 분화의 세계관: 동북아 모태문화 유라시아 모태문화』, 소나무, 2012, pp.279-298) 伝統音楽と宇宙木に関係する世界共通の三数分化文化を臍帯に求める研究もある。(김영균, 「탯줄과 숫자 3 연구」, 『비교민속학』 44, 비교민속학회, 2011; 김영균, 『탯줄코드』, 바탕소, 2011)、北方シャーマニズムと関連する宗教の共通起源をもつ西洋思想においても、天観・地観・人間観は三機能体系として現れたことがある。デュメジルは、西洋思想の出現背景となったヨーロッパ・インド神話には、天地人のように宗教(天)・生産(地)・戦争(人)を担う三機能体系から成り立っていると述べている。(김현자, 『조르주 뒤메질, 인도-유럽 신화의 비교 연구』, 서울: 민음사, 2018)。実際にギリシア・ローマの古代都市もまた、このような神話的背景の上に建てられたものであるとされる。(퓌스텔 드 쿨랑주 지음, 김응종 옮김, 『고대도시: 그리스·로마의 신앙, 법, 제도에 대한 연구』, 서울: 아카넷, 2000)。三機能体系は、インドのカースト制度、ギリシア・ローマのトロイア戦争およびトロイア戦争に関連する数多くの事件、中国の天地人が代表的な三機能体系であるといえる。エリアーデは、これを世界神話の共通要素として指摘したこともある。(미르치아 엘리아데 지음 ; 이용주 옮김, 『세계종교사상사1: 석기시대에서부터 엘레우시스의 비의까지』 서울: 이학사, 2005, pp.155-156)。インドのカースト制度、トロイア戦争のヘラ、アフロディテ、アテナも、今日の立法・司法・行政の三権分立も、すべて三機能体系の影響のもとで軍事、生産、分配に分けられている。三機能体系は、ヨーロッパ、インド、中国にわたって共通に現れるとされる。あらゆる三機能体系とは、太極の別の姿である三太極の天(垂直)、地(水平)、人(立体)のように、三つの属性によって太極のような完全体を成すとされる。天観・地観・人間観は、神話時代から西洋において宇宙を区分する土台概念であった。三機能体系は、世界を宗教(立体)、政治(垂直)、経済(教化、水平)に分ければ最も効率的に統治が行われるという思想である。三機能体系は、インド・ゲルマンを含め、汎世界的に現れる神々の体系のなかに現れる。第一機能は主権(主権)であり、これは二重性を帯びるが、一つは秩序・平穏、もう一つは呪術性・悪魔性である。この二重性は、インドのミトラ・ヴァルナ、ゲルマンのティールとオーディンに見ることができる。第二の機能は戦士であり、インドのインドラ、ローマのマルス、ゲルマンのトールがこれに該当する。第三の機能は農民(生産、美)である。(오바야시 다료, 고다마 요시요 지음, 권태효 옮김, 『신화학 입문』, 서울: 새문사, 2003, pp.158-159)。三という数は、臨死体験と類似する臍帯とも関連し、人類の普遍的象徴として解釈されうる要素が多かったとされる。(김영균, 『탯줄코드: 새끼줄, 뱀, 탯줄의 문화사 』,서울: 바탕소, 2011, pp.129-130) こうして、天観・地観・人間観は、東洋・西洋の思想を比較しうる概念となりうる。

박원길は、北方シャーマニズムにおいては宇宙の構造が上・中・下の三界、あるいは天界(天上界)・人界(人間界)・地界(地下界)の三界説に分ける三界宇宙説となっていると述べている。(박원길, 『유라시아 초원제국의 샤마니즘』, 서울: 민속원, 2001, p.36) 우실하はさらに、北方シャーマニズムにおける基本的な思惟の枠組みである三数分化の世界観は、三界宇宙説と、根は地下世界に連結され、幹は人間世界にあり、枝と頂は神の世界に連結されていると信じる宇宙木信仰、および三つの霊魂があるとする三魂説から構成されていると述べている。(우실하, 『전통 음악의 구조와 원리: '삼태극의 춤'동양 음악』, 서울: 소나무, 2004. p.202, 허호익, 『한국 문화와 천지인 조화론』, 서울: 동연, 2020, p163에서 재인용) 우실하は既に、フラクタル原理により三数分化の世界観が五行、七星信仰、モンゴルの九十九崇拝、ヨーロッパの三機能体系へと拡散したと主張したことがある。(우실하, 『3수 분화의 세계관: 동북아 모태문화 유라시아 모태문화』, 소나무, 2012, pp.279-298) 伝統音楽と宇宙木に関係する世界共通の三数分化文化を臍帯に求める研究もある。(김영균, 「탯줄과 숫자 3 연구」, 『비교민속학』 44, 비교민속학회, 2011; 김영균, 『탯줄코드』, 바탕소, 2011)

デュメジルは、西洋思想の出現背景となったヨーロッパ・インド神話には、天地人のように宗教(天)・生産(地)・戦争(人)を担う三機能体系から成り立っていると述べている。(김현자, 『조르주 뒤메질, 인도-유럽 신화의 비교 연구』, 서울: 민음사, 2018)。実際にギリシア・ローマの古代都市もまた、このような神話的背景の上に建てられたものであるとされる。(퓌스텔 드 쿨랑주 지음, 김응종 옮김, 『고대도시: 그리스·로마의 신앙, 법, 제도에 대한 연구』, 서울: 아카넷, 2000)。三機能体系は、インドのカースト制度、ギリシア・ローマのトロイア戦争およびトロイア戦争に関連する数多くの事件、中国の天地人が代表的な三機能体系であるといえる。エリアーデは、これを世界神話の共通要素として指摘したこともある。(미르치아 엘리아데 지음 ; 이용주 옮김, 『세계종교사상사1: 석기시대에서부터 엘레우시스의 비의까지』 서울: 이학사, 2005, pp.155-156)。インドのカースト制度、トロイア戦争のヘラ、アフロディテ、アテナも、今日の立法・司法・行政の三権分立も、すべて三機能体系の影響のもとで軍事、生産、分配に分けられている。三機能体系は、ヨーロッパ、インド、中国にわたって共通に現れるとされる。あらゆる三機能体系とは、太極の別の姿である三太極の天(垂直)、地(水平)、人(立体)のように、三つの属性によって太極のような完全体を成すとされる。

三機能体系は、世界を宗教(立体)、政治(垂直)、経済(教化、水平)に分ければ最も効率的に統治が行われるという思想である。三機能体系は、インド・ゲルマンを含め、汎世界的に現れる神々の体系のなかに現れる。第一機能は主権(主権)であり、これは二重性を帯びるが、一つは秩序・平穏、もう一つは呪術性・悪魔性である。この二重性は、インドのミトラ・ヴァルナ、ゲルマンのティールとオーディンに見ることができる。第二の機能は戦士であり、インドのインドラ、ローマのマルス、ゲルマンのトールがこれに該当する。第三の機能は農民(生産、美)である。(오바야시 다료, 고다마 요시요 지음, 권태효 옮김, 『신화학 입문』, 서울: 새문사, 2003, pp.158-159)。三という数は、臨死体験と類似する臍帯とも関連し、人類の普遍的象徴として解釈されうる要素が多かったとされる。(김영균, 『탯줄코드: 새끼줄, 뱀, 탯줄의 문화사 』,서울: 바탕소, 2011, pp.129-130)

西洋思想において天地人三才が土台概念であるといえるのは、西洋哲学の根となったプラトン哲学の宇宙観もまた、天地人のように宇宙・神・人間という三つの次元から構成される点にも現れている。神の像にかたどって人間を造ったという聖書の言及は、中世を通じてプラトン哲学とアリストテレス哲学のイデア・形相理論に従って論争が進行された。また今日の多元主義神学の代表者の一人であるパニッカル(Raymond Panikkar, 1918-現在)は、人間の自意識が出現して以来、事実上、万物は宇宙・神・人間の三つの次元から構成されており、この三重的関係を宇宙神人論的ビジョン、あるいは宇宙神人論的直観と呼んでいる。(허호익, 『천지인신학: 한국신학의 새로운 모색』, 서울: 동연, 2020, pp.338-357, 538-541) よく知られているように、プラトンは、目に見える宇宙は目に見えないイデア世界の反映であると説明した。このとき、目に見えないイデアの世界は東洋の天に、目に見える世界は東洋の地に該当し、目で観察する存在が人に該当する。

神の像にかたどって人間を造ったという聖書の言及は、中世を通じてプラトン哲学とアリストテレス哲学のイデア・形相理論に従って論争が進行された。また今日の多元主義神学の代表者の一人であるパニッカル(Raymond Panikkar, 1918-現在)は、人間の自意識が出現して以来、事実上、万物は宇宙・神・人間の三つの次元から構成されており、この三重的関係を宇宙神人論的ビジョン、あるいは宇宙神人論的直観と呼んでいる。(허호익, 『천지인신학: 한국신학의 새로운 모색』, 서울: 동연, 2020, pp.338-357, 538-541)

西洋哲学はプラトン哲学の脚注であるというホワイトヘッドの言葉が A.N. 화이트헤드 지음, 오영환 옮김, 『과정과 실재: 유기체적 세계관의 구상』, 서울: 민음사, 1994. p.109. 長く語り継がれているように、西洋思想にはプラトン哲学の影響が大きかった。プラトンの思想は、その弟子アリストテレスによってより現実説明に適合するように変形され、アリストテレスはイデアを形相として、地を質料として説明した。アリストテレスにとって、形相的天、質料的地という形態で現れる宇宙は、天の形相が地を質料として変形させた世界として現れた。人間は、天の形相を地に現れさせるのを助ける存在とみなされる。

A.N. 화이트헤드 지음, 오영환 옮김, 『과정과 실재: 유기체적 세계관의 구상』, 서울: 민음사, 1994. p.109.

アリストテレスから始まる西洋の天観・地観・人間観は、変化を説明する際に実体を仮定するため、存在論的であるといえる。存在論と生成論は、今日、東洋と西洋を区分する主要な思惟体系となる。 김경수, 『노장(老莊)의 생성론』, 서울: 문사철, 2015.; 이정우, 『세계철학사 4: 탈근대 사유의 지평들』, 서울: 길, 2024. 全体から部分へ、上から下へと思惟する東洋思想の体系においては、変化を説明する際に実体なしに変化が説明される生成論的思惟体系が形成され、部分から全体へと拡大する西洋の思想体系においては、部分から実体として変化を説明する存在論的思惟体系となる。

김경수, 『노장(老莊)의 생성론』, 서울: 문사철, 2015.; 이정우, 『세계철학사 4: 탈근대 사유의 지평들』, 서울: 길, 2024.

ドゥルーズの内在性理論を東洋思想に適用したフランソワ・ジュリアンもまた、変化を実体で説明する西洋を存在論、属性で説明する東洋を生成論とみなす。代表的に医学の場合、東洋医学は生きている人間を対象とするため解剖図が貧弱であり、西洋は死んだ人間を対象とするため解剖図が詳細である。実体論に代表される西洋の存在論の立場から見れば、今日の西洋を代表する原子論も、中世の西洋を代表した唯一神も、古代の西洋を代表するプラトンのイデアも、いずれも実体としての形相的(形相、form, eidos)天観(天観)であるといえる。存在論的な天観・地観・人間観においては、変化の実体を過去には神として想定したが、神を否定する近代に至っては、神なしに物質のみで変化を説明するようになったのである。

アリストテレスの実体論は、変化の過程が論理的説明となるためには、必ず実体によって説明されねばならないという存在論的理論である。たとえば、水が火に変わるためには、アリストテレスの理論では水を火に変えさせる属性をもった実体がなければならず、そうでなければ論理的学問ではないというのである。一方、陰陽五行のフラクタル的(fractal)な太乙と太一は、語源上フラクタルと深く関係する。極大と極小を往復するという意味で太(太)という字が解釈されうるためである。太一と太乙元君は、楚の東皇太一信仰(박준영, 「중국 선진시기 귀신관념의 형성과 전개 연구: 『설문해자』“귀(鬼)”부(部)를 중심으로」, 명지대학교 석사학위 논문, 2012 p.58)、邵康節の先天易学の系譜となる魏伯陽の『周易参同契』の解説本(조영숙, 「『동의보감』 우주본체론에 관한 연구」, 『도교문화연구』 33, 2010, pp.119-120)、抱朴子(도광순, 「도교의 과학사상」, 『도교학연구』 5(1),1990, p.5) などに現れる。太極もまた伝統的に「太一」という万物の統一性として理解されてきた。(이창일, 『소강절의 철학: 先天易學과 상관적 사유』, 서울: 심산, 2007, p.275) 「太乙」の修行論的解釈の研究史に関する研究もある。(김수인, 「所南 鄭思肖의『太極祭鍊內法』修行論 硏究.」,. 원광대학교 일반대학원. 2011) 感応原理は、いかなる実体もなしに変化しうる。

太乙と太一は、語源上フラクタルと深く関係する。極大と極小を往復するという意味で太(太)という字が解釈されうるためである。太一と太乙元君は、楚の東皇太一信仰(박준영, 「중국 선진시기 귀신관념의 형성과 전개 연구: 『설문해자』“귀(鬼)”부(部)를 중심으로」, 명지대학교 석사학위 논문, 2012 p.58)、邵康節の先天易学の系譜となる魏伯陽の『周易参同契』の解説本(조영숙, 「『동의보감』 우주본체론에 관한 연구」, 『도교문화연구』 33, 2010, pp.119-120)、抱朴子(도광순, 「도교의 과학사상」, 『도교학연구』 5(1),1990, p.5) などに現れる。太極もまた伝統的に「太一」という万物の統一性として理解されてきた。(이창일, 『소강절의 철학: 先天易學과 상관적 사유』, 서울: 심산, 2007, p.275) 「太乙」の修行論的解釈の研究史に関する研究もある。(김수인, 「所南 鄭思肖의『太極祭鍊內法』修行論 硏究.」,. 원광대학교 일반대학원. 2011)

この変化の実体的原因が四原因であり、変化を引き起こす質料が四元素である。アリストテレスは、宇宙が地水火風という四つの元素から成っていると述べる。同じ原理で、宇宙は形相因、目的因、運動因、質料因という四原因から成るという。徐命膺はこれに注目し、邵康節の陰陽五行理論が四原因説よりもさらに論理的であることを強調した。徐命膺は、邵康節の先天易学を体とし、西洋科学を用(用)として解釈し、アリストテレスの四原因説に代表される西洋科学が先天易学の体系から派生したと述べる。(이봉호, 『정조의 스승, 서명응의 철학(서양 과학에 대한 조선학자의 대응)』, 동과서, 2014, p.231) 四原因において、事物を構成する質料因と形相因は事物に内在するが、事物を動かし目的を実現させる作用因と目的因は事物の外に存在する。東洋の陰陽五行と西洋の四原因説・四元素説の違いは、変化を実体で説明する点にあった。中国の代表的な比較哲学者、牟宗三は「西洋哲学が『実体』(実体)の観念を通じて人格神(人格神. personal God)を理解するのに対し、中国哲学では作用(作用. function)の概念を通じて天道(天道)を理解する」と述べている。(모종삼 지음, 『동양철학과 아리스토텔레스: 原題-四因說潢講錄』, 부산: 소강, 2001, p.84) これに対し、東洋は実体ではなく変化の原因を「気」あるいは「感応」で説明した。朱子を継承したとされる整菴・羅欽順は感応について語る。「感応するものは気(気)であり、感応の理とは、感応が必ず起こるようにする秩序である。」(최진덕, 『주자학을 위한 변명: 나정암의 이일분수 철학』, 서울: 청계, 2000, p.147) 今日、万物は感応のように同調化するとされる。(스티븐 스트로가츠 지음, 조현욱 옮김, 『동시성의 과학, 싱크』, 파주: 김영사, 2005, p.203, 389) 万物は粒子と波動を同時にもつという今日の量子力学の世界観に従い、粒子を重視する西洋は実体論的に説明し、波動を重視する東洋は感応論で説明する。感応は、生命の偶発性、創発性を実体よりもよく説明してくれる。(문영빈, 「통합적 생명이해와 사회윤리학적 함의」, 『기독교사회윤리』 12, 2006, pp.126-131)

徐命膺はこれに注目し、邵康節の陰陽五行理論が四原因説よりもさらに論理的であることを強調した。徐命膺は、邵康節の先天易学を体とし、西洋科学を用(用)として解釈し、アリストテレスの四原因説に代表される西洋科学が先天易学の体系から派生したと述べる。(이봉호, 『정조의 스승, 서명응의 철학(서양 과학에 대한 조선학자의 대응)』, 동과서, 2014, p.231)

中国の代表的な比較哲学者、牟宗三は「西洋哲学が『実体』(実体)の観念を通じて人格神(人格神. personal God)を理解するのに対し、中国哲学では作用(作用. function)の概念を通じて天道(天道)を理解する」と述べている。(모종삼 지음, 『동양철학과 아리스토텔레스: 原題-四因說潢講錄』, 부산: 소강, 2001, p.84) これに対し、東洋は実体ではなく変化の原因を「気」あるいは「感応」で説明した。朱子を継承したとされる整菴・羅欽順は感応について語る。「感応するものは気(気)であり、感応の理とは、感応が必ず起こるようにする秩序である。」(최진덕, 『주자학을 위한 변명: 나정암의 이일분수 철학』, 서울: 청계, 2000, p.147) 今日、万物は感応のように同調化するとされる。(스티븐 스트로가츠 지음, 조현욱 옮김, 『동시성의 과학, 싱크』, 파주: 김영사, 2005, p.203, 389) 万物は粒子と波動を同時にもつという今日の量子力学の世界観に従い、粒子を重視する西洋は実体論的に説明し、波動を重視する東洋は感応論で説明する。感応は、生命の偶発性、創発性を実体よりもよく説明してくれる。(문영빈, 「통합적 생명이해와 사회윤리학적 함의」, 『기독교사회윤리』 12, 2006, pp.126-131)

形相と質料が結合する目的と作用が実体を形成する四原因であるとすれば、質料が区分されたものが地水火風の四大である。四元素説を循環として解釈するとき、四元素は循環の四局面である収斂(水)─圧縮および爆発(地)─拡張(火)─膨張(風)の四局面となる。アリストテレスは、エンペドクレス以前の地水火風理論をより実体化した。デュメジルは、上昇と下降から成るインド・ヨーロッパ語族の想像界の人類学的構造において、実体論的宇宙観が火と風の上昇、地と水の下降という四元素説として作られたと述べている。 손윤락, 「아리스토텔레스의 요소 이론: 『생성소멸론』에 나타난 요소들의 생성-소멸 메커니즘을 중심으로」 『西洋古典學硏究』 31, 2008, pp.83-108; 질베르 뒤랑 지음, 진형준 옮김, 『상상계의 인류학적 구조들』, 파주: 문학동네, 2007.

손윤락, 「아리스토텔레스의 요소 이론: 『생성소멸론』에 나타난 요소들의 생성-소멸 메커니즘을 중심으로」 『西洋古典學硏究』 31, 2008, pp.83-108; 질베르 뒤랑 지음, 진형준 옮김, 『상상계의 인류학적 구조들』, 파주: 문학동네, 2007.

四原因説は、マテオ・リッチ(Matteo Ricci)が生きた十七世紀に至るまでも、宇宙を説明する西洋の最も合理的な理論とみなされてきた。したがって、西洋の形相的天観においては、地水火風とは分離された第五元素としてのプラトンのイデアやキリスト教の唯一神が天観の中心となる。東洋と異なり境界が明確な西洋の天観・地観・人間観は、内在的なリミナリティよりも、第五元素という実体を通じたリミナリティの様相が成立する。

アリストテレスの四原因説は、マテオ・リッチが陰陽五行の宇宙論よりも地水火風の宇宙論のほうがより科学的であるという『天主実義』の論拠として用いられた。マテオ・リッチは、アリストテレスの「四原因説」によって天主の存在を証明する。『天主実義』は、リッチが著した西学についての要約であり、東洋において初めて著され、その後、東学思想や大巡思想にまで大きな影響を及ぼす。マテオ・リッチは、アリストテレスの「四原因説」によって天主の存在を証明する。事物を構成する質料と形相は事物に内在するが、事物を動かし目的を実現させる作用因と目的因は事物の外に存在し、それがすなわち天主であるという意味である。『天主実義』第一篇、六条目。「天下無有一物, 不具此四者. 四之中, 其模者質者, 此二者 在物之內, 爲物之本分, 或謂陰陽是也. 作者爲者, 此二者在物之外, 超於物之先者也,不能爲物之本分. 吾按: 天主爲物之所以然, 但云: 作者, 爲者. 不云: 模者, 質者.」 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』 61, 2022, pp.125-172. 二つの思想は類似して見えるが、陰陽五行が変化を属性で説明するとすれば、地水火風は実体で説明するという違いがあり、この違いが東西の近代性に大きな違いを生じさせる。西洋では、中世の建築や美術に見られるように、神の属性もまた地水火風の四つの属性として現れる。

マテオ・リッチは、アリストテレスの「四原因説」によって天主の存在を証明する。事物を構成する質料と形相は事物に内在するが、事物を動かし目的を実現させる作用因と目的因は事物の外に存在し、それがすなわち天主であるという意味である。『天主実義』第一篇、六条目。「天下無有一物, 不具此四者. 四之中, 其模者質者, 此二者 在物之內, 爲物之本分, 或謂陰陽是也. 作者爲者, 此二者在物之外, 超於物之先者也,不能爲物之本分. 吾按: 天主爲物之所以然, 但云: 作者, 爲者. 不云: 模者, 質者.」 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』 61, 2022, pp.125-172.

四元素説と四原因説は密接な関係にあるといえる。地水火風の世界観をもつインドにおいても四原因説のような論理学が発達したが、四元素の変化を説明する過程がすなわち四原因説へとつながるといえる。

今日、大部分の東洋人は、神明を認めない西洋の伝統的な天観・地観・人間観を科学的世界観として好んでいる。しかし、東洋の天観・地観・人間観を基準にしてみれば、神明を認めない西洋の天観・地観・人間観もまた、特定の仮定のもとに成立した天観・地観・人間観となる。西洋の天観・地観・人間観は、変化を実体で説明する存在論という背景をもつ存在論的な天観・地観・人間観であるといえる。

要するに、西洋の存在論的な天観・地観・人間観は、アリストテレスから始まる地水火風の世界観に代表される。下から上へと事物を観察する西洋の場合、本質と現象として実体は区分され、したがって現象は、本質である形相が現象である質料を実体として変化させるものである。これに対し、生成は実体を前提としないため、東洋は現象と本質を区分せず、陰陽五行のように現象と本質は一つに統一され、一元論で変化を説明する。

東洋の同化的(同化的)天観

伝統的に東洋の「天」概念は、「天地」に区分されて天地と対応する「天」概念と、「天地」に区分される前の、天地を生んだ無極・太極の天、すなわち天の上の天、天外天(天外天)という二つの天(天)概念があった。금장태は「『天』はすべての『神』の上で主宰する究極的存在であり、すべての『神』は『天』が主宰する朝廷(朝廷)の官僚体系のように、それぞれ一定の役割を担い、衝突なく一つの世界を成している」と述べている。(금장태, 『귀신과 제사: 유교의 종교적 세계 』, 서울: 제이앤씨, 2009, p.62) 張載もまた、天地というときの天と、天の上の天があることを区分した。(张载区分了所谓"太虚之天"与"天地对举之天, 정몽, 태화, 徐儀明, 『性理与岐黄』: 中国社会科学出版社, 1997, p.32에서 재인용) 東洋の神観において上帝は、西洋の神(かみ)と異なり天に属する存在ではない。天と地もまた上帝が作った一物(一物)となる。実際に周易の八卦は、天と地である乾坤も一物として八卦のうちの一要素を占めている。東洋思想において天外天は天地人の外にあるが、張載のように天地人が天外天によって作られるため、また八卦のように天地人の内にある。実際に『詩経』の上帝は『聖書』「詩篇」の創造主と五つの人格的属性を共有しているともされる。五つの人格的属性とは、万物の造生者(造生者)、啓示者(啓示者)、契約(契約)の主管者、救援者(救援者)、道徳的根源であるとされる。(김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71) これはあたかも、西洋においてもアダムとイヴに分かれる前のアダムが、イヴに分かれ、分かれた後も同じアダムと呼ばれるのと類似する。こうして天地人の概念もまた、天を天地の外の天外天として想定すれば、地(地)は天外天が作った天地となり、天地に区分された天を天とすれば、地(地)はまた天地に区分された地(地)概念となる。天概念のこのような両義的な使用は、東洋の天観・地観の議論が難しく混同される原因ともなる。本稿は、天外天としての天と、天地に区分された天との区別を、天概念の説明に先立って明示しておきたい。

금장태は「『天』はすべての『神』の上で主宰する究極的存在であり、すべての『神』は『天』が主宰する朝廷(朝廷)の官僚体系のように、それぞれ一定の役割を担い、衝突なく一つの世界を成している」と述べている。(금장태, 『귀신과 제사: 유교의 종교적 세계 』, 서울: 제이앤씨, 2009, p.62) 張載もまた、天地というときの天と、天の上の天があることを区分した。(张载区分了所谓"太虚之天"与"天地对举之天, 정몽, 태화, 徐儀明, 『性理与岐黄』: 中国社会科学出版社, 1997, p.32에서 재인용) 東洋の神観において上帝は、西洋の神(かみ)と異なり天に属する存在ではない。天と地もまた上帝が作った一物(一物)となる。実際に周易の八卦は、天と地である乾坤も一物として八卦のうちの一要素を占めている。東洋思想において天外天は天地人の外にあるが、張載のように天地人が天外天によって作られるため、また八卦のように天地人の内にある。実際に『詩経』の上帝は『聖書』「詩篇」の創造主と五つの人格的属性を共有しているともされる。五つの人格的属性とは、万物の造生者(造生者)、啓示者(啓示者)、契約(契約)の主管者、救援者(救援者)、道徳的根源であるとされる。(김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71)

これは神(神)の概念にも同一に適用される。天(天)概念が天地を作った天外天の概念として用いられるとき、その神は「上帝」を意味し、天外天によって成った天地において天地を運行する主体としての神は天地神明あるいは神明となる。しかし、人間と区分されるときには上帝と神明をすべて合わせて神と総称してきたため、神概念もまた区分する必要がある。東学思想において上帝あるいは天主は天外天の神を意味するため、神明としての神が多く現れる従来の東洋思想の神概念とは区分される。西洋と比較するならば、西洋は統一的に、神は天外天の上帝のみを主に強調し、東洋の天は夏殷周三代の時代には天外天の意味が強調されたが、性理学においてはほぼ天地のうちの一つである天の概念、すなわち理法天(理法天)として用いられた。

理法天(理法天)は、天の人格的側面よりも理法的側面を強調した用語である。これは、天の上の天が天地を理法どおりに作ったため、天の下の天は法則どおりに動くという東洋思想が反映されている。天の下の天が理法どおりに作られ、人格的属性は相対的に乏しいが、天の上の天があるため理法天もまた可変的であるが、東洋思想では理法天として天の属性を固定させた。

神概念だけでなく、地(地)概念にも同一に適用される。天を天外天として用いるとき、地概念は従来の天外天によって成った「天地」の概念となるため、このとき地は天外天による「造化」あるいは「無為而化」の作用対象および結果として現れ、東学思想においては「造化」と「無為而化」、「気化」という用語が天外天に対応する「地(地)」を意味する用語となる。

天(天)・地(地)・神(神)の概念が両義的に用いられる点は、東西洋が類似している。しかし、東洋において西洋より一層両義的に用いられるのは、実体論的な西洋と異なり、感応によって変化する東洋では、天・地・神を相関的思惟の変化として説明するためである。属性を中心に説明する東洋では、天・地・神が場合によって具体的に意味する範囲は異なるが、属性は同一である。

相関的思惟は、西洋思想において審美的秩序に該当するため、東洋の天・地・人は美学的用語でより明確に定義されうる。 김영건, 「상관적 사유와 심미적 질서」, 『철학논집』 26, 2011, pp.165-193; 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. こうして、天円地方(天円地方)、天道地徳(天道地徳)に代表される陰陽で区分された東洋の天観(天観)は同化的(同化的, assimilation)天観として、地観(地観)は凝縮的(凝縮的, condensation)地観(地観)として、人間観(人観)は接化的(接化的, grafting)人間観として区分しうる。 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015, pp.34-139. 최광진は韓・中・日の文化を比較するために同化・凝縮・接化という用語を用いたが、これは東洋の天地人にもほぼ合致する。

김영건, 「상관적 사유와 심미적 질서」, 『철학논집』 26, 2011, pp.165-193; 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015.

최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015, pp.34-139. 최광진は韓・中・日の文化を比較するために同化・凝縮・接化という用語を用いたが、これは東洋の天地人にもほぼ合致する。

同化(同化)は、地方(地方)に対する天円(天円)、地徳(地徳)に対する天道(天道)に共通して現れる属性を表現する用語であり、「炭素同化作用」の「同化」のように、異質な性質や様式を同一にすることである。同化は、互いに異質なものが一つに統合されながら主従関係を形成させるため、 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.56-59. 統合の円と秩序の道の性格を表す。東洋の精神文化である儒仏仙もまた同化の性格が現れ、道教は自然に同化し、儒教は内面に同化し、仏教は法に同化する。 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.62-75. 東洋は、分析し支配する西洋と異なり、自然と人間が一つであるという有機体的自然観があったため、同化を追求した。

최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.56-59.

최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.62-75.

凝縮は、天円(天円)に対する地方(地方)、天道(天道)に対する地徳(地徳)に共通して現れる属性を表現する用語であり、「水蒸気凝縮」の「凝縮」のように、互いに異なる要素が一つに絡まり固まる現象を表現する。凝縮は、同化のように成分自体が変わるのではなく、異質な存在を圧縮して一つの小さな統一体を成させるため、方(方)のように四角の角が立っていながら正確さの徳を特徴とする。凝縮と同化はともに統一を志向するが、力の方向は反対である。同化が自己を中心に外部へ向かって絶えず拡張していく力であるとすれば、凝縮は内部へ向かって収縮する力である。 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.78-95. 同化を中和(中和)とするならば、凝縮は回帰(回帰)に等しい。東洋の物質文化である美術、音楽、武術は、余白の美のように、最小限の作業で最大の効果を模索した。

최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.78-95.

接化(接化)は、地方(地方)に対する天円(天円)、天道(天道)に対する地徳(地徳)など、互いに対立的な存在が出会って一つに調和することを表現する用語であり、「接化群生」の接化のように、二つの存在が対等に出会い異質性を保存する統合を表現する。同化が中心を志向し、凝縮が完璧主義を志向するとすれば、接化は相克(相克)の調和として混合主義を標榜する。これは、円方角に現れる天円(天円)と地方(地方)の融合、道徳君子に現れる天道(天道)と地徳(地徳)の融合である人間の属性に適合する。

このとき東洋の天・地・人は、系統発生が個体発生を反復するという이영란のリミナリティの定義と同じ関係を成す。乾健坤順(乾健坤順) 乾陽坤隂, 此天地之氣, 塞乎兩間, 而人物之所資以為體者也. 故曰‘天地之塞, 吾其體’. 乾健坤順, 此天地之志, 조단(曹端) 서명술해 (西銘述解), 한미문화사편, 『한국역학대계』,12 서울: 韓美文化社, 1998. は、天が定めれば地がこれを実行するという意味であり、乾を天(1)、坤を地(2)とすれば、このとき地の順(順)は天の健(健)を含む1+2の意味をもつ。同様に、天と地を接化した人は、天(1)、地(2)、人(3)において3、1+2+3、(1+2+3)を成す関係である。すなわち、凝縮は同化を含み、接化は同化、凝縮、および第三の存在までを含む。

乾陽坤隂, 此天地之氣, 塞乎兩間, 而人物之所資以為體者也. 故曰‘天地之塞, 吾其體’. 乾健坤順, 此天地之志, 조단(曹端) 서명술해 (西銘述解), 한미문화사편, 『한국역학대계』,12 서울: 韓美文化社, 1998.

一方、生成論的な東洋思惟に比べ、存在論的な西洋思惟は、同化に反対する異化(異化, differenciation)あるいは分化(分化, segmentation)に該当し、これは存在論的秩序に該当するため、西洋存在論の礎となるアリストテレスの存在論に従って、西洋の天観は形相的天観として、地観は質料的(質料, matter, hyle)地観として、人間観は成長論的(成長論的, growth theory)人間観として区分しうる。

無極と太極からみずから分化する東洋の生成論的な天観・地観・人間観において、東洋の天観は万物を一体に統合する同化的天観となる。道教の天観が、天の作品である自然界に対する同化的天観であるとすれば、儒教の天観は、天の名品(名品)である人間に対する内面の心への同化的天観であるといえる。東洋において、存在論に最も近い仏教の天観もまた、天という存在に対する存在論の同化的天観であるといえる。 최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.62-75.

최광진, 『한국의 미학』, 고양: 미술문화, 2015. pp.62-75.

東洋の天観・地観・人間観は、実体で変化を説明する西洋の三才と異なり、属性で変化を説明するため、東洋の天観には万物と同じく陰陽五行の法則が適用される。属性として作用する陰陽五行は、物質だけでなく神明にも適用され、東洋の天は、陰陽五行が適用された数多くの神明から構成される。

東洋の神は、西洋の絶対神のような単一の概念ではなく、最高神である上帝と天地神明、そして祖先神に区分される複合的概念であった。西洋のわずかな数の天使と異なり、塵一つにも数多くの仏がいるとされるほど多い東洋の神明は、宇宙万物に満ち、コンピュータのように宇宙を運行し、陰陽の法則に従って自己固有の領域をもつ存在であった。 컴퓨터로서의 우주에 대한 논의는 톰 지그프리트 지음, 고중숙 옮김, 『우주, 또 하나의 컴퓨터: 양자컴퓨터에서 M이론까지, 정보물리학으로 본 우주』, 서울: 김영사, 2003, pp.26-29 참조. 東洋の神明は、陰陽の法則に従って区分されたそれぞれの領域を守っており、東洋の上帝は上帝といえども神明の事に干渉できず、東洋では最高神の存在がほぼ法則として非人格化され、忘れられる境地にまで至った。 신에 대한 주자의 경이원지에 대해서는 최진덕, 「朱子學의 理氣論과 鬼神論」, 『陽明學』 23, 2009, pp.381-382 참조. 東洋の神人関係において神明は、他のすべての存在と同じく上帝によって人間と陰陽として作られた存在であり、人間が死んでなる祖先神は、神明と異なり天地の運行には関与せず、人間の子孫が修道して神明と陰陽として結合することを管掌する存在であった。

컴퓨터로서의 우주에 대한 논의는 톰 지그프리트 지음, 고중숙 옮김, 『우주, 또 하나의 컴퓨터: 양자컴퓨터에서 M이론까지, 정보물리학으로 본 우주』, 서울: 김영사, 2003, pp.26-29 참조.

신에 대한 주자의 경이원지에 대해서는 최진덕, 「朱子學의 理氣論과 鬼神論」, 『陽明學』 23, 2009, pp.381-382 참조.

西洋の伝統的な存在論的三才の構成原理が地水火風の原理であるとすれば、東洋の伝統的な生成論的三才の構成原理は陰陽五行である。ギリシア・ローマ神話、インド神話に現れる三機能体系から始まった西洋の天観・地観・人間観が、地水火風を通じてアリストテレスに至って質料・形相の存在論的な天観・地観・人間観として早くに定立されたとすれば、東洋の生成論的な天観・地観・人間観は、儒仏仙と陰陽五行が互いに交流しながら長期にわたって形成される。

東洋の伝統的な天観・地観・人間観は、大きく周易の三才観と仏教の三界観に大別される。天地人の原理で構成される周易の三才観が東洋の伝統的な生成論的三才観であるとすれば、仏教の三界観は存在論的三才観に近い。東洋の伝統的な天観・地観・人間観は、まず道教的な周易の三才観が形成された後、仏教の存在論的な三界観が導入されながら、性理学的・儒教的な三才観として互いに総合されることになる。実際、儒教は仏教が導入される前は存在論的な宇宙論がほとんどなく、まず陰陽五行の生成論的宇宙論が導入された。生成論的な東洋の思惟体系において、天観・地観・人間観は、仏教の存在論的な思惟体系が導入されて初めて三才観へと発展しえたということは、自然なことである。

自然環境と文化環境の違いによって西洋に比べて生成論的な天観・地観・人間観を発展させた東洋の三才観は、天地人と陰陽五行に代表される相関的思惟の天観・地観・人間観であった。歴史的に個別的に発生したとされる陰陽、五行、三才の理論は相関的思惟を共有しており、董仲舒の天人感応論の儒学から統合され始めるが、本格的に統合されるのは性理学の根幹となる周敦頤(周敦頤, 1017-1073)の『太極図説(太極図説)』からである。周易にいう陰陽は、ヨーロッパの三機能体系と類似するアジア・シャーマニズムの天地人三才、そして五行の順に発展する。相関的思惟の発展過程を要約して見ると、次のとおりである。

陰陽、三才、五行、八卦は、起源は異なったが、それぞれ同じ三才を見つめる観点の違いであったため、観点の違いを理解すれば互いに統合されうる。これらそれぞれは、観点に応じて三才を見つめる最小体系であった。陰陽、三才、五行、八卦は、邵康節の加一倍法(加一倍法)に従って、同一の三才を細部にわたって解釈しうる統合的原理となる。

まず陰陽は、全世界に共通する二項対立の要素であり、直観的に事物を区分する第一段階であると同時に、原理的な属性となる。属性を強調する生成論的三才観において陰陽は根源的な原理となる。形体 ──「理(理)」は「形体以前のもの[形而上者]」となり、「気(気)」は「形体をもった以後のもの[形而下者]」と呼ばれる。ところが朱熹は、この「形体以前のもの」を、形体を超越した形体以上のものという意味で把握する。朱熹は「天地の間には『理』があり『気』がある。『理』というものは形而上の道であり、事物を生む根本である。『気』というものはそれぞれの『器具』であり、事物を生む手段である。それゆえ人間と事物には、必ずこの原理を稟受した以後に事物の性質があり、その以後に形体があることになる」(天地之間, 有理有氣· 理也者, 形而上之道也, 生物之本也· 氣也者, 形而下之器也, 生物之具也. 是以人物之生, 必稟比理, 然後有性, 必稟比氣, 然後有形, 朱熹. 『文集』 권58, 「答黃道夫書」)と述べる。──のない世界において陰陽が二項対立的属性を表すとすれば、この属性が現実において実体をもつためには立体を成さなければならないため、三次元立体を成すための最小体系である三才(三才)へと発展することになる。このとき三才は天地人三才に代表されるが、三才は陰陽から形体へと発展したものであるため、天地人において天は陽、地は陰、人は天地を仲介する中(中)の役割をもつことになる。

「理(理)」は「形体以前のもの[形而上者]」となり、「気(気)」は「形体をもった以後のもの[形而下者]」と呼ばれる。ところが朱熹は、この「形体以前のもの」を、形体を超越した形体以上のものという意味で把握する。朱熹は「天地の間には『理』があり『気』がある。『理』というものは形而上の道であり、事物を生む根本である。『気』というものはそれぞれの『器具』であり、事物を生む手段である。それゆえ人間と事物には、必ずこの原理を稟受した以後に事物の性質があり、その以後に形体があることになる」(天地之間, 有理有氣· 理也者, 形而上之道也, 生物之本也· 氣也者, 形而下之器也, 生物之具也. 是以人物之生, 必稟比理, 然後有性, 必稟比氣, 然後有形, 朱熹. 『文集』 권58, 「答黃道夫書」)。

三才で立体を成したならば、物質において粒子が同時に波動の性格をもたなければ存在しえないように、粒子は波動として循環しうる四象(四象)体系を成さなければならない。元亨利貞(元亨利貞)、生長斂蔵(生長斂蔵)、春夏秋冬のような四象体系は、地水火風が成す四象体系と類似した体系を成す。ただし、ここで地水火風の四象体系と陰陽五行の四象体系が異なるのは、地水火風は下から上へ上がる実体的思惟体系であるため、事物に共通する属性である陰陽五行へと発展する属性的思惟体系ではないという点である。

四象体系は、再び持続的な循環を成すために相克(相克)と相生(相生)を成さなければならないため、相克と相生の最小体系である五行(五行)へと発展し、その中心役割として中心である土(土)を必要とするようになる。 소광섭, 「오행의 수리물리학적 모형」, 『한방성인병학회지』 1, 1995, pp.25-36. しかし、五行までもまだ事物を構成する陰陽をもたない生数(生数)の存在であるため、この生数が現実において変化をもつ陰陽を備えるには、五行は偶数として相克相生の最小体系を成しうる八卦へと変化しなければならない。 강용균, 「오행과 팔행의 수학적 모형」, 『한국정신과학학회지』 3(1), 1999. 7と9は一対一に対応する相克相生体系を作りえない。8は偶数として一対一対応の相克相生体系を作る最小の数である。八卦は再び中心を必要とするため九宮八卦となり、この九宮八卦(九宮八卦)が宇宙を説明する相関的思惟の基本体系となって河図洛書(河図洛書)へと発展する。

소광섭, 「오행의 수리물리학적 모형」, 『한방성인병학회지』 1, 1995, pp.25-36.

강용균, 「오행과 팔행의 수학적 모형」, 『한국정신과학학회지』 3(1), 1999. 7과 9는 일대일 대응되는 상극상생체계를 만들지 못한다. 8은 짝수로써 일대일 대응의 상극상생체계를 만드는 최소 숫자이다.

河図洛書の九宮(九宮)が実際に天地の運行をする実体として現れるためには、時間の要素が追加され、十干(干)十二支(支)として現れる。十干十二支には、辰戌丑未(辰戌丑未)のように土(土)の要素が時間に配置され、時間の変化を仲介する。 박성우, 「旺相休囚死 理論 硏究: 土旺四季說을 中心으로」, 공주대학교 석사학위논문, 2006.; 권영민, 「陰陽五行說의 季節 區分에 관한 考察」, 공주대학교 석사학위논문, 2017. 天地にそれぞれ配置された十干十二支は、天地化育(天地化育)のために天気下降・地気上昇、すなわち天地昇降(天地昇降)を通じて天地之用(天地之用) 『전경』「제생」 43. である十二運星(運星)の作用、すなわち胞胎(胞胎)、養生(養生)、浴帯(浴帯)、冠旺(冠旺)、衰病(衰病)、死蔵(死蔵)の作用をする。十干十二支が物理学の原子のようなものであるとすれば、天地之用である十二運星は、原子が結合してまったく異なる性質が現れる分子のようなものであると比喩しうる。

박성우, 「旺相休囚死 理論 硏究: 土旺四季說을 中心으로」, 공주대학교 석사학위논문, 2006.; 권영민, 「陰陽五行說의 季節 區分에 관한 考察」, 공주대학교 석사학위논문, 2017.

『전경』「제생」 43.

十二運星は、天地昇降の天地化育を生命の一生として表現したものである。 최정혜, 최정준, 「아베 타이잔(阿部泰山)의 12운성(運星) 이론 고찰」 『인문학연구』48, pp.315-349. 男女の出会いのように、陰陽としての天地は、天降地昇(天降地昇)して地に生命の種が蒔かれる胞胎から始まり、地が生命の種を養生し、種が地の外へ、あるいは体の外へ出て天の雨露(雨露)で沐浴し、帯を巻いたもう一つの個体として浴帯を成し、再び仕事を担って旺盛に活動する冠旺に至った後、衰え、病み、葬られるという十二段階を意味する。 이진훈, 「12운성에 관한 연구」, 공주대학교 석사학위논문, 2010 これは、キャンベルの原質神話の十二段階や、七人のキャラクター 七人のキャラクターとは、主人公、精神的師、関門守護者、伝令官、変身自在者(トリックスター)、影、いたずら者である。キャンベルの英雄聖事が数多くの映画やゲームで検証されたように、七人のキャラクターがもつ普遍性もまた多くの作品を通じて検証されてきた。(스튜어트 보이틸라 지음, 김경식 옮김, 『영화와 신화』, 을유문화사, 2005)、尋牛図と同じような過程を示す。これを김지하は律呂と表現した。 김지하, 『율려란 무엇인가』, 서울: 한문화 멀티미디어, 1999. 天地之用は、天地の運行が自然による機械的なものではなく、天地の至極な誠敬信によるものであることを示す。東洋思想の立場から、西洋の原子論的近代性が最も看過したことは、機械論的自然観において神明の誠敬信を脱落させたことである。これを東学思想と大巡思想では「無道病(無道病)」と称する。 『전경』「행록」 5-38.

최정혜, 최정준, 「아베 타이잔(阿部泰山)의 12운성(運星) 이론 고찰」 『인문학연구』48, pp.315-349.

이진훈, 「12운성에 관한 연구」, 공주대학교 석사학위논문, 2010

七人のキャラクターとは、主人公、精神的師、関門守護者、伝令官、変身自在者(トリックスター)、影、いたずら者である。キャンベルの英雄聖事が数多くの映画やゲームで検証されたように、七人のキャラクターがもつ普遍性もまた多くの作品を通じて検証されてきた。(스튜어트 보이틸라 지음, 김경식 옮김, 『영화와 신화』, 을유문화사, 2005)

김지하, 『율려란 무엇인가』, 서울: 한문화 멀티미디어, 1999.

『전경』「행록」 5-38.

天地之用は、日用事物だけでなく四象体系にも影響を与え、儒仏仙は天地之用を反映したものとして現れる。天地の胞胎は虚無の仙道として、天地の養生は寂滅の仏道として、天地の浴帯は儒道の以詔(以詔)として表出される。 『전경』「교운」 1-66; 以詔(以詔)の以(以)は「本受ける(本にならう)」という意味を含む。 고윤숙, 「천지(天地)를 '본받음[以]'의 철학 -『주역(周易)』 건·곤괘(乾·坤卦) 「대상전(大象傳)」을 중심으로」, 『한국 철학논집』 70, pp.156-157. 2021. 西洋の天観が地水火風の実体的属性で天の特徴を説明するとすれば、東洋は陰陽五行の四つの属性で天の属性が表現される。西洋の天観が実体的であるため、近代以降、原子論のように個別的に数限りなく分化するとすれば、東洋の天観は、原子、分子、個体、社会など各単位の内部において陰陽、三才、五行、八卦、十干、十二支など統一的構造を示す。

『전경』「교운」 1-66; 以詔(以詔)の以(以)は「本受ける(本にならう)」という意味を含む。 고윤숙, 「천지(天地)를 '본받음[以]'의 철학 -『주역(周易)』 건·곤괘(乾·坤卦) 「대상전(大象傳)」을 중심으로」, 『한국 철학논집』 70, pp.156-157. 2021.

近代東西洋天観の衝突と相克化(相克化)

天観の衝突

地水火風の属性で表現される西洋の天観と、陰陽五行で表現される東洋の天観には、類似した面があった。実際、東洋布教に乗り出したリッチは、性理学以前の儒教経典である『書経』に現れる東洋の天観が西洋の天観と類似し、むしろより優れた点があることに感嘆し、東方布教に希望をもつ。

私はヨーロッパに知られたすべての異邦人の国家のうちで、古代中国人の思想のように誤りが少ないところを、いまだかつて見たことがなかった。実際、私は彼らの書物の中で、彼らが天の王(天帝)あるいは天と地(天地)と呼ぶ最高の存在を常に欽崇していたということを発見した。おそらく彼らの考えでは、天と地が生命力あるものとして、ただ一つの肉体(体)を構成し、その肉体の最高存在は霊魂のようなものであったのであろう。 M. Ricci, N. Trigault and G. Bessière, 『Histoire de l'expédition chrétienne au royaume de la Chine 1582-1610』: Desclée de Brouwer, 1978. 이성배, 『유교와 그리스도교: 이벽의 한국적 신학원리』, 경북: 분도출판사, 1979, p.144에서 재인용.

M. Ricci, N. Trigault and G. Bessière, 『Histoire de l'expédition chrétienne au royaume de la Chine 1582-1610』: Desclée de Brouwer, 1978. 이성배, 『유교와 그리스도교: 이벽의 한국적 신학원리』, 경북: 분도출판사, 1979, p.144에서 재인용.

マテオ・リッチは、地水火風の天観・地観・人間観によって東方布教を追求する。マテオ・リッチが発見した『書経』の天観は、創造主たる天、天の摂理、天の審判、主宰者たる天の属性が、西学とほぼ類似して現れた。 이성배, 『유교와 그리스도교: 이벽의 한국적 신학원리』, 경북: 분도출판사, 1979, pp.175-187.

이성배, 『유교와 그리스도교: 이벽의 한국적 신학원리』, 경북: 분도출판사, 1979, pp.175-187.

天と地は万物の父母であり、人は万物の霊長である。 惟天地 萬物父母 惟人 萬物之靈, 『서경(書經)』「주서(周書)」 「태서상(泰誓上)」. ──創造主たる天

惟天地 萬物父母 惟人 萬物之靈, 『서경(書經)』「주서(周書)」 「태서상(泰誓上)」.

皇天が顧み命じられて、全世界を治める天下の君主となられた。 皇天眷命, 奄有四海, 爲天下君.『서경書經』「대우모(大禹謨) 1」. ──天の摂理

皇天眷命, 奄有四海, 爲天下君.『서경書經』「대우모(大禹謨) 1」.

天が罰するのは、罪があるからである。 天討有罪 『서경書經』「고요모(皐陶謨)5」. ──天の審判

天討有罪 『서경書經』「고요모(皐陶謨)5」.

天道は、善なる者に福を下し、悪なる者には禍を下すものである。 天道福善禍淫, 『서경書經』「탕고(湯誥)」. ──主宰者たる天の属性

天道福善禍淫, 『서경書經』「탕고(湯誥)」.

マテオ・リッチは、西洋の天観と類似すると発見した『書経』の天思想が、周代、孔子、性理学へと続くなかで、人格神としての属性が色あせ、理法神へと変化したことを堕落と考え、惜しむ。しかし、俗が聖を統摂する多元的近代性の属性として理解する今日の観点からは、むしろ神性は一層強化されたとみなす。 왕후이 지음, 백원담, 박자영, 최정섭, 진성수 외 3인 옮김, 『근대중국사상의 흥기』, 파주: 돌베개, 2024.

왕후이 지음, 백원담, 박자영, 최정섭, 진성수 외 3인 옮김, 『근대중국사상의 흥기』, 파주: 돌베개, 2024.

実際、東アジアにおいて最も性理学化された社会であった朝鮮の知識人は、『天主実義』に接し、儒教の本来の意味を明らかにしうる思想として歓迎することもあった。曠菴・李檗、丁若鏞など当代の知識人は、命をかけて西学を受容することもあった。一方、『西学弁(西学弁)』を著した愼後聃(愼後聃, 1702-1761)に代表される多くの知識人は、西学に対して憂慮を表することもあった。 이성배, 「유교와 가톨릭의 만남: 광암 이벽과 그리스도교 사상의 철학관 (1): 이벽이 수용한 그리스도교의 철학적 바탕」, 『동양철학연구』 27, 2001, pp.27-58.

이성배, 「유교와 가톨릭의 만남: 광암 이벽과 그리스도교 사상의 철학관 (1): 이벽이 수용한 그리스도교의 철학적 바탕」, 『동양철학연구』 27, 2001, pp.27-58.

しかし、天としての第五元素の属性が極大化された地水火風の天観・地観・人間観と、地としての土の属性が極大化された陰陽五行の天観・地観・人間観は、正面から衝突する。幸いマテオ・リッチの時代には補儒論(補儒論)を口実として、二つの天観・地観・人間観は協力関係を保ったが、マテオ・リッチ以後は補儒論論争によって二つの天観・地観・人間観は互いに排斥し、対立の関係へと突き進み、結局、東洋はインカやマヤ帝国のように西洋によって文明が消滅する危機に直面する。東洋は儒教の典憲を越えられず、西洋は東洋を容認しえなかった。

特に、太極の「理(理)」が自立的存在であるかという問題が、二つの天観の核心問題として浮上した。実体で変化を説明する西洋の形相的天観においては、万物は創造されたものであるため太極の「理」は自立的存在となりえないが、天地開闢によって天地の運営を担った東洋の同化的天観においては太極の「理」は自立的であり、二つの天観は衝突せざるをえなかった。

「理(理)」が自立的存在(subsrantia)であるか偶然的存在(accidentia)であるかを区分して、「理(理)」が自立しえないという西洋の実体論的立場を明らかにしようとする『天主実義』のマテオ・リッチの主張に、中国の儒者(中士)。「太極は別の事物ではありません、まさに理です」……西洋の儒者(西土)──「太極の論法は万物の根源ではありえません。事物の種類を論じれば二つあります。すなわち自立体(自立体)と依頼体(依頼体)です。事物がある事物に依頼せず、みずから成立しうるもの、すなわち天地、鬼神、人類、鳥類、草木、金石などは、すべて自立体に属します。自立しえない事物は、その他の事物に依存して成立しうるものです。五常(五常;仁義礼智信)、五色(五色)、五音(五音;宮商角徴羽)、五味(五味)などは、すべて依頼体に属します。白馬(白馬)にたとえれば、白馬の白い色は依頼体であり、馬は自立体です。……一つの作用には、ただ一つの自立体があり、依頼体はその数を数えることができません。たとえば、人にはただ一つの自立の身体があり、ただその中に情(情)、性(性)、貌(貌)、色(色)、人倫など多くの依頼体を包括しています。太極を論じるにあたって、理という一言で解釈するとき、理は天地万物の真の原因ではありえません。なぜなら理もまた依頼体の一種にすぎないからです。」(마테오 리치,이수웅 역, 『천주실의 (天主實義)』, 분도出版社, 1984, pp.33-34, 이성배, 「유교와 가톨릭의 만남: 광암 이벽과 그리스도교 사상의 철학관 (1) - 이벽이 수용한 그리스도교의 철학적 바탕」, 『동양철학연구』 27, 2001, pp,36-37에서 재인용) 理(理)と事物(事物)が完全につながっている以上、理(理)があれば事物(事物)があり、事物(事物)があれば理(理)があるという東洋の属性的な論理によって、性理学者である愼後聃は『西学弁』において答える。「もちろん理(理)は人の心と事物(事物)を離れない。しかし、いわゆる人の心にあり事物にある理(理)は、本当に人の心があった後に、回し回して挿し込み合わせたものなのか、そして事物にぴったりと付けたものが、あたかも垂れた瘤や付いた瘤がもともとなかったのに突然できたようなものなのか。そしてこれをもって、すなわち理(理)は事物(事物)の後にあって事物(事物)の根源(根源)となりえないといえるのか。」(최동희, 『서학에 대한 한국실학의 반응』, 서울: 고려대학교, 민족문화연구소, 1988, pp.244-245, 이성배, 「유교와 가톨릭의 만남: 광암 이벽과 그리스도교 사상의 철학관 (1) - 이벽이 수용한 그리스도교의 철학적 바탕」, 『동양철학연구』 27(0): 2001, pp.37-38에서 재인용. と述べるのである。

中国の儒者(中士)。「太極は別の事物ではありません、まさに理です」……西洋の儒者(西土)──「太極の論法は万物の根源ではありえません。事物の種類を論じれば二つあります。すなわち自立体(自立体)と依頼体(依頼体)です。事物がある事物に依頼せず、みずから成立しうるもの、すなわち天地、鬼神、人類、鳥類、草木、金石などは、すべて自立体に属します。自立しえない事物は、その他の事物に依存して成立しうるものです。五常(五常;仁義礼智信)、五色(五色)、五音(五音;宮商角徴羽)、五味(五味)などは、すべて依頼体に属します。白馬(白馬)にたとえれば、白馬の白い色は依頼体であり、馬は自立体です。……一つの作用には、ただ一つの自立体があり、依頼体はその数を数えることができません。たとえば、人にはただ一つの自立の身体があり、ただその中に情(情)、性(性)、貌(貌)、色(色)、人倫など多くの依頼体を包括しています。太極を論じるにあたって、理という一言で解釈するとき、理は天地万物の真の原因ではありえません。なぜなら理もまた依頼体の一種にすぎないからです。」(마테오 리치,이수웅 역, 『천주실의 (天主實義)』, 분도出版社, 1984, pp.33-34, 이성배, 「유교와 가톨릭의 만남: 광암 이벽과 그리스도교 사상의 철학관 (1) - 이벽이 수용한 그리스도교의 철학적 바탕」, 『동양철학연구』 27, 2001, pp,36-37에서 재인용)

もちろん理(理)は人の心と事物(事物)を離れない。しかし、いわゆる人の心にあり事物にある理(理)は、本当に人の心があった後に、回し回して挿し込み合わせたものなのか、そして事物にぴったりと付けたものが、あたかも垂れた瘤や付いた瘤がもともとなかったのに突然できたようなものなのか。そしてこれをもって、すなわち理(理)は事物(事物)の後にあって事物(事物)の根源(根源)となりえないといえるのか。 (최동희, 『서학에 대한 한국실학의 반응』, 서울: 고려대학교, 민족문화연구소, 1988, pp.244-245, 이성배, 「유교와 가톨릭의 만남: 광암 이벽과 그리스도교 사상의 철학관 (1) - 이벽이 수용한 그리스도교의 철학적 바탕」, 『동양철학연구』 27(0): 2001, pp.37-38에서 재인용.

西洋に対して好意的であった一般民衆もまた、西洋の支配が本格化する北京条約以後、西洋の天観・地観・人間観に対して立場を否定的に転換する。西洋の力に押された東洋は、いまや西洋の力に対応しうる通過儀礼のリミナリティと、新たな天観・地観・人間観の再活性化を必要とするようになった。これによって東アジアでは、中国の一貫道(一貫道)、太平天国の乱、辛亥革命のような運動が起こり、日本でも明治維新、天理教(天理教)のような新宗教運動が新たに生まれたり拡散したりした。

陰陽五行の天観・地観・人間観の崩壊に最も鋭敏に反応した地は、東洋三国のうち儒教化が最も進んだ韓国であった。韓国は、西学が東洋で始まったとする西学中源論をさらに発展させ、西学を東洋の観点から解釈する。徐命膺から始まった韓国的な西学中源論は、丁若鏞と崔漢綺を経た後、東学思想に至って転換の臨界点を迎える。 함영대, 「18~19세기 西學中源論의 전개와 그 함의 -西學에 대한 조선학자들의 대응논리」 『漢文古典硏究』 40(1), pp.243-267. 東学思想は、地水火風の人格神と陰陽五行の理法神との間の調和を、侍天主(侍天主)というリミナリティを通じて提示する。

함영대, 「18~19세기 西學中源論의 전개와 그 함의 -西學에 대한 조선학자들의 대응논리」 『漢文古典硏究』 40(1), pp.243-267.

東洋の場合、天界・地界・人間界の創造主が隠れる代わりに、西洋と異なり天界・地界・人間界が『周易』のような天地人および陰陽に区分されて自律的かつ一貫した神明体系を成す。西学においては唯一神によって天界・地界・人間界の他の神が消えるとすれば、道教においては『周易』の影響により天界・地界・人間界の神が陰陽という自律的かつ一貫した体系として作用する。これは、無為而化、天地鬼神 理気論と体用関係にある鬼神論を見ると、邵康節は理気概念を神人関係に初めて適用し、神明と人間の陰陽関係が五行において土(土)と木火金水の陰陽関係であることを明らかにしたと徐命膺は明らかにしている。東洋思想において鬼神は、戦国時代に周易が定立された以後、気化論が発展しながら、陰陽と鬼神は体用の関係として天地を説明するのに用いられる。「陰陽不測之謂神(神)」といって、戦国時代以後、東洋において陰陽と鬼神は陰陽関係となる。当時、神は、人間の知識水準では陰陽に分類されないものとして定義されるという点で、合理的鬼神論として定着する。戦国時代の鬼神論が性理学において再び注目されるようになったのは、仏教・道教の人格神的な概念を合理的に反駁するためであった。同様に、西教の人格神概念を反駁するために、徐命膺は再び邵康節の理気・鬼神論を導入したのである。東洋の鬼神論は、陰陽の作用としての鬼神論となり、天神、地祇、人鬼という天地人三才に立脚した鬼神論へと発展して、宗廟社稷と祭祀一般に適用された。(이봉호, 『정조의 스승, 서명응의 철학(서양 과학에 대한 조선학자의 대응)』, 고양: 동과서, 2013.; 금장태, 『귀신과 제사: 유교의 종교적 세계 』, 서울: 제이앤씨, 2009; 최진덕, 「朱子學의 理氣論과 鬼神論」, 『陽明學』 0(23): 377-406. 2009; 김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002.종합) 大巡思想の理気論と鬼神論は、神統理気(神統理気)として解釈されることもある。(최치봉, 「'大巡'에 대한 體用論的 硏究.」,. 대진대학교 일반대학원. 2020) という東学の造化思想へとつながる。

理気論と体用関係にある鬼神論を見ると、邵康節は理気概念を神人関係に初めて適用し、神明と人間の陰陽関係が五行において土(土)と木火金水の陰陽関係であることを明らかにしたと徐命膺は明らかにしている。東洋思想において鬼神は、戦国時代に周易が定立された以後、気化論が発展しながら、陰陽と鬼神は体用の関係として天地を説明するのに用いられる。「陰陽不測之謂神(神)」といって、戦国時代以後、東洋において陰陽と鬼神は陰陽関係となる。当時、神は、人間の知識水準では陰陽に分類されないものとして定義されるという点で、合理的鬼神論として定着する。戦国時代の鬼神論が性理学において再び注目されるようになったのは、仏教・道教の人格神的な概念を合理的に反駁するためであった。同様に、西教の人格神概念を反駁するために、徐命膺は再び邵康節の理気・鬼神論を導入したのである。東洋の鬼神論は、陰陽の作用としての鬼神論となり、天神、地祇、人鬼という天地人三才に立脚した鬼神論へと発展して、宗廟社稷と祭祀一般に適用された。(이봉호, 『정조의 스승, 서명응의 철학(서양 과학에 대한 조선학자의 대응)』, 고양: 동과서, 2013.; 금장태, 『귀신과 제사: 유교의 종교적 세계 』, 서울: 제이앤씨, 2009; 최진덕, 「朱子學의 理氣論과 鬼神論」, 『陽明學』 0(23): 377-406. 2009; 김백현, 『도가철학연구』, 강릉: 동녘출판기획, 2002.종합) 大巡思想の理気論と鬼神論は、神統理気(神統理気)として解釈されることもある。(최치봉, 「'大巡'에 대한 體用論的 硏究.」,. 대진대학교 일반대학원. 2020)

西学中源論が朝鮮に導入された後、リッチの陰陽五行批判に対して陰陽五行論的反論が提起される。徐命膺は、マテオ・リッチの『天主実義』に対して邵康節(邵康節, 1011-1077)の陰陽五行論で反駁する。一方、丁若鏞(丁若鏞, 1762-1836)は、マテオ・リッチの意見を一部受容して性理学を批判することもあるが、これは東洋の価値を擁護するためであった。このように、東学以前に相関的思惟に対する東西洋の論争は、当時の学界の重要な争点となっていた。「東学」は、「西学」に対する東洋の学問固有の方法論を強調する時代的雰囲気のなかで誕生した。

当時の東洋人にとって、東アジアの自生的近代性の確立は、選択の問題を超えた生存の問題であった。アヘン戦争によって西洋の力を実感した東洋は、自生的近代性の樹立に失敗すれば、アジアもまたアフリカやアメリカの原住民のように文明喪失の境地に転落しうるという危険を察知していた。さらに、西洋人より懸命に生きてきた東洋人にとって、西洋の衝撃は物質的な脅威も大きかったが、それまでの努力が水泡に帰すという意欲喪失の精神的脅威として迫ってきた。

帝国主義時代の東洋人は、物質的脅威だけでなく、アイデンティティまで喪失する精神的危機を迎え、西学を無批判に受容したり、東洋の神秘主義に依存したりした。東洋的合理性である相関的思惟による自生的近代性の樹立は、ますます東アジアの生存にとって核心問題となっていた。東学は重い課題を抱えて成立した。陰陽五行という相関的思惟に基づく東学の概念が定立されると、「無極大道」、「天地鬼神」、「上元甲」、「再び開闢」のような概念が新たに定立された。

天観の相克化

陰陽五行と地水火風の天観・地観・人間観が衝突しながら、天観の相克化が深化する。陰陽五行・地水火風の二つの思想は、理想的な天観・地観・人間観も同一であるが、相克化の様相も類似する。地水火風の世界観においては人間の罪によって、陰陽五行の世界観においては不完全な世界構造によって、理想的世界はそれぞれ水火風三災(三災)、陰陽乱雑(陰陽乱雑)へと相克化される。マテオ・リッチ以後に展開された東西交流によって、東西洋は互いに異なる理由で神を否定する天観の相克化が進行する。

マテオ・リッチ以後に展開された東西洋の神人関係の混乱は、人間の死後の霊魂不滅説の部分から始まった。 이향만, 「혼백론에서 영혼론으로」, 『가톨릭 신학과 사상』 67, 2011, pp.16-24; 에드가 모랭 지음, 김명숙 옮김, 『인간과 죽음』, 서울: 東文選, 2000, pp.147-164. マテオ・リッチ以後、東洋では四代(代)が過ぎれば気(気)が消えるため霊魂も消えるという理気論が疑われ、西洋では神の世界が絶対神お一方と天使数方から成るということが疑われた。魂魄を中心とする大巡思想の霊魂観は、人間の成長を強調する精魂という概念を特徴とする。(오석, 「大巡思想의 靈魂論 硏究.」,.대진대학교 박사학위논문, 2019) マテオ・リッチ以後、東洋では陰陽五行と天地神明が否定され、西洋では東洋と同じように数多くの理法神あるいは機械から成る無神論的世界観が形成された。

이향만, 「혼백론에서 영혼론으로」, 『가톨릭 신학과 사상』 67, 2011, pp.16-24; 에드가 모랭 지음, 김명숙 옮김, 『인간과 죽음』, 서울: 東文選, 2000, pp.147-164.

혼백을 중심으로 하는 대순사상의 영혼관은 인간의 성장을 강조하는 정혼이라는 개념을 특징으로 한다.(오석, 「大巡思想의 靈魂論 硏究.」,.대진대학교 박사학위논문, 2019)

東洋と西洋の思惟方式の違いは、早くもマテオ・リッチの『天主実義』と、『天主実義』をめぐる論争のなかに詳細に現れる。今日の基準から見れば、地水火風の世界観は、近代の機械的科学観よりも、マテオ・リッチが批判した陰陽五行の天観・地観・人間観により類似して見えるが、変化を説明するにあたって実体を強調するという点で、フランソワ・ジュリアンが指摘したように、 프랑수아 쥴리앙 지음, 허경 옮김, 『맹자와 계몽철학자의 대화(루소, 칸트 도덕의 기초를 세우다)』, 한울아카데미, 2006. 地水火風の世界観は、近代の機械的科学観により近かった。実際、リッチは、東洋の陰陽五行的な天観・地観・人間観と相関的思惟の科学という共通の属性にもかかわらず、東洋の陰陽五行的な天観・地観・人間観は、変化を説明する際に実体で説明せず、 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』 61, pp.125-172. 2022 属性で説明する非科学的な説明であると批判する。

프랑수아 쥴리앙 지음, 허경 옮김, 『맹자와 계몽철학자의 대화(루소, 칸트 도덕의 기초를 세우다)』, 한울아카데미, 2006.

백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』 61, pp.125-172. 2022

補儒論論争に見られるように、天主教はマテオ・リッチが伝えた東洋の世界観を否定したが、世俗社会ではむしろ歓迎した。コギト・エルゴ・スム(Cogito ergo sum)に代表されるデカルトを嚆矢として、西洋は従来の神観を漂白させ、 이정우, 『세계철학사 3: 근대성의 카르토그라피』, 서울: 길, 2021, p.292. 神(神)なき機械論的世界観を構築していく。一方、道徳においては律法よりも福音を強調する理論が拡大される。西洋において神なき倫理道徳への転換は、神学の儒教的転換であるといえる。儒教的転換は律法から福音への転換として要約されえ、これは現代西洋神学においても代表的理論家であるバルト(Karl Barth, 1886-1968)の場合にも現れる。(김흡영, 『道의 신학』, 서울: 다산글방, 2005, pp.203-216) すなわち、カルヴァンの救済予定説は、神なき社会における共感へと変化する。近代性は、新たなリミナリティへと集中される。人間的な側面において、このような神観の変化は肯定的変化として解釈されてきたが、近代の問題が極大化された今日は、反省の契機となり、新たな代案的近代性を探す契機となった。

이정우, 『세계철학사 3: 근대성의 카르토그라피』, 서울: 길, 2021, p.292.

서양에서 신없는 윤리도덕으로의 전환은 신학의 유교적 전환이라 할수 있다. 유교적 전환은 율법에서 복음으로의 전환으로 요약될 수 있으며 이는 현대 서양 신학에서도 대표적 이론가인 바르뜨(Karl Barth, 1886-1968)의 경우에도 나타난다. (김흡영, 『道의 신학』, 서울: 다산글방, 2005, pp.203-216)

相克化された神尊人卑(神尊人卑)の天人関係において、人間は解脱や脱俗、あるいは死によって天界・地界・人間界を去らなければ、生老病死の苦痛から脱する存在となる。相克化された天観においては、神明もまた拘束され、それぞれ自己の境界を担って自己分野と自己領域の内に閉じ込められた否劫(否劫)のなかの存在となる。人間はこれによって、それぞれ地の気運の影響のなかで異なる文明を起こし、互いに紛争するようになる。また、相克化された天において雨露(雨露)の不調和により、人間は水火風三災の苦痛のなかに生きていくことになる。相克は相克を生み、天地と人間は惨たらしく錯乱し、尽滅之境へと転換されるのが今日の現実となる。

東学思想の侍天主(侍天主)天観に現れたリミナリティ

東学思想の侍天主(侍天主)天観(天観)

性理学の理法天(理法天)が、東アジア、特に朝鮮社会において新たな時代の問題を解決しえない段階に至ると、東学は、天の上の天という天外天、すなわち無極の天という新たな天観によってこれに対する解法を提示した。東学は、西学の学問を天観として包容しようとする。これは、モンゴルとイスラムによる西洋の侵入が西欧近代性の背景となったのと類似する。東学が新たに提示した天観は、性理学の理法天と異なり、天の上の天、すなわち天外天(天外天)との直接の疎通であった。侍天主の天は、天外天としての天概念である。

東学思想は、従来の天観・地観・人間観において注目されなかった天外天の概念を強調し、天観・地観・人間観の自生的近代性を図る。多元的近代性理論において近代性は、東学思想のように従来の天観・地観・人間観において疎外された部分を再活性化し、聖・俗の順位を変えて俗が聖を受容しうるように転換する統摂とリミナリティにおいて発生する。東学思想は、天外天との直接の疎通を通じて日常の世俗において聖を経験する聖・俗の順位の再配置を追求し、守心正気を通じて従来の重畳した問題を解決するリミナリティを試みる。

水雲は、従来の性理学の「天」と異なる「天の上の天」との直接の疎通を侍天主(侍天主)と表現する。水雲は、生涯「天の上の天」との直接の疎通のために自身のあらゆる力量を投入してくる。四十年近い長い歳月にわたって努力してきた水雲は、ついに庚申年に至って天師問答(天師問答)に至る。 天師問答という用語は、水雲の上帝との出会いの体験を表現するために、天道教当時の著名な教理研究者であった李敦化が初めて用いた用語である。「天師問答(天師問答)は、庚申年四月五日から同年九月二十日までのことであり、その間に種々の問答が多くあったなかで、ハヌルニム(天)が大神師(大神師=水雲─筆者)を試した事がある。……大神師は……ひとり誓って、『上帝もまた誤った道で教えるので、私はこれより以後は再び上帝の命教(命教)を聞かない』と仰せられ、その後は上帝の教えがあっても決して聞かれず、十一日間断食して心を動かさずにいると、上帝が仰せられた、『美しいかな、汝の志よ。嘉(よ)きかな、汝の節操よ。汝の工夫はすでに至極であり、汝の修練(修練)はすでに度数に満ち、汝の行いはすでに円満であるので、私はいま汝に無窮無窮の造化を下す』と。……仰せられたので、大神師は再び守心正気(守心正気)してその理を問うと、上帝が仰せられた、『わが心がすなわち汝の心である[吾心即汝心]。人がどうしてこれを知ろうか。天地は知るが鬼神は知らなかった。鬼神というものも私である。汝はいま無窮の道を受けたので、みずから修練し、その文を著して人を教え、その法を正して徳を世に施せば、汝もまた長生(長生)して天下に昭然(昭然)となるであろう』と。……仰せられたので、大神師はこの言葉を聞いた瞬間に、突然、精神に新たな気運が巡り、心に新たな思いが起こり、これまで空中から聞こえていた上帝の言葉が大神師の心の中から響き出て、降話(降話)の教(教)となって満紙長書(満紙長書)を下した。みずから問いみずから答えて無窮を唱え無窮を歌い……大神師はみずから喜び、みずから楽しんで、降話(降話)で呪文(呪文)を唱えた、いわく『侍天主令我長生 無窮無窮万事知(侍天主令我長生 無窮無窮萬事知)』と。これより天師問答は途絶え、単純な降話(降話)によって無極大道(無極大道)・大徳(大徳)の理を発表し、和答するようになった。そうして、ひとり修練して、これが確実に広済蒼生(広済蒼生)の大道(大道)であるか否かを体験された。」이돈화, 『천도교창건사』, 경인문화사, 1982, pp.14-16. 글은 현대어로 다소 수정했음. (박정호, 「수운 최제우의 신관.」, 『통일인문학』 74, p.138, 2018에서 재인용). 東学思想の天観は、上帝との出会いである天師問答によって成立する。水雲は1860年(庚申)陰暦四月五日に上帝の最初の啓示を受けたとされる。

天師問答という用語は、水雲の上帝との出会いの体験を表現するために、天道教当時の著名な教理研究者であった李敦化が初めて用いた用語である。「天師問答(天師問答)は、庚申年四月五日から同年九月二十日までのことであり、その間に種々の問答が多くあったなかで、ハヌルニム(天)が大神師(大神師=水雲─筆者)を試した事がある。……大神師は……ひとり誓って、『上帝もまた誤った道で教えるので、私はこれより以後は再び上帝の命教(命教)を聞かない』と仰せられ、その後は上帝の教えがあっても決して聞かれず、十一日間断食して心を動かさずにいると、上帝が仰せられた、『美しいかな、汝の志よ。嘉きかな、汝の節操よ。汝の工夫はすでに至極であり、汝の修練(修練)はすでに度数に満ち、汝の行いはすでに円満であるので、私はいま汝に無窮無窮の造化を下す』と。……仰せられたので、大神師は再び守心正気(守心正気)してその理を問うと、上帝が仰せられた、『わが心がすなわち汝の心である[吾心即汝心]。人がどうしてこれを知ろうか。天地は知るが鬼神は知らなかった。鬼神というものも私である。汝はいま無窮の道を受けたので、みずから修練し、その文を著して人を教え、その法を正して徳を世に施せば、汝もまた長生(長生)して天下に昭然(昭然)となるであろう』と。……仰せられたので、大神師はこの言葉を聞いた瞬間に、突然、精神に新たな気運が巡り、心に新たな思いが起こり、これまで空中から聞こえていた上帝の言葉が大神師の心の中から響き出て、降話(降話)の教(教)となって満紙長書(満紙長書)を下した。みずから問いみずから答えて無窮を唱え無窮を歌い……大神師はみずから喜び、みずから楽しんで、降話(降話)で呪文(呪文)を唱えた、いわく『侍天主令我長生 無窮無窮万事知(侍天主令我長生 無窮無窮萬事知)』と。これより天師問答は途絶え、単純な降話(降話)によって無極大道(無極大道)・大徳(大徳)の理を発表し、和答するようになった。そうして、ひとり修練して、これが確実に広済蒼生(広済蒼生)の大道(大道)であるか否かを体験された。」이돈화, 『천도교창건사』, 경인문화사, 1982, pp.14-16. 글은 현대어로 다소 수정했음. (박정호, 「수운 최제우의 신관.」, 『통일인문학』 74, p.138, 2018에서 재인용).

不意四月 心寒身戰 疾不得執症 言不得難狀之際 有何仙語 忽入耳中 驚起探問則 曰勿懼勿恐 世人 謂我上帝 汝不知上帝耶 問其所然 曰余亦無功故 生汝世間 敎人此法 勿疑勿疑 曰然則 西道以敎人乎 曰不然 吾有靈符 其名 仙藥 其形 太極 又形 弓弓 受我此符 濟人疾病 受我呪文 敎人爲我則 汝亦長生 布德天下矣

思いがけず四月に心が冷えわたり、身が震えて何の病か診断することもできず、言葉で形容することも難しいおりに、ある神仙の言葉があってふと耳に聞こえたので、驚いて問いただすと、お答えになって仰せられた、「恐れるな、恐れるな。世の人は私を上帝と呼ぶのに、汝は上帝を知らぬのか。」その故を問うと、お答えになって仰せられた、「私もまた功がないので、汝を世間に生み出し、人にこの法を教えさせるのである。疑うな、疑うな。」問うた、「それでは、西道で人を教えましょうか。」お答えになって仰せられた、「そうではない。私に霊符がある。その名は仙薬であり、その形は太極であり、また形は弓弓である。わが霊符を受けて人を疾病から救い、わが呪文を受けて人を教え、私を奉じさせれば、汝もまた長生して徳を天下に施すであろう。」 천도교 중앙총부, 『天道敎經典』, 서울: 천도교중앙총부출판부, 1982. 東学関連の句節の引用と翻訳について、本稿は 천도교 중앙총부, 『天道敎經典』、최동희·이경원의 『새로 쓰는 동학』(집문당, 2003)、김용옥의 『동경대전』(통나무,2021)、김용휘, 『최제우의 철학』 (이화여자대학교출판부, 2012)に掲載された翻訳および論文などに掲載された翻訳を引用する。各翻訳については引用時に明らかにすることとする。別途明らかにしない引用は、천도교 중앙총부, 『天道敎經典』である。

천도교 중앙총부, 『天道敎經典』, 서울: 천도교중앙총부출판부, 1982. 東学関連の句節の引用と翻訳について、本稿は 천도교 중앙총부, 『天道敎經典』、최동희·이경원의 『새로 쓰는 동학』(집문당, 2003)、김용옥의 『동경대전』(통나무,2021)、김용휘, 『최제우의 철학』 (이화여자대학교출판부, 2012)に掲載された翻訳および論文などに掲載された翻訳を引用する。各翻訳については引用時に明らかにすることとする。別途明らかにしない引用は、천도교 중앙총부, 『天道敎經典』である。

水雲の天師問答は六か月余りにわたって持続し、一年余りの間悩んだ後、水雲は『龍潭遺詞』と『東経大全』にこれを詳細に表現する。それゆえ李敦化は、水雲の修行を天師問答と内部降話に分ける。しかし、『龍潭遺詞』と『東経大全』の以後に書かれた『道源記書』には、その後、水雲が逮捕される直前までも上帝と数度にわたって疎通する箇所が出てくるとされる。 『도원기서』에는 1860년 10월은 물론이고 (pp.27-29), 1862년 말(pp.41-42), 또 1863년 10월 말까지 상제와 문답하는 내용이 나와 있고, 1863년 10월 말에 이르러 비로소 강화가 끊어졌다고 되어 있다(p.53).

『도원기서』에는 1860년 10월은 물론이고 (pp.27-29), 1862년 말(pp.41-42), 또 1863년 10월 말까지 상제와 문답하는 내용이 나와 있고, 1863년 10월 말에 이르러 비로소 강화가 끊어졌다고 되어 있다(p.53).

東学思想が近代宗教、さらには東西古今の宗教史において最も特徴的であるのは、創始者の宗教経験が非常に詳細かつ長い時間にわたって表現されている点であるとされる。そもそも東学思想のように創始者の宗教体験で宗教が始まるのは、イスラム教がほぼ唯一であり、他の宗教は仏教のように創始者の修道経験などで始まり、宗教体験についての記録が現れないとされる。 김탁, 『한국신종교를 관통하는 이념, 인간중심주의』, 서울: 민속원, 2023, pp.69-70. またイスラム教も、その経験が非常に簡単に表現される。東学思想が、由緒ある儒教社会であった韓国社会において短期間で多くの支持者を得たのは、この詳細な天師問答が信頼を引き起こしたところが大きい。

김탁, 『한국신종교를 관통하는 이념, 인간중심주의』, 서울: 민속원, 2023, pp.69-70.

六か月余りの天師問答の過程でなされた対話の内容を、水雲が解釈する過程で東学は成立する。水雲は「論学文」において、まず西学との差別性を東学の認識論的背景として強調する。水雲は、自身が出会った上帝が東西洋の天を統合した天の上の天であることを知らせ、特に西学の天より上の天であることを主張する。水雲はこれを「学(学)」の性格において究明する。「論学文」という題名に見られるように、西洋の帝国主義に対抗した全世界の文明のうち、唯一、韓国の東学だけが認識論的主題である「学問」を主要な主題とした。東西洋の違いが認知構造という根源的な部分において違いを生じるという、東洋についての主張は、東学の「論学文」において最初に現れる。

『東経大全』「論学文」において水雲は、西洋は分析的であるため状況に応じて言葉が変わり、神を信じるようでいて信じないため、結局、虚無に陥るという内容を言及する。まず水雲は、東学と西学の違いを「運則一 道則同 理則非(運則一 道則同 理則非)」という言葉で明示する。

日與西道 無異者乎

問:西道と異なるところがありませんか。

日洋學 如斯而有異 如呪而無實 然而運則一也 道則同也 理則非也

答:洋学はこれと似ているが異なるところがあり、祈るようでいて実がない。

しかし、運数においては一であり、道においては同じだが、理においては異なる。 배영순, 「동학과 서학의 차별성 문제」 『대구사학』 73, 2003, p.198,

배영순, 「동학과 서학의 차별성 문제」 『대구사학』 73, 2003, p.198,

上の例文において水雲は、東洋と西洋の学問は目標は同じだが方法論的に異なると述べる。これについての先行研究を배영순は整理したことがある。배영순は、従来の先行研究は東学にいう運(運)、道(道)、理(理)の違いが詳細に解明されていないとして、その違いを詳述している。배영순は、侍天主「侍天主 造化定 永世不忘万事知(侍天主 造化定 永世不忘萬事知)」において「侍天主」は天(天)に、「造化定」は地(地)に、そして「永世不忘万事知」は人(人)に該当するものとして分けて見ることができるとして、侍天主を天地人の相関的思惟として分析している。

배영순は再び侍天主を運(運)、道(道)、理(理)に適用させ、道(道)は「侍天主(侍天主)」、運(運)は「造化定(造化定)」であり、理(理)は「永世不忘万事知(永世不忘萬事知)」として配当する。結局、東学と西学の違いは、天地は同じであり一つであるが、天主を奉じる人間の理において違いを生じるという。배영순は、東学において、東西洋が春夏秋冬という天(道)は同じだが、東洋と西洋という地は気運(運)に応じて異なったものとなったと述べる。 배영순, 「동학과 서학의 차별성 문제」, 『대구사학』 73, 2003, pp.203-205,

배영순, 「동학과 서학의 차별성 문제」, 『대구사학』 73, 2003, pp.203-205,

東学と西学の理の違いは、東学において次のように説明されている。

曰何爲其然也 曰吾道無爲而化矣 守其心正其氣 率其性受其敎 化出於自然之中也 西人 言無次第 書無皂白而 頓無爲天主之端 只祝自爲身之謀 身無氣化之神 學無天主之敎 有形無迹 如思無呪 道近虛無 學非天主 豈可謂無異者乎

「どうしてそうなのですか。」「私が受ける道は、神(かみ)の意に従って自然に世を教化する。」おのおのがその本来の心を守り、その気運を正し、その生まれもった天性(天性)に従うことによって神(かみ)の教えを受ければ、自然に教化が成し遂げられる。これに対して西学(西学)を信じる西洋人は、その言葉に正しい順序がなく、その文には明確な条理がない。そして、まったく神(かみ)を奉じる実がなく、ただ自己の利益のための方途だけを祈るのみである。それゆえ、身が霊気(気)と合一する驚くべき境地もなく、神(かみ)の真の教えもなく、形式だけがあって実がない。神(かみ)を思うようでいて、神(かみ)を真に奉じない。このように、その道はほとんど内容が空虚であり、その宗教は神(かみ)を奉じない。どうして異なるところがないといえようか。 최동희,이경원, 『새로 쓰는 동학』, 서울: 집문당, 2003. pp.230-231.;

최동희,이경원, 『새로 쓰는 동학』, 서울: 집문당, 2003. pp.230-231.;

上の例文は『東経大全』のなかで最も難解な部分とみなされるが、その理由は、上の例文における批判の対象が、主に天主教や天主教信徒として理解されてきたためであるとされる。上の例文における批判の対象を、西洋人一般、西洋学問全体として見れば、理解が可能であるとされる。 황종원, 「최제우와 박은식의 유교개혁 방향, 평등관, 서구 근대문명에 대한 태도」, 『퇴계학과 유교문화』 49, 2011. p.330.

황종원, 「최제우와 박은식의 유교개혁 방향, 평등관, 서구 근대문명에 대한 태도」, 『퇴계학과 유교문화』 49, 2011. p.330.

上の例文において배영순は、東学が指摘する東学と西学の決定的な違いは「気化之神(気化之神)」であるとする。ここで気化(気化)というのは、天の気運が身に凝縮されることを意味する。西学は、天主に向かって祈るだけで、みずから気化(気化)しうる呪文(呪文)がなく、守心正気(守心正気)の修練がないというのである。水雲は、西学において司祭と一般信徒が垂直的に厳格に区分されることを批判したように、気化のない西学を同じ論理でここで批判する。

水雲が実は東学の創道において最も自負していたところもまた守心正気(守心正気)であり、これは西学に対してだけでなく、儒学(儒学)に対してもそう述べていたとされる。 배영순, 「동학과 서학의 차별성 문제」, 『대구사학』 73, 2003, p.205. 東学と西学の違いが修練方法の有無であるという水雲の見解は、東西洋の学問に対する卓見であった。東西洋の霊性を統合したとされる著名な超越心理学者ケン・ウィルバー(Ken Wilber, 1949- )も、ドイツの観念論のような体系的な哲学さえも修養論がないことが西洋思想最大の弱点であると指摘したことがある。 켄 윌버, 『감각과 영혼의 만남』 ,범양사, 2007, pp.189-190. ケン・ウィルバーは、現代思想の最も緊急な問題は、西洋の認識論的接近を修養論的接近へと方向転換することであるとする。 유권종, 「유교문화 전통연구에 관한 통합학문의 전망」, 『철학탐구』22, 중앙대학교부설 중앙철학연구소 , 2007, p.25.

배영순, 「동학과 서학의 차별성 문제」, 『대구사학』 73, 2003, p.205.

켄 윌버, 『감각과 영혼의 만남』 ,범양사, 2007, pp.189-190.

유권종, 「유교문화 전통연구에 관한 통합학문의 전망」, 『철학탐구』22, 중앙대학교부설 중앙철학연구소 , 2007, p.25.

東学思想に現れた上帝の出現は、正統性理学の立場から見れば、怪力乱神に属する異例的かつ異端的な姿であった。水雲の天師問答が一層異例的に見えたのは、水雲の家系が韓国性理学の正統系列に属していたためである。庶孽よりも劣る再嫁女の子として、水雲の出生は不遇であったが、水雲の父である近菴・崔鋈(近菴 崔鋈, 1762-1840)の学的系譜は、退渓・李滉(李滉, 1501-1570)の師弟系譜のうち正統系譜に属していた。儒学者だけでなく一般の民にとっても上帝の出現は異例的状況であったが、意外にも当時、上帝と対話した水雲の天師問答は、階層を問わず認められた。東学思想は、儒仏仙の多くの伝統に助けられてこれを克服することになる。

水雲の天師問答が幅広く受容された背景について、最近の研究は、東学発生当時に新たに流入していた中国道教の影響を指摘する。特に朝鮮後期の鸞壇道教(鸞壇道教)の影響が浮き彫りにされた。これは今日あまり知られていない中国道教の伝来によるもので、清の混乱によって多くの清の道士が朝鮮に入り、当時の朝鮮には「無相壇(無相壇)」という最初の道教集団が形成されたとされる。さらには高宗皇帝も道教経典を国家的事業として発刊するほどであった。水雲の天師問答が上帝との天師問答として認められえた背景には、鸞壇道教の伝来によって当時変化していた朝鮮社会の雰囲気があったとされる。 김윤경, 「조선후기 민간도교의 전개와 변용-동학 증산교를 중심으로」 『도교문화연구』, 2013,: 김윤경, 「19세기 조선 최초의 교단 도교, 무상단(無相壇) 연구-『문창제군몽수비장경』을 중심으로-」 『한국철학논집』, 2019.

김윤경, 「조선후기 민간도교의 전개와 변용-동학 증산교를 중심으로」 『도교문화연구』, 2013,: 김윤경, 「19세기 조선 최초의 교단 도교, 무상단(無相壇) 연구-『문창제군몽수비장경』을 중심으로-」 『한국철학논집』, 2019.

東学の成立に及ぼした道教の影響は、呪文修練と東学歌詞にも現れる。儒教社会において東学が認められえたのは、流入していた道教の影響であるとされる。東学思想は、当時の東アジア伝統の文明が集約された道教までも含んでいた。「東学歌詞」の場合も、神明との接触による降筆として解釈されうる。 박병훈, 「동학 강필 연구」, 『종교연구』, 2020. 甑山もまた、康節の知識、李太白・杜甫の詩、蘇秦・張儀の弁舌という東アジアの知性の三つの精髄、すなわち三つの気運が明らかにしたとされる。 『전경』「교법」 2-42. 実際、水雲は後に甑山によって、道教と関係する後天仙道の宗長(宗長)に任命される。これは、東学が道教の精髄を継承していることを示す。甑山はこれを、天地の作用(天地之用)である十二運星(運星)では胞胎(胞胎)、そして具体的形態では「造化」として表した。 『전경』「공사」 3-39.

박병훈, 「동학 강필 연구」, 『종교연구』, 2020.

『전경』「교법」 2-42.

『전경』「공사」 3-39.

東洋思想において天観は修練の方法と関連する。修練の方法において天観は集約される部分がある。東学修練の最大の特徴は呪文修練であった。正統性理学の立場からも、これは例外的に受容されていた。呪文(呪文)は、詠歌舞蹈(詠歌舞蹈)の「正易」の事例や時調朗誦の事例のように、儒教においても一部導入されていた。「呪文」は、仏教の場合は既に念仏として広く活用されもしたが、朝鮮の儒教主流社会では異例的であり、むしろこのような異例性によって東学は一層広く広まることになった。 조경달, 『이단의 민중반란』, 서울: 역사비평사, 2008. 呪文修練の場合、今日の西洋の霊性修練にも用いられている東西古今の普遍的修練方法であったが、韓国の場合は、東学によって初めて一般大衆の自己修練に導入され、後に新宗教において広く用いられた。 A. Deane, Voyagers: secrets of Amenti』, Columbus, NC: Wild Flower Press Columbus, NC. 2002.

조경달, 『이단의 민중반란』, 서울: 역사비평사, 2008.

A. Deane, Voyagers: secrets of Amenti』, Columbus, NC: Wild Flower Press Columbus, NC. 2002.

儒教もまた、東学の成立に多くの役割を果たした。東学は、実際に甑山によって、儒教の典憲を越えられなかったという評価を受けることもある。 『전경』「교운」 1-9. まず東学は、「至気今至願為大降(至氣今至願爲大降)」という代表的な呪文である侍天主の事例において内容に見られるように、性理学においても強調される気(気)の役割を強調する。「道気長存邪不入(道氣長存邪不入)」 『전경』「교법」 2-3. のように、東学は「理(理)」よりも「気(気)」を強調する立場にあったが、東学は上帝を除いては道教の神明に関する内容がほとんど現れないという点で、あくまでも儒教的次元の「気」から大きくは外れない。

『전경』「교운」 1-9.

『전경』「교법」 2-3.

道教的神明が強調されない水雲の上帝観もまた、儒教的天観の影響を大きくは外れない。안유경は、東学が「気」を強調するが、東学の成立背景には退渓から成される理(理)の確立から茶山へとつながる関係を見ることができるとする。東学が韓国において可能でありえたのは、退渓の影響が大きかったとされる。 안유경, 「조선 중ㆍ후기 종교적 천관(天觀)의 전개양상: 퇴계, 다산, 수운, 증산을 중심으로」 『대순사상논총』, 2020.

안유경, 「조선 중ㆍ후기 종교적 천관(天觀)의 전개양상: 퇴계, 다산, 수운, 증산을 중심으로」 『대순사상논총』, 2020.

全体的に見れば、水雲の東学理解においては、上帝観など理論的次元では儒教の典憲のなかにあり、術数など形而下的な部分では道教が積極的に受容された。 박종천, 「신선사상으로 본 동학과 증산도」 『民族文化硏究』 96, 2022, pp.291-330. 実際、東学が一般大衆に広く知られるようになった契機は、「術数」の力も大きかったとされる。東学農民運動においても、東学農民運動が持続しえた大きな力の一つが術数に対する信仰であった。

박종천, 「신선사상으로 본 동학과 증산도」 『民族文化硏究』 96, 2022, pp.291-330.

形而上学的な次元では儒教の典憲のなかにあり、形而下学的な術数の側面では道教の術数に長けていたということは、東学の儒教的典憲をむしろ一層強化する役割を果たした。黄玹(黄玹, 1855-1910)の『梧下記文(梧下記文)』に現れるように、東学には実に多様な階層の人々が加入したが、その加入目的は非常に多様であった。 유지연, 「황현(1855-1910)의 동학에 대한 인식과 비판: 『오하기문(梧下記文)』을 중심으로 」,『梨院학술논집』 2, 2004, pp.1-54. 甑山は、実際に同じ東学参与者であっても身分解放のために努力した全明淑(全明淑, 1855-1895)を高く評価し、多くの東学参与者が表面上は輔国安民を叫ぶが、内心では王侯将相を夢見た人々であると看破する。 『전경』「공사」 2-19. 王侯将相を狙って東学に参与した人は、術数に長けた東学において十分に自分の夢を成し遂げられると判断した。尹以欽は、したがって、東学は一般人にとって『鄭鑑録』の思想がより拡大されたものとして現れ、その後の新宗教のモデルとなったとする。 윤이흠, 『한국의 종교와 종교사』, 서울: 박문사, 2017.

유지연, 「황현(1855-1910)의 동학에 대한 인식과 비판: 『오하기문(梧下記文)』을 중심으로 」,『梨院학술논집』 2, 2004, pp.1-54.

『전경』「공사」 2-19.

윤이흠, 『한국의 종교와 종교사』, 서울: 박문사, 2017.

東学の成立に仏教が及ぼした影響は間接的であった。仏教の影響は、水雲が避身した場所が隠寂庵であり、東学の呪文が念仏と類似するという関係程度にある。東学農民運動が最初に活性化し始めたのは、禅雲寺の弥勒像の腹中にあった李書求(李書求, 1754-1825)が書いた書物を、接主・孫華仲(孫華仲, 1861-1895)が抜き取ることから始まりもする。しかし、因縁法のような前世と祖先に対する信仰は東学において強調されず、大巡思想のような解冤思想も東学思想においては現れなかった。

儒仏仙だけでなく、東学の成立に大きな影響を及ぼしたのは陰陽思想である。陰陽思想もまた広い範疇の道教に含まれうるが、分離して考えるならば、東学は儒教の周易思想に現れた天地観のように「天地が鬼神であり鬼神が天地である」という儒教的陰陽観から大きくは外れない。たとえ天の外の天を強調するところから東学は始まり、西学と儒仏仙を批判してこれを越えようとしたが、神明のような概念を導入しえなかった東学思想は、いまだ儒教から大きくは外れない。これは、神明を強調する大巡思想の陰陽観とはやや異なる性格であった。

儒仏仙のような思想的背景だけでなく、東学が成立したのは、当時の外勢に対する恐怖とその反作用である民族感情の影響であり、水雲と甑山の思想に開港期の西欧侵略に対する対抗意識が現れるとされる。 고남식, 「수운과 증산의 민족주의적 요소 비교」 『신종교연구』, 2012, p.69.

고남식, 「수운과 증산의 민족주의적 요소 비교」 『신종교연구』, 2012, p.69.

私もまた東方で生まれ、東方で受けたので、道は天道(天道)であるが、学は東学(東学)である。 『동경대전』「논학문」.

『동경대전』「논학문」.

東学は、日本に対する対抗からさらに進んで、西洋に対する対抗へと拡大する。東学以後、「東」という概念は、中国に対する韓国を表す意味から、西洋に対する東洋を表す意味へと変わったとされる。しかし、「性理学」のように社会運動としての「学」という概念で出発した東学は、日本の植民地を経ながら内面化することになるとされる。 장석만, 「종교개념의 내면화와 제도화」, 『종교와 식민지 근대』, 서울: 책과함께, 2013.

장석만, 「종교개념의 내면화와 제도화」, 『종교와 식민지 근대』, 서울: 책과함께, 2013.

東学成立当時、東学指導者たちの国際情勢認識は、中国に局限された範囲で認識していた。東学歌詞には日本に対する敵愾心が大きく現れるが、これもまた世界を中国中心に解釈した儒教の典憲に近い。

結局、水雲の東学理解は、水雲の波瀾万丈の人生の道のりと深い学問、そして純粋な心という土台の上に、鄭鑑録の民族主義の影響、身分制撤廃への意志、国際情勢に対する無知などを背景として成し遂げられる。その後展開される東学農民運動もまた、このような成立背景が重要な影響を及ぼす。東学は、大巡思想に比べて理を強調せず気運を強調し、これを김지하は、東学思想に比べて大巡思想は日常を強調するとする。

東学思想の天観は、結局、天外天である超越天を強調し、天地に区分される内在天を強調しない西洋の天観と異なり、天地に区分される内在天を強調し、天外天である超越天を強調しない、東西の天観の対立様相のなかで、その解決策として出現する。東学思想の天観がもつ自生的近代性は、この解決策において聖と俗を再編し、東西古今の天観を含みつつ超越する。東学思想の天観は、東洋の儒仏仙の長所を最大限に受容しようとし、西洋の天観の優秀性も包容しようとする。東学思想の天観がもつこの二重性は、早くに김경재らによって汎在神観と呼ばれたことがある。 김경재, 「수운의 시천주 체험과 동학의 신관」, 『동학연구』 4, 1999, pp.23-43. しかし、従来の汎在神観は、近代性との連結を通じてその発生背景を十分に明らかにしていない点がある。

김경재, 「수운의 시천주 체험과 동학의 신관」, 『동학연구』 4, 1999, pp.23-43.

近代性は、西洋においては科学の問題であったが、東洋人にとっては人種清掃を受けるか否かという生存の問題であった。今日、近代性の問題は学術的次元の議論をするが、当時、近代性は生存の問題を抱えていた。さらに、今日の近代性は、東洋の問題ではなく人類絶滅の問題へと拡大した。困難に成立した東学思想の天観は、多様な様相で現れる。

侍天主(侍天主)天観のリミナリティ様相

東学は、自生的近代性が必要な時期に「無極大道(無極大道)」という概念を新たな天観としてまず提示する。「無極大道」は、天の上の天、すなわち太初の宇宙と関連する。これは、西洋の近代性がイスラムとモンゴルの侵入という東西衝突の状況において原子論という新たな天観にまで発展したことに比較されうる。天外天を通じて東西洋の天観を含みつつ超越する東学の天観は、東西洋の天観に現れた系統発生を個体発生として反復する。これは、聖と俗の境界を再配置することによって成し遂げられるリミナリティの自生的近代性を示す。

身がひどく震えながら、外には神霊な気運が接し、内には言葉が教えとして降りるが、見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえず、心がかえって怪しみ訝るので、心を整え気運を正して問うた、「どうしてこのようなのですか。」お答えになって仰せられた、「わが心がすなわち汝の心である[吾心即汝心]。人がどうしてこれを知ろうか。天地は知っても鬼神は知らぬ。鬼神というものも私である。汝は無窮無窮の道に至ったので、修め鍛え、文を著して人を教え、法を正して徳を施せば、汝をして長生して天下に輝かせるであろう。」私もまたほぼ一年を修め推し量ってみたところ、自然な理ならざるものがなかったので、一方では呪文を著し、一方では神霊な気運を受ける[降霊]法を著し、一方では天主を忘れない文を著したところ、節次と道法は、ただ二十一字[呪文]をもってなるばかりであった。 擧此一一不已故 吾亦悚然 只有恨生晩之際 身多戰寒 外有接靈之氣 內有降話之敎 視之不見 聽之不聞 心尙怪訝 修心正氣而問曰 何爲若然也.曰吾心卽汝心也 人何知之 知天地而無知鬼神 鬼神者吾也 及汝無窮無窮之道 修而煉之 制其文敎人 正其法布德則 令汝長生 昭然于天下矣 吾亦幾至一歲 修而度之則 亦不無自然之理 故 一以作呪文 一以作降靈之法 一以作不忘之詞 次第道法 猶爲二十一字而已. 『동경대전』, 「논학문」, 김용휘, 『최제우의 철학: 시천주와 다시 개벽』, 서울: 이화여자대학교출판부, 2012, pp.123-124.

擧此一一不已故 吾亦悚然 只有恨生晩之際 身多戰寒 外有接靈之氣 內有降話之敎 視之不見 聽之不聞 心尙怪訝 修心正氣而問曰 何爲若然也.曰吾心卽汝心也 人何知之 知天地而無知鬼神 鬼神者吾也 及汝無窮無窮之道 修而煉之 制其文敎人 正其法布德則 令汝長生 昭然于天下矣 吾亦幾至一歲 修而度之則 亦不無自然之理 故 一以作呪文 一以作降靈之法 一以作不忘之詞 次第道法 猶爲二十一字而已. 『동경대전』, 「논학문」, 김용휘, 『최제우의 철학: 시천주와 다시 개벽』, 서울: 이화여자대학교출판부, 2012, pp.123-124.

上の例文は、水雲が無極大道を受けるときを叙述した部分である。「無極大道」が何であり、なぜ東学を「無極大道」と表現しうるのかということは、上の例文『東経大全』「論学文」において明確に現れる。東学を無極大道と表現した部分は『龍潭遺詞』においても何度か出現するが、 하원갑 지내거든 상원갑 호시절에 만고 없는 무극대도 이 세상에 날 것이니(『용담유사』, 「몽중노소문답가」), “꿈일런가 잠일런가 무극대도 받아내어 正心修身 하온 후에 다시 앉아 생각하니 (『용담유사』, 「교훈가」), 上の例文が詳細である。

하원갑 지내거든 상원갑 호시절에 만고 없는 무극대도 이 세상에 날 것이니(『용담유사』, 「몽중노소문답가」), “꿈일런가 잠일런가 무극대도 받아내어 正心修身 하온 후에 다시 앉아 생각하니 (『용담유사』, 「교훈가」),

無極とは、陰陽が区分される以前の状態である太極よりもさらに以前の状態を指すので、太初の宇宙と関連する。天観の側面から見れば、天の外の天、天外天(天外天)に該当する。したがって、無極大道というものは、太極の理を明らかにしたという従来の性理学や、天主を明らかにしたという西学や、宇宙の実体を悟るという仏教を超える、天の外の天の道を意味する。これによって、上の例文「汝は無窮無窮の道に至ったので」に見られるように、無極大道は「無窮無窮の道」となる。

無極大道が「無窮無窮の道」となる理由を、上の例文では「わが心がすなわち汝の心である[吾心即汝心]」と説明する。ここで「私の心である吾心(吾心)」は「天の上の天」、すなわち天外天の心であり、「汝の心である汝心(汝心)」は水雲に代表される人間の心である。これは、天外天すなわち無極の心がすなわち人間の心となるという意味である。これは、天地人の起源となる天外天の心が人間の心と同じであるという言葉であり、宇宙において人間の地位が無極と心が通じる存在となるという意味であるので、「無極大道」となるのである。

従来の無極と東学の「無極大道」が天観と関連して最も異なる点は、天師問答、降筆のように、人間と直接疎通する「無極」、すなわち上帝が初めて出現した点である。さらに水雲は、初期の天師問答において上帝の意図を継続して疑い、自己の主張を貫徹させて、かえって上帝の信任を得る。人間と直接疎通する無極という東学の天観は、東洋の同化的天観と西洋の形相的天観を衝突なく調和させる天観として現れる。

東洋の場合を見ると、「無極大道」は、まずその名称において、東洋の代表的な相関的思惟である無極・太極・陰陽五行の伝統が典型的に現れる。これは東洋の同化的天観と合致する。「万古なき無極大道」という表現は、相関的思惟が完成されるという意味として見ることができる。 「만고없는」이라는 표현은 『용담유사』에 5회 나타난다. 만고없는 무극대도 받아놓고 자랑하니 그 아니 개자한가 (『용담유사』, 「교훈가」); 만고없는 무극대도 여몽여각 득도로다 (『용담유사』, 「용담가」) ; 하원갑 지내거든 상원갑 호시절에 만고없는 무극대도 이세상에 날것이니 (『용담유사』, 「몽중노소문답가」); 만고없는 무극대도 여몽여각 받아내어 (『용담유사』, 「도수사」); 만고없는 무극대도 이세상에 창건하니 (『용담유사』, 「권학가」). さらに、「無極大道」という表現は、無極大道が東洋において宗教として展開された儒仏仙の相関的思惟を、東学思想が継承するという表現でもある。実際、儒仏仙は天地人が合一する相関的思惟を背景としており、東学の代表的な侍天主思想は、絶対的存在を内面化する方向へと発展してきた儒仏仙が超越天として成熟する形態であるという先行研究がなされてきた。 김상일, 『동학과 신서학』, 서울: 지식산업사, 2000.

「만고없는」이라는 표현은 『용담유사』에 5회 나타난다. 만고없는 무극대도 받아놓고 자랑하니 그 아니 개자한가 (『용담유사』, 「교훈가」); 만고없는 무극대도 여몽여각 득도로다 (『용담유사』, 「용담가」) ; 하원갑 지내거든 상원갑 호시절에 만고없는 무극대도 이세상에 날것이니 (『용담유사』, 「몽중노소문답가」); 만고없는 무극대도 여몽여각 받아내어 (『용담유사』, 「도수사」); 만고없는 무극대도 이세상에 창건하니 (『용담유사』, 「권학가」).

김상일, 『동학과 신서학』, 서울: 지식산업사, 2000.

次に、西洋の形相的天観の場合は、東学の「無為而化」概念において現れる。東学において初めて用いられる「無為而化」は、道教の「無為自然」と西学の「造化」を連結した概念として考えることができる。無為而化は、陰陽造化という天界・地界・人間界内の調和を、創造主と三界を連結する天外天の造化までも連結する意義がある。東学は、造化において創造の概念を強調する造生者(造生者)としての人格神的な天外天概念を再活性化する。水雲は、呪文を解釈しながら「造化(造化)」とは「無為而化(無為而化)」を意味し、「定(定)」とは「合其徳(合其徳)、定其心(定其心)」を意味すると解いた。 東經大全, 「論學文」. “君子之德, 氣有正而心有定, 故與天地合其德, 小人之德, 氣不正而心有移, 故與天地違其命, 此非盛衰之理耶?”, 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』 61, 2022, p.158에서 재인용.

東經大全, 「論學文」. “君子之德, 氣有正而心有定, 故與天地合其德, 小人之德, 氣不正而心有移, 故與天地違其命, 此非盛衰之理耶?”, 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』 61, 2022, p.158에서 재인용.

東学思想の天観と東洋の天観との差別点は、侍天主に出てくる「造化」概念であるとされる。造化は東学思想の核心的な主題語であり、東洋の天観を越えて東西洋の天観を連結する核心的な主題語であった。 조용일, 「東學의 造化思想에 關한 硏究」, 서울: 東國大學校..

조용일, 「東學의 造化思想에 關한 硏究」, 서울: 東國大學校.

造化は、東西洋の伝統的思想において多様に現れる。第一に、語源的には創造と進化の略語である。これは、なること(成)と生成、保存と創造、陰陽の原理として多様に現れる。第二に、実際の宗教用語においては、陰陽の造化、陰陽五行造化神将などとして現れる。大巡思想においては、東学思想の「作乱」と大巡思想の「治乱」もすべて造化であるとし、 『전경』, 「교법」 3-30. 西学の創造主に該当する造化主の元来の名は「九天大元造化主神(九天大元造化主神)」であったとされる。 『대순진리회 요람』, 「취지」

『전경』, 「교법」 3-30.

『대순진리회 요람』, 「취지」

西洋の場合、「調和(Harmony)」は「平和」を意味する聖書の主題語であった。聖書において調和は「秩序」と「平和」を意味する天の象徴であった。西学と東洋の道教においても、造化は天・地・人の属性として強調された。しかし、西学の造化は分析的思惟の調和であり、道教の造化は相関的思惟の、互いに異なる調和であった。調和のような相反する要素の新たな組み合わせを、人類学においては境界を意味するリミナリティとして理解してきたが、 빅터 터너 지음, 김익두 옮김, 『(빅터 터너의) 제의에서 연극으로』, 서울: 민속원, 2014. 東学思想は新たな相関的思惟の造化概念によって二つの調和を連結する。東学思想の造化は、「侍天主」、「無為而化」、「天地鬼神」、「内有神霊 外有気化」などとして区分されて現れる。この四つの造化は、従来の道教と西学の造化が連結された概念であり、天観ではあるが、超越天の立場からは天地の性格に該当するため、地観に該当することもある。

빅터 터너 지음, 김익두 옮김, 『(빅터 터너의) 제의에서 연극으로』, 서울: 민속원, 2014.

まず「造化」は、「無為而化」の形態で東学思想においては現れる。水雲は、神(かみ)が求道者にある神秘な力を付与するという意味でも無為概念を頻繁に用いたが、崔時亨と李敦化が継承し発展させたのは、自然の領域において神(かみ)が守る無為の原則に関するものであった。これと関連して崔時亨は、性理学の理気(理気)範疇で東学の教義を再解釈することもあり、人間が従うべき無為の原則を、神(かみ)、他者、自然物に対する恭敬の倫理として具体化することもあった。一方、李敦化は、西洋哲学の目的論とそれに対する批判を紹介した後、東学の無為而化(無為而化)を、微視的次元で起こる現象の無目的性と、巨視的次元で成し遂げられる宇宙の進化として解釈することにより、種々の対立的観点を統合的に理解しうる可能性を示した。しかし、崔時亨の無為思想は、東学の無為観念がもつ西欧近代文明に対する批判の精神を継承しているが、李敦化の場合には、その精神を取り逃しているという点で限界をもつとされる。(황종원,「동학의 무위 사상 연구」, 『大同哲學』 66, 2014, p.50) 「無為而化」を見ると、水雲は東学の核心を「無為而化(無為而化)」として総結するとされる。 무위이화는 「포덕문」에서 1회 「논학문」에서 2회 나온다. 愚夫愚民 未知雨露之澤 知其無爲而化矣(『동경대전』, 「포덕문」), 曰吾道無爲而化矣 守其心正其氣率其性受其敎 化出於自然之中也.; '造化者. 無爲而化也 (『동경대전』, 「논학문」) . 「布徳文」の「無為而化」は、天地の作用が天地神明の至極な誠敬信によるものであることを知らず、おのずとそうなるものと思っていると批判して、「おのずとそうなる」という意味で用いられる。「論学文」において無為而化は、「吾道無為而化矣」では東学を要約しつつ用いられ、「造化者. 無為而化也」では侍天主の「造化定」の部分を解釈しつつ用いられる。 水雲は東学を「無為而化」とし、無為而化は神霊な至気の造化作用全体を指すとし、 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『民族文化』 61. 2022, pp.158-159. 心を守り気運を正し、本性に従い教えを受ければ、自然のなかから造化が出てくると説明する。彼が恭敬した天主は、宇宙万物を主宰する気化(気化)の神霊(神霊)であり、彼が迎え入れた神は、無為而化の造化を通じて作用し、世界のあらゆるところに遍在するとされる。彼は「気(気)というものは、虚霊蒼蒼(虚霊蒼蒼)であって、あらゆることに関与し、あらゆることに命令する渾元(渾元)なる一つの気(気)」 至者 極焉之爲至. 氣者虛靈蒼蒼, 無事不涉, 無事不命, 然而如形而難狀, 如聞而難見, 是亦渾元之一氣也. (『동경대전』, 「논학문」) であるとする。

수운은 하늘님이 구도자에게 어떤 신비로운 힘을 부여해준다는 의미로도 무위 개념을 빈번히 사용하였지만, 최시형과 이돈화가 계승하고 발전시킨 것은 자연의 영역에서 하늘님이 지키는 무위의 원칙에 관한 것이었다. 이것과 관련해 최시형은 성리학의 이기(理氣) 범주로 동학의 교의를 재해석하기도 하였고 인간이 따라야 할 무위의 원칙을 하늘님, 타인, 자연물에 대한 공경의 윤리로 구체화하기도 하였다. 한편 이돈화는 서양철학의 목적론과 그것에 대한 비판을 소개한 후, 동학의 무위이화(無爲而化)를 미시적 차원에서 일어나는 현상의 무목적성과 거시적 차원에서 이루어지는 우주의 진화로 해석함으로써 여러 대립적 관점을 통합적으로 이해할 수 있는 가능성을 보여주었다. 그러나 최시형의 무위 사상은 동학의 무위 관념이 지닌 서구 근대문명에 대한 비판의 정신을 계승하고 있으나, 이돈화의 경우에는 그 정신을 놓치고 있다는 점에서 한계를 지닌다고 한다.(황종원,「동학의 무위 사상 연구」, 『大同哲學』 66, 2014, p.50)

무위이화는 「포덕문」에서 1회 「논학문」에서 2회 나온다. 愚夫愚民 未知雨露之澤 知其無爲而化矣(『동경대전』, 「포덕문」), 曰吾道無爲而化矣 守其心正其氣率其性受其敎 化出於自然之中也.; '造化者. 無爲而化也 (『동경대전』, 「논학문」) . 「布徳文」の「無為而化」は、天地の作用が天地神明の至極な誠敬信によるものであることを知らず、おのずとそうなるものと思っていると批判して、「おのずとそうなる」という意味で用いられる。「論学文」において無為而化は、「吾道無爲而化矣」では東学を要約しつつ用いられ、「造化者. 無爲而化也」では侍天主の「造化定」の部分を解釈しつつ用いられる。

백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『民族文化』 61. 2022, pp.158-159.

至者 極焉之爲至. 氣者虛靈蒼蒼, 無事不涉, 無事不命, 然而如形而難狀, 如聞而難見, 是亦渾元之一氣也. (『동경대전』, 「논학문」)

東学が無為而化を通じて東洋と西洋を連結したことは、伝統と近代の二重対立をリミナリティで仲介しようとする過程である。実際、『詩経』に現れる東洋伝統の創造主としての上帝は、『聖書』「詩篇」の創造主と五つの人格的属性を共有しているとされる。五つの人格的属性とは、万物の造生者(造生者)、啓示者(啓示者)、契約(契約)の主管者、救援者(救援者)、道徳的根源であるとされる。 김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71, このうち創造主としての属性が現れた文句は、中国の古典では『説文解字』 許慎, 앞의 책, p.5, “神, 天神, 引出萬物者也, 김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71, pp.207-208에서 재인용. と『詩経』「天が万民を生まれたので、すべての事物にはそれぞれ法則がある。民は変わらぬ本性をもつので、美しい人品を好む。」『詩經』, 「 大雅·烝民」, “天生烝民, 有物有則, 民之秉彝, 好是懿德.”김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71, pp.207-208에서 재인용. を通じても明確に現れるとされる。

5가지 인격적 속성은 만물의 조생자(造生者), 계시자(啓示者), 계약(契約)의 주관자, 구원자(救援者), 도덕적 근원이라고 한다. 김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71,

許慎, 앞의 책, p.5, “神, 天神, 引出萬物者也, 김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71, pp.207-208에서 재인용.

“천이 만민을 낳으셨으니 모든 사물에는 제각각 법칙이 있도다. 백성들은 떳떳한 본성을 가지므로 아름다운 인품을 좋아하도다.”『詩經』, 「 大雅·烝民」, “天生烝民, 有物有則, 民之秉彝, 好是懿德.”김영호, 「『시경(詩經)』의 천(天) 속성과 『시편(詩篇)』의 신(神) 속성 비교 연구」 『원불교사상과 종교문화』 71, pp.207-208에서 재인용.

人格的天霊との接神の後にも、水雲は道教と連結して天主の教えを非人格的な自然の調和と運動原理として説明する。水雲の体験が洋学(洋学、西学)とどのように異なるかと問われると、彼は天運(天運)も同じであり天道(天道)も同じであるが、その理[理]が異なると敷衍した。水雲が言及した理の違いは、学びの方法、すなわち学(学)の違いを指すものとして見ることができるとされる。 백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』, pp.147-148.

백민정, 「上帝와 心 개념으로 비교한 정약용과 최제우의 사유」, 『민족문화』, pp.147-148.

水雲の天師問答は、また逆に、天が水雲を選んだ理由も推測させてくれる。水雲は、悪魔の誘惑を退けたイエスのように、現実的な成功を提案する上帝の建議をすべて拒絶し、さらには従来の儒仏仙を通じた成功さえも拒絶する。 曰然則 西道以敎人乎 曰不然 吾有靈符 其名仙藥 其形太極 又形弓弓 受我此符 濟人疾病 受我呪文 敎人爲我則 汝亦長生 布德天下矣. 「それでは、西道で人を教えましょうか。」お答えになって仰せられた、「そうではない。私に霊符がある。その名は仙薬であり、その形は太極であり、また形は弓弓である。わが霊符を受けて人を疾病から救い、わが呪文を受けて人を教え、私を奉じさせれば、汝もまた長生して徳を天下に施すであろう。」(『동경대전』, 「포덕문」); 吾子,謂我呼父也。”敬敎呼父,則上帝曰:“汝誠是佳。符,三神山不死藥,汝何知之。”先生逐寫數百張,連為吞服。過去七八朔後,纖身潤富,容貌幻態。上帝又敎曰:“汝除授白衣相乎!”先生答曰:“以上帝之子,寧為白衣相乎?”上帝曰:“汝不然,則受我造化,以参造化。”先生受教以試之曰:“皆是有世之造化也。”先生不應。又曰:“此造化行之後,彼造化行之。”先生卽爲行之,此化彼化,是亦有世之化也。以此化敎人,則必為謨(誤)人,永不擧行。上帝又見造化曰:“此造化眞可為行化也。”先生強為行之,則是可為亦然也。其後雖有命教,誓不擧行。絶飲十一日. (『도원기서』, 김용옥, 『동경대전1』, 서울: 통나무, 2021, pp124-131에서 재인용) 東学の侍天主という概念は、このような上帝との真摯な対話を背景とする。このような信任関係は、東学農民運動時、東学農民運動の参与者は銃弾も防げるという信念にまで拡大される。

曰然則 西道以敎人乎 曰不然 吾有靈符 其名仙藥 其形太極 又形弓弓 受我此符 濟人疾病 受我呪文 敎人爲我則 汝亦長生 布德天下矣. 「それでは、西道で人を教えましょうか。」お答えになって仰せられた、「そうではない。私に霊符がある。その名は仙薬であり、その形は太極であり、また形は弓弓である。わが霊符を受けて人を疾病から救い、わが呪文を受けて人を教え、私を奉じさせれば、汝もまた長生して徳を天下に施すであろう。」(『동경대전』, 「포덕문」); 吾子,謂我呼父也。”敬敎呼父,則上帝曰:“汝誠是佳。符,三神山不死藥,汝何知之。”先生逐寫數百張,連為吞服。過去七八朔後,纖身潤富,容貌幻態。上帝又敎曰:“汝除授白衣相乎!”先生答曰:“以上帝之子,寧為白衣相乎?”上帝曰:“汝不然,則受我造化,以参造化。”先生受教以試之曰:“皆是有世之造化也。”先生不應。又曰:“此造化行之後,彼造化行之。”先生卽爲行之,此化彼化,是亦有世之化也。以此化敎人,則必為謨(誤)人,永不擧行。上帝又見造化曰:“此造化眞可為行化也。”先生強為行之,則是可為亦然也。其後雖有命教,誓不擧行。絶飲十一日. (『도원기서』, 김용옥, 『동경대전1』, 서울: 통나무, 2021, pp124-131에서 재인용)

水雲の天師問答が他者の信頼を得ることができた点は、天がみずからを現す人物として、水雲のような最も問題的な人物を選んだという点である。天は、従来の既得権でもなく下層でもない、非常に中間的な存在である水雲に現れた。

水雲は、当時その時代が輩出しうる最も不幸なホモ・サケル(Homo sacer)であった。 박종천, 「'서발턴(subaltern)'의 관점에서 본 한국의 자생 신종교 사상: 수운, 증산, 소태산의 비교를 중심으로」 『대순사상논총』, 2021. 水雲は、最も正統的な性理学の宗統にある最も卓越した学者である父をもったが、庶子より低い再嫁女の後孫という地位になければならず、それさえも父が亡くなり家まで火災で焼けてしまうと、水雲は全国を流浪して生計を維持しなければならなかった。結局、水雲は流浪さえも容易でなく、家に戻る。天が現れた方が水雲のような存在であるという点で、人々はかえって信頼をもった。不運な水雲であったが、水雲もまた父に劣らぬ非凡さがあり、術数にも長けているという意味の「福述」という号もあった。

박종천, 「'서발턴(subaltern)'의 관점에서 본 한국의 자생 신종교 사상: 수운, 증산, 소태산의 비교를 중심으로」 『대순사상논총』, 2021.

東学思想の造化概念が西洋と異なる点は、相関的思惟の造化であるという点である。東学の侍天主思想が示す相関的思惟が、伝統の連続と変化であるという点が、儒仏仙思想の伝統においてより明確に現れるという先行研究とともに、認識論的側面における先行研究も活発である。東学思想に現れた相関的思惟の認識論的側面の連続と変化については、多くの先行研究があるので、まず先行研究の分析を通じてその概要を見ることができる。

東学思想に現れた相関的思惟についての先行研究を見るには、再び相関的思惟の定義について調べる必要がある。陰陽五行に代表される相関的思惟は、部分と部分が相互に連関するという意味の相関という用語を用いる相関的思惟であるが、部分が部分へと連結されることは、結局、全体において部分が連結されることであり、結局、全体と部分を統一的に見る有機体理論や、全体の観点から部分を見るホリスティック理論、あるいは全息的(全息的)観点であるといえる。すなわち、相関的思惟とは、拡大して定義するならば、有機体的思惟や全息的(全息的)思惟を含む。

東洋の思惟である相関的思惟を全息論(全息論)や有機体論にまで拡大するならば、東学に対する相関的認識観点の先行研究は、国内外的に非常に広範囲な研究へと拡大される。先に海外の事例を見たので、国内の場合を見るならば、狭い範囲では国内に相関的思惟を翻訳紹介した이창일の研究を挙げることができる。東学思想に積極的に適用しはしなかったが、이창일の研究は、東洋思想に対する研究は優先的に相関的思惟で接近すべきであるという、西洋の東洋思想研究の主要な方法論を国内に紹介し、東学思想に大きな影響を与えた邵康節の哲学を相関的思惟の方法論で分析した。 이창일, 『소강절의 철학』 심산, 2007.

이창일, 『소강절의 철학』 심산, 2007.

東学が「開闢」という用語を通じて東アジアの伝統と断絶した思想を主張するように見えるが、東学思想に現れた東学の定義は、「東学」という用語が初めて現れた文「論学文」に見られるように、東学が相関的思惟の代表的な理論である陰陽五行に基づく学問であることを定義している。実際、相関的思惟についての理論家たちにとって代表的な相関的思惟の理論家として指摘された新儒学の陰陽五行理論家・邵康節は、東学思想においても大きな影響を及ぼした思想家として指摘されている。 임병학, 「소강절의 상수역학(象數易學)이 한국 신종교에 미친 영향 -동학(東學)과 원불교(圓佛敎)를 중심으로」, 『동서철학연구』 78, 2015, pp.171-194. 東学思想の「再び開闢」という用語もまた、邵康節の影響のなかにあった 곽신환, 『조선 유학과 소강절 철학』, 예문서원, 2014. 朝鮮時代後期の知識人が広範囲に用いていた用語であった。 한승훈, 「미륵, 개벽, 요나오시: 동아시아 종교사에서의 위기와 혁세 인식」, 『종교와 문화』(40), pp.29-52. 2021; 한승훈, 「개벽(開闢)과 개벽(改闢) : 조선후기 묵시종말적 개벽 개념의 18세기적 기원」, 『종교와 문화』 34, 2018, pp.203-243.

임병학, 「소강절의 상수역학(象數易學)이 한국 신종교에 미친 영향 -동학(東學)과 원불교(圓佛敎)를 중심으로」, 『동서철학연구』 78, 2015, pp.171-194.

곽신환, 『조선 유학과 소강절 철학』, 예문서원, 2014.

한승훈, 「미륵, 개벽, 요나오시: 동아시아 종교사에서의 위기와 혁세 인식」, 『종교와 문화』(40), pp.29-52. 2021; 한승훈, 「개벽(開闢)과 개벽(改闢) : 조선후기 묵시종말적 개벽 개념의 18세기적 기원」, 『종교와 문화』 34, 2018, pp.203-243.

全息論(全息論)や有機体論にまで拡大するならば、東学思想に現れた相関的思惟についての国内の先駆的研究は、김상일によって進められた。김상일は、東学を「新西学」と定義し、東学をホワイトヘッドの過程思想の先駆的な東洋版として解釈する。 김상일의 관련 저작을 나열하면 다음과 같다. 먼저 동학관련 연구는 다음과 같다. 김상일, 『수운과 화이트헤드』, 지식산업사, 2001. 보다 확대된 연구는 다음과 같다. 김상일 『한의학과 러셀역설 해의』 지식산업사 2005; 김상일 『한국문화와 초공간』 교학연구사 1999; 김상일 『알랭바디우와 철학의 새로운 시작 1,2』 새물결; 김상일, 『역과 탈현대의 논리』(지식산업사, 2006); 김상일, 『부도지 역법과 인류세』, 동연, 2021 ; 김상일, 『한민족 의식 전개의 역사』, 지식산업사, 1988; 김상일, 『한철학』,온누리, 1995 등등. 김상일은 대순사상과 관련한 연구도 진행하였다. 김상일, 「과정 신학의 신의 두 본성과 대순사상의 신인조화에 관한 연구」 , 『大巡眞理學術論叢』 (3) ,대진대학교부설 대진학술원, 2008; 김상일, 「대순사상의 4대 종지에 대한 문명사적 고찰」, 『大巡眞理學術論叢』1, 대진대학교부설 대진학술원, 2007. その後、김상일は東洋思想を「韓哲学」と命名し、東洋思想をフラクタル科学にまで拡大して、古今の西洋思想全般と比較し、東学の相関的思惟に現れた特徴を理論的に展開する。

김상일의 관련 저작을 나열하면 다음과 같다. 먼저 동학관련 연구는 다음과 같다. 김상일, 『수운과 화이트헤드』, 지식산업사, 2001. 보다 확대된 연구는 다음과 같다. 김상일 『한의학과 러셀역설 해의』 지식산업사 2005; 김상일 『한국문화와 초공간』 교학연구사 1999; 김상일 『알랭바디우와 철학의 새로운 시작 1,2』 새물결; 김상일, 『역과 탈현대의 논리』(지식산업사, 2006); 김상일, 『부도지 역법과 인류세』, 동연, 2021 ; 김상일, 『한민족 의식 전개의 역사』, 지식산업사, 1988; 김상일, 『한철학』,온누리, 1995 등등. 김상일은 대순사상과 관련한 연구도 진행하였다. 김상일, 「과정 신학의 신의 두 본성과 대순사상의 신인조화에 관한 연구」 , 『大巡眞理學術論叢』 (3) ,대진대학교부설 대진학술원, 2008; 김상일, 「대순사상의 4대 종지에 대한 문명사적 고찰」, 『大巡眞理學術論叢』1, 대진대학교부설 대진학술원, 2007.

東洋において造化がもつ用語が現れる代表的な用語は侍天主である。東洋の無極大道と西洋の無為而化として現れる東学の天観は、侍天主へと総合される。侍天主は、特に東学思想の天観を代表する概念である。「侍天主造化定」という東学の代表的な呪文に現れるように、侍天主は造化の根本である。東学と性理学の共通点を研究してきた研究者は、東学の侍天主の造化が、内容的には性理学的意味の調和と類似し、東学の他の句節「気化」、「無為而化」を総括する概念であるとする。東学の「論学文」において「侍(侍)」は「内有神霊, 外有気化, 一世之人, 各知不移(內有神靈, 外有氣化, 一世之人, 各知不移)」とする。 초기동학의 모실 “시”의 3가지 의미는 후기동학에서 내면의 기로 축소되었다고 한다. 수운의 한울님에는 초월적 인격신, 자연 속에서 생명운동을 하는 至氣, 개체 내면의 神靈이라는 세 가지 함의가 있는데, 손병희는 그 중 하나인 내면의 한울님만을 깨달으면 나머지 두 가지 의미를 지닌 한울님, 즉 상제와 천지만물의 본질 또한 나에게 자연스럽게 자각된다고 주장하고 있다.(황종원, 「20세기 초엽 천도교의 인내천 교의 및 심성론에 대한 비판적 연구」, 『대동철학』 44, 2008, pp. 95-96) これは、「侍天主」の意味が、神霊な心と気化する身をもつことであることを全世界の人々が悟って、その状態を維持していくこと、すなわち創造的に進化[造化]する本体[体]、すなわち「至気」へとみな同じく帰一(帰一)するということである。したがって、侍天主がすなわち同帰一体であり、「造化」であるとされる。 손병욱, 「동학과 불교 염불선의 수증체계(修證體系) 비교」 『동학학보』 23, 2011, pp.101-145.

초기동학의 모실 “시”의 3가지 의미는 후기동학에서 내면의 기로 축소되었다고 한다. 수운의 한울님에는 초월적 인격신, 자연 속에서 생명운동을 하는 至氣, 개체 내면의 神靈이라는 세 가지 함의가 있는데, 손병희는 그 중 하나인 내면의 한울님만을 깨달으면 나머지 두 가지 의미를 지닌 한울님, 즉 상제와 천지만물의 본질 또한 나에게 자연스럽게 자각된다고 주장하고 있다.(황종원, 「20세기 초엽 천도교의 인내천 교의 및 심성론에 대한 비판적 연구」, 『대동철학』 44, 2008, pp. 95-96)

손병욱, 「동학과 불교 염불선의 수증체계(修證體系) 비교」 『동학학보』 23, 2011, pp.101-145.

侍天主がすなわち内在的超越であるという点で、東学思想は従来の儒教および道教と修養の方法を共有する。東学の「侍」概念がもつ多様性の根源は、東学の神観念が巫俗・天主学・儒学という三つの淵源から出たためであるとされる。(황종원, 「동학 신 관념의 세 가지 사상적 연원-무속,천주학,유학과의 관계를 중심으로」, 『儒學硏究』 32, 2015.) ただし、東学思想は、儒教と異なり理法を道教のように実体化し、道教と異なり創造主という人格神が登場する。「侍天主」を通じた東学思想の造化においては、儒教や道教と異なり「隠れた神」が登場する。造化において進化の側面のみが強調されてきた道教の伝統よりも、東学思想においては東西融合の側面から創造の側面が強調されたのである。

동학의 “시” 개념이 가지는 다양성의 근원은 동학 신관념이 무속·천주학·유학이라는 세가지 연원에서 나왔기 때문이라고 한다.(황종원, 「동학 신 관념의 세 가지 사상적 연원-무속,천주학,유학과의 관계를 중심으로」, 『儒學硏究』 32, 2015.)

「侍天主」が西学と共有する共通点は、人格神の登場だけでなく、人格神との出会いの場面である。これについて、西学との共通点を強調する研究者は、水雲の天師問答は使徒パウロの経験と類似するとする。過去の韓国人の宗教体験において、神(かみ)を水雲のように直接出会った事例はないとされる。この点で、東学の天主はキリスト教の影響を受けたものであるとも評価する。ただし、水雲は、東洋の自己省察の方法である内面的超越を、韓国の伝統的な神(かみ)信仰で調和させたと説明する。 김종서, 「동서 종교간 충돌과 현대 한국의 역동적 신앙」, 『종교와 문화』, 16, 서울대 종교문제연구소, 2009, pp.28-29.

김종서, 「동서 종교간 충돌과 현대 한국의 역동적 신앙」, 『종교와 문화』, 16, 서울대 종교문제연구소, 2009, pp.28-29.

東学思想の天観に現れた自生的近代性は、天外天と人間の心の疎通、ここにおける聖と俗の再配置、すなわち脱境界のリミナリティの出現である。これは、政治・社会思想としては常民を両班にする身分上昇の意味にもなり、天地人の関係において冷遇されていた地と人間の地位上昇にもなる。天外天の出現を通じて東西洋の天観を包越(包越)する東学の天観は、東西洋の天観に現れた系統発生を個体発生として反復し、リミナリティを通じた自生的近代性を示す。